今回紹介する街は、 ランズフート 。
街はミュンヘン空港から40km分の距離にあり、ミュンヘン市内に行くのと同じ距離。
なのにランズフートを訪れる人はおろか、名前さえ聞いたことさえがない方が、ほとんど。
ロマンチック街道から(わずかに)外れてているので、ガイドブックには載っていない為です。結果、
「綺麗じゃない。」
「行く価値がない」
と、観光客がやってこない哀しい街。しかしランズフートはかっての首都で、街中には貴重な建造物が目白押し!
結構自宅から遠いのに、街の知名度を日本で広げる使命を(勝手に)感じ、5回も足を運んで、隅々までチェックしてきました。
目次
街の紹介 – ランズフート
街の正式名前は Landshut 。
イザー河が街を西から東に横断しており、旧市街は標高の高い南岸に築かれています。
人口はわずか7万人程度の小さな街ですが、ランズフートは北バイエルン伯爵領(*1)の首都。かってはミュンヘン大学だって、繁栄していたこの街に引っ越してきたほどです!
あの小さな伯爵領のハイデルベルクが古都として宣伝されるなら、ランズフートは正真正銘の古都です。
街の中にはレンガ作りでは世界一の高さを誇る教会から、見事な中世の家屋がそのまま残ってる旧市街地、丘の上にある城など、見所は豊富です。
行き方
ランズフートの街はミュンヘン空港から、北東に40Km程の距離にあります。
ミュンヘン空港からミュンヘン市内に向かっても40Kmありますので、市内に向かうのと変わりません。
又、ランズフートはミュンヘンから世界遺産都市のレーゲンスブルクに向かう途上にあります。どちらの町からもちょうど70km離れており、レーゲンスブルクとミュンヘンのちょうど真ん中にあります。
以前は空港からバスが出ていたのですが、コロナ禍で乗客が減少、現時点では直行のバスは廃止されています。このため空港から電車で向かうと、50分ほどかかります。
ミュンヘン市内から向かわれる場合は、1日乗り放題の”Bayern-Ticket”(バス、路面電車、鈍行”S-Bahn”と快速電車”RB”に乗車可能。EC, IC ,ICE は不可。)を使って、ミュンヘンからかっきり1時間で行けます。
この距離なら十分に日帰りが可能です。
参照 : Deutsche Bahn
ランズフートの中央駅に着いたら、駅の正面にあるバス乗り場から3番,6番,あるいは12番のバスに乗れば町の中心地、かつ観光名所である旧市街 /”Altstadt”までたったの5分でいけます。
参照 :ランズフートバス路線図
名前の起源
ランズフート市内で紀元前5500頃の居住跡が見つかっている。
当時から住みやすい場所だったに違いない。この土地がゲルマン化されたのは紀元後、500年あたり。バイエルン族が今のチェコ地域から移住を始め、南ドイツから現在のオーストリアにかけて住み着いた。
他のゲルマン民族と違い、バイエルン族は主に農耕で自給生活をしていた。その農耕社会から、農耕に必要な道具を作る職人や、農作物を他の生活必需品と交換する商人が生まれてきた。
愉快な町の名前は12世紀の書簡に登場、”Landeshuata”すなわち、 „Hut und Schutz des Landes“と書かれています。日本語で言えば
「御国の庇護と守護」
です。なんで”Landeshuata”と呼ばれるようになったのか、そこは不明です。
街の歴史
ランズフートの起源は、バイエルン伯爵とレーゲンスブルクの大司教の権力争いに起因する。
バイエルン伯爵は大司教の強大な権力基盤を崩すべく、兵を進めて司教の所有する城砦を破壊する。そして司教の動きを牽制するために、新たな城塞都市の建築に適した場所を探します。
当時、この地はイザー河畔にある小さな村落で、イザー河の真ん中に大きな中州が広がっていた。この中州を利用すれば、長い橋の変わりに、短い二つの橋で済みます。
費用と時間が大幅に節約できるメリットがあった上、イザー河を使っての交易にも最適。こうしてこの土地にランズフートの街が建設されることとなった。
北 & 南バイエルン領
街が建設されると多くの商人がランズフートに定住、13世紀にはバイエルン伯爵もこの地に城を構えて定住、事実上バイエルン王国の首都として発展を始めた。
その後、伯爵が領土を二人の息子に二分して与えると、南バイエルン領の首都はミュンヘンに、北バイエルン領の首都はランズフートに置かれた。
その後、およそ100年後だが、バイエルン領はふたたび統一され、統合後の首都はミュンヘンに置かれたため、ランズフートの政治的な発展はこれにて終わってしまうかのように見えた。
ランズフート 伯爵領の最盛期
ところが領主の死により、バイエルン領は三つの伯爵領に分けられて、今度は三人の息子に相続される。
この三つの伯爵領の中でも一番裕福になったのが、ランズフートを首都にする”Bayern-Landshut”伯爵領で、街は14世紀から15世紀にかけて最盛期を迎えます。
まずレンガ建築では世界で一番高い(131m!)聖マルチン教会の建設が始まると、同時に聖心教会の建築も始めるというお金の使い振り。街の有名な建築物の多くのは、この時代の建築物です。
伯爵領の消滅
町の発展に大いに貢献した領主が死ぬと、その領土を巡って継承戦争が勃発。
継承戦争に勝ったのは南バイエルン伯爵で、ランズフート伯爵領は吸収されてしまう。戦争で敗れた一族は領土を失うが、その代償にノイブルクを首都におくファルツ伯爵領主になる。
合併後はミュンヘンが優遇されて、ランズフートの政治的な価値は低下していく。
17世紀の30年戦争ではスウエーデン軍に占領され、甚大な被害を受ける。苦労してやっと町を復興させると、18世紀にはオーストリア帝国軍が進駐、8つあった城門の7つを破壊していった。
結果、かっての城塞都市を彷彿させるのは、山の上のお城を取り巻く城壁だけ。
唯一、イザー河畔を歩くと、かっての城壁の一部や見張り台など、かってランズフートが城塞都市だった頃の史跡を見る事もできるので、お見逃しなく。
ミュンヘン大学設置
19世紀になると町は再び表舞台に戻ってくる。バイエルン伯爵が、
「ミュンヘン一極化は避けたい。」
と、大学をミュンヘンからランズフートに移動させると、1000人もの学生もこの町に引っ越して、また栄華を取り戻した。
が、次の領主になるとまたしても大学はミュンヘンに戻されて、現在に至っている。
ランズフート 観光 – 世界一高いレンガ作りの尖塔は圧巻!
歴史の古いランズフートは、デインケルスビュールと似たような作りになっています。
すなわち街の中心部に広場がなく、大通りがこれを代用する形です。その大通りの入り口は巨大な聖心教会が建ち、さらに表通りに入ると、はっと息を呑みます。
まさに古都にふさわしい見事な装飾を施された建物が、道の両脇に立ち並んでいます。その先には巨大な教会の尖塔が、天まで伸びてます!ジャックと豆の木みたいに。
ランズフートの魅力はそれだけじゃない!山の上には建造された当時の姿のままで、お城が聳えています。そのお城は見渡す限りレンガで作られた城壁で囲まれて、まるで万里の長城のようです!
街歩きをして疲れる前に、まずは山の上にあるお城を見学するのをお忘れなく!
聖心教会 / Heilig-Geist-Kirche
街に入るには、イザー河にかかっている橋を渡っていきます。
この橋からイザー河畔に聳え立つ、レンガ作りの巨大な建造物が見えます。これが聖心教会 / Heilig-Geist-Kirche です。
この巨大なカトリック教会は、ランズフートの誇りの聖マルチン教会から数百メールしか離れていません。
「こんな狭い間隔で、二つも巨大な教会を建てる必要があったの?」
と問う前に、その大きさに圧倒されます。余程の(無駄にできる)お金がない限り、でかい教会を作れるわけもないので、当時のランズフートの財力をうかがわせます。
建造が始まったのは15世紀初頭。ここにあった小さなロマンチック教会(1000年頃から流行った教会の様式。その後にゴシック様式が続く)の立て直しがその始まりです。完成したのは16世紀にになってから。
聖心教会はイザー河沿にあった為、ランズフートが攻撃される度に、被害を受けます。
最後の被害は第二次大戦末期、撤退するドイツ軍がたんまりと爆弾を橋に仕掛けて爆破。橋は木っ端みじんにな、教会も被害をうけます。
戦後、教会は修復されて外部からは建設当時の面影を見ることができます。この精霊教会は現在、教会としての機能を失っています。
というのも、ランズフートはたかが人口7万人程度の街。なのに27ものカトリック教会があるんです。これにプロテスタントを入れれば、40近い教会が!流石に多過ぎ!
そこで現在は教会ではなく、展示場(博物館)として使用されています。
聖心病院 / Heilig-Geist-Spital
聖心教会の向いにある大きな建物は、教会が経営していた聖心病院 / Heilig-Geist-Spital です。
オリジナルは13世紀に建造されましたが、老朽化により18世紀に柱などを除き、内部を全部取り壊して、再建されました。今でもランズフートの老人介護ホームとして利用されています。
道化の噴水 / Narrenbrunnen
聖心教会の先で、道はゆるく右にカーブしている。
カーブを抜けるとでかい聖マルチン教会が見えて、圧巻!吸いつけられるようにまずはそちらに足が向いてしまうが、途中にも観光名所が目白押し。
まずは通りの右手に噴水があり、ここに道化の銅像 / Narrenbrunnen が立っている。
かってここは魚市場 / Fischmarkt だった場所。そう、かってはイザー河にはたくさんの魚が生息しており、ランズフートでは漁業も盛んだった。今ではその面影もないが。
この道化は下で登場するランズフートの結婚式からとったモチーフだそうです。
道化の噴水の先がランズフートの中心部で、バスの中央停車場になっています。この辺りからマルチン教会の聳え立つ旧市街、それに振り返って精霊教会の写真を撮ると綺麗に撮れます。
ランズフート 市役所 / Rathaus
ランズフートのメイン通り中ほどに、薄緑色の3棟からなる立派な建物が。
これはランズフート市役所 / Rathaus です。14世紀に街の評議会が会議場として中央の建物を購入、その後、左の建物、それから右の建物を購入して、今の形になりました。
通常、13~14世紀の建物と言えば記念物ですが、この建物は今でも市役所として利用されています。
パッペンベルガーの家 / Pappenberger Haus
ランズフート市役所の対面にあり、幾つもの塔が建物の表面を飾っているのは、パッペンベルガーの家 / Pappenberger Hausです。
建造されたのは15世紀初頭。教会を建てるマイスターが建設したので、手の込んだ作りになっています。17世紀にこの家を買った公爵が権力と富をみせつけるために、壁画や装飾を施し、今の姿に。
19世紀後半になると、ペッペンベルガー一家がこの家を購入して、20年ほど住んでいたので、この名前で呼ばれてます。
ジルバーナーゲル居酒屋 / Gasthof Silbernagel
ランズフート市役所の先、通りの右側にバロック式の装飾を施された建物が建っています。
地上階にパン屋が入っており、日曜日は大盛況。私もここで朝飯を調達。
この建物は14世紀にお金持ちが建てた大きな屋敷です。ランズフートの結婚式に参列した馬車の馬、90頭がここの納屋に収納されたほど。現在では裏の部分は解体され、残っているのは正面の綺麗な装飾だけ。
その後、ジルバーナーゲル居酒屋 / Gastfof Silvernagel が入っていたので、街の人はこの名前で呼んでいます。
聖マルチン教会 / Martinskirche
ランズフートのランドマーク、聖マルチン教会 / Martinskirche 。
正式名称はとっても長いので、聖マルチン教会と呼びます。13世紀に建造が始まり、完成したのはちょうど1500年。
聖マルチン教会建設のきっかけは、14世紀に街を荒廃させた大火事が原因です。火事で大量の瓦礫が発生。これを街にまき散らすと、街の道路は3mも高くなり、古い教会は不便になりました。
ちょうどランズフートの街は繁栄期を迎えていたので、新しい教会を建設するには絶好の理由です。
後期ゴシック様式で建設された教会の最大の見所は、その尖塔。赤レンガをひとつづつくみ上げて、その高さなんと130.1m!
焼きレンガの塔としては世界一の高さ。今でも崩壊しないで建っているのが不思議。でもやはり少し傾いているのか、登頂はできません。
毎年、夏に行っていましたが、教会の中に入ると気温が全然違い、クーラーのように快適です。
夏に訪問される方は、是非、中に入って一休みしていきましょう。
ランズフート 町議会 / Landschaftshaus
ランズフートには、貴族、教会、それに市民の代表で構成されていた評議会が存在していました。
この評議会の承認なくしては、税金を徴収することもできないほど、権力を持っていました。その評議会が入っていた建物を、”Landschaftshaus”と呼んでいました。町議会ですね。
これはバイエルン州、それも南バイエルン州、独特の表現なので、他の街では通じません。
その権力を象徴するのが、この建物のルネッサンス調の壁画です。深い緑色の外壁に、びっしりと壁画が描かれているので、見逃すことはありません。
かって国営郵便局が入っていたので、旧郵便局 / “alte Post”と呼ぶ人もいます。マルチン教会の斜め対面になるので、お忘れなく。
居酒屋 アインミラー / Gasthaus Ainmiller
マルチン教会の先にある市役所のような3棟の立派な建物、居酒屋アインミラー / GasthofAinmiller です。
建造されたのはランズフートの黄金期の15世紀、当時は金の葡萄 /”Zur goldenen Traube”という酒場だった。19世紀にビールの鋳造でお金持ちになった商人アインミラーが、この家を購入すると豪華な装飾を施しました。
それだけでは不十分だったらしく、右と左に新棟を増築して今の形に。とっても見栄えがいいので、マルチン教会と写真に収めるのがコツ。特に午後になるとさんさんと太陽光が降り注ぎ、綺麗に撮れます。
新しい街 / Neustadt
ランズフートのメイン通りのひとつ後ろの通りの部分は、新しい街 / Nerstadt と言います。
街が手狭になったので13世紀に新しく開拓されたので、この名前です。当時は倉庫が建ち並び、市が開催されていました。
新しい街といっても、13世紀建造ですから、ここに並ぶ家屋も他の街なら観光名所になるような建物ばかり。ここから山の上の城が綺麗に撮れる(要望遠)なので、是非、足を運んでみましょう。
戦士の記念碑
新しい街の通りの真ん中に”Kriegersdenkmal”という石像があります。
“Krieger”は戦士、”Denkmal”は記念碑なので、そのまま訳すと「戦士の記念碑」になります。
この名前はきっと何かの誤解で、ドイツの都市に必ずある戦没者の慰霊碑だと思いますが、かなり異様です。
聖イグナチウス教会
新しい街のメイン通り、奥までいくと山の斜面で行き止まりの一方通行です。
その山の斜面にへばりつくように経っているのが、聖イグナチウス教会です。デカい!大雨が降って山崩れが起きたら、永遠に埋もれてしまいそう。
でも壮大な作りに、行く度に感心。
レントーア / Ländtor
街のメイン通りを右に曲がるとイザー河に出れます。
ここにかってランズフートの街を守っていた城壁に設けられた塔のひとつ、レントトーア/ Ländertor が建っています。名前の由来はここで筏で運ばれてきた資材を陸揚げ(Landen)したのがきっかけ。
本当はこの塔の後ろにはもっと立派な門があったのに、「車が通らない。」と撤去されてしまいました。ランズフートの観光案内を読むと、
「道が狭いので取り壊さざるを得ませんでした。」
と、これを正当化していますが、とっても残念。門の横にはデパートが建っており、実にちぐはぐな感じがします。
幸い、花壇が設けられて写真を撮るにはいいモチーフにはなりますが。そうそう、数少ない公衆便所もここにあります。
観光客はメイン通りの高いカフェ、レストランに行きますが、イザー河沿いは原住民の憩いの場。
カフェやレストランが所せましと並んでいる中、昔の城壁の一部や倉庫などが、昔の姿で残っています。
フライウンク/ Freyung
フライウンク / Freyung とは、ランズフートの旧市街街が手狭になったので、新しい街のさらに後ろに街を拡大した際に作られた地区の名前です。
お金持ちの大きな屋敷が並んでいるのが特徴です。そしてその真ん中にはまたしてもレンガ作りの巨大な聖ヨードックス教会 / St. Jodokskirche が建っています。
教会の前には広大な庭園が設けられており、かっては市場としても利用されていました。
ランズフートこの地区は、城壁の外の沼地で居住には適していませんでした。しかし旧市街にはイザー河と山に囲まれて他に土地がなかったので、
「沼地を乾かせて、住めるようにしたら10年間税金の支払いから解放する。」
との市からの約束で、ランズフートの住民が開拓したのが起源です。
ルートビヒ9世 / Ludiwg IX.
マルチン教会の先からの先の道、ゆるやかな坂道になっています。
通りの最後に郵便局があり、その後ろの公園には街の有名人、ルートビヒ9世伯爵 / Ludwig iX. の銅像があります。
ルートビヒ9世はランズフートの領主で、周辺の街にいちゃもんをつけて次々に占領、大きな領土を支配することになりました。
近隣の都市には暴君ですが、ランズフートの住人には名君です。ちなみにこのルートビヒ9世の息子がランズフートの結婚式で名を後世に残したお金持ちのゲオルクです。
その銅像の後ろには、山の上にど~んと領主の城砦が建ってます。
ランズフート トラオニッツ城塞 / Burg Trausnitz
車でランズフートに向かうと、いきなり城が目の前の山頂にドーン!と出現して圧巻です。
これがトラオニッツ城塞 / Burg Traunitz です。車でも城にいけますが、今回は歩いて登ってみます。
中世の頃の古い家屋がこの辺りもたくさん残ってますので、歩いていく価値アリ。
参照 : burg-trausnitz.de
城塞門 / Burghauser Tor
汗を流しながら坂を上ると城塞門 / Baurghauser Tor があります。
かってはここで近衛兵が出入りを監視していました。ここから左手にトラオニッツ城塞まで階段がちゃんと整備されており、道に迷う心配なし。
レンガ造りの城壁
上まで登って、トラオニッツ城塞をみるとその防壁に圧巻。
これ、ひとつひとつレンガを組み合わせたレンガ作りの城壁です。写真で見えるのはせいぜい100m少々ですが、トラオニッツ城塞の建つ山頂部分はすっぽりこの防壁で囲まれています。それも二重の!!
まるで万里の頂上のように延々と続いています!その長さ、規模ではどんな日本の城も叶いません。
城塞正面門
ではトラオニッツ城塞に入っていきます。
みてください、この立派な正門。写真ではわかり難いですが、城塞の周囲はお堀が巡らされています。今でこそ立派な橋がかかっていますが、当時は吊り橋。
城塞中庭
トラオニッツ城塞の中庭はこんな感じ。
どこかで見たことのある景色、、。そう!ノイブルクの城と瓜二つ!それもその筈で、ノイブルクの領主は戦争で負けて「島流し」になったランズフートの領主だったんです。
この城は博物館、そしてランズフート市民の結婚式の撮影場所として使われています。
博物館に入らずに、領主の居城を回りから眺めるだけなら無料。
見晴らし台
中庭の横を歩いて先に進と、ランズフートの町を一望に見下ろせる見晴台にたどり着きます。
ノイシュバインシュタインみたいな白い城の前に、その見晴らし台があります。
見晴らし台といってもせいぜい10mほどの狭い場所。団体が来るといい場所の取り合いになりますが、私が行ったのは日曜日なのに、居たのは(自分を入れて)わずか3名だけ。
人気な~い!
登ったのはお昼過ぎでしたが、ちょうど太陽が背中にありマルチン教会をいい具合で照らしており、いい写真が撮れました。
ランズフート の結婚式 /”Landshuter Hochzeit”
ランズフートの一番の見所は、4年に一度開かれるランズフートの結婚式 /”Landshuter Hochzeit”というお祭りです。
これは町の領主であった”Georg der Reiche”(ゲオルクお金持ち伯爵)の結婚式を再現するお祭り。
この結婚式は1475年に行われたが、320頭の牛、1500頭の羊、500頭の子牛、4万羽の鶏が振舞われたという伝説の結婚式だ。
1880年、ランズフートはミュンヘンの芸術家に当時の結婚式の様子を市庁舎に描くように依頼した。その出来栄えがあまりにも素晴らしいので、
「結婚式を復活させて、町で祝おうじゃないか。」
ということになり、1903年から当時の結婚式を復元して祝うこととなった。もっともあまりに費用がかさむで、4年に一度しかも開催されない貴重なお祭りだ。
期間は6月末~7月末までほぼ1ヶ月もの間続くが、誰もがお目当てなのは結婚式のいつ終わるともしれない行列だ。この日だけで人口6万6千人の町に、10万人もの観光客がやってくる。
最後に催されたお祝いは2017年だったので、まだ次回のお祭りまでには十分に時間がある。
花嫁の選抜
ランズフートの結婚式では、道化、騎士、旗振り人から大道芸人まで、さまざまな役を演じる役者が大量に必要だ。
これらの役は募集しているので、自信のある人は応募することができる。その中でも一番人気がお姫様の役。
女性に生まれたなら、誰でも一度はお姫様の役を演じてみたいもの。今回お姫様の役を演じているのは、20年前、ランズフートの結婚式の最中に(病院で)生まれた地元の女学生。
まさにランズフートの結婚式のために生まれたような彼女の履歴と写真は、選考委員会を説得した。
結婚式がなくとも一度は見て置く価値があるので、ミュンヘンまで来たら、是非ランズフートを訪れてください。歩き疲れてから、カフェで飲む冷たいドリンクは格別です。ただし値段は5ユーロと少々”happig”。(*2)
注釈
*1 伯爵領とは日本で言えば、備前、備中、尾張、三河のような藩のような存在です。後に伯爵領の中でも権力のある領は選帝侯領となり、王国となりました。
*2 俗語で、「お高い。」という意味。英語の”happy”の書き間違いでありませんです。念のため。