マルクトブライト

街の紹介 マルクトブライト

地理

アウグスブルクから北に220km離れた場所に、”Marktbreit”という人口が4千人にも満たない小さな町がある。地勢上はウンターフランケンと呼ばれる地方で、マイン河のほとりにある。ドイツ人でも名前を知らない町だが、町の中心部には中世の頃の建造物が多く残っており、マニアックな観光地を探す人の間では”geheim Tipp”のひとつ。

マルクトブライトの歴史

では町の歴史を見ていこう。とは言ってもそんなに多くの記録が残っているわけではない。13世紀にこの地方を支配可に収めていた伯爵の書簡に”broite inferior”、ドイツ語では”Niederbreit”という名前が載っており、これが最古の記述となる。当時は隣に”Oberbreit”という町があり、これと区別するためにこのような呼び名になったと推測されている。16世紀に神聖ローマ帝国の皇帝がフランケンの支配者„Georg Ludwig von Seinsheim“に市場を開く権利、”Marktrecht”を与えた。以来、町の名前はマルクトブライトに変更されて今日に至っている。

市場(メッセ、宴会、市場)が開かれるようになると、町は次第に豊かになっていき、敵の侵入を拒む城壁や見張り塔が建設された。30年戦争では町は占領、略奪さえた挙句にペストに見舞われて町は壊滅的な被害を受ける。町がかっての活況を取り戻すのは18世紀にになってから。マイン河畔の最南店にあるこの町は、交易のルートとして栄えることになる。ナポレオン戦争後、この町はバイエルン州に帰属することになり、今日に至っている。

マルクトブライト観光

町の中心部を小川”Breitbach”が流れているので、この小川に沿って歩いていくと町の最大の観光名所、”Malerwinkel”(画家のモチーフ)と呼ばれる場所に出る。小川にかかっている”Maintor”と骸骨屋敷が織成す光景で、町の象徴になっている。なのに写真を撮っている観光客はゼロ。落ち着いて写真を取れます。少し南にいくと木材を使った”Fachwerkhaus”(骸骨屋敷)が多いですが、この近辺では石作りの家屋が多くなっています。ところどころに骸骨屋敷が混じっています。シュヴェービッシュハルとよく似ています。

石作りの見事なマイン門をくぐると、すぐ右手に有名な市庁舎が建っています。マイン河畔のこの場所は交易に便利で町の発展の原動力になりましたが、同じように自然災害、洪水ももたらしました。市役所の角の市中にこれまで町を襲った洪水の高さが刻み込まれています。2mを越える洪水の記録もあります。道理で家屋が石作りになっているわけです。洪水の目盛りの上にある石像は、町に市場を開く権利をもたらした伯爵像です。

市役所の対面には、町の発展の原動力となった市場が開催された立派な建物があります。その斜め対面には綺麗な骸骨屋敷。16世紀から宿屋として営業しているライオン軒というホテルです。その横には立派な薬局、通りの向いには少ない観光客を目当てにしてグルメレストラン、alter Esel(老ロバ軒)が。

小さな町ですが、伯爵の城もあります。日本で城と言えば、正直、「どれも同じ」に見えますが、ドイツの城は同じものがふたつとない。この城はウサギの耳のような日本の塔が目印です。大きな産業もなく戦争の被害に遭わなかったので、町にはまだかっての城壁と見張り塔が(部分的に)残っています。お陰で市内は車がやっと1台通れるだけに広さしかありません。曲がり角になると、かなりしんどいです。

マルクトブライトの隣には見事な骸骨屋敷で有名な”Ochsenfurt”の町があります。その距離わずか10km。今回はヴユルツブルクでの撮影がメインのため割愛せざるを得ませんでした。車でマルクトブライトまで来られる方は是非、オクセンフルトにも寄ってください。

 

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