今回紹介する メーアスブルク は、ボーデン湖畔の町。

もっともボーデン湖畔と言っても、

「琵琶湖のようにでかいので、何処にあるのかよくわからん。」

という貴兄の為に言い直すと、

「ボーデン湖畔の北岸、それもほぼ真ん中」

にある町。

日本では完全に無名の存在ですが、ドイツ国内ではそこそこ有名な観光地。

やっと行く機会ができたので、以下に湖の要塞 メーアスブルクについて紹介します。

街の紹介 湖の要塞 メーアスブルク

まずは街の紹介から。

メーアスブルクの正式名称は”Meersburg”。

地名を日本語に直すと湖の要塞。

ドイツではそこそこ有名な観光地(*1)です。

街はドイツとスイスの国境になっているボーデン湖の北岸、ちょうどボーデン湖畔の大都市であるコンスタンツの対岸にある。

人口は6000人。

「なんだ、ただの小さな村か。」

と見くびってはいけない。

日本なら人口6000人の村には畑と古民家しかないが、メーアスブルクにはカトリックの司祭様が住んでいた街。

すなわち!

ケルンやレーゲンスブルクと同じレベルで、

司教様の宮殿や、かっての領主の砦まである。

もっとも司教様がコンスタンツに戻り、バーデン王家が官庁を閉鎖してからは、モロに落ち目。

ボーデン湖で蒸気船が行きかうようになると、蒸気船が寄港してくれることを期待して港を整備した。

そして市民と市長が一丸となって、観光地として街のインフラを整備すると、風光明媚な観光地として見事な復活を遂げた。

行き方

行き方はちと複雑。

メーアスブルクは、バーデン ヴュルテンベルク州の最南東にあります。

質問
だから?

 

西から向かっても、東から向かっても遠いです。

ミュンヘンから電車で行くと、

ミュンヘン 徹底解説!街の歴史からお勧め観光名所まで

たっぷり3時間半の距離。

フライブルクから電車で向かうと、山地を迂回するルートになり、4時間+の距離。

アウグスブルクから車で向かうと、片道3時間+もかかる 。

当然、おいそれとはいけません。

撮影に行く機会を探していると、夏の出張でフライブルクまでやってきました。

帰る際に、南回りルートを選択。

山岳地帯の絶景を堪能しながら2時間ほど快適に車を走らせると、メーアスブルク到着しました。

地勢

メーアスブルクは周辺の街と一緒に

“Bondenseekreis”(ボーデン湖畔県)

を形成しています。

県庁所在地はかなり離された場所にあるテュービンゲン

標高は444mとミュンヘンよりも低いが、低地というわけではなく盆地。

特徴があるのは日照時間。

なんと2560時間/年の日照時間で、ミュンヘンのほぼ1.5倍。

ドイツのニース的な場所で、この日照時間を利用してワインが栽培されている。

参照 : 日照時間

街の歴史

街の歴史

折角なので、街の歴史にも

「軽く」

触れておきます。

コンスタンツに渡る艀の出発地として、村落が築かれたのがメーアスブルクの起源です。

物的証拠はないですが、

「メロヴィンガー朝の時代に砦が築かれた。」

と推測されています。

質問
メロヴィンガー朝?

 

5世紀から8世紀かけて今のフランスとドイツの地域を治める帝国を築いた、フランケン族の国です。

村落は11世紀に強大な権力を持つ、コンスタンツの大司教の支配下に入ります。

町の名前が始めて登場しているのは、1071年の書簡で

“Mersburg”

と表記されています。

王様のような利権を持ち、王様のように付近一帯を治めていたコンスタンツの大司教は、

「ご褒美」

として地方領主のロードルフ公爵にメーアスブルクを与えます。

が、侯爵家は1210年に、お家断絶。

結局、コンスタンツの大司教がメーアスブルクの支配者に復活します。

街の発展

メーアスブルクの集落は当初、住み易い低地ではなく、防御に適した丘の上で発展を始める。

1233年には市場を開く権利を与えられる。

1260年には丘の上の集落の周囲を、城壁で囲みます。

メーアスブルクが町に昇格したのは1299年なので、他の諸都市と比べてかなり早い。

すると、丘の上だけでは十分な居住空間が得られず、低地にまで居住地が広がります。

この居住地も守るべく、古い城壁を取り壊して新しい居住地を守る新しい城壁が築かれる。

バイエルン公爵による包囲

14世紀、大司教様が死去。

その後継者を巡って、教会とバイエルン公爵との争いが武力闘争に発展。

神聖ローマ帝国の皇帝でもあるバイエルン公爵が軍を進めて、メーアスブルクを包囲します。

しかしそこは攻めるに難しい湖の要塞。

バイエルン軍は町を陥落させることができず、しょぼしょぼと帰っていった。

カトリック司教による恐怖政治

中世のカトリック司教様と言えば、まさに王様のような存在(*2)。

町の発展に伴い、市民はもっと(自治)権利を要求。

これが司教様には気に入らない。

そこで見せしめに町長を裁判なしで処刑して、この争いは司教の勝利に終わる。

そして司教様の居城は支配者にふさわしく、税金をふんだんに使って立派なお城に改築される。

もっとも司教様の本来の居住地はコンスタンツで、メーアスブルクは別荘に過ぎなかった。

宗教改革

ルターの宗教改革の波は、この辺境まで押し寄せる。

カトリック司祭の弾圧に苦しんでいたコンスタンツ住民は、両手を挙げてプロテスタントを歓迎、宗派を変えてしまう。

立場が危うくなった司教はメーアスブルクに逃亡、

「謀反は許さぬ。」

と、鉄の支配をする。

プロテスタント派は容赦なく処刑された。

その後、カトリック派がコンスタンツを奪回すると、司教もコンスタンツに帰還する。

30年戦争

30年戦争では、プロテスタント派のヴュルテムベルク公爵が軍を進めてきた。

市民の歓迎を受けてメーアスブルクを、カトリック教の恐怖支配から解放する。

しかし反攻に出たカトリック連合軍との間で珍しい

「ボーデン湖の海戦」

になる。

 

これに勝ったのがカトリック軍。

以来、ボーデン湖畔の町は今日までカトリック教の砦となっている。

ペストが猛威を振るいだすと、コンスタンツ司教は居をコンスタンツからメーアスブルクに変える。

山之上に宮殿を築かせると、メーアスブルクは司教の居住地として栄えることになった。

メーアスブルク 観光資源の整備

メーアスブルク 観光資源の整備

18世紀、司教がコンスタンツに帰って行く。

19世紀にドイツが統一されると、メーアスブルクにあったバーデン王家の官庁が次々に閉鎖される。

残ったのは農業(ワイン栽培)と手工業だけで、町は次第に寂れていく。

市長のカール モル氏は

「このままではジリ貧。」

と悟り

メーアスブルクを有名な観光地にすべく、まずは丘の上の史跡を整備、ついで湖沿いに並木道を作った。

 

蒸気船がボーデン湖を行き来するようになると、多くの観光客がここを訪れるようになる。

先見の明でメーアスブルクを衰退から救った市長は、今でも街の恩人として称えられている。

 

第二次大戦中は戦争に欠かせない産業がなかったので、爆撃にもほとんど遭わなかった。

戦争末期、フランス軍が戦車で侵攻してくると市民は戦車バリケードを作って、戦車の侵入を阻んだ。

そして立ち往生しているフランス軍の戦車を、丘の上から狙い撃ち。

こうしてメーアスブルクは救われたと今日まで語られている。

メーアスブルク 観光 – ボーデン湖畔の風光明媚な要塞町

メーアスブルク 観光 - ボーデン湖畔の風光明媚な要塞町

メーアスブルクはボーデン湖畔の風光明媚な要塞町。

観光名所は丘の上と下の街のふたつに分かれています。

どちらから先に見るか決めておきましょう。

ちなみに観光客が多いのは、下の街の方。

見渡す限りレストランとお土産屋が軒を連ねています。

古風な家屋やお城を見たいなら、丘の上。

有名な観光名所も丘の上に多いです。

ちょっと残念なのが町のホームページ。

遅いし、観光情報は乏しいです。

メーアスブルク 最大の欠点 駐車場

この町の最大の欠点は駐車場。

町のホームページで薦めてる

“Unteruhldinger Str.”

の駐車場には観光客が集結します。

しかし十分な駐車スペースがなく、午後に到着するとすでに一杯。

空くまで30分待ちます。

おまけに狭いっ!

駐車料金が高いっ!

旧市街まで遠いっ!

一方、丘の上にある

“Stefan-Lochner-Straße 6”

の駐車場はいつも空きがあり、町の中心部まで目と鼻の先。

おまけにトイレ付。

なのに街のホームページには乗ってないっ!

(次回は)ここに車を止めたらいざ観光!

熊の噴水 / Bärenbrunnen

熊の噴水

まずはメーアスブルクの丘の上から攻めます。

坂道を登っていくと、お土産屋がびっしりと道の両側に。

歴史感をそぎますが、町並みは綺麗です。

ほぼ中腹にある噴水が熊の噴水 / Bärenbrunnen です。

背景ととてもよくマッチしている。

この坂を上り切った先が少し開けており、ここが市内の中心部、それも庶民の居住区になります。

くちばしドクター / Dr. Schnabel

くちばしドクター

周囲の骸骨屋敷が美しいので、曲がり角で左折。

メーアスブルの住民の居住区を歩いてみました。

鳥の仮面をかぶった銅像が立つ、面白い噴水が出てきました。

これは冗談ではなく、大真面目。

ペストが猛威を振るっていた頃、鳥のくちばしをマスクとしてつけると病気に罹らないと信じていたんです。(*3)

 

そこでお医者さんは、こんな格好で患者の診察にいっていたんです。

そこでついた名前がくちばしドクター / Dr.Schnabel です。

城壁と監視塔

城壁と監視塔

立派な骸骨屋敷に誘い込まれ路地に入り、

「この建物も渋い。」

と感心してといると、監視塔が見えてきました。

ということは、すでにここがメーアスブルク旧市街の境。

監視塔と繋がっていた城壁は、取り壊されて残っていません。

一見すると、監視塔の横に民家が建てられたように見えます。

が、実はこの民家、かっての城壁を家の壁に利用しています。

かってはこの先に、城壁が延々と伸びていたんです。

となれば私が立っている場所は、お堀だった筈。

メーアスブルクでは1820年頃から

「無用の長物」

になった城壁の取り壊しが始まり、これが終わったのが25年後。

お陰で昔の趣を残す城壁はほとんど残っていません。

残念。

お客案内所 / Gästeinformation

メーアスブルク お客案内所

城壁の内側に戻ると、装飾を施された大きな家屋が見えてきました。

「教会かな?」

と思ったら、コレ、お客案内所 / Gästeinformation でした。

普通、

「ツーリストインフォ」

と呼ぶのに、メーアスブルクだけは何故か、お客案内所という名前です。

私が考えた名前ではありませぬ。

ライオン軒 / zum Löwen

ライオン軒

メーアスブルク中心部の真っ赤な家屋は、宿屋&レストラン&ワインセラーのライオン軒 / “zum Löwen” です。

強権(恐権)で街を支配していたカトリック司祭に抵抗して惨殺された町長 Simon Weinzürn が住んでいた事でも知られています。

熊屋 / zum Bären

熊屋

ライオン軒のお向かいの建物は宿屋、熊屋 / zum Bärenです。

1456年の書簡で熊屋についての記述があるので、

「それ以前からあった。」

と推測されます。

創業の確かな年代が不明なため、

「ドイツ最古の宿屋」

のタイトルを逸している。

参照 : 熊屋

上の門 / Obertor

上の門

この広場にはどちらを向いても、綺麗な建物ばかり。

熊のレストランに隣接するのが上の門 / Obertor 。

名前の通り、メーアスブルクの一番高い所にあるので、この名前。

なんでも14世紀初頭の建造物というから、とっても古い。

城壁の外側から見ても、綺麗でした。

上述の

「トイレ付駐車場」

は上之門のすぐ先にあります。

上級階級居住区 – 市役所

上級階級居住区 - 市役所

ライオン軒の前に立っと、右に門が見えてきます。

この門の先は、メーアスブルク上流階級居住区です。

写真中、黄色い建物が市役所です。

その半地下には

「市役所居酒屋」

が入っています。

すぐ右手には見事な”Bürgerhaus”(お金持ちの家)。

と~ってもお綺麗です。

城塞前通り / Vorgurggasse

城塞前通り

市役所の前の道は、城塞前通り / Vorburggasseと言います。

ここには上流階級居住地区の名前にふさわしい、綺麗な家屋が立ち並んでいます。

それでいて観光客も少なくて風情があります。

綺麗ですね~。

やっぱり観光地はこうでなくっちゃ!

州立ワイン鋳造所 / Staatsweingut

メーアスブルク 州立ワイン鋳造所

城塞前通りを進んでいると、いずれがボーデン湖に面する崖に出てきます。

ここにメーアスブルク州立ワイン鋳造所 / “Staatsweingut”が建っています。

他人の家をどうこう言う権利はないですが、軍隊の兵舎みたい、、。

駐屯地よりも景色がいいのは、横にあるカフェ!

隣接カフェ

隣接カフェ

州立ワイン鋳造所には、隣接カフェがあります。

絶景を楽しみながらコーヒーや食事は言うに及ばず、地元のワインまで試せます。

気に入れば横にあるサインセラーで購入もできます。

メーアスブルク 見晴らし台

メーアスブルク 見晴らし台

州立ワイン鋳造所のカフェの横に、無料で入れる見晴らし台があります。

ちょっと狭いけど。

絶景~。

メーアスブルクの下町、港が一望できます。

しばし見惚れていると、観光船が港に入ってきました。

ズームするとオーストリアの国旗を掲げているので、オーストリアから来たんですね。

勿論、対岸のコンスタンツ行きのフェリーもあります。

大人3ユーロなので、車で大回りするより早くて安いです。

メーアスブルク 新宮殿 / neues Schloß

メーアスブルク 新宮殿

見晴らし台の横、一番見晴らしがいい場所に新宮殿 / neues Schloß が建っています。

城塞は住み心地が悪いので、大司教様が18世紀初頭に建築を命じた宮殿です。

メーアスブルクは1750年~1803年まで、バンベルクのようなカトリック司教国でした。

この時代に司教様が、王様としてこのお城に住んでました。

  • 開館時間 : 14時から
  • ツアー時間 : 60分
  • 入場料 : 大人8ユーロ
参照 : 新宮殿

司教様専用の茶室

司教様専用の茶室

そうそう、崖の上には司教様専用の茶室が設けられています。

一般人は立ち入り禁止です。

お城前広場

お城前広場

お城の前は広場になっており、お金持ちの屋敷が広場を囲むように建っています。

ドイツらしくどちらを見てもカフェばかり~。

ここに上述のメーアスブルクの市長、カール モル氏の生まれた家が建っています。

写真中、右側の赤い建物がそれです。

メーアスブルク 城砦

メーアスブルク 城砦

新宮殿の斜め前には、メーアスブルク城塞が経っています。

向かいの階段に登ると、さらによく見えます。

なんか滅茶苦茶古そう!

山の斜面によく建てたね!

入場用の木橋を落とせば、敵は侵入できません。

上の階の窓は、明きらかに近年に作られたもの。

その一方で下の層階の窓、滅茶苦茶、狭い。

かっては銃眼だったのかもしれません。

伝説によるとあのメロヴィンガー王家(*4)が、7世紀に今日の城砦の場所に砦を築いたそうです。

道理で古いわけだ!

この砦は現存するドイツで最古の砦です。

 

この砦が城になったのは、コンスタンツの司教がここに居を構えることになってから。

その後、司教様がもっと居心地のいい新しい御殿

“Neuer Schloss”

を建てると、この砦は売却されます。

手入れ(修繕)が大変なので、その後、しばらく無人の状態になり城は荒れ放題。

「取り壊すか?」

という話になった際、バーデン王家がこの城を買い取り、貴族、王族用の宿に改装。

お陰で今日まで現存することになりました。

とっても綺麗なんですが、入場料が12.80ユーロ!

有名なノイシュバンシュタイ城と同じ料金。

駐車場も高いし、メーアスブルクの物価はスイスのようです。

  • 開館時間 : 10時~18時30分
  • 入場料 : 大人12.80ユーロ
  • 未成年 : 10ユーロ

バルコニーの十字架

バルコニーの上にある十字架を望遠で撮ると、こんな感じでした。

バルコニーの十字架

下界 / Unterstadt

下界

丘の上はメーアスブルクのお金持ちと、権力者の居住地区。

綺麗な家屋が数多く建っていますが、全部紹介するのは無理。

丘の上はここで切り上げて下町 / Unterstadt に向かいます。

看板には、

「下町はこちら。」

と書かれています。

下界への入り口門

下界への入り口門

歩行者用の門の横には、車も通れる立派な下界の入り口門も。

もっとも歩行者専用道路なので、

「車で入ろう。」

なんて考えず、駐車場に車を止めたから歩いていきましょう。

門の内側は観光客で一杯です。

その原因が延々と続くレストラン街。

丘の上よりも、こちらの下界のほうが繁盛しているようです。

メーアスブルク ワイン農協 / Winzerverein Meersburg

メーアスブルク ワイン農協

レストラン街の真ん中にある立派な建物は、メーアスブルクワイン農協 /Winzerverein Meersburg です。

小さなワイン農家が集まって農協を形成しています。

ワイン農協の隣に販売店があり、ここでもワインをお土産に購入できます。

屋根の上からこっそり見えている城塞 / Burg が、アクセント。

メーアスブルク 並木道 / Uferpromenade

並木道

ワイン農協がある通りの

「裏」

は、メーアスブルクの自慢の並木道 / Uferpromenade 。

出てみると、お~綺麗ですね~。

そしておフランスのようにしっかり花を飾って、ムードを挙げており、観光客を呼ぶ努力が見受けられます。

波止場

波止場

並木道を歩いていると、メーアスブルクの波止場に到着。

ここからの景色が、と~ってもステキでした。

この日は34度も気温ありましたが、ここまで来ると風がガンガン吹いてとっても心地よかったです。

ベンチに座って和みたいですが、そんな時間はなし。

日が暮れる前にアウグスブルクまで帰らなきゃ!

穀物倉庫 / Gredhaus

穀物倉庫

 

波止場に建っている真っ赤な建物は、穀物倉庫 / Gredhaus です。

メーアスブルクでは早くから、ボーデン湖を利用してスイスと穀物の商いが盛んに行われていました。

陸揚げした穀物(等)を、税金を払うまで保管していたのがこの穀物倉庫です。

15世紀に司教様が町に売却してから、ここで穀物の貯蔵、販売が行なわれました。

他の町だったら、

“Schranne”

と言うんですが、メーアスブルクではこの名前。

今はボーデン湖の観光船のチケット販売所が入ってました。

参照 : 穀物倉庫

魔法の柱 / Magische Säule

魔法の柱

景色を写真に収めて波止場の先まで行くと、魔法の柱 / Magische Säule という芸術作品が。

「作った本人にしかわからない。」

部類の芸術で、とても名物とは言い難い。

が、ここからの眺めは素晴らしい。

メーアスブルクの並木道を一望できます。

港も綺麗。

遠方凝視するとかすんでいる対岸が見えますが、向かいはオーストリアです。

多分、二度と来ないので、しっかり目に焼き付けておきましょう。

まとめ – 遠くても行く価値アリ!

まとめ - 遠くても行く価値アリ!

テレビの番組で見た程度の事前知識で、メーアスブルクに行ってきました!

期待していた以上の綺麗な街!

丘の上の見事な屋敷、城は言うに及ばず、波止場と街の自慢の並木道は、まるでニースにでも来たような気分になります。

遠くても行く価値アリ!

もしフライブルクとミュンヘンの間を車で移動する機会があれば、是非、ここで一休みして街を歩いてください。

注釈

*1            日本では全く知られていない観光地のひとつ。

*2             暴君という言葉の方が的確。

*3           今日の「コロナワクチンは国の陰謀」と語る人々と同じです。その主張がどんなに馬鹿げたことか、この銅像が実によく表しています。

*4            フランケン族が5世紀に築いた王朝。8世紀に消滅。その後に台頭したのは、カール大帝のカロリンガー朝。

 

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