Straßburg

街の紹介 Straßburg / Strasbourg

シュトラ-スブルクはドイツとフランスの国境になっているライン川の対岸にある街。フライブルクから電車で1時間(接続により1,5時間)の距離にある。ブリュッセルに続き二つ目の欧州議会が(必要性もないのに)設置された為、会議のある日にこの街を訪れるとホテルやレストランは一杯で全然楽しくないので、遠足を企画する場合は事前に街の観光局に会議の時期を問い合わせておこう。

町の歴史は古い。河沿いのこの地域は居住に適しており、紀元前1300年の居住跡が見つかっている。紀元前にはローマ帝国の植民地になり、ローマ兵が駐屯していた。4世紀になると東からゲルマン民族の侵入が続く。まずはアレマーネン、これ続いてフランケン、そしてフネンまでやってきて、5世紀にはゲルマン化される。中世にはフライブルクからシュトラースブルクに居を移した貴族、ミュレンハイム家とエルザスのツォルン家が町の覇権を巡って競争を繰り広げ、町は経済的に発展していく。町が豊かになると教会を建てるのが中世。12世紀から11世紀に焼け落ちた教会の跡地に大聖堂の建設が始まり、15世紀に完成するという大事業。大聖堂(ミュンスター)の尖塔は142mもあり、19世紀まで「世界で最も高い建築物」だった。13世紀にはこの両家の権力に嫉妬した司教との間で戦争になるが、司教軍は敗退、町は”Freie Reichsstadt”(自由都市)になる。

時を同じくして(13世紀)仲の悪かった貴族同士の争いが武力抗争に発展する。これがきっかけで、「貴族がでかい顔をするのはコリゴリ。」と市民が貴族に反抗、「職人同盟」が町の実権を握ることになる。時を同じくして最初のペストの波がシュトラ-スブルクを見舞う。誰かが、「ユダヤ人の仕業だ。」と言い出すとユダヤ人狩が始まり、数百もの無実のユダヤ人が磔刑に処せられて、18世紀末までユダヤ人は町への侵入を禁じられた。15世紀にグーテンベルクが活版印刷を発明すると、シュトラ-スブルクはその印刷技術で有名になり、欧州の印刷業の中心地となる。このため町の中心部には「グーテンベルク広場」を設けて、町の繁栄に貢献したドイツ人に感謝している。17世紀にオスマントルコ軍がウイーンに侵攻してくると、ハープスブルク家は帝国の領土を守るのに手一杯。この間隙を利用してルイ14歳はシュトラースブルクを占領する。もっともその後もシュトラースブルクは「フランス内の外国領」として扱われる。シュトラースブルク大学ではドイツ語で講義が行われ、シュトラースブルクはフランスの関税から解放されて、シュトラースブルクからフランス内部に輸入すして始めて関税が課されるなど特別扱いを受けて、ドイツの影響が深く残ることになった。

19世紀初頭にはナポレオン一世はシュトラ-スブルクに居を構え、ジョセフィーヌと一緒に住んでいた。普仏戦争ではプロイセン軍はシュトラ-スブルクを包囲、クルップの大砲で1ヶ月に渡って砲撃した。1ヵ月後にシュトラ-スブルクはドイツ軍に降伏するが、図書館など貴重な建物とその蔵書が失われてしまう。戦争に勝ったプロイセンは、ライン川西の地域を占領、”Elsaß-Lothringen”という新しい州を設けてドイツ領になる。第一次大戦のドイツ敗北でシュトラ-スブルクはフランス領に。1940年のドイツ軍の侵攻でまたドイツ領に、最後にはドイツ軍の撤退により1944年最終的にフランス領となった。このような歴史的背景があり、シュトラ-スブルクの街にはフランス的要素とドイツ的要素が交じり合っている。(ちなみにゲーテは、この街の大学に通っている。)日本では、「エルザスではドイツ語が通じる。」と言われていますが、通じません。英語なら若い人なら通じますが、ドイツ語は不可。

第二次大戦でドイツ軍がオランダ、ベルギー国境からフランスに侵攻した為、この街は大きな被害を免れる事ができ、歴史的な建造物が多く残っている。すべてここで挙げる事はできないので、幾つか有名な場所を挙げてみます。まずは街の真中に聳え立つカテドラル。日が暮れてからナビゲーションを頼りに真っ暗中な国道をこの街に向かっていると、最初に見えてくるのがライトアップされたカテドラル。感動物です。ただ大きすぎます。横からじゃないとレンズに収まりません。正面に入り口(それとも出口)が3つもある。以前はここから勝手に入れましたが、今回行くと「入り口は横」と書かれて長い列が出来ていました。お金を取るようになったのかな?カテドラルの横に建っているのが、”Palais Rohan”という宮殿で、かっての司教様の家だ。入り口の飾りが素晴らしい。その横にある綺麗な家屋と同じく、美術館として使用されている。カテドラル(独:ミュンスター)のある広場はミュンスター広場(独語)というが、この周囲では観光客を狙った物乞いが多いです。ただの物乞いではなく、スリも混じっています。スキを見せると財布を刷りますので、絶対に近くに寄らせないように!教会に注意を取られて注意散漫になっていると、お財布がなくなっていますよ!

カテドラルの横にはKammerzellhausという木材作りの家(ドイツ語ではFachwerkhaus)が建っている。この建築物はFachwerkhausの代表的な建築物とされており、見事な細工に見惚れてしまう。カテドラルの周辺を歩いてみよう。カテドラル手前に、「グーテンベルク広場」があるので、カテドラルを見にいくときっと前を通る筈。グーテンベルクの銅像と回転木馬があるので、すぐにわかります。これまで4回ばかりシュトラ-スブルクに来きましたが、いつも冬。稼働中の回転木馬を見たのはこれが初めてです。カテドラルの前の交通量の多い道路を下っていきます。横道に入ってカテドラルを見上げても、そこに並んでいる家屋を撮っても絵になります。道路に戻って先に進むと、町の周囲をぐるりと巡っている運河(かってのお堀)に行き着きます。日本だと自転車レーンを歩行者が歩いているか、タクシーの駐車場と化していますが、フランスではしかっり守られていました。運河にかかっている橋には、「これでもか!」というくらい花が生けられてます。ここから遊覧船に乗船できます。逆側を向いてもこの通り。流石、おフランス。この大きな建物には、こんな看板が。馬車&渡し舟屋みたいですね。実は税金がかかる品を税金を払うまで保管した倉庫です。その後、デパートとして使用され、今日ではレストランになってます。運河沿いにはこれまた綺麗な家屋がずらり。この先に”Petite France”という有名な観光名所があるんですが、そちらには後でいきます。

ここ(運河から大聖堂)は、ホテル、レストラン、お土産屋が所狭しと並ぶ場所。レストランではエルザスの郷土料理”Flammkuchen”が人気で、あちこちで看板が出ています。また大聖堂まで戻ってきたので、今度は骸骨屋敷の横の道を進んでみます。すぐ先にパン屋、兼、ケーキ屋がありました!その種類の豊富さには圧倒。お値段も立派でした~。ドイツのケーキ屋には、こんな種類はありません。教会の塔が見えたので横道に入ってみると、駐車違反の取締り中。おフランスの違法駐車は高いです。車は駐車場に止めておきましょう。(うまく写真が撮れなかった)教会を通り過ぎると、あら綺麗。地上階はパン屋だったのでアーモンドクロワッサンを購入。あ、ここも綺麗。シュトラースブルクには綺麗な建物が多過ぎ。気がつけばBroglie広場に来ていました。ここは蚤の市になっています。欲しい物はないので、ズンズン歩いていくと記念碑(慰霊碑)が。てきっり第二次大戦の戦没者の慰霊碑かと思いきや、違うようです。マーシャル(元帥)という文字だけ解読可能。近くに海軍省もあるので、有名な元帥の像なのかしらん。調べてみると1994年11月にドイツ軍の支配から町を開放した将軍の功績を称えるオベリスクでした。その後ろにあるのは、”Opera”の言葉が見えるので劇場ですね。

広場の左側に「これは兵舎でしょ。」みたいな建物があります。その先のシュールな噴水を見に行くと、その先にレプブリック広場(カイザー広場)が見えてきます。緑が目に痛いです。見事な彫刻もありますが34度の猛暑、ゆっくり眺めている人の姿はなし。急ぎ足で周辺を偵察。この国会みたいな立派な建造物は、見間違いでなければ国立図書館。お見事です。「じゃ、この建物は裁判所かな?」と思ったら劇場。「じゃ、裁判所はこれでしょ!」と思ったら、”Palais du Rhin”(皇帝の宮殿)でした。エルザスを併合したドイツ第二帝国がここに皇帝の宮殿を建てたわけです。道理でこの場所が皇帝広場というわけだ。ここでひとつ逸話を紹介。シュトラースブルクに馬車で到着したドイツ皇帝+ビスマルク+将軍御一行様。どしゃぶりの雨の中だったんです。ここでビスマルクが、「天気だけみれば、シュトラースブルクは立派なドイツ領だ。」と皮肉を言ったそうです。町の端っこまで歩いてきたので、戻ります。これがシュトラースブルクの路面電車。ドイツの路面電車との違いがわかりますか。「フランス製でしょ!」という意味ではなく、構造(哲学)の違いです。フランスのほうがかっこいい?そうじゃなくて、おフランスの路面電車はクーラー付きなんです!「どうしてわかるの?」それはね、34度の炎天下で窓が全部閉まっていれば、乗客は気絶しているか、クーラーが付いているかのどちらかです!ドイツでは我慢のサウナ電車です。

はい、戻ってきました。ここがクロワッサンを買ったパン屋の角です。先に教会も見えますよね。ところでフランスではパン屋とケーキ屋の大きな区別がないようです。ドイツのパン屋にも簡単なケーキはありますが、こんな手の混んだケーキはないです。又、ドイツのケーキ屋には、パンはありません。パン屋の横の狭い道を歩いていくと、”Kléberplatz”(クレーバー広場)に出てきました。ここにあったのか!。ナポレオン戦争中の有名な将軍、クレバーの銅像が何処かに立っています。昔は巨大な駐車場だったそうですが、今は歩行者天国になっています。有名なのは”Aubette”と呼ばれるこの建物。18世紀の建設当時は衛兵の詰め所、今はショッピングセンター。駐車場は地下にあります。この広場には子供をつれたお母さんが多いです。フランスはドイツと違い、保育園が充実しているので子供の出生率も高いんです。日本もおフランスから学んで欲しいです。

最後にとっておいたPetite Franceを見に行くため、運河に向かって南下します。交差点(運河沿い)に建ってる家、すごい飾りです~。誘惑に負けてちょっと町中に戻ると、目が移ってしまいます。この教会が見えたら、もうすぐ先です。滅多に来ないので橋を渡って対岸からこの建物も撮っておこう。はい、到着。どちらを見ても、とっても綺麗です。綺麗な家屋はかっての皮なめし職人の家です。前出のこちらの建造物は音楽学校です。この綺麗なレストラン、見栄えは立派でしたけどあまりおいしくありませんでした。あくまでも個人的な感想です。橋を渡ると、橋の袂の建物が立派で「ほほ~。」と感心していると、その先は、「おお~。」です。そう、ここが有名な観光の中心地。対岸で撮るとさらに綺麗。ただしあまり近寄ると観光客が多過ぎて、綺麗な絵にありません。この先にいつ行っても満席の人気レストランがありますので、「何か食わせろ。」というお友達はここで下ろして観光しよう。時折遊覧船がやってきますが、最後の席までびっしる埋まってます。満席にならないと出発しないようです。

もっと長く見ていたいが、今日はまだコルマーまで行って、写真を撮らなきゃならない。名残惜しいですが、骸骨屋敷が立ち並ぶ道を歩いていき、これを最後のに見納め。橋を渡ろうとすると、通行止め。そう、この橋はボートが来ると、90度回れ右(あるいは左)をするんです。お見事。「確か駐車場はこちらの方向に。」と歩いていきますが、運河沿いに並ぶ家屋が綺麗で、足が何度も止まってしまいます。川面に写る姿が綺麗で、しばらく眺めていたいです。時間があれば。これはまだ町が要塞化されていた頃の名残りで、ここが町の水路上での入り口でした。これは水路から侵入してくる敵を防ぐ要塞で、外側には銃眼が施されています。現在では貴重な彫刻の保管場所、そして無料のトイレもありました。無料と言えば、この給水塔。ローテンブルクでは小さな水が4ユーロで売られてましたよ!おフランスは無料!文化の違いですね~。

4~5時間車を止めて駐車料金5ユーロ少々。有名な観光地なので妥当な値段です。この駐車場、初めて来ると入り口が見づらいですが、入り口は広く、危ないカーブもなくて良かったです。Petite Franceまで徒歩10分です。シュトラースブルク-コルマー間は高速道路があり、快適に移動できます。フランスの高速道路は有料なんですが、この区間は何故か無料。ドイツ人観光客を招致する目的?アウグスブルクから行くと、ウルムから先が工事中と渋滞で時間をロスしたものの、3時間半で到着。案外近いです。また来ちゃうかも。