バンベルク が綺麗な街とは知っていても、おいそれと観光に行くわけにいかない。
この街は交通の便の悪いローテンブルクよりも、さらに追加で電車で1時間の移動が必要です。
「行ったけど、天気がイマイチだった。」
なんて悲劇にならないように、じっと天候の回復を待っているともう9月!
ドイツは北にあるので9月になるとお日様が低く、建物に影がかかり、写真撮影は9月初旬までが限界。
週末の天気が悪そうなので仕事をお休みにして、平日にバンベルクまで撮影に行ってきました!(帰ってから残業は必至。😢)
目次
街の紹介 バンベルク
バンベルクの街は(ドイツでは)観光の目玉。
ドイツには日本のほぼ3倍、40を超える都市がユネスコから世界遺産都市に指定されている。
その中でもバイエルン州の北部、”Oberfranken“(オーバーフランケン)にある人口7万人ほどのこの街は別格だ。
ドイツに現存する”Altstadt”(旧市街)は最も大きな規模を誇っており、中心部の観光名所を見て回るだけでも半日かかる。時間はたっぷり余裕を見ておこう。
どうやって行くの?
ミュンヘンからバンベルクまでドイツの新幹線、ICEで2時間ほど。
アウグスブルクからだとちょっと便が悪く、2時間半~3時間半。車で行くと優に3時間。渋滞があると4時間も稀ではない。飛行機で行くなら、ニュルンベルク空港が最寄空港になる。
ニュルンベルク中央駅からだと、ICEで30分程度。早い話、不便な場所にあります。
中央駅に着いたら
バンベルク中央駅に着いたら、駅を背にすると正面にルイポルト通り / Luitportstraße という大き目の通りが、まっすぐ伸びてます。
この通りを500m直進すると、レグニッツ川に当たります。川を渡ってからすぐに右折して、200m歩くと左手に旧市街の入り口となる近衛兵の宿舎が見えてきます。ここからバンベルク観光の始まりです。
歩くのが嫌な人は、駅を背にして右手、通りを渡った場所にバス停があります。ここから902番のバスに乗れば、旧市街にあるバス停に行けます。
と、思ってバスを待ってたんですが、10分待っても来ないので、私は待ちきれず、歩いていきました。歩いても11~12分です。
参照 : バンベルクバス路線図
街の歴史
バンベルクに関する記述で一番古いものは10世紀の書簡で、”Babenburg”と書かれている。
当時、この町を支配下に置いていたバーベンベルガー一家 / “Babenberger”の要塞を指したもので、これが町の名前の起源になった。
旧市街地にある小高い丘を登ると、4つの塔をもつ珍しいドームや、その向かいには領主の居城などが残っている。かってはこの丘が城壁で囲まれており、バーベンブルクと呼ばれていた。
10世紀にバーベンベルガー家はマインツの諸侯と戦争をして敗北、お世継ぎは3人とも戦死する。神聖ローマ帝国の皇帝オットー二世は、バンベルクをバイエルン公爵に寄贈した。
カトリック司教領 バンベルク / Erzbistum Bamberg
11世紀になるとバンベルクは、近隣の都市と共にカトリック司教領 /”Erzbistum Bamberg”となる。
カトリック司教国とは、司教様が王様のように支配する領土。その首都はバンベルクに置かれた。司教様の権力を誇示すべく、現在でも残っているドームの建設が始まる。
15世紀には今日のチェコ領からキリスト教の一派が進軍してくると、司教やお金持ちは逃げ出した。これをみた職人は、「今がチャンス!」と市内を略奪しまくった。略奪をするのはいつも敵軍とは限らない。
見るに見かねてブランデンブルク選帝侯(のちのプロイセン王国)が介入、チェコ軍と和平を結び街は身代金を払ったため、焼き払われる運命を逃れた。
30年戦争ではスウエーデン軍が侵攻、バンベルクは大きな被害を受ける。
その後、プロイセンとオーストリアとの戦争でも被害を受けたが、18世紀にはやっと平和が訪れて、カトリック司教領として最盛期を迎える。
大学もこの時代に新設されている。19世紀になるとナポレオン戦争で町は再び戦役の被害を受ける。
ナポレオン戦争でバイエルン州に
ナポレオンに負けたプロイセンは、フランスに半分以上の領土の割譲を強いられる。
このときの講和条約で、カトリック司教領は廃止、その領土はナポレオンに加担したバイエルン選帝侯に割譲されることになった。
以来バンベルクは今日まで、バイエルン州に属している。
第二次大戦は連合軍の爆撃機の到達距離外にあったので、終戦前までほどんど空爆を受けなかった。お陰でかっての旧市街が今日まで残ることになった。
バンベルク 観光 – ユネスコも認めたドイツで一番美しい街
バンベルクはレグニッツ河畔に築かれた街です。
「レグニッツ河?聞いたこがない!」
と思った方、ご安心ください。あなただけではありません。ドイツ人でも知らない人が多いです。この河はマイン河の支流で、その長さは60Kmしかありません。
街は長い間カトリック司教都市であったので、歴史の流れ(領土争い、派遣争い)に巻き込まれることがなく、古い家屋や史跡が多く残ることになりました。
そして住人は古くなった家屋を取り壊すことなく、修復してその美しい街を保存してきました。
その甲斐あって、ユネスコは1993年、バンベルクの旧市街を世界遺産都市に指定しました。
参照 : unesco.de
一口に世界遺産と言っても、ヴュルツブルクのように宮廷など、街の一部が世界遺産に指名されていることが多いです。日本の世界遺産もこのタイプ。
でも旧市街が全部世界遺産に指名されることは滅多になく、まさにドイツ観光の宝物。それも住人の努力の賜です。
観光名所は何処に?
バンベルクの旧市街地を縦断しているレグニッツ河は、街の手前にある中州で二股に分かれています。
ユネスコから世界遺産に指定されている旧市街はこの中州と、レグニッツ河の左岸に築かれています。
観光名所 & 史跡の多くは、中州とレグニッツ河の左岸に集中しています。
時間がない方はレグニッツ河沿い+左岸だけ見ていけば、バンベルクの大事な観光名所ほぼ含まれています。
私は全部見て来たので、上記の順番に沿って観光名所から紹介していきます。ではまずはレグニッツ河の中州の観光名所から。
近衛兵の宿舎 / Hautptwache
旧市街の入り口に建っているは、18世紀に建造された近衛兵の宿舎 / Hauptwache だ。
バンベルクの王様である司教様が、自身の身の安全を守る近衛兵の立派な宿舎の建造を命令、できたのがこの2階建ての立派な建物です。
マキシミリアン広場 / Maximiliansplatz
近衛兵の宿舎から旧市街の中心部に向かって30mほどあるくと、右手に広場が見えてくる。
これがマキシミリアン広場 /”Maximiliansplatz”で、地元民は短縮して”Maxplatz”という。バンベルク旧市街で一番大きな広場で、新市役所が建っているのもここ。
18世紀にバロック式で建造された新市役所は、まるで宮殿のようです。
マキシミリアン噴水 /”Maximiliansbrunnen
マキシミリアン広場の端っこにあるのは、マキシミリアン噴水 /”Maximiliansbrunnen”。
そう、改めて言うまでもなくバイエルンの王様だ。
その王様を囲んでいる4つの銅像は、バンベルク出身の有名人のハインリヒ二世、フォン ルクセンブルク公爵岐妃、オットー一世(バンベルクの司教)、それにコンラート三世(神聖ローマ帝国皇帝)だ。
聖マルチン教会 / St. Martin
この通りには多くの露店が並んでいる。市民はここで野菜や果物を買います。
そのど真ん中に立派な聖マルチン教会 /”St. Martin”教会が建っている。13世紀に建造された当時は修道院兼教会だったが、宗派が解散(それとも消滅?)したので、空き家になっていた。
16世紀になってバンベルク司教がこの教会を買い、イエズス派の教会になるべく、大きな改修工事が始まる。工事を監督したのは司教様の宮殿を監督したのと同じ監督なので、作り方がそっくりだ。
現在はカトリック宗派の主要教会だ。
この辺りにはベンチが設置されて、買い物で疲れた家族が一休みできる憩いの場だ。
ここにある噴水がネプチューン噴水。あまり見栄えのあるものではないので、写真は(撮ってきたけど)割愛。ここにはバンベルクの住民に人気のカフェが立ち並んでいる。
この先が上述のレグニッツ河沿いの観光名所への入り口になります。
バンベルク 旧市庁舎
バンベルクの観光名所として最も有名なのは、レグニッツ河の橋の上に建つ旧市庁舎。
伝説では司教様は市役所を建てる土地を市民に売ることを拒否したため、市民はベニスのように河に杭を打ち込んで人工の中州を創設。市役所をその上に建てたそうです。
建造されたのは15世紀。壁画は18世紀になってから描かれた。
この写真は旧市役所の裏から撮ったもの。正面から旧市役所を見る際に、壁画の真ん中あたり、下部を注視してください。壁画に「ジョーク」が埋め込まれています。
ルートビヒ 陶器博物館 / Die Sammlung von Ludwig
旧市役所は現在、ルートビヒ バンベルク公爵が収集した陶器のコレクションの博物館になっています。
博物館の名前は、ルートビヒの収集 / Die Sammlung von Ludwig ですが、それでは何が陳列されているのかわからないので、敢えてルートビヒの陶器博物館としました。
街の観光案内には、「ヨーロッパで最大の数を誇る個人の陶器コレクション」と書かれています。ご興味ある方はどうぞ。
参照 : museum.bamberg.de 開館時間 10時~16時30分 入場料6 ユーロ
クニグンデ フォン ルクセンブウルク / Kunigunde von Luxedmburg
レグニッツ河のこの部分には、2つの橋がかかっています。
観光客で賑わうのは”obere Brücke”(上の橋)。しかし”untere Brücke”(下の橋)の袂にある「青い家」はと~っても綺麗なので、お見逃しなく。
青い家の前、橋の上にクニグンデ フォン ルクセンブルク /”Kunigunde von Luxedmburg”の石像がある。
観光客は青い家よりも、この像に興味がある様子。バンベルクで女神のように称えられているこの女性は、バイエルン公爵で東フランク帝国の皇帝、ハインリ二世の后で王女様。
そもそも王女様は街とは何も関係がなかったが、ハンリヒ二世との結婚の際、「贈り物」として王女に贈られたのが、バンベルクだった。
すると女王様は何故か、この街に肩入れをして、私財を費やしてカトリック司教領国の誕生に尽力した。
皇帝の死後、フォン ルクセンブルク王妃は短期間、東フランク帝国の行政の指揮を執った。その後、後継者が決まるとすんなり退官。継承戦争なくして後継者が決まった珍しい例。これが原因で街の守護神されている。
小さなベニス
レグニッツ河畔のもうひとつの見所は、河沿いに並ぶ綺麗な家屋群。
かってはまず貸しかった漁師の家が、今やバンベルクを代表する観光名所になっている。どの建物もその作りが異なっており、中世のマイススターのその想像力には脱帽。
日本や中国だったら間違いなく、そっくりな家屋が並んでいます。
街の観光局はこの綺麗な家屋の並びを、
「小さなベニス」
と呼んで、観光の目玉にしている。この名前を利用してイタリアからゴンドラを取り寄せて、乗客を乗せた河下りを始めた人もいる。
しかしベニスと違い河の流れは速いので、ゴンドラには向いてない。下の橋の袂から観光船が出ているので、そちらを利用されたほうが楽しいです。
旧屠畜場 / Alte Schlachthof
目の前にバンベルクの旧市庁舎が出てきて、自然と足がそちらに向かってしまいますが、時間があれば市役所を見た後でもいいから、戻って川辺を散策してみよう。
遊覧船の出る場所に有名なクレーンが残されてる。もう使われていないが、そこは世界遺産都市。古い物は捨ててしまわないで、ちゃんと残されている。
その先にある石造りの立派な建物、入り口の「牛」が目印になっているのは、中央屠殺場 / alte Schlachthof です。
売り物にならない物はそのままレグニッツ河に捨てることができたので、18世紀にこの場所に新設されました。最盛期には49もの肉屋がここで商売していたそうです。かなりの悪臭に住人からの苦情が絶えなかったそうです。
現在はバンベルク大学の図書館(別館)です。
センチュリオン / Centurione
ここから下の橋に向かう途上に、バンベルク名物のセンチュリオン / Centurione という名前の銅像がある。
芸術に感心がない人でも関心するこの銅像は、ポーランド人の彫刻家によるもの。街は2002年の公式にこの銅像を購入して、バンベルクの財産のひとつになりました。
以上でレグニッツ河畔の観光名所は終わり。次はバンベルクの権力者が住んでいた、レグニッツ河左岸の観光名所を見ていきます。
ユダヤ人通り / Jundenstraße
「時間がないので、ドームを見て帰る。」
という方は上の橋から直進してください。すぐ先がドームです。今回は先を左に折れてみました。
小さな広場の先は、”Judenstraße”(ユダヤ人通り)です。ここにあるのがいかにも古そうなマリア礼拝堂だ。
もともとはシナゴークとして14世紀に建設が始まったが、司教様が、
「ユダヤ人を追い出せ!」
とユダヤ人迫害の幕を切って落とした。ユダヤ人は(まだ生きていれば)追放された。その後、教会として建設が終了したという暗い歴史をしょってる建物だ。
ベェッテイングの家 / Böttingerhaus
ユダヤ人通りのさらに先、観光客が滅多にやってこない場所に、”Böttingerhaus”(ベェッテイングの家)がある。
ご想像の通り、バンベルクの評議会員のベェッテイングが、18世紀にイタリアの宮殿をモデルに作らせた宮殿だ。
ロココ調の入り口の装飾の絢爛豪華なこと!近くで見ると、気持ち悪くなるほど緻密な彫刻が施されています。建物の裏には宮殿にふさわしく、旧庭園があるそうです!
この先の路地に、”Klosterbräu”(修道院ビール鋳造所)の石作りの倉庫、それにさらにその先に店舗があるが、これがとても古くて立派。
上野主要教会 / Obere Pfarre
ベェッテイングの家を見たら、ユダヤ通りまで戻ります。
ユダヤ人通りを戻り左折すると、上野主要教会 /”Obere Pfarre”が見えてきます。
バンベルクの住人は愛情を込めて聖母教会とも呼んでいます。理由は入り口の上に設置されている黄金のマリア像?見えますか?
14世紀から100年近くの年月をかけて建造された教会です。
折角なので中を覗いてみました。他の教会のように暗くて陰気な感じがしない!ロココ調の内装が豪華絢爛ですね。
バンベルク ドーム(大聖堂) / Dom
「ドームはこちら。」
という看板が出ていたので、看板の指す方向に沿って路地に入ってみます。
かわいい家屋を眺めていくと、立派なお屋敷が見えてきました。ドーム到着!はい、ここでも写真を撮ろうとすると、見事な逆光でした。う~ん、今回はついていないな。
ドームの中に入ってみます。入り口の飾りが独特。あら、立派。子供が指しているのは、何なんでしょう?
このバンベルクの大聖堂、最初に建造されたのは11世紀です!上述のハインリヒ二世が古い礼拝堂の土台の上に、新しい大聖堂を建設させます。だから名前はハインリヒドーム /”Heinrchsdom”とも呼ばれます。
当時のドームは現存のドームほど立派ではなく、尖塔も奥に2本だけでした。ところが完成から80年ほどで火事が発生、被害甚大でしたが、その後、昔の姿に再建されました。
しかし、100年後にまた火事が発生、木造の大聖堂の大部分は焼け落ちます。火事の後、二番目の大聖堂の建築が始まります。
その建設中、ハインリヒ2世とその妃、クニグンデ フォン ルクセンブルク がローマにて聖人であると宣言されます。
そこで大聖堂の建築監督は、この聖人の墓を新しいバンベルク大聖堂の一番立派な場所に設け、巡礼に来る人に感銘を与えるべく、見事な棺をつくらせます。
この見事な棺は今でも見るばかりが、(手を伸ばせば)触ることもできます。日本のお寺だった、絶対、無理な話!
大聖堂が完成したのは1237年。30年戦争後にバロック式に改築されたりしましたが、基本はなんと13世紀の建造物です。
さらには大聖堂の地下は、11世紀のハンリヒの大聖堂の「焼け残り」が残っています。見事なモザイクが壁を飾っている見事なもの!
残念ながら柵があり、進入禁止。上の部分も鎖があり立ち入り禁止でしたが、いかにも古そうな壁画だけは見れます。
バンベルクの騎士 / Bamberger Reiter
バンベルクの守護神になっているハンリヒ2世と、その后の棺の横にある柱を見上げてください。
中ほどに有名な、”Bamberger Reiter”(バンベルクの騎士)の像があります。何でそんなに有名かと言えば、誰の像なのかわかっていないからです。
街守護神が眠る場所の柱に、わざわざ石像を設けるのだから、何か重要な意味がある筈なのですが、騎士の正体はわかっていません。
今でも学者が、「俺の主張が絶対に正しい。」と、数世紀に渡って言い争っています。
ドームの蛙 / Domkröten
ドームの入り口を見張っているのは、ドームの蛙 / Domkröten です。
バンベルク ドームの建築を任せられたマイスター、他のマイスターよりも建築の遅れ、これを取り戻すため、悪魔と契約。悪魔は夜な夜な怪物を送り、他のマイスターが作った石像を破壊します。
こうして遅れを取り戻したマイスター、他のマイスターよりも先に工事を終えます。すると悪魔が表れてマイスターの魂を抜きると、怪物は石像に変わったという伝説です。
この蛙(ライオンだという説もあり)は、11世紀のハインリヒドームの「残り」です。
Neue Residenz / 新宮殿
ドームの向かいに建っている宮殿は、 Neue Residenz(新宮殿)と呼ばれ、バンベルクの司教様の宮殿です
住む場所ではなくお仕事をする場所、正確に言えば接見にやってくる使者を迎え入れ、その権力を見せつけるための建物です。
丘の上にあるので場所を節約して、90℃の角度で接続されている2棟の建物からなっている。下界を見下ろす側は、城壁の役割も果たしている。
屋内には40以上の部屋(それとも会場?)があり、床から天井まで、それは見事な装飾が施されている。
家具、それに壁にかけられている装飾用の「絨毯」は、17~18世紀にかけて、作成されたもので正真正銘の骨董品。
残念なことに私がいった日は改装中で、中は見ることができませんでした。この改装工事は2020年の夏まで続くそうです。
ドイツでは計画通りに行くことは滅多にないので、見学ができるようになるのは2020年の年末か、2021年になりそうです。
参照 : residenz-bamberg.de
Alte Hofhaltung
うっかり忘れるところでした。ドームの横に”Alte Hofhaltung”があります。
司教様のお台所、それに寝室です。こんなに広大な土地を持っているのに、バンベルク市役所の土地させも譲らないなんて、流石、司教様。
でも一番凄いのは門の飾り。滅茶苦茶繊細な彫刻が石に施されている!まるでメソポタミア遺跡。
薔薇園 / Rosengarten
司教様の家には入れませんが、左側にある門から有名な”Rosengarten”(薔薇園)に入れます。
おまけにタダ!写真の定番なんですが、背景になる修道院が修復中だったのは玉に瑕。
足を踏み入れた途端、薔薇の香りが鼻腔を満たします。とっても綺麗でした。8月中にバンベルクを訪問される方は、お忘れなく!
次いでバンベルクの観光名所、3つの区分分けに入らなかった観光名所も幾つか紹介しておきます。
聖 ガンゴルフ教会 / St. Gangolf
少しバンベルクの街中から外れているところに建っているのが、聖ガンゴルフ教会 /”St. Gangolf”。
ぱっと見てもわかる通りとっても古い。なんと11世紀の建造物で、日本で言えばまだ平安時代の建造物だ。
王様通り / Königsstrasse
街で一番有名な通りは、「王様通り」と呼ばれる、”Königsstrasse”だ。
ここにはレストランが軒を連ねている。
「駐車禁止だけど停めちゃえ!」
なんて車を違法駐車すると、あっという間に違反切符を切られます。切符を切る人も、わざわざ移動しなくても、「入れ食い」なので四六時中ここで待機、監視してます。
車で来たらちゃんと駐車場に車を停めましょう。
今回を含めてバンベルクを訪れたのは、4回。ようやく主要な観光名所を全部見て、撮影することができました。まだ紹介できていないものも多いので、時間をみてこれから紹介していきます!
バンベルク 名物
ドイツの街には、大都会のベルリンやミュンヘンでも、その街(地方)、独特の食の名物があります。
ベルリン名物はカレーソーセージ /”Curry Wurst”と呼ばれる、ケチャップ ソーセージ+白パン。ドイツ人のソールフードなので、今やどこでも売れていますが、発祥の地はベルリン。
バンベルクにも幾つか、食の名物があるので紹介してみようと思います。
スモークビール / Rauchbier
バンベルクは有名なビールの産地。
街には独特の”Rauchbier”(直訳するとスモークビール)がある。スモークした麦芽を使用してビールを造るので、この名前が付いた。以前は68ものスモークビールの醸造所があったそうだが、現在ではたったの8つ。
その中でも一番有名なのが、”Schlenkerla”だ。観光客の「黒山」ができているか、店に入らないで路上で飲んでいる人が居るので、すぐにわかります。
ちなみにバンベルクの住人は、ドイツ屈指のビール好き。敢えて「吞兵衛」とは言いません。
ビールの値段が10プェニヒから11プェニッヒに値上がりすると、ビールのボイコット運動が起き、”Bamberger Bierkrieg”(バンベルクのビール戦争)として歴史に残ったほど。
小さな角 / Hornchen
「ビールはちょっと。」
と言われる方は、バンベルクの名産、„Hörnchen“(小さな角)を試していこう。
「なんだクロワッサンじゃん。」
という言葉はタブー。フランケン人は愛着を込めてバンベルガー、あるいはヘルンヒェンと呼ぶ。
「クロワッサンと何処が違うの?」
と聞くとパン屋の親父は(威張って)
「もっとパリパリしていて、形がスリムだ。」
と教えてくれるが、素人には違いはわからない。
試しにパン屋で買ってみました。80セントなり~。確かにしっかりバターの味がしました。ちょっと触っただけで、手にバターのしみができます。
皆まで言えば安価なマーガリンを使ってバンベルガーを販売して、訴えられたパン屋も居るほどの懲り様。
「バンベルガーの名前は、バターを使っている場合に限り使用できる。」
とバンベルガー法まで制定されこだわり振りだ。
牛肉ハム / Zwetschgenbames
さらにはバンベルクの人が、„Zwetschgenbames“ と呼ぶシンケン(ハム)もある。
これは豚肉ではなく牛肉を使用して、自然に乾燥させたもの。肉屋の前を通りかかったら、是非、のぞいてみよう。赤味が綺麗に残っているローストビーフみたいなハムがある。
参照 : spezialitaetenland-bayern.de
生活と物価
バイエルン州に住む計画をされている方に、アドバイス。
バイエルン州では、
「ミュンヘンから東に行けば、家賃が安くなる。」
と言われています。典型的な例が、レーゲンスブルク。世界遺産都市で綺麗な街ですが、家賃はミュンヘンに比べるとぐっと安くなります。
バンベルクも例外ではありません。近郊のニュルンベルク影響はありますが、それでも家賃はまだお安い方です。
「でも生活費は?」
と心配されている方、ご安心ください。ドイツの食料品の価格は日本の1/3です。電気代は日本よりも高いですが、食費が安いので、アパートさえ安く借りることができれば、生活費は抑えることができます。
バンベルク 留学
大きな街ではないので、いい語学学校はなさそうですが、この風光明媚な町にとっても質のいい語学学校 Treffpunkt があります。
「日本人のいない学校に通いたい。」
という方にはぴったりです。
学校を視察に行った際、創始者に、「なんでよりによってバンベルクに?」と聞くと、「この街で育ったから。」ということ。今ではその創設者は経営を譲り、二代目の若い経営者が学校を経営しています。