今回は シュトラースブルク にやってきました。

アウグスブルク から向かうと高速道路 8号線をひたすら西に向かい走り、ほぼ3時間半かかりました。

「俺なら3時間。」

と威張るシュトラースブルク出身のピエールは、すっかりドイツ人。

でも3時間(半)で行けるなんて、意外と近い!

「今日の朝飯は、おフランスでクロワッサン。」

と空腹でやってきたので、まずはパン屋探し。

カプチーノとクロワッサンで空腹が収めると、気合を入れてシュトラースブルク観光です!

町の紹介 シュトラースブルク

まずは街の紹介から。

ドイツから見ると、シュトラースブルクはライン河の

「向こう側」

にある町。

ドイツ国境からわずか4Kmしか離れていません。

この為、政府の政策により(例えば)ガソリンが、

「フランスの方が安い。」

「いや、今度はドイツの方が安い。」

と市民が国境を越えてやってくるので、国境付近はとりわけガソリンスタンドが多くあります。

フランスから見ると、シュトラースブルクはイル川の河畔に築かれた町。

イル川から引かれた水路が町を囲み、三重の城壁に守られていました。

今では町が拡大してイル川が街の真ん中を流れていますが、かってはここは町の境界線でした。

アルザス地方の首都

シュトラースブルクは、おフランスのアルザス地方の首都です。

正確に言うと、フランス政府が”Grand Est”(大きな東)と命名している州の州都です。

人口は28万人にも満たないのに、欧州議会や欧州裁判所など、EUの多数の政府機関がシュトラースブルクにあります。

街の最大の魅力は、その綺麗な街並み。

シュトラースブルク旧市街地はユネスコから世界遺産に指名されており、これを目当てに大勢の観光客がやってきます。

参照 : de.france.fr

観光に適した時期

これまで仕事で何度も足を運びましたが、いつも春先の3月初旬。

寒くて、天気も悪く、町を堪能することができませんでした。(*1)

初めて夏にやってくると、全く別の町。

あちこちに花が飾られてアルザスの首都らしく、シュトラースブルクは文字通り光り輝いていました。

もし時間が取れるなら、5月~9月が一番綺麗です。

6月以降になると観光客が多くなり、ホテルも高くなります。

それでも夏に行く価値有り!

行き方

フランス国内の最寄り空港は、シュトラースブルク空港。

もっともこの空港、隣町の”Entzheim”にあり、地方空港なので便数は多くありません。

ドイツ国内から向かう場合、最寄り空港はフランクフルト空港です。

フランクフルト中央駅から電車で、接続がいい便なら、2時間で行けます(悪ければ3時間)。

フライブルク に留学してるなら、電車で1時間(接続により1,5時間)の距離です。(*2)

2017年には国境になっているライン側の対岸にあるドイツ側の街、ケール /”Kehl”からシュトラースブルクまでの路線が開通しました!

片道たったの1.7ユーロで行けます!

お陰で高いシュトラースブルクに泊まらないで、ケールで宿泊する人が増えて、街は大喜び!

参照 : Baden Online

町の歴史

 シュトラースブルク 旧市街

シュトラースブルクの歴史は古く、市内から紀元前のケルト人の居住跡が見つかっています。

その後、ケルト人を追い出したローマ帝国の植民地になり、ローマ兵が駐屯。

4世紀になると東からゲルマン民族の侵入が続きます。

まずはアレマーネン、これ続いてフランケン、そしてフネンまでやってきて、5世紀には完全にゲルマン化されます。

名前の起源

シュトラースブルクの名前、

Stradeburgum

は、早くも589年の書簡に登場しています。(*3)

意味は

「城塞化された場所」

9世紀には”Strazburg“と、現在の形に近くなりました。

現在ではフランス語で”Strasbourg”、ドイツ語で、”Straßburg”、日本語ではストラスブールが一番広まっているようです。

このページでは長年聞きなれたドイツ語の名前、シュトラースブルクを採用してます。

シュトラースブルク の発展

シュトラースブルクの発展は、奇遇なことに貴族の争いが原因です。

中世にミュレンハイム家が、フライブルク からシュトラースブルクに居を移します。

するとアルザスの貴族であるツォルン家が、

「よそ者に負けてはならぬ。」

と、町の覇権を巡って競争を繰り広げます。

これがきっかけとなり、経済的に発展していきます。

町が豊かになると教会を建てるのが中世。

12世紀から焼け落ちた教会の跡地に大聖堂の建設が始まり、やっと15世紀に完成するという大事業。

13世紀にはこの両家の権力に嫉妬した司教との間で戦争になりますが、司教軍は敗退。

シュトラースブルクは、神聖ローマ帝国の “Reichsstadt”(帝国都市)に昇進します

職人同盟

時を同じくして13世紀、仲の悪かった貴族同士の争いが武力抗争に発展。

これがきっかけで、

「貴族がでかい顔をするのはコリゴリ。」

と市民が貴族に反抗、

「職人同盟」

が、シュトラースブルクの実権を握ることになる。

ユダヤ人迫害

この頃、最初のペストの波がシュトラースブルクを見舞う。

誰かが、

「ユダヤ人の仕業だ。」

と言い出すとユダヤ人狩が始まり、数百人もの無実のユダヤ人が磔刑に処せられます。

ユダヤ人はその後も、18世紀末まで町への侵入を禁じられていました。

グーテンベルク様様

15世紀にグーテンベルクが活版印刷を発明すると、シュトラースブルクはその印刷技術で有名になり、欧州の印刷業の中心地となる。

このため町の中心部には

「グーテンベルク広場」

を設けて、町の繁栄に貢献したドイツ人に感謝している。(*4)

フランス内の外国領

17世紀にオスマントルコ軍がウイーンに侵攻してくると、ハープスブルク家は帝国の領土を守るのに手一杯。

この間隙を利用してルイ14世がシュトラースブルクを占領して、フランス領になります。

もっともその後も町はドイツ系住民の怒りを煽らないように、

「フランス内の外国領」

として扱われます。

シュトラースブルク大学ではドイツ語で講義が行われたり、フランスの関税から解放されるなど特別扱いを受けて、ドイツの影響が深く残ることになりました。(*5)

普仏戦争

19世紀初頭にはナポレオン一世が居を構え、ジョセフィーヌと一緒に住んでいました。

普仏戦争ではプロイセン軍はシュトラースブルクを包囲、クルップの大砲で1ヶ月に渡って砲撃します。

1ヵ月後に守備隊はドイツ軍に降伏しますが、図書館など貴重な建物とその蔵書が失われました。

戦争に勝ったプロイセンは、ライン川西の地域を占領、エルザスーロートリンゲン /”Elsaß-Lothringen”という新しい州を設けてドイツ領になりました。

第一次大戦 & 第二次大戦

第一次大戦のドイツ敗北で、シュトラースブルクはフランス領に。

1940年のドイツ軍の侵攻  & フランスの降伏でまたドイツ領に。

1944年にはドイツ軍の撤退により、最終的にフランス領となりました。

このような歴史的背景があり、街にはフランス的要素とドイツ的要素が交じり合っています。

シュトラースブルク 観光に必修!公共交通機関

公共交通機関

見所が散乱しているので、歩いて回るのはしんどいです。

特に夏。半端なく暑いです。

しかし町には路面電車の路線が6つ、バス路線が30もあるので、公共交通機関をシュトラースブルク観光に利用しない手はありません。

おまけにおフランスでは、車椅子でも乗降できるように設計されてます!

何よりも魅力的なのはその値段。

1日乗り放題でたったの4.50ユーロ。日本円で600円ほど。

日本と比べると、比較にならないほど安いです。

もしお友達と一緒に3人でシュトラースブルクに来るともっと安くて、6.90ユーロ!

これで24時間、3人が市内の電車、バス乗り放題です。

参照 : CTS

高い駐車場料金

安い公共交通機関の料金には、理由があります。

28万の市民に加え、日々訪れる数万の観光客が車で市内に入ってくると、シュトラースブルクの道路はまるでバンコクのように渋滞、大気が汚染されます。

これを避けるため、旧市街地への車の進入を制限しています!

道路は片側1車線か、大きな道路でも2車線。

中心部の駐車場に3時間停めると、8ユーロ、1日停めると48ユーロです。

こうして旧市街へ進入する車を制限しています。

一方、公共交通機関の料金を安くして、住民、観光客が公共交通機関を利用するようにしています。

シュトラースブルク 観光 – 花で飾られたアルザスの首都

旧市街

では、いよいよシュトラースブルク観光です。

第二次大戦ではシュトラースブルクは主戦場から外れたので、歴史的な建造物が多く残ることになりました。

戦争の災禍を逃れても、ドイツ国内のように、

「快適な鉄筋コンクリートのアパートに住みたい。」

と、由緒ある家屋を取り壊さなかったのは、フランス人の手柄です。

夏になると観光客を歓迎するかのように、そこら中に花が活けられています。

まさに花で飾られたアルザスの首都というキャッチフレーズがぴったり。

とにかく綺麗な街なので、近くに留学しているのに見ないで帰国すると一生後悔します。

遠足先の最優先課題に挙げておきましょう。

すべてここで挙げる事はできないので、幾つか有名な場所を挙げてみます。

ミュンスター広場 / Place de la Cathédrale

ミュンスター広場

まずはミュンスター広場 / Place de la Cathédrale から始めます。

シュトラースブルクの象徴となっているカテドラル(独 : ミュンスター)のある広場が、ミュンスター広場(独語)です。

この辺には、観光客を狙った物乞いが多いです。

ただの物乞いではなく、スリも混じっています。

コロナウイルと一緒で、1,5m以内には近くに寄らせないように!

カテドラルに注意を取られて注意散漫になっていると、お財布がなくなっていますよ!

ここはかっての町の権力の中心地です。

権力と富を象徴する多くの建造物が並んでいるので、ここから始めます。

カテドラル / cathédrale notre-dame de strasbourg

シュトラースブルク カテドラル

日が暮れてから、ナビゲーションを頼りに真っ暗中な国道をシュトラースブルクに向かっていました。(*6)

彼方に最初に見えてきたのがライトアップされた巨大なカテドラル / Cathédrale Notre-Dame de Strasbourg 。

感動物です。ただ大きすぎます。

カテドラルの建造が始まったのは12世紀末。

以前、ここに教会が焼け落ちたので、同じ場所にもっと盛大な教会を建築することになりました。

建設が終わったのは15世紀になってから。

教会の尖塔はひとつだけ!

途中でお金が尽きた為、ふたつめの尖塔は建設されることはありませんでした。

でもその唯一の尖塔は142mもあり、19世紀まで

「世界で最も高い建築物」

でした。

カテドラルの正面には入り口(それとも出口)が、3つもあります。

以前は勝手に入れましたが、今回行くと

「入り口は横」

と書かれて長い列が出来ていました。

お金を取るようになったようです。

あちこち探してここで見つけました!入場料を2ユーロ取ってます!

ロハン宮殿 / Palais Rohan

ロハン宮殿

カテドラルの横に建っているのがロハン宮殿 / Palais Rohan です。

ロハン家はフランスの貴族で、フランスの各地にお城や領土を保有していたばかりか、代々、シュトラースブルクの大司教を歴任。

その司教の住まいとして、18世紀に建設されました。

ロハン宮殿はシュトラースブルクを代表する建築であるばかりか、バロック建築の最高峰と言われています。

門の飾りが素晴らしい。

19世紀にドイツ領になった際は、時のドイツ皇帝、カイザー ヴルヘルムの名前を冠した大学本部が置かれていました。

現在は横にある綺麗な家屋と共に美術館として使用されています。

カマーツェルハウス / Kammerzellhaus

カマーツェルハウス

カテドラルの横には有名なカマーツエルハウス /”Kammerzellhaus”という木材作りの家(ドイツ語ではFachwerkhaus)が建っています。

最初に建造されのは15世紀初頭ですが、何度も改築されています。

今のような外観になったのは、16世紀にこの家を買ったチーズ屋の Martin Braun 氏が三層の木造建造を施してから。

この建築物は骸骨屋敷 /”Fachwerkhaus”の最高傑作のひとつとされており、見事な細工に見惚れてしまいます。

現在は高級ホテル & レストランとして営業中。

グーテンベルク広場

グーテンベルク広場

カテドラルの近くに、グーテンベルク広場があるので、カテドラルを見にいくときっと前を通る筈。

グーテンベルクの銅像と回転木馬があるので、すぐにわかります。

これまで4回もシュトラースブルクに来きましたが、いつも冬。

稼働中の回転木馬を見たのはこれが初めてです。

つい正面の家屋に目が行きますが、有名なのはその右にある巨大な建造物。

1580年に建造され、当時流行りのルネッサンス調の建築で、地上階、一階、そして2階、表面 / Fassade が異なる様式で飾られているとか。

私は知らずに通り抜けしてしまいました。

皆さん、シュトラースブルクに行かれたら注視して、違いがあるか教えてください。

ちグーテンベルク広場の地下は駐車場になっていますが、旧市街ど真ん中なので、1時間2.4ユーロと結構、高い。

おまけに駐車スペースが223個しかないので、ちょくちょく満車。

日本のように路上駐車をすると、すぐにレッカー移動されちゃいますよ!

そうなったらフランス語しか話せない役人との楽しい交渉が待ってます。

そんな目に遭わないように、車は運河の手前の駐車場に入れて、旧市街には歩いていきましょう。

参照 : parcus.com

シュトラースブルク 運河沿い

シュトラースブルク 地図

シュトラースブルクはイル川から水を引いて、町は三重の城壁とお堀に囲まれていた水の要塞でした。

今では外堀は埋め立てられて、ひとつしか残っていません。

地図で見ると内堀に囲まれた旧市街がはっきり見えます。

シュトラースブルク 運河沿い

現在、お堀は運河(水路)として利用されていおり、運河にかかっている橋には、

「これでもか!」

というくらい花が生けられてます。流石、おフランス。

遊覧船

遊覧船

カテドラルの横の波止場から、遊覧船に乗船できます。

1時間10分かけて、シュトラースブルクの観光名所を回ってくれます。

自動音声で流れるアナウンスには、日本語も有り。

費用は17,20ユーロ

参照 : 遊覧船

百貨店 / L’Ancienne Douane

百貨店

遊覧船乗り場の近くにある橋は、ラーヴェン橋。

その袂に長~い建物が建っている。

看板から推測して馬車 & 渡し舟屋みたいでしたが、実はシュトラースブルクに持ち込む品を、税金を払うまで保管した倉庫です。

税金を払ったら、ここでそのまま販売されたので、百貨店 / L’Ancienne Douane と呼ばれています。

建造されたのは14世紀!

第二次大戦中、ドイツ軍の空爆で自害甚大。1956年になって再建されました。

今日ではお土産屋やレストランが入っています。

河沿いに並ぶ席に座って運河を眺めながら取る食事は格別(かも)。

大きな肉屋 / Grossen Metzig

大きな肉屋

百貨店の対面に建つ立派な建物は、16世紀に建造された大きな肉屋 / Grossen Metzig です。

当時は川がゴミ捨て場。

不用品を捨てるのに都合がいいので、ドイツでは川沿いに肉屋(屠殺場)が作られた。

今ではシュトラースブルクのツーリストインフォが入っており、その他は博物館として利用されています。

Winstub Pfifferbriader

レストランの看板と客

大きな肉屋の周りには、小さな飯屋、居酒屋などが林立しています。

当時の肉屋の建物を利用した飯屋が、運河に面した場所にひとつだけ残っている。

名前は、”Winstub Pfifferbriader”

アルザス料理を出す店なので、良かったら、立ち寄ってお食事ください。

ケーキ屋

ケーキ屋

運河から大聖堂までの地域は、観光客目当てのカフェ、レストラン、お土産屋が所狭しと並ぶシュトラースブルクの密集地帯。

レストランのエルザスの郷土料理フラメンクーヘン /”Flammkuchen”、フランス語で”Tartes Flambeès”が人気で、あちこちで看板が出ています。

また大聖堂まで戻ってきたので、今度は”Kammerzellhaus”の横の道を進んでみます。

すぐ先にパン屋、兼、ケーキ屋がありました!

その種類の豊富さには圧倒。お値段も立派でした~。

ドイツのには、こんな種類はありません。

ブロイ広場 / Place Broglie

ブロイ広場

シュトラースブルクには綺麗な建物が多過ぎ。

上ばかり見上げて歩いていると、気がつけばブロイ広場 / Place Broglie に来ていました。

ここの広場は街の右肩の部分にあり、その先のカイザー広場へ繋がっています。

18世紀にアルザス地区の長官だった Broglie 将軍が並木道の広場を作るように命令したのでこの名前。

蚤の市がちょくちょく開催されています。

(確か)月曜日はマーケットが開催、ハムからケーキまで、おいしい物に目が移ってしまう!

オベリスク Leclerc

オベリスク Leclerc

古いもの(ガラクタ)には興味がないので、ズンズン歩いていくとオベリスク Leclerc があります。

てきっり第二次大戦の戦没者の慰霊碑かと思いきや、違うようです。

マーシャル(元帥)という文字だけ解読可能。

近くに海軍省もあるので、有名な元帥の像なのかしらん。

調べてみると、1994年11月にドイツ軍の支配からシュトラースブルクを開放した将軍 Leclerc の功績を称えるオベリスクでした。

オペラ座 / Opéra de Strasbourg

オペラ座

その後ろにあるのは、シュトラースブルクのオペラ座です。

1800年の家事で焼けたので、1804年に再建されたもの。

普仏戦争でプロイセン軍の砲撃により、甚大な被害を受けましたが、戦後、ドイツ領になったので復元されました。

参照 : オペラ座

将軍像

シュトラースブルク 将軍の銅像

並木に隠れて見えないですが、左手に将軍像がありました。

帽子を天にかかげて祝っているのはケラーマン将軍。

名前はドイツ語ですが、フランスの将軍で、普仏戦争時、(唯一)プロイセン軍との戦闘に勝ったシュトラースブルクの将軍です。

レプブリック広場(カイザー広場)

レプブリック広場

オペラ座の先にレプブリック広場(カイザー広場)が見えてきます。

公園の緑が目に痛いです。

この地区は、”die Neustadt”(新しい町)と呼ばれる地区で、2017年にユネスコから世界遺産に指名されました。

普仏戦争で勝利したドイツは、アルザスーロートリンゲン州を新設。

その州都をここシュトラースブルクに置きました。

その際にシュトラースブルクを改造して作られたのが、このカイザー広場です。

フランス領になってからの正式名称は、レプブリック広場。

真夏になると36度の猛暑で歩く気がなくなりますが、一周してきました!

国立図書館

 国立図書館

レプブリック広場に州政府の仕事場、宮殿、大学などが建設されました。

この国会みたいな立派な建造物は、まさにかっての主政府庁で、現在は(見間違いでなければ)国立図書館。

お見事です。

皇帝の宮殿 / Palais du Rhin

シュトラースブルク 皇帝の宮殿

カイザー広場 には皇帝の宮殿 / Palais du Rhin が建っています。

アルザス統治の象徴として、シュトラースブルクに築かせたのがこの宮殿です。

豪華絢爛な装飾で建造費は高騰、国内では非難の対象になった謂れ付きの建物です。

宮殿が完成したお披露目式には、ドイツ第二帝国の二代目の皇帝、ヴィルヘルム二世もベルリンからはるばるシュトラースブルクにやってきています。

しかし豪華絢爛な作りには感心しなかったらしく、つけたあだ名が「像の家」。

ベルリンのテイーアガルテンにあった「像の家」と呼ばれた建物に似ているからだとか。

宮殿は第二次大戦中、連合軍の爆撃で中破。戦後、お金をかけて修復されました。

今はアルザス州政府の機関がここに入ってます。

シュトラースブルク クレーバー広場 / Kléberplatz

シュトラースブルク クレーバー広場

シュトラースブルクで一番立派な広場がクレーバー広場 / Kléberplatz”です。

町の真ん中とは言いにくく、少し左上に「ずれて」ます。

ナポレオン戦争中の有名な将軍、クレバーの銅像が立っています。

昔は巨大な駐車場だったそうですが、今は歩行者天国になり、駐車場は地下に移動。

Aubette

シュトラースブルク Aubette

クレーバー広場で有名なのは”Aubette”と呼ばれる長~い建物。

18世紀、シュトラースブルクの領主の衛兵の詰め所として建設されました。今はショッピングセンター。

正面に大きな噴水が設置されており、暖かくなると子供がプール代わりに中に入って大はしゃぎ。

「何かおいしい物は売ってないかな?」

と入ってみましたが、大した店は入ってなかったです。

小さいフランス / Petite France

シュトラースブルク 小さいフランス

ユネスコから真っ先に世界遺産に指定され、シュトラースブルクの代名詞にもなっているのが、小さいフランス / Petite France と呼ばれる地区です。

かっての皮なめし商、漁師、水車(粉屋)の家屋が並ぶ地区で、見事な骸骨屋敷が所狭しと並んでいます。

とりわけ運河沿いの家屋は趣があり、大人気の記念撮影スポット。

ひっきりなしに観光客がやってきて、運河と屋敷をバックに記念写真を撮っていきます。

シュトラースブルクの数多い観光名所の中でもここは、大聖堂と並ぶ人気の観光名所。観光客がとっても多いです。

午前中に行くのがベスト。

Au Pont Saint-Martin

小さいフランス / Petite France ツタに覆われたレストラン

橋の横にある綺麗なレストランは、Au Pont Saint-Martin。

見栄えは立派でしたけど、お味はいまひとつでした。

古風な家屋群

古風な家屋群

小さいフランスから運河に沿って右手に折れて歩いていくと、観光客が滅多にこない素晴らしいシュトラースブルク観光スポットがあります。

古風な家屋群(16~17世紀建造)が、どれもこれも全く建築様式が異なる、びっしりならび、それが川面に移りとても美しいです。

夜間に撮影に来ましたが、ちょっと寂し場所なので女性の一人歩きは禁物です。

路上生活者などが徘徊しており、男でも常に周囲に気を配っている必要がありました。

屋根のある橋 / Gedeckten Brücken

屋根のある橋

かってシュトラースブルクは、水の要塞とも呼ばれた街。

水路の入り口には、侵入してくる敵を防ぐ要塞が残っています。

外側には銃眼が施されています。現在では貴重な彫刻の保管場所、そして無料のトイレもあるので是非、よってみよう。

その向いには塔が3つ建っている橋、通称、屋根のある橋 / gedeckten Brücken があります。

昔は屋根があったので、この名前です。

この橋にも「これでもか!」といわんばかりに大量の花が行かれており、絵になります。

何処に泊まる?

これまでシュトラースブルクで7~8回泊まりましたが、何処も今一つ。

ロケーションを重視して旧市街に近いホテルをとると、滅茶滅茶狭い。

そこで次は部屋を重視すると、旧市街から遠くて、出かけるのがおっくうに。

今回は夜間撮影をするので徒歩圏が必要。

少しばかり予算を取って、旧市街のド真ん中でホテルを取りました。

ホテル ロハン

ホテル ロハン

ホテル ロハン / Horel Rohan はミュンスターまで歩いて3分。

ベットはちゃんとダブルで、シングルのマットレスを組み合わせたものじゃない!

建物は数百年経っているので、調度品は古い。

もとい、アンテーク調。

仕事ができる程度のWifi 、冷蔵庫有り。テレビは32インチくらい。

窓が二重で騒音をシャットアウトできるのも、嬉しかったです。

仕事スペースはまあ十分。

お隣さんの騒音は、ほぼ聞こえないレベル。

いいお隣さんだった?

ミネラルウオーターも一本、無料でついてました。

難を言えば駐車場がない点。(*7)

サイトには、

「駐車場は徒歩わずか2分」

とありますが、グーテンベルク広場地下の駐車場まで徒歩5分。一晩46ユーロと高いです。

15分歩いてオースターリッツの駐車場なら、一晩20ユーロ。

ホテルのページにその点の情報が欲しかったです。

何処で食べる?

アルザス ピザ

ホテル ロハンの周辺は、シュトラースブルクのレストラン街です。

安く食べたいなら地元民の台所、小さいフランス地区までいくべきですが、徒歩15分。

朝から歩きずめで、そんな元気はなし。

ホテルから20mくらいのレストランで、なんとかの一つ覚え、アルザス ピザを注文。

おいしいですが、リクヴィールで注文したアルザス ピザは、倍の大きさだよ!

苦言を呈すれば、勘定書も間違っていました。

隣で飯を食ってた家族の品まで、私の勘定に。

それをみたお隣さん、「ご馳走様!」なんて言ってきます。

そうは問屋が卸さない。

シュトラースブルク からコルマール

シュトラースブルクからコルマールは高速道路があり、快適に移動できました。

正直に言えば、

「標識が解読できるかな?」

と一抹の不安はありましたが、

「コルマール」

の標識の識別にはフランス語は不要でした。

フランスの高速道路は有料なんですが、この区間は何故か無料。

経済基盤が弱いから住民の負担軽減?シュトラースブルク出身のピエール君曰く、

「アルザスはフランスで一番経済基盤の強い地域だよ!」

と反論。

本当かどうか、そこは不明。

ドイツ人観光客を招致する目的で無料しているのかな?

注釈

*1

3月初めにいくと、大寒波到来でマイナス15℃!車のトランクに入れていたパソコンは凍結して作動不能になりました!

*2

コルマールに電車で行く(2時間)よりも便利!

*3
古高ドイツ語 / Althochdeutsch で書かれた書簡です。

*4

グーテンベルクは1434年から11年間、シュトラースブルクに滞在。いろんなビジネスを試すも成功せず、訴えられ、マインツに逃げるように帰っていきました。

*5

ゲーテは、シュトラースブルクの大学に通っている。

*6

お客さんがフランクフルト空港に到着するのは、17時前後。それからシュトラースブルクに向けて走り出すと、すぐ真っ暗になります。

*7

旧市街にはそんなスペースはない!

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