今や日本でもテレビなどで報道されるほど有名になった フライブルク 。
名前をご存知の方も多いと思います。
デュッセルドルフやケルンなどの工業都市と比べると、趣のある古い建物が多く残っている綺麗な街です。
世界遺産都市のバンベルクやレーゲンスブルクには叶いませんが、その分、観光客が少なくていい。
さらにはドイツで最も日照時間の多い街で、ワインも旨くて安い。
となれば、
「フライブルクに留学したい!」
という方が多いのもうなずけます。
そこでここではかってのフライブルク大学生の私が、観光名所に加えてこの街に住む利点と欠点をご紹介します。
街の紹介 フライブルク
まずは街の紹介から。
正式名称は Freiburg im Breisgau あるいは短縮して Freiburg i. B. と書きます。
というのも欧州には、フライブルクという名前の町がたくさんあります(*1)。
そこで、
「このフライブルクはブライス ガウの方だよ!」
と、区別して記述しています。
そのフライブルクは、ドライザーム / Dreisam 川の河畔に築かれた街。
旧市街は標高の高い、北岸に築かれました。
街の人口は23万人で、ドイツでは大規模都市 / Großstadt と呼ばれます。
コンスタンツを除けば、ドイツのもっとも南にある大都市です。
このためアルプスがフライブルクの気候に大いに影響しており、雨が少なく、フェーン現象で気温が急上昇することがあります。
行き方
フライブルクの街はドイツの左下(南西)、黒い森の淵にあります。
おフランス国境まで車で30分の距離です。
最寄り空港はバーゼル空港です。(*2)
バーゼル空港からフライブルクの中央駅までは、50番のバスが15分置きに運行中(*3)。
所要時間は20分で、運賃は6,1フランケン。
民間のバスも走ってます。
こちらはわずかに安くて6ユーロほど。
もしフランクフルト空港から電車で行くと、一度マンハイムで乗り換えが必要です。
接続がいい便でも、2時間10分かかります。
公共交通機関
フライブルク市内は、路面電車と路線バスが縦横無尽に走っています。
通学、通勤、お買い物にとっても便利。
定期券は他の街のように
“Monatskarte”(月極切符)
と言わないで、
“Regiokarte”(地域切符)
と言うのは、フライブルクだけ。
始めて聞くと、
「何、それ?」
です。
ドイツで一番日照時間の多い街
数多い都市の中で、
ドイツの日照時間の平均は1550時間なのに、フライブルクの日照時間は1740時間。
このお天気と山の斜面を利用して、ワインの栽培が盛んです。
この天気の良さに惹かれて、人口は未だに増加中。
郊外には次々と新しいアパートが建っていますが、それでもまだ足らず、あちこちで工事現場が目につきます。
環境都市 フライブルク
フライブルクと言えば環境都市。
言うは安しですが、環境都市への第一歩は、利便性の放棄から始まります。
環境を破壊する二酸化炭素、空気汚染の悪玉、酸化窒素を削減する為、フライブルクでは旧市街の道路が次々に自転車専用道路、歩行道路へと姿を変えています。
自動車で通勤すると、ただでも少ない道路に大量の車が押し寄せて、通勤時、帰宅時にはものすごい渋滞が発生しています。
環境都市に住むなら、公共交通機関か自転車に転換せざるを得ません。
日本のように冬でも暖かい気候なら、自転車でも問題ないですが、ドイツの冬の自転車は〇〇まで凍る寒さです。
高いゴミ料金
環境都市の犠牲は、通勤の足だけにとどまりません。
環境都市のゴミ料金は高いっ!
ドイツではゴミ代金はアパートの雑費に含まれており、いうならば出し放題。
しかしその代金が、べらぼうに高いです!
デユッセルドルフで60リットルのごみ箱のごみを週一回、回収してもらうと68.4ユーロです。
これがフライブルクだと136ユーロです。
観光都市のゴミ代金は、デユッセルドルフの2倍です!
そして高いのは、ゴミ代だけじゃないっ!
環境都市と言えば聞こえがいいかもしれませんが、そこに住むのはそんなに楽ではありません!
フライブルク 名前の由来
フライブルクの名前の由来は、今日でも街の中心部になっているヴィーレ / Wiehre 地区。
ここにある小高い丘の上に立てられた城砦が、
“Castrum de Friburch”
と、11世紀の書簡に記述されています。
手っ取り早く言えば、フライブルク城塞です。
これがなまって、”Freiburg”になったと考えられています。
フライブルク の歴史
フライブルクの歴史も見ておきましょう。
10世紀、街の堺にある黒い森で銀の鉱脈が発見されます。
それも上質の。
早速、銀の採掘が始まり、フライブルクは一気にお金持ちになります。
どんなにお金持ちの街だっから、それは今でも語り草になっています。
まずは13世紀初頭、その財力を誇示する為に今日では町の象徴になっているミュンスターの建築を開始します。
これは16世紀になってやっと完成する大事業でした。
さらには街を支配していたフライブルク公爵と仲違い、公爵軍と町人の間で戦争になります。
が、そこは戦争の素人、町人は敗退。
戦争には負けてもフライブルクはお金持ち。
公爵に15000マルクを銀貨で払い、街の支配権を評議会が取り戻します。
ハンガリー オーストリア帝国の庇護下
その後、フライブルクはハンガリー オーストリア帝国の庇護を受けることになります。
その代償として、戦時には兵隊を派遣する義務を負います。
14世紀、ハープスブルク家(オーストリア帝国)の辺境、山間の村落で帝国の圧制に反抗して、市民が立ち上がります。
オーストリア帝国は反乱を鎮圧するため、帝国軍を派遣します。
その際、フライブルクは帝国軍として参戦します。
しかし帝国軍は敗北を喫し、スイスが誕生する事に。
これがシラーの物語、
「ウイリアム テル」
の題材になりました。
大学創設
戦の後(15世紀)、義務を果たしたフライブルクの労をねぎらって、フライブルク大学が創設されます。
オーストリア帝国内で三つの目の大学です。
ドイツでは歴史の古い大学ほどいい大学であるケースが多く、この大学もこの例にもれず、著名な大学のひとつ。
フライブルクの人口は23万人程度ですが、市内には有名な音大もあり、その内2万5千人は学生という典型的な大学町です。
フライブルク 観光 – 銀の採掘で栄えた黒い森の大学街
ではいよいよフライブルク観光です。
街は銀の採掘でお金持ちになったので、かっての栄華を彷彿させる立派な建造物が旧市街に多く残ってます。
一番有名なのはミュンスターと呼ばれる大聖堂です。
フライブルクで神聖ローマ帝国の国会が開かれたこともあり、皇帝や貴族が泊まったかっての宿も残ってます。
近代化に伴いかって街を囲んでいた城壁はほとんど取り壊れて、残っているのはわずかに2つの監視(防御)塔だけ。
戦後の発展に伴い、戦争の災禍を生き延びた中世の趣を残した家屋は取り壊され、住みやすい住宅に代わってしまいました。
それでもフライブルク中心部にはまだお金持ちの商人や貴族が建てた建造物が残っており、史跡を見て歩くのが楽しいです。
フライブルク 中央駅
電車で到着される方が多いと思うので、まずは中央駅から始めます。
“ZOB”と呼ばれるバスの中央駅も隣接しており、バーゼル空港からのバスもここに止ります。
フライブルク中央駅、昔の姿を知っている人には目を疑うモダンで明るい建物になっています。
駅の出口から直進すると中心部に行けるので、道に迷う心配はありません。
「歩いていくなんてとんでもない!」
と言われる方は、中央駅から路面電車を利用しましょう。
路面電車駅
路面電車駅は(立体交差になっているので)中央駅の上にあります。
エスカレーター、エレベーターがあるので、荷物があっても楽々登れます。
フライブルクの中心部まで、中央駅からわずか1駅、あるいは2駅なので(*5)。
大きな荷物がなければ十分に歩いていけます。
コロンビ小城 / Colombischlössle
中央駅から歩いていくと300mほどで、左手にワイン畑が見えてきます。
夏になるとワイン畑のその濃い緑が、とても綺麗です。
丘の上には小さなお城が建ってます。
そもそもここは、フライブルクを外敵の侵入から守る防壁と城塞が建っていました。
ですから小高い丘になっています。
19世紀にコロンビ伯爵家の未亡人が、ここに城と庭を築かせます。
ですからお城の名前はコロンビ小城 / Colombischlössle 。
今では発掘博物館になっています。
金銀財宝が展示されているので、時間の余裕があれば、これも見ていきましょう。
- 開館時間 火曜日~日曜日 10時~17時
- 入場料 7ユーロ
フライブルク 大学 / Universität Freiburg
コロンビ小城の先で、街の幹線道路が左右に走っています。
ここで右折すると、フライブルク大学 / Universität Freiburg に行けます。
久しぶりに行ってみると、長く工事中だった大学図書館がついに完成してました。
なんというシュールなデザイン!
通りをはさんで向かい側にある赤レンガの建物が、フライブルク大学です。
私が在籍中は図書館と大学校舎の間の道路、まだ車が走ってました。
この為、図書館に行くには歩道橋を渡っていく形でした。
今ではフライブルクのど真ん中の道路も、車が締め出されていました!
ご覧の通り道路が駐輪場に!!
お陰で歩道橋を渡る必要もなし。
このままいくと数年後には、旧市街全域で車の乗り入れが禁止されそうな勢いです。
メンザ(学食)
大学の建物の裏(横)にはメンザ(学食)があります。
ドイツ飯で学食ですから、まあ、味をどういう言うのは辞めておきましょう。
それでもデユッセルドルフ大学よりはまだマシ。
何よりも
“Nachschlag”(お代わり!)
ができました!
演劇場 / Theater Freiburg
大学図書館の隣にあるのが、演劇場 / Theater Freiburg です。
建造されたのはドイツが、
「イケイケドンドン」
だった第一次大戦前。
それまではミュンスター広場の穀物倉庫を演劇場に代用していたんですが、1905年、立派な演劇場が建設されました。
小さな舞台と大きな舞台があり、結構、頻繁に演劇が上演されています。
フライブルク 新市役所 / neues Rathaus
旧市街の入り口で直進して、地下道をくぐった先は旧市街です。
まずはお買い物通りがあり、ここを抜けた先に広場があり、(左手)に市役所が建っています。
これが実にややこしい。
フライブルクには市役所が三つもあります。
まず角にある一番立派な建物が、新市役所 / Neues Rathaus です。
フライブルク大学が16世紀に購入、以後、300年に渡って大学として使用されてきました。
19世紀、大学はもっと大きな講堂を建設したので、そちらに引越します。
この機会に市が購入して、市役所として使い始めます。
旧市役所 / Altes Rathaus
新市役所の隣の真っ赤な建物は、旧市役所 / Altes Rathausです。(*6)
14世紀に街がお役人の仕事場、書類の保管庫としてすでにここに建っていた建物を購入。
かっては壁画も描かれていたこの建造物は、第二次大戦で消失、戦後、今の姿に再建されました。
かっては旧市街の入り口にあった”Tourist Info”が入っています。
クジラの家 / Haus zum Walfisch
観光案内所のすぐ先にある、まるでお城のような建物はクジラの家 / Haus zum Walfisch です。
かっては王様の宮廷の一部でした。
フライブルクがハープスブルク家の庇護を受けるようになって派遣されてきた
「財産管理人」
が、住居兼執務室として建造させた屋敷です。
変わった家の名前の由来は、聖書に登場するクジラだとか。
完成したのは1517年。
神聖ローマ帝国の皇帝などの
「お偉い様」
がフライブルクを訪問する際は、宿屋としても利用されました。
今は皇帝の代わりに、シュパールカッセの一部として利用されてます。
ミュンスター広場 / Münsterplatz
ここまで来ると、「ミュンスター」の愛称で呼ばれている大聖堂が嫌でも見えてくるので、じらさないで大聖堂を見に行こう。
フライブルクの真ん中あるのが、ミュンスター広場 / Münsterplatz です。
石畳が引かれたミュンスター広場は、市場として利用されています。
嫌でも目に入るミュンスター広場のこの建物は、かっての穀物倉庫です。
そう、演劇が上演されていた倉庫です。
私が学生時代、その倉庫に入っていたレストランがベトナムマフィアに襲われる
「背筋も凍る残虐事件」
があったあんですよ~。
ミュンスター市場
ミュンスター広場で市場が開かれるのは、月曜日~土曜日の13時30分まで。
地元の農家が農産物を販売しています。
インビス(屋台)もありますが、
日本のテレビ番組は(視聴率を上げるため)えらく褒めちぎっていましたが、早起きしていく価値はないかも?
9月にはここでワイン売りが始まります。
涼しくなった夕方から夜になるまで、ワインを飲みながら楽しい時間を過ごすことができました。
秋にフライブルクに留学される方は、楽しみにしておいてください。
ミュンスター / Münster
ミュンスター広場の真ん中に、
「ど~ん!」
と建っているのがミュンスター / Münster 。
普通のカメラ/レンズだと収まりきらないくらい高いです。
塔の高さは116mもあります。
スイスの歴史家が、
「フライブルクの教会塔が、地球上でもっとも綺麗な塔」
と言ったことから、フライブルク市民は大喜び。
度々、自慢話を聞かされます。
その自慢話に油を注いだのが、第二次大戦で爆弾が当たらなかった事。(*7)
戦争は生き延びても、流石にに時代の流れには抵抗できません。
完成したのが1513年ですから500年以上経ってます。
私が大学生の頃は、まだ工事が始まっていなかったです。
が、以後、10数回訪問するといつも工事中。
それでも工事の足場が小さくなっていたので、2022年頃には工事も終わっている?
- 入場時間 10時~17時
- 入場料 基本無料ですが一部2ユーロ 塔は5ユーロ
教会の入り口
教会の入り口には、彩色を施された像が並んでおり、圧巻です。
Kaufhaus / デパート
ミュンスターの周辺はお金持ちが住んでいたので、瀟洒な建物が目白押し。
その立派な家屋を堪能していきましょう。
とりわけ目をひく真っ赤な建物は、”Kaufhaus”(デパート)です。
フライブルクに持ち込まれる品を税金を払うまで保管する場所、そして税金を払ったあとは売買する場所として利用されたので、この名前です。
建造されたのは16世紀初頭です。
その後、バルコニーを増築したり、表面に装飾(絵)を施され、19世紀まで改築が終わることはなし。
あまりに改築をやりすぎて不評だったので、20世紀には1880年以前の状態に復元されました。
フライブルクはハープスブルク王家の庇護にあったので、建物の表面には歴代の王様の像が飾られてます。
現在は民営化されて、私企業がこの建物を運営しています。
かなりの高額の使用料を払えば、部屋を借りて、ここでプレゼンテーションができます。
一般人には入室はできません。
衛兵の詰め所 / alte Wache
大聖堂の横にあるよく見逃してしまう建物は、衛兵の詰め所 /”alte Wache”です。
18世紀にハープスブルク王家が、兵隊をフライブルクに駐留させる目的で建造されました。
今日では地元のワイン専門店として利用されています。
観光のついでに
「一杯ひっかけてから」
観光を続けると、気分がいいかも?
お土産用の高級ワインを探している方は、まずはホームページをご覧あれ。
シュヴァーベン門 / Schwabentor
ミュンスターを見たら、次はシュヴァーベン門 / Schwabentor を見に行こう。
フライブルクに残っているかっての城門はふたつだけ。
そのひとつがこのシュヴァーベン門。
かってはここが街の境界で、城壁が巡らされていました。
城壁を取り壊して出来たスペースは道路になっているので、道路がクネクネと曲がってます。
おら、フライブルクを買うだ!
シュヴァーベン門を内側から見ると、塔に絵が描かれています。
これは有名な伝説のひとつ。
19世紀にある商人が、
「おら、フライブルクを買うだ!」
と思い立ち、馬車に黄金を詰めた樽をふたつ積み、街までやってきます。
この商人の目的を聞いた住民は、この商人を笑い飛ばします。
馬鹿にされた商人は樽をあけて彼の財力を証明しようとしますが、中に詰まっていたのは砂。
無謀な冒険に出かける前に、彼の奥さんがこっそり中身をすり替えていたんです。
樽に入っている砂を見た住民の間には、さらに大きな笑いが広がったという話です。
ホテル 赤熊 / zum roten Bären
フライブルクには国内最古の宿 赤熊 / zum Roten Bären があります。
開業は1120年。
目印は金の熊。
場所はシュヴァーベン塔の目と鼻の先。
今は建物は赤と白(ハープスブルク家の色)で描かれています。
ホテルの前を電車が走っているので、夜間、早朝の騒音が気になりますが、
「早起きするからいいよ!」
という方はお試しあれ。
城山 / Schloßberg
ここまで来たらフライブルクの起源になった、城塞跡を見に行こう。
城塞があるのは言わずもがな、山の上。
正式名称は 城山 /”Schloßberg”です。
ここからの見晴らしが素敵です。
シュヴァーベン塔の横の回廊を渡り、坂道を15分ほど登ります。
「しんどい。」
という方には、ショーットカットもあります。
レストラン行きのエレベーターを使うと、歩くのを半分省略できちゃいます。
山頂には城塞の遺跡があり、誇らしげにフライブルクの旗が風にはためいています。
見晴らし台からの眺めはいいし、夏は風がガンガン吹いて心地いい。
体力を観光で使い切る前に挑戦ください。
ちなみに写真撮影にはお昼前が最適です。
ツエーリンガー家 / Zähringer
城山の城塞を作ったのは、ツエーリンガー家の領主、ベルトルト公爵です。
ドイツ最古の貴族であるシュタウファー家の親戚です。
フライブルクに電車の路線が交差する停車場、
「ベルトルト井戸」
の駅があり、ここにシュールな彫刻があります。
「何、コレ?」
としばらく思ってましたが、フライブルクの創設者、ツエーリンガー家の公爵の像です。
ツエーリンガー家は、11世紀から12世紀まで街を支配していました。
フライブルクのミュンスターは、実はこの公爵のお墓として建設が始まったんです!
マルチン門 / Martinstor
フライブルクに残っているもう一つの塔が、目抜き通りのカイザーヨーゼフ通りの先にある、マルチン門 / Martinstor 。
大学の目と鼻の先。
なんと13世紀の建造物。
この塔の横の建物には、昔からマクドナルドが入っており、今でも健在だ。
その先にはスターバックスも。
アウグステイーナー広場 / Augstinerplatz
マルチン塔をくぐって200mほど先、右手にアウグステイーナ広場 / Augstinerplatz があります。
ここはフライブルク旧市街のなだらかな丘陵地。
丘の上にあるショッピングセンターの入り口には、高低差を克服する為に大きな階段が。
フライブルクの観光局は、
「スペイン階段」
と呼んでいます。
実際には暇を持て余した若者が携帯ゾンビと化して、電気がなくなるまで階段に座ってます。
「商売の邪魔!」
と、非難の的。
皆さんは真似されませんように。
アウグステイーナ博物館 / Augustinermuseum
ここには路面電車の停車場、”Oberlinden”があります。
私の学生時代は確か
“Augustinermuseum”(アウグステイーナ博物館)
という名前だったんですけどね。
フライブルク大学生時代、無料で入れました。
無償だったためか有難味がなく、すぐに飽きて出てしまいました。
今は有料。
それも結構高い。
民俗学に興味のある方向け。
- 開館時間 : 10時~17時
- 入場料 : 通常は5ユーロ、展覧会中は7ユーロ
フライブルク 近郊 & 郊外の観光地
フライブルクの郊外には、観光場所が多いです。
日帰りできる観光場所を幾つか紹介したいと思います。
Schauinsland
その一つが、以前は銀鉱山と呼ばれていた”Schauinsland”。
シャオインスランドと呼んでください。
そう、フライブルク発展の元になった銀鉱山のあった場所です。
昔の銀鉱山に入ったり、標高1284mの山頂に行ける🚠に乗るのが、シャオインスランド観光の王道。
Titisee
もうひとつの人気の観光場所が
“Titisee”
と呼ばれる湖。
正直に言うと、湖しかありません。
そこに行くまでの車窓からの景色が素晴らしい。
運が良ければ野生のトナカイが拝めます。
夏は泳ぎに行ってました。
Staufen
私のドイツ留学先の”Staufen”。
人口7500人。
何もない、、、と思ったら、結構見所が。
山の上には12世紀に建造された城塞の残骸、もとい、遺跡が。
市役所はゲーテのファウストでも登場。
川沿いには有名なケーキ屋、”Cafe Decker”があります。
有名な黒い森のさくらんぼケーキもありますよ~。
コルマール
フランスまで足を伸ばすと、と~っても風光明媚なコルマールがあります。
車で一時間の距離なので、フライブルクに留学される方にはコルマールは必修課題です。
車で行くなら途上にあるBreisachの街も見ておきたい。
モンサンミッシュエルのように、小高い丘の上にそびえ建ち、その周りを城壁が巡っています。
冬になると近郊の山に雪が積もるので、スキーもできるのが(スキー好きには)たまらない。
生活と物価
最後に生活と物価も見ておきましょう。
フライブルクには幾つも大学があり、天気がいいとなれば、誰でも住んで見たいです。
お陰で住居探しは大変です。
小さなWGでも400EURくらいします。
問題は家賃よりも、空き部屋の圧倒的な少なさ。
日本のように、
「不動産屋に行けば、空き部屋がある。」
というものではありません。
空いてる部屋 < 部屋を探す学生
という状態で、運がよくなければ部屋の確保は難しいです。
さらには環境都市という事もあり、水道代金、ごみ代金などのアパートの雑費が高く、生活費の安い町ではありません。
この高い生活費は、語学学校が提供している宿泊施設の料金にも反映されてます。
フライブルクは予算重視の留学先には向いていません。
マルチンビール鋳造所 / Marin’s Bräu
マルチン塔の前で右に曲がるとフライブルク大学。
左に曲がると、細い路地の先にMarin’s Bräu(マルチンビール鋳造所)があります。
私が大学生だった頃に通った居酒屋。
ソーセージが名物なので、
「ドイツでソーセージを食べたい!」
という方、お試しあれ。
フライブルク お勧めイタ飯レストラン D.O.C.
「ドイツに行ったら、絶対にソーセージ!」
というお友達と一緒でなければ、旅行先での食事はイタ飯をお勧めします。
出張先でレストランを探す暇がなくて適当に入店、それでいて間違う可能性が低いのがイタ飯です。
フライブルクのイタ飯屋は片っ端から行きましたが、ここはビジネスパートナーに教えてもらった店。
その名前は D.O.C.。
何の省略かは不明。
飾りはそっけないし、とても美味しそうな店には見えません。
が、ウマイ!
トルテリーニはその日に手作りしたもの!
これまで最高のイタ飯レストランでした。
唯一文句を言うなら、量が少ないっ!
地元民に凄い人気なので、予約なしで席を確保するのは難しいです。
そこで連絡先を紹介しておくので、
「旅行の記念に、おいしいものが食べたい!」
という方、夕食は予約を取ってからきましょう。
- 住所 : Gerberau 9, 79098 Freiburg im Breisgau
- 営業時間 : 11時30分~14時 19時~22時
- 定休日 : 月曜日
- 地図 : Googleマップ
フライブルク 留学
フライブルク留学をお考えの方には、ご予算があれば、独自の宿舎を持っているゲーテをお勧めします。
中央駅から & 学校まで徒歩10分。
部屋は広いし、トイレ&シャワー付き。
勿論、Wifi 有り。
近くに大きなスーパーはあるし、生活環境は抜群です。
ご予算的に少し厳しいようでしたら、市内大手の語学学校” zum Ehrstein”
コロナ禍で学校の再編を余儀なくされましたが、教師陣が若がって、
「メリハリ」
のある授業を提供しています。
何処に泊まる?
ホテル選びで大事なのは、観光に便利なロケーション。
この観点でお勧めのフライブルクのホテルは4つ。
Intercity Hotel
最初は駅のホームに建っている Intercity Hotel。
これで道に迷ったら、あなたは天才。
部屋はかなり狭い。
が、比較的安価に泊まれます。
宿泊費に1日の定期券込み。
ノボテル
次席が駅から歩いて3分のノボテル。
朝食がおいしいです。
難点はホテルの内装。
私がまだフライブルク大学生だったころから変わっていません。
古さは否めません。
メルキュール フライブルク
そこで私がフライブルク出張に利用しているのは、ミュンスターの近くにあるメルキュール。(*8)
部屋に冷蔵庫こそないが、ちゃんとダブルベット。
シングルのマットレスを並べた手抜きダブルじゃなくて、本当のダブルベット。
さらには浴槽とクーラー有り!
夏に泊まっても寝れます。
朝食はちと高く、従業員の愛想はないが、おいしかったです。
ミュンスターまで歩いて3分という観光には最高の立地です。
Colombi Hotel
「そんな安ホテルには泊まれないわ。」
とおっしゃる貴兄には、街で唯一の高級ホテル” Colombi Hotel”をお勧め。
ミシュランの☆付きレストランがあります。
駅から歩いて行ける距離に、、
失礼、中央駅からタクシーでわずか2分です。
注釈
*1 とりわけスイスのフライブルクは綺麗です。
*2 正確な名前は、オイロエアポート バーゼル フライブルク。多くの方は、「スイスのバーゼル空港」と思っていますが、 空港はおフランスの領土内にあります。
*3 コロナ禍のため、便数が減っています。
*4 厳密に言えば、ブライスガウ地区が最も日照時間の多い地区で、フライブルクはブライスガウ地区最大の街。
第二位はニュルンベルクの1698時間、三位はアウグスブルクの1692時間です。
*5 何処を「中心部」と見るかで、1駅、あるいは2駅になります。通常は2駅かな?
*6 もうひとつの市役所は駅の向こう、Stühlinger 地区にあります。
*7 塔だけでなく、大きな胴体部分むほぼ無傷で戦争を生き延びました。神のご加護のお陰だと、フライブルク市民は信じています。
*8 フライブルクにはメルキュールホテルがふたつあります。もう一つは城山の山頂。間違って予約したら、山頂までバスもないのでたどり着けません!