街の紹介 シュヴェーヴィシュ ハル

シュヴェーヴィシュ ハル は、バーデンヴュルテンベルク州にあり、その州都のシュトッツガルトから北に60km離れている。歴史上はドイツで最初の硬貨、”Heller”を鋳造した事で知られている。

参照 : Wikipedia

日本ではほぼ無名だが、実は中世の町並みを残した綺麗な町!コッハー川から見上げる町は、ローテンブルクよりも綺麗!なのに日本人観光客はゼロ。何故、こんなに綺麗なのに、こんなに無名なの?

それはロマンチック街道から外れているので、日本の観光ルートに取り上げてもらえないから!そこで私が人肌抜いて、街の魅力をここで紹介いたします!

街の名前の由来

細かいですが街の名前、”schwäbisch”は、「シュウェービッシュ」でも、「シュベーヴィシュ」でもありません。正確には「シュヴェーヴィシュ」です。日本人には発音が難しく、馴染み難い街の名前ですが、それはドイツ人も同じ。

町の名前が「シュヴェーヴィシュ」というので、シュトゥトガルトと同じくシュバーベン人の住む地方かと思っている。しかし実際には、ニュルンベルクと同じフランケン族の住むフランケン地方の町だ。なのに堂々と、「シュヴェーヴィシュ ハル」というのだから、ドイツ人が勘違いするのも無理はない。

ハルという言葉は本来、塩、あるいは塩の生成方法を意味している。すなわちこの町は「塩の町」という意味で、長い間「ハル」と呼ばれていた。なのに何故か15世紀、町議会で町の名前をシュヴェービィシュ ハルとすることが決まった。

19世紀になって町の所有者が変わると、「混同する。」ということで町の名前は「ハル」に戻された。その後、ナチスが政権を取ると、シュヴェービィシュ ハルと呼ぶようになり、今日に至っている。

行き方

町はバーデン ヴュルテンベルク州の北西に位置する。フランクフルト空港からシュヴェービィシュ ハルまで電車で3時間。シュトットゥガルトに住んでるなら、電車で1時間。アウグスブルクから行くと車で2時間+。もっとも帰路は交通事故により渋滞があり、ほぼ3時間。往復だけで5時間以上もかかる観光の難所だ。

街の歴史

この地は居住に適していたらしく石器時代の居住跡が見つかっている。最初にこの地に定住したのはケルト人だ。ハルの地下水には塩分が含まれており、ケルト人が地下水から塩を生成し始めた。これが町の名前の由来だ。

その後、11世紀までの町の歴史はわかっていない。書簡が残っていないのだ。12世紀に始めて書簡で「ハル」の名前が登場、塩の販売とドイツで始めての通貨、”Heller”の製造で大いに栄えた。

自由都市

13世紀には神聖ローマ帝国の自由都市に昇進した。豊富な資金源を武器に近隣の町を買い上げて、16世紀には人口が2万人を突破した。今日でこそ3万8千人の人口を抱えているが、中世の頃に人口2万人の都市と言えば、かなりの大都市だった。30年戦争では最初はカトリック軍の支配に下るが、その後、プロテスタント軍に占領される。

大火事

度重なる戦争と飢えで人口が激減したが、30年戦争が終結すると塩の交易で町は次第にかっての繁栄を取り戻す。18世紀、宴会の際に料亭から出火、町の2/3が焼け落ちる大火事となった。その後、お金持ちのハルは、バロック様式で再興される。

ナポレオン戦争から現代

1802年、フランス(ナポレオン)との条約で町は自由都市のステータスを失い、ヴュルテムベルク家の領土となる。これによりこれまで主要な商売相手だったフランケン地方へのアクセス(その市場)を失い、町は衰退を始める。

その後のナポレオン戦争はこれを加速。産業化の波からすっかり取り残されたお陰で、第二次大戦では爆撃目標にさえならなかった。終戦の2週間前に初めて爆弾が投下されたが、大きな被害は出なかった。お陰で今日でも見事な旧市街を堪能できる。

シュヴェーヴィシュ ハル 観光 – 中世の赴きを残した塩の街

日本では無名でも、ドイツでは風光明媚な町として有名。駐車場の数は多いのだが、どこも満車。空きスペースを探して徘徊していると、町の入り口にある駐車場からちょうど出て行く車があって、駐車スペースが空いた。なんと日曜日は駐車無料という太っ腹。よっく見れば、駐車場の周辺に建つ家屋もお見事。近くにかっての城門、ランゲンフェルダー門 /”Langenfelder Tor”があるから、町の中心部に行く前に、これを見ておこう。

武器庫 / Neubausaal / Zeughaus

武器庫 / Neubausaal / Zeughaus

ランゲンフェルダー門の先にには町で一番デカイ建物が隣接している。”Zeughaus”とも呼ばれるこの建物は武器庫として16世紀に建造が始まった。すると暇を持て余す貴族が「舞踏場も設けよう。」と建設プランを変更、丸みを帯びた天井に変更。

これに怒った市民との間で大論争になり、しばらく工事が中止。完成し建物の天井は、丸みを帯びていた部分が石材で埋められおり、市民側が争うに勝ったようだ。それでも完成後、劇場としても使われていたようで、街は武器庫ではなく新舞踏場 / Neubausaal と読んでいる。市街地から見ると、高々と丘の上に聳え建つこの建物はまるでお城のよう。町の写真にはいつも写っている。

Uターンして中心部に向かいます。途上、綺麗な建物が並んでいるので、横道に入ってみるとこれまた綺麗な骸骨屋敷。アウグスブルクには(少)ないんです、骸骨屋敷。

聖ミヒャエル教会 / St.Michael

この先は町の中心部で有名な 聖ミヒャエル教会 / St. Michaelが建ってます。同意の上斜面に建っているので、低い部分を埋め立てて平地にして建造。教会に入るには、階段を登っていく必要があります。お陰で階段の上から見下ろす景色は、絵葉書のよう。

最初に建立されたのは礼拝堂で11世紀の大昔。その後、15世紀に教会に改築されたので、当時のままの姿で残っているのはごく一部。この教会が有名なのは内部に陳列されている見事な石像や彫刻です。宗教改革の頃、このお金持ちの街ではカトリック教会と喧嘩をしないで、穏やかにプロテスタント宗派が導入された珍しい街。

お陰で宗教改革前の貴重な彫刻が壊されずに、残されたままプロテスタント教の教会に移行。貴重な彫刻は、その後街を襲った大火事を生き延びて(階段のお陰!)、見事な出来栄えの彫刻を堪能できます!

市役所

シュヴェービィシュ ハルの市役所中央の建物は市役所です。大火事で焼け落ちたので、18世紀に再建されました。教会の隣の色の鮮やかな建物は、かっての修道院です。その横に奇妙な芸術作品が、「ドン!」と置かれてます。

Clausnitzerhaus / クラウスニッツアーハウス

階段の上から見て左手にある巨大な骸骨屋敷は”Clausnitzerhaus”。16世紀の建造物。そう、火事を生き延びた数少ない建造物です。町の財源になった、硬貨の鋳造マイスターが住んでました。この骸骨屋敷、階段、それに市役所は絵になります。

魚井戸

シュヴェーヴィシュ ハル の魚井戸階段の上から右手を見ると、カフェやホテル、それに観光案内所が並んでます。ここに有名なホテル、「金の鷲」があいます。皇帝も泊まった由緒あるホテルです。その右隣は金の鷲ホテルのレストラン、”Ratskeller”だ。昔は政治に酒(ビール)は付き物。市役所の地階には居酒屋が入っており、居酒屋で政治が行なわれた。これがなんと石作りの立派なもの。

その先(下)にあるのが、”Fischbrunnen”(魚井戸)だ。かってここで魚を売っていたのでこの名前。井戸というよりも、まるで水槽。皆まで言えば、井戸の台座は悪さを働いた者を辱める見せしめ台として使用された。よっくみると、今日でも拘束輪が残っている。

次は河沿いを歩いてみます。逆光になる前に、ベストショットを撮らしなくっちゃ!まずは坂を下ります。実は前日まで大雨。アウグスブルクは朝まで雨。「写真撮影はおじゃん?」と心配。空にはまだ雲が残っており、大雨で流された枝が、その水量の多さを物語ってます。

コッハー 河

シュヴェービィシュ ハル旧市街少し先に行くと、絵葉書のような光景が。ちょうど少し雲がかかってきましたが、ダイナミックな感じでいい。この先がまた綺麗。ここにある塔は”Sulferturm”です。この塔の奥に車を止めたかった駐車場があるんですが、どうやってここまで行くのか不明。河沿い建つ骸骨屋敷がお見事です。このアングルもステキ。これも悪くない。何処から撮るか、迷っちゃいます。

シュヴェービィシュ ハルは町の真ん中を”Kocher” 河が流れている珍しい町。河川は自然の障害。陣地、町を築くなら、その対岸に築きます。何か理由があったに違いない。河沿いに綺麗な家屋が並んでいるので、対岸から撮れる場所を探そう。川面に移る家屋が綺麗に撮れます。

では対岸に渡ってみます。かわいい塔があったのでこれを見て坂道を上っていくと、下調べで見ていた綺麗な家屋が。ここにあったんだ!ここまで見に来る観光客なんてゼロ。「毒を食らわば皿まで」とさらに先に進むと、かっての城砦が見えてきました。

St. Katharina教会

町の端まで来たので綺麗な家屋を見ながら暢気に、観光客の居ない道を下っていきます。庶民の家が渋い。立派な骸骨屋敷があれば、綺麗な装飾を施された家屋も。この辺は対岸にあるので火事で焼け落ちなかったようです。13世紀建造のSt. Katharina教会も残ってます。長屋がかわいい。この町の建築様式は独特。2階部分が目一杯張り出してます。膨らんでいるのはよく見るが、この様式はここが始めて。

旧市街 – 中世の赴きを残した塩の街

シュヴェービィシュ ハルの旧市街橋知らないうちにAltstadtbrücke(旧市街橋)。橋の上に神社があるのが特徴。対岸に建つ骸骨屋敷が綺麗。カフェの横を登っていくとかっての城門、”Weilertor”があります。周囲の家屋が綺麗。塔の反対側は駐車場で、町がここで終わってるのでUターン。はい、旧市街橋まで戻ってきました。

橋を渡ると旧市街です。骸骨屋敷が綺麗。国営語学学校のゲーテはこの辺にあった筈。キョロキョロしているともう門。ここで旧市街は終わり?綺麗に修復されている建物を見ながら歩いていくと、エレベーターか階段の選択があります。ここから見上げる骸骨屋敷は迫力。下はカフェ、上はアパートになってます。住んでみたい!見る角度により、普通の民家。

その先に噴水があり、緑の屋敷は官庁のよう。屋根の下に金文字でラテン語で何か書かれてますが、読解不可能。その代わり神聖ローマ帝の紋章はハッキリ。先に見えてくるのが、”Josenturm”です。教会と一緒に13世紀に建造。門を出て、下界から見上げるとまるで中世の町。

街中に戻り、門の先まで行ってきます。しばらく行くと役所があり、ここの銅像がステキ。面白くて、それでいて躍動感アリ。ロープは手すりになっているんです。お見事。官庁なのにシャレのセンスがいい。太陽が復活して目一杯暑くなったので、Uターン。

市役所まで戻ってきたので、じっくり観察。尖塔の飾りが見事です。神聖ローマ帝国の紋章の下、それも左側にあるのがシュヴェービィシュ ハルの紋章です。「手」は神様。「十字」は言うまでもなし。これは上述のシュヴェービィシュ ハルで鋳造された硬貨のデザインです。

旧修道院の横の階段を下りると、石作りの建物と骸骨屋敷が密集しています。オレンジ色の建物の向かいに銀行があり、その壁に鷲。知らない人に説明すると、ナチスの典型的な彫刻です。今でもちゃんと残ってます。

シュヴェービィシュ ハルの博物館最後に居酒屋の横の脇道に入ってみます。石の土台に立つ建物は、まるで後からとりつけたよう。上部は火事で焼け落ちたようです。向かいの建物は博物館です。この博物館、下から見上げると圧巻です。

生活と物価

家賃は安いです。物価、すなわち食料品は他の街と大きく変わりませんが、生活費の1/3を占める家賃が安いと、結構、経済的な生活ができます。勿論、治安も抜群にいいです!ただしそんなに大きな街でないので、長くても3か月程度の滞在がよろしいかと思います。

シュヴェービィシュ ハル留学

「ローテンブルクにドイツ留学したい。」というお問い合わせをいただきますが、人口1万人の町に住むと食料の買出しが大変です。電車なんか走ってないし、バスもない。最初は感激するかもしれませんが、次第に感激が退屈に変わります。綺麗な町に住みたいのだったら、レーゲンスブルクバンベルク、それにここシュヴェービィシュ ハルがドイツ留学先にお勧めです。人口が多いのでショッピングセンターはあるし、バスも走っています。

シュヴェービィシュ ハルのゲーテは学校が小さいので、生徒の少ない11月~2月は初級レベルと上級レベルはコースが開催されないこともあります。この時期に留学されるなら、大都市にあるゲーテを選んだほうが賢明です。少々遠いですが、一度、行って見る価値があります。

 

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