Muenchen

街の紹介 ミュンヘン

日本人に人気の町、ミュンヘン。この町の発展は意外に遅く、始めて文献に登場したのは12世紀になってから。修道士(Moenchen)がIsar河に橋をかけた事が記述されており、この地域をメンヒェン、これがなまって後にミュンヘンと呼ぶうようになったという。バイエルンの領主と言えば、”Wittelsbach”(ヴィッテルスバッハ家)で、ドイツで最も古い貴族のひとつ。14世紀にはヴィッテルスバッハ家の公爵、ルートビヒ4世が神聖ローマ帝国の皇帝に就き、ミュンヘンにその城を構えた頃からミュンヘンの発展が始まる。ミュンヘンの暗い歴史として、15世紀にはユダヤ人がミュンヘンに住むことを禁止されて、ミュンヘンから追放されている。20世紀になって反ユダヤ主義がこの地で再び栄えたのも、この地に根強い反ユダヤ思考があったからかもしれない。

16世紀に分断されていた北バイエルン(首都はランズフート)の領主が死去すると、後継者を巡って南バイエルンの領主、アルブレヒト4世と戦争になる。この争いに勝ったのがアルブレヒト4世(ヴィッテルスバッハ家)で、分断していたバイエルンを再統一、ミュンヘンに首都をおく。「領主が死去した際は、二人の子供の間で領土を分ける。」というヴィッテルスバッハ家の制度を廃止、「今後、跡継ぎは長男が継ぐ。」と改定した。これによりバイエルンが分割して弱体化、他の州に吸収される危険を回避したので、「賢いアルブレヒト」という異名を頂戴する。お陰でマキシミリアン1世は1623年、バイエルン公爵からバイエルン選帝侯に昇進した。

30年戦争では侵攻して来たスウエーデン軍に降伏して身代金を払ったため、町の破壊を避けることができたが、その後にやってきたペストでは町の人口は1/3に激減した。18世紀にはマキシミリアン3世がこれまでの勢力拡大政策から一転して国内の新興に目を向け、1759年にミュンヘン大学が建設される。ナポレオンがドイツに侵攻してくると、「領土拡大のチャンス!」と真っ先にナポレオンの軍門に下った。その褒美に東フランケン、東シュバーベンを割譲してもらい、バイエルンの領土はかってない広大な領域に広がり、バイエルン王国が誕生した。お陰でバイエルン州は今日でも、ドイツで一番大きい州だ。

日本で一番有名な有名なヴィッテルスバッハ家の王様と言えば、有名なお城を建設させたルートビヒ2世だが、偏ったイメージが定着しているようだ。まずこの王様は同性愛で有名で、おまけに大食漢。有名な肖像画とは大違いで、顔は脂肪で膨れ上がり、おすもうさんを上回る巨大なお腹を抱えていた。王様としての職務に興味を見せず、城ばかり建て、バイエルン王家の国庫が空になる暴食振りに側近はあきれ果て、医師が診断もしてないのに王様を「精神障害」と認定、王位を叔父のルイポルトに委譲する。ルイポルト王の後を継いだのが「最後の王様」となるルートビヒ三世だ。第一次大戦では、「エルザス-ロートリンゲンを割譲してもいい。」という皇帝の甘言に目がくらみ、バイエルン軍を派遣する。1918年11月、長い戦争と食糧難に辟易したバイエルン住民が、戦争に反対したために監獄に収容された同士の解放、バイエルン王の退位を求めて示威行進すると、王様は詰める限りの家財を自動車に詰め込むと闇にまぎれて逃走、バイエルン王国はあっけなく消滅した。19世紀の終わりから第一次大戦の勃発までミュンヘンは目覚しい発展を遂げて、この頃の建築物は今でも数多く市内に残っている。

では観光名所を見て行こう。ミュンヘンの中央駅には”S-Bahn”(近距離電車)、”U-Bahn”(地下鉄)、それに”Straßenbahn”(路面電車)の駅がそれぞれ別個に設置されている。どの電車を利用するかによって駅の場所が違うので、駅に着いたら標識を確認しよう。まず最初は”Bavaria”を見に行くので地下鉄の駅に移動。最寄り駅はU4,U5″Schwanthalerhöhe”駅なのに、最初の駅でアナウンスがあり、「工事中の為、ここが終点です。電車から降りるように。」とアナウンス。ドイツ語がわからない観光客だったら、どうなるんだろう。以前、中国人観光客が電車に閉じ込められて、電車で夜を明かしたこともある。ドイツ語がわかっても、どうやって目的地に向かえば良いのか。他の町だったら代わりのバスを走らせるのに、ミュンヘンは「ここで終わり。」だけ。住民に「ババリアは何処?」と聞くと、全く逆の方向を教えてくれて、40分放浪したの末、彼方にババリアの姿を視認。1時間近く歩いてやっと見つけたババリア(の像)。「私も見に行きたい。」という方にアドバイス。ババリアは「オクトバーフェスト」の開催される、”Theresienwiese”の端にあるので、でかいビールジョッキを目印にしてください。ババリアとはバイエルンのラテン語。この像はバイエルンの守護神だ。ナポレオン戦争後、ルートビヒ1世が民衆がドイツ人ではなく、バイエルン人としての自意識を抱く目的でこのモニュメントの建設を命じた。見本はパルテノン宮殿だったので、なんとなく似ている。上からオクトーバーフェストの会場がよく見渡せます。オープンは10月なのにもう工事が始まっていました。

ババリアにはせいぜい40分を見積もっていたのに、地下鉄のトラブルで1時間40分もかかってしまった。市内の写真撮影は、お日様が一番高い12時~14時が最適。大急ぎで市内中心部に。中央駅で”S-Bahn”に乗り換えて、市庁舎のある有名な”Marienplatz”まで。今回の目標は、「もう階段を登る元気がない。」と4年前に断念した”Alter Peter”登頂だ。ところが到着するとすでに長蛇の列。大人は3ユーロなんですが、ドイツ人は学生割引を勝ち取ろうと値段交渉。お陰でチケットを買うのに15分もかかりました。階段が狭く、降りる人、登る人が交互に動くので、300段の階段を登るのにさらに15分。見晴台に到着するも、多くの人間が居るので、待っても待っても1センチも動きません。気の遠くなるような時間立ち尽くして、やっとお目当ての写真撮影のアングル奪取。もう二度と登らないので、撮り捲り。この塔は90mあるので、アウグスブルクのペルラッハ塔より20m高い。お陰で町の端まで見渡せます。

初めて見ると感動さえ覚えるミュンヘンの市庁舎は、正式には新市庁舎という。古い市庁舎が狭くなったので、18世紀の末に見栄えのいいこの場所に、新市庁舎を建設することが決まった。完成したのは20世紀の初頭。表面には石灰石を使っているので、独特の色合いが出ている。いい写真のモチーフなんですが、今日は同性愛者の集会中。集会の参加者を目当てにした屋台が出ており、いい写真が撮れませんでした。市庁舎を中庭から見ると、ちょぴりガウデイっぽい?正しくはネオ ゴシック様式と言います。では続いて州立劇場、”Nationaltheater”を見に行きます。その前の通りがマキシミリアン通りで、ミュンヘンで一番”schickimicki”(シキイ ミキイと呼んでください。流行最先端と主張する人を指す言葉)な通り。高級ブテイックや高級ホテルがずらりと並んでいる。

ここからオデオン広場に行くのがミュンヘン観光の王道。この付近の通りは何処も綺麗ですが、写真を撮るなら裏の通り。ここにあるテアンテイーナー教会がいいモチーフになるんです。なのに移動式トイレが立ち並び、景観ぶち壊し。トイレがないと綺麗なのに。原因は青空クラシックコンサート。”Feldherrnhalle”からオデオン広場を見渡す景色が目当てだったのに、撮影不可能。柵の中に入ると、「チケットを持ってない人は駄目。」と写真撮影も追い出されます。後ろに下がって広場の写真を撮るしかできません。オデオン広場から伸びる道をずっと直進していくと、「バイエルン軍に捧ぐ」と書かれた凱旋門があり、門の手前にはミュンヘン大学があります。

オデオン広場の右手に”Residenz”(王様の居城)と”Hofgarten”(宮廷庭)があります。レジデンスは工事中なので、正面入り口だけ紹介。そして庭の”Dianatempel”(ダイヤの寺)まで工事中。ここまで運が悪いと、この後、どうなることやら。庭の横(あるいは正面)にあるのが、”Staatskanzlei”だ。ここがバイエル州の現代の王様、州知事のお仕事場だ。建物の前の銅像がとっても見事。ここまで来たら、さらに15分歩いて”Friedensengel”(平和の天使)を見にこう。行き方は簡単、ドイツ人に”Haus der Kunst”(芸術の家)の場所を聞いて、あとはその前をずっと歩いていくだけ。この通りには美術館、博物館が建ち並び、博物館好きにはたまらない。ここに”Nationalmuseum”(州立博物館)もある。

はい、到着。天使の像は綺麗です。この記念碑は1870/71の普仏戦争の終結を祝って(記念して)、作成されたもの。肝心のお寺は入場禁止なのにカップルが堂々と進入、観光客にバシバシ撮られているのに、平気でいちゃついてます。流石、ドイツ人。カップルの見えないアングルから撮り直し。見晴台からの景色も良かったので、割愛せずに紹介。

さて、これからどちらに向かうか。少し遠いがイザー河沿いに歩いて、”Maximilianeum”に行ってみることに。丘の上の巨大な建物には、優れたバイエルンの子供に英才教育を施す目的で設置された財団が入っていた。現在は州議会として使われている。ここから市内方向に向かえばマキシミリアン通りに戻ってこれる。道中、立派なレンガ作りの教会が見えたので路地に入ると、St. Lukasだった。18世紀末に建造、ミュンヘンでは少ない(?)プロテスタント教会だ。マキシミリアン通りに戻ってしばし歩いてから左に曲がると、日本人観光客の聖地Hofbräuhaus”がある。友人、家族が来たら、選択肢はなし。覚悟を決めて中に入ろう。さもないと、「ミュンヘンまで行ってあげたのに、ホーフブロイハウスにも連れて行ってくれなかった。」と一生、小言を言われることになります。逆に、「私をホーフブロイハウスに連れてって。」と頼む方、お友達にチップを弾んであげてください。ホーフブロイハウスには何度も足を運んでいるのに、これまでは周囲の建造物に目が行きませんでした。落ち着いてみるととっても綺麗です。

中心部に戻ってきちゃいました。マリエン広場の裏にあるこのデカイ建物は、”Sparkasse”(銀行です。)。こんなに窓の多い建物は、兵舎か病院、あるいはかっての学校に違いない。お向かいの建物は旧市庁舎です。すぐ先にある”Isartor”もこれを最後に見ておこう。ここにあるのがイザー門。この門は、ドイツ アルプスで採掘された塩をミュンヘン、ラァンツベルク、ボーデン湖まで運ぶ有名な「塩街道」のミュンヘンへの入り口に建造された。当時(14世紀)はこの門をくぐって町に入れたが、現在は道路はここを迂回するようになっている。

最後に一般庶民用のお買い物通り、”Kaufringstrasse”を下ります。とても立派な建物が並んでいます。教会の横に建つ巨大な緑の建造物。ミュンヘン警察のHQ(司令部)です。教会の隣にあるのが、”Alte Akademie”(旧大学)でかっては宗教関係の学校でした。今後はショッピングセンター、オフィス、それに超高級マンションが入る予定です。バイエルン州には7000種もの地場ビールがありますが、ここにある店舗は地元の人に人気な”Augstiner Bräu”のお店。塩街道の出口が”Karltor”のあるカール広場だ。かってこのカール門の前には大きなお堀があり、お堀にかかった橋を渡って市内に入るようになっていた。今からでは想像し難いです。カール広場の先にある威圧感たっぷりの建物は裁判所だ。この先に中央駅があります。これでミュンヘン半日観光コースは終わり。ちなみに中央駅のS-Bahnの地下には、日曜日も営業中のスーパーがありました!日本なら当たり前ですが、ドイツでは希少価値。もっとも値段は高め。

ミュンヘンは平べったいドイツでは比較的、高地にあります。デユッセルドルフの標高が38mである事を考えれば、ミュンヘンの標高520mは立派な高地。気温は夏には30℃を超え、寒波が張り出してくると、冬にはマイナス20℃まで下がります。この為、冬に留学される方は、万全の防寒準備をしてから留学してください。ミュンヘンはベルリン、ハンブルクに次ぐドイツで3番目の大都市で、2015年には人口が150万人を始めて突破した。原因はミュンヘンの経済力。空港、道路、鉄道網などのインフラが整っている上、教育水準も高いので、企業は好んでミュンヘンに進出。すると職を求めて、市外から移住してくる人が絶えず、人口は増える一方だ。お陰で家賃はドイツで一番高いです。たかが50㎡のアパートの家賃が1200ユーロ+光熱費+管理費とまるで日本並み。それでも入居希望者の方が空き物件よりも多く、市内でアパートを借りるのは至難の技。ミュンヘンのもうひとつの欠点は、空港へのアクセスの悪さ。各駅停車の鈍行(S-Bahn)しかなく、たっぷり40分かかります。

日本食ブームに乗って、ミュンヘンでもあちこちで日本食レストランが開店しています。ベルリンと違ってまだあちこちで「アルバイト募集。」の張り紙があり、頑張って中級レベルまで達せれば、アルバイト探しに困ることはなさそう。ミュンヘンは日本での絶対の知名度+犯罪率の低い大都市という点も手伝って、日本人に人気の留学先となっています。

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