Colmar / Colmer

街の紹介  Colmar

フランスはアルザス地方で2番目に有名な町、コルマー。アルザスワイン街道の要所でもあり、観光名所が数多く揃っており、アルザス訪問には欠かせません。

地理

ドイツ語ではコルマー、地元民はコルメーア、日本語では何故かコルマールと呼ばれるコルマーは、エルザス(アルザス)地方にある人口7万人の町。観光局によると「エルザスワインの首都」と呼ばれているコルマーは、世界遺産都市に指名されていないのが不思議に思えるとても綺麗な町。フライブルクから車で1時間ほどでいけるので、フライブルクに留学されるならコルマー訪問は必修です。

コルマーの歴史

8世紀の書簡にラテン語で”Columbarium”と記述されているのが、町に関する最古の記録です。13世紀の初頭になると町を防御するために、町の周囲に巡って城壁が建設されます。城壁の完成後、町に昇格して神聖ローマ帝国の”Freie Reichsstadt”(自由都市)になります。自由都市の象徴は”Koïfhus”と呼ばれる、かっての関税局の入り口に残っています。その後、町では手工業が栄えて次第に豊かになっていきます。お陰で市内には立派なカテドラルや教会、修道院が数多く建てられ、お金持ちになった商人は見事な屋敷を建造、今の町の姿になっていきます。

30年戦争ではプロテスタント派のスウエーデンが軍を進めて篭城、陥落させます。30年戦争の末期にフランスの王がコルマーを占領、その後の講和条約でコルマーはフランス領になります。その後、ここにエルザス地方議会が置かれて政治的な意味が増します。19世紀には綿工業が栄えて、コルマーは一気にお金持ちなります。

1871年、プロイセンがナポレオン三世を破ってパリでドイツ第二帝国の樹立を宣言。このときの講和条約で、エルザスとロートリンゲンはドイツに割譲されることになり、コルマーはドイツ領に戻ってきます。第二次大戦でドイツが敗北するとエルザスとロートリンゲンは再びフランス領となりますが、第二次大戦でフランスはドイツに降伏、1940~45年までドイツ領になるものの、1945年のドイツの降伏でコルマーはこれを最後にフランス領になり、今日に至っています。

コルマー観光

何度か戦争の舞台になったものの、第二次大戦の主戦場から外れていたため、旧市街には中世からルネサンスにかけての立派な市民の家(ドイツ語で”Bürgerhaus”)が数多く残されています。伝統を大切にするフランス人のお陰です。その代表的なものが観光名所の”Koïfhus”と呼ばれるかっての関税局です。なんと14世紀の建造物です。おフランスでは戦術的に大事な場所には「これでもか!」というくらいに花が生けられているので、建物に加えてこの花も一緒に撮ると、絵になります。

ワイン街道

「関税局」の向かいにある噴水は”Schwendi Brunnen”で、モチーフになっているのは”Lazare von Schwendi”だ。シュヴェンデイは神聖ローマ帝国に軍人として仕えた人物。ハンガリーまで「イケイケどんどん」で快進撃を続けてきたとトルコ軍を撃退して、ハンガリーの大部分をトルコの支配から解放した功績者。言い伝えではハンガリーからワインの苗木を持ち帰り、これがきっかけでエルザスがワインの産地となったという伝説があります。銅像のシュヴェンデイが高々と掲げているのは、トカイヤと呼ばれるハンガリーワインの苗木です。

この辺りにはレストランも多いので、一番賑わってるレストランに入りエルザスの郷土料理、”Flammkuchen”を注文しました。「どうせドイツ料理」と期待していなかったせいか、おいしかったです。「水もください。」と注文すると、ドイツでは2~3ユーロもする水がエルザスでは無料!それも1リットル以上入った水瓶が運ばれてきました。お会計は9.80ユーロなり。

朝、パン屋の前と通るとドイツのパン屋と違い、おいしそうな菓子パンがずらり。アーモンド クロワッサンに目が釘付け。安い!アウグスブルクより1ユーロも安い!流石、本場のおフランス。 時間があれば、是非、試してみたいです。

帽子職人の家

関税局に戻ります。もっとも裏側ですが、その向かいには立派な屋敷があり、その奥には裁判所(16世紀建造)があります。「あ、ここも綺麗。」と歩き回っていると、きりがないので省略します。人気の観光名所への「入り口」には骸骨屋敷が目白押し。その先にあるのが絵葉書のモチーフになってる”Pfisterhaus”と呼ばれるかっての帽子職人の家。帽子で豊かになったのではなく、銀の売買でお金持ちになったとか。ここはいつも観光客が記念写真を撮っているので独り占めした方は、夜間撮影に挑戦しましょう。

大聖堂

このすぐ裏に大聖堂があります。13世紀に建造が始まり、14世紀の中ほどまで続いた大工事。ゴシック様式の見事な建造物。大き過ぎてレンズに収まらず、「ああでもない、こうでもない。」といい角度を探してミュンスターを一周。裏の駐車場からならなんとか収まりました。夜も綺麗なので、夜間撮影もお忘れなく。教会の向かいにある立派な建物は(写真中右)は、”Das Haus Adolph(アドルフの家)と呼ばれ、14世紀の建造。コルマーでも最も古い建物のひとつだ。その隣が16世紀に建造された警察署。一時は市役所として使われていたこともあるほど立派な作り。

この先に見えてくるのが巨大な”Dominikanerkirche”です。13世紀に工事が始まって、14世紀に完成。大き過ぎて、どちらから撮ってもレンズに収まりません。その先にある石作りの建造物は13世紀に建造されたかっての修道院で、現在は図書館として利用されています。こんなに歴史のある図書館は初めて見ました。図書館(正確には資料館)の横は、市営劇場。そしてその先にはまたしても巨大な教会。人口7万人の町に、こんな立派な劇場や教会が何軒も必要なんだろうか。

資料館の後ろに運河が流れており、その先の建物がこれまた凝っています。観光客を吸い込むような路地があるので、ついつい足が向いてしまいます。この辺りに建っているのが、”Kopfhaus”(首の家)。なんでも106個もの首が装飾として施されているので、この名前が付いたそうです。近くに”Das Hansi Dorf”という博物館になっている家があります。話は飛びますが、昔の建物は入り口が大きいです。扉がまだ残っている門は少ないですが、門がデカイ。幌馬車がそのまま入れる大きさにしたのか、それとも他の目的があったのか、と~っても気になりました。

ミュンスターに最後の一瞥をくれて歩き出すと、中心部には綺麗な骸骨屋敷が一杯。建ち並ぶ骸骨屋敷、装飾の派手な家に感嘆しながら歩いていくと、先に観光客が素通りする市場が見えてきます。そして市場の裏(横)にあるのが漁師の家。漁で取れた魚をすぐに市場で売れる利便さから、ここにはかっての漁師の家が密集しており、観光名所となっています。昼間は観光客で埋め尽くされて(ここも中国人が独占)、写真を撮る場所の奪い合いです。でも夜は観光客もおらず、独り占めにできます。あるいは昼間、長時間露出するとほぼ観光客の姿が消えます。

小さいベニス

この運河沿いがコルマーで一番有名な観光名所、”petite Venise”(小さい ベニス)です。が、橋が工事中。唯一のアングルが使えず超~ショックでした。工事具合からしてまだ1年はかかりそうです。付近には骸骨屋敷が立ち並び、工事現場がなかったら、さぞかし綺麗だったろうに。町の端/入り口には、コルマーをシュトラースブルクからの攻撃から守った町の英雄、”Vogt Jean Roesselmann”の銅像も噴水と一緒になって「滅茶苦茶小さいベニス」の入り口を飾っています。

人口から言えばコルマーはフライブルクの1/3。でも観光名所は比べ物にならないほど多く、エルザスのお宝です。もっともコルマーを見たら、70Km離れている世界遺産都市シュトラースブルクも見ておきたい。そうそう。日本では「エルザス伝説」が存在しており、「エルザスではドイツ語も通じる。」と語られています。通じませんです。パン屋ではドイツ語はおろか英語も通じず、フランス語だけ。ホテルでも不可。レストランにドイツ語のメニューがありましたが、街中では通じません。

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