街の紹介 フライブルク

今や日本でも環境都市として報道されるほど有名になった フライブルク の街。名前をご存知の方も多いと思います。しかし日本では観光保護への関心が高いとは言えないので、「環境都市」と言われてもぱっとしません。

それともドイツの環境都市は、日本の都市と何処が違うか、おわかりになりますか。

環境都市とは?

自転車専用道路と書かれた道路と標識環境都市への第一歩は、利便性の放棄から始まります。環境を破壊する二酸化炭素、空気汚染の悪玉、酸化窒素を削減する為、フライブルクでは旧市街の道路が次々に自転車専用道路、歩行道路へと姿を変えています。

自動車で通勤したい人には、ただでも少ない道路に大量の車が押し寄せて、通勤時、帰宅時にはものすごい渋滞が発生して時間のロスが発生します。環境都市に住むなら、否応なしに自転車に転換せざるを得ません。日本のように冬でも暖かい気候なら、それでも我慢できますが、ドイツの冬の自転車は〇〇まで凍ります。

環境都市のゴミ料金

環境都市の犠牲は、通勤の足だけにとどまりません。例えばゴミ。ドイツではゴミ代金は、アパートの雑費に含まれており、いうならば出し放題。しかしその代金がべらぼうに高いです!デユッセルドルフで60リットルのごみ箱のごみを週一回、回収してもらうと68.4ユーロです。

これがフライブルクだと136ユーロです。

参照 : freiburg.de

観光都市のゴミ代金は、デユッセルドルフの2倍です!そして高いのは、ゴミ代だけじゃないっ!環境都市と言えば聞こえがいいかもしれませんが、そこに住むのはそんなに楽ではありません!

名前の由来

街が歴史に登場するのは11世紀初頭。今日でも町の中心部になっているヴィーレ / Wiehre 地区。ここにある小高い丘の上に立てられた城砦が、”Castrum de Friburch”と書簡に記述されており、街の名前はこれがなまって”Freiburg”になったと考えられています。

フライブルクの歴史

10世紀、街の西の堺の黒い森で銀の鉱脈が発見されます。それも上質の。早速、銀の採掘が始まり、街は一気にお金持ちになります。どんなにお金持ちの街だっから、それは今でも語り草になっており、まずは13世紀初頭、その財力を誇示する為に今日では町の象徴になっているミュンスターの建築を開始します。これは16世紀になってやっと完成する大事業でした。

さらには街を支配していた公爵と仲違い、公爵軍と町人の間で戦争になりますが、そこは戦争の素人、町人は敗退。敗退するもお金を持っていたので、公爵に15000マルクを銀貨で払い、公爵は街の支配権を街の評議会に引き渡します。

その後、フライブルクはハンガリーオーストリア帝国の庇護を受けることになりますが、その代償として戦時には兵隊を派遣する義務を負います。

ウイリアム テル

14世紀にはハープスブルク家(オーストリア帝国)の圧制に反抗する反乱軍と、帝国軍の戦いがありました。フライブルクは帝国軍として参戦します。しかし帝国軍は敗北を喫し、スイスが誕生する事に。これがシラーの物語、「ウイリアム テル」の題材になっています。

大学建設

戦の後(15世紀)大学が建設されたので、フライブルク大学はドイツで最も古い大学のひとつ。ドイツでは歴史の古い大学ほどいい大学であるケースが多く、この大学もこの例にもれず、著名な大学のひとつ。有名な音大もあり、街の人口は23万人程度ですが、その内2万5千人は学生で典型的な大学町です。

ドイツで一番日照時間の多い街

数多い都市の中で、フライブルクは最も天気がいい町です(人口が20万人を超える大都市の統計。)ドイツの日照時間の平均は1550時間なのに、この街の日照時間は1740時間と日照りの時間が最も長く、ワインの栽培が盛んです。

ちなみに第二位はシュトットガルトとアウグスブルクで、日照時間は1700時間です。この天気の良さに惹かれて、町の人口は未だに増加中。郊外には次々と新しいアパートが建っていますが、それでもまだ足らず、あちこちで工事現場が目につきます。

ちなみに日本と比較すると、日本で最も日照時間の少ない都道府県が1647時間。

参照 : 都道府県格付け研究所

すなわちドイツで最も日照時間の多い街は、日本で最も日照時間の少ない街とほぼ同じ。2月になると月の日照時間が10時間くらいで、朝から夕方まで暗いです。その分、夏になると過ごしやすさも手伝って、気分が一気に晴れます!

フライブルク 観光 – 銀の採掘で栄えた黒い森の大学街

フライブルクは銀の採掘で栄え、オーストリア ハンガリー帝国の衛星都市としてその保護を受けてたので、かっての栄華を彷彿させる立派な建造物が残ってます。一番有名なのはミュンスターと呼ばれる教会ですが、神聖ローマ帝国の国会が開かれたこともあり、街には皇帝や貴族が泊まった宿も残ってます。

近代化に伴いかって街を囲んでいた城壁はほとんど取り壊れて、残っているのはわずかに2つの監視(防御)塔だけ。戦後のフライブルクの発展に伴い、戦争の災禍を生き延びた中世の趣を残した家屋は取り壊され、住みやすい住宅に代わってしまいました。

それでも中心部にはまだお金持ちの商人や貴族が建てた建造物が残っており、史跡を見て歩くのが楽しいです。

何処に泊まる?

ホテル選びで大事なのは、観光に便利なロケーション。この観点でお勧めのホテルは3つ+2。最初は駅のホームに建っている Intercity Hotel。部屋は狭いが、まあ比較的安価で、宿泊費に1日定期券込み。

次が駅から歩いて3分のノボテル。朝食がおいしいです。ホテルの内装は、私がまだ大学生だったころから変わっていないので、古さは否めません。フライブルク のホテルの朝食のビュッフェ

そこで私が出張に利用しているのは、ミュンスターの近くにあるメルキュール。冷蔵庫はないが、浴槽とクーラー有り!夏に泊まっても寝れます。朝食はちと高く、従業員の愛想はないが、おいしかったです。ミュンスターまで歩いて3分という観光には最高の立地です。

街にはもうひとつメルキュールがあるので、お間違えなく。もうひとつのホテルは山の上にあり、見晴らしはいいですが、車がないといけません。おまけに照明のないカーブの細い道なので、一度、ホテルに入ったら外出不可能。

フライブルクにはドイツで最古の宿屋「赤熊」、”zum roten Bären“があります。なんと13世紀の開業です。場所はシュバーヴェン塔の手前で、ホテルの前に路面電車の駅もあり、まあ、アクセスは便利。心配なのは騒音かな。

「そんな安ホテルには泊まれないわ。」とおっしゃる貴兄には、街で唯一の高級ホテルでミシュランの☆付きレストランのあるコロンビ ホテル ” Colombi Hotel“はいかかでせう?駅から歩いて行ける距離に、、失礼、中央駅からタクシーでわずか2分です。

では、観光案内に戻ります。

中央駅

フライブルク のモダンになった中央駅入り口電車で到着される方が多いと思うので、まずは中央駅から始めます。フライブルクの中央駅、昔の姿を知っている人には目を疑うモダンで明るい建物になっています。駅の出口から直進すると中心部に行けるので、道に迷う心配はありません。

「歩いていくなんてとんでもない!」と言われる方は、中央駅に路面電車の駅が隣接しています。立体交差になっていますがエスカレーター、エレベーターがあるので、荷物があっても楽々登れます。街の中心部まで中央駅からわずか1駅、あるいは2駅(どこを見るかによります。)なので、荷物がなければ十分に歩いていけます。

コロンビ城

歩いていく場合ですが。しばらくすると左手にワイン畑が見えてきます。夏になるとワイン畑のその濃い緑がとても綺麗です。丘の上にはお城(博物館として使用中)が建ってます。コロンビ城

そもそもここは街を外敵の侵入から守る防壁と城塞が建っていました。ですから小高い丘になっています。19世紀にコロンビ伯爵家の未亡人が、ここに城と庭を築かせます。ですから名前はコロンビ城。今では街の博物館になっています。時間の余裕があれば、これも見ていきましょう。

参照 : freiburg.de  開館時間 火曜日~日曜日 10時~17時   入場料 7ユーロ

フライブルク 大学

旧市街の入り口で右折すると、フライブルク大学に行けます。まずは劇場が交差点にあり、その先に長く工事中だった大学図書館がついに完成してました。なんというシュールなデザイン!

フライブルク 大学の石作の大きな校舎と手間の多数の学生が止めた自転車通りをはさんで向かい側にある赤レンガの建物がフライブルク大学です。私が在籍中は前の道路はまだ車が走ってお入り、図書館に行くには歩道を渡っていく形でした。今ではこの街のど真ん中の道路も、車が締め出されてていました!(ご覧の通り道路が駐輪場に!!)お陰で歩道橋を渡る必要もなし。このままいくと数年後には旧市街全域で車の乗り入れが禁止されそうな勢いです。

大学の建物の裏(横)にはメンザ(学食)があります。ドイツ飯で学食ですから、まあ、味をどういう言うのは辞めておきましょう。それでもデユッセルドルフ大学よりはまだマシで、何よりも「お代わり!」ができる学食はここだけ?

4. 市役所

旧市街の入り口で直進して、地下道をくぐった先は、旧市街です。パサージェと呼ばれる通りですが、細い通りの左右に小さな商店が並んでおり、その先に広場があり、(左手)に旧市役所が建っています。

フライブルク の綺麗な市役所とその手前のカフェフライブルクには市役所が三つもあります。まず通りの角にある一番立派な建物が、新市役所 / Neus Rathaus です。その隣の真っ赤な建物が、旧市役所 / Altes Rathaus もうひとつの市役所は駅の向こう、Stühlinger 地区にあります。

真っ赤な建物の旧市役所は、14世紀に街がお役人の仕事場、書類の保管庫としてすでにここに建っていた建物を購入。かっては壁画も描かれていたこの建造物は、第二次大戦で消失、戦後、今の姿に再建されました。今、かっては旧市街の入り口にあった”Tourist Info”が入っています。

バルコニーのある新市役所の建物は、フライブルク大学が16世紀に購入、以後、300年に渡って大学として使用されてきました。19世紀、大学はもっと大きな講堂を建設したので、そちらに引越します。この機会にフライブルク市が購入して、市役所として使い始めます。

5. クジラの家 / Haus zum Walfisch

フライブルク の貴族の屋敷で通称クジラの家 / Haus zum Walfisch観光案内所のすぐ先にある、まるでお城のような建物は、かっては王様の宮廷の一部でした。16世紀にもっと威厳のある建物に再建され、フライブルクを訪問する神聖ローマ帝国の皇帝などの「お偉い様」が泊まった宿屋で、現在は銀行が入っています。

今は真っ赤に塗られていますが、以前はもっと落ち着いた色でもうちょっと風情がありました。

6. ミュンスター

ここまで来ると、「ミュンスター」の愛称で呼ばれている大聖堂が「嫌でも」見えてくるので、じらさないで大聖堂を見に行こう。普通のカメラ/レンズだと収まりきらないくらい高いです。塔の高さは116mもあります。スイスの歴史家がフライブルクのミュンスターの塔を、バーゼル、シュトラースブルクの塔を比較、「フライブルクの塔が地球上でもっとも綺麗な塔」と言ったことから、フライブルク市民は大喜び。度々、自慢話を聞かされます。

フライブルク 青空に映える大きな教会塔その自慢話に油を注いだのが、第二次大戦で爆弾が当たらなかった事。塔だけでなく、大きな胴体部分むほぼ無傷で戦争を生き延びました。神のご加護のお陰だと、市民は信じています。戦争は生き延びても、流石にに時代の流れには抵抗できません。完成したのが1513年ですから500年以上経ってます。

私が大学生の頃はまだ工事が始まっていなかったですが、以後、10数回訪問するといつも工事中。それでも工事の足場が小さくなっていたので、2020年頃には工事も終わりそうです。教会の入り口には彩色を施された像が並んでおり、圧巻です。

7. ミュンスター広場

ミュンスター前(それとも横)の広場は、地元の農家が農産物を販売する場所に使われています。営業時間は月曜日~土曜日の13時30分まで。インビスもあります。もっとも欲しい物がないっ!、ので早起きしていく価値はないかも?

参照 : muenstermarkt.freiburg.de

9月にはここでワイン売りが始まり、天気のいい日には涼しくなった夕方から夜になるまで、彼女とワインを飲みながら、楽しい時間を過ごすことができました。秋に留学される方は、楽しみにしておいてください。このミュンスター広場には、多くの史跡や噴水が多く並んでいます。

8. Kaufhaus / デパート

フライブルク かっての商人のKaufhaus / デパートミュンスターの周辺はお金持ちが住んでいたので、その家屋が立派です。とりわけ目をひく真っ赤な建物は、”Kaufhaus”(デパート)です。街に持ち込まれる品を税金を払うまで保管する場所、そして税金を払ったあとは売買する場所として利用されたので、この名前です。

建造されたのは16世紀初頭です。その後、バルコニーを増築したり、表面に装飾(絵)を施され、19世紀まで改築が終わることはなし。あまりに改築をやりすぎて不評だったので、20世紀には1880年以前の状態に復元されました。

街はハープスブルク王家の庇護になったので、建物の表面には王家の王様の像が飾れれてます。現在は民営化されて私企業がこの建物を運営しています。すなわちかなりの高額の使用料を払えば、部屋を借りて、ここでプレゼンテーションができます。一般人には入室はできません。

9. 衛兵の詰め所

大聖堂の横にあるりよく見逃してしまう建物は、”alte Wache”(衛兵の詰め所)です。18世紀にハープスブルク王家が兵隊をここに駐留させる目的で建造されました。今日では地元もワイン専門店として利用されています。

10. シュヴァーベン塔 / Schwabentor

フライブルク 山の上から見たシュヴァーベン塔 / Schwabentorミュンスターを見たら、シュヴァーベン塔を見に行こう。フライブルクに残っているかっての防御塔はふたつだけ。そのひとつがこのシュヴァーベン塔。かってはここが街の境界で城壁が巡らされていました。今では城壁はなく、道路になっています。

内側から見ると、城壁に絵が描かれています。これはフライブルクで有名な伝説のひとつ。19世紀にある商人が、「フライブルクを買う!」と思い立ち、馬車に黄金を詰めた樽をふたつ積み、街までやってきます。この商人の目的を聞いた住民は、この商人を笑い飛ばします。

馬鹿にされた商人は樽をあけて彼の財力を証明しようとしますが、中に詰まっていたのは砂。無謀な冒険に出かける前に、彼の奥さんがこっそり中身をすり替えていたんです。樽に入っている砂を見た住民の間には、さらに大きな笑いが広がったという話です。

11. 赤熊

フライブルクには国内最古の現在でも営業している宿屋、“Zum Roten Bären”(赤熊)があります。開業は1120年。目印は金の熊。場所はシュヴァーベン塔の目と鼻の先。今は建物は赤と白(ハープスブルク家の色)で描かれています。

12. 城塞

フライブルク 山の上にある支配者の城塞跡ここまで来たらフライブルクの起源になった、城塞を見に行こう。シュヴァーベン塔の横の回廊を渡り、坂道を15分ほど登ります。「しんどい。」という方には、ショーットカットもあります。レストラン行きのエレベーターを使うと、歩くのを半分省略できちゃいます。

山頂には城塞の遺跡があり、誇らしげにフライブルクの旗が風にはためいています。この城塞を作ったのはドイツ最古の貴族シュタウファー家の親戚、ツエーリンガー家。街の中央には電車の路線が交差する停車場、「ベルトルト井戸」の駅があり、ここにシュールな彫刻があります。このベルトルト公爵こそが、フライブルクの創設者、ツエーリンガー家の公爵です。

ツエーリンガー家は、11世紀から12世紀まで街を支配していました。フライブルクのミュンスターは、実はこの公爵のお墓として建設が始まったんです!ところが公爵はミュンスターが完成する前に死去、お家もお世継ぎなく死滅しました。これを利用してお金持ちのフライブルクを支配したのが、フライブルク伯爵と名乗った別の貴族。

フライブルク市民にはとても人気がなく、最後には戦争に発展することに。市民は大勢の戦死者を出して敗退。これが理由でベルトルト公爵は今でも街の人気者、フライブルク伯爵は嫌われ者で、どこにもその名前が残っていません。

ここから撮るミュンスターの写真は、フライブルク絵葉書のモチーフになっています。午後は教会に影が落ちるので撮影には午前中がお勧め。また頂上は木々が茂っているので、中腹から撮るのがベストです。

13. マルチン塔 / Martinstor

フライブルク マルチン塔 / Martinstorフライブルクに残っているもう一つの塔が、目抜き通りのカイザーヨーゼフ通りの先にある、マルチン塔だ。フライブルク大学の目と鼻の先。なんと13世紀の建造物。

この塔の横には、昔からマクドナルドが入っており、今でも健在だ。その先にはスターバックも。通りの向い、細い路地の先にあるMarin’s Bräu(マルチンビール鋳造所)は、私が大学生だった頃に通った居酒屋。ソーセージが名物なので、「ドイツでソーセージを食べたい!」という方、お試しあれ。

14. アウグステイーナー広場 / Augstinerplatz

市内中心部に向かって戻っていくと、左手に”Augstinerplatz“が見えてきます。同名のアウグステイーナ博物館 /”Augustinermuseum”がここにあります。市内中心部がベルトルトブルネン /”Bertoldsbrunnen”と呼ばれる彫刻の立っている場所で、路面電車の乗り継ぎの要所になっています。

近郊 & 郊外の観光地

フライブルクの郊外には観光場所が多く、Titiseeや、Schauinslandはもとより、フランスまで足を伸ばすと、と~っても風光明媚なColmarがあります。車では一時間なので、車で行かれた方はコルマーは必修課題です。(電車だと1時間半程度)。車で行くなら途上にあるBreisachの街も見ておきたい。モンサンミッシュエルのように、小高い丘の上にそびえ建ち、その周りを城壁が巡っています。

生活と物価

街には幾つも大学があり、天気がいいとなれば、誰でも住んで見たいです。お陰でフライブルクにおける住居探しは大変です。小さなWGでも300EURくらいします。又、環境都市の名前にふさわしく、ごみ代金などの雑費が高く、生活費の安い町ではありません。この高い生活費は、語学学校が提供している宿泊施設の料金にも反映されており、予算重視の留学先には向いていません。

フライブルク留学

ご予算があれば、独自の宿舎を持っているゲーテをお勧めします。留学される民さんからのご要望のひとつ、「学校まで歩いていける宿泊先。」を満たしています。ご予算的に少し厳しいようでしたら、フライブルクでも大手の語学学校、” zum Ehrstein” をお勧めします。

 

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