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ドイツ&周辺諸国観光案内
Meersburg

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街の紹介

スイスとオーストリアの国境になっている南ドイツのボーデン湖。ドイツ側にある湖沿いの最大の都市はコンスタンツだが、その対岸にあるのが"Meersburg"(湖の城砦)だ。コンスタンツに渡る艀の出発地として町が築かれ、コンスタンツの司教の支配下に入ったので、12世紀の教会の書簡でこの町の名前が始めて登場している。
メーアスブルクの集落は当初、住み易い低地ではなく、防御し易い丘の上で発展を始める。13世紀には市場を開く権利を与えれれて、最初の城壁が築かれる。まもなく町に昇格すると丘の上だけでは十分な居住空間が得られず、低地にまで居住地が広がり、古い城壁を取り壊して新しい城壁が築かれる。町が発展すると、「自分の物にしたい。」と思うのが中世の諸侯。14世紀、バイエルン公爵は軍を進めてメーアスブルクを包囲するが、町を陥落させることができず、バイエルンにしょぼしょぼと帰っていった。

町の発展に伴い市民はもっと権利を要求。これが支配者の司教に気に入らない。司教は見せしめに町長を裁判なしで処刑して、この争いは司教の勝利に終わる。そして司教様のお城は支配者にふさわしく、税金をふんだんに使って城を改築される。もっとも司教様の本来の居住地は、コンスタンツだ。ルターの宗教改革の波がこの辺境まで押し寄せると、コンスタンツ住民はプロテスタントを歓迎して宗派を変えてしまう。そこで司教はメーアスブルクに居を移し、カトリックの砦として鉄の支配、プロテスタント派は容赦なく処刑された。その後、カトリック派がコンスタンツを奪回すると司教もコンスタンツに帰還する。

30年戦争ではプロテスタント派のヴュルテムベルク公爵が軍を進めて町をカトリック教の支配から解放するが、反攻に出たカトリック連合軍(スウエーデン+フランス)とボーデン湖で海戦になる。これに勝ったのがカトリック軍で、以来、ボーデン湖は今日までカトリック教の砦となっている。ペストが治まるとコンスタンツ司教はメーアスブルクに宮殿を築かせ、居をコンスタンツからメーアスブルクに変え、メーアスブルクは司教の居住地として栄えることになる。

18世紀に司教がコンスタンツに帰って行き、19世紀にはメーアスブルクにあった官庁が次々に閉鎖されると、農業と手工業だけのこの町は次第に寂れていく。「このままではジリ貧。」と市長はメーアスブルクを有名な観光地にすべく、まずは丘の上の史跡を整備、湖沿いに並木道を作った。蒸気船がボーデン湖を行き来するようになると、多くの観光客がここを訪れるようになる。第二次大戦中は戦争に欠かせない産業がなかったので、爆撃にもほとんど遭わなかった。ただし戦争末期、フランス軍が戦車で侵攻してくる。市民は戦車バリケードを作って、戦車の侵入を阻むと立ち往生しているフランス軍の戦車を丘の上から狙い撃ち。こうしてメーアスブルクは救われたと今日まで語られている。

この町の最大の欠点は駐車場。観光客が町のホームページで薦めてる"Unteruhldinger Str."に観光客が集結するので、午後に到着するとすでに一杯。空くまで30分待ちます。おまけに狭い、高い、おまけに遠い。お勧めは"Stefan-Lochner-Straße"の駐車場。いつも空きがあり、町の中心部まで目と鼻の先。無事、車を止めたらいざ観光!

まずは丘の上から攻めます。坂道を登っていくと、すぐに城への「勝手口」が見えてきます。ここは住人専用ですので、観光客は使えません。お土産屋がちょっと気分をそぎますが、町並みは綺麗です。その際にある噴水が"Bärenbrünnle"(熊の噴水)だ。背景ととてもよくマッチしている。この先がもう町、少なくとも丘の上の中心地です。でも"Fachwerghaus"(骸骨屋敷)が美しいので、ちょっと遠回りしてみると、こんな噴水が出てきました。これは冗談ではなく、大真面目。ペストが猛威を振るっていた頃、鳥のくちばしをマスクとしてつけると病気に罹らないと信じていたので、お医者さんはこんな格好で患者の診察にいっていたんです。

立派な骸骨屋敷に誘い込まれ路地に入り、「この建物も渋い。」と感心してといると、もう監視塔が見えてきました。すなわちここが町の境。ここにあった城壁は、取り壊されて残っていませんでした。残念。では中心部に向かいます。ここからわずか目と鼻の先ですけどね。この教会の先が中心です。庶民の。この真っ赤な宿屋&レストラン&ワインセラーの"zum Löwen"がまず最初に目に入ります。「史跡」はお向かいの"zum Bären"で開業は1456年。以来、今でも営業を続けている町で最古のレストランだ。レンズに収まらなかったので、パノラマで撮っちゃいました。この広場にはどちらを向いても、綺麗な建物ばかり。熊のレストランに隣接するのが"Obertor"で、名前の通り町の上にある塔だ。なんでも14世紀初頭の建造物というから、とっても古い。城壁の外側から見ても、綺麗でした。

ライオン亭の前を右に曲がると、が見えてくる。この黄色い建物が市役所で、市役所居酒屋が隣接している。すぐ右手には見事な"Bürgerhaus"(お金持ちの家)が見える。と〜ってもお綺麗です。この先に綺麗な家屋が立ち並んで、それでいて観光客も少なくて風情があります。この先がボーデン湖に面する崖で、"Staasweingut"(州立ワイン鋳造所)が建っています。横にはカフェがあり、コーヒーや食事は言うに及ばず、地元のワインまで試せます。ここからの見晴らしはステキ。しばし見惚れていると、観光船が港に入ってきました。ズームするとオーストリアの国旗を掲げて、船名も「オーストリア」と書いているので、オーストリアから来たんですね。勿論、対岸のコンスタンツ行きのフェリーもあります。大人3ユーロなので、車で大回りするより早くて安いです。

お隣に司教様の宮殿が建っています。レンズの前で立ち話しているドイツ人、待てども、待てども、全然、動いてくれませんでした。宮殿の前は広場になっており、"Bürgerhaus"が広場を囲むように建っています。ドイツらしくどちらを見てもカフェばかり〜。広場の前を左折すると、城砦に行けます。お土産やになっているこの建物、大きくて立派です。これが"Burg"(城砦)です。向かいの階段に登っると、さらによく見えます。伝説ではすでに7世紀に今日の城砦の元になる城砦が築かれたそうですが、証拠はないのであくまで伝説です。とっても綺麗なんですが、入場料が12.80ユーロと有名なノイシュバンシュタイ城と同じ料金。駐車場も高いし、メーアスブルクの物価はスイスのようです。ここからボーデン湖を一望できます。そして後ろでは宮殿が、光を浴びて輝いていました!そうそう、崖の上には司教様専用の茶室が設けられていました。一般人は立ち入り禁止です。

ここにそこに綺麗な家屋が建っていますが、全部紹介するのは無理なので、丘の上はここで切り上げて下町に向かいます。最後にひとつだけ。この見事な骸骨屋敷、下はワインケラー、上はレストランです。「鈴木屋」かと思っちゃいました。はい、ここが町の下です。「下町はこちら。」と書かれています。門の中に芸術作品が飾られてました!よく出来てますね。はい、これが門の内側です。下町は人(観光客)で一杯です。その原因が延々と続くレストラン街。この立派な建物はワイン農協。この通りの「裏」は上述の並木道なんです。出てみると、おおお綺麗。そしておフランスのようにしっかり花を飾って、ムードを挙げており、観光客を呼ぶ努力が見受けられます。

波止場に到着。ここからの景色がと〜ってもステキ。この真っ赤な建物は、"Gredhaus"と呼ばれ、15世紀に司教様が町に売却したもの。ここで穀物の貯蔵、販売が行なわれた。この日は34度も気温があがりましたが、ここまで来ると風がガンガン吹いてとっても心地よかったです。ベンチに座って和みたいですが、そんな時間はなし。日が暮れる前にアウグスブルクまで帰らなきゃ!景色を写真に収めて波止場の先まで行くと„Magische Säule“という彫刻が。直訳すると魔法の柱。ようわからんです。でもここからの眺めは素晴らしい。並木道を一望できます。港も綺麗遠方凝視するとかすんでいる対岸が見えますが、こちらはオーストリアです。多分、二度と来ないので、しっかり目に焼き付けておきました。並木道を歩いて駐車場に向かいますが、やはり目が移ってしまいますここで並木道も終わりです。

アルゴイと呼ばれる田舎を走るので、ミュンヘンのような都会はなく、渋滞もなく、アウグスブルクまで3時間弱で帰還できました。ミュンヘンから電車でたっぷり3時間半、アウグスブルクからでも電車で3時間弱、日帰りにはきついかもしれませんが、ボーデン湖まで行く機会があれば、是非、寄ってください。




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