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SPD NRW州選挙で大敗を喫す! その原因は何処に?

投稿日:2017年9月22日 更新日:

SPD NRW州選挙で大敗を喫す!その原因は何処に?
今年は秋に総選挙がある。

5月14日、デユッセルドルフが州都のノルトライン ヴェストファーレン州(以後、NRW と略)で州選挙があった。

この州にはドイツの全人口のほぼ1/4が住んでいるので、
「小さな全国選挙」
とも呼ばれ、4月後に行われる総選挙の指針となる大事な選挙だ。

過去、ここで勝った政党が総選挙で勝利を収めてきた。逆に言えば、NRW 州選挙で負けた党が総選挙で勝った試しはない。少なくともここ20年では。

そこで総選挙の結果を占うNRW 州選挙の結果を紹介してみよう。

ノルトライン ヴェストファーレン州

ドイツの地方政治をご存じない方がほんどだろうから、かいつまんで解説しておこう。

この州は元来、社会民主党(以降SPDと略)の地盤であった。理由は日本でも歴史の時間に習うルール工業地帯だ。

ここで採掘される石炭を利用して、クルップを筆頭にドイツの軍需産業が栄えた。戦後、軍需産業は下火になったが、鉄鋼業で沸いた。

労働者の支援を受けたSPDは、他の州から大きな会社がNRWに進出してくるのを阻止した。

たくさん企業が出てくると労働者の取り合いになり、賃金が上昇するのを妨げるのが目的だ。

ところが石炭と鉄鋼が下火になると、他の産業がないのでNRW州は大不況に見舞われた。

NRW 州の大都市、デューイスブルク、ボッフム、オーバーハウゼンなどはゲットー化が進み、ドルトムント、エッセンもこの波に飲み込まれつつある。

州政府、すなわちSPDはやっと過ちを悟って大企業を誘致しようとしたが、大企業はこの州にまだあった工場を閉鎖、東ヨーロッパに工場を移転、産業の空洞化が止まらない。

SPD NRW 州政権に返り咲く

不況に対して一向に効果的な手段を見出せないSPDに愛想を尽かした選挙民は、12年前、キリスト教民主党(以後、CDU と略) に鞍替えした。

こうしてNRW 州で30年ぶりのCDU政権が誕生した。ところが政権は変わっても、不況に対して打つ手なし。

4年後には選挙民に愛想をつかされて、NRW 州の政権は再びSPDに戻ってきた

もっともSPDは緑の党とあわせても過半数に達しないため、議案を議決するには左翼政党のご好意にすがる形だったが。

それでもなんとか政権の奪取に成功した。

ここで州知事に就任したのがクラフト女史で、緑の党の代表も女性だったので、

「女性パワーでNRW 州を改善させる。」

と約束した。クラフト女史にとって幸運だったのは、リーマンショックが巻き起こした不況が底を打って、女史が政権を獲得すると景気がゆっくりと回復を始めたことだ。

選挙民はこれを女性パワーのお陰と感謝、2012年の州選挙ではSPDは緑の党と合わせて過半数を獲得した。

選挙で勝利したクラフト女史は将来の首相候補と持ち上げられて、党首代理という立派な役職までもらった。

改革遅れ

NRW州 は過去の負の遺産に加えて、他の州よりも高い企業税、複雑怪奇な規制で悪名高い。

ドイツで会社なり工場を作るなら、人件費と土地が安い東に行けば、細かい規制で悩まされず、税率も低いので会社に残る金(儲けが)大きくなる。

東が嫌なら、インフラが整備されているヘッセン州、バーデン ヴュルテンベルク州、ニーダーザクセン州など選択肢は多い。

SPD はこうした点の改革に着手すべきだったが、緑の党との兼ね合いもあって、ほとんど手付かずの状態だった。

お陰でNRWは好景気に沸くドイツでも、ブレーメンなどと同じく、景気の波に乗り損ねた州のひとつと化した。

女性が大量に移民に襲われる

さらに間の悪いことに2015年12月31日にケルンで女性が移民に大量に襲われる事件が発生した。

にもかかわらずケルンの警察署長は、「のんびりとした年越しでした。」と発表、この一件をもみ消そうとした。

政府の広報機関となっている日本のメデイアと異なり、欧米のメデイアは警察の公式な発表などは信用しない。

メデイアの仕事は政府や警察の発表を記事にすることではなく、独自の取材をして、記事を書く事だからだ。

そして今回も独自の取材で、正反対の事実を証明した。おそらく州政府から圧力を受けたのだろう、ケルンの警察署長は、

「事実隠蔽」

の罪をひとりでかぶって辞任した。

クラフト州知事の大きな誤算

この事件の一抹で、

「NRW 州の内務大臣、イエーガー氏が事件をふせるように警察署長に指示を出した。」

と周囲で語られた。事件後に開かれた調査委員会でイエーガー氏は、

「知りません、覚えていません。」

で逃げおおせた。クラフト州知事はこの時点で同氏を、メルケル首相がやるように、全責任を取らせて首にすべきだった。

チュニジア人、ベルリンのクリスマスマーケットでテロを実行!

2016年12月にベルリンでチュニジア人よるテロが発生、12名が犠牲になった(注1)。

事件が起きた当初から、

「何故、警察はテロを止められなかったのか。」

と警察の対応が問題になった。

というのもテロリストのアムリはNRW州で難民申請を出していたが、これを拒否されて強制帰国するべく警察に収容されていた。

しかしアムリはパスポートを破棄しており、警察は

「チュニジア政府がパスポートの再発行をしてくれない。」

と、アムリを釈放してしまったのだ。警察は、

「拘束期間が90日までしか認められていないから。」

と正当防衛した。

実際には強制送還者の身柄拘束期間は、裁判所に申請すれば90日以上に延期できるのだ。しかしその手間を惜しんで、アムリを釈放してしまった。

釈放後も警察は引き続きアムリを監視していた。

チュニジア政府から、

「アムリはテロリストである。」

との報告が来ていたからだ。

ところがアムリを監視していた警察は、アムリがラマダンを無視して食事を取り、酒も日常飲んでいるので、「イスラムの戒律を守っていないから、テロリストではない。」と判断した。

警察はアムリが、

「準備が出来た。いよいよ妹と結婚する。」

というテロ決行のメッセージを送ったことまで把握していたのに、何も処置を取らなかった。

その挙句がベルリンで発生したテロで、12名の市民、観光客が犠牲になった。

「何故、収容期間の延長をしなかったのか。」

と聞かれたNRW州の内務大臣、イエーガー氏は、

「知らなかった。落ち度はなかった。」

と保身に尽くした。

クラフト州知事は遅くてもこの時点で役に立たない内務大臣を首にすべきだったが、これをしなかった。

同氏を首にすることで、間接的に落ち度を認めることを心配した。それに選挙戦も始まっている。

選挙の後でいずれ新政府を組むので、その際に内務大臣をすりかえればいいと楽観した。

SPD NRW州選挙で大敗を喫す!

クラフト女史の対立候補はCDUのアルミン ラシェット氏。

「パットしない。」

という言葉がぴったり当てはまる政治家だった。女史は4年前に同氏を蹴散らして勝利しており、今回も楽勝になる筈だった。

半年前は世論で快適なリードを保持していたクラフト女史だったが、選挙前になると風向きが変わり、ラシェット氏が世論調査で並ぶまで迫ってきた。

シュレスビヒ ホルシュタイン州選挙ではCDUが躍進、西で州をSPDから奪取した。

シュレスビヒ ホルシュタイン州選挙の結果は、風向きが変わった事を告げたが、クラフト女史の人気は(まだ)高かった。

世論調査でのSPDの不調の原因は、他の箇所、例えば内務大臣にありそうだった。しかし今更、何もできなかった。

18時に選挙速報が出ると、明暗がはっきりわかれた。

SPDは過去最低の31%にまで投票率を落とし、CDUが33%獲得して第一党に躍進した。

クラフト女史は過去8年間のツケが回ってきたことを悟って、党のすべての役職から辞任した

「女性パワー」

という言葉は響きが良かったが、

1.構造改革を怠って経済発展から取り残された
2.大きなミスを犯した内務大臣をクビにせず、事実隠匿の嫌疑かけられた

のが敗因となった。

注釈 (注1)- SPD NRW州選挙で大敗を喫す!

ベルリンでテロを実行後、アムリは欧州全域で指名手配されたが、電車で堂々とフランスに移動、同志とテロの成功を祝った。

その後、またも電車を使いイタリアに移動した。国際手配が出ているのに、ドイツとフランスの警察の目を見事にかいくぐった。

ところがである。よりによって(役に立たないイメージの)イタリアの警察官、それも一番階級の低い交番勤務の警察官にアムリは発見された。

警察に声をかけられたアムリは直ちに銃を抜いて発砲したが、そこは素人。逆に警察に射殺されてしまった。

イタリアの内務大臣は、

「ドイツとフランスの警察の監視をかいくぐったテロリストを(よりによって)イタリアの交番警察官が発見、無力化した。」

と記者会見で誇りを隠せない様子だった。

参照 : Spiegel

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執筆者:

nishi

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