街の紹介 シュトラースブルク

シュトラースブルク /ストラスブール はドイツとの国境にあるフランスの街。アルザス地方、厳密に言うとフランス政府が”Grand Est”(大きな東)と命名、の首都です。人口は28万人にも満たないのに、欧州議会や欧州裁判所など、EUの多数の政府機関がこの街にあります。

旧市街地はユネスコから世界遺産に指名されており、これを目当てに大勢の観光客がやってきます。これまで仕事を兼ねて何度も足を運びましたが、いつも春先の3月初旬。寒くて、天気も悪く、町を堪能することができませんでした。初めて夏にやってくると、全く別の町。あちこちに花が飾られてアルザスの首都らしく、文字通り光り輝いていました。

もし時間が取れるなら、5月~9月が一番綺麗です。観光客も最も多く、ホテルも高いですが、それでも夏に行く価値有り!シュトラースブルクの町は大きいので、半日ではとても見て回れません。是非、一泊していきましょう。

行き方 – 最寄り空港

フランス国内の最寄り空港は、シュトラースブルク空港。正確には隣町の”Entzheim”にあり、地方空港なので便数は多くありません。ドイツ国内から向かう場合、最寄り空港はフランクフルト空港です。フランクフルト中央駅から電車で、接続がいい便なら2時間で行けます(悪ければ3時間)。

フライブルクに留学してるなら、電車で1時間(接続により1,5時間)の距離です。2017年には国境になっているライン側の向こうにあるドイツ側の街ケール /”Kehl”からシュトラースブルクまでの路線が開通しました!片道たったの1.7ユーロでシュトラースブルクまで行けます!

参照 : Baden Online

お陰で高いシュトラースブルクに泊まらないで、ケールで宿泊する人が増えて、街は大喜び!とにかく綺麗な街なので、近くに留学しているのに見ないで帰国すると一生後悔します。シュトラースブルクは遠足先の最優先課題に挙げておきましょう。

町の歴史

町の歴史は古く、河沿いのこの地域に紀元前1300年の居住跡が見つかっています。紀元前にはローマ帝国の植民地になり、ローマ兵が駐屯。4世紀になると東からゲルマン民族の侵入が続きます。まずはアレマーネン、これ続いてフランケン、そしてフネンまでやってきて、5世紀にはゲルマン化されます。

ミュレンハイム家 vs. エルザスのツォルン家

中世にはフライブルクから居を移した貴族、ミュレンハイム家とエルザスのツォルン家が町の覇権を巡って競争を繰り広げ、町は経済的に発展していきます。

自由都市に昇進

町が豊かになると教会を建てるのが中世。12世紀から焼け落ちた教会の跡地に大聖堂の建設が始まり、やっと15世紀に完成するという大事業。大聖堂(ミュンスター)の尖塔は142mもあり、19世紀まで「世界で最も高い建築物」でした。13世紀にはこの両家の権力に嫉妬した司教との間で戦争になりますが、司教軍は敗退、町は神聖ローマ帝国の “Freie Reichsstadt”(自由都市)に昇進します

時を同じくして(13世紀)。仲の悪かった貴族同士の争いが武力抗争に発展。これがきっかけで、「貴族がでかい顔をするのはコリゴリ。」と市民が貴族に反抗、「職人同盟」が町の実権を握ることになる。

ユダヤ人迫害始まる

この頃最初のペストの波がシュトラースブルクを見舞う。誰かが、「ユダヤ人の仕業だ。」と言い出すとユダヤ人狩が始まり、数百人もの無実のユダヤ人が磔刑に処せらる。

グーテンベルク様様

ユダヤ人はその後も、18世紀末まで町への侵入を禁じられていた。15世紀にグーテンベルクが活版印刷を発明すると、シュトラースブルクはその印刷技術で有名になり、欧州の印刷業の中心地となる。このため町の中心部には「グーテンベルク広場」を設けて、町の繁栄に貢献したドイツ人に感謝している。

フランス、シュトラースブルクを軍事占領

17世紀にオスマントルコ軍がウイーンに侵攻してくると、ハープスブルク家は帝国の領土を守るのに手一杯。この間隙を利用してルイ14世が街を占領してフランス領に。もっともその後もシュトラースブルクは、「フランス内の外国領」として扱われます。大学ではドイツ語で講義が行われたり、フランスの関税から解放されるなど特別扱いを受けて、ドイツの影響が深く残ることになりました。

ナポレオン時代

19世紀初頭にはナポレオン一世はシュトラースブルクに居を構え、ジョセフィーヌと一緒に住んでいました。普仏戦争ではプロイセン軍は町を包囲、クルップの大砲で1ヶ月に渡って砲撃します。

1ヵ月後に守備隊はドイツ軍に降伏しますが、図書館など貴重な建物とその蔵書が失われました。戦争に勝ったプロイセンは、ライン川西の地域を占領、”Elsaß-Lothringen”という新しい州を設けてドイツ領になりました。

戦争の度にフランス領からドイツ領に

第一次大戦のドイツ敗北で街はフランス領に。1940年のドイツ軍の侵攻でまたドイツ領に、最後にはドイツ軍の撤退により1944年最終的にフランス領となった。このような歴史的背景があり、街にはフランス的要素とドイツ的要素が交じり合っている。(ちなみにゲーテは、この街の大学に通っている。)

日本では、「アルザスではドイツ語が通じる。」と言われていますが、通じません。若い人なら英語が通じますが、ドイツ語は不可。アルザス出身のフランス人が言うんだから、間違いなし。

シュトラースブルク 観光 – 花で飾られたアルザスの首都

街はライン河の支流であるイル川の畔にありました。以前はこの川を交易に、そして街の防御に使っていました。今では街が拡大してイル川が街の真ん中を流れていますが、かってはここは街の境界線でした。第二次大戦では主戦場から外れたので、歴史的な建造物が多く残っています。

1988年にはユネスコから世界遺産都に指定されており、見所がそこら中に転がっています。すべてここで挙げる事はできないので、幾つか有名な場所を挙げてみます。でもその前に、、。

公共交通機関

見所が散乱しているので、1日で歩いて回るのはしんどいです。特に夏。しかしシュトラースブルクには路面電車の路線が6つ、バス路線が30もあるので、これを観光に利用しない手はありません。おまけにおフランスでは、車椅子でも乗降できるように設計されてます!

何よりも魅力的なのはその値段。1日乗り放題でたったの4.50ユーロ。日本円で600円ほど。日本と比べると、比較にならないほど安いです。もしお友達と一緒に3人で来るともっと安くて、6.90ユーロ!これで24時間、3人が市内の電車、バス乗り放題です。

参照 : CTS

これには理由があります。28万の市民に加え、日々訪れる数万の観光客が車で市内に入ってくると、街の道路はまるでバンコクのように渋滞、大気が汚染されます。これを避けるため、旧市街地への車の進入を制限しています!道路は片側1車線か、大きな道路でも2車線、中心部の駐車場に3時間停めると、8ユーロ、1日停めると48ユーロです。こうして旧市街へ進入する車を制限する一方で、公共交通機関の料金を安くして、住民、観光客が公共交通機関を利用しやすくしています。

では、主要な観光名所から見ていきましょう!

カテドラル(独:ミュンスター)

シュトラースブルクのミュンスター日が暮れてからナビゲーションを頼りに真っ暗中な国道をこの街に向かっていると、最初に見えてくるのがライトアップされたカテドラル。感動物です。ただ大きすぎます。

カテドラルの正面には入り口(それとも出口)が3つもあります。以前は勝手に入れましたが、今回行くと「入り口は横」と書かれて長い列が出来ていました。お金を取るようになったようです。

カテドラル(独:ミュンスター)のある広場はミュンスター広場(独語)というが、この周囲では観光客を狙った物乞いが多いです。ただの物乞いではなく、スリも混じっています。絶対に近くに寄らせないように!教会に注意を取られて注意散漫になっていると、お財布がなくなっていますよ!

ロハン宮殿

カテドラルの横に建っているのが、”Palais Rohan”という宮殿です。ロハン家はフランスの貴族でフランスの各地にお城や領土を保有していたばかりか、代々、シュトラースブルクの大司教の歴任。その司教の住まいとして18世紀に建設させました。バロック建築の最高峰と言われ、門の飾りが素晴らしい。現在は横にある綺麗な家屋と共に美術館として使用されています。

Kammerzellhaus

Kammerzellhausカテドラルの横にはKammerzellhausという木材作りの家(ドイツ語ではFachwerkhaus)が建っている。この建築物はFachwerkhausの代表的な建築物とされており、見事な細工に見惚れてしまう。カテドラルの周辺を歩いてみよう。

グーテンベルク広場

カテドラル手前に、「グーテンベルク広場」があるので、カテドラルを見にいくときっと前を通る筈。グーテンベルクの銅像と回転木馬があるので、すぐにわかります。これまで4回もシュトラースブルクに来きましたが、いつも冬。稼働中の回転木馬を見たのはこれが初めてです。

運河

かって街はイル川から水を引いて、三重の城壁とお堀に囲まれていた水の要塞でした。今では外堀は埋め立てられて、ひとつしか残っていません。現在はお堀は運河(水路)として利用されていおり、運河にかかっている橋には、「これでもか!」というくらい花が生けられてます。流石、おフランス。カテドラルの横の波止場から遊覧船に乗船できます。

百貨店 / L’Ancienne Douane

橋の袂に建つ長~い建物は、看板から推測して馬車&渡し舟屋みたいでしたが、実は税金がかかる品を税金を払うまで保管した倉庫です。その後デパートとして使用されので、その名前で呼ばれています。今日ではお土産屋やレストランが入っています。

大きな肉屋 / Grossen Metzig

百貨店の対面に建つ立派な建物は、16世紀に建造された大きな屠殺場だ。当時は川がゴミ捨て場。不用品を捨てるのに都合がいいので、ドイツでは川沿いに肉屋(屠殺場)が作られた。今では大通りに面する場所にはツーリストインフォが入っており、その他は博物館として利用されている。

運河から大聖堂

シュトラースブルク運河ここ(運河から大聖堂)は、ホテル、レストラン、お土産屋が所狭しと並ぶ場所。レストランではエルザスの郷土料理”Flammkuchen”が人気で、あちこちで看板が出ています。また大聖堂まで戻ってきたので、今度はKammerzellhausの横の道を進んでみます。すぐ先にパン屋、兼、ケーキ屋がありました!その種類の豊富さには圧倒。お値段も立派でした~。ドイツのケーキ屋には、こんな種類はありません。

Broglie 広場

シュトラースブルクには綺麗な建物が多過ぎ。上ばかり見上げて歩いていると、気がつけばBroglie広場に来ていました。ここは蚤の市がちょくちょく開催されています。(確か)月曜日はマーケットが開催、ハムからケーキまで、おいしい物に目が移ってしまう!

古いもの(ガラクタ)には興味がなあいので、ズンズン歩いていくと記念碑(慰霊碑)が。てきっり第二次大戦の戦没者の慰霊碑かと思いきや、違うようです。マーシャル(元帥)という文字だけ解読可能。近くに海軍省もあるので、有名な元帥の像なのかしらん。

調べてみると1994年11月にドイツ軍の支配から町を開放した将軍の功績を称えるオベリスクでした。その後ろにあるのは、”Opera”の言葉が見えるので劇場です。

カイザー広場

劇場の先にレプブリック広場(カイザー広場)が見えてきます。緑が目に痛いです。見事な彫刻もありますが34度の猛暑、ゆっくり眺めている人の姿はなし。急ぎ足で周辺を偵察。この国会みたいな立派な建造物は、見間違いでなければ国立図書館。お見事です。

ここには”Palais du Rhin”(皇帝の宮殿)も建っています。エルザスを併合したドイツ第二帝国がここに皇帝の宮殿を建てたわけです。道理でこの場所が皇帝広場というわけです。町の端っこまで歩いてきたので、戻ります。

クレーバー広場

シュトラースブルク クレーバー広場町で一番立派な広場が、”Kléberplatz”(クレーバー広場)です。ナポレオン戦争中の有名な将軍、クレバーの銅像が何処かに立っています。昔は巨大な駐車場だったそうですが、今は歩行者天国になり、駐車場は地下に移動。

有名なのは”Aubette”と呼ばれる長~い建物。正面に噴水が設置されており、暖かくなると子供が大はしゃぎ。18世紀の建設当時は衛兵の詰め所、今はショッピングセンター。「何かおいしい物は売ってないかな?」と入ってみましたが、大した店は入ってなかったです。

広場の片隅には、人が列をなしているパン屋が。つられて並んで順番を待っていると前の客がドイツ語で注文!売り子のお母さんは、平気で言われたパンを包んでいたので、この店はドイツ人経営?他の店では英語もドイツ語も駄目でしたが、この店だけはドイツ語OK!

この広場には子供をつれたお母さんが多いです。フランスはドイツと違い、保育園が充実しているので子供の出生率も高いんです。日本もおフランスから学んで欲しいです。

小さいフランス / Petite France

シュトラースブルクの運河沿いの光景ユネスコから真っ先に世界遺産に指定され、シュトラースブルクの代名詞にもなっているのが、小さいフランスと呼ばれる皮なめし商の家屋が並ぶ地区です。

橋の袂の真っ赤な建造物は音楽学校です。橋の横にある綺麗なレストラン、見栄えは立派でしたけど、お味はいまひとつでした。あくまでも個人的な感想ですが。素晴らしいですが、観光客が多過ぎなのが玉に瑕。遊覧船は最後の席までびっしり埋まってます。満席にならないと出発しないようです。

お安く食事をするなら運河沿いは避けましょう。運河を左手に見て、右方向にわずか30m進むと、そこは現地人が好んで食事をするレストランが数百メールも軒を連ねています。デシスカウントスーパーがあるのもココ。お土産はここで済ましちゃいました。

屋根のある橋 / Gedeckten Brücken

かってシュトラースブルクは水の要塞とも呼ばれた街。水路の入り口には、侵入してくる敵を防ぐ要塞が残っています。外側には銃眼が施されています。現在では貴重な彫刻の保管場所、そして無料のトイレもあるので是非、よってみよう。

その向いには塔が3つも経っている橋、「屋根のある橋」があります。昔は屋根があったので、この名前です。この橋にも「これでもか!」といわんばかりに大量の花が行かれており、絵になります。

駐車場

もっと長く見ていたいですが、今日はまだコルマーまで行く予定。名残惜しいですが、駐車場に向かって歩いていきます。お勧めの駐車場は、小さいフランスまで徒歩10分、屋根のある橋の隣にある地下駐車場。入り口は広く、危ないカーブもなくて良かったです。4~5時間車を止めて駐車料金5ユーロ少々。有名な観光地なので妥当な値段です。

シュトラースブルクからコルマー

シュトラースブルクからコルマーは高速道路があり、快適に移動できました。フランスの高速道路は有料なんですが、この区間は何故か無料。ドイツ人観光客を招致する目的?アウグスブルクから行くと、ウルムから先が工事中と渋滞で時間をロスしたものの、3時間半で到着。機会があれば、来年はもっと時間をとって訪問したいです。

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