シュトラースブルク

街の紹介 Straßburg / Strasbourg

シュトラ-スブルクはドイツとフランスの国境になっているライン川の対岸にある街。エルザス(アルザス)最大の都市で人口は28万人。大学や州議会はおろか欧州議会まである政治の中心地。さらにはとても有名な観光名所でもあり、ユネスコから世界遺産都市の指定も受けています。歴史上価値のある史跡、家屋がそこら中にちらばっており、まるで宝箱のよう。フライブルクから電車で1時間(接続により1,5時間)の距離にあるので、シュトラ-スブルクは遠足先の最優先課題に挙げておきましょう。

町の歴史は古いく、河沿いのこの地域に紀元前1300年の居住跡が見つかっています。紀元前にはローマ帝国の植民地になり、ローマ兵が駐屯していました。4世紀になると東からゲルマン民族の侵入が続きます。まずはアレマーネン、これ続いてフランケン、そしてフネンまでやってきて、5世紀にはゲルマン化されます。中世にはフライブルクからシュトラースブルクに居を移した貴族、ミュレンハイム家とエルザスのツォルン家が町の覇権を巡って競争を繰り広げ、町は経済的に発展していきます。町が豊かになると教会を建てるのが中世。12世紀から11世紀に焼け落ちた教会の跡地に大聖堂の建設が始まり、やっと15世紀に完成するという大事業。大聖堂(ミュンスター)の尖塔は142mもあり、19世紀まで「世界で最も高い建築物」でした。13世紀にはこの両家の権力に嫉妬した司教との間で戦争になりますが、司教軍は敗退、町は神聖ローマ帝国の”Freie Reichsstadt”(自由都市)に昇進します。

時を同じくして(13世紀)仲の悪かった貴族同士の争いが、武力抗争に発展する。これがきっかけで、「貴族がでかい顔をするのはコリゴリ。」と市民が貴族に反抗、「職人同盟」が町の実権を握ることになる。時を同じくして最初のペストの波がシュトラ-スブルクを見舞う。誰かが、「ユダヤ人の仕業だ。」と言い出すとユダヤ人狩が始まり、数百人もの無実のユダヤ人が磔刑に処せらる。その後も18世紀末まで、ユダヤ人は町への侵入を禁じられていました。15世紀にグーテンベルクが活版印刷を発明すると、シュトラースブルクはその印刷技術で有名になり、欧州の印刷業の中心地となる。このため町の中心部には「グーテンベルク広場」を設けて、町の繁栄に貢献したドイツ人に感謝している。17世紀にオスマントルコ軍がウイーンに侵攻してくると、ハープスブルク家は帝国の領土を守るのに手一杯。この間隙を利用してルイ14歳はシュトラースブルクを占領してフランス領に。もっともその後もシュトラースブルクは「フランス内の外国領」として扱われます。シュトラースブルク大学ではドイツ語で講義が行われたり、シュトラースブルクはフランスの関税から解放されるなど特別扱いを受けて、ドイツの影響が深く残ることになりました。

19世紀初頭にはナポレオン一世はシュトラ-スブルクに居を構え、ジョセフィーヌと一緒に住んでいました。普仏戦争ではプロイセン軍はシュトラ-スブルクを包囲、クルップの大砲で1ヶ月に渡って砲撃します。1ヵ月後にシュトラースブルクはドイツ軍に降伏しますが、図書館など貴重な建物とその蔵書が失われてしまう。戦争に勝ったプロイセンは、ライン川西の地域を占領、”Elsaß-Lothringen”という新しい州を設けてドイツ領になる。第一次大戦のドイツ敗北でシュトラースブルクはフランス領に。1940年のドイツ軍の侵攻でまたドイツ領に、最後にはドイツ軍の撤退により1944年最終的にフランス領となった。このような歴史的背景があり、シュトラースブルクの街にはフランス的要素とドイツ的要素が交じり合っている。(ちなみにゲーテは、この街の大学に通っている。)日本では、「エルザスではドイツ語が通じる。」と言われていますが、通じません。若い人なら英語が通じますが、ドイツ語は不可。

第二次大戦ではあ主戦場にならなかったので、この街は大きな被害を免れる事ができ、歴史的な建造物が多く残っています。すべてここで挙げる事はできないので、幾つか有名な場所を挙げてみます。まずは街の真中に聳え立つカテドラル。日が暮れてからナビゲーションを頼りに真っ暗中な国道をこの街に向かっていると、最初に見えてくるのがライトアップされたカテドラル。感動物です。ただ大きすぎます。横からじゃないとレンズに収まりません。正面に入り口(それとも出口)が3つもあります。以前はここから勝手に入れましたが、今回行くと「入り口は横」と書かれて長い列が出来ていました。お金を取るようになったようです。カテドラルの横に建っているのが、”Palais Rohan”という宮殿で、かっての司教様の家。入り口の飾りが素晴らしい。その横にある綺麗な家屋と同じく、美術館として使用されている。カテドラル(独:ミュンスター)のある広場はミュンスター広場(独語)というが、この周囲では観光客を狙った物乞いが多いです。ただの物乞いではなく、スリも混じっています。絶対に近くに寄らせないように!教会に注意を取られて注意散漫になっていると、お財布がなくなっていますよ!

カテドラルの横にはKammerzellhausという木材作りの家(ドイツ語ではFachwerkhaus)が建っている。この建築物はFachwerkhausの代表的な建築物とされており、見事な細工に見惚れてしまう。カテドラルの周辺を歩いてみよう。カテドラル手前に、「グーテンベルク広場」があるので、カテドラルを見にいくときっと前を通る筈。グーテンベルクの銅像と回転木馬があるので、すぐにわかります。これまで4回ばかりシュトラ-スブルクに来きましたが、いつも冬。稼働中の回転木馬を見たのはこれが初めてです。横道に入ってカテドラルを見上げても、そこに並んでいる家屋を撮っても絵になります。道路に戻って先に進むと、町の周囲をぐるりと巡っている運河(かってのお堀)に行き着きます。運河にかかっている橋には、「これでもか!」というくらい花が生けられてます。流石、おフランス。ここから遊覧船に乗船できます。逆側を向いても絵になります。運河沿いの大きな建物、看板から推測して馬車&渡し舟屋みたいでしたが、実は税金がかかる品を税金を払うまで保管した倉庫です。その後、デパートとして使用され、今日ではレストランになってます。運河沿いにはこれまた綺麗な家屋がずらり。この先に”Petite France”という有名な観光名所があるんですが、そちらには後でいきます。

ここ(運河から大聖堂)は、ホテル、レストラン、お土産屋が所狭しと並ぶ場所。レストランではエルザスの郷土料理”Flammkuchen”が人気で、あちこちで看板が出ています。また大聖堂まで戻ってきたので、今度はKammerzellhausの横の道を進んでみます。すぐ先にパン屋、兼、ケーキ屋がありました!その種類の豊富さには圧倒。お値段も立派でした~。ドイツのケーキ屋には、こんな種類はありません。シュトラースブルクには綺麗な建物が多過ぎ。気がつけばBroglie広場に来ていました。ここは蚤の市になっています。欲しい物はないので、ズンズン歩いていくと記念碑(慰霊碑)が。てきっり第二次大戦の戦没者の慰霊碑かと思いきや、違うようです。マーシャル(元帥)という文字だけ解読可能。近くに海軍省もあるので、有名な元帥の像なのかしらん。調べてみると1994年11月にドイツ軍の支配から町を開放した将軍の功績を称えるオベリスクでした。その後ろにあるのは、”Opera”の言葉が見えるので劇場です。

劇場の先にレプブリック広場(カイザー広場)が見えてきます。緑が目に痛いです。見事な彫刻もありますが34度の猛暑、ゆっくり眺めている人の姿はなし。急ぎ足で周辺を偵察。この国会みたいな立派な建造物は、見間違いでなければ国立図書館。お見事です。ここには”Palais du Rhin”(皇帝の宮殿)も建っています。エルザスを併合したドイツ第二帝国がここに皇帝の宮殿を建てたわけです。道理でこの場所が皇帝広場というわけです。町の端っこまで歩いてきたので、戻ります。

パン屋の横の狭い道を歩いていくと、”Kléberplatz”(クレーバー広場)に出てきました。ここにあったのか!。ナポレオン戦争中の有名な将軍、クレバーの銅像が何処かに立っています。昔は巨大な駐車場だったそうですが、今は歩行者天国になっています。有名なのは”Aubette”と呼ばれる長~い建物。18世紀の建設当時は衛兵の詰め所、今はショッピングセンター。駐車場は地下にあります。この広場には子供をつれたお母さんが多いです。フランスはドイツと違い、保育園が充実しているので子供の出生率も高いんです。日本もおフランスから学んで欲しいです。

最後にとっておいたPetite Franceを見に行くため、運河に向かって南下します。運河沿いにならぶ小奇麗な家屋は、かっての皮なめし職人の家です。真っ赤な建造物は音楽学校です。橋の横にある綺麗なレストラン、見栄えは立派でしたけど、お味はいまひとつでした。あくまでも個人的な感想ですが。橋の袂の建物が立派で「ほほ~。」と感心していると、その先は、「おお~。」です。そう、ここがユネスコから世界遺産都市に指名された観光名所。素晴らしいですが、観光客が多過ぎなのが玉に瑕。遊覧船は最後の席までびっしり埋まってます。満席にならないと出発しないようです。

もっと長く見ていたいですが、今日はまだコルマーまで行く予定。名残惜しいですが、駐車場に向かって歩いていきますが、足が何度も止まってしまいます。かってシュトラースブルクは要塞化されており、町は城壁で囲まれていました。水路の入り口には、侵入してくる敵を防ぐ要塞が残っています。外側には銃眼が施されています。現在では貴重な彫刻の保管場所、そして無料のトイレもありました。

4~5時間車を止めて駐車料金5ユーロ少々。有名な観光地なので妥当な値段です。この駐車場、初めて来ると入り口が見づらいですが、入り口は広く、危ないカーブもなくて良かったです。Petite Franceまで徒歩10分です。シュトラースブルクからコルマーは高速道路があり、快適に移動できました。フランスの高速道路は有料なんですが、この区間は何故か無料。ドイツ人観光客を招致する目的?アウグスブルクから行くと、ウルムから先が工事中と渋滞で時間をロスしたものの、3時間半で到着。機会があれば、来年はもっと時間をとって訪問したいです。

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