ハンブルク はベルリンに次ぐドイツ第二の大都市。

ドイツでは

「お金持ちが一番多い街」

としても知られています。

その原動力になったのは言う間でもなく、港です。

ドイツにはもっと便利な港があるのに、ハンブルクの一人勝ち。

それはハンブルクの商人の

「見た目よりも実を取る」

性格のお陰です。

そのハンブルクのお金持ちになるまでの経緯と、有名な観光名所を紹介いたします。

街の紹介 ハンブルク

ハンブルク はエルベ河畔に築かれた街。

ミュンヘンの130万人を凌駕する170万人が住んでいる。

いまでこそ知る人は少ないが、60~70年代まではハンブルクが、

「日本人町」

として有名だった。

当時の名残で、市内には今でも日本人学校などのインフレも整っている。

運輸会社を筆頭に、有名な日系企業も数多くその支店を置いている。

とは言っても、ミュンヘンやベルリンと比べると、やはり

「影が薄い」

ようで、ハンブルク留学の問い合わせも少ない。

多くの日本人にとってはまだ未知の街のようだ。

そこでまずは街の歴史から見ていこう。でもその前に、、。

ハンブルク 伝説 – ハンバーグの起源はハンブルク?

ハンバーグの起源はハンブルク?

日本人がハンブルクと聞いて、まず最初に連想するのはコレ。

ハンバーグと読み方が似ている為に、

ハンブルクがハンバーグの起源

 

と固く信じている方が多いです。

それだけでは済まず、

「ドイツではハンバーグをハンブルガー、あるいはハンブルク ステーキと言う。」

と、あたかも確かめてきたかのように語る人まで。

あまりに自信たっぷりなので、

「そうなんだ。」

と信じてしまいそうです。

ハンバーグはドイツ語でフィリカデレ / Frikadelle

でもドイツではハンバーグを

“Bulette”(ブレット)

あるいは

“Frikadelle”(フリカデレ)

と言います(*1)。

前者はフランス語の “Boulette”、後者は同じくフランス語の “fricandeau”から派生している。

ハンブルガーに至っては、ドイツ語で

「ハンブルク人」

という意味。

「ハンバーグの起源はハンブルク説。」

には不利な証拠ばかり。

皆まで言えば、ハンブルク ステーキなる言葉も存在していません。

これは日本人が発案した、日本のレストランでしか存在してないメニューです。

ハンバーグの本当の起源は、ニューヨークにあるハンバーグ市です。

牛肉不足に悩んだ肉屋が牛肉と豚肉のミンチを合わせて作った肉料理を、町の名前にちなんでハンバーガーと呼んだのが名前の起源です(*2)。

ハンブルガーの気質

ハンブルクの住人は、他の都市の人間とは違う

「特性」

があると言われています。

それは

「ハンブルガーは熱くならない。」

というもの。

すべての人に共通する性質ではないですが、確かにその傾向があります。

ハンブルクのお金持ちは、

「富をみせつけるのは、品のない人間のすること。」

という考え方があり、お金持ちを外見から識別するのは不可能です。

今、市内で高級車を乗り回して富を見せつけているのは、

”Neu-Reiche”(新しく財を成した新参者)

で、生粋のハンブルガーは

「そんなはしたないこと」

はしません。

街の歴史

街の歴史

誤解が解けたら、街の歴史にもふれておこう。

4世紀に始まったゲルマン民族の大移動で、この地にやってきたのはゲルマン4大種族のひとつザクセンだ(*3)。

ザクセン人は長く民俗信仰を保持してきた。

一方、ドイツで最初の皇帝、カール大帝は熱心なキリスト信者。

未だに野蛮な信仰を捨てないザクセン人を

「正しい信仰に導いてあげよう。」

と血なまぐさい宗教戦争を開始。

そのザクセン人改宗の為、この地に砦と教会を築いたのが、ハンブルクの起源です。

名前の起源 – Hammaburg

9世紀始め、アルスターの河辺に城砦が築かれます。

アルスターは古語で”Ham”。

城塞はドイツ語で”Burg”

この砦が Hammaburg と呼ばれ、街の名前の起源になりました。

カール大帝の没後、信心深かった息子のルートビヒは、ハンブルクをバンベルクのような宗教独立国にしちゃいます。

もっともその後、ヴァイキングの襲来で司教はブレーメンに避難。

カトリック区宗教国は、10年ほどで存在を辞めます。

交易で発展

12世紀に神聖ローマ帝国の皇帝、フリードリヒ1世がこの地に港湾を作る権利を与えたのが、街の発展のきっかけになる。

13世紀になると交易で街は大いに栄えます。

当時はハンブルクだけでも600を越えるビールの鋳造所がありました。

当時は飲み水の品質が悪く、ビールを水代わりに飲んでいたというのは、本当の話です。

ハンザ同盟の最盛期

14世になってもハンブルクの発展は衰えず、北海交易で最も重要な港湾都市に成長します。

16世紀初頭には都市国家に昇進、国内最初の株式市場をオープンしている。

17~18世紀は文化的な発展が最高潮に達し、劇場などの建築ラッシュに沸いた。

ビスマルクと結束

工業化の波が押し寄せると、他のハンザ同盟都市は衰退の一路を辿った。

ハンブルクだけは重要な経済地域としてその地位を確保し続けた。

ビスマルクによるドイツ第二帝国の建設時には、

「長いものには巻かれよ。」

と自主的に自治権を放棄してプロイセン陣営に加わる。

プロイセンに抵抗してお家断絶、領土を没収されたハノーファーの間違いを犯さなかったのは、みかけよりも実を取る商人らしい。

お陰で町だけで州を形成する特殊な形で、ドイツ第二帝国に参加。

街は交易でさらに栄えることになる。

ハンブルク空爆 オペレーション ゴモラ


写真提供 : Von Dowd J (Fg Off), Royal Air Force official photographer – https://www.iwm.org.uk/collections/item/object/205023601This is photograph CL 3400 from the collections of the Imperial War Museums., Gemeinfrei

ハンブルクの歴史を語る上で語らずにはおられないのが、第二次大戦中の出来事。

ドイツ軍の猛攻をストップさせたソビエトは、

「第二戦線なくして、対独勝利はない。」

と、欧州にて第二戦線を開く事を要求。

ところがドイツ軍はまだ強力で、上陸作戦を行うと失敗に終わる可能性が高かった。

そこで立案されたのが、オペレーション ゴモラ。

ハンブルクに集中爆撃を行い、大量の民間人を殺傷する事が目標(*4)。

とりわけ焼夷弾を数多く投下する事でハンブルクを焼き尽くす事を企図したこの作戦は、1943年7月24日に始まった。

昼間、米軍が爆撃を開始。

夜にはイギリス空軍が爆撃を続け、1日2400トンもの爆弾を投下。

ハンブルク市内では

「オーブン現象」

が発生、温度は1000℃を超えた。

1週間以上続いた爆撃で、3万4000人以上がなくなった(*5)。

ハンブルク 海運で栄えた港町には見所がてんこ盛り!

ハンブルク 海運で栄えた港町には見所がてんこ盛り!

正直に告白すれば、

「ハンブルク観光?」

「レーパーバーン?」

くらいしか思い浮かばない方も少なくないのでは?

実はハンブルクには他に観光名所がてんこ盛り。

友人は、

「演劇を見るならハンブルクが一番。」

と言う演劇ファン。

演劇に興味がなくても、

「演劇を見に行ってくる。」

という男性は多い。

目的はレーパーバーン。

偶然同じ場所にあるので、絶好の言い訳。

その他にもユネスコから世界遺産に指定された倉庫街、港、ハンブルク市民が

「ドイツで一番美しい。」

と言い張る市庁舎、戦争を生き延びたハンブルク独特のレンガ作りの家屋が並ぶ通りなど、とても書ききれない。

お金持ちの街ハンブルクはインフラ、観光資源がとてもよく整備されていてます。

1週間の滞在ですっかりほれ込んで、

「家賃があんなに高くなければ、是非、住んでみたい!」

と思ったほど。

以下にお勧めの観光名所を上げておくので、観光の参考にしてください。

内アルスター / Binnenalster

 内アルスター

ハンブルクに行くと嫌でも聞くのが、

「アルスター」

という言葉。

アルスターとは、エルベ河の支流の名前。

街を北から南に縦断して、エルプフィルハーモニーでエルベ川に流れ込んでいる。

その手前で大きな湖のようになっている。

これが俗に言うアルスター湖。

このアルスター湖は南にある内アルスター / Binnenalster と、北のでかい外アルスター / Außenalster に分かれている。

とりわけ内アルスターは旧市街に近いので、周辺はもっとも地価が高い場所。

高級品を売っている店は、必ずこの近くにあります。

ゲーテを除くハンブルクの語学学校もこの近くにあります。

アルスター祭 /  Alstervergnügen

冬。

低気圧が到来するとマイナス20度まで

「キンキン」

に冷え込むハンブルク。

これを待ち望んでいるハンブルク市民は意外と多い。

質問
何故?

 

内アルスターの氷の厚さが18cmを超えると、環境庁が、

「入ってよし!」

と許可を出します。

これがハンブルク市民の冬楽しみのアルスター祭り / Alstervergnügen です。

アイスケートは言うに及ばず、何処からともなく露店が出店してお祭り騒ぎ。

もっとも地球温暖化で最後にアルスター祭が行われたのは2012年。

今年の冬は如何?

アルスターハオス / Alsterhaus

アルスターハオス

内アルスター近辺には、高級ブテイック店が軒を連ねている。

一番立派なのは、銀行かと思う重厚な作りのアルスターハオス / Alsterhaus 。

高級日本食料理”Yoshi” も入ってる高級デパートです。

ミュンヘンで言えばマキシミリアン通りだ。

乙女の舞台 / Jungferstieg

乙女の舞台

住人の憩いの場が乙女の舞台 /”Jungfernstieg”と呼ばれるアルスター湖畔。

ここはかっての独身の女性が素敵な(お金持ちの)男性を探しに行った場所だ。

だからこの名前。

とてもゆったりと場所を取ってテラスが設けられており、とても気持ちがいい。

日本の都市計画だとこうはいかない。

乙女の舞台は、地下鉄と近距離電車が交差する交通の要所。

ハンブルクに滞在されると頻繁にこの駅を利用することになる。

是非、覚えておいてください。

ハンブルク 市庁舎 / Hamburger Rathaus

ハンブルク 市庁舎

市民が、

「ドイツで一番綺麗な市庁舎」

と自慢のハンブルク市庁舎 / Hamburger Rathaus は、内アルスターのすぐ近くにあります。

でも綺麗な写真を撮るなら午前中に来なきゃ駄目(*6)!

もっとも午後に来ても、無駄ではない。

裏から見た市庁舎もとっても綺麗で、午後はちょうどバックからお日様が照っていい写真が撮れる。

建設されたのは19世紀の終わり。

ちょうどドイツ第二帝国が成立した頃。

建造された時期のはミュンヘンの新市庁舎とほぼ同じだが、尖塔は112mもある。

ミュンヘンの85mをあざ笑うかのような、新ルネッサンス様式の見事な建物だ。

市役所建造史

ハンブルク 市役所裏面

このハンブルクの市役所、実は6つ目になる。

1842年のハンブルク大火事の際、

「市役所を爆破して、炎の広がりを阻止する。」

と消防団長が決断。

こうして5つ目の市役所が爆破されたのだが、十分な時間がなく、不完全な爆破に終わった。

すると炎にさらに燃料を与える結果になってしまった。

この大火事の後、

「何処に6番目の市役所を建てようか?」

と市議会で議題になった。

この会議で、ひとつの建物を残してすべて焼け落ちたこの空き地に建設が決まった。

ヒゲーア噴水 / Hygieia-Brunnen

ヒゲーア噴水

市庁舎の裏(中)庭にある見事な噴水は、ヒゲーア噴水 / Hygieia-Brunnen だ。

ヒゲーアはギリシャ神話に登場する衛生の神。

これから派生したドイツ語が、Hygiene (衛生)だ。

噴水の中央に女神ヒゲイアが竜の上に建つ姿が描かれている。

そして女神ヒゲーアは水の使い方を現した見事な銅像に囲まれている。

兵士の慰霊碑 / Hamburger Ehrenmal

兵士の慰霊碑

市庁舎の前に立っている石碑は、第一 & 二次次大戦で戦士したハンブルク出身の兵士の慰霊碑 / Hamburger Ehrenmal だ。

当初は第一次大戦で戦死した4万人のハンブルクの若者にささげられていたが、ナチスが

「精神がたるんどる!」

と撤去、破壊。

第二次大戦後、両大戦の死者を奉る慰霊碑として復元された。

ドイツの町には、必ず戦死した地元の若者の慰霊碑が建っている。

ハンブルク アルスターアカーデン / Alsterarkaden

ハンブルク アルスターアカーデン

夏のハンブルクは最高に気分がいいです。

でも晩秋から冬になると、北海は大荒れ。

強風に雨、それに洪水と散々な天気です。

そこで商店街の多くは屋根付き、これをアカーデン /”Akarden”と言います。

本当はアカーデンは

「弓(のようにしなった物)」

という意味なんです。

でも今ではこれが汎用されて、屋根付きの商店街を全部アカーデンと言います。

その原因になったのが、市役所の斜めの横にあるアルスターアカーデン / Alsterarkadenです。

さまなまざな商店からカフェ、レストランまで入っています。

若い人は「乙女の舞台」を好むので、こちらのカフェや商店を訪問する客の年齢層は高くなっています。

日本人の大好きなブテイックなどはここではなく、上述の内アルスター / 乙女の舞台周辺に集まっています。

ここにはクロックスなど、観光客向けの商店が多いです。

聖ミヒャエル教会

聖ミヒャエル教会

ハンブルクで一番有名な教会が、この聖ミヒャエル教会。

尖塔は132mもあります。

それに丘の上に建っているので、ハンブルク港に入ってくる船(員)が最初に見るのはこの教会の尖塔。

街の象徴的な存在です。

最初に建造されたのは17世紀。

だが雷に遭って2回も焼け落ちた。

現在の教会は1906年に再建されたもの。

聖ミヒャエルのサタン退治

聖ミヒャエルのサタン退治像

教会の入り口の上には、教会の名前の「元」になった、聖ミヒャエルのサタン退治の見事な銅像が飾られている。

アウグスブルクの兵器庫の前の聖ミハエルも立派だが、ハンブルクのブロンズ像もなかなか。

お葬式のミサ

「人間の価値は、死んだときにわかる。」

と言う。

社会的貢献をしたハンブルガーは、聖ミヒャエル教会でお葬式のミサが開かれる。

(故)シュミット首相が死去したときも、ここでミサが開かれた。

対空火砲塔 / Flaktürme

対空火砲塔

ハンブルクには日本の長崎のように造船業と港という、戦術的に重要な拠点が集中していた。

お陰で第二次大戦中、何度も大爆撃に遭った。

市内にはこの爆撃で崩壊した教会の壁が、戦争の災禍を忘れないように残れている。

St. Pauliには戦争中に建設された巨大な対空火砲塔 / Flaktürmeもまだ残っている。

角には対空火砲を載せれるように「出っ張り」が付いている。

ヘリコプターのない当時、どうやって巨大な対空火砲を屋根に持ち上げたのだろう。

ダイヒ通り / Deichstraße

ダイヒ通り

戦争の傷があまりに深かったハンブルクには、古い建物はあまり残っていません。

稀な例外のひとつが、聖ミヒャエル教会の近くにあるダイヒ通り /”Deichstraße”だ。

古風な家屋はかっての市民の住居で、戦争前はこんなに綺麗な家屋が街中に建っていた。

通りの名前が示す通り、この家屋は川の堤防 / Deich の上に建造されている。

普通ならそんな危険な場所には家屋を建てないが、19世紀末、ハンブルクは交易で大いに栄えて人口が増加。

土地の確保に困った市がここに建築を許可したもの。

皮肉なことに当時建設された中心部の見事な家屋のほどんどは、戦争の被害になるか、その後の再建の際に取り壊されてしまった。

しかしここだけは家屋(土地)の資産価値が引くかったので、そのまま取り残された。

それでも20世紀には、近代化の一環で取り壊しされる寸前だった。

日本だったら間違いなく全部取り壊しになっていただろう。

ドイツでは市民が、

「戦争を生き延びた昔の建造物を後世に残そう!」

と取り壊しに反対。

こうしてダイヒ通りだけは、昔の家屋が残った。

木材を使用した南ドイツと、明らかに建築様式が異なる。

ペーター通り / Peterstraße

ペーター通り

もうひとつの例外が、防空壕の近く(といっても1Kmくらい離れてます)のペーター通り /”Peterstraße”だ。

地下鉄、St.Pauli 駅から徒歩15分。

なのに私は道に迷って、到達するのに1時間もかかってしまいました。

さっさと人に道を聞きましょう。

30年戦争中、住むところを無くした市民が多数、安全な場所を求めてハンブルクにやってきます。

戦争難民の数多くて、とても城壁の中には住む場所がありません。

そこで城壁の外のこの部分に住居を設け、新しい城壁で囲ったのがゲンゲフィアテル / Gängeviertel の始まりです。

19世紀に下水道を引く事になり、非衛生的な家屋の多くは取り壊されて、レンガ作りの見事な家屋が並ぶ地区に大変身。

戦争で被害は受けますが、それでも大部分は災禍を逃れました。

なのに60年代に大方、取り壊されてしまいます。

今、堪能できるのは、立て直し工事を逃れた家屋ですが、見事に修復されており一見の価値アリです。

そうそう、現存してる家屋はアパート、博物館、レストランとして利用されています。

発着橋 / Landungsbrücke

発着橋

何と言ってもハンブルクの最大の魅力は港。

船が発着することから、”Landungsbrücke”(発着橋)と呼ばれている駅は、地下鉄や近距離電車の交差する交通の要所。

ここから(他の場所でも乗れます。)港の観光船が出ている。

運がいいと、クイーンメリー2の巨大な船体を拝むことができます。

レストラン街

発着場には右も左もレストランで一杯。

「ハンブルクと言えば、魚でしょ!」

と魚バーガーを注文。

魚は冷凍もので、

「おいしい!」

というものではありません。

無理して食べる必要はありません。

エルプフィルハーモニー / Elbphilharmonie

エルプフィルハーモニー

街の新しい観光名所が、エルプフィルハーモニー /”Elbphilharmonie”。

最寄り駅は”Baumwall”。

この建造物は市が、

「ハンブルクの新しい観光名所を作ろうじゃないか。」

と必要もないのにコンサートホールの建設を計画したの始まりだ。

建物は港に建つ倉庫のひとつを利用して、上部に鏡で覆われた高さ110mもの見事な建造物に仕上げられた。

コンサートホールには、なんでも10年がかりで開発した世界で一番の響きを持つパイプオルガンを備えている。

尚、建物の中にはコンサートホールだけではなく、高級ホテル、それに超高級マンションも入ってる。

工事費用は見積もりの11倍!

と言えば聞こえがいいが、工事費用は当初の見積もりの11倍+にも跳ね上がった。

ハンブルク市と建設会社 Hochtief との間で、

「誰が払う?」

という大問題に発展した。

市は、

「建設費が上昇した場合は、市がこれを払う。」

という契約書に署名しており、歯ぎしりしながら8億6千万ユーロもの建設費を払った。

お陰で工事は計画よりも6年も遅れたものの、2016年に完成。

世界遺産 ハンブルク 倉庫街 / Speicherstadt

ハンブルク 倉庫街

エルプフィルハーモニーは、世界遺産に指定された”Speicherstadt”(倉庫街)の一部です。

19世紀、ドイツ統一戦争という名前で知られる天下分け目の大戦があった(*7)。

自由都市のハンブルクは、プロイセン側についた。

勿論、それは条件付き。

プロイセンが戦争に勝ってドイツ第二帝国を樹立すると、ハンブルクは関税が課されない無関税の特権を獲得した。

ハンブルク商人の賢い先見の明が功を奏して入港する船が増大すると、巨大な倉庫が必要になった。

そこで市が港の周辺の土地家屋を強制買収、綺麗な建物もすべて壊して、倉庫街の建設が始まった。

第一次大戦前に完成したこの倉庫街は、第二次大戦で大きな被害を受けたが、20年以上もかけて再建された。

「倉庫街」

というだけあって、デカイ。

現在では博物館や店舗として利用されているが、ハンブルク港の管理局もこの建物に入っている。

参照 : unesco.de

港の高級アパート

港の高級アパート

港界隈は新開発地域。

人気が高く、フィルハーモニーを始め多目的ビルから高級住宅などが建設中だ。

しかし港を眺める一等地には、そのお金持ちの高級アパートが軒を連ねており、流石は最もお金持ちが多い街だ。

レーパーバーン / Reeperbahn

ハンブルク レーパーバーン

ある人にとってはハンブルクと言えば、レーパーバーン / Reeperbahn 。

そう、ここにはハンブルクが誇る街で一番の繁華街。

劇場が並んでいるので、ミュージカルに興味のある人が集まる場所。

ミュージカルに興味のない人間も集まります。

ドイツでは SEX 関連のお店、およびこれを提供する店は営業をしてもいい地区が決まっています。

それがまさにここ、レーパーバーンです。

友人曰く、

「堂々と宣伝してもいいの? 」

と心配になっていましたが、ドイツでは売春は合法です。

日本と異なり合法商売ですので、すべて明朗会計です。

だから女性の観光客も多いのが特徴です。

ドリンクを飲みながらテーブルダンスを鑑賞できます。

街角には、この職業で生活している自営業者の方々も営業中。

泊まったホテルのバーでは夕方になるとドリンクを飲みながら客探しをしているお姉さんまで!

ホテルも了解している様子。

流石、ハンブルク!

踊る塔 / Tanzende Türme

ハンブルク 踊る塔

そうそう、 St.Pauli 駅 で降りると踊る塔 / tanzende Türme という高層ビルが見えます。

人気がなく潰れたボーリング場の跡地に建設されたオフィスビルです。

地上階にはレストランも入っています。ハンブルク市民には、

「周辺の景色と融合しない。」

と不評だったらしいですが、今ではまんざらでもない様子。

レーパーバーンに行くなら、まあ、見逃すことはないので、見ておいてください。

ハンブルク ビスマルク像

ハンブルク ビスマルク像

St.Pauli 駅 から徒歩10分ほど離れている場所に、でかいビスマルクの石造が建っている。

高さ34mのこの像は、ビスマルク像としてはドイツで一番でかい

ビスマルク生誕の地でもないのに、何故ここにこんな大きな像が?

それはビスマルクが首相の座を追われてから死去するまで、ハンブルクで隠居生活を送っていたからだ。

かってのハンザ同盟都市が凋落していく中、ハンブルクはビスマルクとの関税条約で大いに繁栄することができた。

その恩返しに死後募金活動が始まり、募金で建てれたらのがこのビスクマルクの石碑だ。

ハンブルク 何処に泊まる?

ハンブルク 何処に泊まる?

街が大きいので、とても1日で観光名所を見て回るのは無理。宿泊は避けられません。

そこで予算があれば、ハンブルク観光のホテルはArcotelをお勧め。

上述の踊る塔の後ろに隠れるように建っています。

地下鉄の駅まで徒歩3分(赤信号だと4分)、部屋は十分に広く、(運がいいと)部屋からビスマルクと Elbphilharmonie が見える。

一番感心したのは騒音対策。

廊下や隣の部屋の騒音がシャットアウトされて、とっても静かです。

そして豪華な朝食。是非、朝食込みで予約しましょう。

朝から満腹になるので、お昼は省略できちゃいます。

そしてレーパーバーンにミュージカルを観に行くなら、ホテルから徒歩4分です。

ホテルの向かいにはキオスクとトルコ飯屋。

ホテルの部屋に置かれている水、なんと7ユーロ!(1000円!)

喉が渇いたら、キオスクで買って持ち込みましょう。トルコ飯は、味は今一つでした。

生活と物価

生活と物価

大都市に住む利点は、そのインフラに尽きます。

ハンブルク空港は市内にあり、空港から中央駅まで各駅停車のS-1で25分でいけてしまう。

ハンブルクのライバル、ミュンヘンは空港が郊外にあるので45分もかかる。

そして中央駅の中にはスーパーがあり、日曜日でもお買い物できてしまう。

「そんなの当たり前でしょ。」

と言われる方は、ドイツに来たときのお楽しみ~。

さらに各駅にキオスクが入っており、生活必需品日は日曜日の夜でもお買い物できちゃう

流石、プロテスタント。カトリックの町だとこうはいかない。

ただし!

大都市であり、お金持ちが多いとなれば、家賃、物価は安くない。

そもそもアパート自体が不足しているここでお手頃な価格のアパートを見つけるのは至難の業。

電車路線図

電車路線図

一番関心したのは各駅に掲示している電車路線図。

知らない町に行くと、おかしな名前の駅ばかり。

文字通り右も左もわかりません。デユッセルドルフやミュンヘンなら、

「この電車は何処に行くの?」

と進行方向を尋ねないと、外国人にはどの電車に乗ればいいのかわかりません。

でもハンブルクは各駅のホームの入り口に電車の進行方向とその駅名張り出しているので、子供でもわかります。

他の町も是非、真似をして欲しい。

そして電車の中ではテレビと監視カメラ。

もっともスリは電車の乗り降りを狙いますので、ご注意あれ。

ハンブルク 留学

冬は悪天候が続くので、ハンブルクに留学するなら春先から夏が旬。

予算があればゲーテをお勧め。

施設がとてもよく整備されています。

少し安めの学校ならColon

両者の中間がDIDです。

他の語学学校もありましたが、あまりよくなかったのでホームページから落としました。

ハンブルクの語学学校でしたら、こちらの3校をお勧めします。

注釈

*1        フリカデレは日本で言う、「肉団子」に近いです。地域によるかもしれませんが。

*2       そもそも日本語のハンバーグが間違いで、正しくはハンバーガー。正しくハンバーガーと呼んでいれば、ハンブルクとの誤解は生じませんでした。

*3         英国に渡ったゲルマン民族は、ザクセンとアンゲルンの2種族。この為、一般にはアンゲル ザクセンと言う。

*4        イギリス政府は空爆で大量に死者が出れば、国民はヒトラー政権にそっぽを向けると、間違った戦況判断を下していた。

*5       これは始まりでしかなく、今後、ドイツの各都市が同じような運命に遭う。この空爆に対抗するため、ドイツ空軍は対爆撃機対策に集中、次第にその攻撃力を失っていった。

*6   午後に来るとモロ逆光でした。

*7  破竹の勢いで進撃中のプロイセンに立ちはだかったのは、ハノーファー(王家)を筆頭にした反プロイセン連合軍。

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