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ボン大学
ボン大学の正式名称は Die Rheinische Friedrich-Wilhelms-Universität Bonn。
名前は大学を創設したプロイセンの王様で、神聖ローマ帝国の最後の皇帝でもあったフリードリヒ ヴィルヘルムからきています。
大学に在籍している学生の数は3万8000人を超え、ドイツでも有数の巨大大学のひとつです。
「大学が大きくても、質が悪くては仕方ない。」
とお嘆きの方、そこはご安心。世界の大学ランキングでは110位で香港大学と同じランキングにある。ドイツ国内では唯一、FU Berlinの後塵を拝しているが、あの超エリート大学と名高いゲッテインゲン大学の上に(ランキング上は)ある。
名声を博しているのは経済学部、法学部、それに数学部で、ボン大学はノーベル賞受賞者7人を輩出している優秀な大学です。もっともランキング上では負けているゲッテインゲン大学は、40名を超える受賞者を出している。
町の紹介
1990年10月3日に首都がボンからベルリンに移ってから久しく、日本ではボンが首都であったことを知る人が少なくなってきた。
日本でボンと言っても「何処にあるの?」という人が多い中、「ベートーヴェンの生まれた町。」と、音楽家だけはちゃんとボンを知っている。
名前の起源
ボンの歴史は紀元前にここに定住していたケルト族に始まり、この地を”Bona”と呼んだのが町の名前の起源だ。
この言葉はケルト語で「村落」などを指し、フランスには”○○Bonnes”、あるいは”○○Bonne”という名前(の一部)の地名が多い。例えば„Ratisbona“と呼ばれた都市は、 „befestigtes Dorf“ (要害化された村)という意味で、レーゲンスブルクの町を指す。
2000年の歴史を誇るこの町の発展は、ローマ帝国がライン川の東岸に砦を築いたことから始まる。
ここを駐屯地にして、ローマ帝国は植民地をエルベ河畔まで拡大していった。その駐屯地の周辺に市民が住み着き、町へと発展していった。ローマ帝国の滅亡後はフランク王国に、その滅亡後は神聖ローマ帝国の支配下に入り、ケルン大司教がルクセンブルク公などの後押しを受けてこの地を治めていた。
ヴォリンゲンの戦闘
13世紀、リンブルク大司教の後継者探しに乗じて、ケルンの大司教は軍事力を背景に支配地域を拡大しようとする。
リンブルクを支配していたブラバント公爵はオランダの支援を取り付けてこれに抵抗、”Schlacht von Worringen”(ヴォリンゲンの戦闘)に発展、歴史に残る大きな戦闘になった。
この戦争に勝ったのがブラバント公爵で、以後、ケルンの大司教の影響力は著しく減少され宗教行事のみの担当となり、ケルンは大司教の支配から切り離されて自由都市となる。
その後、ケルンの選帝侯がケルンを離れ、ボンにその城を構えた頃から町が本格的に発展する。18世紀になると強大なフランス帝国の支配下に入る。
町の支配権はその後、ナポレオンの手に移る。ナポレオンが落ち目になるとプロイセンがこの地を支配下に置き、今では名門となっているボン大学をここに築いた。
首都ボン
第二次大戦後、
「首都をフランクフルトとボンのどちらに置くか。」
という論争になった際、アデナウアーは早く復興されていた町と、戦災を逃れて残っていた兵舎などの多くの建物を理由に上げて、ボンに首都を置くことを主張。
実際には自宅が近くにあったのが理由だったが、初代首相の意見が通り、ボンが首都に決まってしまった。
その結果、東京のように国の機関が数多くこの地に設立され、ドイチェポスト(郵便局)もここに本社を置いたので、不動産価格は高騰している。
首都がベルリンに移ってしまってからもドイツを代表する幾つかの大企業はこの地に本社、工場を構えており、人工30万人程度の中規模の都市ながら物価は安くない。
肝心の日本関係のインフレですが、おりからの日本食ブームで日本食レストランが多くなりました。もっとのその多くはなんちゃって日本食レストランなので、アルバイト探しにはあまり向いていません。その代わりボンにはかっての高級官僚が定年を過ごしており、お金持ちが多く治安はいいです。
アクセスデータ
最寄空港はケルンボン空港ですが、地方空港のため、日本からの直行便はありません。
フランクフルト空港から国内線を利用してケルンボン空港まで飛ぶよりは、フランクフルト空港から電車で移動したほうが早く、費用も安くあがります。
ボン市内路線図
ボン大学 サマーコース 【レッスンのみ】
ボン大学 サマーコース はドイツが戦後、連合軍支配から独立する前の1947年から、外国人向けの語学コースを提供してきました。
これまではドイツ語の初級者も受け入れてきましたが、2019年からは中級レベルのB1以上の希望者になってしまいました。
ボン大学 サマーコース 詳細
さらにはこれまで手配していた宿泊先の手配も中止。ドイツ語がB1レベル以上で、コース期間中の滞在場所をご自身で確保いただける方のみ、コースに参加ができます。
レベル |
中級(B1,B2)、上級(C1) |
期間 |
2019年 8月5日~8月27日 |
授業時間 |
授業は9時~12時30分まで、(計60単位)。 |
クラス定員 |
13名 |
申し込み期限 |
4月15日(定員になり次第締め切りとなります。) |
遠足 |
市内及び近郊都市 |
費用 |
11万8000円 |
費用に含まれるもの |
授業料と期間中の定期券 課外プログラム(入場料、交通費を除く) 弊社の手配手数料 |
宿泊 |
2019年のサマーコースから宿泊施設の仲介、紹介が廃止されました。 ご自身で部屋を確保できる方のみ、コースに参加できます。 |
インターネット/Wifi |
大学構内ではWifiが使用できます。 |
参加条件 |
大学生、B1レベル以上のドイツ語能力が証明できる方。 |
必要書類 |
証明写真2枚 履歴書(日本語で書いていただければ、弊社で独語に書き直します。) |
その他 |
コース参加には、ドイツで有効な健康保険に加入されている事が条件です。 一ヶ月のドイツ留学保険はたったの37ユーロで加入できますので、加入されてから渡独してください。 |
お支払い |
お申し込み後、24時間以内に請求書を発行しますので、1週間以内にお支払いください。 |
キャンセル |
5月15日まで 3万5000円がキャンセル料となります。 以降 返金はありません。 |
大学季節コース質問集
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