ドイツ近代、現代史 政治 & 軍事史

NATO ダブル決議 – ソビエトの核弾頭の脅威

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NATO ダブル決議 の結果、廃棄されたソビエトの中距離核弾頭ミサイルSS-20

日本海に向けて弾道ミサイルを発射して近隣諸国を挑発する北朝鮮。これに対して無力な日本政府の姿は、実に歯がゆい。70年代、ドイツは同じ問題に直面した。ドイツの政治家は仮想敵国の脅威を頑として受け入れず、NATOを説得して対抗措置を実施した。

その結果、”INF”と呼ばれる中距離核戦力全廃条約が結ばれることになった。そう、まさに今年2019年に米国が条約破棄を宣告したあの条約だ。

参照 : tagesspiegel

当時、どうして小さな西ドイツは超大国ソビエトの中距離核ミサイルに対抗する措置を取ることができたのか?

日本は何故、指をくわえて見ているだけなのか。そのはドイツと日本の政治家の根本的なの違いに起因する。ドイツがどうやって当時この危機に対抗したか、その顛末を紹介してみようと思う。

冷戦時代

60年代後半、アメリカとソビエトの首脳部は、核弾道ミサイルの軍備増強競争で限界に達したと感じた。お互いを破滅させてもまだ余りある核弾道を保有していたのだ。これ以上の軍備増強は意味がない。そこでまだベトナム戦争が厳しさを増している1968年、これ以上核弾道ミサイルを増強しないという条約を結んだ

70年代になると”SALT 1″、”SALT2″条約で、お互いに核弾頭の数を制限する条約に同意した。実はこの条約締結に先だって、ソビエトはこの条約に中距離ミサイルも含んで包括的な条約にしてどうかと、米国に打診した。ところが当時のフォード大統領はこれを拒否、大陸間弾道ミサイルに限って弾頭の数を制限する条約になった。

ソビエトの核弾頭の脅威

米国側が中距離ミサイルの核弾頭制限に感心を見せなかったので、ソビエトは3つの弾頭を持つ新型ミサイル、”SS-20″を開発した。このミサイルは射程距離が5400kmもあり、西ドイツ全土をを射程距離に置いた。おまけに3つの核弾頭を保有しているので、一発でボン、ケルン、デユッセルドルフを消去することができる。

これは西ドイツにとって大きな脅威であり、時のシュミット首相には容認できるものはなかった。ところが米国のカーター大統領(後に平和ボケ大統領として有名になる)は、「米国には届かないから関係ない。」と、ソビエトにGoサインを出してしまった。

米国からの反対、報復を予期していたソビエトには、これは逆に驚きだった。同時にカーター大統領のナイーブさ見抜き、これが後のアフガン侵攻につながることになる。

カーター政権の反応は、今のトランプ大統領が、北朝鮮が弾道ミサイルを発射しても、「米国には届かないからどうでもいい。」と言ってるのと同じ反応だ。基本的にこれが米国の基本姿勢なのだが、これに怒ったのがシュミット首相だ。「ドイツの都市を消し去る能力があるミサイルの配備を許してはならない。」と、対抗策を考案した。

NATO ダブル決議 とは?

対抗策と言っても、ドイツが核弾頭を搭載できるミサイルを開発するわけではない。ソビエトの中距離核弾頭はドイツだけではなく、ほぼ西ヨーロッパ全域を射程に置いていたので、NATOが結束してソビエトの脅威に対抗する必要がある。米国と違って、核弾頭の標的になっている国からの賛同は得られやすい。

そこでシュミット首相が考案した対抗策は以下の通り。

  • NATO が欧州の各都市に向けたミサイルの配備をやめるようにソビエトと協議を始める。
  • ソビエトがこれに応じない場合は、ドイツを含めた欧州内に米国製の中距離核ミサイル、主にパーシングⅡ型ミサイルを配備する

これがNATOダブル決議と呼ばれる段階の戦略だ。

大ブーイング

ドイツ国内に(必要とあれば)核ミサイルを配置する案は、西ドイツ国民の間で、大ブーイングを巻き起こした。二度の敗戦で平和主義者になってしまったドイツ人は、「墓場の平和」のほうが、核ミサイルで守られる平和よりもいいと考えた。

毎週、大きなデモがあり、政府与党の支持率は下落した。しかしシュミット首相は態度を変えなかった。アメリカで共和党出身のレーゲン氏が大統領に就任すると、ソビエト連邦を”Evil Empire”/ 邪悪な帝国と呼ぶだけあって、

欧州のパートナーへの脅威をアメリカへの脅威と同様にとらえることに同意した。こうして NATO がまとまってソビエトの核弾頭の脅威に抵抗することが決まった。

NATO ダブル決議

1979年12月、NATO にてダブル決議が採択された。その具体的な内容はシュミット首相の提唱通り、

  • ソビエトのSS-20中距離核ミサイルに対抗するため、核弾頭を備えたパーシングⅡ型ミサイル、それにトマホークを欧州に配備する。
  • 同時に、射程距離1000キロ~5000キロまでの中距離核ミサイルの軍縮をソビエトと協議する。

というものだった。

ドイツ国内での反響

NATOダブル決議のドイツ国内での反響は、すぐにやってきた。ドイツ国民はシュミット首相を”Kriegstreiber”(戦争扇動者)と呼び、かってない規模の平和デモが開催された。すると政府与党の内部でも、首相の決断に対する非難が高まった。

「全国民を敵に回しては、次の選挙で勝てない。」と党内での支持者はめっきり少なくなり、首相は党の内で孤立した。病気で首相の座を譲った(前)ブラント首相さえも、反対に回った。

日本政治家ならここで辞任するが、シュミット首相は孤立無援になっても、頑として意見を修正しなかった。ドイツをソビエトの核の脅威から守るには、この案しかないのだ。

いくら反対の声が多くなっても辞任しない首相に対して、野党の CDU は妙案を思いついた。当時、社会民主党を連立を組んでいた FDP は地方選挙で大敗を喫した。このままでは、ますます支持率を失うことは明白で、敵と味方を変えたがっていた。

政権交代

ここで CDU 党首のコール氏は、国民から総スカンをくらっている社会民主党と組むよりも、CDU と組めば政権に残れて支持率も上昇すると FDP を説得した。CDU が国会で不信任案を出すと、次期首相にはコール氏が就任することは、誰の目にも明らかだった。

演壇に立ったシュミット首相だが、「FDP は今後4年間、社会民主党と連立を組むと宣言したではないか!」と裏切りを叱責、野党の卑劣な手段を批判した。というのもドイツ史上、総選挙で政権が交代することはあっても、連立政権のパートナーが敵に寝返って政権が交代したことは一度もなかった。

連立政権は人気が下火になっても一蓮托生で、最後まで運命を一緒にするものであった。これまでは。弁舌巧みな首相に名指しで非難されると、この後で首相に選出されるコール氏もばつが悪そうで、まるでいたずらで叱れる生徒のように下をむいたままだった。

しかしいくら弁才を発揮しても、来るものは止められなかった。国会で不信任案が採択されると、過半数が不信任票を投じてシュミット首相の時代に終わりを告げた。次いで首相の選出選挙が行われた。コール氏が過半数を獲得すると、氏は大喜び。

そのコール新首相に最初にお祝いを述べたのが、策略で首になったばかりのシュミット首相だった。歓喜するコール首相は、あれほど氏を非難していたシュミット(前)首相が歩み寄ってきた意味がわからない様子だったが、祝辞を述べられると喜び驚いた表情で、握手を交わした。

これがテレビで放映されたのが理由かもしれないが、以後、前首相が、新首相に最初に祝辞を述べるのが、(書かれていない)首相交代のシーンの定番となった。

政権交代後、NATOダブル決議はどうなった?

NATOダブル決議を非難して首相の座に収まったコール首相だが、世論への公約とは裏腹に、決議を順守、実行した。コール首相もドイツをソビエトの核の脅威から守るには、NATO加盟国が一団となって対抗するしか方法がない事を知っていた。

怒った国民は国民投票の実施を要求、実際に国民投票が行われて過半数が核弾頭ミサイルのドイツ国内への配備を拒否した。が、国会では過半数の議員が核弾頭ミサイルのドイツ国内への配備に賛成。こうして108機のパーシングミサイルがドイツに配備されることになった。

この公約破りでコール首相の支持率は下がり、墓場の平和を望んでいた市民はがっかりしたが、すでに時遅し。公約破りを罰すにも、次回の総選挙を待たねばならず、その頃には流石の市民もNATOダブル決議の必要性を理解しており、コール首相の公約破りを許してしまった!

NATOダブル決議がINFに

欧州各国に核弾頭ミサイルが配備され、モスクワは言うまでもなく、ソビエトの心臓部を狙っていると、ソビエト首脳部にも分が悪くなった。米国国内から発射された大陸間弾道弾と異なり、西ドイツから発射されたミサイルは目標に数十分で到達する。ソビエトにはこれに反応するのに必要な時間がない。

1985年、ソビエトの書記長に就任したゴルバチョフは西側に中距離核ミサイルの削減条約を打診してきた!こうして軍縮協議が始まり1987年にはINF条約の締結に至った。

参照 : wikipedia

この条約でソビエトと米国(を含む西側)は、射程距離500~5500KMの中距離核弾頭ミサイルの完全廃棄に同意した。こうしてドイツの都市を狙っていたSS-20核ミサイルは廃棄された。こうしてドイツ人は再び枕を高くして眠ることができるようになったが、それもこれもシュミット(故)首相の尽力の故だった。

INF条約の締結後、「やっぱりシュミットは正しかった。」と氏の評価はこそあがったが、氏の政治家としてのキャリアは終焉した後だった。(故)シュミット首相は退任後、「国民には全体像が見えないから、正しい判断ができない。政治は本職の政治家に任されるべき。」と、口癖のように語っていた。

日本政府は何してる?

あれから40年後、日本は当時のドイツと似たような状況に置かれている。アメリカ側が北朝鮮の弾道ミサイルを脅威とみようとしない状況まで、そっくり同じだ。唯一違うのは、これに対抗できる戦略を立て、同盟国を説得できる政治家がいない事。

トランプ大統領が、「アメリカには届かないから問題ない。」と言った際、日本の首相はアメリカで余っているトウモロコシを我々の税金で買い取り、トランプ大統領の人気取りに貢献した。そして北朝鮮の弾道ミサイルの発射で国連の安全保障会議の招集を要求したのは、日本政府でもアメリカ政府でもなく、ドイツ、フランス、そしてイギリスの欧州政府だった。

参照 : spiegel

日本政府は一体、何をしているのだろう?

日本政府の無策には、日本人は政治的なナイーブさも大きな役割を演じている。ロシアの大統領との会談が組まれ平和条約の話になると、「北方領土が帰ってくる。」と喜ぶ日本人。しかしそのロシアは慈善家ではない。ウクライナに軍隊を送り、数千人の軍人、民間人を殺害してクリム半島を軍事占領した。

ロシアの対空ミサイルで民間旅客機を撃墜して、数百人が犠牲になっても、その責任を取ることを拒否、未だにウクライナ領内に兵器を送り、殺戮行為を続けている。そのロシアが北方領土を返すなど、夢物語。しかし日本人にはこれがわからない。

同じことが北朝鮮にも当てはまる。独裁者が唯一の生き残りカードである核ミサイルを放棄、「核のない朝鮮半島」とキャンペーンを張ると、拉致問題で何度も煮え湯を飲まされている日本人が、まっさきにこれを信じて疑く事を知らない。

経済制裁で困ってる北朝鮮が、その打開策で鼻の先に人参をつらすと、これを信用する日本政府(それに今の韓国政府)。独裁者が近隣諸国を脅すカードがなくなれば、ただの張子の虎になるので核を放棄することは、決してない。そんな基本的なことがわからない政府に、核弾道ミサイルの対抗措置を取れるわけもない。

ドイツの政治家は自身の政治生命が断たれても、ドイツへの脅威を取り除く努力を惜しまない。一方、日本の政治家は国内での人気(政権獲得、維持)にしか興味がない。こんな状況+トランプ政権ではお先真っ暗だ。

-ドイツ近代、現代史, 政治 & 軍事史

執筆者:

nishi

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