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Goethe Institut Duesseldorf デユッセルドルフ

学生による総合評価

学校紹介

デユッセルドルフのGoetheは中央駅の前にある大きなオフィスビルの中に入っており、通学には至極便利な場所にあります。インテンシブ4のコースを受講されますと、初級(A1)から中級レベルB1は午前(8時30分~)の授業、B2以降は午後の授業になる事が多いです。

生徒の国籍は、何故か中東諸国が一番多くなっており。その多くは奨学生です。日本人の割合は低く、100名程度の生徒中、4名ほど。この学校は学生寮を持っていないのがネックですが、都会派で「ホームステイでも構わない!」という方にお勧めです。

学校の住所    Immermannstrasse 65, D-40210 Duesseldorf

最寄り駅 デユッセルドルフ中央駅

市内路線図

町の紹介

Duesseldorf。日本語でドュッセルドルフ、あるいはデュッセルドーフと表記されているのを見かけます。前者は発音上正しいですが、後者は明らかに間違い。ドーフって、カバって意味ですから、デュッセルドーフでは、「デュッセル(の)カバ」になってしまいます。
冗談はさておき、デュッセルドルフはドイツの一番西にある州、Nordrhein-Westfalen州(以下NRW州と略)の州都です。この機会にNRW州について少しだけ紹介すると、NRW州はドイツを構成する16州の内、最も人口の多い州(1800万人)で、ドイツの総人口の約20%を占めます。つまりこの州は、日本の都知事選挙のように、国政に大きな影響ある重要な選挙区です。政治的にはルール工業地帯で働く労働者が多かったのでSPDの地盤でしたが、産業の衰退と共に人気を失くし、2005年から39年ぶりにCDUが政権を奪取しました。しかし2008年からの大不況とスキャンダルで、今度はCDUが人気を無くし、2010年にはSPDが政権に復活しています。
デュッセルドルフからオランダまで車で20分、ベルギーまで30分ですから、「外国」に行くには便利な場所にあります。「どうして、(ケルンではなくて)よりによってデュッセルドルフのような小さな町が、州都になったの?」という質問は、「どうして、Bonnが西ドイツの首都になった?」という質問と同じくらい聞かれます。後者はBonnの町の紹介に割愛するとして、前者はこの辺りを占領した連合軍の司令部がここにあったという理由によります。ここに市の行政機能があれば(当時は何から何まで連合軍の許可を必要としましたから)、都合が良かったわけです。
これがデユッセルドルフと仲の悪いケルン市(民)には、気に入りません。デユッセルドルフの発展はプロイセンの皇帝が12世紀に、まだ人口のまばらなこの地域に兵隊を駐屯させたのがその歴史の始まりになります 。現在でも街の一角は、Kaiserswerthという名前で呼ばれています(WerthはWerderとも言い、河川に挟まれている島を指します)。もっとも当時はDusseldorp という名で呼ばれていました。これ(プロイセンの駐屯地)がケルンの領主に気に入る筈もなく、1288年にはプロイセンからこの地方の統括を任せれていたBerg公爵との間で戦争になります。この戦争で勝ったのがBerg公爵、つまりデュッセルドルです。その後、村(Dorf)から町に昇格しますが、4へクター(200mX200m)にも満たない小さな地域で、15世紀の地図にはまだ名前も載っていません。
デユッセルドルフが発達したのは、よりによって戦争のお陰。7年戦争の頃から度々フランスに占領され、ライン河畔にあるこの町の戦術的価値が高まり、ここに要塞が築かれ、町の周囲はローテンブルクで見れるように城壁で囲まれます。この機会に町の名前が、デッユセルブルクに変わってもよさそうですが、すでに存在していたデユーイスブルクの町と混同しそうなので、名前は変更されず。ちなみに、当時の壁の跡は、今でも市内で見る事ができます。近代になって電車の路線を引く際、残っていた城壁を壊して路線を引いたので、市内に向かう道路、線路は必ず橋を渡っていく様になっています。
「日本企業は、どうしてよりによってデユッセルドルフに集まっているの?」という質問もよくされます。デュッセルドルフ周辺はエッセンのクルップで有名なように、炭鉱に恵まれ、ドイツの重工業の中心地でした。戦後、炭鉱の研修生として数多くの日本人がドイツの炭鉱に派遣されるようになります。この炭鉱労働者が研修を終える頃には、日本での炭鉱業は衰退を始めた為、「帰っても仕事がないから。」と、労働者の幾人かはそのままデュッセルドルフに残って、ここで生活を始めます。当時は数百人の小さなコミュニテイーでしたが、この頃から日本食のレストランを始める人も現れて、次第に日本人向けのインフラが整備されていきます。日本人学校が設立されると、進出してくる日本企業の数が増え、ますますこの傾向に拍車がかかります。60年代までは日本人の町として有名だったハンブルクを追い越して、70年代から80年代にかけてデュッセルドルフが日本人の町として確立する事になりました。もっともその数は90年代に頂点に達し、以降、減少傾向が続いています。
こうした背景(日本企業はデュッセルドルフ市の財源の1/10にあたる額を税金として払っていました。)もあって、デュッセルドルフの住民は日本人に対して、比較的いいイメ-ジを持っていますから、アパート探しの際に大家に不審な外国人と混同されなくて済み、スム-ズに契約が結べます。また、デユッセルドルフではドイツ語は片言でも、日本語が出来ればアルバイトができるという強みがあります。この為、ワ-キングホリデ-などでドイツに長期滞在するなら、デュッセルドルフは滞在先としてお勧め。これに加えてデュッセルドルフはライン河沿いで、気候が温暖で住み易いすく、日本食料品店、レストラン等々インフラが整っていて、町並みが少々殺風景(近代的とも言う。)な点を我慢すれば、日本人には生活しやすい街です。

各種インフォメーション

料金に含まれる事項

ドイツ語査定テスト、オリエンテーション、終了証、Wifi、,課外活動

コース教材について

生徒の平均人数

14~16名 夏季は18名

学生の平均年齢

30~31歳

最少年齢

18歳から

学校スタッフが対応できる言語

英語、ドイツ語、スペイン語

学生の国籍

北アフリカ
北米
東欧
ギリシャ
スペイン
その他

空港からの送迎

語学コース

コース日程

2018年

インテンシブ 4
費用:1115ユーロ (7月、8月は1250ユーロ)
授業は08:30~13:00、あるいは13:30 ~18:00まで。
合計20レッスン/週
初級と中級の一部は主には午前中に、中級、上級は午後に行われます。
クラス定員:最高16名まで、コース期間は4週間

コース日程:

1月8日~2月1日、2月5日~3月2日、3月5日~3月29日、4月3日~4月27日、5月2日~5月30日、6月4日~6月28日、7月2日~7月26日、8月6日~8月30日、9月3日~9月29日、10月1日~10月26日、10月29日~11月24日、11月26日~12月20日

コース日程表

年末年始休校日

料金

キャンセルについて

キャンセル申込みの期日により、お申し込み料金から下記のキャンセル料金をいただきます。

キャンセル申込み 期日 キャンセル料金
コース開始前 4週前 160EUR
1週間前 30%
前日 50%
以降/コース開始後(返金はありません) 100%

※返金の際の銀行手数料はお客様の負担になります。

宿泊施設

宿泊施設

デユッセルドルフ校はゲストハウスを持っていあにので、下宿のみの手配が可能です。ご希望により アパートも手配可能ですが、数が限られています。下宿先でお部屋に個人の電話を引かれたり、テレビを購入される場合は、あらかじめステイ先とご相談ください。

インテンシブ4 下宿   550ユーロ

インテンシブ4 アパート 690ユーロ

インテンシブ2 下宿   380ユーロ

詳細はこちらをご参照ください

総合評価

町の印象
施設
交流活動
授業の質/ あなたの上達度
料金に見合う内容か
ホストファミリー
学生寮
受講生が気に入った点

資料

学校案内パンフレット

学校案内パンフレット EN

PDFをダウンロード

学校案内パンフレット DE

動画