Weissenburg

街の紹介 Weissenburg i.Bay.

アウグスブルクとニュルンベルクのちょうど中間あたりに”Weißenburg i.Bay.という町がある。「これからドイツ語を習います。」という方に説明すると、「.」は何かが省略していることを示す目印だ。i.Bay.はin Bayern(バイエルン州の)の短縮形だ。皆まで言えば、他にも「ヴァイセンブルク」という町があるので、このように表記して区別する。「でも、同じ州に同じ名前の町があったらどう書くの?」と思った方は素晴らしい。かってはこの町は、”Weißenburg im Nordgau”と表記されていた。これなら同じ州に同じ名前の町があっても混同しない。しかし逆に、”Nordgau”では、「何処にあるの?」と誰にもわからない。そこで(同じ名前の町は他の州にあるので)、Weißenburg i.Bay.という表記になっている。

ではこの町の歴史を見ていこう。町の住民は、「紀元後90年にローマ帝国の駐屯地が置かれたのが町の起源だ。」と主張するが、あまり正しくはない。最盛期には浴場まで建設されて2500人の兵隊とその家族が住んでいたが、3世紀になるとゲルマン4大民族のアレマーネンが度々襲撃した。結果、この要塞は放棄されて町の歴史は唐突に終焉を迎える。その後、7世紀になってからこの地に宮殿が建設されたのが、この町の本当の起源になる。住民は、「カール大帝がこの宮殿に住んでいた。」と言い張るが、その証拠はない。書簡によるこの町の最古の記述は9世紀のもので、11世紀にはこの町は神聖ローマ帝国の皇帝を出したシュタウファー家の支配下に収まる。12世紀になってから町の城壁作りが開始される。14世紀になると皇帝から免税の特権が与えられると町は豊かになる。豊かになると略奪の対象になるので、城壁に沿って30mの幅のお堀が掘られた。当時は数十もの(見張り)塔が建っていたが、現存しているのは「たったの」38塔のみ。もっとのドイツのどの町に、今日まで38もの塔が残っているだろう。
13世紀に地元の諸侯とバイエルン公爵の間で戦闘があり、バイエルン公爵により町は焼き払われてしまう。戦後、30年もかけて町は再建され、さらには”Reichsstadt”の特権まで与えられるが、フランケン(ニュルンベルク一体の地域を指す)で一番貧乏な自由都市だった。14世紀、町の破壊を後悔したのか、後を継いだバイエルン公爵から森が寄贈される。しばらくはこの森が町の唯一の収入源だった。この時期に町の教会の建設が始まるが、資金難のため、象徴である教会の塔は計画よりも短くせざるを得なかった。ヴァイセンブルクは早い時期からプロテスタントを支持、30年戦争にはTilly将軍率いるカトリック軍に包囲されて、略奪されてしまう。30年戦争の終わりには、29の建物、それも空き家しか残っていなかった。それでも戦後、復興が始まり、やっと復興したと思ったら今度はナポレオン戦争に舞い込まれる。町はバイエルン公爵に、次いでプロイセンの支配下になるが、ナポレオンがドイツを占領すると、この町は再度、バイエルン王国に貴族することになり、今日に至っている。
運命に恵まれなかった町だが、戦争遂行に重要な工場がなかったのが幸い、ニュルンベルクなどの大都市からも十分に離れていたので、第二次大戦中はほとんど爆撃に遭わなかった。唯一、1945年2月に方向を間違えた一機のB-17が爆弾をこの町に投下、罪のない市民が殺害されたが町はほどんど無傷で残り、今日まで中世の町並みを堪能できることになった。

正直、「ヴァイセンブルク」なんて町を知ってる日本人はほとんどいない。ドイツ人、もとい、バイエルン人に聞いても、「聞いたことがない。」と言うので、無理もない。町もこの点を認識しており、観光客招致に力を入れている。例えば駐車場。市内には無料駐車場がたくさんある。「2時間まで無料」と書かれているが、週末は誰もチェックしていないので終日、無料で駐車できる。最初に目に付いた無料駐車場に車を止めて歩き出すと、早くも城壁とこの町の特徴である塔のひとつが見えてきた。ヴァイセンブルクの塔のほとんどは四角形になってる。この角に建つ塔は例で、”Fünfeckturm”(五角塔)と呼ばれている。奥に見える塔は数多い塔の中でもっとも美しい、”Ellinger Tor”だ。14世紀に建造された当時は簡単な塔だったが、17世紀になって上部が増築された。塔の正面には宗主国、神聖ローマ帝国の「双頭の鷲」が町の紋章になっていると思ったら、「ただの鷲」。当時はお堀が掘られて水が流れていたが、現在ではお堀は埋められて庭園になっている。内側からみると、とってもシンプル。左にある綺麗な骸骨屋敷の建物は、☆☆☆ホテルだ。骸骨屋敷の泊まってみたい!という方はお試しアレ。塔の横に建っている詰め所は、現在では住居として使われている。
通りを少し戻って、”St.-Andreas-Kirche”を見ていこう。とりわけ美しいわけでなければ、とりわけ高い塔があるわけではないが、人口1万8000人の町にしては十分立派だ。教会の裏にあるかってのラテン語学校は、現在ではローマ帝国資料館として利用されているが、現在、休館中。ここから道に沿って歩いていくと、小奇麗な屋敷が建っている。この先が、”Am Hof”(宮廷)と呼ばれる場所だが、宮廷は何処にもない。かってはここに”Königshof”が建っており、「カール大帝がこの宮殿に住んでいた。」との伝説があるので、この名前で呼ばれている。宮廷はなくても、噴水と建物は綺麗。
ここからまたメイン通り(教会のある通り)に戻ると、中心部はすぐ目と鼻の先。ここに”blaues Haus”(青い家)が建っている。神聖ローマ帝国から任命された執行官の住居で、現在は薬局博物館になっている。その先が中心部で町の象徴のひとつになっている”altes Rathaus”(旧市庁舎)が建っている。この町が唯一、破壊を逃れて穏やか時期を過ごしていた15世紀に建造された。この市庁舎は正面は言うまでもなく、側面から見てもとても綺麗。数年前までここは駐車場として利用されており、景観がぶちこわしだった。観光客誘致の一環で、市は大金を投じて歩行者天国に改造。お陰で右を向いても、左を向いても、綺麗な景観を堪能することができる。この広場の先に塔が建っている。かってはここが町の境界だった。その後、町の人口が増えたのでお堀を埋めて、15世紀に教会と病院が、新しい城壁はその後ろに新たに建設された。当時の入り口だった塔は撤去されないで、”Spitaltor”(病院塔)と呼ばれて教会の塔の役割も果たしている。この塔の入り口にはちゃんと双頭の鷲の紋章がかかっている。塔の外にあるこの建物は、立派な彫刻から察するにかっての役所だったようだ。その隣には町議会があるが、これがまた立派。
市役所まで戻ってこよう。市役所前は”Holzmarkt”(木材市場)と呼ばれている。言うまでもなく、木材が売買された場所。ここが町の目抜き通りなので、綺麗な建物が多く建っている。まず最初に目を引くのは、この建物。”Löwen Brauerei”(ライオン 鋳造所)と書かれている通り、ビルの鋳造所だ(った)。ビールをなめているライオンがかわいい。派手な壁画が目をひく建物は、(ただの)銀行。通りの終わりには噴水があり、「ローマ兵?」と思われる銅像がある。ローマ兵ではなくて、ヴァイセンブルクに森を寄贈したバイエルン公爵、”Kaiser Ludwig der Bayer”の彫刻だ。町の向かいにある小高い丘に大きな屋根が見える。これは辺境伯が町の防御のために16世紀に建造させた”Wülzburg”要塞だ。日本の五稜郭のように五角形になっている。残念ながら今回は時間がなくて、見れなかったので次回のお楽しみ。
バイエルン公爵の銅像の近くに、”Schranne”(倉庫)という立派な建物が建っている。「倉庫なのに、何でこんなに立派な塔があるの?」と思った方は素晴らしい。この建物はかってはカトリック教会だった。住民がカトリック教に愛想を尽かしてプロテスタントに改修すると、カトリック教会は倉庫に改造された。19世紀になると、消防の詰め所として利用されてので、監視用の塔が建てられた。街中はあちこちに骸骨屋敷が建っているが、倉庫の近くのこの屋敷はとりわけ立派。ここにもかってのビール鋳造所”Schneider-Bräu”の建物がある。この綺麗な建築物は今、レストランとして使用されている。その隣の民家もお見事。この民家の(向かって)左手の細い路地を進んでいくと、門が見えてくる。
門を出て振り返ると、そこはもう町の城壁だ。城壁沿いに歩いていくと、お堀が出現する。これまで城壁だけ、あるいはかってのお堀だけはたくさん見てきたが、かってのお堀と城壁がコンビで残っているのは珍しい。お堀に写った城壁が綺麗で、しばし見惚れてしまう。「他では見れない綺麗な風景。」と感心していると、見渡す限り続く城壁と塔が見えてくる。38もの現存している塔とは読んでいたが、これを見て始めて納得。近代化の邪魔になるからと撤去されないで、よくも今日まで残ったものだ。お堀の大半は埋められてしまっているが、ヴァイセンブルクはかって町を取り囲んでいた城壁を今日でも見ることができる「城壁の町」だ。塔と城壁は今日では、アパートや物置として利用されている。こんな城壁の家に住んで見るのも悪くない。見晴らしが最高だ。でも住所は「城壁3番地」となるんだろうか。
角を曲がって新しい通りに入ると、「お~」という建物が、ここに、そこに建っているので、さ迷い歩いてしまいます。今の住宅はどれも同じに見えますが、当時の家はまさに個性の主張。改装されていない家も風情があるし、朽ちかけの家はまさにワザサビの世界。本来なら復元されたローマのカステル(城砦)も見るべきだが、気が付けばもう16時。4時間以上も歩き回ってクタクタ。これから車に乗って見物にいく元気はなし。カステルとヴユルツブルクの要塞(世界遺産都市に指定されている町は別物です。)、それに全部見ることができなかった城壁、塔は次回のお楽しみ。

アウグスブルクからヴァイセンブルクまで90Km少々ある。車で向かうと、かっての南ドイツのシルクロード、今日の国道2号線をニュンベルクに向かって延々を走る。国道なのに速度制限は高速道路並みの120Kmh。日曜日なら渋滞もなく、1時間10分ほどで到着できる。電車で向かっても、同じ時間で行けます。観光名所が多いのに、ドイツ観光協会が勝手に決めた「ロマンチック街道」から横に逸れているので名前を挙げてもらえず、外国では誰も知らない可愛そうな町。その一方で、”Friedberg”のような町が、ロマンチック街道に載っているが、わざわざ行って見るほどの価値はない。”Fachwerkhäuser”(骸骨屋敷)なら”Nördlingen“や”Esslingen“の方が見所が多いが、城壁とお堀ならヴァイセンブルク。延々と連なる塔と城壁の光景は圧巻です。