Schwaebisch Hall

街の紹介 Schwäbisch Hall

シュヴェービィシュ ハル。「シュベービィシュ」ではドイツ人に通じません。日本人には発音が難しく、とっつき難い街の名前だ。もっともドイツ人でも勘違いしている人が多い。町の名前が「シュヴェービィシュ」というので、シュトゥトゥガルトと同じくシュバーベン人の住む”Schwaben”地方かと思っている。しかし実際には、ニュルンベルクと同じフランケン族の住むフランケン地方の町だ。なのに堂々と、「シュヴェービィシュ ハル」というのだから、ドイツ人が勘違いするのも無理はない。ハルという言葉は本来、塩、あるいは塩の生成方法を意味しており、この町は長い間「ハル」と呼ばれていた。なのに何故か15世紀、町議会で町の名前をシュヴェービィシュ ハルとすることが決まった。19世紀になって町の所有者が変わると、「混同する。」ということで町の名前は「ハル」に戻された。その後、ナチスが政権を取ると、シュヴェービィシュ ハルと呼ぶようになり、今日に至っている。

名前の由来の謎が解けたら、歴史を見ていこう。この地は居住に適していたらしく石器時代の居住跡が見つかっている。最初にこの地に定住したのはケルト人だ。ハルの地下水には塩分が含まれており、ケルト人が地下水から塩を生成し始めた。これが町の名前の由来だ。その後、11世紀までの町の歴史はわかっていない。書簡が残っていないのだ。12世紀に始めて書簡で「ハル」の名前が登場、塩の販売とドイツで始めての通貨、”Heller”の製造で大いに栄えた。

13世紀には神聖ローマ帝国の自由都市に昇進、豊富な資金源を武器に近隣の町を買い上げて、16世紀には人口が2万人を突破した。今日でこそ3万8千人の人口を抱えているが、中世の頃に人口2万人にの都市と言えば、かなりの大都市だった。30年戦争では最初はカトリック軍の支配に下るが、その後、プロテスタント軍に占領される。度重なる戦争と飢えで人口が激減したが、戦争が終結すると塩の交易で町は次第にかっての繁栄を取り戻す。18世紀、宴会の際に料亭から出火、町の2/3が焼け落ちる大火事となった。その後、お金持ちのハルは、バロック様式で再興される。1802年、フランス(ナポレオン)との条約で町は自由都市のステータスを失い、ヴュルテムベルク家の領土となる。これによりこれまで主要な商売相手だったフランケン地方へのアクセス(その市場)を失い、町は衰退を始める。その後のナポレオン戦争はこれを加速。産業化の波からすっかり取り残されたお陰で、第二次大戦では爆撃目標にさえならなかった。終戦の2週間前に初めて爆弾が投下されたが、大きな被害は出なかった。お陰で今日でも見事な旧市街を堪能できる。

では町を見て行こう。河沿いの大きな駐車場に行く筈だったのに、歩行者道路に阻まれて停止。教会の横にある駐車場は満車だったが、運よくちょうど出て行く車があって、駐車スペースが空いた。ここでも日曜日は駐車無料。よっく見れば、駐車場の周辺に建つ家屋もお見事。町の中心部に行く前に、”Langenfelder Tor”が近くにあるから、これを見ておこう。立派な塔には町で一番デカイ建物、”Neubausaal”が隣接している。”Zeughaus”とも呼ばれるこの建物は武器庫として16世紀に建造された。アウグスブルクにも同じ名前の建物があります。Uターンして中心部に向かいます。途上、綺麗な建物が並んでいるので、横道に入ってみるとこれまた綺麗な骸骨屋敷。アウグスブルクには(少)ないんです、骸骨屋敷。

この先は町の中心部で有名な教会、St. Michaelが建ってます。斜面に建っているので、低い部分を埋め立てて平地にして建造。教会に入るには、階段を登っていく必要があります。お陰で階段の上から見下ろす景色は、絵葉書のよう。中央の建物は市役所です。大火事で焼け落ちたので、18世紀に再建されました。教会の隣の色の鮮やかな建物は、かっての修道院です。その横に奇妙な芸術作品が、「ドン!」と置かれてます。階段の上から見て左手にある巨大な骸骨屋敷は”Clausnitzerhaus”。16世紀の建造物。そう、火事を生き延びた数少ない建造物です。町の財源になった、硬貨の鋳造マイスターが住んでました。この骸骨屋敷、階段、それに市役所は絵になります。階段の上から右手を見ると、カフェやホテル、それに観光案内所が並んでます。これが有名なホテル、「金の鷲」です。皇帝も泊まった由緒あるホテルです。その右隣は金の鷲ホテルのレストラン、”Ratskeller”だ。昔は政治に酒(ビール)は付き物。市役所の地階には居酒屋が入っており、居酒屋で政治が行なわれた。これがなんと石作りの立派なもの。その先(下)にあるのが、”Fischbrunnen”(魚の噴水)だ。かってここで魚を売っていたのでこの名前。噴水(井戸)とよりも、まるで水槽。皆まで言えば、噴水の台は悪さを働いた者を辱める見せしめ台として使用された。よっくみると今日でも拘束輪が残っている。

少しだけ教会の内部も見ておこう。とういうのも大火事を生き延びた貴重な彫刻が残っているからだ。よく出来てますね。はい、終わり。次は河沿い。逆光になる前にベストショットを撮らしなくっちゃ!まずは坂を下ります。あ、”Zeughaus”だ。はい、到着。あ、綺麗!実は前日まで大雨。アウグスブルクは朝まで雨。「写真撮影はおじゃん?」と心配。120kmくらい走ると雲が切れて、青い空が見えてきました。大雨で流された枝が、その水量の多さを物語ってます。少し先に行くと、さらに綺麗。この距離は単焦点だ!切れ切れにシャープ。超広角で撮るとこの通り。ちょうど少し雲がかかってきましたが、ダイナミックな感じでいい。この先がまた綺麗。これが”Sulferturm”です。この塔の奥に車を止めたかった駐車場があるんですが、どうやってここまで行くのか不明。河沿い建つ骸骨屋敷がお見事です。このアングルもステキ。これも悪くない。何処から撮るか、迷っちゃいます。

シュヴェービィシュ ハルは町の真ん中を”Kocher”河が流れている珍しい町。河川は自然の障害。陣地、町を築くなら、その対岸に築きます。何か理由があったに違いない。河沿いに綺麗な家屋が並んでいると、対岸から撮れる場所を探そう。場所を選んで写真を撮ったら、今度は「シコ シコ シコ」と三脚を延ばして長時間時間露出撮影。川面に移る家屋が綺麗に撮れます。では対岸に渡ってみます。かわいい塔があったのでこれを見て坂道を上っていくと、下調べで見ていた綺麗な家屋が。ここにあったんだ!ここまで見に来る観光客なんてゼロ。「毒を食らわば皿まで」とさらに先に進むと、かっての城砦が見えてきました。でもここに城壁を作るなんて!ローテンブルクノイブルクと比較すると、明らかに防御が弱い。町の端まで来たので綺麗な家屋を見ながら暢気に、観光客はおろか住民さえ居ない道を下っていきます。庶民の家が渋い。立派な骸骨屋敷があれば、綺麗な装飾を施された家屋も。あら、立派。この辺は対岸にあるので火事で焼け落ちなかったようです。13世紀建造のSt. Katharina教会も残ってます。この長屋、かわいい。この町の建築様式は独特。2階部分が目一杯張り出してます。膨らんでいるのはよく見るが、この様式はここが始めて。

知らないうちにAltstadtbrücke(旧市街橋)。橋の上に神社があるのが特徴。対岸に建つ骸骨屋敷が綺麗。「シコ シコ シコ」と三脚を延ばして長時間時間露出撮影。あまり違いがわからないので、少し場所を変えて撮影。橋の上から逆方向を眺める景色も綺麗です。カフェの横を登っていくと、”Weilertor”があります。周囲の家屋が綺麗。塔の反対側は駐車場で。町がここで終わってるのでUターン。はい、旧市街橋まで戻ってきました。もう二度と来ないので、単焦点レンズに替えて撮影。まるで絵のよう。

橋を渡ると旧市街です。骸骨屋敷が綺麗です。確かゲーテはこの辺にあった筈。キョロキョロしているともう門。ここで旧市街は終わり?ゲーテはこの建物にあるんですが、入り口は反対側にあったので見逃しちゃいました。綺麗に修復されている建物を見ながら歩いていくと、エレベーターか階段の選択があります。ここは是非階段で。ここから見上げる骸骨屋敷は迫力。下はカフェ、上はアパートになってますね。住んでみたい!見る角度により、普通の民家。その先に噴水があり、綺麗です。違法駐車している車がなかったら、もっと綺麗だったのに!この緑の屋敷は官庁のよう。屋根の下に金文字でラテン語で何か書かれてますが、読解不可能。その代わり神聖ローマ帝の紋章はハッキリ。先に見えてくるのが、”Josenturm”です。教会と一緒に13世紀に建造。この見事な骸骨屋敷、なんとゲーテの宿舎です。驚き~。学校まで徒歩3~4分です。もっともゲーテは全部で3棟の学生寮を持ってますので、皆さん、ここに泊まれるわけではありません。門を出て、下界から見上げるとまるで中世の町。

階段を登り街中に戻り、門の先まで行ってきます。しばらく行くと役所があり、ここの銅像がステキ。面白くて、それでいて躍動感アリ。ロープは手すりになっているんです。お見事。官庁なのにシャレのセンスがいい。太陽が復活して目一杯暑くなったので、Uターン。これを最後に単焦点を取り出してパチリ。ヨーゼン塔も、最後の一枚。中心部まで戻ってきました。由来の不明な石作りの家。かなり古そう。その下には”Alte Wache”、近衛兵の詰め所です。上には小さな砦もありました。

市役所まで戻ってきたので、じっくり観察。尖塔が綺麗ですね。神聖ローマ帝国の紋章の下、それも左側にあるのがシュヴェービィシュ ハルの紋章です。「手」は神様。「十字」は言うまでもなし。これは上述のシュヴェービィシュ ハルで鋳造された硬貨のデザインなんです。旧修道院の横の階段を下りると、石作りの建物と骸骨屋敷が密集しています。ちょうどこのオレンジ色の建物の向かいに銀行があり、その壁に鷲。いかにもですね。知らない人に説明すると、ナチスの典型的な彫刻です。今でもちゃんと残ってます。銀行の横から綺麗な骸骨屋敷の壁が覗いてますが、下界に下らないでこの居酒屋の横の脇道に入ってみます。この建物、石の土台に後からとりつけたような作り。火事で焼け落ちたようです。向かいの建物は博物館です。文様が綺麗。博物館、下から見上げると圧巻です。この先に三角形の家があり、そのまま進むとKocher河沿いの綺麗な景色が見えてきます。

「ローテンブルクに留学したい。」というお問い合わせをいただきますが、人口1万人の町に住むと食料の買出しが大変です。電車なんか走ってないし、バスもない。最初は感激するかもしれませんが、次第に感激が退屈に変わります。綺麗な町に住みたいのだったら、レーゲンスブルクバンベルク、それにここシュヴェービィシュ ハルがお勧めです。人口が多いのでショッピングセンターはあるし、バスも走っています。
日本人は言うに及ばず中国人も、観光となればローテンブルクに行くようで、シュヴェービィシュ ハルにはほとんど来ません。シュヴェービィシュ ハルのゲーテは学校が小さいので、生徒の少ない11月~2月は初級レベルと上級レベルはコースが開催されないこともあります。この時期に留学されるなら、大都市にあるゲーテを選んだほうが賢明です。フランクフルト空港からシュヴェービィシュ ハルまで電車で3時間。シュトットゥガルトに住んでるなら、電車で1時間。アウグスブルクから行くと車で2時間+。もっとも帰路は交通事故により渋滞があり、ほぼ3時間。少々遠いですが、一度、行って見る価値があります。