ドイツ近代、現代史 経済史

シュタイフのぬいぐるみ – テディベアの愛称は何処から?

投稿日:2020年6月9日 更新日:

世界中に シュタイフのぬいぐるみ が輸出されている。

その中でも一番有名なのが、テディベア。実はこの呼称、米国の故ルーズベルト大統領の愛称なのである。

しかし、このドイツのぬいぐるみが何故、テディベアと呼ばれているのだろう?ましてや、このぬいぐるみを作っているシュタイフ社の創始者が小児麻痺で半身不随の女性であった事を知る人はもっと少ない。

そこで、今回は趣を変えて(?)シュタイフのぬいぐるみについて紹介してみよう。

マーガレット シュタイフ

バーデン ヴュルテンベルク州とバイエルン州の境に、ギンゲン / Gignen という誰も知らない小さな町がある。

1847年、マーガレット シュタイフ / Margarete Steiff はこの町でシュタイフ家の三女として生まれた。生後1年半の時に高熱が出て、これが原因で両足が麻痺、右手は苦痛を伴ってかろうじて使えるという重度の障害を背負ってしまう。

しかしやさしい姉妹に恵まれて、学校までの長い距離を車椅子で押されながら学校に通うことができた。この頃の体験、

  • 他の子供は外で遊んでいるのに、自分は車椅子に座って見ているだけ
  • 他人の助けがないと何もできない

が、マーガレットの性格を構成したようだ。すでに子供のころから一度、決心したことは何があってもやりぬく性格、意思の強さをもっていた。

裁縫学校

シュタイフの両親は娘たちに手仕事を覚えさせるべく、(マーガレットを除いて)娘たちを裁縫学校に送ることにする。

ところが、マーガレットが自分も一緒に学校に通いたいと言い出すと、「無理だ。」と説得する言葉には一向に耳を貸さない。半身不随の娘が裁縫などできるわけもないと考えていたが、本人の意思の強さに負けて、マーガレットも他の娘たちと一緒に裁縫学校に送る事にした。

右手が不自由なので、ミシンを使う際には大変なハンデイキャップであるのに関わらず、持ち前の意思の強さでこの障害も克服、立派な成績で裁縫学校を卒業した。

シュタイフ裁縫店

この成功に気をよくした両親は、娘たちが手仕事で生きていけるようにと家の一角に裁縫店を開いてやる。

このシュタイフ家の裁縫店は好評で、しばらくすると(当時は高価だった)貯めたお金で最初の ミシンを買うことができた。ミシンのお陰で仕事の効率が飛躍的に改善、さらに多くの仕事を引き受けることが可能になった。

十分なお金が溜まると(稀に見る企業家の)マーガレットは、フェルト(独 : Filz)の専門店を開き、フェルト使った服を考案した。これがまた好評で、数年後には従業員を雇うまでになった。

シュタイフのぬいぐるみ の誕生

その後、マーガレットは新聞で見た像のぬいぐるみにヒントを得て、フェルトで像の枕をこしらえる。

これがのシュタイフの最初の「ぬいぐるみ」の誕生となる。今のようにボリュームのあるものではなく、ほぼペチャンコに近いものだ。

しかしこれが大ヒット商品。その年だけで600個(匹?)、翌年には1500個もの像の枕を生産した。

マーガレットは客の欲しがるものを当てる才能があったようで、本来は枕として作った像が、子供用のぬいぐるみとしてもっと重宝されてることに気づく。翌年からは、他の動物の「ぬいぐるみ」も作成するようになり、会社の売れ行きは上昇する一方。

テディベアの誕生

拡張を続けるシュタイフ裁縫店では、親戚一同が働いていた。

その内の一人、マーガレットの甥のリチャード シュタイフが、新しいアイデアを持ってくる。それはフェルトで、熊のぬいぐるみを作るというもの。マーガレットはこのアイデアに感心しなかったものの、 まずは熊のぬいぐるみを試作してみることにした。

こうして誕生したのが、テディベア / Teddy Baer だ。最も当時は小さな熊という意味のベールレ / Baerle という名前で売り出された。この世界最初のテデイ ベア(3000個)を米国に送るが、

「気に入らない。」

として返品されてしまう。

これに気を悪くしたマーガレットはライプチッヒで開かれたメッセで会社の他のぬいぐるみと共に、このベールレも展示する。これをメッセでベールレ見て購入したのが、ルーズベルト大統領の秘書であった(そうだ) 。

このぬいぐるみをプレゼントされたルーズベルトの子供達は大喜び。そこで、このぬいぐるみを(発音できないBaerleではなく)簡単に父親のニックネーム、テデイ / Teddyと読んだ。こうしてテデイ ベア(の名前が)誕生した。

その後のテデイ ベアの人気はご存知の通りだ。今ではシュタイフのぬいぐるみといえば、誰もがテデイ ベアを連想するまでに至っている。

この世界で大人気のぬいぐるみは、 重度の小児麻痺の障害にも負けずに、自分の意思を貫いた偉大な女性の遺産だ。五体満足な体に産まれたにも関わらず、運命の意地悪で挫けそうなったら、このぬいぐるみを見て新たに勇気を奮い起こそう。

シュタイフのぬいぐるみ は中国製?

日本なら会社が大きく成長すると、東京に本社を移すもの。

ところがシュタイフ社は未だにギンゲンにある。もっとも会社の業績は21世紀に入ってから停滞している。その原因にのひとつが、高い金を払ってくれる収集家に製品の重点を置き過ぎたこと。本来の客層である子供(の両親)へのアピールが足らなかった。

又、シュタイフ社は利益率をあげるため、裁縫工場を中国に(一部)移した。が、中国製のぬいぐるみは品質が悪くて、品質チェックに合格しなかった。2010年、同社製造拠点をすべてドイツに戻す事を決定。

参照 : sueddeutsche.de

今ではシュタイフのぬいぐるみは有名なオリジナルのサイン、「耳のボタン」に”made in Germany”が復活しています。

シュタイフのぬいぐるみ 耳のボタン

その後、同社の売り上げも回復。

参照 : de.statista.com

ドイツには中国に進出したものの、現地での生産レベルの低さで満足した製品が作れず、中国から撤退するケースが多いです。

-ドイツ近代、現代史, 経済史

執筆者:

nishi

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