今回紹介する街は ヴァッサーブルク 。

「聞いたことがない。」

という方がほとんどだと思います。

ドイツ人に聞いても似たり寄ったりです。

ヴァッサーブルクは、三方を川に囲まれている

「まるで島」

のような形が特徴です。

旧市街に入るには唯一の橋を渡るか、延々と山の尾根を超えていくしかない。

その旧市街には、カラフルな砦のような形をした家屋が建ち並び、他の街とは明らかに建築様式が違います。

何度か足を運んで隅々まで取材してきましたので、以下に詳しく紹介していきます。

街の紹介 ヴァッサーブルク

街の正式名称は、

“Wasserburg am Inn”。

和訳するとイン河畔のヴァッサーブルク。

ヴァッサーブルクを翻訳すると

「水の要塞」

という意味なので、イン河畔の水の要塞です。

オーストリアへと流れ込むイン河がちょうど弧を描いている部分に街があり、3方を自然の要害(河川)で囲まれている。

まさに「水の要塞」の名前がぴったりの街です(*1)。

町の人口は1万2千人。

田舎にあるこの町を訪れる外国人観光客は皆無。

ローテンブルクで観光客の黒山に閉口した方は、ヴァッサーブルクで心を癒してください。

地勢と風土

街中を走るクラシックカー

ヴァッサーブルクはバイエルン州の

”Oberbayern”(オーバーバイヤーン)

という地方にあります。

つい、

「北バイエルン」

と訳してしまいそうですが、オーバーバイヤーンはバイエルン州の南東部にあるんです。

参照 : Oberbayern

 

他の箇所でも書きましたが、オーバーバイヤーンは

「ドナウ川の上流地域」

を表す言葉。

これが中流域になると

“Niederbayern”(ニーダーバイヤーン)

になりバイエルン州の中西部を差します。

標高は南バイエルンにあるのに427mと、それほど高くない。

「こんな片田舎だから、きっとガチガチのカトリック。」

だと思われますが、正式な統計は見つかりませんでした。

ヴァッサーブルク 行き方

行き方は、ちょっと時間がかかるが簡単です。

ヴァッサーブルクはミュンヘンから東に55km。

電車で1時間で着きます。

アウグスブルクから東南に133Km離れた場所にあります。

電車でほぼ2時間の旅。

が、駅は街の中心部から2kmほど離れているので、バスに乗り換えて旧市街まで行く必要があります。

やっぱり便利なのは車。

車で1時間半でした。

途中の田舎道は綺麗で心が和みます。

でも油断していると、スピード違反のカメラも設置されているのでびっくり!

「(写真を)撮られたかな?」

と、その後1ヶ月、心配な日々を過ごしました(*2)。

スピードにはご注意あれ。

街の歴史

街の歴史

街の歴史も少しだけ見ておきましょう。

ヴァッサーブルクを一目見て、その戦術的な意味から

「ローマ帝国の駐屯地が起源じゃない?」

と思いますよね。

ところがそんな痕跡がないんです。

それどころか書簡があまり残っていないので、いつ街ができたのか、正確な年代は不明。

これまでの発掘によると、9世紀に建造された(焼け焦げた)溶岩石の城壁の跡が見つかっています。

襲撃に合って、集落は放棄されたものと見られています。

すなわち!

すでに9世紀には集落があって、城壁で囲まれていたんです。

皆さんがご存じのドイツの都市の多くは、ミュンヘンを含めて12世紀以降に作られた街。

それを考えれば、少なくても300年以上も古い歴史をもった街です。

フレツィイ発見!

フレツィイ発見!

かってローマ帝国の植民地だった街、例えばトリアーやアウグスブルクで建物の取り壊しを始めると地中から

「第二次大戦中の爆弾か、ローマ帝国当時の遺跡」

のどちらかが出て、工事がストップします。

ヴァッサーブルクはローマ帝国の植民地ではなかったです。

でも歴史の古い町なので、取り壊しでちょくちょく遺跡が発見されています。

2013年、かってのビール工場、

“Fletzinger-Brauerei”

の取り壊しをしていると古い街の遺跡が見つかり、発掘作業が行われました。

その際に、一体の白骨の遺体が発見されました。

ビール工場の名前をとってこの遺体には

「フレツィイ」

というあだ名まで付きました。

フレツィイについて詳しく調べてもらうべく、街は遺体をミュンヘンに移送。

が、正確な

「死亡した年代」

は特定できず。

分析を依頼された専門家は、(焼けた)城壁の跡と同じく9世紀の遺体と推測(*3)。

街にすれば観光の目玉にしたいのに、ミュンヘンから遺骨を返してもらえないので怒っています。

そうそう、取り壊し工事が終わった後には、

“Fletzinger-Hotel”

が建ってました。

デイートリヒ フォン ヴァッサーブルク / Dietrich von Wasserburg

デイートリヒ フォン ヴァッサーブルク

街の名前が初めて書簡で登場したのは11世紀。

レーゲンスブルクの修道院の記録で、

デイートリヒ フォン ヴァッサーブルク/”Dietrich von Wasserburg”

という貴族/諸侯に関して記述されているのが、街に関する最古の言及です。

当時は領主になると町の名前を自分の名前に関することが多かったので、

「デイートリヒ フォン ヴァッサーブルクが領主だった。」

と考えられています。

その後、大火事で街の記録が消失しているので詳しいことはわからない。

が、塩の交易で豊かになったと言われている。

なにしろ町の三方を水で囲まれており、交易には便利な場所にあった。

儲けた金で

「将来の襲撃」

に備えて街を城壁で囲む大工事を開始。

バイエルン公爵による攻略

ヴァッサーブルクは13世紀、村落から街に昇格する。

付近の権力者にとって、交易で儲けている小さな街は手に入りやすい金のなる木。

1247年、あのヴァイセンブルクを焼き払った悪名高いバイエルン公爵が、

「この街は俺の物!」

と軍を進めてきます。

でもそこは防御にやさしく、攻撃に難しい土地柄、公爵は攻めあぐねて4ヶ月も町を包囲する。

17週目にヴァッサーブルクは遂に陥落。

以後、この町はバイエルン州に帰属することになった。

30年戦争

宗教改革が始まると、市民、とりわけ農民はバイエルン公爵の

「ガチガチのカトリック支配」

に抵抗。

俗に言う

「農民の反乱」

がヴァッサーブルクでも起こります。

バイエルン公爵は軍を進めると、

「大人しく家に帰れ!」

との要請を拒んだ170名の農民を捕まえて、見せしめに全員処刑する。

そのヴァッサーブルクの農民を救いに来たのが、プロテスタント系のスウエーデン軍。

がちょうどイン河は増水。

街へ入る橋は落とされて、あのミュンヘンを陥落させたスウエーデン軍でさえ、攻めあぐねて退却。

こうしてカトリック信仰が今日まで残ることに。

このようにほぼ戦災に遭わなかったので、古い家屋が多く残っており、これが町の財産になっています。

ヴァッサーブルク 観光 – カラフルで四角いレゴのような街並み

ヴァッサーブルク 観光 - カラフルで四角いレゴのような街並み

次いよいよ、ヴァッサーブルク観光です。

街の一番の見所は、イン河にかかる橋と門。

対岸の右側から見ても、左から見ても綺麗。

お日様はバックから照っているので、いつ行ってもいい写真が撮れる。

その橋を見て、

レーゲンスブルクのような立派な石の橋じゃない。」

と苦言を言う人がいたら、

「ヴァッサーブルクの橋は敵の襲来に備えて、いつでも壊せるように作られていたのよ。」

と教えてあげよう。

石造りじゃ、そう簡単に撤去するわけにはいかない。

この橋の手前、右手に大きなトイレ付きの無料駐車場がある。

無理して車で市内に入らないで、観光客はここに車を停めて行こう。

街を一望できる見晴台

街を一望できる見晴台

でもすぐに橋を渡って街中に入っては駄目!

まずは駐車場の裏の小山に登って、街を一望できる見晴台から街を見下ろすのがヴァッサーブルク観光の王道です。

駐車場の脇から山道を歩くとたっぷり20分、ゆっくり歩くと30分かかります。

車で行けないの?

それがいけるんです。おまけに無料駐車場付き。

 

見晴台の横にある宿兼飯屋の

“Gasthof Huberwirt am Kellerberg”

の住所、

“Salzburger Str. 25, 83512 Wasserburg am Inn”

をナビに入れましょう。

 

この飯屋の先に駐車場があります。

でも撮影した写真を現像してみると、歩いて登った際に木陰の隙間から撮ったヴァッサーブルクの写真が、一番よかったです。

やっぱり歩いて登る?

ヴァッサーブルク ブルック門 / Brucktor

ヴァッサーブルク ブルック門

ではヴァッサーブルクの街中を見ていきましょう。

橋の袂の門は、ブルック門 / Brucktor と呼ばれます。

これは

「橋の上の門」

という意味で、ヴァッサーブルクに限らず、多くの街にブルック門があります(*4)。

すでに12世紀には、「橋の上に門がある。」と書簡に書かれてるとか。

今の門は大火事の後、14世紀に再建されたものと考えられています。

門の壁画は、16世紀になってから描かれたものです。

ご覧の通り、このブルック門は四角の大きなアパートのような構造。

左手に教会と病院が、右手には肉屋が入っていた複合建造物です。

聖心病院 & 教会 / Heiliggeist-Spital  Kirche

聖心病院 & 教会

ブルック門の一部になってる教会は、聖心病院 & 教会 / Heiliggeist-Spital Kirche です。

14世紀のヴァッサーブルク大火事で焼け落ちて、ブルック門が再建された際に一緒に建造されたと考えられています。

中世の頃は、ここに介護が必要な老人が収容されていました。

病院という名前こそありあますが、病人への治療が行われた証拠はないそうです。

もっとも中世の医療ですからね。

治療を受けない方が長生きできそう。

今はヴァッサーブルクの史跡が保管されているそうです。

もっとも入り口は閉まっていたので、公開されていない様子。

教会の正面に水道の蛇口がありますが、16世紀に掘られた井戸で地下からくみ上げている地下水です。

ブルック門を抜けると、道が二股に分かれています。

左に行くと丘の上、かっての領主の城に行けます。

右に行くと、すぐ先がヴァッサーブルクの中心地です。

今回はまずは右側に行って、市内中心部を見ていきます。

マリア広場 / Marienplatz

ヴァッサーブルク マリア広場

角を曲がってわずか20mほどで、ヴァッサーブルクの中心地に到達します。

他の街なら

”Rathausplatz”(市役所前広場)

ですが、ここでは

“Marienplatz”(マリア広場)と言います。

町で一番有名な建築物が建っている場所です。

まあ、広場というほど広いわけじゃないけど。

市役所前広場と言わず、わざわざ

「マリア広場」

というからには、かなりカトリック色が強そう、、、

まずはここに建っている建物を、見えてくる順番に紹介。

聖母教会 / Frauenkirche

聖母教会

最初に見えてくるのが市役所の横にあり、まるで一体になっているように見えるのが聖母教会 / Frauenkirche です。

カトリック色の強い街に行くと、必ず聖母教会があります。

1324年の日付の書簡で、この教会の記述があるので、ヴァッサーブルクで最も古い家屋のひとつです。

もっともその後、街が大火災の憂き目に遭い、教会も被害甚大。

信仰心の厚い市民はすぐさま教会を再建したそうです。

18世紀には時代に合わせてバロック式に改装、19世紀になると新ゴシック式は流行ったので、また改装と流行に敏感な教会です。

教会の尖塔は、街を防御するための監視塔として建造されたので、とっても高いです。

橋の上から街を見ると、まずはこの尖塔が見えます。

この尖塔の所有権は教会ではなく、ヴァッサーブルクの街にあるそうです。

参照 : 聖母教会

マリア像

マリア像

そもそもマリエン広場という名前の原因が、この黄金のマリア像。

う~ん、どうですか?

日本の観光先で売られている

「金メッキの布袋様」

のレベルのような気がします、、。

なにも金メッキにしなくてもいいのに、、。

写真中、後ろの建物はマリア薬局です。

ここにあるものは、なんでもマリアです。

ヴァッサーブルク 市役所 / Rathaus

ヴァッサーブルク 市役所

聖母教会お隣に建っているのが、ヴァッサーブルク 市役所 / Rauhaus です。

宗教壁画があるので何も知らないと、

「これも教会?」

と思います。

建造されたのはなんと15世紀の大昔。

19世紀に火事で壊れて、20世紀初頭に改築され、今の姿になりました。

参照 : 市役所

ケルン家 / Kernhaus

ケルン家

市庁舎の対面には見事な

“Fassade”(表面)

の建物が並んでます。

その中でもとりわけ立派なこの建物は、ケルン家 /”Kernhaus”と呼ばれています。

かってこの家に住んでいたお金持ちの名前です。

立派なロココ調の装飾が施されたのは、18世紀になってから。

わざわざミュンヘンから宮廷建築家を招いて、装飾されました。

その後、ヴァッサーブルクの裁判所として使用されてました。

現在はカフェ & レストランになってました。

マリエン広場の周辺は教会や役人、それにお金持ち住む権力の中枢。

市民の居住地区はその裏に広がっています。

参照 : ケルン家

マックス エマヌエル礼拝堂 / Max-Emanuel-Kapelle

マックス エマヌエル礼拝堂

ヴァッサーブルク市役所の右横の建物の壁に、壁画が残されています。

角まで行って、見てみましょう。

かってここでひずめを製造していたようですね。

この先に建っているのが、かわいらしいマックス エマヌエル礼拝堂 /”Max-Emanuel-Kapelle”です。

中を覗くと意外と立派。

建造されたのは18世紀。

スペイン継承戦争で戦ったバイエルン選帝侯、マックス エマヌエルを称えるために建造されたので、この名前。

その後、洪水で流されてしまうも、19世紀になってから、募金で再建されました。

ちなみにこの礼拝堂の後方に建つ黄色い建物、上述の

“Fletzinger-Brauerei”

の残りの建物です。

フレツィイ

が見つかったのも、この辺です。

カラフルでレゴのような家屋

ヴァッサーブルク カラフルでレゴのような家屋

市内を歩いていると、

「嫌」

でも目につくヴァッサーブルク特有のカラフルでレゴのような家屋。

しかもお隣同士、いつも違う色。

観光客なんかほとんどやってこないのに、ここまで町並みを手入れするのはドイツ人ならでは。

塩倉庫 / Salzstadel

塩倉庫

左右のカラフルな家屋を眺めて歩い行くと、巨大な建物が目の前に。

現在は警察署として利用されていました。

自宅に帰って調べてみると、ヴァッサーブルクが栄えることになった、貴重な塩の倉庫だったそうです。

建造されのは16世紀。

塩の交易が下火になってからはビールを作るホッペン/Hopfen を乾燥せる倉庫として利用されていました。

この近辺はホッペンの栽培が盛んで、ヴァッサーブルクは地ビールの産地だったんです。

かってはたくさんのビール醸造工場があったんですが、今ではひとつだけ。

塩庁 / Salzamt

塩庁

ヴァッサーブルクの大事な資金源である塩を管理するために、塩庁を設けて、塩の管理をしていました。

その立派な建物が塩倉庫の向かいにあり、かっての儲け振りを彷彿させます。

塩の交易が下火になってからは、女子に教育を施す機関が入ってました。

現在ではなんらかの協会が入っています。

ヴァッサーブルク 皮なめし通り

ヴァッサーブルク 皮なめし通り

塩庁の先からヴァッサーブルクの並木道が続いています。

この通りの名前

“Ledererzeile”(皮なめし通り)

です。

皮なめしと言えば、大量の水が欠かせない。

が、何処にも水路が見えません。

写真中、右側の建物の後ろには城壁があったんです。

城壁と言えばお堀ですからそのお堀で河を洗ったか、この舗装された道路がかっては水路だったか、そのどちらか。

ここは原住民のお買い物通りで、商店が並んでいます。

丘の上に聳える要塞も、ここから彼方に拝むことができます。

赤い塔 / Roter Tor

赤い塔

皮なめし通りを歩いていると、赤い塔 /”Roter Turm”が見えてきます。

赤くはないですけどね。

これが街の中に唯一残っている見張り台だ。

建造されたのは15世紀で、かっては城壁と繋がっていた。

今でも塔を安定させるため、

「ちょびっとだけ」

城壁が残ってます。

参照 : 赤い塔

旧市街墓地 / Altstadtfriedhof

ヴァッサーブルク レンガでできて大きな門

とっても綺麗なのでキョロキョロしながら歩いていると、路地裏にかわいらしい門が見えてきた。

「きっとこの先に何か先にあるぞ。」

と狭い道に入ってみると、えらく立派な門が立っていました。

この先にはヴァッサーブルクの旧市街墓地 / Altestadtfriedhof があります。

この門はかっての城壁に埋め込まれるように建設されており、まだ城壁と繋がってる貴重な部分。

興味のある方は歩いてみてください。

ヴァッサーブルク 要塞 / Burg Wasserburg

ヴァッサーブルク 要塞

皮なめし通りに戻って、両脇の綺麗な家屋を見物しながら歩いていると、丘の上に登れる階段がある。

上から眺める景色は綺麗なので、階段も短いから挑戦してみよう。

丘の上の一番高い場所には、ヴァッサーブルク公爵が住む城が建っていた。

バイエルン公爵領になってから増築され、ヴァッサーブルク要塞 / Burg Wasserburg になった。

言うなれば要塞の中の要塞で、天守閣の周囲にはお堀が彫られて、吊り橋がかかっていた。

ミュンヘンが敵の攻撃に遭うと、バイエルン公爵はこの要塞まで逃げてきたんです。

今では老人ホームです~。

丘の上からの眺め

丘の上からの眺め

丘の上から、歩いてきた皮なめし通りがよっく見えます。

絶景!

じゃないけど、それでも実物は

「綺麗~。」

としばらく眺めていた気分に浸ります。

砦

その見晴台の横には、坂道を登ってくる敵を狙い撃ちにできる砦があります。

櫓の上にあるのは洗濯の物干し?

今では民家になっていましたが、素敵!

住んで見たい!

穀物倉庫 & 教会

穀物倉庫 & 教会

ヴァッサーブルク要塞の中には穀物倉庫として使われていた巨大な建造物があります。

管理が大変なようで、外見はボロボロ。

屋根がいつ落ちても不思議じゃないので、空き家状態。

その奥にあるのは公爵様専用の教会です。

こちらは今日でも教会として使われている様子でした。

ミヒャエル礼拝堂 / Michaelskapelle

ミヒャエル礼拝堂

要塞の少し先(旧市街方向)に、さも古そうなかわいらしい建物がある。

これはミヒャエル礼拝堂 /”Michaelskapalle”だ。

ヴァッサーブルクの観光案内には、

「かっての町の “Wahrzeichen”(象徴)」

なんて書いてる。

今ではみすぼらしい小屋にしか見えないが、建造された14世紀には昔は塔もあり見事な教会だったそう。

なんでも遺骨堂として利用されていたそうです。

16世紀になるとボロボロになり倒壊する危険が出てきたので、二階部分を取り壊し、この小さな小屋だけが残りました。

墓地への階段 / Friedhofstiege

礼拝堂の横にある階段は、聖ヤコブ教会の横にあった墓地への入り口です。

今では墓地は他に移されてしまいましたが、墓地への階段 / Friedhofstiege という名前だけ残りました。

鍛冶屋通り/ Schmidzeile

鍛冶屋通り/ Schmidzeile

礼拝堂の先の通りは、

“Schmiedzeile”(鍛冶屋通り)

と言います。

この道はヴァッサーブルクの旧市街へと続いています。

見て欲しいのはこの坂道。

両脇に建っている建物がと~っても綺麗なので、是非、歩いてみてください。

回廊

回廊

カラフルな家屋が並ぶこの場所、車がすれ違うのが背一杯。

歩道も設けられていはいますが、決して広くはありません。

ここに建つ建物には店舗も多いのですが、回廊が設けられています。

これなら雨の日でも、お構いなしです。

この回廊を歩いていると、通りの向かいに装飾を施した建物が見えてきました。

ガンゼーアの家 / Ganserhaus

ガンゼーアの家

この建物装飾が施された家はガンゼーアの家 /”Ganserhaus”と呼ばれる。

かっても裕福な市民の家(“Bürgerhaus”)で、建造は16世紀。

錫を製造するガンゼーア家族の工場が入っていたので、この名前。

現在はヴァッサーブルクの芸術家の家になっているそうだが、現在は修復のためか(ボロボロでした)空き家になってました。

歴史はあっても、

「修復に金のかかる暖房もない家を買おう!」

という人は居ないようです。

離れてみるとただのボロ家ですが、近くで見るとその手の込んだ細工の見事さに感心!

この家を買って修復してくれる人が現れるといいのに。さもないと10年後には取り壊しになりそうです。

聖ヤコブ教会 / St. Jakob

聖ヤコブ教会

ここまで来たらほぼヴァッサーブルクを一周。

先の道を右に曲がって路地に入ってみると、町の(現在)の象徴になってる聖ヤコブ教会 /”St. Jakob”が建ってる。

現在の姿になったのは14世紀。

ご覧の通り宗教壁画が有名だが、壁の随所に埋め込まれてる彫刻も立派なもの。

教会自体は修復中のため、現在は立ち入り禁止です。

教会の前を通り過ぎて脇道に入ると、これまたカラフルなら建物が「見て!」とばかりに並んでいます。

まとめ

街並み

ヴァッサーブルク観光の目玉は、イン河にかかる橋。

有名な観光地と比べると、ちょっと見劣りします。

でも街中の家屋の形が面白い!

なんで四角なの?

カラフルで見飽きない。

加えて観光客が少ない。

街でみかけた外国人は私だけ。

有名な観光地じゃ写真を1枚撮るにも10分もかかることも珍しくないですが、ここは基本待ち時間なし。

写真を撮りながらゆっくり歩いて3時間。

写真を撮らないなら2時間程ですべて見れてしまうので、すぐに飽きてしまうお友達やお子さんと一緒でも安心です。

週末に落ち着いて観光したい方に向いてます。

注釈

*1     アルザスのエギスハイムも、かっては水の要塞と呼ばれていました。

*2     記念写真は届かず。間一髪セーフでした。

*3     9世紀と言えばフランケン帝国の前身、カロリンガー朝の時代です。

*4    日本で言えば、「三本松」という地名みたいなもの。

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