Bamberg

街の紹介 Bamberg

ドイツには日本のほぼ3倍の40都市が世界遺産都市に指定されている。その中でもバイエルン州の北部、”Oberfranken”(オーバーフランケン)にある人口7万人ほどのバンベルクの町は(ドイツでは)とりわけ有名で、観光客がとっても多い。ドイツに現存する”Altstadt”(旧市街)は最も大きな規模を誇っており、中心部の観光名所を外から見て回るだけでも半日近くかかるので、観光の時間はたっぷり見ておこう。

ではまず町の歴史から見て行こう。バンベルクに関する記述で一番古いものは10世紀の書簡で、”Babenburg”と書かれている。当時、この町を支配下に置いていた”Babenberger”家の要塞を指したもので、これが町の名前の起源になった。今日でも旧市街地の中にある小高い丘を登ると、4つの塔をもつ珍しいドームやその向かいに建つ領主の居城などが残っているが、かってはこの丘が城壁で囲まれており、バーベンブルクと呼ばれていた。10世紀にバーベンベルガー家はマインツの諸侯と戦争になり、敗北、お世継ぎは3人とも戦死する。神聖ローマ帝国の皇帝、オットー二世はこの地をバイエルン公爵に寄贈した。

11世紀になるとこの地は近隣の都市と共に”Erzbistum Bamberg”となる。早い話が司教様が王様のように支配する領土で、その首都はバンベルク。司教様の権力を誇示すべく、現在でも残っているドームの建設が始まる。15世紀には今日のチェコ領からキリスト教の一派が進軍してくると、司教やお金持ちは逃げ出した。これをみた職人は、「今がチャンス!」と市内を略奪しまくった。略奪をするのはいつも敵軍とは限らない。見るに見かねてブランデンブルク選帝侯が介入、チェコ軍と和平を結びバンベルクは身代金を払ったため、焼き払われる運命を逃れることができた。

30年戦争ではスウエーデン軍の侵攻で町は大きな被害を受ける。その後、プロイセンとオーストリアとの戦争でも被害を受けたが、18世紀にはやっと平和が訪れて、カトリック司教領としてバンベルクは最盛期を迎える。バンベルク大学もこの時代に新設されている。19世紀になるとナポレオン戦争で町は再び被害を受ける。ナポレオンに負けたプロイセン同盟軍はフランスに領土の割譲を強いられるが、このときの講和条約でバンベルク司教領はナポレオンに加担したバイエルン選帝侯に割譲されることになり、以来今日までバイエルン州に属している。第二次大戦は連合軍の爆撃機の到達距離外にあったので、終戦前までほどんど空爆を受けなかった。フランスが連合軍に占領されてから何度か空爆を受けたが、幸い、市内の建造物の多くは被害を逃れ、お陰でかっての旧市街が今日まで残ることになった。

では肝心要の市内を見に行こう。最も有名なのはレグニッツ河のかかる橋の上に建つバンベルクの旧市庁舎だろう。伝説では司教様は市役所を建てる土地を市民に売ることを拒否したため、市民はベニスのように河に杭を打ち込んで市役所を河の上に建てたそうだ。建造されたのは15世紀。壁画は18世紀になってから描かれた。バンベルクまで来たら、是非、こちら側から旧市役所を見て置こう。壁画に「ジョーク」が埋め込まれている。レグニッツ河のこの部分には2つの橋がかかっており、観光客で賑わうのは“obere Brücke”「上の橋」だ。しかし”untere Brücke”(下の橋)の袂にある“blaues Haus”(青い家)はと~っても綺麗なので、お見逃しなく。もっとも観光客は“Kunigunde von Luxedmburg”の像に興味がある様子。バンベルクで女神のように称えられているこの女性は、東フランク帝国の皇帝ハインリ二世の后。皇帝の死後、バンベルク司教領の誕生に尽力した。「上の橋」のさらに上にもうひとつ橋がある。ここから旧市庁舎が綺麗に撮れるので、記念写真、最近で言えばセルフィーか、をお忘れなく。ただの写真じゃ面白くないので、こちらは長時間露出撮影です。

この場所のもうひとつの見所は、レグニッツ沿いに並ぶ綺麗な家屋だ。かっての魚師や船頭の家だそうだ。観光局は「小さなベニス」と呼んでいる。この名前を利用してイタリアからゴンドラを取り寄せて、乗客を乗せた河下りを始めた人もいる。しかしベニスと違い河の流れは速いので、ゴンドラには向いてない。下の橋の袂から観光船が出ているので、そちらを利用されたほうが楽しいです。遊覧船の出る場所に有名なクレーンが残されてる。もう使われていないが、そこは世界遺産都市。古い物は捨ててしまわないで、ちゃんと残されている。向かいの「牛」が目印の建物はかっての”Schlachthof”(屠殺場)で、現在はバンベルク大学の図書館(別館)です。ここから下の橋に向かう途上にバンベルクの名物の”Centurione”という名前の銅像がある。

少し場所が離れているが旧市街の入り口に建っているは、18世紀に建造された近衛兵の詰め所だ。その先には“Maximilianplatz”、地元民は短縮して”Maxplatz”というが、ここに市役所(18世紀建造)と“Maximiliansbrunnen”がある。そう、改めて言うまでもなくバイエルンの王様だ。この通りには多くの商店が並んでいるのが、そのど真ん中に立派な“St. Martin”教会が建っている。13世紀に建造された当時は修道院兼教会だったが、宗派が解散(それとも消滅?)したので空き家になっていた。16世紀になってバンベルク司教がこの教会を所有、修道女の修道院兼教会となっている。この辺りにはベンチが設置されて、買い物で疲れた家族が一休みできる憩いの場だ。ここにある噴水がネプチューン噴水。この先が上述の観光名所への入り口になります。

ここには原住民に人気のカフェが立ち並んでいる。先回はちゃんと水があった噴水は、まだ8月なのに水を止められてカラッカラ。残念。では上の橋を渡って町の中心部に入ってみます。どちらを向いても古風な家屋が立ち並び、優柔不断になっちゃいます。今回は先を左に折れてみました。「時間がないので、ドームを見て帰る。」という方は直進してください。すぐ先がドームです。小さな広場の先は、”Judenstraße”(ユダヤ人通り)です。ここにあるのがいかにも古そうな”Marienkapelle”(マリア礼拝堂)だ。もともとはシナゴークとして14世紀に建設が始まったが、司教様が、「ユダヤ人を追い出せ!」とユダヤ人迫害の幕を切り、ユダヤ人は(まだ生きていれば)追放された。その後、教会として建設が終了したという暗い歴史をしょってる建物だ。

ユダヤ人通りには小奇麗な家屋が多く並んでいる。 表面を漆喰ではなく石で覆っている建物は、とりわけ立派。ここに“Böttingerhaus”(ヴェッテイングの家)がある。ご想像の通り、お金持ちのヴェッテイングが18世紀に作らせた宮殿だ、入り口の装飾の絢爛豪華なこと!この先の路地に、”Klosterbräu”(修道院ビール鋳造所)の石作りの倉庫、それにさらにその先に店舗があるが、これがとても古くて立派。中心部に戻ります。ユダヤ人通りを戻り左折すると、“Obere Pfarrkirche”が見えてきます。今日は何処に行っても、モロに逆光なんです。逆光にならないアングルもあるんですが、あまぱっとしません。折角なので中を覗いてみました。明るくて他の教会のように暗くて陰気な感じがしない!牧師さんの説教する“Altar”はとりわけ立派。

「ドームはこちら。」という看板が出ていたので、路地に入ってみます。かわいい家屋を眺めていくと、立派なお屋敷が見えてきました。右側の建物の名前、由来は不明。左側はホテルです。ドーム到着!はい、ここでも見事な逆光です。今回は中に入ってみます。入り口の飾りが独特。あら、立派子供が指しているのは、何なんでしょう?ここが司教様の仕事場です。この教会、最初に建造されたのは11世紀ですよ!古い部分は地下にあります。残念ながら柵があり、進入禁止。上の部分も鎖があり立ち入り禁止でしたが、いかにも古そうな壁画だけは見れます。ここに東フランク帝国の皇帝、ハンリヒ2世とその后、バンベルクの守護神になっているKunigundeの棺があります。皇帝の棺だけあって、その装飾の立派なこと!棺の横の柱に有名な、“Bamberger Reiter”(バンベルクの騎士)の像があります。何でそんなに有名かと言えば、誰の像なのかわかっていないからです。学者が数世紀に渡って言い争っています。

ドームの向かいに建っている宮殿が、Neue Residenz、司教様の家です。司教様の家には入れませんが、左側にある門から有名な“Rosengarten”(薔薇園)に入れます。背景になる修道院が修復中なのは玉に瑕ですが、足を踏み入れた途端、薔薇の香りが鼻腔を満たします。とっても綺麗でした。8月中にバンベルクを訪問される方は、お忘れなく!うっかり忘れるところでした。ドームの横に“Alte Hofhaltung”があります(勿論、逆光)。司教様のお台所、それに寝室でます。こんなに広大な土地を持っているのに、市役所の土地させも譲らないなんて、流石、司教様。門の飾りが凄い。まるでメソポタミア遺跡

少し街中から外れているところに建っている、“St. Gangolf”教会は、ぱっと見てもわかる通りとっても古い。なんと11世紀の建造物で、日本で言えばまだ平安時代の建造物だ。デユッセルドルフで一番有名な通りは「ケー」、ミュンヘンで一番有名なのはマクシミリアン通り、バンベルクで一番有名なのは、「王様通り」と呼ばれる、“Königsstrasse”だ。レストランや軒を連ねている。「駐車禁止だけど停めちゃえ!」なんて車を違法駐車すると、あっという間に違反切符を切られます。切符を切る人も、わざわざ移動しなくても、「入れ食い」なので四六時中ここで待機、監視してます。車で来たら小銭を節約しないで、ちゃんと駐車場に車を停めましょう。

少し横道にそれますが、バンベルクは有名なビールの産地。この土地には独特の”Rauchbier”(直訳するとスモークビール)がある。スモークした麦芽を使用してビールを造るので、この名前が付いた。以前は68ものスモークビールの醸造所があったそうだが、現在ではたったの8つ。その中でも一番有名なのが、“Schlenkerla”だ。観光客の「黒山」」ができているか、店に入らないで路上で飲んでいる人が居るので、すぐにわかります。ちなみにバンベルクの住人はドイツ屈指のビール好き。ビールの値段が10プェニヒから11プェニッヒに値上がりすると、ビールのボイコット運動が起き、”Bamberger Bierkrieg”(バンベルクのビール戦争)として歴史に残ったほどだ。

「ビールはちょっと。」と言われる方は、バンベルクの名産、„Hörnchen“(小さな角)を試していこう。「なんだクロワッサンじゃん。」という言葉はタブー。フランケン人は愛着を込めてバンベルガー、あるいはヘルンヒェンと呼ぶ。「クロワッサンと何処が違うの?」と聞くとパン屋の親父は(威張って)「もっとパリパリしていて、形がスリムだ。」と教えてくれるが、素人には違いはわからない。試しにパン屋で買ってみました。80セントなり~。確かにしっかりバターの味がしました。ちょっと触っただけで、手にバターのしみができます。皆まで言えば安価なマーガリンを使ってバンベルガーを販売して、訴えられたパン屋も居るほどの懲り様。「バンベルガーの名前は、バターを使っている場合に限り使用できる。」とバンベルガー法まで制定されこだわり振りだ。さらには地元の人が、„Zwetschgenbames“ と呼ぶシンケン(ハム)もある。これは豚肉ではなく牛肉を使用して、自然に乾燥させたもの。肉屋の前を通りかかったら、是非、のぞいてみよう。赤味が綺麗に残っているローストビーフみたいなハムがある。

ミュンヘンからバンベルクまでドイツの新幹線ICEで2時間ほど。アウグスブルクからだとちょっと便が悪く、運が良くても2時間半。週末になると3時間半。車で行くと優に3時間。渋滞があると4時間も稀ではない。片道に。ミュンヘンから行くと途上にバイエルン州第二の大都市、ニュルンベルクもある。遠距離から飛行機で来るなら、ニュルンベルク空港が最寄空港になる。ニュルンベルク中央駅からバンベルクまで、ICEで30分程度。早い話が不便な場所。それでもやっぱり世界遺産都市。見てみる価値あり!バイエルン州に留学するなら是非、バンベルクまで足を延ばしてください。日本に帰って写真を見せると「これ何処?」と聞かれること、間違いなしです。この風光明媚な町にとっても質のいい語学学校もあるので、「日本人のいない学校に通いたい。」という方にはぴったりです。