街の紹介 バンベルク

バンベルク の街は(ドイツでは)ドイツ観光の目玉。ドイツには日本のほぼ3倍、40を超える都市がユネスコから世界遺産都市に指定されている。その中でもバイエルン州の北部、”Oberfranken“(オーバーフランケン)にある人口7万人ほどのこの街は、別格だ。

ドイツに現存する”Altstadt”(旧市街)は最も大きな規模を誇っており、中心部の観光名所を見て回るだけでも半日近くかかるので、時間はたっぷり余裕を見ておこう。

どうやって行くの?

ミュンヘンからバンベルクまでドイツの新幹線、ICEで2時間ほど。アウグスブルクからだとちょっと便が悪く、2時間半~3時間半。車で行くと優に3時間。渋滞があると4時間も稀ではない。飛行機で行くなら、ニュルンベルク空港が最寄空港になる。

ニュルンベルク中央駅からバンベルクまで、ICEで30分程度。早い話、不便な場所にあります。

街の歴史

レグニッツ河そいの家屋群街に関する記述で一番古いものは10世紀の書簡で、”Babenburg”と書かれている。当時、この町を支配下に置いていたバーベンベルガー一家 / “Babenberger”家の要塞を指したもので、これが町の名前の起源になった。

旧市街地にある小高い丘を登ると、4つの塔をもつ珍しいドームやその向かいに建つ領主の居城などが残っている。かってはこの丘が城壁で囲まれており、バーベンブルクと呼ばれていた。

10世紀にバーベンベルガー家はマインツの諸侯と戦争をして敗北、お世継ぎは3人とも戦死する。神聖ローマ帝国の皇帝、オットー二世はこの地をバイエルン公爵に寄贈した。

司教領 / Erzbistum Bamberg

11世紀になるとこの地は近隣の都市と共に”Erzbistum Bamberg”となる。司教様が王様のように支配する領土で、その首都はバンベルクに置かれた。司教様の権力を誇示すべく、現在でも残っているドームの建設が始まる。

15世紀には今日のチェコ領からキリスト教の一派が進軍してくると、司教やお金持ちは逃げ出した。これをみた職人は、「今がチャンス!」と市内を略奪しまくった。略奪をするのはいつも敵軍とは限らない。

見るに見かねてブランデンブルク選帝侯(のちのプロイセン王国)が介入、チェコ軍と和平を結びバンベルクは身代金を払ったため、焼き払われる運命を逃れた。

30年戦争ではスウエーデン軍が侵攻、町は大きな被害を受ける。その後、プロイセンとオーストリアとの戦争でも被害を受けたが、18世紀にはやっと平和が訪れて、カトリック司教領としてバンベルクは最盛期を迎える。

バンベルク大学もこの時代に新設されている。19世紀になるとナポレオン戦争で町は再び戦役の被害を受ける。

近代から現代

ナポレオンに負けたプロイセンは、フランスに半分以上の領土の割譲を強いられる。このときの講和条約で、バンベルク司教領はナポレオンに加担したバイエルン選帝侯に割譲されることになり、街は今日までバイエルン州に属している。

第二次大戦は連合軍の爆撃機の到達距離外にあったので、終戦前までほどんど空爆を受けなかった。お陰でかっての旧市街が今日まで残ることになった。

バンベルク 観光 – ユネスコも認めたドイツで一番美しい街

バンベルクはレグニッツ河畔に築かれた街です。「レグニッツ河?聞いたこがない!」と思った方、ご安心ください。あなただけではありません。ドイツ人でも知らない人が多いです。この河はマイン河の支流で、その長さは60Kmありません。

街は長い間司教都市であったので、歴史の流れ(領土争い、派遣争い)に巻き込まれることがなく、古い家屋や史跡が多く残ることになりました。そしてバンベルクの住人は古くなった家屋を取り壊すことなく、修復してその美しい街を保存してきました。

その甲斐あって、ユネスコは1993年、バンベルクの旧市街を世界遺産都市に指定しました。

参照 : unesco.de

ヴュルツブルクのように宮廷など、街の一部が世界遺産に指名されていることが多いが、旧市街が全部世界遺産に指名されることは滅多になく、まさにドイツ観光の宝物。それも住人の努力の賜です。

旧市庁舎

旧市庁舎観光名所として最も有名なのは、レグニッツ河のかかる橋の上に建つバンベルクの旧市庁舎。伝説では司教様は市役所を建てる土地を市民に売ることを拒否したため、市民はベニスのように河に杭を打ち込んで人工の中州を創設。市役所をその上に建てた。

建造されたのは15世紀。壁画は18世紀になってから描かれた。バンベルクまで来たら、手前側から旧市役所を見て置こう。壁画に「ジョーク」が埋め込まれている。

陶器博物館

現在はバンベルク公爵が収集した陶器のコレクションの博物館になっています。街の観光案内には、「ヨーロッパで最大の数を誇る個人の陶器コレクション」と書かれています。ご興味ある方はどうぞ。

参照 : museum.bamberg.de  開館時間  10時~16時30分  入場料6 ユーロ

レグニッツ河畔

レグニッツ河のこの部分には2つの橋がかかっており、観光客で賑わうのは”obere Brücke”「上の橋」だ。しかし”untere Brücke”(下の橋)の袂にある「青い家」はと~っても綺麗なので、お見逃しなく。

クニグンデ フォン ルクセンブウルク / Kunigunde von Luxedmburg

クニニグンデ フォン ルクセンブウルク青い家の前、橋の上にクニグンデ フォン ルクセンブルク /”Kunigunde von Luxedmburg”の石像がある。観光客は青い家よりも、この像に興味がある様子。バンベルクで女神のように称えられているこの女性は、バイエル公爵で東フランク帝国の皇帝、ハインリ二世の后で王女様。

そもそも王女様とバンベルクは何も関係がなかったが、ハンリヒ二世との結婚の際、「贈り物」として王女に贈られたのが、バンベルクだった。すると女王様は何故か、この街に肩入れをして、私財を費やしてバンベルク司教領の誕生に尽力した。

これが原因で街の守護神となっている。皇帝の死後、短期間、帝国の行政の指揮を執った。その後、後継者が決まるとすんなり退官。継承戦争なくして後継者が決まった珍しい例。

小さなベニス

バンベルク 川沿いに並ぶ漁師の家屋この場所のもうひとつの見所は、レグニッツ沿いに並ぶ綺麗な家屋だ。かっての魚師や船頭の家だ。かってはまず貸しかった漁師の家が、今た街を代表する観光名所になっている。どの建物もその作りが異なっており、中世のマイススターのその想像力には脱帽。

日本や中国だったら間違いなく、そっくりな家屋が並んでいます。

観光局はこの綺麗な家屋の並びを「小さなベニス」と呼んで、観光の目玉にしている。この名前を利用してイタリアからゴンドラを取り寄せて、乗客を乗せた河下りを始めた人もいる。

しかしベニスと違い河の流れは速いので、ゴンドラには向いてない。下の橋の袂から観光船が出ているので、そちらを利用されたほうが楽しいです。

センチュリオン / Centurione

センチュリオン / Centurione遊覧船の出る場所に有名なクレーンが残されてる。もう使われていないが、そこは世界遺産都市。古い物は捨ててしまわないで、ちゃんと残されている。向かいの「牛」が目印の建物はかっての屠殺場で、現在はバンベルク大学の図書館(別館)です。

ここから下の橋に向かう途上にバンベルク名物のセンチュリオンという名前の銅像がある。芸術に感心がない人でも関心するこの銅像は、ポーランド人の彫刻家によるもの。街は2002年の公式にこの銅像を購入して、街の財産のひとつになりました。

旧市街

少し場所が離れているが旧市街の入り口に建っているは、18世紀に建造された近衛兵の詰め所だ。その先には”Maximilianplatz”、地元民は短縮して”Maxplatz”というが、ここに市役所(18世紀建造)と”Maximiliansbrunnen”がある。そう、改めて言うまでもなくバイエルンの王様だ。

聖 マルチン教会 / St. Martin

聖 マルチン教会 / St. Martinこの通りには多くの商店が並んでいるのが、そのど真ん中に立派な”St. Martin”教会が建っている。13世紀に建造された当時は修道院兼教会だったが、宗派が解散(それとも消滅?)したので空き家になっていた。

16世紀になってバンベルク司教がこの教会を所有、イエズス派の教会になり、大きな改修工事が始まる。工事を監督したのは司教様の宮殿を監督したのと同じ監督なので、作り方がそっくりだ。現在はカトリック宗派の主要教会だ。

ネプチューン噴水

この辺りにはベンチが設置されて、買い物で疲れた家族が一休みできる憩いの場だ。ここにある噴水がネプチューン噴水。この先が上述の観光名所への入り口になります。ここには原住民に人気のカフェが立ち並んでいる。

バンベルク 綺麗な古い家屋先回はちゃんと水があった噴水は、まだ8月なのに水を止められてカラッカラ。では上の橋を渡って町の中心部に入ってみます。どちらを向いても、古風な家屋が立ち並び、優柔不断になっちゃいます。

ユダヤ人通り

今回は先を左に折れてみました。「時間がないので、ドームを見て帰る。」という方は橋から直進してください。すぐ先がドームです。小さな広場の先は、”Judenstraße”(ユダヤ人通り)です。ここにあるのがいかにも古そうなマリア礼拝堂だ。

もともとはシナゴークとして14世紀に建設が始まったが、司教様が、「ユダヤ人を追い出せ!」とユダヤ人迫害の幕を切って落とした。ユダヤ人は(まだ生きていれば)追放された。その後、教会として建設が終了したという暗い歴史をしょってる建物だ。

Böttingerhaus

Böttingerhausユダヤ人通りには小奇麗な家屋が多く並んでいます。 街の中心部からちょっとだけ離れた場所にあるので、見逃す人が多い場所。ここに”Böttingerhaus”(ベェッテイングの家)がある。ご想像の通り、街の評議会員のベェッテイングが、18世紀にイタリアの宮殿をモデルに作らせた宮殿だ。

ロココ調の入り口の装飾の絢爛豪華なこと!建物の裏には宮殿にふさわしく、旧庭園があるそうです!

この先の路地に、”Klosterbräu”(修道院ビール鋳造所)の石作りの倉庫、それにさらにその先に店舗があるが、これがとても古くて立派。

中心部に戻ります。ユダヤ人通りを戻り左折すると、”Obere Pfarrkirche”が見えてきます。折角なので中を覗いてみました。明るくて他の教会のように暗くて陰気な感じがしない!牧師さんの説教する”Altar”はとりわけ立派。

ドーム(大聖堂) / Dom

バンベルク ドーム 教会の中の二人の少女「ドームはこちら。」という看板が出ていたので、路地に入ってみます。かわいい家屋を眺めていくと、立派なお屋敷が見えてきました。ドーム到着!はい、ここでも写真を撮ろうとすると、見事な逆光でした。今回はドームの中に入ってみます。入り口の飾りが独特。あら、立派。子供が指しているのは、何なんでしょう?

この大聖堂、最初に建造されたのは11世紀です!上述のハインリヒ二世が古い礼拝堂の土台の上に、新しい大聖堂を建設させます。だから名前はハインリヒドーム /”Heinrchsdom”とも呼ばれます。

当時のドームは現存のドームほど立派ではなく、尖塔も奥に2本だけでした。ところが完成から80年ほどで火事が発生、被害甚大でしたが、その後、昔の姿に再建された。

しかし、100年後にまた火事が発生、木造の大聖堂の大部分は焼け落ちます。火事の後、二番目の大聖堂の建築が始まります。

ドーム(大聖堂) / Dom二番目の大聖堂

その建設中、ハインリヒ2世とその妃、クニグンデ フォン ルクセンブルク がローマにて聖人であると宣言されます。そこで大聖堂の建築監督は、この聖人の墓を新しい大聖堂の一番立派な場所に設け、巡礼に来る人に感銘を与えるべく、見事な棺をつくらせます。

この見事な棺は今でも見るばかりが、触ることもできます。日本のお寺だった、絶対、無理な話!

大聖堂が完成したのは1237年。30年戦争後にバロック式に改築されたりしましたが、基本はなんと13世紀の建造物です。さらには大聖堂の地下は、11世紀のハンリヒの大聖堂の「焼け残り」が残っています。見事なモザイクが壁を飾っている見事なもの!

残念ながら柵があり、進入禁止。上の部分も鎖があり立ち入り禁止でしたが、いかにも古そうな壁画だけは見れます。

バンベルクの騎士 / Bamberger Reiter

バンベルクの騎士 / Bamberger Reiterバンベルクの守護神になっているハンリヒ2世と、その后の棺の横にある柱を見上げてください。中ほどに有名な、”Bamberger Reiter”(バンベルクの騎士)の像があります。何でそんなに有名かと言えば、誰の像なのかわかっていないからです。

バンベルクの守護神が眠る場所の柱に、わざわざ石像を設けるのだから、何か重要な意味がある筈なのですが、騎士の正体はわかっていません。今でも学者が、「俺の主張が絶対に正しい。」と、数世紀に渡って言い争っています。

Neue Residenz

Neue Residenzドームの向かいに建っている宮殿が、Neue Residenz(新居という意味)、司教様の宮殿です。住む場所ではなくお仕事をする場所、正確に言えば接見にやってくる使者を迎え入れ、その権力を見せつけるための建物です。

丘の上にあるので場所を節約して、90℃の角度で接続されている2棟の建物からなっている。下界を見下ろす側は、城壁の役割も果たしている。

屋内には40以上の部屋(それとも会場?)があり、床から天井まで、それは見事な装飾が施されている。家具、それに壁にかけられている装飾用の「絨毯」は、17~18世紀にかけて、作成されたもので正真正銘の骨董品。

残念なことに私がいった日は改装中で、中は見ることができませんでした。この改装工事は2020年の夏まで続くそうです。ドイツでは計画通りに行くことは滅多にないので、見学ができるようになるのは2020年の年末か、2021年になりそうです。

参照 : residenz-bamberg.de

薔薇園 / Rosengarten

バンベルク 薔薇園とネプチューン石像司教様の家には入れませんが、左側にある門から有名な”Rosengarten”(薔薇園)に入れます。写真の定番なんですが、背景になる修道院が修復中だったのは玉に瑕。足を踏み入れた途端、薔薇の香りが鼻腔を満たします。とっても綺麗でした。8月中にバンベルクを訪問される方は、お忘れなく!

Alte Hofhaltung

うっかり忘れるところでした。ドームの横に”Alte Hofhaltung”があります。司教様のお台所、それに寝室です。こんなに広大な土地を持っているのに、市役所の土地させも譲らないなんて、流石、司教様。門の飾りが凄い。まるでメソポタミア遺跡。

聖 ガンゴルフ教会 / St. Gangolf

聖 ガンゴルフ教会 / St. Gangolf少し街中から外れているところに建っている、”St. Gangolf”教会は、ぱっと見てもわかる通りとっても古い。なんと11世紀の建造物で、日本で言えばまだ平安時代の建造物だ。バンベルクで一番有名なのは、「王様通り」と呼ばれる、”Königsstrasse”だ。

ここにはレストランが軒を連ねている。「駐車禁止だけど停めちゃえ!」なんて車を違法駐車すると、あっという間に違反切符を切られます。切符を切る人も、わざわざ移動しなくても、「入れ食い」なので四六時中ここで待機、監視してます。車で来たらちゃんと駐車場に車を停めましょう。

バンベルク名物

ドイツの街には、大都会のベルリンミュンヘンでも、その街(地方)、独特の食の名物があります。ベルリン名物はカレーソーセージ /”Curry Wurst”と呼ばれる、ケチャップ ソーセージ+白パン。ドイツ人のソールフードなので、今やどこでも売れていますが、発祥の地はベルリン。

バンベルクにも幾つか、食の名物があるので紹介してみようと思います。

スモークビール / Rauchbier

見事な骨組みの居酒屋少し横道にそれますが、バンベルクは有名なビールの産地。この土地には独特の”Rauchbier”(直訳するとスモークビール)がある。スモークした麦芽を使用してビールを造るので、この名前が付いた。以前は68ものスモークビールの醸造所があったそうだが、現在ではたったの8つ。

その中でも一番有名なのが、”Schlenkerla”だ。観光客の「黒山」」ができているか、店に入らないで路上で飲んでいる人が居るので、すぐにわかります。

ちなみにバンベルクの住人はドイツ屈指のビール好き。ビールの値段が10プェニヒから11プェニッヒに値上がりすると、ビールのボイコット運動が起き、”Bamberger Bierkrieg”(バンベルクのビール戦争)として歴史に残ったほどだ。

小さな角 / Hornchen

小さな角 / Hornchen「ビールはちょっと。」と言われる方は、バンベルクの名産、„Hörnchen“(小さな角)を試していこう。「なんだクロワッサンじゃん。」という言葉はタブー。フランケン人は愛着を込めてバンベルガー、あるいはヘルンヒェンと呼ぶ。

「クロワッサンと何処が違うの?」と聞くとパン屋の親父は(威張って)「もっとパリパリしていて、形がスリムだ。」と教えてくれるが、素人には違いはわからない。

試しにパン屋で買ってみました。80セントなり~。確かにしっかりバターの味がしました。ちょっと触っただけで、手にバターのしみができます。皆まで言えば安価なマーガリンを使ってバンベルガーを販売して、訴えられたパン屋も居るほどの懲り様。

「バンベルガーの名前は、バターを使っている場合に限り使用できる。」とバンベルガー法まで制定されこだわり振りだ。

牛肉ハム / Zwetschgenbames

さらには地元の人が、„Zwetschgenbames“ と呼ぶシンケン(ハム)もある。これは豚肉ではなく牛肉を使用して、自然に乾燥させたもの。肉屋の前を通りかかったら、是非、のぞいてみよう。赤味が綺麗に残っているローストビーフみたいなハムがある。

参照 : spezialitaetenland-bayern.de

生活と物価

バイエルン州に住む計画をされている方に、アドバイス。バイエルン州では、「ミュンヘンから東に行けば、家賃が安くなる。」と言われています。典型的な例が、レーゲンスブルク。世界遺産都市で綺麗な街ですが、家賃はミュンヘンに比べるとぐっと安くなります。

バンベルクも例外ではありません。近郊のニュルンベルク影響はありますが、それでも家賃はまだお安い方です。

「でも生活費は?」と心配されている方、ご安心ください。ドイツの食料品の価格は日本の1/3です。電気代は日本よりも高いですが、食費が安いので、アパートさえ安く借りることができれば、生活費は抑えることができます。

バンベルク留学

大きな街ではないので、いい語学学校はなさそうですが、この風光明媚な町にとっても質のいい語学学校Treffpunkt があります。「日本人のいない学校に通いたい。」という方にはぴったりです。

学校を視察に行った際、創始者に、「なんでよりによってバンベルクに?」と聞くと、「この街で育ったから。」ということ。今ではその創設者は経営を譲り、二代目の若い経営者が学校を経営しています。

総評

バンベルク 旧市街の家屋やっぱり世界遺産都市、観光名所の数が凄いです。半日ではとても全部見て回ることはできません。バイエルン州に留学するなら是非、バンベルクまで足を延ばしてください。

日本に帰って写真を見せると「これ何処?」と聞かれること、間違いなしです。建築ファンにはバンベルクの街は宝庫です。他の街なら史跡として看板がかかっているような家屋が多すぎて、なかなか先に進めません。

結局、時間がなくなり、「あ、もう帰る時間!」と、駅までダッシュで帰ることに。

今回を含めて街を訪れたのは、4回。ようやく主要な観光名所を全部見て、撮影することができました。まだ紹介できていないものも多いので、時間をみてこれから紹介していきます!

 

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