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Goethe Institut Wien ウイーン

学生による総合評価

学校紹介

欧州内ではドイツ語の需要が増え、夏のコースは春になるとすでに定員になるという盛況ぶりです。そこでゲーテは初めて、オーストリアの首都、ヴィーンに支店を開校しました。ただし、コースは夏のコースだけ。学校はまだ独自の校舎ではなく、ゲーテのスペイン版である”Instituto Cervantes“の校舎の中にあります。

学校の所在地は市内の中心部、ヴィーンのコンサートホールの近くにあります。付近に路面電車、それに地下鉄の駅があるので、市内何処に滞在されても通学に便利な環境です。

学校の住所 c/o Instituto Cervantes Schwarzenbergplatz 2, A-1010 Wien, Österreich

最寄り駅 Schwarzenbergplatz駅(路面電車2,71,D)

市内路線図

 

町の紹介

Wien。日本語でウイーン。現地の言葉ではヴィーン。上唇を噛みながら、「ヴィ」の発音をすると、ドイツ人にも伝わります。言うまでも無くオーストリアの首都、人口168万人を抱える大都市です。その歴史は長いので簡素に紹介してみると、この地域はすでに石器時代に殖民されています。1世紀になると先住民族のケルト人を追い出して、ローマ人がこの地に砦を築きます。5世紀になるとゲルマン民族が入植を始め、ローマ帝国の砦を奪取してこの地を支配下に収めます。
その後、この地方はワインの栽培で有名になります。一説には、このワイン(Wein)が訛ってWienになったという説があるが、これは眉唾もの。本当は市内を流れる川、Weanが9世紀の書簡で記述されているのが、町の名前の起源になったとされています。10世紀には東から侵入してきたマジャール人を東フランク王国が撃退すると、(ドイツの)バンベルクの領主であったBabenbergerが、ここに公爵領Ostarrîchiを建設したのが、オーストリア(Oesterreich)の起源となります。
有名なハープスブルク家の支配は、Rudolf1世が13世紀にベーメン(チェコ)を破ってから。もっとも、首都はウィーンではなくてプラハに置かれます。14世紀にはウイーンは交易で大いに栄え、ウイーン大学もこの時代に建設されています。15世紀になると東方からトルコの大軍が押し寄せてきますが、運良く最初の侵入は防ぎます。次のトルコ軍のウイーン侵入に備え、砦の建設が始まります。これは17世紀になってやっと完成するほどの大事業。砦が完成して間もない1683年、トルコ軍が再度、大軍を持って押し寄せてきますが、砦のお陰でこれに長期抵抗する事ができました。しかし食料も底を尽きかけ、トンネル爆弾を使って城壁も爆破され、「ヴィーンの運命や尽きた。」と思われた頃、やっと援軍のキリスト教徒連合軍が到着、ポーランド軍の活躍でトルコ軍を撃退する事に成功します。
トルコ軍退却の後には大量のコーヒーが残されており、これがウイーンナーコーヒーの始まりとなりました。又、フランスが原産と誤って信じられているクロワッサンも実はこの頃、ヴィーンで「発明」されたもの。ヴィーンのパン屋が、トルコ人を撃退したお祝いにトルコの象徴である三日月の形をしたパンを焼き、これを食べて勝ち鬨を挙げたのが始まり。オーストリア皇帝の娘、マリー アントワネットはこのクロワッサンが大好きで、フランスのルイ16世と結婚する際に、このパンのレシピ(正確にはパン職人)をパリに持って行ったのがフランス産クロワッサン、croissant de lune(上弦の月)の始まりです。もっとも、これは後から捏造された物語と主張する人も居ます。この主張の理由は、1863年に発行された「料理書」。ここに三日月の形をしたパンが記述されており、「すでにトルコ軍の襲来前から存在していた。」との事。ちなみにフランスにはバターとマーガリンを使用したクロワッサンがあるそうだが、ドイツでは基本、バターのみ。もっともバターは高いので、安いクロワッサンを買うとマーガリンが混じっている可能性大。
ナポレオン敗退後、ウイーン会議で領土を広げ、オーストリア帝国は勢力の最盛期を迎えます。1914年6月に皇太子夫妻がサラエボで殺害されると、オーストリア帝国はセルビアを罰すべく、軍隊の動因を開始。すると同じスラブ民族のロシアも動因を始めると、「敵が打って来る前に、先手を打とう!」とドイツがオランダ、ベルギー国境から、フランスに先制攻撃。やむなくオーストリア帝国も「参戦」する形になります。しかし近代化されたドイツ軍に比べ、軍事力に劣るオーストリア帝国は小国のセルビア相手にも大苦戦、結局、ドイツの支援を受けてやっとセルビアを制圧しますが、以後はでかい弟分のドイツの言うなりに。結局、ドイツが敗戦を受け入れるまで「付き合わされて」、オーストリア帝国は解体され、国はほぼ現状の小さな領域に縮小されます。しかし戦場は国外だったので街はほとんど被害を受けず、綺麗な町並みが残る事となりました。第二次大戦の敗戦ではうまく被害者の役割を演じる事に成功、ソビエト軍による占領も短期間で済み、1955年には完全に独立国となっています。
ウイーンの名産と言えば、(上に挙げたコーヒーの他に)とんかつ(Wienerschnitzel)とチョコレートケーキ(Sachtorte)が有名。前者はドイツと違って子牛の肉を使用、後者は法廷の判決によるとHotel Sacherが作ったケーキだけこの名前を冠してもよい事となり、他のケーキ屋ではしぶしぶ他の名前を導入したという逸話つき。ウイーンに来たら、是非、試して行こう。

各種インフォメーション

料金に含まれる事項

ドイツ語査定テスト、オリエンテーション、終了証、Wifi、,課外活動

コース教材について

生徒の平均人数

14~16名 夏季は18名

学生の平均年齢

28~29歳

最少年齢

18歳から

学校スタッフが対応できる言語

英語、ドイツ語、チェコ語、トルコ語

学生の国籍

北米
南米
東欧
スイス
イタリア
その他

空港からの送迎

語学コース

コース日程

2018年

ヴィーン校では、7月と8月に以下のコースが開催されます。

インテンシブ 2 言語と文化

朝08:30~13:00 合計25レッスン/週
クラス定員:最高16名まで、コース期間は2週間
A1~B2

コース日程;

7月01日~7月14日 810EUR, 7月15日~7月28日 810EUR, 7月29日~8月11日 810EUR, 8月12日~8月25日 810EUR, 8月26日~9月08日 810EUR

年末年始休校日

料金

キャンセルについて

キャンセル申込みの期日により、お申し込み料金から下記のキャンセル料金をいただきます。

キャンセル申請 期日 キャンセル料金
コース開始前 4週前 160EUR
1週間前 30%
前日 50%
以降/コース開始後 (返金はありません)100%

※返金の際の銀行手数料はお客様の負担になります。

宿泊施設

宿泊施設

ヴィーン校ではトイレ、シャワー、簡易キッチン、テレビ、Wifi(25ユーロ+保証金65ユーロ)が完備されて、部屋からの景色も綺麗な宿舎を持っています(部屋からも見晴らしは部屋により異なります)。(18~21平米)の宿泊費は、2週間で390ユーロです。部屋にトイレとキッチンがついているアパートは2週間で450ユーロです。どの部屋にも寝具、タオルはついています。

詳細はこちらをご覧ください。

総合評価

町の印象
施設
交流活動
授業の質/ あなたの上達度
料金に見合う内容か
ホストファミリー
学生寮
受講生が気に入った点

資料

学校案内パンフレット

学校案内パンフレット EN

学校案内パンフレット DE

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動画