エギスハイム 撮影ピンチ!
朝一番、まずはカイザースベルクまで移動して撮影開始。
「あっれ、バッテリーの残量が少ない!」
そうだ!
前夜に夜間撮影をした後、カメラのバッテリーの充電を忘れちゃった!
パニック!
「エギスハイムに行けば、ホテルで充電できる。」
と思ったものの、やっと見つけたホテルは16時まで休館でチェックインできないっ!
電池の残量があと2目盛りしかないっ!
残りの残量で、撮影ができるのか?
乞うご期待!
目次
街の紹介 エギスハイム / Eguisheim
エギスハイムは、フランスのアルザス地方(*1)にあるワイン農村です。
有名なコルマールの南(西)方向、5Kmに位置している。
村の人口はたったの1700人。
日本だったら、この程度の村が観光名所になることはないです。
しかるにアルザスのこのちっぽけな村が、日本人がネットで検索するほど有名に!
それは村人の努力のお陰です。
誰かに命令されたわけでもないのに、古い家屋を取り壊さず、何百年も修復してきました。
お陰で、中世の頃から続く家屋を堪能できます。
その波並みならぬ努力のお陰で、観光はワインに次ぐ街の収入源になっています!
行き方
エギスハイムは小さな集落なので、電車の駅はありません。
まずはバスや電車を使ってコルマーまで出て、そこからタクシーでの移動になります。
5km少々なので、
「あっ」
という間に着きます。
1ユーロでも節約したい貴兄、コルマー発のバス440番は、エギスハイムに止まるそうです。
フランス語ができる方はお試しあれ。
付近にはワイン街道の有名な観光地のリクヴィール(距離30km)や、カイザースベルク(距離)20Kmもあります。
名前の由来
街の名前の由来ははっきりわかっています。
11世紀、領主の家にて Bruno von Egisheim-Dagsburg という人物が生まれます。
その後、この人物がローマ教皇になるという大出世。
町はこれを大いに祝って、町の名前をエギスハイムに変名したのが、街の名前の由来です。
現存する書籍には、
「von Egisheim-Dagsburg が生まれた場所に教会を築いた。」
と記載されています。
問題はその書籍ができた年代で、400年以上も後になって編纂されたもの。
「信憑性は薄い。」
というのが大方の見方です。
これを裏付けるのが、書簡に載っている教会が建っている8角形をした城砦。
13世紀と言えば、教皇の死後200年も経っています。
教皇の死後、それもかなり経ってから、
「村一番の出世者」
を称える目的で城砦を取り壊し、礼拝堂が建設されたのが、正しい歴史の記述になります。
街の歴史
エギスハイムの歴史は古いですが、短いです。
ローマ帝国の駐屯地が築かれて、ローマ兵が駐屯したのが集落の起源とされています。
その後は長く小さなワイン集落として存在していました。
アルザス地方の発展は7世紀に(ドイツの)フランケン地方の公爵が、アルザス領を設けてから始まります(*2)。
集落が発展を始めたのは、この地方を支配していた豪族が8世紀、エギスハイムに最初の城砦を築いてから。
その後、9世紀になると遺産相続で息子達が仲違い。
身内争いの結果、アルザス領は
「北アルザス領」
と
「南アルザス領」
に分断されます。
栄えたのは北アルザス領の方。
その後、北アルザス公爵は南アルザス領を統合するので、分断期間はそれほど長くはありません。
エギスハイム 公爵
10世紀。
新たなアルザス領主のフーゴ4世が
この公爵の息子が、上述のローマ教皇になった人物です。
ちなみにこの家系は、ドイツ第一帝国を築いたカール大帝の親戚にあたります。
13世紀に公爵家がお世継ぎなく断絶すると、村はシュトラースブルク司教領に合併されます。
その司教様から派遣された官僚がエギスハイムの城砦に住み始めたのも、村の発展に貢献します。
街に昇格すると侵略を妨げるため、周囲を城壁で囲み、ほぼ今日の姿になりました。
16~18世紀、ドイツでは30年戦争とペストの暗黒の時期。
しかしエギスハイムは最盛期を向かえ、村の代表的な建築物もこの時代に建造されています。
フランスで最も綺麗な村
フランスでは国内にある綺麗な村を
“Les plus beaux villages de France“(フランスで最も綺麗な村)
として表彰することで、地域の活性化になるように努力している。
アルザスにある5つの村がこの表彰をいただいているが、エギスハイムはその村のひとつ。
エギスハイム 観光 – フランスで一番美しいアルザスのワイン村
エギスハイムは近隣の村と同様に、ワインを主要な産業とするワイン村です。
他のワイン村と異なるのは、村の形です。
防御しやすいように丸い形をしています。
この丸い外壁に沿って家屋が連なっています。
村の中心部では3~4軒の家屋で
「核」
が形成され、またしても城壁で囲まれています。
その城壁にはワインを収穫した馬車が入れるように、石造りの大きな門が設けられています。
こんな作りをした村は初めて!
唯一、エギスハイムの中心部には、城壁に囲まれていない家屋が建っています。
エギスハイム 中心部
観光はエギスハイムの中心部から始めましょう。
ここには村でほぼ唯一の
「広場」
があります。
中心には井戸(噴水)。
その周辺には木枠で組まれた骸骨屋敷、石造りの外壁にカラフルな漆喰を塗った家屋。
綺麗ですね~。
クリスマスになると、ここでクリスマスマーケットが開催されます。
Restaurant A. Edel
ドイツで町の中心部と言えば、
“Touristenfalle”(観光客の罠)
と呼ばれる法外な値段のカフェの密集地帯。
ここエギスハイムではとても賑わっているレストラン
“Restaurant A. Edel”
が目につきました。
ホームページなし。
ぐぐってみると、ドイツ人客にはかなり好評でした。
ドイツ人が満足しているということは、味はともかく、それほど高くない筈!
ローマ教皇レオ9世
でかい噴水(井戸)の真ん中に立派なローマ教皇レオ9世の石像が建っています。
絵になるので写真を昼間に撮ろうとすると、石像が北向きなんです。
正面から撮ろうとするとモロ逆光。
そこで真夏の太陽がやっと沈んだ23時過ぎ、カメラと三脚を担いで撮影に行ってきました。
夜間写真で御覧あれ!
エギスハイム 城砦
噴水の後ろにある城壁に囲まれたとっても小さい丘は、
”Burg Eguisheim”(エギスハイム城砦)
と呼ばれています。
おフランス語では
「シャトー」
です。
城壁が見えますよね。
昔はこんな感じで2~3個の家を城壁で囲み、城壁の中の城壁という構造だったんです。
聖レオ礼拝堂 / St.Leo-Kapelle
8世紀にエギスハイムの集落は、木造の城砦で囲まれます。
これが立派な石作りの外壁に変わったのは13世紀。
大きさにしてサッカー場が半分入る程度の広さで、中心部には敵の動きを監視する塔がありました。
今ではこれが取り壊されて、聖レオ礼拝堂 / St.Leo-Kapelle が建っています。
これが上の
「名前の由来」
で紹介したローマ教皇就任を記念して作られた教会です。
聖なる置物
聖レオ礼拝堂の内部では、教皇の一生がステンドグラスで表現されています。
なんでも一番の見世物は、
「聖なる置物」
として教皇の頭蓋骨(の一部)が保管されているそうです。
今になって撮った写真を見直しましたが、それらしい箇所は正面の十字架の下あたりかな?
城壁
かってエギスハイムは3重の城壁と、水路で取り囲まれていた要塞でした。
今では外側の城壁は壊され、水路は埋められてしまいました。
でも内側の防御壁は家屋の壁として利用されていたので、今日まで残っています。
丸い形をした村の輪郭は、昔のままです。
お陰でまっすぐ歩いていれば、40分ほどで出発地点に戻ってくるので迷う危険なし。
城門はひとつも残っていませんが、所々、かっての城門があった(だろう)と思われる個所は、このように内側の防御壁がばっさり切断されています。
観光案内によれば、お堀の一部は今でも残ってるそうですが、私には見つけられませんでした。
城壁通りの家屋
街の入り口にたって、
「まっすぐ行くか?それとも城壁沿いに歩くか?」
ちょっと考えて、まずは城壁通りを回っていることに決定。
エギスハイムの城壁通りは、幅4mほどの石畳みの道路。
「引っ越しの時はトラックが入らないから大変だ。」
などと余計な心配をしながら歩いていくと、レストラン発見。
趣がありますね~。
ちなみにメニューは、独・仏・英の三か国語で書かれていました。
その先には何か不明の店。
何の店だと思います?
ここもレストラン?
有名な観光名所
20分ほどで有名な観光名所に遭遇。
この建物から
「二列目」
の家屋の並びが始まっています。
エギスハイムの観光局から、個人のサイトまでチェックするも、この家屋の解説が載っているサイトがない。
一体、何の建物なのか、そこが不明。
フランス語で何か書いてありましたが、理解不能。
ご存じの方、教えてください。
ワイン農家
エギスハイムの家屋の多くは、ワイン農家です。
入り口には大きな石作りの門があり、収穫したワインを馬車に載せて、そのまま前庭に入れるように設計されています。
このワイン農家の家屋は、ひとつの家に見えますが、実は2軒の別の家。
色も微妙に違いますが、入り口の門がそれぞれ別個に設けられています。
村の随所には見事な民家が立ち並び、当時の建築家の創造性に脱帽です。
Freudenreich Joseph et Fils
上述の広場のレストランの裏手にあるのが、このおもちゃの箱から出てきたようなワイン農家
”Freudenreich Joseph et Fils”
です。
こちらのかってのワイン農家の家屋は、入り口の門こそないが、昔のままの形で残っています。
”Zimmer”
と書いているので、部屋貸しもやっているようです。
噴水 & 井戸
ドイツの集落は、ほぼ必ず河畔に作られています。
エギスハイムは例外で、近くの川まで1Km近く離れています。
村が敵に包囲されるとすぐに飲み水の確保に困ります。
そのため、村のあちこちに井戸が掘られました。
シュトラースブルク司教領の時代、司教が街に井戸を彫るように指示を出した記録も残っています。
現在でもこのこの井戸のほとんどは稼働中です。
人口が少なく、環境汚染がほとんどない村では、(場所により)井戸/噴水の水が飲めます。
アルザスのエビアンです。
聖ペーター & パオル教会 / St. Peter und Paul
エギスハイムで一番大きな教会は、聖ペーター & パオル教会 / St. Peter und Paul です。
レオ礼拝堂の裏にあります。
窓(ステンドグラス)がなく、石作り。
見るからに古そうですが、建造されたのは18世紀になってから。
この場所にあった小さな教会が古くなり、さらに街の人口が増えて入りきれなくなったので、大きくて立派なものに作り替えされました。
唯一、尖塔は古い教会(建造されたのは11世紀!!)からのオリジナルだそうです。
違和感がないので、この尖塔に合わせて教会をデザインしたようです。
教会の「内装」に至っては、19世紀に一新されたので、どうもちぐはぐした感じがします。
見所は尖塔の下にある門に飾られた石像。年代の古さを物語ってます。
ワインセラー
ローマ帝国の時代から始まったというエギスハイムのワイン栽培。
基幹産業がないので、村の収入は観光、農業、それに畜産業。
あちこにワイン農家とワインセラーがあります。
ワインセラーに使われている家屋がこれまた素晴らしい。
日本のように同じ格好をした家屋がひとつといない!
さらに滅茶苦茶カラフル!
もっとも16世紀の頃は色は高価な物。
当時はこんな色には描かれておらず、枠組みの木と土色の漆喰だけ。
今の姿になったのは20世紀になってからです。
手作りチーズ!(臭うよ!)
「これぞ直売店!」
と感心したのが、村で作ったチーズやサラミを売る店。
家の軒先を改造して店舗にしています。
何故か、売り子はどこも若い女性ばかり。
そして扇風機が回っており、強烈なチーズの匂い(香り)を店の外に運んでいます。
サラミとチーズは手作業のためか、立派なお値段でした。
エギスハイム 何処に泊まる?
撮影終盤になると、
「バッテリー残量なし。」
と表示が出てきましたが、そこから50枚撮影できたよ!
ギリギリで昼間の撮影完遂!
一眼カメラは電池の持ちがいいっ!
ホテルにチェックインして電池を充電、夜間撮影に挑みました。
今回エギスハイムで泊ったのは
“Vignes Eguisheim”
という☆☆です。
- エギスハイム旧市街まで20mという抜群の立地。
- 車が10台以上駐車できる無料駐車場
- 従業員の愛想がよくて親切
- ホテルで取った夕飯(コース)がおいしかった!
- 安いっ!
- 16時まで無人ホテル、チェックインも不可
- 最上階は(夏は)暑い、エアコンなしでは睡眠不足
ローベルジュ アルザシエンヌ
車で来たので、ホテルの駐車場は”must”でした。
そうでなければ、ローベルジュ アルザシエンヌも候補。
屋根裏部屋は避けましょう。
その下の部屋なら、多少、我慢できる筈。
観光中に何度か前を歩きましたが、旧市街までわずか50mです。
お食事処
村の中にはスーパーはありません。
13時になると2時間のお昼休みになるので、お土産屋から、ホテル、ワインセラーまで閉まります。
そして月曜日には、レストランはほぼお休み。
探せば空いているレストランもありますが、何処がおいしのかわかならい!
歩いて探すのも面倒なので、泊ったホテルで夕食のコースを頼みました(*3)
これが意外に美味!
お陰でエギスハイム滞在を堪能できました。
注釈
*1 ドイツ語ではエルザスといいます。わざわざ言うまでもなく旧ドイツ領。
*2 7世紀と言えば、フランケン族が現在のフランスからドイツにかけて建国したフランケン王国の最盛期。
*3 激安だったから。