今回紹介する街は ビーバラッハ です。

正直に告白するとリートリンゲン取材が

「あっ!」

と言う間に終わったので、

「どうせ帰り道にあるので、寄ってみよう!」

と、一石二鳥プランに変更。

「ドイツで一番いい季節」

の5月某日、仕事する日より早起きして撮影に行ってきました。

どんな街なのか紹介したいと思います。

街の紹介 ビーバラッハ

街の正式名称は、

“Biberach” an der Riß”。

てっきり

「ビーベラッハ」

と読むのかと思っていたら、ドイツ人は

ビーバラッハ

 

と読んでました。

ここでは抵抗せず、ドイツ人の呼び方を真似します。

名前の後に、

“an der Riß”

が付いて

リース河畔のビーバラッハ

が正式名称です。

人口は3万人程度。

知る人ぞ知る、

「骸骨屋敷街道」

の要所です。

行き方

ビーバラッハの街はバーデン ヴュルテムベルク州の東の端にあります。

ウルムから見れば南に40Km。

ミュンヘンから見ると「左」、すなわち西にあり、その距離152Km。

ミュンヘン 徹底解説!街の歴史からお勧め観光名所まで

アウグスブルクから車で行くとまずはウルム向かい、ここから南に下る。

アウグスブルク ロマンチック街道の発祥地は見所盛り沢山

車で行くならどちらからでもほぼ同じ距離で、法廷速度を守って高速を走れば所要時間は1時40分程。

ミュンヘンから電車で行くなら、ウルムで乗り換えが必要で、ほぼ2時間もかかります。

その分、ビーバラッハ中央駅は旧市街に隣接しており、街の中央にある市場までたったの400m。

地勢

ビーバラッハは

“Oberschwaben”(オーバーシュバーベン)

と呼ばれる地方にある。

無理やり日本語に直すと、南シュバーベン。

加えて、

“Landkreis Biberach”(ビーバラッハ県)

の県庁所在地。

人口3万人でも、地方の大都市だ。

標高は533mと割と高い。

ドナウ川の支流であるリース川が街を縦断しているが、これは近代になって町が拡大したため。

旧市街は標高の高いリース川の左岸にある。

街の南には自然保護地域が広がっており、手っ取り早く言えば、田舎。

ビーバラッハ 名前の由来

街の名前から勝手に推測して、

「ビーバーが小川(Bach)に住んでいたのがビーバラッハの名前の起源です。」

なんて主張したくなります(*1)。

そんな手抜きをしないで、ちゃんと調べました。

複数の説があります。

ひとつはケルト人が住んでいた街に似たような名前の街があるので、

「ケルト人がつけた名前が起源」

という説。

でも、ケルト人が住んでいた証拠がない。

もっと信憑性があるのは、リース河が名前の由来になったという説。

街の手間でリース河が二股に分かれているので、”Bi”(ふたつ)と”aha “(水)が一緒になって、”Biberach”になったと主張する説。

でも証拠はありません。

始めて街の名前が搭乗しているのは、13世紀の書簡です。

そこには

“Biberaha”

と書かれていたんです。

これが理由でビーベラッハではなく、ビーバラッハと読みます。

街の歴史 – 織物業で栄えたドイツ中西部の城砦街

街の歴史 - 織物業で栄えたドイツ中西部の城砦街

皆さんが自分で調べることはないと思うので、街の歴史も軽く紹介しておきます。

「ビーバラッハを指しているであろうと思われる地域」

が、初めて歴史に登場するのは、11世紀になってから。

そこにはシュヴァーベン公爵領の領土であるとの記述がある。

12世紀後半になって畑や、酪農で取れたものを売る簡素な市が形成されます。

それから半世紀後になると、ビーバラッハは

「街」

として記述されているので、市場が街の発展の起源になったと考えられている。

帝国都市 Reichsstadt に昇進

1281年、ビーバラッハは神聖ローマ帝国の皇帝により

“Reichsstadt”(帝国都市)

に昇進します。

以降、街は関税を課す権利を与えられて、次第に豊かになっていきます。

ビーバラッハの特徴は13世紀の

「中世の暗黒時代」

に社会福祉のために、市民が参加する公益団体を設置した事。

その資金源は、街を取り囲んでいた深い森。

木材の売却益で、この時代に市民の福利厚生のために病院が建設されます。

今でもその建物は現在しており、公益団体は今でもビーバラッハの老人ホームを経営しています。

ビーバラッハ 最盛期

ビーバラッハ 最盛期

ビーバラッハが本当に豊かになったのは14世紀。

街で織られた織物が人気になり、欧州中の市場で取引されるようになります。

 

アウグスブルクも織物の取引でお金持ちになりましたが、その売り物はイタリア産の織物。

ビーバラッハでは独自の織物が人気だったので、それは大変な経済効果がありました。

この需要を満たすため、人気の織物を縫う家屋が多く建造されます。

すると家を作るマイスター、徒弟からパン屋まで、その恩恵にあずかります。

30年戦争

30年戦争ではまずはプロテスタントのスウエーデン軍に占領されます。

カトリック教のオーストリアが軍を進めてビーバラッハを奪取しようとするが、町は要害化されており、散々な被害を蒙って撤退。

それでもオーストリア軍はまだ諦めず、プロテスタント軍がコンスタンツを奪取しようと軍を南に進めた間隙を利用。

ビーバラッハに再度軍を進軍させて、防御の手薄な街をまんまと占領する。

30年戦争の講和条約では、

「ビーバラッハではカトリックとプロテスタントの両方の宗派を認める。」

となりました。

近代から現代まで

17世紀、町はまずはバーデン家の支配下に入る。

その後、ヴュルテムベルク家との領土交換で、ヴュルテムベルク家の支配下に移る。

ヴュルテムベルク家はビーバラッハとその近郊を、ビーバラッハ上等区(今の日本で言えば県)に指定する。

以来、ビーバラッハは県庁所在地として、政治的な役割を担うことになりました。

ビーバラッハ 観光 – 織物業で栄えた街には意外と見所沢山!

ビーバラッハ 観光 - 織物業で栄えた街には意外と見所沢山!ビーバラッハはたった3万人程度の街ですが、流石は織物業で栄えた街。

意外と見所がたくさんあります。

かっての織物工場から、商売で豊かになった商人の屋敷、市役所、教会まで、見事な家屋が街の随所に残っています。

その中でも街が自慢する3大観光名所は、

  • 市場(周辺)
  • 織物(職人)の山
  • 城壁+塔

です。

まずは街の中心部にある市場 / Marktplatz まで出て、ここから目ぼしい観光名所を紹介していきます。

ビーバラッハ 市場 / Marktplatz

ビーバラッハ 市場

ビーバラッハの有名な観光名所は、中心部の”Marktplatz”(市場)に集中しています。

十分な時間がなければ、ここだけ見て帰るのもあり。

そこでまずはここにある観光名所から紹介していきます。

参照 : 市場

新市役所 / neues Rathaus

新市役所

市場の右側、お城のような尖塔と出窓で飾られた建物は新市役所 / neues Rathaus です。

一見するとモダンな建物にも見えますが、建造されたのは1503年。

ビーバラッハのこの部分は湿地帯だったので、このような大きな建物を建てる前に、1800本の杭を打ち込んで土台としたそうです。

参照 : 新市役所

旧市役所 / altes Rathaus

旧市役所

新市役所の奥にあるのが旧市役所 / Rathaus です。

見事な木組みの骸骨屋敷です。

作りはいかにも古めかしいですが、新市役所より70年古いだけ。

裕福な市民の家 / Bürgerhaus

裕福な市民の家

新市役所の横にある見事に一体化している建物は、”Bürgerhaus”と呼ばれるかってのビーバラッハの裕福な市民の家。

この裏にも2棟建っており、全部で4棟の集合体。

stadt:cafe

stadt:cafe

地元民に人気なのが、教会の横にあるこのカフェ。

“stadt:cafe”

と言う名前でエスプレッソがウリ。

参照 : stadt:cafe

市場井戸 / Marktbrunnen

市場井戸

市場の右手にカラフルな色彩で彩られた市場井戸 / Marktbrunnen があります。

像が左手をかけている盾に描かれているのはビーバラッハの印/ Wappen です。

竜?

それともライオン?

この像が誰なのか、街の観光案内にも書かれていません。

誰でもないのかな?

カラフル色が塗られているので、おもちゃのよう。

好意的に見ても、芸術作品とは言いにくい。

なんでスーパマリオみたいな像にしたんでしょうね、、。

ただ天気のいい日には、ここに座ってアイス(ドイツ人の大好物)を食べているドイツ人で埋め尽くされます。

倉庫 / Untere Schranne

倉庫

市場の端、少し奥まっている場所に、旧市役所によく似た木枠で組まれた大きな骸骨屋敷が見えます。

これはかってのビーバラッハの倉庫 / Schranne です。

60m もの長さがあり、これまでみた中では最長の骸骨屋敷。

16世紀に建造されてからは、穀物をここで保管して、同時に販売も行われていました(*2)。

ロバの影 / Des Esels Schatten

ロバの影

市場の端っこにあり、多分、ビーバラッハで一番有名なのが、ロバの影 / Des Esels Schatten と呼ばれる芸術作品です。

モチーフになっているのは、欧州では有名な逸話。

オリジナルはギリシャで生まれた逸話です。

その昔、ある人がロバを借りて運送を始めます。

しかし昼間の暑さで仕事を続けられず、ロバの影で一休みしようとします。

するとロバの持ち主が、

「君が借りたのはロバであって、ロバの影じゃない。ロバの影を使うなら、影の料金を払え。」

と主張、裁判所で争うことになったという逸話です。

これを風刺した見事な彫刻です。

三つ葉のクローバーの家 / Haus Kleeblatt

三つ葉のクローバーの家

厳密に言えば広場の外建ってる大きな屋敷は、三つ葉葉のクローバーの家 /”Kleeblatthaus”と呼ばれる14世紀の建造物。

なんでも家の入口に三つ葉のクローバー / Kleeblatt の飾りがあるので、この名前になったとか。

知らなかったので、見損じた~!

と思ったら、写真に写ってた!

建設当時はビーバラッハの商工組合、白髪頭 / Weißhaupt のオフィスだったそうです。

続いては市場の裏側にあるビーバラッハの見所を紹介していきます。

聖マルチン教会 / St.Martin

聖マルチン教会

宗教改革の時代は、中世を象徴するそれは血生臭い時代です。

宗派が違うだけで、同じ言葉を話す人間が殺し合うのですから、今となってはその動機を想像することさえできません。

ハイデルベルクでは教会を二つにわけ、前にはプロテスタントが、後ろ側ではカトリック教徒がミサに参加していました。

ところがビーバラッハでは、両宗派が同じ教会でミサをおこなった、珍しい例。

その両宗派が祈りをささげていたのが、聖マルチン教会 / St. Martin です。

市場からもその高い尖塔が、はっきり見えています。

建造されたのは14世紀。

18世紀には内部の装飾がバロック式に改装されたそうです。

ビーバラッハ 県で一番高いトイレ

ビーバラッハ 県で一番高いトイレ

聖マルチンの横にあるかわいらしい木組みの骸骨屋敷。

18世紀はここには小さな店が幾つか入っていたおしゃれな商店街。

戦後、街がこの建物を買い上げて、公衆トイレに改装。

その費用は70万ユーロ。

別名、

「ビーバラッハ県で一番高いトイレ」

と呼ばれています。

皮なめし通り / Gerbergasse

ビーバラッハ 皮なめし通り

公衆トイレですっきりして、左手に進んでいくと、今度はビーバラッハの皮なめし通り / Gerbergasse が出てきます。

かってこの近くに皮なめし職人が住んでいたのでこの名前だと思うんですが、河なめしに必要な水路が見つからない。

自宅に帰って地図を見たら、水路がわずかに残ってました。

この近辺には見ごたえのある建物も多く残っていましたので、是非、歩いてみてください。

(旧)郵便局前 / alter Postplatz

(旧)郵便局前

この地区には旧郵便局の建物があったので、(旧)郵便局前 / alter Postplatz と呼ばれる場所があります。

17世紀に建造された際は修道院、宗教改革で廃止され、兵舎に。

その後、郵便局として使われていたので、この名前です。

現在はビーバラッハ県の裁判所が入ってます。

だったら裁判所前の方がいいかと思うんですけどね、、。

木材市場 / Holzmarkt

上で紹介した市場から丘の上に向かって歩き出すと、木材市場 / Holzmarkt  と呼ばれている場所に出てきます。

かっては市場だったかもしれませんが、今ではその面影はほとんどありません。

この通りに面した場所に壮麗な建物が並んでいるので、

「何かの中心地だったんだろうな。」

と思う程度、勘が良ければ。

参照 : 木材市場

シュテーリン家 / Strölinhaus

シュテーリン家

木材市場に建つまるで宮殿のような屋敷はビーバラッハの豪商、シュテーリン家 / Störinhaus が16世紀に建てた屋敷です。

写真は正面部分だけですが、別棟 / Flügel もあり、まさに御殿です。

ドイツ語で

“in Stein gemeißert”(石に刻みこまれた)

という表現があります。

不変の物、慣習、法律などを(ちょっと)皮肉的に描写する際に使用します。

このシュテーリン家の二階部分に

「1590年 シュテーリン家」

と文字通り、石に刻み込まれています。

塩の倉庫 / Salzstadel

塩の倉庫

木材市場にはかっての塩の倉庫 / Salzstadel があります。

赤い色に塗られた、

「ギザギザ」

の飾りのある方の建物です。

16世紀初頭の建造物。

今では地上階に家電屋さんが入っていた

「跡」

だけ残っていました。

随分前に倒産した様子。

建物の影から見えていると思いますが、この倉庫の裏が

「織物職人の山」

と呼ばれるビーバラッハ発展の原動力になった織物地区です。

ビーバラッハ  織物職人の山 / Werberberg

ビーバラッハ  織物職人の山

街が自慢する観光名所のひとつがコレ、織物の山 / Werberberg です。

ビーバラッハと言えば、織物でお金持ちになった街ですので、多くの織物職人 / Werber が住んでいました。

その地区が山肌に近い場所にあるので、織物の山と呼ばれています。

最盛期には400を超える織物工場があったそうです。

街がホームページで宣伝しているだけあって、

立派な家屋がたくさん並んでいます。

街のホームページでも取り上げれているこちらの家は”Töpferhausと呼ばれており、陶器を製造していたそうです。

今はお土産屋~。

城壁 & 監視塔

城壁 & 監視塔

塩倉庫の後ろに城壁に登れる階段、その先に監視塔が見えています。

折角、来たんだから(もう二度とこないだろうから)元気があれば登ってみよう。

上から見渡せる町の景色は、絶景!というわけではないが、それでも十分に綺麗です。

30年戦争の頃にはビーバラッハの城壁は3mもの厚さがあり、難攻不落を誇っていた。

今日見ることができる城壁は、かっての街の境界線に沿って、近年になって再現されたものです。

白い塔 / Weisser Turm

ビーバラッハ 白い塔

その城壁に埋め込まれて(現存している)塔で一番立派なのが、灯台のように見える白い塔 / weisser Turm です。

完成したのは15世紀で、大砲の直撃に耐えるように厚さが2.8mもあります。

写真ではスリムに見えますが、高さは41m、直径10mもあります。

19世紀にはまだ現役でビーバラッハの牢屋として使っていたので、城壁の役目が終わっても残されることになりました。

ビーバラッハ 骸骨屋敷

ビーバラッハ 骸骨屋敷

路地に入ると

「あ、綺麗」

という建物が、ここに、あそこに建っている。

ビーバラッハの観光案内には載っておらず、建物の由来は不明。

古い建物の横に新しい建物が建っており、中世の赴きが残っているとは言い難いが、一度見ておいても損はない。

こんな屋敷がデユッセルドルフにあれば、さぞ有名だったろうに、同じような骸骨屋敷が多いので、いくら調べても出てきません。

喜劇館 / Komödienhaus

その先には喜劇館 / Komödienhaus と呼ばれるかっての屠畜場 /”Schlachthaus”があります。

地上階(日本で言う一階)で家畜の解体を行い、一階(日本でいう二階)では演劇が上演されてきました。

シェークスピアの最初の劇が上演されたのもココ。

何故、喜劇館という名前になったのか、そこは不明。

大きな建物郡なので一部は博物館としても使用されている。

参照 : 喜劇館

聖心病院 / Hospital zum heiligen Geist

聖心病院

喜劇館の横にある大きな建物は、16世紀に建造された聖心病院、Hospital zum heiligen Geist です。

中世から近代まで病院の他に孤児院、老人介護ホームとして、社会的弱者の世話をしてきた慈善団体です。

現在ではビーバラッハの博物館も入っています。

興味のある方はどうぞ。

入場料5ユーロ

参照 : 聖心病院

駐車場

ビーバラッハで路駐したら、30分くらいで違反切符を切られます。

車で行かれる方は、ナビに”Zeppelingling”と入れれば、街の中心にある喜劇館の裏の地下駐車場に行けます。

週末だったせいか2時間以上停めても、たったの1ユーロ。

違法駐車をしてチケットをもらうより、格段に安く、便利です。

参照

*1      どうせ日本人には本当のことはわかりっこないし~。

*2     名前にわざわざ”untere”が付いているということは当然、上の倉庫/”Obere Schranne”もあった筈、、。何処にあったか不明です。

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