ドイツでは レーゲンスブルク は観光地、そして大学町として知られています。

ここで取り上げるのは、観光地のレーゲンスブルク。何せあのユネスコから世界遺産都市に指名されています。

皆さんが大好きなローテンブルク は、世界遺産都市になっていないので、文字通り格違いの美しさ。

でも日本では名前さえも

「聞いたことがない。」

という方がほどんどです。

何度か足を運んで旧市街の有名な観光名所を調査してきましたので、紹介したいと思います!

目次

街の紹介 レーゲンスブルク

レーゲンスブルクは中世に交易で大いに栄えた街です。中世のヨーロッパを支配していた神聖ローマ帝国の国会も、この街で開かれたほど栄えていました。

旧市街には権力者や豊かな商人が建造した宮殿や屋敷が数多く立ち並び、その富をみせつけています。

修繕が必要になった古い(ボロボロになった)建造物を取り壊さないで、修理してきたので、今日まで当時の姿で保存されています。

しかし第二次大戦中はメッサーシュミットの工場があった為、何度も爆撃の目標となり、数多くの歴史的建造物が破壊されました。戦後、その旧市街が見事に復興され、2006年ユネスコは世界遺産都市に指定されました。

今日ではレーゲンスブルクは15万人の人口を抱え、ドイツ屈指の観光地、そして大学町として有名です。

レーゲンスブルク への行き方

レーゲンスブルクへの行き方ですが。

街はバイエルン州の東北、もっとわかりやすく言えばミュンヘンの「右上」に位置しています。チェコとの国境までわずか40kmです。

ミュンヘン空港からは電車で1時間半の距離。日本から行かれる方、あるいはドイツに住んでいても、ハンブルクに住んでいると、電車の旅だとドイツを縦断することになり、ちょっと大変。

そんな場合は、まずはミュンヘン空港まで飛んでください。2017年からミュンヘン空港からレーゲンスブルク行きの電車の直行便が開通しました!

参照 : thetrainline.com

一番安い接続で7.80ユーロ(片道)。所要時間は1時間17分(直行便)。

街の始まり – ローマ帝国が築いた砦

拡張を続けるローマ帝国が1世紀、ドナウ川の辺に植民地を築いたのがレーゲンスブルクの街の始まりです。

しかし植民地はゲルマン民族の襲来で、全滅させられてしまいます。ローマ帝国は蛮族の成敗に軍隊を派遣して、制圧。

さらなる襲来にそなえて175年、ローマ皇帝のマーク アウレリウスの命令でローマ帝国の駐屯地が築かれます。

駐屯地 Castra Regina

その駐屯地は”Castra Regina”(レギーナ河畔の駐屯地)と呼ばれ、第三旅団の司令部が置かれます。

ゲルマン人の襲撃に耐えれるように、ローマ人は駐屯地を10mもの高い石壁で囲います。最盛期には6000人もの歩兵が駐屯していた、軍事拠点でした。

ドイツ国内のローマ帝国の植民地を統括する本部はアウグスブルクに置かれていたが、軍の主力は首都ではなく、ゲルマン民族の襲撃にさらされているレーゲンスブルクに駐屯していました。

ローマ人が築いた城壁の一部は、今でも遺跡として残っているので是非、目をこらして探してください。

【世界遺産都市】 レーゲンスブルク 観光名所を完全制覇!

名前の起源

5世紀にはゲルマン民族が大挙して襲来、多勢に無勢で駐屯地は放棄されます。

レーゲンスブルクを占領したゲルマン民族は”Castra Regina”なんて発音はできないので、”Regines Burg”(レーゲン河畔の城塞)と呼んだのが、名前の起源とされています。

交易の要所として栄える

ローマ帝国が崩壊すると、レーゲンスブルクはカール大帝のフランク王国の一部となります。

フランク王国が分裂するとオットー一世の東フランク王国の一部になります。この時代(10世紀)に、街は東フランク帝国の交易の要所として栄えだします。

西はパリ、南はベニス、東はキエフまで交易路が拡大した13世紀には、レーゲンスブルクはドイツで最も裕福かつ、最大の人口を持つ街に発展します。

今日まで旧市街に残っている歴史的建造物の多くは、この時代に建造されたものです。

石像の兵隊

レーゲンスブルク の衰退

交易で栄えた街だけに、レーゲンスブルクの衰退も交易の減少が原因です。

まずは交易ルートの移動で、街を訪れる商人が少なくなり、次第に経済に陰りが出始めます。

これをさらに加速させたのが、権力争い。町人の間で争っているとバイエルン公爵が軍を進めてきて、戦争に。

幸い、堅強な防壁で攻撃は撃退したが、バイエルン公爵は腹いせにレーゲンスブルクの生命線の交易路をブロック。これが効いた。

再び軍を進めてきたバイエルン公爵は、ワイン畑など街の収入源を破壊するも、今度も堅強な守りを破れずに講和条約に。戦争被害の修復で税金を上げると、街の経済力は疲労しきってしまった。

チェコで戦争が起きると大事な交易路が遮断され、商人やお金持ちは他の街、とりわけ織物の交易で栄えているニュルンベルクアウグスブルクに移っていった。

ユダヤ人迫害 ⇒ 破産

トルコの快進撃で南の交易路も失うと、レーゲンスブルクは存続の危機に陥ります。

危機的な状況に陥ると、すべての責任を負わせるスケープゴートが必要になるもの。住人は衰退をユダヤ人のせいにして、迫害を始める。

このユダヤ人の迫害が神聖ローマ帝国の怒りを買い、高額な罰金を課される。街はこれを払えずに遂に破産。ここでバイエルン公爵が救世主として登場、武力ではなく、財力で街の評議会を説得。

15世紀にレーゲンスブルクはバイエルン公爵領となる。もっともその後すぐにハープスブルク家の圧力で、再び自由都市になる。

30年戦争

レーゲンスブルク、神聖ローマ帝国の自由都市になる前は、独立したカトリック宗教国でした。

宗教改革が起こると、市民は圧政をひいていたカトリック教会に愛想を尽かし、早くからプロテスタントを支持します。しかし表面上はカトリック教の街でした。

30年戦争では当初、プロテスタント派のスウエーデン軍によって占領されます。お膝元でそんな暴挙を許せないカトリック派のバイエルン軍が反撃に出て、レーゲンスブルクを奪還します。

工業化で活況を取り戻す

スペイン王位継承戦争でもレーゲンスブルクは再び戦争の舞台に。

フランス側についたバイエルン選帝侯が進軍してきたのだ。レーゲンスブルクはさっさと降伏して被害を逃れるが、フランス革命ではロシア軍、次いでは反撃に出たナポレオン軍が駐屯、その重圧で街は経済破綻する。

街がかっての栄華を取り戻すのは、19世紀になって工業化が進んでから。

レーゲンスブルクの人口は19世紀に3倍になったが、同時期、ミュンヘンニュルンベルクは人口が10倍、ライバルのアウグスブルクでさえ、人口が4倍になっている。

工業化で活況は取り戻したものの、かっての栄華を取り戻すには至らなかった。しかしそのお陰で、旧市街地区には古い建造物の多くが残っており、今ではこれが街の資産になっています。

【世界遺産都市】 レーゲンスブルク 観光名所を完全制覇!

店舗の入り口に描かれた壁画

街自体が史跡なので、旧市街をあてもなく歩いても、すぐに史跡にぶつかります。あとはそこに書かれている史跡の説明を読めばいいので、観光ガイドを節約できます。

とはいっても現地で英語(あるいはドイツ語)の解説を読むのはしんどい。そこでレーゲンスブルクの有名な観光場所を詳しく日本語で解説しておきます。

こちらのサイトを読んでレーゲンスブルクの観光名所を把握してからに行けば、ほぼ1日で完全制覇できます。朝から歩き始め、郊外のヴァルハラとドナウ下りを除けば、

まずは絵葉書やホームページで繰り返し使われている、ドナウ川に架かる橋と城門、それにカテドラルが織りなす美しい光景から見ていきましょう。

ドイツ最古の石橋 / Steinerne Brücke

レーゲンスブルク ドナウ河にかかる石橋

レーゲンスブルクはドナウ川の辺に築かれた街。

防御には適していますが、商人にとっては商品の運搬が大変でした。橋をかければいいのですが、ドナウ河の水量に阻まれて、石橋を作るのは不可能でした。

ところが1135年の夏、日照りが続き河の水位がかってないほどまでに沈みます。

「今がチャンス!」

とばかりに橋の建設が始まります。11年後に完成した医師場所は、ドイツ最古の石橋 / steinere Brücke と呼ばれています。

上流のウルムと下流のウイーンの間では、ドナウ河にかけられた唯一の橋で、12世紀に最先端の技術を駆使して建造された石橋だ。

公式にはヴュルツブルクではなく、レーゲンスブルクの石橋がドイツ最古の石橋とされている。以来900年に渡って、ドナウ河の3つの支流を一か所で超える橋は、ここだけでした。

いい写真を撮るには、逆光を避けて朝一番(9時前に!)、あるいは午後16時以降(夏)に中州から撮るのがベストです。私は朝の6時に起きて、撮影機材を抱えて撮影に行ってきました!

小さな石の男 / Bruckmandl

小さな男の石像

橋の一番高い所に、小さな石の男 /”Bruckmandl “が建っている。その正確な由来は伝えられていない。

言い伝えではレーゲンスブルクの石橋を建設するマイスターが、巨大なドームを建設しているマイスターと、

「どっちが先に完成するか」

と賭けをした。

石像は右手で日差しを遮って、ドームの方向を注視しているので、

「ドームがまだ完成していないか、心配してドームを仰ぎ観ているマイスターの姿」だと言われている。ちなみに賭けには、勝ったそうです。

レーゲンスブルクの入り口 – ブリュック門 / Brücktor

レーゲンスブルク 石橋の袂に建つ城門と倉庫

街が城壁で囲まれていた18世紀までは、塔の下にある小さな門がレーゲンスブルクへの入り口でした。19世紀になると近代化に伴い、城壁が取り壊されます。

塔だけは残されましたが、門が小さくて車も電車も通らない!

そこで門の横に新しい大きなブリュック門 / Brücktor(橋の門という意味。ヴァッサーブルクの門と同じ名前です。)を設け、電車がこの門を通って石橋を渡れるようにしました。

そうなんです、昔は石橋の上を自動車や電車が走っていたんです!橋へ負荷がかかり老朽化するので、戦後、橋は歩行者専用道路になりました。

塩の倉庫 / Salzstadel

レーゲンスブルク 城門と倉庫

ブリュック門に併設している(向かって左の)建物は、塩の倉庫 / Salzstadel です。

中世の頃、塩は貴重品。南の岩塩鉱で採掘した塩をレーゲンスブルクに運ぶ込む前に、税金を払わなくてはなりません。そこでこの場所に倉庫を建てて、関税を払うまで塩を保管していました。

皆まで言えば、ここには艀から荷物を倉庫に運ぶクレーンもあり、まさに波止場そのものでした。

今では倉庫はお土産屋、レーゲンスブルクの資料館になっています。

資料館には無料トイレもあるので近くを通ったら是非、「用を足して」次の観光名所に行きましょう。

ドイツ最古のソーセージ屋 / Wurstkuchl

レーゲンスブルク ソーセージ屋

レーゲンスブルクの石橋を渡って左に行くと、すぐ先に見えてくるのがドイツ最古のソーセージ屋 / Wurstkuchl です。

石橋を建設する労働者に飯を提供する目的で、橋の袂にソーセージ屋が設置されました。水位が増すとすぐに水没してしまうこの場所は、他に使い道もなかったので、このソーセージ屋は今でも残っています!

当時、労働者に食されたソーセージを提供しています。もっともレーゲンスブルクの観光名所になり過ぎて、昼には座る居場所がない大盛況。

これに加えてソーセージと酸っぱ~いキャベツの小さな皿+水で13ユーロという立派なお値段。

「旨い!」

というものでもないので、無理して食べる必要はありません。

ソーセージ

ヴィーダーファンク井戸 / Wiederfangbrunnen

ヴィーダーファンク井戸

石橋を渡ってから、すぐ右に曲がると見えているのが、ヴィーダーファンクブルネン / Wiederfangbrunnen と、中世の頃から残されている石壁。

井戸はレーゲンスブルク市民の飲み水を確保する目的で、17世紀に掘られました。1906年に大幅に大修理。戦争の被害を受けたので、1948年に再度修理されて今日に至ってます。

後ろの石壁の由来は不明。かっては民家でしたが、今回行くと☆☆ホテルになってました。レーゲンスブルクは観光客が多いので。今でもホテルが増殖中。

名物壁画 ゴリアトハウス / Goliathhaus

ゴリアトハウスの壁画

石橋から直進すると、目前に大きな名物壁画 ゴリアトハウス / Goliathhaus が見えてきます。

12世紀にここに宿があり、ゴリアーデン / Goliarden と呼ばれる官僚を目指す学士が泊まって職探しをしていました。これが原因でこの宿は、ゴリアトハウス という異名が付きました。

そして16世紀には聖書に載っている”David vs. Goliath”の逸話が壁に描かれたという、勘違いなお話だ。

ちなみにこの壁画の向かいの建物はレーゲンスブルク一の高級(☆☆☆☆)ホテル。

 石炭市場 / Kohlenmarkt

石炭市場のカフェと家屋

壁画の前を右に行くと、石炭市場 / Kohlenmarkt という場所に出る。

広場というほどでないですが、ご覧の通り小さな商いができる程度の場所があります。名前の通りかって石炭を売っていた場所。今日では小さな噴水と、ルネッサンス様式の建築物に囲まれたレストランが並ぶ市民の憩いの場。

この広場にはレーゲンスブルクの観光名所も多いので、素通りしないように。

金の塔 / Goldener Turm

カラフルな家屋と高い塔

石炭市場は三差路になっており、右側から交差しているのがヴァーレン通り。

石炭市場からヴァーレン通りに100mほど入った場所に、高い塔が街中にぽつりと建っている。これは金の塔 / Goldener Turm と呼ばれるもので、なんと50mもの高さ。レーゲンスブルクの真ん中にあるので見張り塔ではありません。

お金持ちは高級車や高級品を買って、みせびらかしますよね。中世には車もグッチのバックもないので、財力(権力)を見せ付けるために、塔を建造させたんです。お金持ちのすることはわからんな~。

この塔が建造されたのは13世紀建造で、と~っても古い。

ドイツ最古のカフェ プリンツェス / Café Prinzess

この石炭市場にドイツで最古のカフェもあります。

場所は下で紹介する旧国会の斜め向かい。名前はカフェ プリンツェス / Cafè Prinzess 。日本語に直すなら、王女様のカフェ。

オープンしたのは1686年。一説では1683年のオスマントルコによるウイーン包囲の後、退却したトルコ軍が大量に残していったコーヒーが、欧州で大流行。

欧州で最初のカフェはウイーンで開店、ドイツ最初のカフェはレーゲンスブルクにて開店、それがカフェ プリンツェスの始まりです。

かっては諸侯がここでコーヒーを飲んでいました。ドイツでもカフェに付き物は、菓子とケーキ類。お値段はお安くはありませんが、レーゲンスブルクまで行ったなら、一度試してください。

ホームページも紹介しておきますが、10年以上前の古いデザインなので、商品の写真もなし!

参照 :カフェ プリンツエス

スペインの海軍提督 ドンフアン銅像  Don Juan

ドンフアン銅像

ここから見える時計台の右手には、スペインの海軍提督の ドン フアン / Don Juan の銅像が建っている。

ここで質問。

海の無いレーゲンスブルクで、しかもスペイン海軍提督の銅像が、何故こんな辺鄙な場所建っているのだろう?これを知っている人は、街の住人だけ。

秘密を明かすと神聖ローマ帝国、およびスペイン皇帝のカール5世が街に滞在中、町の娘に一目ぼれ。

「お殿様、いけませぬ。」

となり、この情事から生まれたのが Johann Hieronymus だ。もっともお殿様は、子供が生まれると知らん振り。

4歳のときにスペインに引き取られて教育を受ける。お殿様は遺書で始めて子供がいることを告白、王位を継いだフィリップ2世の計らいで、ドン フアンとしてオーストリアの宮廷入り。

その後、押し寄せるトルコ海軍を迎撃するため、仲の悪いベニスとスペインが同盟を結び、神聖軍 /”Heiligen Liga”を結成。211隻を擁する連合軍の提督に指名されたのが、わずか24歳の ドン フアン だ。

フアンは260隻もの軍艦を擁するトルコ海軍をイオニア海戦で破り英雄になる。

そこでフアン出世の地では町の有名人を誇りに思い、生家の近くに銅像を立てた。以来、何も知らない人が来ると、

「彼はスペイン人じゃなくて、レーゲンスブルクの人間だよ。」

と、自慢話を聞かされる羽目になった。

レーゲンスブルク 旧市役所 / altes Rathaus & 時計塔

レーゲンスブルク 旧市役所と時計塔

石炭市場の端っこに、レーゲンスブルク旧市役所 / altes  Rathaus と時計塔があります。

この市役所が建設されたのは、なんと13世紀です。もっとも市役所として建設されたのではなく、お金持ちが御殿として建造させたもの。

市役所の塔は55もの高さがありますが、14世紀に火事で焼け落ちたので、14世紀に再建されました。

 旧帝国議会場 / Reichssaalgebäude

旧国会議事堂

時計塔の周辺は、中世の頃のレーゲンスブルクの権力の中心部。

旧市役所の向いには、旧帝国議会場 / Reichssaalgebäude があります。

16~17世紀に神聖ローマ帝国の国会がここで開催されました。折角だから、石の階段を上って中も見物していこう。階段の入り口では石の兵隊が、おかしな輩が入ってこないように階段の上から見張っている。

踊り場にあるステンドグラスが綺麗です。肝心の国会議場は有料(7,50ユーロ)、それも決まった時間にしか入れないというので、ここで撤退。

レーゲンスブルク ハイド広場 / Haidplatz

ハイド広場を囲む古い家屋群

この先がレーゲンスブルク旧市街の中心部にあるハイド広場 /Haidplatz です。

ローマ兵が駐屯していた頃、ここは駐屯地の外の原っぱで、草が生えていた。そこで野原を意味するハイド広場と呼ばれるようになったんです。簡単ですね~。

ちなみに今のドイツ語なら”Heide”(野原)ですが、十分に想像できます。

十分なスペースがあったので、中世(13世紀以降)、レーゲンスブルクを代表する建造物が建造されます。

金の十字架 / Goldenes Kreuz

ギザギザの屋根をした大きな建物

ハイド広場で最も目をひく建造物の一つが、まるで城砦のような金の十字架 / Goldenes Kreuz です。

建造されたのは13世紀。レーゲンスブルクの有名人(権力者)がその富と権力を見せつけるために建造。その後、代々、引き継がれてきた。16世紀から宿として使用され、国王や皇帝が宿泊してきた由緒ある宿だ。

今でも(一部)ホテルとして利用されている。日本で言えば鹿苑寺金閣か、それよりもさらに古い歴史的建造物だ。

正義の女神噴水 / Justitiabrunnen

正義の女神噴水

広場の中心部には、石造りの正義の女神噴水 / Justitiabrunnen がある。

レーゲンスブルク住民に飲み水を供給する目的で17世紀に建造されたもの。この正義の女神像というのは、多くの都市にある。もっともこのように古いものは珍しいが。

普通、正義の女神というと、目隠しをされて天秤を差し上げているもの。だがこの女神はもっと直接的で、天秤の変わりに剣をふりかざしている。

「悪さをするとブッスリ行きますよ!」

とでも言ってるようだ。像ができた時代を象徴していて面白い。

新計測所 / Neue Waag

新計測所の真っ赤な建物

女神像の後ろにある真っ赤な建物は、13世紀にお金持ちがその権力を誇示するために建てた家 。

これを後にレーゲンスブルク市が買い取り、街で売買される品物の重さを公式に図る計測所が置かれたので、新計測所 / Neue Waag と呼ばれています。

今日では行政裁判所として使用されている。

トーン ディートマー宮殿 / Thon-Dittmer-Palais

トーン ディトマー宮殿

新計測所の左(見る方向によりますけどね)にある宮殿のような大きな建物は、トーン ディートマー宮殿 / Thon-Dittmer-Palais という、本当の宮殿です。

かってここには二棟の立派な建物がありました。大富豪の商人、トーン ディートマーが両方買い取って、ひとつの宮殿に改築しました。最初の工事は18世紀末に、最後の手直しは19世紀初頭に。

このため、実際には古い建物なんですが、19世紀に流行ったゴシック式なので、比較的新しく見えます。

レーゲンスブルク市がこの宮殿を遺族から買い上げて、教育と文化施設にするはずだったのですが、学校、図書館、最後には消防団が入るなどして、内部はボロボロに。

取り壊しを寸前で逃れて、大金をかけてレノベーション。今日ではレーゲンスブルクでの催し物の会場として使われています。

アルヌルフス広場 /Arnulfsplatz

アルヌルフス広場に経つ瀟洒な家屋群

ハイド広場から150mほど直進すると、街の西端に位置するアルヌルフス広場 / Arnulfsplatz が見えてくる。

ここはかっては城壁の外にあった場所で、ローマ帝国の植民地だった頃から、アウグスブルクからレーゲンスブルクを通って、オーストリアまで続く交易路が伸びていた。

中世の頃は倉庫街、そして処刑場でもあった。19世紀末、自転車の販売でお金持ちになったユダヤ人がここに土地を買い、立派な屋敷を建てたことから、横には劇場もあったので、上流階級が交流する場所となった。

今日ではバスの駅になっており、路面電車が走っていないレーゲンスブルクでは、交通の要所のひとつ。

レーゲンスブルク 市民、市の怠慢に激怒す!

レーゲンスブルクは2005年、

「アルヌルフス広場をもっと近代化しよう!」と

25万ユーロもの賞金を設けて、建築家から改造案を募集。

最優秀賞に選ばれた案に沿って改造しようとすると、ドイツ特有の長いバスが通行できないことが判明。お金を無駄に使った挙句、工事は中止。市民から非難轟轟だった。

新主要教会 / Neupfarrkirche

新主要教会

次はドームを見に行こう。

途中に新主要教会/ Neupfarrkirche が見えてくる。教会の前に噴水があり(現在は噴水はなくなりました。)、夏は子供が遊んでいる。

てっきり子供の遊び場と思ってたら、この地域はかってのユダヤ地区で、シナゴークが建っていた場所だ。

レーゲンスブルク の暗い歴史

16世紀にユダヤ人を保護していた皇帝が死去すると、町の牧師が先頭になってユダヤ人の迫害を開始します。

殺されなかったユダヤ人はレーゲンスブルクから追い出され、家屋とシナゴークは焼き払われます。

当時はお遍路さん / “Wallfahrt” が大流行。街や教会にとっては、まさに金の生る木。レーゲンスブルクのカトリック教会も空いた土地に盛大なカトリック教会を建てる予定だったが、急に流行が下火になり教会の建設は途中で中止。

そのうちに宗教改革が起こり、建設途中の教会は福音派(プロテスタント)教会に移行して、19世紀中ごろになって建設を終了させます。

レーゲンスブルク  聖ペータードーム / Dom St.Peter

レーゲンスブルク 聖ペータードーム

カトリック教会の権力を誇示するのがレーゲンスブルクの象徴 聖ペータードーム / Dom. St. Peter だ。

7世紀に建築が始まり、何度か焼けて再建されて、やっと19世紀に完成した代物。近くでみると、とてつもなく大きい。このドームは、ケルン大聖堂に次ぐ高さ(150m)を誇っている。

ケルンの大聖堂同様に、こちらも鮮やかなステンドグラスが有名。見事な装飾があり、全部紹介したいのですが、それが紙面の限界でできないのが残念。

横に回ったら屋根の下にあるいろんな石像に注目!巨大な屋根に降った雨が、この石像の口から流れ出るようになっています。雨の日に来てしまったら、これを見るのをお忘れなく。

教会内部の燃えるろうそくとマリア像

レーゲンスブルク ドーム広場 / Domplatz

レーゲンスブルク ドーム前広場と古い家屋

レーゲンスブルクドーム広場 / Domplatzは、とてもきれいな場所。

古風な家屋がカラフルな色に塗られており、ドーム目当ての観光客を狙ってカフエ & レストランの密集地。

どこから撮ったら、一番綺麗に撮れるかな?

と苦節すること3年、ドームの入り口から撮った写真が一番いい事を発見!レーゲンスブルクを訪問される方は、是非、真似してください。

ローマ塔 / Römerturm

ローマ塔

ここまで来たら、ドームの後ろも忘れずチェック。

ここは観光客が滅多にやってこないレーゲンスブルクの裏町。ここにぶっとい石作りの塔がある。サイズは14m x 14m x 28m 。その名はローマ塔 / Römerturm

4mもの厚い壁に囲まれて、入り口は地上9mの渡り橋だけ。かっては人も住んでいたのだが、主に金庫として使用された。横には17世紀に建造された修道院も建っている。

駐屯地の正門 ポルタ プレトリア / Porta Praetoria

駐屯地の正門 ポルタ プレトリア

ドームの近くに、ローマ兵が駐屯していた駐屯地の正門 ポルタ プレトリア / Porta Praetoria が残っている。

なんと2000年も前の建造物だ。アルプスの北側で残っているローマ帝国の門は、トリアーの黒い門とレーゲンスブルクだけ。

ポルタ プレトリア再発見!

ローマ兵はとっくの昔に姿を消した後も、レーゲンスブルクは発展を続けます。

道路が新しく設置されると、街の入り口だったこの門の意味が失われます。石門に使われていた石材は、他の建造物に流用され、最後には17世紀にこの場所に修道院がビール工場を建てると跡かたなく消えます。

立派な石門があったことさえ市民の記憶からもすっかり消えていた19世紀の終わり、ビール工場の取り壊しが始まった。すると大きな石材がゴロゴロ出てきて、

「これは何だ?」

と大騒動。

「書簡に記述されている駐屯地の門じゃないか。」

説が有力で、長い年月をかけて発掘、修復。

最後の修復作業は2017年に終わり、かっての立派な駐屯地門の面影をうかがわせてくれる。

ドナウ河対岸 宮廷の街 / Stadtamhof

レーゲンスブルク 宮廷の街 Stadtamhof

石橋の向こう岸は、ドナウ河対岸 宮廷の街 /”Stadtamhof”という地区。

地区の名前は、”Stadt am Hof”(宮廷の街)から派生。かっては

「レーゲンスブルクの前の町」

と呼ばれていた。

宮廷の街の歴史

今でこそレーゲンスブルクの一部だが、この「宮廷の街」は長くバイエルン公爵領だった。これが街にとっては目の上のたんこぶ。宿敵の領土が城壁のすぐ外にあるので、防衛上好ましくない。

そこで何度かこの地区を併合しようと画策したが、成功したのは短期間だけ。

30年戦争時、スエーデン軍はまずはここを占領、それから街を陥落させた。その後、バイエルン軍の反撃に備えてこの地区を要塞化した。

予想通り反撃にやってきたバイエルン軍とスエーデン軍の間で激戦が交わされ、この地区は壊滅したがバイエルン軍は奪還に成功する。

今では壊された建造物は見事に再建され、この地区もユネスコから世界遺産都市に指定されている。

時間が残っていれば、是非、歩いてみてください。観光客の少ない現地人の憩いの場です。入り口の石門は今日では使われていないが、かっての歴史を物語っている。

第一次大戦後、

「こんな小さな集落だけでで独立していても意味がない。」

と、この地区はレーゲンスブルクに合併されました。

ドナウ川で観光船に乗って景色をのんびりと楽しむ!

ドナウ河に浮かぶ観覧船

ドイツ観光と言えば、ライン川、ライン下りを想像される方が多いですが、ドナウ川で観光船に乗って景色をのんびりと楽しむことができます。

いろいろなコースがありますが、一番の人気はヴァルハラ宮殿までのコース。レーゲンスブルクを出発して、およそ40分で到着します。

その後、徒歩で15分ほどで宮殿に到着。入場料は船の乗船料に含まれていないので、現地で別途払う必要がありますが、天気のいい日にはとっても気分がいいです。

観覧船のチケットは大人の往復チケットで14.80ユーロ。食事などは付いていないので、食べ物を持参するか船のレストランで食事をとることもできます。

新婚旅行やデートで利用されたい方には、週末の夕食ビュッフェ付きのコースもあります。こちらのコースは49.50ユーロからで事前の予約が必要です。

参照 : donauschifffahrt.eu

レーゲンスブルク郊外 – ヴァルハラ 宮殿

ここまで来たら、レーゲンスブルク郊外 – ヴァルハラ宮殿 に言ってみよう。

ドイツ人の伊勢神宮であるこの宮殿は、ドイツ人の民族意識高揚の為、バイエルン王国のルートビヒ1世によって建設された。 建物の内部にはゲルマン民族の神話に登場する人物の彫刻が数多く展覧されている。

神話なんかに興味は無くても、神殿から見下ろすドナウ河の眺めは素晴らしいので、是非、一度は見ておこう。

ヴァルハラ宮殿 観光情報

  • 正式名称 : Walhalla
  • 住所 : Walhallastraße 48, 93093 Donaustauf
  • 地図 : ヴァルハラ宮殿
  • 公式ホームページ : schloesser.bayern.de
  • 営業時間(夏)9時~18時
  • 入場料 : 4.50ユーロ

生活と物価

最後に生活と物価を見ておきましょう。

ミュンヘンから東は家賃が安い。」

と言われている通り、レーゲンスブルクまで来ると物価、とりわけ家賃が安くなります。

アウグスブルクはミュンヘンへ通勤圏内にあるので家賃の上昇が止まりませんが、この街ならミュンヘンによる波状効果は薄い。お陰で大都市と比べると、物価は安いです。

現在の街の人口は14万人。レーゲンスブルク大学生だけで1万6千人を占めます。

日本企業では東芝、ドイツ企業では半導体でドイツの最大のインフィニオン、ジーメンス、BMW、コンチネンタルなど、名だたる大企業が工場を持っているので景気がよく、部屋探しは結構大変だ。

でも街は綺麗だし、物価は大都市に比べれば安く、治安も良く、ドイツ留学するには理想的な街のひとつです。

レーゲンスブルク に留学

この風光明媚なレーゲンスブルクに留学するなら、ドイツ語専門の語学学校、”Horizonte“があります。

学校に併設される学生寮が人気です。朝が苦手な方でも通学に2分しかかからないので、助かります。学校とは屋根続きなので、雨の日、寒い日でも外に出る必要なし!他の街だったら必要な定期券も節約できます。

生徒の国籍も何処かの国に偏ることがなく、学校は国際色にあふれる学校です。

一度、この街に留学すると、皆さん、他の街にいきたくなるものうなずけます。日本食のインフラは(少)ないので、留学する際は、鞄にカレーのルーを入れて持っていくと、重宝します!

レーゲンスブルク名物 巨大なピッツア /”Pizza”

レーゲンスブルク 特大ピザ

誰が最初に始めたのか不明ですが、レーゲンスブルク名物は巨大なピッツア /”Pizza”です。

直径30cmあります。何処で食べても同じ大きさ。でもお勧めはオステリア レーゲンスブルク。でかくておいしい、その上、お手頃価格。ソーセージよりこちらおほうがおいしくて安い!

場所は有名な石橋から旧市街の方向に向かい、ゴリアテの壁画が見えたら右折して25mほど。かっての監視塔の横にあります。地図のリンクを貼っておきます。

 

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