ローテンブルク は多くの方にとってロマンチック街道ばかりか、ドイツ観光のハイライト。
「いや、同じように綺麗な街はあるよ!」
「世界遺産都市、レーゲンスブルクのほうが綺麗だよ!」
など異論はあるものの、ローテンブルクが綺麗なことには間違いなし。
「取材に行って、写真を撮ってこよう!」と遠征を企画、晴天になるまで待って、レッツゴー!
往復で4時間半もアウトバーンを走り、た~くさん撮影してきたのでじっくり紹介したいと思います。
目次
街の紹介 ローテンブルク
ローテンブルクはバイエルン州の真ん中あたり、中央フランケン / Mittelfranken という地域にあります。
近くにはマルクトブライト、デインケルスビュール などの観光名所があります。
中世には交易で栄え、自由都市としてかなり栄えていました。その繁栄に終止符を打ったのが、30年戦争です。
カトリック軍に占領されると、住民が逃げ出してしまいゴーストタウン化。お陰でローテンブルクは中世の姿で残り、これが今では世界中から観光客を呼び寄せる財産になっています。
中世の風情を残すため、家屋は勿論、街に入る橋も近代化しないで、中世の頃から残っている幅4mほどの石橋があるのみ。初めて車で行くと、
「えっ、ここから入るの?」
と心配になりました。こんな努力にもかかわらず、未だにローテンブルクは世界遺産都市に指名されていません。
その一方で、犯罪(正確には拷問)博物館、クリスマス博物館、職人博物館など、他の街にはない博物館が多いことでも知られています。
行き方
ローテンブルクは交通の要所から外れた所にあるので、行くのが大変です。
最寄空港はフランクフルト空港 & ミュンヘン空港。わずかにフランクフルトの方が近いですが、それでも電車で3時間+。
しかしアウグスブルクに住んでいると、車でゆっくり走っても2時間15分で到着。デユッセルドルフからフランクフルトに行くよりも近い事実に感激。
電車でいくならアウグスブルク中央駅から、2時間半程度。週末に行くと接続が少ないので、乗り換えが多く必要になり、3時間ほどかかります。
ミュンヘンから行くと、ニュンベルクまで直行便があるので、2時間半~3時間です。
ローテンブルク – 名前の由来
街の正式名称は”Rothenbrug ob der Tauber”。
カタカナで書くのは嫌なんですが、間違った表記も多いので正しく表記すると、「ローテンブルク オップ デア タオバー」です。和訳するとタオバー河畔のローテンブルク。
この名前は、12世紀までこの街を支配していた貴族、フォン コンベルク ロ-テンブルク /”von Comburg-Rothenburg”に由来します。
伯爵家が作った街はローテンブルクの名前を冠しており、合計して6つの都市がロ-テンブルクと呼ばれています。そこで、”ob der Tauber”と呼ぶことで他の街と区別しています。
街の歴史
街の歴史、石器時代はすっ飛ばして、中世から始めます。
13世紀に神聖ローマ帝国に直属する帝国都市/”Reichsstadt”になり、関税をとることが許されます。お陰でローテンブルクは次第に裕福になっていきます。
有名なのは、30年戦争(1618~1648)での逸話です。
1631年、ローテンブルクは当初、プロテスタント系のスウエーデン軍が無血占領します。これに対してティリィ将軍が率いるカトリック軍が、南から反撃に出ます。
住人は占領軍であるスウエーデン軍と一緒になって、カトリック軍に抵抗します。なのにスウエーデン軍が、
「多勢に無勢。降参すます。」
とあっさり降参して、軍を引き揚げます。結果、ローテンブルクは残虐行為で悪名高いティリィ将軍に占領されてしまいます。
逸話の誕生
当時の慣習では、押し寄せる敵に抵抗をせず街が降伏した場合、略奪しないという決まりがありました。
当時の兵隊のほとんどは傭兵で、規律も何もあったものではないですが、司令官が略奪を禁止すると、大方守られました。
しかし街が抵抗の末に占領されると、3日間は略奪し放題。そこでティリィ将軍は見せしめに、ローテンブルクの役人を公開処刑して、街自体は、略奪、破壊される事になりました。
戦勝を祝っているティリィ将軍の機嫌を取る為、ワインケラーのマイスター(近郊はワインの産地でもある)、はビールのジョッキに特産のワインを並々と注いでもてなします。
でかいジョッキ(3/4ℓ)に感銘を受けたティリィ将軍は、「この杯のワインを一気に飲み干せるなら、役人の処刑と街も略奪も取りやめよう。」と、賭けを申し出ます。
マイスタートルンク
もはや
「失うもには何もない。」
市長がこの賭けを受けると、ティリィ将軍の目前で本当にお酒を一気に飲み干します。賭けに敗れた将軍は街の略奪を禁じ、こうしてローテンブルクは略奪を逃れる事が出来たという伝説です。
以来、市民はこの市長の見事な飲みっぷりをマイスタートルンクと賞賛、ドイツ人なら誰でも知っている昔話となりました。
勿論、この話には証拠(記録)がなく、おそらく作り話です。
ティリィ将軍はローテンブルクの前にマグデブルクを陥落させると、女、子供も容赦なく住民を抹殺、それでも十分ではなかったらしく、町を焼き払うという残忍行為を行いました。
これで破壊の欲求が満たされていたのか、それともマグデブルクの残忍行為を後悔していたのか、ローテンブルクは「恩赦」を受けたと考えられています。
略奪こそは避けられましたが、占領軍の最後の兵が引き上げたのが1650年。6万人もの占領軍が20年近くに渡って町を占領していました。
占領軍への兵站提供で町の経済は披露し尽してしまい、住民の多くは逃げ出してしまいます。
こうしてローテンブルクは発展から取り残されて、占領軍が引き払ったままの姿で保存されることになりました。
ローテンブルク 完全制覇 – これでもう観光名所を見逃さない!
バイエルン州では、
「次はパッサウかローテンブルク。」
と、世界遺産都市への登録を期待していますが、未だに指名を受けていません。
それでも1万人程度のこの小さなローテンブルクに、年間100万人もの観光客が押し寄せて、日中の人口は50%もアップします。
かっては日本人観光客が一番多かったですが、今では中国人観光客が圧倒的な差を付けてトップです。
とりわけ中心部は中国人観光客が龍のようにゾロゾロと歩いており、中にはウエデイングドレスを着た中国人女性まで!流石、中国4千年。
ローテンブルクはロマンチック街道のハイライトだけあって、他では見れない観光名所がたくさんあります。長い記事になりそうなので、有名 & 人気の観光名所から始めます。
プレーンライン / das Plönlein
ローテンブルクの観光名所でとりわけ有名なのが、プレーンライン/ das Plönlein です。
きっと何処かでみたことがある筈。記念写真を撮る観光客が絶えることがない場所です。
でも日本人には発音できないこの言葉、プレーンラインって何?
これはこの地方の方言で小さな場所という意味です。この言葉は写真中、車の後ろで携帯電話にのぞき込んでいるおじさんの後ろにある井戸端を指しています。
その井戸端の後ろの塔は、かっての監視塔です。
古い城壁を取り壊した際、古い監視塔だけは城門として残されます。その後、家屋が立ち並び、計画したわけでもないのに、ローテンブルクを象徴する風景ができあがったわけです。
コブレンツ門 / Koblenzer Tor
上述のプレーンラインの写真を見てください。左側がメインロード、右手に小道があるのが見えますか?
この小道をまっすぐ歩いていくと、コブレンツ門 / Koblenzer Tor があります。この門の防御がまた鉄壁。
道の両側の城壁の上には屋根付きの通路があり、侵入者を狙い撃ちできる構造です。恐ろしや。その先にローテンブルクのユースが見えてきます。
ユースホテル / Jugendherberge
コブレンツ門からまっすぐ歩いていくと、ローテンブルクのユースホテル / Jugendherberge が入っている見事な建物が見えてきます。が、見て欲しいのはユースじゃないっ!
ユースの右手は窪地になっており、敵の侵入に備えた城壁が築かれています。この城壁の窓から、ローテンブルクを一望できます!
市庁舎の塔もちょうど真ん中に収まりいい写真が撮れるので、是非、足を延ばしてください。
ローテンブルク 市庁舎 / Rathaus
二番目に人気の観光名所はローテンブルクの聖地、市庁舎 / Rathaus です。市役所前の広場は、いつも観光客で賑わっています。
ドイツではどの街に行っても、市役所は必ず形が違いますが、このローテンブルクの市庁舎はとりわけ珍しい例です。
かってローテンブルクが交易で栄えていた頃、金に糸目をつけず市庁舎を二棟、建てました。この為、ダブル建造と呼ばれています。
ところが16世紀に火事で片方が焼け落ちたので、バロック様式で再建され、今日の姿になりました。ここでクイズ。どちらが新しいバロック様式の市庁舎でしょう?
実は手前の大きな屋根のある建物が、新しく建築された市庁舎です。
市庁舎の塔 / Rathausturm に登ってみた!
ローテンブルク市役所の塔 / Rathausturm に登れます。階段も多くないので、今まで登った塔のなかではもっとも楽勝。
と甘く見ていたら、見晴らし台への出口が滅茶苦茶狭いです。でかい体格の私はギリギリセーフ。
見晴らし台もかなり狭いので、全部で4~5人が精一杯。一度、見晴らし台からローテンブルクの街並みを写真に収めると、あっさり下りていく人が多いので、回転率はよし
参照 : www.rothenburg-tourismus.de
開館時間 : 4月~10月 / 9時30~12時30分、13時~17時
11月~3月 / 10時30~14時、14時30分~17時
入場料 : 大人2、50ユーロ
ローテンブルク 市役所酒場 / Ratstrinkstube
ローテンブルクの市役所の横にあるのが、市役所酒場 / Ratstrinkstube です。
市役所酒場は、かっては役人が仕事が終わってからここで一杯ひっかけた(一杯だけじゃないことは言うに及ばず)場所です。建物に埋め込まれている時計は、17世紀に設置されたもの。
ローテンブルク名物は、この市役所酒場の壁に仕込まれた仕掛け時計。上述のマイスタートルンクの小話が展開されます。かっては1日5回でしたが、観光客の増加により上演時間が大幅に増やされました!
10時~22時の間には、分針がゼロを打つたびに、人形劇が展開されます。以前は市庁舎前の広場に一目この仕掛け時計を見ようとする観光客で埋まってました。今では数える程度の観光客が待っている程度でした。
ぶっそうな話も紹介しておくと、この広場は処刑にも好んで使用されました。集団処刑で斬首された遺体はここに並べられて、流れ出た血が坂道を真っ赤に染めるという徹底振り。
犯罪博物館 / Das Mittelalterliche Kriminalmuseum
ローテンブルク市庁舎と同じくらい有名な観光名所と言えば、犯罪博物館 / Das Mittelalterliche Kriminalmuseum です。
誤って、「拷問博物館」とも紹介されていますが、あながち間違いではない珍しいケース。二棟に分かれている市庁舎の片方が、この博物館になっています。
なんといっても最大の見出し(?)は鉄の処女。庭には魔女裁判で使用された、魔女かどうかを見分ける鉄の籠が展示されています。ここに魔女だと言われた無実の女性を閉じ込め、川に沈めます。
5分経ってもまだ生きていれば、魔女で正式に死刑。すでに死んでいれば、「まあ、そんなこともあるよな。」で終わり。どっちにしろ、殺される運命でした。
- 住所 : Burggasse 3-5, 91541 Rothenburg ob der Tauber
- ホームページ : www.kriminalmuseum.eu
- 営業時間 10時~17時 11月~3月は13時~16時
- 入場料 : 成人7ユーロ 子供 3,5ユーロ
肉屋 & 舞踏場 / Fleisch-und-Tanzhaus
通りをはさんでローテンブルク市庁舎の横に建ってる見事な骸骨屋敷は、”Patrizierhäuser”と呼ばれるかっての上流階級の家です。
左側、赤い木枠と石造りの土台が見事な屋敷は、かって地上階で肉を売り、一階(日本式二階)が舞踏会の会場だったので、肉屋 & 舞踏場 / Fleisch-und-Tanzhaus が正式名称です。
13世紀に焼け落ちた古い市役所の土台の上に建っています。みてください、この立派なアーチを。肉屋にしては手が込んでます。今ではアトラクションの仮装行列で使う衣装などの倉庫になっています。
マリア薬局 / Marien-Apotheke
肉屋 & 舞踏場のお隣は、マリア薬局 / Marien-Apotheke です。
別名、ヤークトハイマーハオス /”Jagstheimer Haus”とも呼ばれています。15世紀に当時の市長、ヤークトハイマーが肉屋+舞踏の家の隣に作らせたから。
当時は宿屋だったそうです。神聖ローマ帝国の皇帝もローテンブルク訪問の際には、ここに泊まったとか。
ゲオルグ噴水 / Georgsbrunnen
この屋敷の前にローテンブルクで一番立派な噴水(井戸)があります。名前はゲオルグ噴水 / Georgsbrunnen 。
竜を退治する聖ゲオルグの像が飾られているので、この名前です。
外から見ると井戸はせいぜい1m程度の高さですが、深さは8mもあります。かっては街の大事な水源でしたが、今ではもう飲める水質ではありませんので、見るだけにとどめておきましょう。
ローテンブルクの観光案内には書かれていませんが、中世の頃はこの噴水の前に処刑台がありました。
勿論、今日では除去されており、そんな痕跡もありません。今では近隣の建造物を合わせたステキな景観を提供してくれる。
クリスマス博物館 / Weihnachtsmuseum
マリア薬局の先に、クリスマスのデコレーションを売ってる店が見えてきます。
有名なクリスマス博物館 / Weihnachtsmuseumです。
宣伝車が店の前にいつも停まっていますので、目印になります。通常、クリスマス商売は12月だけの限定されたもの。にもかかわらず、年間を通してクリスマス商戦に絞って営業しているのはココだけ!
数多くの観光客に足を運んでもらえるように、中にクリスマス博物館を設置したんです。
- 正式名称 : Käthe Wohlfahrt Weihnachtsmuseum
- 住所 : Herrngasse 1, 91541 Rothenburg ob der Tauber, Deutschland
- ホームページ : www.weihnachtsmuseum.de
- 営業時間 : 営業時間10時~17時
- 入場料 : 成人4ユーロ 子供 2ユーロ
対面にはローテンブルクの有名ホテル、“Eisenhut”。場所は最高ですが、一番安い部屋はウォークインクローゼット程度の広さ。夏はクーラーがないので要注意。
そのお隣にはテデイの専門店。でかいテデイが目印。
ローテンブルク 城門完全制覇!
日本では城壁で守られていたのは、殿様のお城だけ。欧州では街全体が城壁で守られていました。
街への出入りを容易にするため、この城壁の数か所に門を設けましたが、門を敵の侵入から守る目的で、防御塔 & 監視塔が併設されました。
この門は馬車が通れるほどの幅しかなかったので、車も電車も通れません。19世紀に近代化の波がやってくると、真っ先に取り壊されてしまいました。
ところがローテンブルクは近代化の波が届かなかった珍しい例。
お陰で中世の城壁と城門が当時のまま残ってます。尚、門は塔と一緒になっているので、「塔」と呼ばれることがあれば、「門」と呼ばれることも。
地元民がどっちを好んで呼んでいるか、それだけの違いなので、頭を悩まされませんように。
病院門 / Spitaltor – ローテンブルク で一番強固な門!
ローテンブルクの数多い門の中でも一番強固なのが、駐車場(1日5ユーロ)”P1″の近くにある病院門 / Spitaltor だ。
病院 / Spital と一緒になっていたので、このような名前になったが、その大きさには圧倒されます。野球場がすっぱり入るほどの大きさです!
お堀の外には、近衛兵の詰め所。ここで入場を許されると、お堀の上に巡らされた細い橋を渡って、要塞の中に入っていきます。
これほど見事な中世の要塞が残っているのは、ドイツ国内ではローテンブルクだけ!外見ばかりではなく、中身も立派。
壁の厚さは優に1mはあります。エスリンゲンの厚さ3mの城壁には及ばないが、それでも立派。
要塞には十分な高さがあり、押し寄せてくる敵を一望にできます!そして設けられた銃眼から、大砲と銃で敵を捉えることができるようになってます。
仮にこの集中砲火を生き延びて城壁を超えても、先にはさらにもう一つの城壁と防壁塔が!
30年戦争時、流石のティリイー将軍も迂回して、他の門からの侵入を図ったのも頷けます。
マルクス塔 / Markusturm
次は中心部から目と鼻の先にあるマルクス塔 / Markusturm です。
市役所前市場の手前を右に曲がると、200mほどでマルクス塔にいけます。かってはここがローテンブルクの境界でした。なんて小さな街!
その後、人口の増加により城壁はさらに後ろに構築されました。古い城壁は撤去されましたが、塔だけは残されました。12世紀の建造物で、塔のてっぺんのコウノトリの巣がトレードマークです。
アーチ形になっている門をくぐってみよう。外側から見る門は、絵葉書でよく使われるモチーフなのに、ここまで(わずか数百メートル)歩いてくる観光客は稀。
レーダー噴水 / Röderbrunnen
マルクス塔のわずか20mほど先に、レーダー噴水 / Röderbrunnen があります。
ローテンブルクの住民に飲み水を提供する目的で掘られたものですが、市内で最大級の大きさ。
長方形の噴水は鉄柵に囲まれていますが、その内側に花壇が設けられており、映えます。
マルクス塔をバックに写真を撮るのにいいモチーフです。
ローテンブルク レーダー門 / Rödertor
マルクス塔 & レーダー噴水をみて、引き返さないように!その先も十分綺麗です!
200mほど歩くと後方に、ローテンブルクの拡大に伴って14世紀に新しい城壁と塔が見えてきます。それがレーダー門 / Rödertor です。
レーダー門の前には、衛兵の詰め所が両側にあります。かってはこの前にもお堀があり、釣り橋を渡らないと、街の中には入れなかったなんて、想像もできません!
と思ったら、わずかですが、お堀が残っており鯉が泳いでいます!
レーダー塔に昇ってみた!
レーダー門の先(内側)にあるレーダー塔 / Röderturm 。
その高さは36mもあります。入場料が1.50ユーロかかるが、ここまで来たら是非、塔に登ってみよう。
上から見渡せる景色は、頑張って階段を登った者がけが見れる貴重なもの。
ゲーラッハー鍛冶屋 / Gerlachschmied
写真のモチーフとして有名なのが、レーダー門から歩いて数分の場所にあるかっての鍛冶屋。
屋根が長~い。実にかわいらしく飾られています!
家の主がゲーラッハーという名前だったので、ゲーラッハー鍛冶屋 / Gerlachschmied と呼ばれています。まだ60年代まで、馬のひずめを打っていたんです。
- 住所 : Wenggasse 50, 91541 Rothenburg ob der Tauber
- 地図 : ゲーラッハー鍛冶屋
- 営業時間 : 外から見るだけなので、いつでも可。
絞首塔 / Galgentor – ローテンブルク
レーダー塔のお隣は、物騒な名前の絞首塔 / Galgentor 。
この塔は内側から見たほうが綺麗。ちなみに上述のカトリック軍のローテンブルク攻略で攻撃目標のひとつになったのが、この絞首塔。住人の必死の抵抗でカトリック軍は大きな損害を受けました。
この塔に向かう道、あるいはこの塔から市内に向かう道は綺麗なので、是非、歩いてみたい。
ヴュルツブルガー門 / Würzburger Tor
絞首塔からさらに街の外に向かって歩いていくと、ずんぐりむっくりのヴュルツブルガー門 / Würzburger Tor が見えてくる。
病院門のような強固な門ではなかったので、絞首塔の外にさらに城壁と城門を設けたのが、このヴュルツブルガー門です。
この塔の横に小さな監視塔があります。コレ、実は数少ない公衆トイレです。市内に戻る前に使っていこう!
白い塔 / Weißer Tor
絞首塔の手前に、昔の城壁の一部だった塔(すなわち門)が残っている。名前は白い塔 / Weißer Tor 。
そんない白いわけでもないので、何故、この名前なのか疑問が残ります。
建造されたのは、なんと最初のローテンブルクの城壁が建造された12世紀です!その後、第二次大戦中に焼失したので、戦後、再建されました。
この塔は隣に建つ大きな建造物と一体化しています。この大きな建物は何?これは街で有名なユダヤ人の学者が作った学校なんです。なので名前がユダヤ人の家 /”Judenhaus”。
ブルク門 / Burgtor
上述のクリスマス博物館のある道を先に歩いていくと、ブルク門 / Burgtor が見えてきます。
ローテンブルクの西の門です。形はレーダー門と瓜二つ。この門もレーダー塔と同じように、二重の作りになっています。
外側には衛兵の詰め所。門を抜けると歩行者しか通れない狭い橋がお堀の上にかかっており、その先にはまたしても塔があり、侵入者を見張っています。
この塔の中ほどに、石のマスクがあります。よっく見るとたんなる飾りではなく、ちゃんとマスクを通して、侵入者を塔の中から覗けるようになっている。
なんでも当時は侵入者をこの入り口で止めると、溶かした鉛をこのマスクの口から侵入者に降り注いだそうだ。
この先は見晴らし場になっており、ローテンブルクの町の半分が見渡せます。
クリンゲン塔 / Klingentor
ローテンブルクに数ある門の中で、観光客がほとんどやってこないのが、このクリンゲン門 / Klingentor 。
行き方は簡単。市庁舎の裏にあるでかい教会のある通りが、クリンゲン通り。これをまっすぐ150mほど歩いていくだけ。
クリンゲン塔が、他の門とは違う特徴がふたつ。
- 城壁の内側にあるクリンゲン塔は、ローテンブルクの住人への水の供給を主要な目的としていた。
- 塔の中に銅で出来た水桶を設置して、ここに井戸からくみ上げた水を貯め、高低差を利用して各地に水を送っていた。
30年戦争中はこのクリンゲン塔の近くに、火薬塔がありました。カトリック軍はこの火薬塔を攻撃して、爆破に成功。城壁も一緒に木っ端微塵になり、ローテンブルクは陥落しました。
聖ヴォルフガンク教会
クリンゲン塔の先に城壁があります。
この城壁を壁として利用されているのが、聖ヴォルフガンク教会です。教会の壁に銃眼が設けられています。ぶっそうな教会ですね~。
祭られているのは羊飼いの守護神、聖ヴォルフガンクです。
聖ヤコブ教会 / St. Jakob
ローテンブルク市庁舎の裏にあり、広場からも尖塔が見えるデカイ教会が、聖ヤコブ教会 / St. Jakob だ。
名前の由来は、欧州で人気のお遍路さんであるヤコブ遍路。
ヤコブ遍路とは、スペインで葬られている聖人、聖ヤコブの墓石を徒歩で見に行く、壮大なルート。そのルートにこの教会があがっているので、聖ヤコブ教会。
建造が始まったのは14世紀初頭。早くも11年後に資金が尽きて建設中止。その後、15世紀に完成された。右(55m)と左(57m)の塔で高さがちがうのも、そのためか?
- 住所 : Klostergasse 15, 91541 Rothenburg ob der Tauber
- 地図 : 聖ヤコブ教会
- 営業時間 : 4月~10月 9時~17時15分 11月~3月 10時~12時 & 14時~16時
- 入場料 成人 2ユーロ
ローテンブルク 旧要塞 / alte Burg
えっ、ローテンブルクにお城があったの?
はい、シュタウファー要塞と呼ばれた城が建ってました。ローテンブルク伯爵が建てた要塞を、この街を手に入れたシュタウファー家の王様が大きなお城に増築。
残念なら幾多の戦争で破壊されました。すでに14世紀には、廃墟になっていたそうです。その廃墟も18世紀に撤去され、今ではお城に付き物の庭と小さな石作りの離れだけ残っています。
ここで質問。シュタウファー要塞は、街の何処にあったのでしょう?ヒントは門の名前。
そう、ブルク門とは日本語で要塞門。ここにお城があったんです!正確に言うと、ブルク門を出て、右手に歩いてください。城塞庭 / Burggarten という名前の大きな庭が広がっています。
これがかっての宮廷庭です。端っこに古めかしい石でできた建造物があります。地元民は旧要塞 / alte Burg と呼んでいます。
現在は礼拝堂として利用されており、ナチスの迫害で命を落とした人を祭っています。かってはお城の一部だったのですが、残ったのはこれだけです。
ローテンブルク名物 – 雪玉 / Schneeball
ローテンブルクの特産品と言えば、今ではすっかり有名になった雪玉 / Schneeball。クッキーの生地をばらばらにして円形の籠に張り、揚げたもの。
「おいしい。」と言う人がいれば、「ミスタードーナッツの未完成品みたい。」という見事な描写もあります。
まあ、折角来たんだし、1.6ユーロから買えるので、試してみても損はなしない。
生活と物価
「こんなきれいな街に住んでみたい!」
と思われる方も少なくありません。しかし人口が1万人にも満たない街に住むのは、それほど快適ではありません。というのもローテンブルクの大部分は、皆さんが観光で訪れる旧市街地の外に広がってます。
お買い物に行こうにも、歩いて行ける距離にスーパーはありません。電車もないので、車が必要です。日本の食材は手に入りませんので、高いお金を払ってネットで注文することになります。
不便なので家賃は安いですが、ここまで物資を運んでくる必要があるので、生活必需品(食料品)も決して安くはありません。
もし旧市街に住むことになったら、生活はさらに大変です。電車どころか、バスもありません。あの小さな城門では、バスは通れないからです。そしてスーパーもないので、郊外のスーパーまでの買い出しは大事業です。
さらには旧市街地の物価が凄い。旧市街では小さな水のボトルが4ユーロ(600円)で売られているほどです。
ローテンブルク 留学
ローテンブルクは小さな町なので、留学先には向いていません。
参照 : 語学学校50選!
そもそも語学学校は郊外に一軒だけ。それもあまりよくない学校が。それでもローテンブルク市内唯一の学校なので、日本人の多いこと!
「ローテンブルク(のような町)に住んでみたい!」
と言われる方には、シュヴェービッシュ ハルのゲーテをお勧めします。町はローテンブルクのような城塞都市。ただし町の規模が大きいので、生活しやすいです。
何処に泊まる?
ゆっくり過ごせる時間のある方は、是非、一泊して夜景を堪能していきましょう。
旅行代理店に勤務していた頃、会社の重役さんに手配していたのは、市役所の裏、クリスマス博物館の向にあるアイゼンフート。
でもある時、夏に泊まった社長さんから、「クーラーもないっ!」と苦情。そう、ドイツのホテルにはクーラーがありません。一番安い部屋は、とっても狭いです。
自費で旅行する際に泊まったのは、プレーンライン / “das Plönlein”にあるグロッケ(鐘)。お手頃価格で、駐車場があったから。苦情はありませんが、部屋の調度品は安ぽかったです。ベットも小さかったし(通常の日本人の体形なら問題なし)
そこでローテンブルクで泊まる場所を探している方には、”Markusturm”の横にあるHotel Markusturm をお勧め。立地が最高。外見とは異なりモダンな内装でとっても快適です。