Colmar / Colmer

街の紹介  Colmar

日本人ならコルマーと読んでしまうが、ドイツ人はコルマーって読みます。 そう、書くと同じなんです。ドイツ人はマーにアクセントを置きます。どっちが正しいのか、どちらも間違いなのか、それはフランス人に任せておき、紹介に入ります。
コルマー町の名前は8世紀の書簡に、ラテン語の”Columbarium”と登場しており、これが最古の記録だ。13世紀の初頭になると町を防御するために、町の周囲に巡って城壁が建設される。現在ではこの城壁の大部分は取り壊されているが、一部は旧市街の近くにお堀とセットでまだ残されている。城壁の完成後、神聖ローマ帝国から町に昇格されて、”Freie Reichsstadt”(自由都市)になる。その名残りは、今日でも”Koïfhus”と呼ばれるかっての関税局の入り口に残っている。その後、町では手工業が栄えて次第に豊かになっていく。
30年戦争ではプロテスタント派のスウエーデンが軍を進めて篭城、陥落させる。30年戦争の末期にフランスの王がコルマーを占領、その後の講和条約でコルマーはフランス領になったばかりか、ここにエルザス地方議会が置かれて政治的な意味が増す。19世紀には綿工業が栄えて、コルマーは一気にお金持ちなる。1871年、プロイセンがナポレオン三世を破ってパリでドイツ第二帝国の樹立を宣言、このときの講和条約でエルザスとロートリンゲンはドイツに割譲されることになり、コルマーはドイツ領に戻ってくる。第二次大戦でドイツが敗北するとエルザスとロートリンゲンは再びフランス領となるが、第二次大戦でフランスはドイツに降伏、1940~45年までドイツ領になるが、1945年のドイツの降伏でコルマーはこれを最後にフランス領になり、今日に至っている。

何度か戦争の舞台になったものの、第二次大戦の主戦場から外れていたため、旧市街には中世からルネサンスにかけての立派な市民の家(ドイツ語で”Bürgerhaus”)が数多く残されている。「追いつけ、追い越せ西欧!」と近代化に邪魔な古い家屋を撤去しないで、伝統を大切にするフランス人のお陰でもある。その代表的なものが”Koïfhus”で、14世紀の建造物だ。おフランスでは観光客にいい印象を与えるべく、戦術的に大事な場所には「これでもか!」というくらいに花が生けられているので、建物に加えてこの花も一緒に撮ると、絵になります。
「関税局」の向かいにある噴水は”Schwendi Brunnen”で、モチーフになっているのは”Lazare von Schwendi”だ。シュヴェンデイは神聖ローマ帝国に軍人として仕えた。ハンガリーまで「イケイケどんどん」で快進撃を続けてきたとトルコ軍を撃退して、ハンガリーの大部分をトルコの支配から解放した功績者。言い伝えではハンガリーからワインの苗木を持ち帰り、これがきっかけでエルザスがワインの産地となったという伝説があり、銅像のシュヴェンデイが高々と掲げているのはトカイヤと呼ばれるハンガリーワインの苗木だ。この辺りは綺麗な建物が多くて、どちらに行くべきか悩んでしまう。

この辺りにはレストランも多い。一番賑わってるレストランに入りエルザスの郷土料理、”Flammkuchen”を注文。「どうせドイツ料理」と期待していなかったせいか、おいしかったです。「水もください。」と注文すると、ドイツでは2~3ユーロもする水がエルザスでは無料!それも1リットル以上入った水瓶が運ばれてきました。お会計は9.80ユーロなり。朝、パン屋の前と通るとドイツのパン屋と違い、おいしそうな菓子パンがずらり。好物のアーモンド クロワッサンに目が釘付け。安い!アウグスブルクより1ユーロも安い!流石、本場のおフランス。 このレストランは飾りがステキ。時間があれば、是非、試してみたいです。
関税局に戻ります。もっとも裏側ですが、その向かいには立派な屋敷があり、その奥には裁判所(16世紀建造)があります。「あ、ここも綺麗。」と歩き回っていると、きりがないので省略します。ここが人気の観光名所への「入り口」で、「いい値なし。」で綺麗です。この先にあるのが絵葉書のモチーフになってる”Pfisterhaus”と呼ばれるかっての帽子職人の家。いつも観光客が記念写真を撮っているので独り占めした方は、夜間撮影に挑戦しましょう。もっとも6月末は22時になってもまだ明るいです。やっと日が暮れたのは22時半。睡眠時間が目一杯削られます。

このすぐ裏に大聖堂がある。13世紀に建造が始まり14世紀の中ほどまで続いた大工事で、ゴシック様式の見事な建造物だ。大き過ぎてレンズに収まらず、「ああでもない、こうでもない。」と角度を試していると、「これを試していきなさい。」と後ろにあったクッキー屋のお姉さんがクッキーを差し出してくれました。ドイツだったら、「商売の邪魔だ。」と言われる事はあっても、「これを試していけ。」なんて有り得ない。いい角度を探してミュンスターを一周。裏の駐車場からなら、なんとか収まります。夜も綺麗なので、夜間撮影もお忘れなく。教会の向かいにあるこの立派な建物は(写真中右)は、”Das Haus Adolph(アドルフの家)と呼ばれ、14世紀の建造。コルマーでも最も古い建物のひとつだ。夜はこんな感じになる。裏から見ても綺麗です。その隣が16世紀に建造された警察署。一時は市役所として使われていたこともあるほど立派な作り。

ミュンスターを一周していると、「これは見ずには帰れない。」という通りがある。この先に見えてくるのが巨大な”Dominikanerkirche”だ。13世紀に工事が始まって、14世紀に完成した。大き過ぎて、どちらから撮ってもレンズに収まりません。その先にある建物を見て、「また教会?」と思ってしまうが、あながち間違いではない。13世紀に建造されたかっての修道院で、現在は図書館として利用されている。こんなに歴史のある図書館は初めて見ました。図書館(正確には資料館)の横は、市営劇場。そしてその先にはまたしても巨大な教会。人口7万人の町に、こんな立派な劇場や教会が何件も必要なんだろうか。

資料館の後ろに運河が流れており、その先の建物がこれまた凝っている。由来は不明。観光客を吸い込むような路地があるので、ついつい足が向いてしまう。この辺りに建っているのが、”Kopfhaus”(首の家)だ。なんでも106個もの首が装飾として施されているので、この名前が付いた。知ってたら近くから撮ったのに、残念。「おお、これはいいぞ。」、「これもいい。」という建造物が次から次に出てくるので、どこに集中すればいいのかわからない。これは”Das Hansi Dorf”という家で博物館になっているそうだが、フランス人に、「ガンダム」と言っても意味がわからないように、日本人には意味、由来は不明。こちらの建物は市役所です。話は飛びますが、昔の建物は入り口が大きいですよ。扉がまだ残っている門は少ないですが、門がデカイ。幌馬車がそのまま入れる大きさにしたのか、それとも他の目的があったのか、と~っても気になりました。
もう二度と来ない(見ない)ミュンスターに最後の一瞥をくれて歩き出すと、中心部には綺麗な骸骨屋敷が一杯。ここが関税局のある広場です。写真の真ん中でポーズを取ってる人、このポーズで何枚も取り直しさせて4~5分も動かないんです。諦めました。ここが昨晩夕食を取ったレストラン街。夜も綺麗です。建ち並ぶ骸骨屋敷、装飾の派手な家に感嘆しながら歩いていくと、先に見えてくるのが観光客が素通りする市場だ。そして市場の裏にあるのが漁師の家。ウルムにも”Fischerviertel”(漁師地区)って、昔の趣が残ってる場所がありますよね。同じです。漁で取れた魚をすぐに市場で売れる利便さから、ここにはかっての漁師の家が密集しており、観光名所となっています。昼間は観光客で埋め尽くされて(ここでも中国人が独占)、写真を撮る場所の奪い合いです。でも夜は観光客もおらず、独り占めにできます。あるいは昼間、長時間露出するとほぼ観光客の姿が消えます。

綺麗な壁画のあるレストランの横の小道は観光客の必ず歩くルートなので、綺麗な家屋が並んでいるが、大方はレストランのようだ。この先がコルマーで一番有名な観光名所、”petite Venise”(小さい ベニス)なんですが、モロ工事中。唯一のアングルが使えない。超~ショック。工事具合からして今年一杯はかかりそうです。レストランの入り口からの構図と、船乗り場からの構図は、それでもまだ「使えます」。ひとつ注文をつけさせてもらうと、「小さいベニス」は必ずしも適当な名前ではない気がします。だってこの橋だけですよ。どうしてもベニスを使うなら、「滅茶苦茶小さいベニス」の方が合ってます。それでも付近には骸骨屋敷が立ち並び、コルマーをシュトラースブルクからの攻撃から守った町の英雄、”Vogt Jean Roesselmann”の銅像も噴水と一緒になって「滅茶苦茶小さいベニス」の入り口を飾っています。個人的にはその奥にある門がお気入り~。
人口から言えばコルマーはフライブルクの1/3。でも観光名所は比べ物にならないほど多く、エルザスのお宝です。現在では一番の見所が工事中という不具合はありますが、フライブルクから車で1時間、電車で1時間半の距離にあるコルマーは”ein Muss”(必修科目)です。もっともコルマーを見たら、70Km離れているロートリンゲンのお宝、シュトラースブルクも見ておきたい。そうそう。日本では「エルザス伝説」が存在しており、「エルザスはドイツ語も通じる。」と語られています。通じませんです。パン屋ではドイツ語はおろか英語も通じず、フランス語だけ。ホテルでも不可。レストランにドイツ語のメニューがあり、ドイツ語も聞こえてきましたが、街中では通じません。