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安楽死 – 自殺を選ぶのは個人の権利なり【最高裁判決】

投稿日:2020年7月31日 更新日:

タブーの少ないドイツで、 安楽死 は最後まで残っているタブーのひとつ。

その原因はナチス時代の犯罪にある。ヒトラーの思想、

「障害者は種を劣化させる。」

に基づいて、中央管理事務所 T4 / Zentraldiensthilfe T4 が障害者の組織的な殺害を計画・実行した。この計画により7万人が殺害された。

参照 : .wikipedia.org

これがトラウマになって、戦後のドイツでは安楽死はタブー視されていた。21世紀になってから、

「重病で治る可能性がなく、苦しむだけの人には安楽死を可能にするべきだ。」

との議論がたかまった。果たしてドイツは過去のトラウマから脱却することができるだろうか。

安楽死 擁護派

病気が治る可能性がなく、痛みを伴うだけの人生、体が動かせずベットの上で死を待つだけの人生に、どんな価値があるのか。

不治の病に悩む者が尊厳死を選ぶのかどうかの選択、これは国が決めるべきものではなく、本人の権利である。

これが安楽死擁護派の主要な主張だ。一体、この主張にどんな反対理由があるのだろう?

安楽死 反対派

安楽死に反対派は、ドイツでは二派にわかれている。

まずは過去のナチスの殺戮が、形を変えて繰り返される事を腐心している慎重派。法律で安楽死を可能にすれば、

「家族に負担をかけたくない。」

という経済的な理由で安楽死を選ぶ人がでると考えられる。もっとひどいのは周囲から、暗に圧力をかけられて安楽死が選ばれる事を心配している。

もうひとつは教会派。

命を授けたのは神様なので、これを取るのは神様だけの特権という、中世の頃から進歩してない考え方。実はドイツにはこの考えを信奉しているひとが、意外に多い。

花束とマリア像

安楽死の消極的な補佐は合法

昔のドイツでは安楽死という言葉さえタブーだった。

安楽死という言葉を聞くだけで、拒絶反応を起こすので議論にはならなかった。やっと感情的にならない議論ができるようになったのは、90年代になってから。

安楽死の擁護派の意見は、安楽死というテーマに耳を閉ざしてきたドイツ国民にはショックだった。これにより安楽死を悪を決めつける姿勢が、徐々に変化してきた。結果、今の刑法では安楽死の消極的な補佐は合法とされている。

安楽死の消極的な補佐とは、医師が安楽死できる薬などを用意、患者がこれを摂る分には刑法に抵触しない。刑法で処罰の対象にされているのは、 “gewerbsmässige Beihilfe”というもの。そのまま翻訳すれば、「仕事としての補佐」という意味。

これは医師などが積極的に安楽死の手伝いをする事を指している。これを許すべきかどうか、2015年に大きな議論が戦われた。

仕事としての補佐を合法化せよ!

その議論のきっかけになったのは、筋萎縮性側索硬化症 /ASL という直る可能性のない病気で苦しみ続ける患者団体からの、

「仕事としての補佐を合法化せよ!」

との要求だった。この病気が進行すると、指一本動かせなくなる。すると24時間の介護が必要なのだが、意識がはっきりしてるので、ベットの上でじっと時が過ぎるのを待つ人生。

指ひとつ動かせないので、安楽死のための消極的な補佐さえも役に立たない。どうしても積極的な補佐が必要になる。

しかし現行の法律では医師がこれを行うと、刑法2017章に抵触する。

これが故に患者団体は安楽死の完全合法化を要求した。

国会で決議が行われるに先立ち、

「各人、良心にのみ従って投票するように。」

との党から自由な裁量を任された。投票の結果、過半数は仕事として補佐、安楽死の合法化に反対した。カトリック教の勢力地域出身の議員の多くが、反対の投票をしたのが決定打だった。

しかし患者団体はこの国会での決議を不服して、訴えを起こした。こうして仕事としての補佐、安楽死が合法かどうか、最高裁が判断することになった。

安楽死 – 自殺を選ぶのは個人の権利なり【最高裁判決】

判決が出るまで5年近い月日が流れたが、ついに2020年2月26日、最高裁で判決が下った。

最高裁は仕事としての補佐を禁止した法令は、違憲であると判断した。

参照 : tagesschau.de

判決理由

個人は自分で人生を選ぶ/決める権利がある。個人が自殺を選ぶのもの、この個人の権利の範疇である。国、そして社会は個人のもう生きたくないという事実を、受け入れなければならぬ。

言い換えれば自殺を選ぶのは、これを安楽死と呼ぼうが、尊厳死と呼ぼうが、個人の権利であると判決した。

この判決の反響は大きかった。とりわけ宗教団体はこれに反対した。しかし最高裁の判決が出た時点で、法律の改正はまだ行われていないが、安楽死は完全に合法となった。

哀しいことに安楽死の完全合法化を訴えた患者のほとんどは死去して、この判決からわずかな利益を享受することはできなかった。しかし今後の世代はこの判決で、自分の人生を自由に決めることができる。

議論の文化 vs. 精神主義

最高裁の助けが必要ではあったが、ドイツは議論の文化のお陰でトラウマを克服できた。

一方、日本はどうだろう。

日本は精神主義の国。冗談かと思ったら、

「心頭滅却すれば火もまた涼すずし。」

と、真顔で言うから恐れ入る。原因不明の慢性的な苦痛に悩んでいても、

「考え方次第で楽になる。」

と、21世紀になって治療を放棄しているのが日本。ドイツのように大麻を治療に使うなんて、もってのほか。日本人は大麻を治療に使うと、社会の悪い例になると考える。

そんな国では安楽死が許されるわけもなく、社会は治る見込みのない病気にかかった個人が苦しむに任せている。そして一向に議論が起こる気配もない。

仮に議論が起こっても、言い出しっぺは、社会の秩序を乱したとして社会から抹殺される。性的暴行を訴えた女性がその典型的な例。

島国根性と言ってしまえばそれで終わりだが、あまりにも閉鎖的。こうして社会に「置き去り」にされた人は、社会への復讐として通行人を刺し殺すなどの自棄的な行動に出る。日本で突発的な殺人事件が多いのは、この社会の圧力によるものだ。

若い人は是非、海外に出て、異なる考え方に触れてください。日本での当たり前、すなわちあなたの考え方が、世界の非常識であることに否応なく、気づかされます。こうしてやっと視野が広くなり、他の意見にも寛容になれます。

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執筆者:

nishi

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