街の紹介 ハンブルク

ハンブルク はドイツ第二の大都市で、ミュンヘンの130万人を凌駕する170万人が住んでいる。さらには最もお金持ちが多い街でもある。やはりお金持ちは海が見える街に住みたいのか。それとも貿易でお金持ちになったのか、そこは不明。

政治的にはその歴史から、ハンブルクの街だけで、州を形成する都市国家でもある。

いまでこそ知る人は少ないが、60~70年代まではハンブルクが、「日本人町」として有名だった。今でも日本人学校などのインフレも整っている。運輸会社を筆頭に、有名な日系企業も数多くその支店を置いている。

又、新鮮な魚が有名な「魚市場」で(比較的)安価で買えるのも、日本人にとっては嬉しい。とは言っても、ミュンヘンやベルリンと比べると、やはりピンとこないようで、ハンブルク留学の問い合わせも少ない。多くの日本人にとっては未知の街のようだ。

そこでまずは街の歴史から見ていこう。でもその前に、、。

 

ハンブルク 市庁舎

ハンブルク 伝説 – ハンバーグの起源はハンブルク?

日本人がハンブルクと聞いて、まず最初に連想するのは。ハンバーグと読み方が似ている為に、「ハンブルクがハンバーグの起源。」と信じている方が多いです。

それだけでは済まず、「ドイツではハンバーグをハンブルガー、あるいはハンブルク ステーキと言う。」と、あたかも確かめてきたかのように語る人まで。あまりに自信たっぷりなので、「そうなんだ。」と信じてしまう人も多いです。

でもドイツではハンバークを “Bulette”(ブレット)、あるいは “Frikadelle”(フリカデレ)と言います。前者はフランス語の “Boulette”、後者は同じくフランス語の “fricandeau”から派生している。

「ハンブルクがハンバーグの起源。」説には不利な証拠ばかり。皆まで言えば、ハンブルク ステーキなる言葉も存在していません。これは純粋な日本人が日本人のために発案した、日本でしか存在してない言葉です。

実はこれ、日本で頻繁に見聞きする「ドイツ伝説」のひとつ。ハンバーグの本当の起源は、ニューヨークにあるハンバーグ市で牛肉不足に悩んだ肉屋が、牛肉と豚肉のミンチを合わせて作った肉料理を、町の名前にちなんでハンバーガーと呼んだのが名前の起源です。

ハンブルクとは、これっぽっちも関係ありません。ドイツ語で”Hamburger”(ハンブルガー)と言うと、ハンバーグではなく、ハンブルクの住人を指します。

街の歴史

誤解が解けたら、街の歴史にもふれておこう。4世紀に始まったゲルマン民族の大移動で、この地にやってきたのはゲルマン4大種族のひとつ、ザクセンだ。ちなみに英国に渡ったゲルマン民族は、ザクセンとアンゲルンの2種族。この為、一般にはアンゲルザクセンと言う。

Ham-burgの誕生

9世紀始めになると西から勢力を拡大してきたフランク王国がこの地を占領して、アルスター河の河辺(古語で”Ham”と言う。)に城砦(ご存知の通り、ドイツ語で”Burg”)を築いたので、この町をHamburgと呼ぶようになった。

交易で発展

12世紀に神聖ローマ帝国の皇帝、フリードリヒ1世がこの地に港湾を作る権利を与えたのがハンブルクの発展のきっかけになる。13世紀になると交易で街は大いに栄えます。当時はハンブルクだけでも600を越えるビールの鋳造所があった。当時は飲み水の品質が悪く、ビールを水代わりに飲んでいたというのは、本当の話です。

ハンザ同盟の最盛期

14世になってもハンブルクの発展は衰えず、北海交易で最も重要な港湾都市に成長して、16世紀初頭には都市国家に昇進、国内最初の株式市場をオープンしている。17~18世紀は文化的な発展が最高潮に達し、劇場などの建築ラッシュに沸いた。

ビスマルクと結束

工業化の波が押し寄せると、他のハンザ同盟都市は衰退の一路を辿ったが、ハンブルクだけは重要な経済地域としてその地位を確保、ビスマルクによるドイツ第二帝国の建設時には、「長いものには巻かれよ。」と自主的に自治権を放棄してプロイセン陣営に加わる。

プロイセンに抵抗してお家断絶、領土を没収されたハノーファーの間違いを犯さなかったのは、みかけよりも実を取る商人らしい。お陰で町だけで州を形成する特殊な形で、ドイツ第二帝国に参加。街は交易でさらに栄えることになる。

ハンブルク 観光 ここだけは外せない観光名所13選!

ハンブルク観光?レーパーバーン?くらいしか思い浮かばない方も少なくないのでは?実は観光名所が盛り沢山。有名なところではユネスコから世界遺産に指定された倉庫街、それにレーパーバーンに立ち並ぶ劇場、市民が「ドイツで一番美しい。」と言い張る市庁舎まで。

お金持ちの街ハンブルクはインフラ、観光資源がとてもよく整備されていてます。1週間の滞在ですっかりほれ込んで、「家賃があんなに高くなければ、是非、住んでみたい!」と思ったほど。以下にお勧めの観光名所を上げておくので、観光の参考にしてください。でもその前に、、

何処に泊まる?

ホテル Arcotel街が大きいので、とても1日で観光名所を見て回るのは無理。宿泊は避けられません。そこで予算があれば、ハンブルク観光のホテルはArcotelをお勧め。上述の踊る塔の後ろに隠れるように建っています。地下鉄の駅まで徒歩3分(赤信号だと4分)、部屋は十分に広く、(運がいいと)部屋からビスマルクと Elbphilharmonie が見える。

一番感心したのは騒音対策。廊下や隣の部屋の騒音がシャットアウトされて、とっても静かです。そして豪華な朝食。是非、朝食込みで予約しましょう。朝から満腹になるので、お昼は省略できちゃいます。

そしてレーパーバーンにミュージカルを観に行くなら、ホテルから徒歩4分です。ホテルの向かいにはキオスクとトルコ飯屋。ホテルの部屋に置かれている水、なんと7ユーロ!(1000円!)なので喉が渇いたら、キオスクで買って持ち込みましょう。トルコ飯は、味は今一つでした。

1. 乙女の舞台 / Jungferstieg

乙女の舞台 / Jungferstieg住人の憩いの場が、”Jungfernstieg”。ここはかっての独身の女性が素敵な(お金持ちの)男性を探しに行った場所だ。この場所は地下鉄と近距離電車が交差する場所にあるので、ハンブルクに滞在されると頻繁にこの駅を利用することになる。

ここが有名な内アルスターだ。近くには高級ブテイック店が軒を連ねている。ミュンヘンで言えばマキシミリアン通りだ。滅多に見ることができないスポーツカーが、結構、頻繁に走っている。

高級感を殺ぐわないように、スーパーはモールの中に入っているので、土地勘のない者のはなかなかわからない。「スーパーは何処にあるの?」と聞けば、「そこの”Europa Passage”にあるよ。」と教えてくれた。ミュンヘンで同じことを聞くと、あごをしゃくって「そこだ。」と指示されたので、ハンブルクのほうが親切(偏見です)。

2. 市庁舎

市庁舎市民が、「ドイツで一番綺麗な市庁舎」と自慢の市庁舎が、すぐ近くにある。綺麗な写真を撮るなら午前中に来なきゃ駄目。もっとも午後に来ても、無駄ではない。市庁舎の裏(中)庭には見事な噴水があり、裏から見た市庁舎もとっても綺麗。

建設されたのは19世紀の終わり、ちょうどドイツ第二帝国が成立した頃。建造されたのはミュンヘンの新市庁舎とほぼ同じだが、尖塔は112mもあり、ミュンヘンの85mをあざ笑うかのような、新ルネッサンス様式の見事な建物だ。

市庁舎の前に立っている石碑は、第一次大戦で戦士したハンブルク出身の兵士の慰霊碑だ。ドイツの町には、必ず戦死した地元の若者の慰霊碑が建っている。後ろは市民の憩いの場のアカーデンです。ここから記念写真を撮ると、絵になります。

3. アルスターアカーデン / Alsterarkaden

アルスターアカーデン / Alsterarkaden晩秋から冬になると北海は大荒れ。強風に雨、それに洪水と散々な天気。そこで商店街の多くは屋根付き、これをアカーデン /”Akarden”と言います。本当はアカーデンは「弓(のようにしなった物)という意味なんです。でも今ではこれが汎用されて、屋根付きの商店街を全部、アカーデンと言います。

その原因になったのが、市役所の斜めの横にあるアルスターアカーデンです。ご覧の通り柱がアカーデンになっているので、この名前。さまなまざな商店からカフェ、レストランまで入っています。若い人は「乙女の舞台」を好むので、こちらのカフェや商店を訪問する客の年齢層は高くなっています。

日本人の大好きなブテイックなどはここではなく、上述の内アルスター / 乙女の舞台周辺に集まっています。ここにはクロックスなど、観光客向けの商店が多いです、

4. 聖ミヒャエル教会

聖ミヒャエル教会一番有名な教会が、この聖ミヒャエル教会。尖塔は132mもあり、港に入ってくる船(員)が最初に見るのは、この教会の尖塔で、街の象徴的な存在だ。最初に建造されたのは17世紀。だが雷に遭って2回も焼け落ちた。現在の教会は1906年に再建されたもの。

「人間の価値は死んだときにわかる。」と言う。社会的貢献をしたハンブルガーは、聖ミヒャエル教会でお葬式のミサが開かれる。(故)シュミット首相が死去したときも、ここでミサが開かれた。

通常は「熱くならない。」ことで有名なハンブルガーが、道端に立って首相を乗せた霊柩車が来るのをじっと待っていた光景はとっても感動的だった。教会の入り口の上には、教会の名前の「元」になった聖ミヒャエルのサタン退治の見事な銅像が飾られている。

5. 防空壕

防空壕この街は日本の長崎のように造船業と港という戦術的に重要な拠点が集中していたので、第二次大戦中、何度も大爆撃に遭った。1943年、英国空軍は作戦名「ゴモラ」という空爆を実施した。

参照 : Wikipedia

被害を大きくさせるために焼夷弾が多く投下されて、市内の空気温度は1000度を超え炎の嵐が発生した。爆弾で壊れていない建物は、この炎の嵐で燃え落ちた。

市内にはこの爆撃で崩壊した教会の壁が、戦争の災禍を忘れないように残れているが、St. Pauliには戦争中に建設された巨大な防空壕もまだ残っている。角には対空火砲を載せれるように「出っ張り」が付いている。ヘリコプターのない当時、どうやって巨大な対空火砲を屋根に持ち上げたのだろう。

6. ダイヒ通り / Deichstraße

ダイヒ通り / Deichstraße戦争の傷があまりに深かったハンブルクには、古い建物はあまり残っていません。稀な例外のひとつが、聖ミヒャエル教会の近くにある”Deichstraße”だ。古風な家屋はかってのハンブルク市民の住居で、戦争前はこんなに綺麗な家屋がハンブルク中に建っていた。

通りの名前が示す通り、この家屋は川の堤防 / Deich の上に建造されている。普通ならそんな危険な場所には家屋を建てないが、19世紀末、ハンブルクは交易で大いに栄えて人口が増加。土地の確保に困った氏がここに建築を許可したもの。

皮肉なことに当時建設された家屋のほどんどは戦争の被害になるか、その後の再建の際に取り壊されてしまったが、ここだけは家屋(土地)の資産価値が引くかったので、そのまま取り残された。それでも20世紀には、近代化の一環で取り壊しされる寸前だった。

日本だったら間違いなく全部取り壊しになっていただろうが、ドイツでは市民が、「戦争を生き延びた昔の建造物を後世に残そう!」と取り壊しに反対。こうしてここだけは昔の家屋が残った。木材を使用した南ドイツと、明らかに建築様式が異なる。

7. ペーター通り / Peterstraße

ペーター通り / Peterstraßeもうひとつの例外が、防空壕の近く(といっても1Kmくらい離れてます)の”Peterstraße“だ。地下鉄、St.Pauli 駅から徒歩15分。なのに道に迷って、到達するのに1時間もかかってしまいました。

30年戦争中、住むところを無くした市民が多数、安全な場所を求めて街にやってきます。数が多くてとても城壁の中には住む場所がないので、この部分に住居を設け、新しい城壁で囲ったのがこの地区、ゲンゲフィアテル / Gängeviertel の始まりです。

19世紀に下水道を引く事になり、非衛生的な家屋の多くは取り壊されて、レンガ作りの見事な家屋が並ぶ地区に大変身。戦争で被害は受けますが、それでも大部分は災禍を逃れました。なのに60年代に取り壊されてしまいます。今、堪能できるのは、立て直し工事を逃れた家屋ですが、見事に修復されており一見の価値アリです。

そうそう、現存してる家屋はアパート、博物館、レストランとして利用されています。

8. 発着橋

発着橋しかし何と言ってもハンブルクの最大の魅力は港。船が発着することから、”Landungsbrücke”(発着橋)と呼ばれている駅は、地下鉄や近距離電車の交差する交通の要所。ここから(他の場所でも乗れます。)ハンブルク港の観光船が出ている。

運がいいと、クイーンメリー2の巨大な船体を拝むことができます。発着場には右も左もレストランで一杯。「ハンブルクと言えば、魚でしょ!」とスナックを注文。「おいしい!」というものではありませんので、無理して食べる必要はありません。

どうしても食べるなら、”Seebarsch”の方がマシ。フィッシュバーガーを食べながら、港の夕日を眺めると(寒くなければ)いい思い出になります。

9. エルプフィルハーモニー / Elbphilharmonie

Elbphilharmonie街の新しい観光名所、エルプフィルハーモニー /”Elbphilharmonie”を見に行くから、次の駅”Baumwall”の方が近い。この建造物はハンブルクが、「街の観光名所を作ろうじゃないか。」と必要もないのにコンサートホールの建設を計画したの始まりだ。

建物は港に建つ倉庫のひとつを利用して、上部に鏡で覆われた高さ110mもの見事な建造物に仕上げられた。と言えば聞こえがいいが、工事費用は当初の見積もりの11倍+にも跳ね上がり、ハンブルク市と建設会社 Hochtief との間で、「どっちが悪い?」、「誰が払う?」という大問題に発展した。

市は、「建設費が上昇した場合は、市がこれを払う。」という契約書に署名しており、歯ぎしりしながら8億6千万ユーロもの建設費を払った。お陰で工事は計画よりも6年も遅れたものの、2016年に完成。コンサートホールには、なんでも10年がかりで開発した世界で一番の響きを持つパイプオルガンを備えている。

参照 : elbphilharmonie.de

尚、建物の中にはコンサートホールだけではなく、高級ホテル、それに超高級マンションも入ってる。

10. 港 – 高級アパート

港 - 高級アパート港の界隈は新開発地域。人気が高く、フィルハーモニーを始め多目的ビルから高級住宅などが建設中だ。ハンブルクガーは、お金を持っていてもこれを誇示するのは、「品のないこと。」と考える。高級スポーツカーを乗り回すのは、新しい裕福層 /”neue Reiche”と呼ばれる新世代のお金持ちで、ハンブルクの本当のお金持ちはその富を見せたりしない。

しかし港を眺める一等地には、そのお金持ちの高級アパートが軒を連ねており、流石は最もお金持ちが多い街だ。

11. 世界遺産 倉庫街

近くに世界遺産に指定された”Speicherstadt”(倉庫街)があるので、是非、観に行こう。19世紀、ドイツ統一戦争という名前で知られる天下分け目の大戦があった。自由都市のハンブルクは、プロイセン側についた。プロイセンが戦争に勝ってドイツ第二帝国を樹立すると、ハンブルクは褒美とし運河と倉庫街て、第二帝国の関税が課されない無関税特権を獲得した。

結果、ハンブルクで荷を降ろす船が増大して、巨大な倉庫が必要になった。そこで市が港の周辺の土地家屋を強制買収、綺麗な建物もすべて壊して、倉庫街の建設が始まった。

第一次大戦前に完成したこの倉庫街は、第二次大戦で大きな被害を受けたが、20年以上もかけて再建された。「倉庫街」というだけあって、デカイ。現在では博物館や店舗として利用されているが、ハンブルク港の管理局も未だにこの建物に入っている。 ドイツ第二の大都市 ハンブルク | 世界遺産は圧巻 | Pfadfinder24

12. レーパーバーン / Reeperbahn

夜の街頭ある人にとってはハンブルクと言えば、レーパーバーン。そう、ここにはハンブルクが誇る街で一番の繁華街。劇場が並んでいるので、ミュージカルに興味のある人が集まる場所。ミュージカルに興味のない人間も集まります。

ドイツでは SEX 関連のお店、およびこれを提供する店は営業をしてもいい地区が決まっています。それがまさにここ、レーパーバーンです。ですからマクドナルドや劇場の横には、そんな店が並んでいます。友人曰く、「堂々と宣伝してもいいの? 」と心配になっていましたが、ドイツでは売春は合法です。

日本と異なり合法商売ですので、ぼったくりもなし。すべて明朗会計です。だから女性の観光客も多いのが特徴です。ドリンクを飲みながらテーブルダンスを鑑賞できます。

参照 : hamburg-tourism

街角には、この職業で生活しているプロフェッショナルも商売中。泊まったホテルでは、ホテルのバーでドリンクを飲みながら客探しをしている自営業のお姉さんまで!ホテルも了解している様子。流石、ハンブルク!

そうそう、 St.Pauli 駅 で降りると「踊る塔」という高層ビルが見えます。レーパーバーンに行くなら、まあ、見逃すことはないので、見ておいてください。

13. ビスマルクの石造

ビスマルクの石造St.Pauli 駅 から徒歩10分ほど離れている場所に、でかいビスマルクの石造が建っている。高さ34mのこの像は、ビスマルク像としてはドイツで一番でかい。ビスマルク生誕の地でもないのに、何故ここにこんな大きな像が?それはビスマルクが首相の座を追われてから死去するまで、ハンブルクで隠居生活を送っていたからだ。

かってのハンザ同盟都市が凋落していく中、ハンブルクはビスマルクとの関税条約で大いに繁栄することができた。その恩返しに死後募金活動が始まり、募金で建てれたらのがこのビスクマルクの石碑だ。

生活と物価

大都市に住む利点は、そのインフラに尽きる。空港は市内にあり、空港から中央駅まで各駅停車のS-1で25分でいけてしまう。ハンブルクのライバル、ミュンヘンは空港が郊外にあるので45分もかかる。

そして中央駅の中にはスーパーがあり、日曜日でもお買い物できてしまう。「そんなの当たり前でしょ。」と言われる方は、ドイツに来たときのお楽しみ~。さらに各駅にキオスクが入っており、生活必需品日は日曜日の夜でもお買い物できちゃう!流石、プロテスタント。カトリックの町だとこうはいかない。

一番関心したのは各駅に掲示している路線図。知らない町に行くと、おかしな名前の駅ばかり。文字通り右も左もわかりません。デユッセルドルフやミュンヘンなら、「この電車は何処に行くの?」と進行方向を尋ねないと、外国人にはどの電車に乗ればいいのかわかりません。

でもハンブルクは各駅のホームの入り口に電車の進行方向とその駅名張り出しているので、子供でもわかります。他の町も是非、真似をして欲しい。そして電車の中ではテレビと監視カメラ。もっとも擦りは電車の乗り降りを狙いますので、ご注意あれ。

ハンブルク留学

大都市であり、お金持ちが多いとなれば、家賃、物価は安くない。そもそもアパート自体が不足しているここでお手頃な価格のアパートを見つけるのは至難の業。冬は悪天候が続くので、ハンブルクに留学するなら春先から夏が旬。

ハンブルクに留学するなら、予算があればゲーテをお勧め。施設がとてもよく整備されています。少し安めの学校ならColon。両者の中間がDIDです。他の語学学校もありましたが、あまりよくなかったのでホームページから落としました。ハンブルクの語学学校でしたら、こちらの3校をお勧めします。

総評

デユッセルドルフに滞在中から、何度かハンブルクに足を運んだことはありましたが、4泊したのは、今回が初めてでした。お陰で仕事の合間に観光名所を見てまわる時間がたっぷりあり、すっかりハンブルクに魅了されてしまいました。

「家賃があんなに高くなければ、是非、住んでみたい!」と思ったほど。お金持ちがこぞって、ハンブルクに住みたくなるものわかります。

これに加えてハンブルクは、レーパーバーンで分かる通り、ドイツではベルリンに次いでリベラルな街。新しいものにオープンなので、ミュンヘンアウグスブルクと違って、我々外国人でも社会に溶け込みやすいです。

 

« 1 2 »