Hamburg

街の紹介 Hamburg

ハンブルクと聞いて、まず最初に連想するのは。ハンバーグとハンブルクの名前が似ている為に、「ドイツのハンブルクがハンバーグの起源。」と信じてる方が多い。それだけでは済まず、「ドイツではハンバーグをハンブルガー、あるはハンブルクステーキと言う。」などと、あたかもドイツで確かめてきたかのように語る人まで。あまりの自信に、「そうなんだ。」と信じてしまう人も多い。しかし実際にドイツに来ると、ドイツ人はハンバークを”Bulette”、あるいは”Frikadelle”と言うのでびっくり。前者はフランス語の”Boulette”、後者は同じくフランス語の”fricandeau”から派生しており、「ハンバーグ ドイツ説」には不利な証拠ばかり。皆まで言えば、ハンブルク ステーキなる言葉も、ドイツには存在していない。実はこれ、日本で頻繁に見聞きする「ドイツ伝説」のひとつです。ハンバーグの本当の起源は、ニューヨークにあるハンバーグ市で牛肉不足に悩んだ肉屋が、牛肉と豚肉のミンチを合わせて作った肉料理を、町の名前にちなんでハンバーガーと呼んだのがハンバーグの名前の起源です。ドイツのハンブルクとは関係ありません。ドイツ語で”Hamburger”(ハンブルガー)と言うと、ハンバーグではなく、ハンブルクの住人を指します。

誤解が解けたら、町の歴史にもふれておこう。4世紀に始まったゲルマン民族の大移動で、この地にやってきたのはゲルマン4大種族のひとつ、ザクセンだ。ちなみに英国に渡ったゲルマン民族は、ザクセンとアンゲルンの2種族。この為、一般にはアンゲルザクセンと言う。9世紀始めになると西から勢力を拡大してきたフランク王国がこの地を占領して、アルスター河の河辺(古語で”Ham”と言う。)に城砦(ご存知の通り、ドイツ語で”Burg”)を築いたので、この町をHamburgと呼ぶようになった。12世紀に神聖ローマ帝国の皇帝、フリードリヒ1世がこの地に港湾を作る権利を与えたのがハンブルクの発展のきっかけになる。13世紀になると交易でハンブルクは大いに栄える。当時はハンブルクだけでも600を越えるビールの鋳造所があったというから、かなりの需要があったようだ。
14世になってもハンブルクの発展は衰えず、北海交易で最も重要な港湾都市に成長して、16世紀初頭には都市国家に昇進、ドイツで最初の株式市場をオープンしている。17~18世紀は文化的な発展が最高潮に達し、劇場などの建築ラッシュに沸いた。工業化の波が押し寄せると、他のハンザ同盟都市は衰退の一路を辿ったが、ハンブルクだけは重要な経済地域としてその地位を確保、ビスマルクによるドイツ第二帝国の建設時には、ハンブルクだけで州を形成するという特権を有したまま、ドイツ帝国に加わった。
その歴史から見てもわかる通り、ハンブルクは大都市だ。ミュンヘンの130万人を軽く凌駕する170万人が住んでおり、ベルリンに継いでドイツで2番目の大都市。又、最もお金持ちが多い街でもある。当然、家賃、物価は安くないので、予算重視の留学ではもっと物価の安い町を選んだ方がいいかもしれない。冬は悪天候が続くので、留学するなら春先から夏が旬。ハンブルクは60~70年代までは「ドイツにおける日本人町」として有名だったので、日本人学校などのインフレも整っている。運輸会社を筆頭に、有名な日系企業も数多くその支店を置いている。又、新鮮な魚が有名な「魚市場」で(比較的)安価で買えるのも、日本人にとっては嬉しい。

大都市に住む利点は、そのインフラに尽きる。ハンブルク空港は市内にあり、空港から中央駅まで各駅停車のS-1で25分でいけてしまう。ハンブルクのライバル、ミュンヘンは空港が郊外にあるので45分もかかる。そして中央駅の中にはスーパーがあり、日曜日でもお買い物できてしまう。「そんなの当たり前でしょ。」と言われる方は、ドイツに来たときのお楽しみ~。さらに各駅に”Kiosk”が入っており、生活必需品日は日曜日の夜でもお買い物できちゃう!流石、プロテスタント。カトリックの町だとこうはいかない。一番関心したのは各駅に掲示している路線図。知らない町に行くと、おかしな名前の駅ばかり。文字通り右も左もわかりません。デユッセルドルフやミュンヘンなら、「この電車は何処何処に行くの?」と進行方向を尋ねないと、外国人にはどの電車に乗ればいいのかわかりません。でもハンブルクは各駅のホームの入り口に張り出しているので、子供でもわかります。他の町も是非、真似をして欲しい。そして電車の中ではテレビと監視カメラ。もっとも擦りは電車の乗り降りを狙いますので、ご注意あれ。
ハンブルガー、ハンバーグではなく、ハンブルクの住人の憩いの場が、”Jungfernstieg”。まだドイツ語を習ってない方に説明すると、”Jungfer(n)”は若い女性を指し、”Stieg”は舞台などを指す。すなわちここはかっての独身の女性が素敵な男性を探しに行った場所だ。この場所は地下鉄と近距離電車が交差する場所にあるので、ハンブルクに滞在されると頻繁にこの駅を利用することになる。ここが有名な内アルスターだ。近くには高級ブテイック店が軒を連ねている。ミュンヘンで言えば、”schickimicki”なマキシミリアン通りだ。滅多に見ることができないスポーツカーが、結構、頻繁に走っている。高級感を殺ぐわないように、スーパーはモールの中に入っているので、土地勘のない者のはなかなかわからない。「スーパーは何処にあるの?」と聞けば、「そこの”Europa Passage”にあるよ。」と教えてくれた。ミュンヘンで同じことを聞くと、あごをしゃくって「そこだ。」と指示されたので、ハンブルクのほうが親切だ(偏見です)。
ハンブルガーが、「ドイツで一番綺麗な市庁舎」と自慢の市庁舎が、すぐ近くにある。残念ながら逆光。綺麗な写真を撮るなら午前中に来なきゃ駄目。もっとも午後に来ても、無駄ではない。市庁舎の裏(中)庭には見事な噴水があり、裏から見た市庁舎もとっても綺麗。市庁舎の前に立っている石碑は、第一次大戦で戦士したハンブルク出身の兵士の慰霊碑だ。ドイツの町には、必ず戦死した地元の若者の慰霊碑が建っている。後ろはハンブルク市民の憩いの場。”Jungferstieg”よりもお客の年齢層が明らかに高い。歩き疲れたら一休みして記念写真を撮ると、絵になります。
「人間の価値は死んだときにわかる。」と言う。社会的貢献をしたハンブルガーは、”Hauptkirche St. Michaelis”でお葬式のミサが開かれる。(故)シュミット首相が死去したときも、ここでミサが開かれた。通常は「熱くならない。」ことで有名なハンブルガーが、首相に最後にもう一度感謝しようと道端に立って、首相を乗せた霊柩車が来るのをじっと待っていた光景はとっても感動的だった。教会の入り口の上には、教会の名前の「元」になった聖ミヒャエルのサタン退治の見事な銅像が飾られている。
ハンブルクは日本の長崎のように造船業と港という戦術的に重要な拠点が集中していたので、第二次大戦中、何度も大爆撃に遭った。1943年、英国空軍は作戦名「ゴモラ」という空爆を実施、被害を大きくさせるために焼夷弾が多く投下されて、市内の空気温度は1000度を超え炎の嵐が発生した。爆弾で壊れていない建物は、この炎の嵐で燃え落ちた。市内には崩壊した教会の壁が戦争の災禍を忘れないように残れているが、St. Pauliには戦争中に建設された巨大な防空壕もまだ残っている。角には対空火砲を載せれるように「出っ張り」が付いている。ヘリコプターのない当時、どうやって巨大な対空火砲を屋根に持ち上げたのだろう。戦争の傷があまりに深かったハンブルクには、古い建物はあまり残っていない。稀な例外のひとつが、聖ミヒャエル教会の近くにある”Deichstraße”だ。古風な家屋はかってのハンブルク市民の住居で、戦争前はこんなに綺麗な家屋がハンブルク中に建っていた。木材を使用した南ドイツと、明らかに建築様式が異なる。もうひとつの例外が、防空壕の近く(といっても1Kmくらい離れてます)の”Peterstraße”だ。お見事。こういうレンガ作りの建物は南では稀だ。
しかし何と言ってもハンブルクの最大の魅力は港。船が発着することから、”Landungsbrücken”(発着橋)と呼ばれているこの駅は、地下鉄や近距離電車の交差する交通の要所。ここから(他の場所でも乗れます。)ハンブルク港の観光船が出ている。運がいいと、クイーンメリー2の巨大な船体を拝むことができる。発着場には右も左もレストランで一杯。「ハンブルクと言えば、魚でしょ!」とスナックを注文。「おいしい!」というものではありませんので、無理して食べる必要はなし。どうしても食べるなら、”Seebarsch”の方がマシ。フィッシュバーガーを食べながら、港の夕日を眺めると(寒くなければ)いい思い出になります。
ハンブルクの新しい観光名所、”Elbphilharmonie”を見に行くから、次の駅”Baumwall”の方が近い。なんでも10年がかりで開発した世界で一番の響きを持つパイプオルガンを備えているそうだ。港には大小さまざまな船が停泊しているが、この大きな観光船は圧巻。港の界隈は人気が高く、フィルハーモニーを始め多目的ビルから高級住宅などが建設中だ。ハンブルクでは、お金を持っていてもこれを誇示するのは、「品のないこと。」とされている。高級スポーツカーを乗り回すのは、”neue Reiche”と呼ばれる新世代のお金持ちで、ハンブルクの本当のお金持ちはその富を見せたりしない。しかし港を眺める一等地には、そのお金持ちの高級アパートが軒を連ねており、流石は最もお金持ちが多い街だ。
近くに世界遺産に指定された”Speicherstadt”(倉庫街)があるので、是非、観に行こう。ドイツ第二帝国がビスマルクによって成立すると、自由都市のハンブルクも自主的にその軍門に下ったが、その条件として、第二帝国の関税が課されない無関税特権を獲得した。現代で言えば、香港のようなもの。結果、ハンブルクで荷を降ろす船が増大、ハンブルクは巨大な倉庫が必要になった。そこで市が港の周辺の土地家屋を強制買収、綺麗な建物をすべて壊して、倉庫街の建設が始まった。第一次大戦前に完成したこの倉庫街は、第二次大戦で大きな被害を受けたが、20年以上もかけて再建された。「倉庫街」というだけあって、デカイ。現在では博物館や店舗として利用されているが、ハンブルク港の管理局も未だにこの建物に入っている。
ある人にとってはハンブルクと言えば、レーパーバーン。そう、ここには劇場が並んでいるので、ミュージカルに興味のある人が集まる場所。ミュージカルに興味のない人間も集まりますが、名声ばかりが有名になり、「え、これだけ?」という内容です。それよりもS.Pauli駅で降りると、”Tanzende Türme”(踊る塔)というビルが見える。ビルの向かいは公園になっており、ここにでかいビスマルクの石造が建っている。高さ34mのこの像は、ビスマルク像としてはドイツで一番でかい。ビスマルク生誕の地でもないのに、何故ハンブルクにこんな大きな像が?それはビスマルクがハンブルク首相の座を追われてから死去するまで、ハンブルクで隠居生活を送っていたからだ。かってのハンザ同盟都市が凋落していく中、ハンブルク市はビスマルクとの関税条約で大いに繁栄することができた。その恩返しに死後募金活動が始まり、募金で建てれたらのがこのビスクマルクの石碑だ。
ハンブルクは大きいので、とても1日で観光名所を見て回るわけにもいかない。宿泊は避けられない。そこで予算があれば、ハンブルクのホテルはArcotelをお勧め。上述の踊る塔の後ろに隠れるように建っている。地下鉄の駅まで徒歩3分(赤信号だと4分)、部屋は十分に広く、(運がいいと)部屋からビスマルクとElbphilharmonieが見える。一番感心したのは騒音対策。廊下や隣の部屋の騒音がシャットアウトされて、とっても静かです。そして豪華な朝食。是非、朝食込みで予約しましょう。部屋に備え付けの水はサービスではなく、有料です。それもなんと5ユーロ!ホテルの向かいにキオスクがあり、よく冷えた水が半額以下で買えます。そしてレーパーバーンにミュージカルを観に行くなら、ホテルから徒歩4分です。