アウグスブルク と言っても、「アウ、、何だって?」と聞き返されるくらい日本では無名な町。しかしアウグスブルクはミュンヘンとニュルンベルクに次ぐ、バイエルン州で3番目に大きな都市。

今や29万人もの人口を抱えている。日本なら「たった29万人?」だが、ドイツなら立派な大都市で、ロマンチック街道の城砦都市です。

街の紹介 アウグスブルク

人口増加の原因、それとも原動力?はふたつ。最初のひとつは大都市ミュンヘンのお陰です。ミュンヘンの発展と共に、家賃が高騰。こんな高い場所には住めないと、アウグスブルクに移り住む人が増えました。

もうひとつ、そして最大の理由は生産業、それも地場発祥の大企業が多い点。市内には大学が2つあり、優秀な学生を育成しています。企業はこの優秀な学生を求めて、この地に会社の本社、研究所、工場を建設。お陰でとっても景気がいいです。

さらにアウグスブルクはフライブルクに並ぶ、日照時間の多い街。ミュンヘンほど物価が高くなく、訛りはあるが人が優しいので、とっても住みやすいです。難点は、日本食が手に入りにくい点。

アウグスブルク豆知識

「いや、そんなことはい。アウグスブルクなら知っている。」って稀有な方に遭ったら、「じゃ、どの河畔に築かれた街なの?」って、知らないフリをして聞いてみよう。ライン河はケルンやデユッセルドルフだし、マイン河はフランクフルトやヴュルツブルク

考えた挙句に、「ドナウ河じゃない?」って答えが返ってきたら、「惜しい!」って褒めてあげよう。アウグスブルクはレヒ河とヴェアタッハ河のふたつの河畔に囲まれている。ヴェアタッハ河はアウグスブルクンの北でレヒ川に流れ込み、そのレヒ河はアルプス(オーストリア)が源で、アウグスブルクの北の街、ドナウヴェアトでドナウ川に流れ込んでいる。

だからドナウ川ではないが、まあ、中らずと雖も遠からず。二つの河川が天然の障害になって、ここに城塞都市を築くのには都合がよかった。

世界遺産に登録!アウグスブルクの水路網

結果、アウグスブルクは水に恵まれた街です。町中に水路が巡らされています。それもフライブルクのような、ケチな水路じゃない!何も知らない人が見れば、小川です。この水路網が2019年、世界遺産に登録されました!

参照 : augsburger-allgemeine.de

旧市街地は丘の上。ここに水を配給するため街のあちこちに水路が施され、街の隅々まで水が行き渡っています。数々の噴水も、この水路があったから設置が可能になりました。これが街の発展に貢献、そして街がこれを、「水道あるからもう要らない。」と埋め立てず、今日まで大金をかけて保護している点が評価されました!

観光に行ったら、是非、見てください。そこら中で水が流れてます!噴水の数もとっても多いです。

水路

街の歴史 – ローマ帝国の植民地

かっては交易の要所であったが、工業化の波に取り残されて意味を失う町が多い中、アウグスブルクは稀に見る例外で、工業化の波に上手く乗った。

名だたる大企業がこの地で多く誕生した。戦前にはメッサーシュミットや”MAN社”などの工場があったため、第二次大戦中に何度も空襲に遭ってしまった。お陰で貴重な建築物の多くが破壊されてしまったのが残念。

ローマ帝国の植民地

ドイツでは、トリアーに次いで2番目に古い歴史を持つ街です。ミュンヘンがまだ小さな集落だった頃、ローマ帝国の植民地の首都として栄えていました。この植民地がAugusta Vindelicorum と呼ばれたのが、町の名前の起源です。

町の表象(ドイツ語で”Wappen”)になっている”Zirbelnuss”(松ぼっくり)は、この地方には自生しないので、ローマ帝国の植民地だった頃の名残ではないかと言われています。

参照 : Stadt Augsburg

ゲルマン化

5世紀になるとゲルマン4大種族のひとつ、アレマーネンが東からこの地に侵入、ローマ人を追い出してこの地をゲルマン化した。8世紀にはカール大帝率いる同じゲルマン種族のフランケン族がこの地に侵入して占領、街はフランク王国の一部となる。

街の発展

10世紀には東フランク帝国の王様、オットー1世が街の南で東からの脅威であったマジャール人を撃破して、街の発展が始まる。12世紀には”Reichsstadt”に昇格(ミュンヘンよりも2年早い)。これが市民の自慢です。

13世紀にオーストリアのハープスブルク家が、街に税金を徴収する権利を与えると税金で潤う。15世紀にはヨーロッパの出版業の中心地になり、16世紀には株式市場までオープンしている。

フッガー家

街が誇る有名人と言えば、フッガー家をおいて他にない。フッガー家は14世紀からイタリアの織物を輸入して販売、最初の富を築いた。15世紀にヤコプ フッガーが経営を引き継ぐと銀行業に事業を拡大、カトリック教会、ハープスブルク家などを顧客に数え、事業は順調に拡大した。

儲かった金を銀、銅鉱山に投資、その後は水銀、鉛などにも事業を広げ大成功。膨大な富を抱え、“Jakob Fugger der Reiche”(金持ちのヤコプ フッガー)という異名を頂戴した。フッガー家が凋落した今日でもアウグスブルクの街は、「フッガーの町」と呼んで、かっての盛況ぶりを偲んでいる。

参照 : Wikipedia

アウグスブルクの和議

16世紀には宗教闘争が表面化するアウグスブルクは福音派(ルター派)の砦となり、他の宗派、特にカトリック宗派を弾圧し始めた。これにオーストリア帝国が怒り、軍を派遣して街を焼き払おうとした。

ここで上述のヤコプ フッガーが介入、街の身代金をオーストリア皇帝に払い、街は救われた。1555年に有名な「アウグスブルクの講和」が締結されて、どの宗派も自由に信仰をする事が可能になった。しかし紛争はくすぶり続け30年戦争に発展。

戦争中はスウエーデン軍に占領され、17世紀にはバイエルン軍に短期占領され、町は衰退する。この頃にアウグスブルクで望遠鏡が発明されて、欧州全域から注文が殺到、町はこれまでになかった栄華を迎えることになる。

ナポレオン戦争

アウステリッツの戦いでナポレオンがロシア、オーストリア連合軍を撃破すると、ナポレオンに加担したバイエルン王国は戦勝国。その褒美として、隣の州に属していた経済的に重要な東シュバーベンが割譲された。

これが原因で今日までアウグスブルクはバイエルン州に帰属している。シュバーベン人は本来、隣接するバーデン ヴュルテムベルク州に多く住んでいるので、バイエルンに住むシュバーベン人は混乱を避けるため、「バイエルンのシュバーベン」と呼んでいる。

アウグスブルク で何処に泊まる?

ローケーションを重視して一泊するなら、中央駅前の“Intercity Hotel”。部屋は典型的な三ツ星だが便利なロケーションにあり、安価、そして宿泊費に市内の電車、バスのチケット込み。自動販売機の前に立って、「どのチケットを買えばいいの?」という悩みを省略できます。

何よりも空調機を備えているので、夏の猛暑時期でもほのかに涼しい風が出てくるので、夜、寝れます。予算に余裕がある方には、街で一番の高級ホテル、フッガー屋敷の横にある“Drei Mohren”をお勧めします。

アウグスブルク 観光 – ロマンチック街道の城砦都市

アウグスブルクがネルトリンゲンデインケルスビュールなどと大きく異なるのは、その町の規模。かって欧州一の大金持ちでブイブイいわしたアウグスブルクの街はでかい。観光名所が散在しているので、電車を駆使するか、自転車でもなければ観光名所全部を1日で見て回るのは不可能。

現地人の強みを生かしてアウグスブルクに滞在中、自転車で市内各地を歩き回り、他の観光案内では紹介されない名所を撮影してきました。観光場所の選抜にご利用ください。

アウグスブルク市役所

まずは絵葉書のモチーフになっている市役所から始めよう。アウグスブルクの人口はデユッセルドルフの半分ほどだが、市役所は倍の規模がある。この市役所の建造上の特異な点は、後ろから見てもほぼ同じ形をしていること。その市役所、2016年9月までお化粧直ししていたので、訪問するなら(汚くなる前の)今がチャンスだ。お化粧直しの後はシミひとつなく綺麗です。

アウグスブルク 青空に映える市役所

ペルラッハ塔

市役所の横に建っているのはペルラッハ塔。この塔、なんと10世紀建造です。アウグスブルクでも最古の建造物のひとつ。火事で家屋が焼失した後、ここに監視塔を設置することに。というのも旧市街地は丘の上にあり、ここはその丘の上でも最も標高の高い場所。見張り塔を設置するには絶好の場所でした。

建設当時は30mしかなかったそうですが、そんなに高い建造物のない当時、はるか彼方から押し寄せる敵軍を察知できました。あとから横に教会を建て、独自の塔を節約。お陰で塔のてっぺんに設置されている鐘は、教会のように時刻を伝えるものではなく、火事や危険を伝えるものです。

度々改築され、今では70m+の高さがあります。入場料が2ユーロかかりますが、てっぺんからの見晴らしはとっても良好です。金網が張られていますが、その隙間から写真が取れますので、是非、登ってください。汗をかいて上るだけの甲斐があります。

アウグスブルク | ペルラッハ塔から見下ろすアウグスブルクの展望

マリアドーム/ Dom St. Maria

市庁舎の前を左に行くと、通りの終わりに立派なカトリック教会、マリアドーム/ Dom St. Maria が見えてくる。なんと8世紀に建立されたというから、日本で言えば奈良の大仏と同じ時代の建造物だ。

しかも敷地内を発掘すると4世紀に建造された教会の土台が出てきたというから、まるでイタリアのように掘れば遺跡が出てくる街だ。その後、戦災や建設ミスで何度が壊れたので、現在の形に再建されたのは15世紀。

アウグスブルク マリアドーム / Dom St.Maria

ドーム噴水 / Dom Brunnen

マリアドームの前に噴水 / Dom Brunnen があり、謂れのありそうな銅像が三体それぞれのポーズで陳列されている。一番哀れな姿なのは、右側の女性像。名前はアフラ。なんでも逃亡中の宣教師をかくまった罪で磔刑の刑、早い話火あぶりにされて殺された。

その後、キリスト教の殉教者、聖人としてあちこちで祭られている。アウグスブルクからミュンヘンまで電車(鈍行)で行くと、「聖アフラ」という町で電車が止まるので、この名前を聞いたら思い出して欲しい。

真ん中の威勢のいい牧師は、オットー一世が援軍を率いてアウグスブルクの救援に来るまで、ハンガリーの大軍の侵入を阻止したという(おそらくは謂れのない)伝説だ。もうひとつの像は司教、ジンペルト/ Simpert の像だ。言い伝えではカール大帝と縁があり、大帝の支援でこの教会を建立した。

アウグスブルク 教会の前のドーム噴水 / Dom Brunnen と3人の聖人の銅像

この3人がアウグスブルクの守護神とされているので、アウグスブルクに住むなら知っていても損はしない。

宮殿 / Reseidenz

ドームの奥にレジデンツ(宮殿)/ Residenz があります。ミュンヘンで宮殿と言えば王様の住んでいた城だが、Augsburgではカトリック司祭の宮殿だ。なんで?それはアウグスブルクは司祭が王様として君臨する司教国だったから。

まさに王様にふさわしい立派な作りです。中世の頃、宮殿と言えば王様の散歩用の宮廷の庭/Hofgarten が付き物です。宮殿の目と鼻の先にある宮廷の庭は市民のに解放されており、憩いの場になっています。

宮殿 / Residenz

メルクーア噴水

市役所の前を右に行くと、見事に復興された建物が見えてくる。ここにメルクーア / “Merkurbrunnen”という噴水がある。16世紀にお金が余って仕方がないフッガーが作成を依頼した。

彫刻のモチーフはフッガーらしく、商売の神様”Merkur”なのでこの名前です。

メルクーア噴水

聖モーリッツ教会 / St. Moritz

この交差点に聖モーリッツ教会 /”St. Moritz”教会が建っている。11世紀にアウグスブルク司教が聖モーリッツ(騎士の守り神だそうです。)を祭る宗教団体を創設。その死後は、司教の遺体もここに埋葬されました。

13世紀に火事で焼け落ちで、14世紀に再建。その後、なんども改築、増築されて、内部は豪華絢爛な装飾が施されてます。16世紀になるとお金持ちのフッガー家がローマ教皇から許しを得て、教会の主導権を得て、フッガー家の教会となりました。

第二次大戦で焼け落ちたので、今の姿に再建されたのですが、お金がなかったので装飾などはなし。とっても質素なカトリック教会です。

聖モーリッツ教会 / St. Moritz

この場所はモーリッツ広場という。レストランやカフェが立ち並び、スーパーもあるので、電車を待っている間にお買い物もできてしまう(値段は高めの設定です)。

織物市場 / “Weberhaus”

モーリッツ広場の交差点にカラフルな壁画で有名な”Weberhaus”が建っている。最初に建造されたのは14世紀。手工業者の組合が置かれました。16世紀にはアウグスブルクの発展の原動力となった、織物の市場として利用されます。

この為、織物師 /”Werber”の家 /”Haus”で”Weberhaus”です。

当時から壁画が描かれていましたが、今のような立派なものになったのは18世紀になってから。何度か家は所有者を変え、20世紀初頭、アウグスブルク市がバイエルン王立博物館から買い取り、立派な装飾を施します。

織物市場 / "Weberhaus"

なのに第二次大戦で全焼。長い年月と大金をかけて、1959年に再建されました。

アウグスブルク と言えばフッガライ!

ペルラッハトゥルム横にある真っ赤な建物の脇道入ってみよう。この辺は戦争で焼け残った建物が散在しており、見て歩くのが楽しい。フッガライ/ Fuggerei もこの地区にあります。あの大金持ちのヤコプ フッガーが恵まれない方のために建てた当時の「公営住宅」だ。

城壁の中に建設されたので、現在でも街の真ん中。路面電車の駅は真の前。この絶好の立地の良さのアパートの賃貸料、幾らだか知ってますか?なんと1ユーロです!それとも1年間。なのに入場料は6.50ユーロ。ちょっと高くありません?あのお城だって8ユーロで入れるのに!

参照 : Fugger.de 開館時間 夏 8時~20時 冬 9時~16時 入場料 6.50ユーロ

アウグスブルク フッガライ / Fuggerei

フッガー長屋

このフッガライに関して、日本では大きな勘違いが存在しています。フッガライを日本語に直すとフッガー住宅。早い話が長屋。ところが日本ではフッガー屋敷と紹介されています。

本当のフッガー屋敷は”Fuggerhäuser”といい、マキシミリアン通りにある大きな屋敷を指します。日本の教科書が間違って、「フッガー長屋」を「フッガー屋敷」と紹介したが原因。お陰で日本人のほとんどは、フッガー長屋をフッガー屋敷と読んでいます。

日本には「ドイツ伝説」が数多く存在していますが、これもそのひとつです。教科書といえ、例外ではありません。

フッガー屋敷 / Fuggerhäuser

モーリッツ広場まできたら、アウグスブルクの目ぬき通りマクシミリアン通り / “Maximilianstr.”を歩いてみよう。

参照 : google map

ここに有名なフッガー屋敷 /”Fuggerhäuser”が建っている。見ればわかる通り、巨大でまさに屋敷という名前にふさわしい。ちなみにこの屋敷は今日でもフッガー家の所有物で、(お金持ちだけがお客さんになれる)フッガー銀行も入っている。

アウグスブルク フッガー銀行の入り口の双頭の鷲の紋章

ヘラクレス噴水

ヘラクレス噴水はアウグスブルクの「三大噴水」のひとつ。マクシミリアン通りにある観光名所、Schaezlerpalais の前にある。ここから目ぬき通りを撮った写真は、アウグスブルクの名物。車にはねられないように注意して写真を撮ろう。このヘラクレス像は17世紀の初頭にアウグスブルクで鋳造されたもの。

7つの頭を持つヒドラをヘラクレスが燃え盛るこん棒で退している様子がモチーフだ。噴水の下部には水に関する神々が鋳造されている大作品。

アウグスブルク マキシミリアン通りとヘラクレス噴水

シェッツラー家の宮殿 / Schaezlerpalais

Schaezlerpalais を日本に直すとお宝の宮殿という意味になるだが、本当の意味は少し違う。ミュンヘンがピナコテークなら、アウグスブルクはお宝の宮殿が街を代表する美術館だ。マクシミリアン通りから見ると比較的小さな入り口の部分しか見えないが、奥行き107mもある宮殿だ。

15世紀に神聖ローマ帝国の皇帝、マキシミリアン皇帝の命令で建設され、皇帝も何度かここで宿泊したこともある。その後、銀の取引でおお金持ちになった銀行家がこの建物を買い取った。19世紀にアウグスブルクの大金持ちの銀行家、シェッツラ一家がこの宮殿を購入して一家の自宅になっていたので、「シェッツラー家の宮殿」と呼ばれる。

アウグスブルクの大金持ちはヤコプ フッガーがそうだったように、死ぬまでに使えない富は使ってしまうか、寄贈する。シェッツラ一家もこの宮殿を、「売却しない事。」を条件にアウグスブルク市に寄贈した!今だったら何十億という資産になったのに!

Augsbrug に宿泊するので時間のある方、雨で観光ができない方は、ここで美術館見物をしてはどうだろう。

参照 : Kunstsammlungen und Museen Augsburg 開館時間 10時~17時 月曜日休館 入場料 7ユーロ

ウルリヒ教会

通りの終わりに建っているのは、プロテスタント系のウルリヒ教会だ。そのすぐ後ろにある巨大な教会は、カトリック系の聖ウルリヒ & 聖アフラ教会。よっく見ないと同じ建物のように見えるので要注意。

聖ウルリヒ & 聖アフラ教会は尖塔が高く、ほぼ旧市街全域から見えるので、街の象徴になっている。

この場所には街の守護神、聖人アフラを祭る教会が建っていたが、ハンガリー軍が街を包囲した際に攻撃で破壊されてしまった。その後、再建、増築が何度も行われ、今の姿になったのが15世紀。

アウグスブルク ウルリヒ教会

ウルリヒ地区 / St. Ulrich

教会に近くには砦のような建物、見事な装飾を施された建物が多い。通りをそのまま進むと”St. Ulrich”地区になり、古い建物が多く残っている。かっての「かじや」の壁にはまだ昔の看板がかかっており、まるでタイムスリップしたような気分になる。

赤い塔

ここまできたら「一番綺麗な塔」と誉れの高い “Rotes Tor”(赤い塔)まで目と鼻の先。15世紀に建造されたこの塔は、給水塔と一緒になっている。市内の中心部は小高い丘にある。この標高差にもかかわらず市内に水を供給する目的で、ここに給水塔が建設された。

赤い塔

この場所はかってのアウグスブルク要塞の角にあたるので、付近には巨大な防壁が残っている。城壁に沿って散歩するのは気分がいいが、ホームレスの自宅となっているので、女性の一人歩きは禁物です。

アウグスブルク 人形劇

ドイツ人がアウグスブルクと聞いて最初に連想するのは、”Augsburger Puppenkiste”(アウグスブルク人形劇)。赤い塔の目と鼻の先にあり、いつも子供連れの両親が開演を待ってるほど、ドイツでは「知らない者はいない。」有名物。

この地区は”Lechviertel”と呼ばれ、運河が流れて雰囲気のいい地元民の憩いの場。レストランやさまざま店舗が店を構えている。建物は趣があり、理髪店や皮なめし商の看板も、町の景観を崩さない看板になっている。また教会の多い事。アウグスブルクの教会の密集度は、京都並み。

城壁

アウグスブルクはかってお堀が街を囲み、その内側は二重の城壁で守られていました。工業化に伴いお堀のほとんどは埋められてしまいました。しかし市内東部では、当時の姿でお堀が残ってます。グーグルマップでアウグスブルクを検索してください。

中世の頃のお堀がしっかり残っているのがわかります。これが実にデカい!こんなお堀を手作業で、しかもでかい街の周囲をぐるりと掘るんだから、とても大変な作業でした。日本でも城を守るためにお堀がありましたが、所詮は城の周りだけ。

欧州では街の周囲を囲んでいたので、そのスケールには圧倒されます。

ボート乗り場 / Kahnfahrt

そのお堀ではボートに乗ることができます。近くには電車の駅がなく、観光名所とも離れているので、地元民しか知らない隠れた観光名所です。

ドイツの寒い冬にボートに乗ってお堀に落ちたら、ショック死します。ですから冬は閉まってます。オープンしているのは、お堀に落ちても平気な4月~9月まで。

ボート乗り場 / Kahnfahrt

冬にいくと見事に閉まっており、写真も撮れませんでした~。城塞だけに侵入不可。

リュークインスランド要塞 / Lueginsland

読み方が難しいですがリュークインスランド要塞です。当時の方言では”Lueg”は注意してみることを指していたそうです。15世紀から8角形の要塞が建っていましたが、15世紀初頭に雷が落ちて焼け落ちたので、大急ぎで再建されました。

するとまた雷が落ちて壊れます。この場所は隆起した小山のような地形だったので、ここに塔を作ると雷のいい目標。そこで今度は塔を作らずに、要塞に作り直されました。かってはこの要塞の前にはお堀があり、吊り橋がかかっていたんです。今では想像が難しいです。

リュークインスランド要塞 / Lueginsland

1866年に「アウグスブルク城塞解禁例」が出て、要塞としての役目が終わり、お堀は埋め立てられました。要塞はほったらかし(朽ちるに任せる)にされていたのですが、戦後、市が大金をかけて補修、保存してます。最後の補修工事は2018年。もう終わってるかな?

石の男

市内各所には、城壁や見張り塔などがまだ随所に残されている。そのひとつの塔の中には”Der Stoinerne Ma”(石の男)が祭られている。伝説によれば30年戦争中、アウグスブルクは何度も包囲されて兵糧攻めに遭う。

市内では食べ物が尽きたが、パン職人はおが屑でパンを焼くと、「アウグスブルクにはまだパンが十分あるぞ。」といわんばかりに城壁超えにパンをお堀に投げ込んだ。これを見た包囲軍は怒って、このパン職人を弓で撃った。

弓は右腕に命中してパン職人は腕を失ったが、「包囲しても効果がない。」と勘違いして兵を引き上げた。お陰でアウグスブルクの住民は餓死の運命から救われた。

石の男

フィッシャー門

未だに城壁と繋がっているのはフィッシャー門。かっての城壁はこの外にあったので、内門です。ちょうど今、道路になって車が走っている場所が、かってお堀のあった場所。

ここから城壁に上って城壁に沿って歩くことができる。小高い場所には低い城壁が、くぼ地には高い城壁が設けられている。時折、城壁に沿って家屋が建っているが、城壁が家の壁になっているのが面白い。

城壁沿いには見張りをしていた兵士とその家族が住んでいた小さな住居が残っており、現在でも家屋として使用されている。

フィッシャー門

7人の子供 / Die sieben Kindeln

旧市街地の各所に小川が流れているが、実はコレ、城壁の周囲に巡らされたお堀と水路だ。お堀の周辺には趣のある建物が多いので、時間のある方は城壁沿いに歩いてみてください。

家の壁に埋め込まれている彫刻は7人の子供 / “Die sieben Kindeln”と呼ばれている。伝説によればかってアウグスブルクに駐屯していたローマ軍の将校が、溺れ死んだ子供を悲しんで作成させたといわれている。

7人の子供 / Die sieben Kindeln

その他、数多くの観光名所

街にはその他、数多くの観光名所があるのですが、数が多過ぎて到底、全部紹介することができません。ここで紹介できなかった分は、アウグスブルク観光に来た際のお楽しみ!

生活、物価、治安、天気

アウグスブルクはミュンヘンより物価、家賃が安い。中心部の家賃は1平米あたり9~10ユーロ。これがミュンヘンなら18ユーロでほぼ倍だ!市内には路面電車やバス網がくまなく走っており、生活、通学にはとっても便利。さらに治安がと~ってもいい。デユッセルドルフから来ると、「ほっ。」とします。

ただし本当の日本食レストランは市内に一軒だけ。その他の日本食はタイ人やベトナム人の経営する日本食なので、日本食レストランでのアルバイト探しには向いていません。日本食の買い出しに行こうにも、日本食を置いている店舗が(ほとんど)ない。

その代わり日照時間はフライブルクと並んで、ドイツの都市の中でトップ。雨の多いデユッセルドルフと比べると、雲泥の差です。そしてロマンチック街道など、観光名所へのアクセスが素晴らしい。ロマンチック街道制覇の拠点には最適です。観光重視の方には、これ以上適した町はありません。

公共交通機関 無料で乗り放題 !

数あるドイツの都市の中でも、一番乗りにならないと気が済まないアウグスブルクは2019年、旧市街地 /”City-Zone”に限り、公共交通機関の無料化を決定、2020年1月1日から実施しました。

参照 : sw-augsburg.de

その目的は、

  • 空気の浄化
  • 街中商店街の活性化

です。「無料なんだから車を置いて来て欲しい。それも頻繁に。」という目論見です。批判しないと気が済まない方は、「たった9駅じゃ、それほど大きな効果はない。」と言います。多分、当たっていますが、それでもどこの街で9駅もただで、それも罰せられずに堂々と乗れますか!?

とりわけ旧市街地しか移動しない観光客には、大きな魅力です。

アウグスブルク 留学

大きな町ではないので語学学校の数は限られていますが、アウグスブルクでは”Augsburger Deutschkurse“、通称、ADK をお勧めします。理由は良心的な値段。

クラスの定員が大きく、会話の練習をしたい方には不向きですが、留学費用を安く抑えたい方には向いています。

« 1 2 »