ヴァイセンブルクが綺麗だった!」と言えば ランツベルク も綺麗だぞと、ドイツ人のおやじ。

ランツベルクと言えばあの有名な独裁者が収容されていた街。

そんな綺麗な街だったのか?

アウグスブクから目と鼻の先にあるのに、知らなかった!

ドイツの街では平日には市場に露店が出ているので、撮影には不向きです。

そこで週末までまって撮影に行ってきたので、紹介したいと思います。

街の紹介 ランツベルク

ランツベルクの街の名前は正式には、

“Landsberg am Lech”(レヒ河畔のランツベルク)

と言います。

アルプスに源を発するレヒ河が、街を南から北に縦断しています。

そのレヒ河がちょうど弧を描いている部分には、堆積物で中州ができています。

この中州があると橋をかけるのにとっても便利。

この中州の部分を使って橋を架け、ランツベルクの旧市街は標高の高いレヒ川の右岸に築かれています。

人口は3万人にも満たない小さな街で、ちょうどビーバラッハの街と同じ規模。

アルプスの裾野になるので、標高は587mと高め。

地勢上は オーバー(高地)バイエルン県に属しており、県庁所在地は言う間でもなく大都市のミュンヘンです。

行き方

アウグスブルクからランツベルクに行くなら国道17号線を、南に下ります。

その距離43km。

道路がよく整備されているので、40分で着きます。

途上、

「フッセンまで100km」

と看板も出てました。

お城まで結構近いですね~(*1)。

途上、レヒ河畔の戦いで有名な古戦場を通っていきます。

この戦いでは押し寄せるハンガリーの大軍を、オットー一世が破ってオットー大帝となった場所。

電車で行くなら鈍行しかないので、1時間弱。

ミュンヘンからランツベルクに行くなら、まっすぐ西に50kmの距離にあります。

電車で向かうと、50分程度。

ランツベルク – 名前の由来

町は小さくてもその歴史は古い。

12世紀、ゼルフェン王家のザクセン公爵、ハインリヒ獅子公(*2)が当時の

「金のなる木」

である塩のルートを安全にするため、レヒ河が狭くなっている場所に橋を設けた。

同時に貴重な積荷を守るため、要塞を建設した。

この要塞を„Castrum Landespurch“と呼んだのがランツベルクの名前の起源となる。

安全な要塞の付近に住民が住み始めて、次第にランツベルクは発展していく。

街の歴史

街の歴史

ランツベルクまで行くなら、史跡と共に簡単な街の歴史を理解しておこう。

歴史がわかれば、史跡の謂れが理解しやすい!

さらにもっと大事なことに、順序よく理解していると、頭に残ります!

「この建物は15世紀に建造されて、、。」

なんて聞いても、1分後には忘れていますよね。

それは前後関係を理解していないから!

なんでここに街が築かれることになったのか、どうしてランツベルクが栄えることになったのか。

その原因から理解していると、史跡を見ても感動が深く、何年経ってもしっかり頭に残ってます!

とはいっても、街の完全な歴史を書くのは不可能。

ここでは中世以降のランツベルクの歴史に関して、簡潔に紹介しておきます!

中世

14世紀にバイエルン公爵とオーストリア公爵との間で戦争があり、ランツベルクは戦禍に巻き込まれて焼け落ちてしまう。

しかし街は戦術的に重要な場所にあったので、バイエルン公爵は町の復興を命じ、同時に「塩の関税」を徴収する権利を与える。

15世紀にはランツベルクは「渡り税」を徴収することを許される。

交易で栄える

当時、レヒ河を利用して穀物や木材が運搬されていました。

この「渡り税」は、ランツベルクのおいしい財源となる。

街は交易で稼いだ金で町の東端にバイエルン門を建設、ミュンヘンから運ばれている塩は、この門を通って市内に運ばれた。

ちなみに当時はこの門がバイエルン公爵領と、隣のシュバーヴェンの境界線でもあった。

スウエーデン軍 住民を皆殺し

16世紀、バイエルン公爵領内でもプロテスタント派が市民層を中心に広がっていきます。

これはカトリックの総本家、ハープスブルク家とバイエルン公爵にはゆゆしき事態です。

当時、プロテスタント派はすでにお隣の大都市アウグスブルクを占領。

さらなる動きを封じ込めるため、カトリック教の都市が集まって、ランツベルク同盟を発足させる。

しかし波に乗るプロレスタント派のスウエーデン軍は、ランツベルクを包囲、陥落させます。

プロテスタント派のザクセン公爵は、ランツベルク同盟を徹底的に駆除するため、500人を残して町の住民を皆殺しにする。

500人は改修してプロテスタント軍として戦うことを誓ったので、命だけは助かった。

第三帝国時代

ランツベルクには、今も、昔も監獄がある。

それも著名な人物が収容される監獄が。

現代でも政治家や経済人が犯罪を犯して収容されているが、一番の有名な収容者はあのアドルフ ヒトラーだ。

ミュンヘン一揆で懲役刑になりこの街の刑務所に座っていた際、”Mein Kampf”(の一部)を口述した。

ここれは街の住人にはタブーなので、間違っても当時のことにはふれないように。

同じタブーが、郊外に巨大な強制収用所があったこと。

ミュンヘン郊外のダッハウにもあったが、あそこは政治犯の収容所だった。

ここにあったのはユダヤ人絶滅収容所。

普通、この種の施設はドイツ人の目にふれないように占領地に作られたが、ここだけは例外だ。

戦争中、ランツベルクは連合国による爆撃がなかった幸運な街。

一度だけミュンヘンに向かう戦闘機が小型の爆弾を投下したのが唯一の爆撃の経験だ。

お陰で古い建造物が多く残っている。

ランツベルク 観光 – 美しい城塞都市の見所を写真で紹介!

ランツベルクの街は、中世の頃に築かれた街並みと城壁が保存された城塞都市。

城塞 & 建築ファンには見所が目白押し。

有名なのは丘の上に建設された聖十字架教会と旧市街の市場に建つ壁画が見事な市役所。

でも一番の見所はレヒ河に築かれた階段のような川底。

百聞は一見にしかず、是非、見に行ってください。

きっと電車で行かれる方の方が多いだろうから、観光案内はランツベルクの駅から始めます。

駅はレヒ河の「向う」にあるので、旧市街に行くには”Altstadt”(旧市街)の標識を見ながら5~6分ほど歩きましょう。

すると街の入り口、レヒ河にかかる橋が見えてきます。

レヒヴェーア / Lechwehr

レヒヴェーア

ランツベルクの象徴となっているのが、レヒヴェーア /”Lechwehr”だ。

日本語に直し難いが、”Wehr”とは

「守り」

という意味。

なのでそのまま訳せば、レヒ河の守りとなる。

これでは意味がわからないので、解説しておこう。

街の名前にもなっているレヒ河は、この部分に急な高低差があり、ちょっとした滝になっていた。

ここに流されてきた木材などが滝底に溜まり、河川を水路として利用する障害となっていた。

そこで15世紀なって「渡り税」で稼いだ金で”Wehr”(堤防)、正確には階段のような形に河川工事を施した。

以来、この河川階段はランツベルクの象徴となっている。

橋の上からこのレヒヴェーアの写真を撮る人が多い。

しかしいい写真を撮りたいなら、橋を降りて、レヒの堤防から撮るのが一番。

三脚があれば、長時間撮影で綺麗な写真が撮れる絶好のポイントだ。

目をこらしてみると、下で紹介する「脂肪塔」もここから見えますよ~。

探してみてください。

母の塔 / Mutterturm

母の塔

レヒの守りを見たら、すぐにランツベルク旧市街に向かわないで、河畔を300mほど先に歩いてみよう。

その先に、母の塔 / Mutterturm があるからだ。

一見すると街の防壁に組み込まれていた監視塔のようにみえるが、芸術家が死去した母親をしのんで19世紀に建設したもの。

「母を偲ぶのと何故、塔になるの?」

と、私も思いましたが、回答はなし。

塔の横には芸術家のアトリエが、これまた凝った彫刻で飾られています。

現在は博物館として利用されており、塔もアトリエも入場料を払わないと中を見ることはできません。

開館時間 13時~18時 週末12時~18時 入場料 5ユーロ

参照 : herkomer.de

レヒ河畔

レヒ河畔

母の塔を見たら来た道を引き返して、橋まで戻ってこよう。

ここから見える小高い山の上にかってはランツベルクの城(正確には城塞)があったんです。

今では瓦礫しか残っていませんが、お城を守っていた監視塔はここからよく見えます。

秋になると川向こうの木々が色づいて綺麗な景色を醸し出しています。

ドイツの紅葉は早く8月末から始まるので、9月に来られたら、是非、対岸から記念写真もお忘れなく。

旧市街は、この橋の向こう側に広がっています。

丘の上の観光名所は後回しにして、まずはランツベルクの下町から紹介していきます。

脂肪塔 / Schmalzturm

脂肪塔

街の中心部に来て最初に眼を引くのは、カラフルな脂肪塔 / Schmalztum です。

その名前はおかしな名前は、かってここで動物から採取した脂肪 / Schmalz が売られていたことに由来する。

別名、”schöner Turm”(綺麗な塔)とも呼ばれており、本当に何処から見ても綺麗です。

この塔はランツベルクの最も古い建造物のひとつで、14世紀に建造されている。

でも、街の中心部に塔なんておかしい!

と思った方は、かなりのドイツ通。

そう、かってはここが街の境界線で、この塔は城壁で繋がっていた。

ところがランツベルクの人口増加により、城壁はもっと(かなり)後ろに再築されたんです。

街の中に城壁があると邪魔なので取り壊されましたが、塔だけは残されました。

結果、街の中心部に塔があるという珍しい形になっています。

ランツベルク 市役所 / Rathaus

ランツベルク 市役所

脂肪塔の対面にあるのがランツベルク市役所です。

現地に行かれたことがある人から、

「違いますよ!歴史的市役所 /”histrorisches Rathaus”ですよ!」

というチェックが入る前に、説明しておいた方がいいかもしれない。

17世紀末にボロボロになった市役所を取り壊して、市場の井戸の前に新しいランツベルク市役所を建設。

建設された当時には装飾はなかったが、1719年に宮廷建築家を招いて見事な装飾が施されました。

ランツベルクの住人はこの市役所を大変誇りにしているので、

「歴史的市役所」

という名前をつけました。

でもこの調子で名前を付けると、ドイツ中の市役所が歴史的市役所になってしまいます。

そこでここでは、市役所と記載しておきます。

2018年までは肝心要の表面が修復中でした。

今はもう終わっている筈なので、街の人が誇りの市役所を眺めることができる筈!

マリア噴水 /”Marienbrunnen”

ランツベルク市役所の前には”Marienbrunnen”(マリア噴水)がある。

そもそも市場の噴水 / Marktbrunnen という名前だったが、市役所の新築に伴いこちらも新築されて、名前が変わりました。

ドイツ各地、とりわけカトリック色の強い地域にはマリア噴水があります。

このマリア噴水、ノイブルクのマリア噴水とは瓜二つ。

どちらかがオリジナルなんでしょう?

修道院教会 / Klosterkirche

修道院教会

ランツベルク市庁舎の前を左に行くと、市場は先に進むに従い細くなり、先にはでかい建物がど~んと建っている。

これは修道院教会 /”Klosterkirche”という18世紀の建造物だ。

かって男子はイエズス修道会にて厳しい宗教教育をうけたが、

「女子の教育はどうする?」

と心配になった有志が、女子のための修道院を作ろうと資金集め。

集めた金で市内の家屋を買い取り建築したのが、この巨大な修道院だ。

修道院の完成後、アウグスブルクから壁画の名人を呼び寄せて、壮大な壁画を施した。

この修道院の先で道が右に折れている。そのまま進むと駅に戻ります。

そこで今度は市庁舎の前を右に行ってみよう。

主要教会 / Stadtpfarrkirche

主要教会

広場の端っこにあるデカい教会は”Stadtpfarrkirche”です。

ドイツの教会の仕組みは日本の寺のように複雑で部外者には理解しがたいです。

“Stadtpfarkirche”とは街で一番のカトリック系の主要教会という意味です。

ランツベルクの人は、”Mariä Himmelfahrt”と呼んでいます。

無理やり日本語に翻訳すると、

「天に昇る聖母マリア(教会)」

です。

オリジナルは12世紀にここに建っていた教会ですが、今の教会は15世紀に建造されたもの。

その後、何度も改修されて、今の姿になりました。

この教会の尖塔はレヒヴェーアから見てもしっかり見えており、ランツベルクのランドマーク的存在です。

魔女の塔 / Hexenturm

主要教会の先が三次路になっています。

少し寄り道してここを左に行くと、魔女の塔 / Hexenturm が建っており、未だに中世の頃からの城壁とつながっています。短い区間だけですが。

かって、

「お前は魔女だ!」

といいがかりをつけられた男女(圧倒的に女性が多い)がここに「収容」されていたので、この名前。

ランツベルクの主張をそのまま引用すれば、

「処刑されたという記録はない。」

そうです。

もっともそれはかなり好意的な見方。

間違いなく数多くの無実の人間が、ここで拷問された挙句に殺害されています。

この前をちょうど水路(お堀)が流れており、魔女の見分けには最適。

当時、魔女と疑われると、鉄の檻に入れて水の中に沈められました。

5分後に檻をひきあげて、まだ生きてたら間違いなく魔女で処刑。

すでにおぼれ死んでたら

「御免ね。」

というぶっそうな見分け方。

パン屋の塔 / Bäckerturm

パン屋の塔

来た道を戻り、主要教会の横の道を歩いていくと、今度は左手にパン屋の塔 / Bäckerturm が見えてきます。

建造されたのは15世紀。名前はかってここにランツベルクのパン屋があったから。

ちょうど横を水路が流れており、かってはお堀と城壁、そして監視塔で防御のひとセットになっていた。

パン屋の塔を歩いて先に進むと、さらにもうひとつの小さな塔が見えてきます。

染屋の塔 /”Färbertor”

染屋の塔

その塔の名前が染屋の塔 / Färbertor です。

なんでも染め物をする職人が住んでいて、お堀の水を使って染め物をしていたので、この名前がつきました。

かってはランツベルクは二重の城壁とお堀で防御されていたんです。

今はかっての城壁とお堀は埋められて、その上に道路が建設されています。

よっく見ると、その道路が街の輪郭に沿っており、

「かってはここに城壁があったんだな。」

と推測することができます。

ザンダオアー門 / Sandauertor

ザンダオアー門

来た道を戻り、メイン道路を進みます。

5分も経たたないでかってのランツベルクの境界にやってきます。

ここにある街への入り口となる門が、ザンダオアー門 / Sandauertor 。

門の名前はこの地区の名前、ザンダオアーから由来。

この塔は未だに城壁と繋がっており、山肌に沿って城壁がずっと連なっている。

門の外、城壁と一体になっているような建造物はかっての染谷 Färberhof です。

街の端っこにあったということは、結構、臭かったんでしょうね。

ドイツで唯一の左側走行の道

ドイツで唯一の左側走行の道

ランツベルクの下町の主要な建造物の紹介は、この程度にしておきます。

全部上げたらこのページ、5万語くらいの長文になってしまいます。

ここで紹介されていない建物は、実際に観光に行った際のお楽しみ~。

次は貴族や商人が住んでいたランツベルクの丘の上を見に行こう。

丘の上には脂肪の塔をくぐって、その際の坂道をあがっていきます。

この坂道、かっては塩を積んだ人力車、牛車が横行していましドイツで唯一の左側走行の道です。

坂道沿いの家屋は、玄関のドアに鍵をかけるのを禁止されていそうです。

何故?

それはブレーキが壊れて狭い坂道を下りだした車に挽かれないように、通行人が家屋に逃げ込めるようにするため。

坂道を登りながら、振り返ってみるのをお忘れなく。

この狭い道から見える脂肪の塔は、とってもいいアングルです。

魔女地区 / Hexenviertel

魔女地区

建物の後ろに、この坂道にほぼ平行して走っている道があります。

なんとなく雰囲気の違う場所です。

それもその通り、ランツベルクの魔女地区 /Hexenviertel と呼ばれています。

えっつ、魔女が住んでいるの?

いえ、住んでいません。

角にある大きな建物は木造で、通りに回廊がぐっと突きでています。

独特な構造で、壁に絵が描かれています。

どうもこの建物が、魔女地区の名前の由来になった様子。

調べてみると、

「かってこの建物に赤毛の女性が住んでいたのが語源。」

だそうです(*3)。

この裏道を歩くと、坂道に隙間なく並んでいるランツベルク建物を裏側から見渡すことができます。

時間があれば、この裏通りも歩いてみてください。

いかにも魔女が出てきそうですよ!

ランツベルク バイエルン門 /”Bayertor”

ランツベルク バイエルン門

坂道を登り切ったら、道路がゆるやかに左にカーブしている。

その先に街で一番見後な門(塔)、バイエルン門 / Bayertor が見えてくる。

バイエルン塔は城壁と一緒に、15世紀に建造されました。

この塔はちょうどミュンヘンからランツベルクにやってくると、まず到着する場所。

旅人を

「おお、流石はランツベルク、立派な門だ!」

と感嘆させる目的で、手の込んだ作りと装飾が施されています。

2017年は修復中でしたが、2018年は修復(ほぼ)完了。

ペンキも塗りたてでぴかぴかでした

監獄に使っていた魔女の塔とは大違い!

ランツベルク 城壁

ランツベルク 城壁

このバイエルン塔から延々と、ランツベルク城壁が延びています。

城壁ファンは是非、城壁に沿って歩いてみよう。

お堀にまだ水があれば、さぞかし綺麗だったろうに。

端まで歩いて写真もたくさん撮ってきましたが、このページ、すでに8000文字を超えちゃいました。

詳しい紹介は、次回の更新に割愛します!

丘の上は面白い家屋が多いので、是非、登ってみてください。

あるいはバイエルン塔の周辺は駐車場になっているので、ここに車を停めれば便利な上に無料!

聖十字架教会 /”Heilig-Kreuz-Kirche”

聖十字架教会

丘の斜面にど~んと建っているのが、聖十字架教会 / Heilig-Kreuz-Kriche です。

よくもまあ、この狭い場所に、こんなでかい教会を建てたもんです。

あまりに場所が狭いので、撮影する場所にも困るほど。

「資材を運ぶだけで大変だったろうな~。」

と感心したり、あきれたり。

建造されたのは、ランツベルクが税収入で潤っていた18世紀。

教会内部

教会内部

教会内部はロココ調の建築様式で豪華絢爛

ドイツの教会は古くゴシック様式が多いので、聖十字架教会の装飾は(ドイツでは)目新しく新鮮です。

聖十字架教会への入り口は、丈夫な柵で閉鎖されてます。

教会の装飾品を盗む輩がいるので、仕方ありません。

でも策の合間から写真は撮れます。

新博物館 / Neues Stadtmuseum

新博物館

聖十字架教会の前にある立派な屋敷は、ランツベルクの新博物館 / Neues Stadtmuseum です。

かってはイエズス会宣教師の修道院だったものを街が買い上げて、博物館に。

もっとも今は工事中。

外からしか見ることしかできません。

皆まで言えば、ホームページも工事中でした。

ランツベルク 城の跡地

ランツベルク 城の跡地

防御に適した丘の上はランツベルクの主要部分で、ここには領主の城が建っていた。

丘の名前は城山 / Schloßberg というが、残念ながらランツベルク城はもう残っていない。

もうちょっと整備すればいいのに、建築廃材が捨てられており、雰囲気はぶち壊し。

唯一、

「ここに城があったんだろうな。」

と思われる塔や城壁だけが残っている。

かって城があった場所は駐車場として利用されており、端っこには”Schlossbergschule”(城砦学校)が建っている。

木陰から見える新博物館と聖十字架教会が綺麗でした。

レヒ河畔のカフェ・レストラン

レヒ河畔のカフェ・レストラン

ランツベルクの観光名刺、全部歩いて回るとたっぷり3時間かかるので、

「足が痛い。」

「トイレに行きたい。」

「腹が減った。」

と言うお友達は、レヒ河畔に連れて行こう。

この近辺は原住民の憩いの場で、ケーキ屋、カフェ、レストランの密集地帯。

きっとご機嫌も治る筈だ。

お堀も流れており(工事中でなければ)、とっても雰囲気のいい場所です。

塩の倉庫 / Salzstadel

ランツベルク 塩の倉庫

そうそう、ひとつ忘れてました。

このカフェの裏手に延々と続くのは、ランツベルクがお金持ちなった塩を貯蔵した”Salzstadel”(塩倉庫)です。

14世紀から19世紀まで塩の交易で大いに栄えたので、現在残っている倉庫だけでも結構な数。

現在は家屋、店舗として利用されており、中にはカフェやレストランもあります。

でもレヒ河が見える場所の方が、雰囲気いいですね。

ランツベルク 生活と物価

人口3万人程度の街なのに、生活費の大部分を占める家賃はそれほど安くない。

ランツベルクではアウグスブルクとほぼ同じか、それ以上の家賃を払わないと、アパートが借りられない。

ここでも、

「ミュンヘンより西は家賃高め。」

の法則が適用されるようだ。

多くの中小企業、幾つかの大企業がこの街、そして郊外に本拠を置いているのも、家賃を押し上げる結果になっている。

日曜日に営業中のパン屋

ランツベルク 日曜日に営業中のパン屋

早起きして朝食抜きで撮影に行ったのに、歩けど、歩けど、営業中のパン屋がないっ!

人口が少ない上、ランツベルクにやってくる観光客もそんなに多くないので、

「開けても儲からん。」

とパン屋さん、

日曜日はお休みのようです。

唯一、旧市街に営業中のパン屋を発見!目印はこの凹の屋根!

注釈

*1         今まで何度も行ったので、近くに引っ越してきてからは結局、足を運ぶ機会なし、、。

*2

*3        赤毛は魔女の印。無罪で処刑された女性(男性)の多くは赤毛だったんです!

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