ドイツでは ヴュルツブルク の街は、知らない人はいない有名な観光地です。
ヴュルツブルク宮殿は世界遺産に指名されており、マリエンブルク要塞と石橋は街の代名詞。

「ドイツ滞在中、一度は見ておきたい。」
と思いながら、なかなか訪問することができませんでした。アウグスブルクの自宅から車で3時間もかかるんです。

今回、重い腰をあげて撮影に行ってきました!

街の紹介 ヴュルツブルク

この街はバイエルン州の端っこ、それも左肩の部分にあります。地勢上は北フランケン / Unterfranken と呼ばれる地方にあり、この地方に住んでいるのはバイエルン人ではなく、フランケン人です。 街の中心を流れているのはマイン川。

人口は13万人の手前で足踏み状態。街の最大の雇用主はヴュルツブルク大学で、なんと3万人近い大学生が在籍しています。

ここに街が築かれたのは、マイン河の辺にある小山に城塞が築かれたのがきっかけです。ここに城を構えれば、河を使った貿易を支配して、周辺地域を支配できます。ヴュルツブルクは城塞都市として発展を遂げましたが、街を支配していたのは公爵や王様でなく、司教でした。

どうやって行くの?

ヴュルツブルクの最寄り空港は、ドイツの空の玄関口であるフランクフルト空港です。最寄り空港とは言っても、フランクフルト空港から電車でたっぷり1時間30分。これが原因で、なかなか観光客が来てくれない。

「1時間も電車に乗るなら、ハイデルベルクに行くわ。」というのが大方の観光客の意見です。でもお陰で観光客は少ないし、ちょうどローテンブルクに向かう途上にあるので、是非、組み合わせもらいたい。

南のアウグスブルクから向かうと、ローテンブルク、それにマルクトブライトの町を経由して、車でも電車でも3時間の距離(260km)にある。

街の歴史

ヴュルツブルクの街が始めて書簡に登場するのは、8世紀になってから。地質学者が山の上の要塞をヴィルテブル /„Virteburh“と記述している。これが街の語源にもなったようだ。

発掘調査では現在のマリエンベルク要塞の近辺から、先住民族ケルト人の居住跡が見つかっており、紀元前1000年以上も前から入植されていたと推測されている。

街が栄え始めたのは、8世紀に大司祭がここにその居を構えてから。フランク王国の王様がその司教領に関税を課す権利、市場を開く権利、それに硬貨を鋳造する権利を与えると、司教領は経済的に発展していきます。

イギリスの北に12の島からなる、デンマーク領の小さな集落があります。この集落からヴュルツブルクで鋳造された銀貨が見つかっているので、ヴュルツブルクは交易でかなり栄えていたようだ。

ヴュルツブルク 観光 - 要塞から見下ろす町の景色は絶景!

ヴュルツブルク司祭領国

12世紀になるとドイツ最古の貴族シュタウファー家の王様であるバルバロッサが、この街で(二度目の)結婚式を挙げ、ヴュルツブルクで国会まで開かれている。その後、バルバロッサは司教に、公爵の称号を与える。

これによりヴュルツブルクは、司教様が公爵のように支配する司教領国となる。

中世

15世紀初頭に、現在のヴュルツブルク大学の前身になる高等学校が設置されます。これを大学と見なせば、ヴュルツブルク大学は、バイエルン州では最も長い歴史を誇る大学です

16世紀になるとマルチンルターの宗教改革が、この地にも影響を及ぼします。司教公爵はカトリック司祭なので、この宗教改革には大反対。そこで領内で権力を脅かす改革派を弾圧すると、魔女裁判を奨励して、260人もの市民が処刑されます。

そうかと思えば忠実な住民の為に病院を建て、ついで大学を組織し直します。最後には”Festung Marienberg”(マリエンベルク要塞)を司教様の居住に適したバロック様式城に改築されます。

バイエルン領に

30年戦争時(17世紀)カトリック色が強かったヴュルツブルクは、プロテスタント軍のスウエーデンに占領されます。戦争終了後、「今度は占領されないぞ。」と城壁の強化が始まり、現在の姿になりました。

もっともその後は、直接、戦争の被害に遭うことはありませんでした。お陰でハイデルベルクのような廃墟ではなく、完璧に保存された要塞が残ることになりました。

ナポレオン戦争により司教領国は廃止され、バイエルン王国領、ファルツ領、ヴルテンベルク伯爵領と国籍を何度も変えます。ナポレオン戦争後、ヴュルツブルクはバイエルン州に帰属することになり、今日に至っています。

ヴュルツブルク 観光 – 要塞から見下ろす町の景色は絶景!

街は15~16世紀の建造物が多く残る見事な旧市街を誇り、「中部ヨーロッパではヴュルツブルクかクラカウ。」と言われるほどでした。第二次大戦でも大きな空爆を受けず、そのまま終戦を迎えると思われていました。

戦況はすでに決定していた1945年3月16日、イギリス空軍はドイツが降伏する前に仕返しの空爆を行います。わずか20分ほどの空爆でしたが、英国空軍は2トンもの樽爆弾に加えて多くの焼夷弾を投下、旧市街の90%が破壊され、4000~5000人がなくなりました。

戦後、旧市街の幾つかの建造物は再建されましたが、多くの手の込んだ装飾を施された家屋までは再建が及ばず、古い建物と新しい建物が並んでいます。ちょうど第二次大戦の空爆で同じように大きな被害を受けた、ニュンベルクのような感じです。

ヴュルツブルク観光の見所

ヴュルツブルク観光の最大の見所は「ドイツ最古の石橋」、マリエンベルク要塞、それにユネスコから世界遺産に指定された司教様の宮殿 “Residenz”です

絵葉書のモチーフになっている石橋と要塞を組み合わせた写真、それに要塞から見下ろすヴルツブルクの旧市街は、太陽の関係で午後/夕方に撮るのが最適。そこで午前中は”Residenz”に向い、ゆっくりと見事な庭園を堪能してください。

ドーム / Dom

まずは街で一番高い建造物から始めます。市内中心部に立っているこの見事な建物は、ドーム / Dom と呼ばれる街を代表するカトリック教会です。建設されたのは11世紀で、尖塔の高さは105m。キリスト教の布教活動をした聖人を祭っている。

ヴュルツブルクが司教領国だった当時は、司祭様がここで政治を行う権力の中心地でした。これを知らしめるべく、教会は街のど真ん中。

右も左も隙間なく建造物で埋まっているので、街の主要通りを歩いていると、否応でもこの教会に辿り着くようになっています。

ヴュルツブルク ドーム

入場料はないので、ここまで来たら内部を覗いてみましょう。司教領国当時の司教の屍がここに葬られています。

入り口付近には何故か、その理由はわかりませんがユダヤ教の象徴であるろうそく立てが飾られていました。

ドーム / Dom 内部

ヴュルツブルク宮殿

このドームの裏山に、ユネスコから世界遺産に指定されているレジデンツがある。とは言っても観光客には行き方がわかないので、歩き回って道に迷う前に原住民に、「レジデンツは?」と聞きましょう。親切に教えてもらえます。

レジデンツとはその地方の権力者の宮殿です。ミュンヘンではバイエルンの王様の宮殿を指し、アウグスブルク、バンベルク、それにここヴュルツブルクでは、司教様の宮殿を指します。建造されたのは司教領国時代の18世紀。

第二次大戦でも被害を受けましたが、街を占領した米軍から派遣された「モニュメント保存チーム」が穴の開いた屋根にシートをかけるなどして、壁画などが傷ないように保護。その後、宮殿をすっかり仮設の屋根で覆いました。

お陰で貴重な文化財が救われました。1987年に改修が終わり、司教様が住んでした姿を閲覧することができます。が、屋内は撮影禁止です。

参照 : Bayerische Verwaltung der staatlichen Schlösser, Gärten und Seen

ヴュルツブルク宮殿

グラーフェンエカート / Grafeneckart

ドームの近くにあり見事な塔で教会のように見える建物は、実は市役所(の一部)です。13世紀、市民は町を治める議員を選出、その議員が集まって評議会を開いたのがこの建物で、グラーフェンエカート /”Grafeneckart”と呼ばれています。

建造された正確な年代は不明。「12世紀にはすでに建ってた。」というので、ヴルツブルクでも最古の建造物のひとつです。

グラーフェンエカート / Grafeneckart

 

マリア礼拝堂 / Marienkapelle

グラーフェンエカートの後ろには市場があります。ここに真っ赤な教会が建っています。大きな建物なので教会かと思ってしまったのは、マリア礼拝堂。このマリア礼拝堂の建立の歴史は、街のもっとも暗い時代の遺産です。

14世紀、ヴュルツブルクでもペストが流行。すると迷信深い当時の人は、「ユダヤ人が井戸に毒を入れた。」とのフェイクニュースを飲み込み、ユダヤ人の殺害、追放、そしてシナゴークが焼き払われます。焼き払ったシナゴークの跡地に建設されたのが、マリア礼拝堂です。

この礼拝堂を見ると、ちぐはくした感じがぬぐえません。それもそのはずで、建物の北側にだけ、70mの尖塔が建っています。その先頭にマリアの黄金像があります。実はこの塔は、礼拝堂の建設計画には入っていませんでした。

礼拝堂の完成後、15世紀になったから尖塔が付け加えられました。なんでも礼拝堂として建てたものの、教会として利用されることになったので、「教会なら尖塔が要る。」と増築になったそうです。お陰でバランスが悪く、ちぐはくした感じを受けます。

マリア礼拝堂 / Marienkapelle

鷹の家 / Falkenhaus

マリア礼拝堂の横にある装飾の見事な家は、通称、鷹の家 / Falkenhaus です。元々はドームで働く牧師の住処だったのですが、17世紀にマイスナーという人物が購入して、レストラン兼宿屋として経営。主の死後、未亡人がロココ調の装飾を施しました。

通常だったら、マイスナーの家という名前が付いた筈ですが、鷹の彫刻のお陰でこの名前になりました。

第二次大戦の空爆で破壊されましたが、戦前に撮られた写真を参考に再建されました。今はツーリストインフォと街の図書館が入っています。

鷹の家 / Falkenhaus

ノイミュンスター / Neumünster

順番が逆になりましたが、市役所のグラーフェンエカートから、市場に向かう途上に、またしても立派な教会があります。流石、カトリック教の本山です。こちらの教会はノイミュンスター /Neumünster と呼ばれる教会です。

日本人にとってキリスト教と言えば、カトリックとプロテスタント。歴史が好きな人なら、これにロシア/ギリシャ正教が加わりますが、日本の仏教のように実は多くの宗派 / Stift があります。

そのひとつがノイミュンスター教団で、キリスト教の普及に貢献した人物を聖人としてあがめています。その教団の本部として18世紀に建造されのが、この教会です。

ノイミュンスター / Neumünster

ドイツ最古の石橋?

ヴュルツブルガー(ヴュルツブルクの住人)は、「ドイツ最古の石橋」と呼んで大きな誇りにしていますが、公にはレーゲンスブルクの石橋がドイツ最古の石橋となっています。理由はふたつ。まず最初は、ヴュルツブルクの橋が建造された年を証明する文書が残っていないこと。

前後関係から1120年前後に石橋が構築されたと推測されますが、如何せん、証拠がない。証拠があればレーゲンスブルクよりも20年古いです。第二の理由は、15世紀の洪水で破壊されたこと。

16世紀に再構築されたので、「最古の石橋とは言えない。」とレーゲンスブルガー(レーゲンスブルクの住人)。

ヴュルツブルク の石橋

ヴュルツブルクはワインの産地でもあるので、橋の袂でワインをグラスで販売しており、ドイツ人はすっかりご機嫌になっています。

マリエンベルク要塞

石橋を渡った先、商店街の後ろに要塞に登る階段が隠されています。現地人にその場所を聞くと、「おお、日本からわざわざヴュルツブルクに観光に来てくれた。」と勘違いして、とても丁寧に教えてもらえました。

階段は長いですが、ハイデルベルクのような短い階段式ではないので、上りやすいです。上に駐車場もあります。

マリエンベルク要塞の入場料は無料(博物館に入らなければ)です。敵の侵入を阻むため、要塞の中には城壁に囲まれ曲がりくねった通路があり、本丸に達するまでに3つも門があります。その門には見事な彫刻が施されています。

マリエンベルク要塞

かっての要塞だったこともあり、城の周りには城壁とお堀が巡らされています。こんな山の上にどうやってお堀の水を運んできたんでしょう。

15時以降に要塞から旧市街を見下ろすと、太陽が西に移動してほぼ背後に回っているので、綺麗な写真が撮れます。石橋、市役所、教会の塔が組み合わさった光景は、ハイデルベルクに勝るとも劣らず。一見の勝ち有りです。

石橋の袂から要塞を見上げる写真も、この時間帯がベスト。フランクフルトに到着すると、ローテンブルクに行く途上にあるので、是非、寄ってみてください。

マリエンブルク要塞

マリエンベルク要塞の歴史

ゲルマン民族の大移動でこの地方にやってきたフランケン族は、マイン河の辺にある100mほどの小山に住み着きます。ゲルマン民族がキリスト教化されると、この山の上にマリア教会を築いたので、この山は聖母マリア山 / マリエンベルク/ Marienberg と、呼ばれています。

8世紀に築かれたこのマリア教会は要塞の中に残っているので、是非、観てください。中庭にある屋根の丸い家屋がそれです。

13世紀になると城壁内には井戸が掘られ、監視塔が建設され、次第に立派な要塞へと変化していきます。要塞の主は司教様で、18世紀に宮殿が完成するまで、この要塞で住んでいました。

30年戦争後、要塞は12kmにも及ぶ頑強な城壁が加えられ、難攻不落の要塞となりました。実際、19世紀になってプロイセン軍は要塞を陥落させるべく、要塞に大砲を雨あられと浴びせます。

しかし要塞を守っていたバイエルン軍には、下界のプロイセン軍の陣地は丸見えです。正確な砲撃で反撃すると、さしものプロイセン軍も攻めあぐねて、翌日、講和条約を結びます。

これが地元民には大きな誇りで、「ハイデルベルクの城は陥落したが、ヴュルツブルクは不落だよ。」と威張っています。実際、その巨大な要塞の施設には圧倒されます。是非、ご覧あれ。

ヴュルツブルクでの生活と物価

もう10年以上の前からドイツの都市部は人口の流入が止まらず、家賃は上昇するだけではなく、住む場所を見つけることさえ、難しくなってきています。ところがヴュルツブルクは稀な例外で、人口は12万9000を超えることはなく、近年では少し人口が減っています。

お陰で市内の家賃はバイエルン州でも安めで、人口が倍以上あるアウグスブルクとほぼ同じです。

参照 : wohnungsboerse.net

ヴュルツブルク旧市街

人口が少ない街に住むネックのひとつが、公共交通機関網。通常、路面電車を走らせるには、人口が20万人以上必要です。人口が20万以下では、赤字操業になります。あるいはハイデルベルクのように、大量の観光客がやってくれば、話は別。

なのにヴュルツブルクは贅沢にも路面電車を走らせています!お陰で車がなくても、(そこそこ)快適に生活できます!

ヴュルツブルク市内電車網

« 1 2 »