ランズフート /  Landshut

街の紹介    Landshut

地理

ランズフートは、ミュンヘン空港のある”Erding”の町から北東に40Km程の距離にあります。ミュンヘン空港からミュンヘン市内に向かっても40Kmありますので、ミュンヘン市内に向かうのと変わりません。ちょうどミュンヘンからレーゲンスブルクに向かう途上にあり、どちらの町からもちょうど70km、ミュンヘン空港からは1時間おきにバスが出ており、35分でいけます。

アウグスブルクから車で向かうと130Km。ミュンヘンの環状線が工事中で渋滞に遭遇する危険高し。しかし電車で行くとミュンヘン経由になり、3時間もかかります。時々電車が欠航するので、そうなると片道4時間。往復に7時間も費やしたくないので、渋滞を覚悟して車で出発。行きは渋滞なくかっきり90分で到着。帰りは渋滞に遭遇、2時間近くかかりました。

ミュンヘンから向かわれる場合は1日乗り放題の”Bayern-Ticket”(バス、路面電車、鈍行”S-Bahn”と快速電車”RB”に乗車可能。EC,IC,ICEは不可。)を使っても、ミュンヘンからかっきり1時間で行けるので、十分に日帰りが可能です。ランズフートの中央駅に着いたら、駅の正面にあるバス乗り場から3番,6番,あるいは12番のバスに乗れば町の中心地、かつ観光名所である”Altstadt”までたったの5分でいける。

ランズフートの歴史

市内で紀元前5500頃の居住跡が見つかっている。当時から住みやすい場所だったに違いない。この土地がゲルマン化されたのは紀元後、500年あたり。バイエルン族が今のチェコ地域から移住を始め、南ドイツから現在のオーストリアにかけて住み着いた。他のゲルマン民族と違い、主に農耕で自給生活をしていたという。その農耕社会から、農耕に必要な道具を作る職人や農作物を他の生活必需品と交換する商人が生まれてきた。

愉快な町の名前は12世紀の書簡に、”Landeshuata”すなわち、 „Hut und Schutz des Landes“、日本語では「帽子と土地の守護」と書かれており、当時からこの町はこの名前で呼ばれていたようだ。ちなみにHutは「先端部分を守る覆い」という意味もあるので、これが語源的には正しい。というのもこの町の起源は、バイエルン伯爵とレーゲンスブルクの大司教の権力争いに起因するからだ。

バイエルン伯爵は大司教の強大な権力基盤を崩すべく司教の所有する城砦を破壊すると、司教の動きを監視するために新たな城塞都市の建築を命じた。ランズフートは当時、イザー河畔にある村落だったが、河の真ん中に大きな中州が広がっていた。お陰でお金のかかる長い橋の変わりに、短い二つの橋で済む。費用と時間が大幅に節約できるメリットがあったので、この土地に町が建設されることとなった。さらに当時、交易は河畔を使っておこなわれおり、イザー河畔のこの町はまさに交易にうってつけだった。

町が建設されると多くの商人がこの地に定住、13世紀にはバイエルン伯爵もこの地に城を構えて定住、事実上バイエルン王国の首都として発展を始めた。その後、伯爵がバイエルン伯爵領を二人の息子に二分して与えると、南バイエルン領の首都はミュンヘンに、北バイエルン領の首都はランヅフートに置かれた。その後、およそ100年後だが、バイエルン領はふたたび統一され、統合後の首都はミュンヘンに置かれたため、ランヅフートの政治的な発展はこれにて終わってしまうかのように見えた。

ところが領主の死により、バイエルン領は三つの伯爵領に分けられて、三人の息子に相続される。この三つの伯爵領の中でも一番裕福になったのが、ランヅフートを首都にする”Bayern-Landshut”伯爵領で、ランヅフートは14世紀から15世紀にかけて最盛期を迎える。まずレンガ建築では世界で一番高い(130m!)聖マルチン教会の建設が始まると、同時に神聖霊教会の建築も始めるというお金の使い振り。

町の有名な建築物の多くのは、この時代の建築物だ。町の発展に大いに貢献した領主が死ぬと、ランズフート伯爵領はミュンヘン伯爵領に吸収されてしまう。その後はミュンヘンが優遇されて、ランズフートの政治的な価値は低下していく。

17世紀の30年戦争ではスウエーデン軍に占領され、町は甚大な被害を受ける。苦労してやっと町を復興させると、18世紀にはオーストリア帝国軍が進駐、8つあった町の城門の7つを破壊していった。町の侵入に大きな妨げにならない小さな門だけが破壊を逃れた。イザー河畔を歩くとかっての城壁の一部、見張り台などが残っており、かって町が要塞化されたいたことを偲ばせてくれる。

19世紀になると町は再び表舞台に戻ってくる。バイエルン伯爵が、「ミュンヘン一極化は避けたい。」と大学をミュンヘンからランズフートに移動させると、1000人もの学生もこの町に引っ越して、また栄華を取り戻した。が、次の領主になるとまたしても大学はミュンヘンに戻されて、現在に至っている。

ランズフート観光

歴史の古いランズフートの町は、デインケルスビュールの町と似たような作りになっています。すなわち市役所と教会で囲まれている広場がなかく、大通りがこれを代用する形です。イザー河を渡って巨大な神聖霊教会を見て、ランズフート表通りに入ると、はっと息を呑みます。まさに古都にふさわしい見事な装飾を施された建物が道の両脇に立ち並んでいます。観光地というと、表通りは綺麗ですが、これを一本後ろに入ると普通の民家だったりします。しかしランズフートは裏通りから、路地裏まで見事な建築物で一杯です。

丘の上には領主の城砦が建っており、車でランズフートに向かうとまずはこの城砦が目の前にドーンと出現して圧巻です。この城砦は博物館、そしてランズフート市民の結婚式の撮影場所として使われています。博物館に入らずに、かっての「お金持ち」との異名をもらった領主の居城を回りから眺めるだけなら無料。坂道と階段を登っていくと、ランズフート町を一望に見下ろせる見晴台にたどり着きます。聖マルチン教会は圧巻。レンガをひとつひとつ組み立てて建造、500年建っても未だに建造している中世の建造技術には脱帽です。

ランズフートの一番の見所は、4年に一度開かれる”Landshuter Hochzeit”というお祭りだ。これは上述の町の発展に多いに貢献した”Georg der Reiche”、すなわちゲオルクお金持ち伯爵の結婚式を再現するお祭りだ。この結婚式は1475年に行われたが、320頭の牛、1500頭の羊、500頭の子牛、4万羽の鶏が振舞われたという伝説の結婚式だ。

1880年、市はミュンヘンの芸術家に当時の結婚式の様子を市庁舎に描くように依頼した。その出来栄えがあまりにも素晴らしいので、「結婚式を復活させて、町で祝おうじゃないか。」ということになり、1903年から当時の結婚式を復元して祝うこととなった。もっともあまりに費用がかさむで、4年に一度しかも開催されない貴重なお祭りだ。期間は6月末~7月末までほぼ1ヶ月もの間続くが、誰もがお目当てなのは結婚式のいつ終わるともしれない行列だ。この日だけで人口6万6千人の町に、10万人もの観光客がやってくる。最後に催されたお祝いは2017年だったので、まだ次回のお祭りまでには十分に時間がある。

結婚式がなくとも一度は見て置く価値があるので、ミュンヘンまで来たら、是非一度、訪れてください。歩き疲れてから、カフェで飲む冷たいドリンクは格別です。ただし値段は5ユーロと少々”happig”。*

* 俗語で、「お高い。」という意味。英語の”happy”の書き間違いでありませんです。念のため。

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