ディンケルスビュール は、ロマンチック街道の名所として何処のガイドブックにも載っている観光名所。

「さぞ観光客も多い筈!」

と覚悟していたのに観光客の数が圧倒的に少ないっ!

日本人に遭う確率は、アウグスブルク並み!(*1)

皆さん、隣のローテンブルクを見て、

「ディンケルスビュールはいいや。」

と通りすぎてしまう哀しい町。

お陰で観光名所を独り占めできます!

トイレ付きの無料駐車場はあるし、市内中心部のパン屋で食べた菓子パンは、激ウマ。雪玉より、全然おいしいです!

町を隅々まで歩いて調査してきましたので、ディンケルスビュールの魅力を完全解説いたします!

街の紹介 ディンケルスビュール

まずは街の紹介から始めます。

ディンケルスビュールは、将来の戦争に備えて築かれた城塞都市でした。

中世になって交易が盛んになると、

「ディンケルスビュールで夜を過ごせば、安心だ。」

と、交易路の通り道になります。

交易でお金持ちになった商人や権力者が、その富を見せびらかすために見事な家屋を建設、今日まで残っている街並みが出来上がっていきます。

幸い、それとも不幸?なことにアウグスブルク が栄え始めると、商売人はもっと大きな儲けが期待できるアウグスブルクに移動する。

これに加えて30年戦争のお陰で交易ルートが安全な場所に移動すると、ディンケルスビュールは交易路からぽつんと取り残されるされることに。

お陰で旧市街には見事な屋敷が数多く残っており(*2)、今では街の大事な観光資源になっている。

どの河の辺にある街?

正直、ミュンヘンやローテンブルクと比較すると、ディンケルスビュールは影が薄い。

そもそも街の名前さえ、きちんと言えない人も多い。

なのに、

「ディンケルスビュールなら知っている。」

と言う人が居たら、

「どの河の辺にある街なの?」

と、知らないフリをして聞いてみよう。

きっと回答に窮するので、

「フランケン高地が源流で、ハーブルクの南でドナウ河に流れ込むヴェルニッツ河だよ。」

と教えてあげれば、尊敬されるか、今後、二度と口をきいてもらえないかのどちらか。

行き方

次は行き方です。

ディンケルスビュールはバイエルン州の西の端、バーデン ヴュルテンベルク州との境にある人口11000人ほどの街。

地勢上、ミッテルフランケンと呼ばれる地方にあり、ローテンブルクから南に40Kmほど下った場所にあります。

早い話が交通の便が悪く、ミュンヘンからは3時間、フランクフルトから電車を乗り継いで4時間もかかります。

これが理由で外国人観光客はディンケルスビュールを敬遠する様子。

幸い、アウグスブルクからだと車で1時間20分の距離にあり、1日観光にうってつけ。

車で行くならナビーゲーションに、”Mönchsrother Str.3″と打ち込めば、外壁のすぐ外にある無料駐車場まで行けます。

(無料)トイレ付なので、ここで準備を整えてディンケルスビュール観光に突撃しよう。

駐車場はこちら

街の歴史 – 名前は何処から発生?

花壇とライオンの石像

まずは街の名前をみていきます。

日本語でディンケンスユールと表記されていることもあります。

でも、”-buehl”はどんなに頑張ってもユールとは読めません。

素直に、「ディンケルスビュール」と呼んであげよう。

覚え難い街の名前の起源はわかっていません。

街の名前が最初に登場している文献では、”burgum tinkelspuhel” と書かれています。

それがどうして”Dinkelsbühl”になったのか、いろんな推測がされています。

中には”Dinkelbauer”という人が町を起こした発起人で、その人にちなんで街の名前が付けられたと主張している人もいますが、根拠のない伝説です。

ディンケルスビュールのホームページでは、この地域を支配する権力者(あるいはその屋敷)が”Thingolt”と呼ばれたそうです。

当時は丘 / Hügel の多い地域を”bühl”と呼んだので、丘の多い場所にある”Thingolt”という意味で、”Thingolt+bühl”になったとか。

ディンケルスビュール 誕生史

ディンケルスビュールが誕生することになったのは、シュタウファー家とヴェルフェン家のドイツの覇権を巡る争いが原因です。

シュタウファー家(*3)がヴェルフェン家(*4)との戦に備えて、防御に適した集落を城壁で囲い、城塞都市に仕立て上げます。

これは12世紀の話です。

「お隣」のローテンブルクが築かれたのは13世紀なので、ローテンブルクよりも100年古い。

12世紀の城塞都市の特徴として、街の中心に大きな広場(市場として使われる)はなく、じょうご型の道路があるのみ。

このような街作りでは、町が発展すれば、町を好きな方向に拡大できる利点があった。

しかし部外者には、

「どこが中心なの?」

と、わかりにくいという不便さもある。

中心部に広場があれば、そこには市役所と教会(それに酒場)もあり、部外者にも街の地理がわかりやすい。

交易で栄える

ディンケルスビュールは北海から中部ドイツを経由してイタリアまでの交易ルート、さらにはクラカウから中部ドイツを経由してイタリアに向かう交易ルートの交差点にありました。

お陰で街は交易(正確に言えば税金で)大いにで栄え、14~15世紀に経済的な最盛期を迎えます。

お金持ちになると敵の侵入を妨げるべく城壁を増築、お堀を掘り、監視用の塔を建てます。

さらにはディンケルスビュールの象徴になっている聖ゲオルク教会などが建設され、今日、観ることができる街の姿になりました。

ディンケルスビュール 観光 – ドイツ ロマンチック街道の宝石

旧市街の街並み

ディンケルスビュールは、ロマンチック街道の宝石。

ここをパスするなんてなんてもったいない!

上述の駐車場から街中に向かって歩いていくと、家屋の陰から

「グスタル アドルフの家」

が、次第に見えてきます。

私の隣を歩いていた日本人観光客(聞かれているとは知らず)、

「ああ、綺麗!」

と、思わず叫んでました。

街の史跡を全部見て回るには5~6時間かかりますが、

「めぼしい所だけ」

見て回るなら、半日でもOK。

どれだけディンケルスビュールの観光に時間を費やすか、それはあなた次第です。

ここで主要な観光名所を上げておくので、観てみたい場所をピックアップしておけば、効率的に回れます。

ネルトリンガー門 / “Nördlinger Tor”

ネルトリンガー門

観光案内は、駐車場から見えるネルトリンガー門 / “Nördlinger Tor”から始めます。

この塔が建造されたのは、街が人口増加で城壁を作り直した14世紀にまでさかのぼります。

その後、神聖ローマ帝国の皇帝がディンケルスビュールに製粉所を設置することを許可すると、この塔の横に製粉所を設置。

お堀の水を利用して水車で製粉していました。

塔(独語では門)の横に見える大きな建物は、まさにその製粉所です。

現在ではお堀は埋められて、見張り塔と一緒に家庭菜園に利用されているので、ここに製粉所があるのは違和感があります。

この門の向こうには、ディンケルスビュール旧市街の古風な家屋が見て取れます。

このまま風情のある家屋を見ながら直進するのが、短い観光コース。

城壁コース

 城壁コース

「折角、ディンケルスビュールまで来たんだ。全部観て行きたい。」

という人は、ネルトリンガー門を越えてからすぐに左折、城壁に沿って歩くと街を1周できます。

城壁コースを巡る観光客はおらず、私、一人でした。

たまに原住民と出会います。

見ていると、塔の中にベットを運び込んでいました。そう、数多い塔は住居として廃物利用されています。

城壁沿いにこのまま歩いていくと、ディンケルスビュールの一番高い場所にある Segringer Tor にたどり着けます。

ヨルゲン桟橋 / Jörgensteg

ヨルゲン桟橋

城壁コースを歩いていくとお堀を渡れる桟、ヨルゲン橋 / Jörgensteg がかかっています。

このお堀幅が15mもあります。

かっては水を蓄えたお堀が、ディンケルスビュールをぐるりと囲んでいました。

今ではお堀は埋められてリンゴ畑になっています。

このお堀、全部、手作業で掘ったんですよ!

自衛隊時代、戦車を隠す塹壕を掘らせられましたが、3人で丸一日かかりました。

これ、全部掘るのに、何か月かかったんだろう?

ディンケルスビュール ワイン広場 / Weinmarkt

ディンケルスビュール ワイン広場

ディンケルスビュール一の観光名所は、ワイン広場 / Weinmarkt と呼ばれる(ほぼ)市内中心部です。

中心部と言っても、上述の通り広場/市場があるわけではありません。

綺麗な場所なんですが、観光客が多いので撮影が難しいです。

その中でも(観光客の目からみて)一番立派なのがワイン市場です。

ここには教会から街を代表する建築物まで、ディンケルスビュール主要な観光名所が集まっています。

グスタフ  アドルフの家 / Gustav-Adolf-Haus

グスタフ アドルフの家

角の真っ赤な建物はグスタル アドルフの家 / “Gustav-Adolf-Haus”と呼ばれています。

オリジナルは酒屋。30年戦争中、ディンケルスビュールを占領したスウエーデン軍の将軍 Gustav-Adolf が宿泊したので、この名前で呼んでいます。

この将軍、

「歌を歌いながら歩いている子供に情が移って、街の略奪を禁止した。」

という伝説があります。

これを記念して”Kinderzesche”と呼ばれる子供のお祭りが毎年、開催されています。

聖ゲオルグ教会 / St. Gerogs-Kriche

聖ゲオルグ教会

実はすでに12世紀からこの場所に教会が建っていました。

その後、何度も改築された挙句に15世紀、古い教会を取り壊してディンケルスビュールを代表する聖ゲオルグ教会 / St. Gerog の建築が始まります。

建築には51年もの歳月かかかった大事業で、1499年に完成。

尖塔は61mもあり、テユービンゲンヴァイセンブルクの低いずんぐりした塔と違い、やっはり立派。高い塔から当時のディンケルスビュールの財力をうかがい知ることができます。

このカトリック教会が他の教会と大きく異なるのは、窓にステンドグラスではなく普通のガラスが使用されており、明るく雰囲気がいいです。

“Alter”と呼ばれる牧師(それと司祭?)が建つ場所は、とりわけ立派。

ドイツの家 / Deutsches Haus

ドイツの家

目抜き通りの真ん中に建っている赤色の大きな建物は、ディンケルスビュール観光の目玉、”Deutsches Haus”(ドイツの家)と呼ばれています。

かっての町の権力者が16世紀に建造させた骸骨屋敷です。

街の観光案内によると

「ルネッサンス後期の最高の傑作」

だそうです。

現在は高級レストラン& ホテルとして使用されています。

この目抜き通りには、多くの立派な建物が立ち並んでいます。

馬車のツアー

馬車のツアー

石畳を歩きたくない方には、もあります。

40分かけて町を一周してくれます。

観光ガイド付き。言うまでもなく独語。

大人は8ユーロ。子供は半額です。

2017年には大人9ユーロに値上がりしていました。

毎年、1ユーロ値上がりするのかしらん。

フランケン新聞社  / Fränkische Landeszeitung

フランケン新聞社

ワイン市場から続くメインストリートから左に、細い小道が分岐しています。

入ってみると小奇麗な家屋が並んでいるので、見てみる価値あり。

メインストリートに戻ってすぐ先に、ピンク色に塗られた綺麗な家があります。

ディンケルスビュールのフランケン新聞社 / fränkische landeszeitung の建物です。建物も綺麗ですが、有名なのはこの新聞社の「看板」のほう。

下鍛冶屋通り / Untere Schiemdgasse

下鍛冶屋通り

フランケン新聞社の手前に、下鍛冶屋通り/ Untere Schmiedgasse があります。

以前は香辛料通りという名前でした。

昔は、香辛料を売っている店が並んでいたので、この名前。

現在では香辛料よりも、中国製の服や小物を売る露店が並んでいます。

にんにくがひとつ2ユーロで売られてました。買う人が居るのかな?

これが原因か、最近はディンケルスビュールのホームページからも香辛料通りの名前が消えてる、、、。

露店が景観を損なっていますが、ここに並んでいる家屋も美しい。

病院 / Spital

病院

メインストリートに戻ります。

フランケン新聞社の先、通りの反対側にディンケルスビュールの”Spital”(病院)です。

オリジナルはディンケルスビュールの創立時、13世紀に建設された聖マリア病院。

当時は城壁の外にありました。

街の拡大に伴い新しい城壁が建設されることになり、この病院を含む広大な土地が城壁で囲まれることに。

その後、17世紀に病院は改築され、この地域でも最大の規模を誇る巨大な病院になりました。

病院の端はローテンブルク塔に接しており、「こんなに病院が出たの?」と思うほど大きいです。

隣の別館は今でも使用されている介護施設です。

ここに数少ない公衆トイレがある筈なんです。

一周しましたが見つからず。

標識もなし。

何故、トイレを作ったのに、隠す?

ローテンブルク塔 / Rothenburger Torturm

ローテンブルク塔

通りに戻るとすぐ先に、”Rothenburger Torturm”が見えます。

この塔は牢屋と拷問部屋が設けられていた物騒な建物。

魔女裁判が盛んな中世には、ディンケルスビュールでも無実の女性(わずかに男性も)ここで拷問を受けて殺害されました。

先回は時間がなくてここで引き返したので、今回は門の外まで。

お堀

お堀

ローテンブルク塔の周辺は、まだお堀に水が残っています。

ここはディンケルスビュールのホームページでも利用されている、街の自慢の景色。

お堀に沿って花壇や公園が設けられています。

先に野外コンサート会場もあり、この日は演歌歌手が歌声を披露していました。

時間があればお堀の周辺を歩いてみてください。

観光客が滅多にみることのないディンケルスビュールの光景を見ることができます。

穀物倉庫 / Zeughaus

穀物倉庫

端っこの塔の奥にある門から市内に戻ると、大きな骸骨屋敷が

「ドン!」

と建っています。

名前は”Zeughaus”。

普通 Zeughaus と言えば武器庫ですが、この建物は穀物倉庫として16世紀に建造されたもの。

上述の子供祭りに使われる舞台衣装の倉庫として使用されているので、子供祭りの倉庫 / Kinderzech – Zeughaus とも呼ばれています。

希望者は、子供祭りの衣装も見れます。

入場料はなさそうです。

営業時間 : 14時~16時30分

参照 : 穀物倉庫

ディンケルスビュール 新市役所

ディンケルスビュール 新市役所

この真っ赤な建物は(*5)は、ディンケルスビュール新市役所です。

1733年に当時の

「郵便局長」

の私邸として建設されました。

旧市役所があまりに広いので、1855年、ディンケルスビュールが役所として購入した家屋。(*6)

ゲーテも飯を食った肉屋 / Drei Mohren

ディンケルスビュール新市役所の向かいにある肉屋が、Drei Mohren (*7)です。

店のウリは、「ゲーテがここで飯を食った。」です。

店の前にある立ち食いコーナーで地元民がパクついています。

牛の看板が出ているので、すぐにわかります。

有名店にしては、立ち食いなので高くないです。

でもメニューには、ケバップやパスタ、ピザ、インド料理、さらには寿司まで。

いろんな種類の料理を提供してるレストランで

「旨い!」

という経験をしたことはまずないので、勇気のある方のみ、お試しあれ。

参照 : drei Mohren

ゼークリンガー門 / Segringer Tor

ゼークリンガー門

街の西側、一番高い場所にある塔がゼークリンガー門 / Segringer Tor です。

この塔はてっぺんにたまねぎが乗っており、他の塔と建築様式が違います。

スウェーデン軍の攻撃により塔が崩壊したので、15世紀にイタリア人の建築技師のデザインで再建されたためです。

ほとんどの町ではお堀は埋められ、塔は解体されて残っていません。

しかしディンケルスビュールは、ほとんど残っている珍しい例。

ゼーリンガー門の周辺にはちゃんと城壁とお堀が残っているので、是非、ご覧あれ。

ゼークリンガー通り / Segringer Str.

ゼークリンガー通り

ゼークリンガー門から、ワイン市場へと続く道は、ゼークリンガー通り / Segringer Str. です。

どちらを向いても、それは綺麗な家屋が並んでおり、ワイン市場に劣らず、とっても素敵な通りです。

3人の王様の礼拝堂 / Dreikönigskapelle

ディンケルスビュール 3人の王様の礼拝堂

町に戻ってきてすぐ左手にあるのが、3人の王様の礼拝堂 / Dreikönigskappele と呼ばれるミニ礼拝堂。

すでに14世紀には存在していたというので、ディンケルスビュールのもっとも古い建造物のひとつ。

何故、このような名前になったのか、その由来が不明。

街の観光案内を読んでも、

「すでに14世紀には存在していた。」

「19世紀に屋根を張り替えた。」

「現在はナチの犠牲者の弔っている。」

とだけしか書かれていません。

ユースホテル

ディンケルスビュール ユースホテル

街を代表する巨大な骸骨屋敷のひとつが、3人の王様の礼拝堂の先、城壁沿に建っている巨大な建造物。

16世紀初頭に穀物倉庫として建造されました。

2006年に大金をかけて改装されて、ユースホテルになりました。

100を超えるベットがあるので、ロマンチック街道沿いで一泊されるなら、ディンケルスビュールのユースで一泊してみてはどうでしょう。

聖パウルス教会 / St. Paulskirche

聖パウルス教会

まだ残ってるディンケルスビュールの観光名所は僅か。

ゼークリンガー通りを下ると、St. Paulskirche / 聖パウルス教会が見えてきます。

なんで同じ場所に教会がふたつもあるの?

それはこちらはプロテスタント教会だから。

この道を直進すれば、駐車場まで戻れます。

ヴェルニッツ門 / Wörnitztor

ヴェルニッツ門

まだ駐車場には向かわないで、手前で左折してヴェルニッツ門 / “Wörnitztor”を観ていきます。

この塔はシュタウファー家が領主だった14世紀に建造されたもの。

その後何度も改築されて、今の形なったのは16世紀。

ここ数年でペンキも何度か塗り替えられたので、数年前の写真を見ると、

「え、違うでしょ?」

と思ってしまいます。

獅子噴水 / Löwenbrunnen

獅子噴水

ヴェルニッツ門の前には立派な獅子噴水/ Löwenbrunnen があります。

ご覧の通りライオンの石像が飾られているので、この名前。

ライオンはバイエルン州の紋章なので、この地がバイエルン州に帰属した19世紀の建造物です。

この塔は向かい側から見ても綺麗なので、門の手間で引き返さないで、向こう側まで歩いてみておきましょう。

そんなに滅多に来るものじゃないし。

ディンケルスビュール旧市役所

ディンケルスビュール 旧市役所

この噴水の対面にある巨大な石作の建物は、ディンケルスビュールの旧市役所です。

オリジナルは14世紀に建造されたお金持ちの家。

15世紀に市役所が焼け落ちたので、お金持ちのディンケルスビュールはこの建物を購入して、市役所として使用することに。

19世紀初頭、神聖ローマ帝国の終焉と共に、街は自由都市としての存在をやめてバイエルン州の片田舎に。

すると、

「片田舎にこんな立派な市役所は大きすぎる。」

と、ゼークリンガー通りにあったこじんまりとした建物を購入して市役所に。

以来、空き家になったので博物館、そしてツーリスト インフォとして利用されています。

歴史の家 / Haus der Geschichte

歴史の家

旧市役所に入っている博物館の名前が、歴史の家 /Haus der Geschichte です。

様々な展示物で

「ディンケルスビュールの800年の歴史を語る!」

がキャッチフレーズ。

入場料 4ユーロ 開館時間 10時~17時

参照 : 歴史の家

ディンケルスビュール 行く価値あり?

 ディンケルスビュール 古い家屋

Ja!

ドイツの街はふたつと同じ町がないので、ローテンブルクとは街の景観は全く異なります。

ディンケルスビュールの家屋の実に44%が1500年までに建造されたもの!

家屋の形がひとつひとつ違います。

中世の頃の家屋がこれだけ残っているのは、世界遺産都市のバンベルクレーゲンスブルクだけ!

ただし、ローテンブルクの旧市役所のような華やかさがないのは、確か。

でもその分、観光客が少なくてよかったです。

写真を撮りながら町の隅々まで歩いていると、5時間かかっても撮影が終わりませんでした。

短いコースなら3時間少々で観て回れるので、半日観光にはぴったりです。

真夏にもかかわらず、見かけた日本人はカップルの二人だけ。

中国人でさえ数える程度。時間があれば、

是非、ディンケルスビュールにもよってください。

ディンケルスビュール お勧め

ディンケルスビュール 旧市街中心部のパン屋

撮影に行く際はいつも朝7時に起きると、食事も摂らず、身支度だけ整えると寝る前に用意した撮影機材を車に詰め込み、レッツゴー!

ドイツ語で言えば、”Auf geht’s!”

真っ青な青空の下、まだ交通量の少ないアウトバーンを走ると、次第に眠気が薄れていきます。

すると腹が減るのですが、そこはじっと我慢の子。

新しい街に行くなら、その街の名産を食べてみたいっ!

空腹を抱えてディンケルスビュールに着いたら、撮影しながらパン屋探し。

ワイン市場の手前街にパン屋(カフェともいう)を見つけました。

ここで買った菓子パンが旨い!パイ生地なので外はパリパリ、中はしっとり。

あまりにおいしかったので、お代わり!

ローテンブルク名産の雪玉も(探せば)売ってますが、こっちのほうが全然、旨いっ。

もっともその後、手は砂糖でベトベト。

水筒の水で手を洗いました。

要、ウエットテイッシュ持参。

ディンケルスビュールに行かれる方、お試しあれ。

注釈

*1       すなわちほとんど遭わない。

*2      「貧困は最高の史跡保存。」と言われるが由縁です。

*3       シュバーベン地方の貴族。神聖ローマ帝国の初期の皇帝を輩出した名家。

*4     後のハノーファー王国の王家

*5     昔は黄色でした。

*6     実はここにも公衆トイレがある筈。でもドアは閉まっており、入場さえできず、、。

*7      同じ名前のホテルがアウグスブルクにあるので、どうもこの地域では好んで使われる表現のようです。

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