街の紹介 ランヅフート

ランズフートの教会ランズフート  / Landshut という町の名前を聞いたことがない方が、ほとんどだと思います。バイエルン州にある人口はわずか7万人程度の小さな街なので、日本の観光ガイドに載ることは稀。

でもあの小さな伯爵領のハイデルベルクが古都として宣伝されるなら、ランズフートは真打の古都。かってはミュンヘン大学だって、繁栄していたこの街に引っ越してきたほどです!

街の中にはそこら中に瀟洒な家屋が目白押し!レンガ作りでは世界一の高さを誇る教会から、見事な中世の家屋がそのまま残ってる旧市街地、丘の上にある城など、見所は豊富です。こんなに綺麗な街なのに、日本では無名だなんて!

そこで今回は当社が観光局の代わりに、ランズフートの魅力を紹介いたします!

行き方

街はミュンヘン空港から、北東に40Km程の距離にあります。ミュンヘン空港からランズフートまで1時間おきにバスが出ており、35分でいけます。ミュンヘン空港からミュンヘン市内に向かっても40Kmありますので、市内に向かうのと変わりません。

別の言い方をすると、ミュンヘン市内から世界遺産都市のレーゲンスブルクに向かう途上にあり、どちらの町からもちょうど70km。レーゲンスブルクとミュンヘンの真ん中にあるのがランズフートの街です。

ミュンヘンから向かわれる場合は1日乗り放題の”Bayern-Ticket”(バス、路面電車、鈍行”S-Bahn”と快速電車”RB”に乗車可能。EC, IC ,ICE は不可。)を使っても、ミュンヘンからかっきり1時間で行けるので、十分に日帰りが可能です。

参照 : Deutsche Bahn

ランズフートの中央駅に着いたら、駅の正面にあるバス乗り場から3番,6番,あるいは12番のバスに乗れば町の中心地、かつ観光名所である旧市街 /”Altstadt”までたったの5分でいけます。

名前の起源

市内で紀元前5500頃の居住跡が見つかっている。当時から住みやすい場所だったに違いない。この土地がゲルマン化されたのは紀元後、500年あたり。バイエルン族が今のチェコ地域から移住を始め、南ドイツから現在のオーストリアにかけて住み着いた。

他のゲルマン民族と違い、主に農耕で自給生活をしていたという。その農耕社会から、農耕に必要な道具を作る職人や農作物を他の生活必需品と交換する商人が生まれてきた。

愉快な町の名前は12世紀の書簡に、”Landeshuata”すなわち、 „Hut und Schutz des Landes“、日本語では「帽子と土地の守護」と書かれており、当時からこの町はこの名前で呼ばれていたようだ。

ちなみにHutは「先端部分を守る覆い」という意味もあるので、これが語源的には正しい。というのもこの町の起源は、バイエルン伯爵とレーゲンスブルクの大司教の権力争いに起因するからだ。

ランズフート の歴史

バイエルン伯爵は大司教の強大な権力基盤を崩すべく、司教の所有する城砦を破壊する。そして司教の動きを監視するために、この地に新たな城塞都市の建築を命じた。ランズフートは当時、イザー河畔にある村落だったが、河の真ん中に大きな中州が広がっていた。

橋の建立

お陰でお金のかかる長い橋の変わりに、短い二つの橋で済む。費用と時間が大幅に節約できるメリットがあったので、この土地に街が建設されることとなった。さらに当時、交易は河畔を使っておこなわれおり、イザー河畔のこの町はまさに交易にうってつけだった

ランズフートの発展

街が建設されると多くの商人がこの地に定住、13世紀にはバイエルン伯爵もこの地に城を構えて定住、事実上バイエルン王国の首都として発展を始めた。その後、伯爵がバイエルン伯爵領を二人の息子に二分して与えると、南バイエルン領の首都はミュンヘンに、北バイエルン領の首都はランヅフートに置かれた

その後、およそ100年後だが、バイエルン領はふたたび統一され、統合後の首都はミュンヘンに置かれたため、ランヅフートの政治的な発展はこれにて終わってしまうかのように見えた。

バイエルン ランズフート伯爵領の首都に昇格

ところが領主の死により、バイエルン領は三つの伯爵領に分けられて、三人の息子に相続される。この三つの伯爵領の中でも一番裕福になったのが、ランヅフートを首都にする”Bayern-Landshut”伯爵領で、ランヅフートは14世紀から15世紀にかけて最盛期を迎える

まずレンガ建築では世界で一番高い(131m!)聖マルチン教会の建設が始まると、同時に聖霊教会の建築も始めるというお金の使い振り。

凋落

街の有名な建築物の多くのは、この時代の建築物だ。町の発展に大いに貢献した領主が死ぬと、ランズフート伯爵領はミュンヘン伯爵領に吸収されてしまう。その後はミュンヘンが優遇されて、ランズフートの政治的な価値は低下していく。

17世紀の30年戦争ではスウエーデン軍に占領され、町は甚大な被害を受ける。苦労してやっと町を復興させると、18世紀にはオーストリア帝国軍が進駐、8つあった城門の7つを破壊していった。街の侵入に大きな妨げにならない小さな門だけが破壊を逃れた。

イザー河畔を歩くとかっての城壁の一部、見張り台などが残っており、かって町が要塞化されたいたことを偲ばせてくれるので、お見逃しなく。

ミュンヘン大学設置

19世紀になると町は再び表舞台に戻ってくる。バイエルン伯爵が、「ミュンヘン一極化は避けたい。」と大学をミュンヘンからランズフートに移動させると、1000人もの学生もこの町に引っ越して、また栄華を取り戻した。が、次の領主になるとまたしても大学はミュンヘンに戻されて、現在に至っている。

ランズフート 観光 – レンガ作りの世界一高い尖塔は圧巻!

歴史の古いランズフートの町は、デインケルスビュールの町と似たような作りになっています。すなわち市役所と教会で囲まれている広場がなく、大通りがこれを代用する形です。イザー河を渡って巨大な聖霊教会を見て、ランズフート表通りに入ると、はっと息を呑みます。

まさに古都にふさわしい見事な装飾を施された建物が、道の両脇に立ち並んでいます。観光地というと、表通りは綺麗ですが、これを一本後ろに入ると普通の民家だったりします。しかしランズフートは裏通りから、路地裏まで見事な建築物で一杯です。

聖霊教会 / Heilig-Geist-Kirche

聖霊教会と綺麗な家屋群この巨大なカトリック教会は、街の誇りの聖マルチンス教会から数百メールしか離れていません。「こんな狭い間隔でこんなに巨大な教会を建てる必要があったの?」と問う前に、その大きさに圧倒されます。余程の(無駄にできる)お金がない限り、でかい教会を作るわけもないので、当時の街の財力をうかがわせます。

建造が始まったのは15世紀初頭。ここにあった小さなロマンチック教会(1000年頃から流行った教会の様式で、その後にゴシック様式が続く)の立て直しがその始まりです。完成したのは16世紀にになってから。

イザー河沿にあった為、ランズフートの街が攻撃される度に、被害を受けます。最後は第二次大戦末期、撤退するドイツ軍がたんまりと爆弾を橋に仕掛けて、爆破。橋は木っ端みじんになりましたが、教会も被害をうけます。

戦後、教会は修復されて外部からは建設当時の面影を見ることができます。しかし人口7万人程度の街に27ものカトリック教会があり、流石に多過ぎ!この精霊教会は現在、展示場として利用されています。

道化の噴水 / Narrenburunnen

道化の銅像精霊教会の先で道はゆるく左にカーブしている。カーブを抜けると目前にでかい聖マルチン教会が見えて、圧巻!吸いつけられるようにまずはそちらに足が向いてしまうが、途中にも観光名所が目白押し。まずは通りの右手に噴水があり、ここに道化の銅像が立っている。

かってここは魚市場 / Fischmarkt だった場所。そう、かってはイザー河にはたくさんの魚が生息しており、漁業も盛んだった。今ではその面影もないが。この道化は下で登場するランズフートの結婚式からとったモチーフだそうです。

道化の銅像があるので、その名前は道化の噴水というわけです。

バスの停車場

その先が街の中心部で、バスの停車場になっている。ランズフート駅からバスで移動する場合は、聖マルチン教会がドン!と見えるので、見逃すことは不可能。この辺りからマルチン教会の聳え立つ旧市街、それに振り返って精霊教会の写真を撮ると綺麗に撮れます。

もっとも停車しているバスが邪魔なので、アングルを決めておき、バスが止まっていない隙をみて素早く写真を撮ろう!

市役所 / Rathaus

ランズフートの市役所薄い緑色の3棟からなる立派な建物が、バス停の先、通りの左側に建っている。14世紀に街の評議会が会議場として中央の建物を購入、その後、左の建物、それから右の建物を購入して、今の形なった。通常は、13~14世紀の建物と言えば記念物。

しかし町中が14~15世紀の建物であふれているランズフートの場合は、(旧)市庁舎ではなくて、今でも市庁舎として使われています。

パッペンベルガーの家 / Pappenberger Haus

パッペンベルガーの家市役所の対面にあり、幾つもの塔が建物の表面を飾っているのは、パッペンベルガーの家です。建造されたのは15世紀初頭。教会を建てるマイスターが建設したので、手の込んだ作りになっています。17世紀にこの家を買った公爵が権力と富をみせつけるために、壁画や装飾を施し、今の姿に。

19世紀後半になると、ペッペンベルガー一家がこの家を購入して、20年ほど住んでいたので、この名前で呼ばれてます。

居酒屋シルバーナーゲル / Gasthof Silbernagel

市役所の先、通りの右側にバロック式の装飾を施された建物が建っています。地上階にパン屋が入っており、日曜日は大盛況。この建物は14世紀にお金持ちが建てたとっても大きな屋敷でした。ランズフートの結婚式に参列した馬車の馬、90頭がここの納屋に収納されたほど。

現在では裏の部分は解体され、残っているのは正面の綺麗な装飾だけ。

聖マルチン教会 / Martinskirche

ランズフートの聖マルチン教会正式名称はとっても長いので、ここは聖マルチン教会と呼びます。13世紀に建造が始まり、完成したのはちょうど1500年。マルチン教会建設のきっかけは14世紀に街を荒廃させた大火事が原因です。火事で大量の瓦礫が発生。これを街にまき散らすと、街の道路は3mも高くなり、古い教会は不便になりました。

ちょうど街は繁栄期を迎えていたので、後期ゴシック様式で新し教会の建設が始まります。圧巻はその尖塔。赤レンガをひとつづつくみ上げて、その高さなんと130.1m!

焼きレンガの塔としては世界一の高さ。今でも崩壊しないで建っているのが不思議。でもやはり少し傾いているのか、登頂はできません。毎年、夏に行っていましたが、教会の中に入ると気温が全然違い、クーラーのように快適です。

夏に訪問される方は、是非、中に入って一休みしていいきましょう。

評議会 / Landschaftshaus

評議会 / Landschaftshausランズフートには、街の貴族、教会、それに市民の代表で構成されていた評議会が存在していました。この評議会の承認なくしては、税金を徴収することもできないほど、権力を持っていました。

その評議会が入っていた(評議会を開いた会場)を、”Landschaftshaus”と呼んでいました。これはバイエルン州、それも南バイエルン州、独特の表現なので、他の街では通じません。

その権力を象徴するのが、この建物のルネッサンス調の壁画です。深い緑色の外壁に、びっしりと壁画が描かれているので、見逃すことはありません。

かって国営郵便局が入っていたので、旧郵便局 / “alte Post”と呼ぶ人もいます。マルチン教会の斜め対面になるので、お忘れなく。

居酒屋 アインミラー / Gasthaus Ainmiller

居酒屋 アインミラーマルチン教会の先にある市役所のような3棟の立派な建物が、居酒屋アインミラーだ。建造されたのはランズフートの黄金期の15世紀、当時は金の葡萄 /”Zur goldenen Traube”という酒場だった。

19世紀にビールの鋳造でお金持ちになった商人アインミラーが、この家を購入すると豪華な装飾を施した。

それだけでは不十分だったらしく、右と左に新棟を増築して今の形になった。とっても見栄えがいいので、マルチン教会と写真に収めるのがコツ。特に午後になるとさんさんと太陽光が降り注ぎ、綺麗に撮れます。

新しい街 / Neustadt

ランズフートの新しい街 / Neustadt地区の綺麗な建物群メイン通りのひとつ後ろの通りの部分は、新しい街 / Nerstadt と言います。街が手狭になったので13世紀に新しく開拓されたので、この名前です。当時は倉庫が建ち並び、市場が開催されていました。

新しい街といっても、13世紀建造ですから、ここに並ぶ家屋も他の街なら観光名所になるような建物ばかり。ここから山の上の城が綺麗に撮れる(要望遠)なので、是非、足を運んでみましょう。

戦士の記念碑

新しい街の通りの真ん中に”Keigersenkmal”、そのまま訳すと戦士の記念碑があります。早い話が石像の芸術作品なんですが、かなり異様です。

聖イグナチウス教会

新しい街のメイン通りは、片側が山の斜面になっています。その斜面にへばりつくように経っているのが、聖イグナチウス教会です。デカい!大雨が降って山崩れが起きたら、永遠に埋もれてしまいそうな場所に毎回、行く度に感心。

レントトーア / Ländtor

ランズフートのレントトーア / Ländtor街のメイン通りを右に曲がるとイザー河に出れます。ここにかってランズフートの街を守っていた城壁に設けられた塔のひとつ、レントトーアが建っています。名前の由来はここで筏で運ばれてきた資材を陸揚げ(Landen)したのがきっかけ。

本当はこの塔の後ろにはもっと立派な門があったのに、「車が通らない。」と撤去されてしまった。街の観光案内を読むと、「道が狭いので取り壊さざるを得ませんでした。」とこれを正当化していますが、とっても残念。門の横にはデパートが建っており、実にちぐはぐな感じがします。

幸い、花壇が設けられて写真を撮るにはいいモチーフにはなりますが。そうそう、か少ない公衆便所もここであります。

イザー河沿い

観光客はメイン通りの高いカフェ、レストランに行きますが、イザー河沿いは原住民の憩いの場。カフェやレストランが所せましと並んでいる中、昔の城壁の一部や倉庫などが、昔の姿で残っています。

フライユンク/ Freyung

聖ヨードックス教会フライユンクとは、街が手狭になったので、新しい街のさらに後ろに街を拡大した際に作られた地区の名前です。お金持ちの大きな屋敷が並んでいるのが特徴です。そしてその真ん中にはまたしてもレンガ作りの巨大な聖ヨードックス教会 / St. Jodokskirche が建っています。

教会の前には広大な庭園が設けられており、他の教会とは設計が異なります。

実はこの地区は城壁の外の沼地でした。しかしイザー河と山に囲まれて他に土地がなかったので、「沼地を乾かせて、住めるようにしたら10年間税金の支払いから解放する。」との市からの約束で、住民が開拓したのが起源です。

トラオニッツ城塞 / Burg Trausnitz

トラオニッツ城塞マルチン教会の先から道はゆるやかな坂道になっています。通りの最後に郵便局があり、その後ろの公園のは街の一番有名人、ルートビヒ伯爵の銅像があります。その銅像の後ろには、山の上にど~んと領主の城砦が建ってます。

車でランズフートに向かうとまずはこの城が目の前にドーンと出現して圧巻です。車でも城にいけますが、今回は歩いて登ってみます。中世の頃の古い家屋がこの辺りもたくさん残ってますので、歩いていく価値アリ。

城塞門 / Burghauser Tor

汗を流しながら坂を上ると城塞門 / Baurghauser Tor があります。かってはここで近衛兵が出入りを監視していました。そこから左手に城塞まで階段がちゃんと整備されており、道に迷う心配なし。上まで登って、城塞をみるとその防壁に圧巻。

ランズフートの城日本の城も土台は石組みですが、その長さ、規模ではどんな日本の城も叶いません。この城は博物館、そしてランズフート市民の結婚式の撮影場所として使われています。博物館に入らずに、領主の居城を回りから眺めるだけなら無料。

坂道と階段を登っていくと、ランズフートの町を一望に見下ろせる見晴台にたどり着きます。ここからの一望がこのページのトップの写真です。お昼過ぎに行きましたが、ちょうど太陽が街を照らし、いい写真が撮れました。

ランズフート の結婚式 /”Landshuter Hochzeit”

ランズフートの一番の見所は、4年に一度開かれるランズフートの結婚式 /”Landshuter Hochzeit”というお祭りだ。これは町の発展に多いに貢献した”Georg der Reiche”(ゲオルクお金持ち伯爵)の結婚式を再現するお祭り。

この結婚式は1475年に行われたが、320頭の牛、1500頭の羊、500頭の子牛、4万羽の鶏が振舞われたという伝説の結婚式だ。

1880年、ランズフートはミュンヘンの芸術家に当時の結婚式の様子を市庁舎に描くように依頼した。その出来栄えがあまりにも素晴らしいので、「結婚式を復活させて、町で祝おうじゃないか。」ということになり、1903年から当時の結婚式を復元して祝うこととなった。

もっともあまりに費用がかさむで、4年に一度しかも開催されない貴重なお祭りだ。

期間は6月末~7月末までほぼ1ヶ月もの間続くが、誰もがお目当てなのは結婚式のいつ終わるともしれない行列だ。この日だけで人口6万6千人の町に、10万人もの観光客がやってくる。最後に催されたお祝いは2017年だったので、まだ次回のお祭りまでには十分に時間がある。

ランズフート の結婚式の花嫁

ランズフートの結婚式では、道化、騎士、旗振り人から大道芸人まで、さまざまな役を演じる役者が大量に必要だ。これらの役は募集しているので、自信のある人は応募することができる。その中でも一番人気がお姫様の役。

女性に生まれたなら、誰でも一度はお姫様の役を演じてみたいもの。今回お姫様の役を演じているのは、20年前、ランズフートの結婚式の最中に(病院で)生まれた地元の女学生。まさにランズフートの結婚式のために生まれたような彼女の履歴と写真は、選考委員会を説得した。

結婚式がなくとも一度は見て置く価値があるので、ミュンヘンまで来たら、是非一度、訪れてください。歩き疲れてから、カフェで飲む冷たいドリンクは格別です。ただし値段は5ユーロと少々”happig”。*

* 俗語で、「お高い。」という意味。英語の”happy”の書き間違いでありませんです。念のため。

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