自宅から向かうと片道3時間+もかかる メーアスブルク 。
おいそれとはいけません。夏の出張でやってきたフライブルク。
早く帰るなら5号線を使って北上、それからミュンヘンまで伸びてるアウトバーンの8号線に乗り、ひたすら東に走ります。でも渋滞でしていること間違いなし!
だったらいっそ南回りして、ボーデン湖畔の観光地を見て帰れば、渋滞で過ごす時間を観光に費やせる?山の絶景ルートを2時間ほど快適に車を走らせると、メーアスブルク到着。
早速、事前に調べていた駐車場に向かうも、、、。
目次
街の紹介 メーアスブルク / Meersburg
まずは街の紹介から。
メーアスブルク / Meersburg は、ドイツでは有名な観光地だが、日本では全く知られていない観光地のひとつ。
街はドイツとスイスの国境になっているボーデン湖の辺、ちょうどボーデン湖畔の大都市であるコンスタンツの対岸にある。人口は6000人。
「なんだ、ただの小さな村か。」
と見くびってはいけない。日本なら人口6000人の村には畑と古民家しかないが、メーアスブルクにはカトリックの司祭様が住んでいた街。ケルンやレーゲンスブルクと同じレベルで、司教様の宮殿や、かっての領主の砦まである。
もっとも司教様がコンスタンツに戻り、バーデン王家が官庁を閉鎖してからは、モロに落ち目。ボーデン湖で蒸気船が行きかうようになると、蒸気船が寄港してくれることを期待して港を整備した。
そして市民と市長が一丸となって、観光地として街のインフラを整備すると、風光明媚な観光地として見事な復活を遂げた。
行き方
行き方ですが。
メーアスブルクはバーデン ヴュルテンベルク州の最南東にあるので、西から向かっても、東から向かっても遠いです。
ミュンヘンから電車で行くと、たっぷり3時間半の距離。フライブルクから向かうとさらに遠くて、4時間+の距離。
アウグスブルクからでも電車で3時間弱、日帰りにはきつい。でもアルゴイと呼ばれる田舎を走るので、ミュンヘンのような都会はなく、渋滞もなく、アウグスブルクまで3時間弱で帰還できました。
何かの機会にボーデン湖まで行く事があれば、是非、メーアスブルクに寄ってください。
街の歴史
折角なので、街の歴史も見ておきましょう。
コンスタンツに渡る艀の出発地として、この地に村落が築かれたのがメーアスブルクの起源になる。
村落はすぐにコンスタンツの司教の支配下に入ります。12世紀の教会の書簡で、町の名前が始めて登場している。
メーアスブルクの集落は当初、住み易い低地ではなく、防御に適した丘の上で発展を始める。13世紀には市場を開く権利を与えられて、最初の要塞が築かれる。
町に昇格 – バイエルン公爵による包囲
まもなくメーアスブルクが町に昇格すると、丘の上だけでは十分な居住空間が得られず、低地にまで居住地が広がった。
この居住地も守るべく、古い城壁を取り壊して、新しい居住地を守る新しい城壁が築かれる。
町が発展すると、「自分の物にしたい。」と思うのが中世の諸侯。14世紀、バイエルン公爵は軍を進めてメーアスブルクを包囲するが、町を陥落させることができず、バイエルンにしょぼしょぼと帰っていった。
司教による恐怖政治
司教様と言えば、まさに王様にような存在。市民が司教による恐怖政治に苦しむことも少なくない。
町の発展に伴い、市民はもっと権利を要求。これが司教には気に入らない。司教は見せしめに町長を裁判なしで処刑して、この争いは司教の勝利に終わる。
そして司教様の居城は支配者にふさわしく、税金をふんだんに使って立派なお城に改築される。もっとも司教様の本来の居住地はコンスタンツで、メーアスブルクは別荘に過ぎなかった。
宗教改革
ルターの宗教改革の波がこの辺境まで押し寄せると、コンスタンツ住民はプロテスタントを歓迎して宗派を変えてしまう。
そこで司教はメーアスブルクに居を移し、カトリックの砦として鉄の支配をする。プロテスタント派は容赦なく処刑された。その後、カトリック派がコンスタンツを奪回すると司教もコンスタンツに帰還する。
30年戦争
30年戦争ではプロテスタント派のヴュルテムベルク公爵が軍を進め、メーアスブルクをカトリック教の支配から解放する。
しかし反攻に出たカトリック連合軍とボーデン湖で海戦になる。これに勝ったのがカトリック軍で、以来、ボーデン湖畔の町は今日までカトリック教の砦となっている。
ペストが猛威を振るいだすとコンスタンツ司教はメーアスブルクに宮殿を築かせ、居をコンスタンツからメーアスブルクに変える。以降、街は司教の居住地として栄えることになった。
メーアスブルク観光資源の整備
18世紀に司教がコンスタンツに帰って行く。
19世紀にはドイツ統一により、メーアスブルクにあったバーデン王家の官庁が次々に閉鎖される。残ったのは農業(ワイン栽培)と手工業だけで、町は次第に寂れていく。
「このままではジリ貧。」
と市長は街を有名な観光地にすべく、まずは丘の上の史跡を整備、湖沿いに並木道を作った。蒸気船がボーデン湖を行き来するようになると、多くの観光客がここを訪れるようになる。
第二次大戦中は戦争に欠かせない産業がなかったので、爆撃にもほとんど遭わなかった。戦争末期、フランス軍が戦車で侵攻してくると市民は戦車バリケードを作って、戦車の侵入を阻んだ。
そして立ち往生しているフランス軍の戦車を、丘の上から狙い撃ち。こうしてメーアスブルクは救われたと今日まで語られている。
メーアスブルク 観光 – ボーデン湖畔の美しい要塞町
では肝心要のメーアスブルク観光です。ボーデン湖畔の美しい要塞町を見ていきましょう。
この町の最大の欠点は駐車場。町のホームページで薦めてる”Unteruhldinger Str.”の駐車場には観光客が集結します。しかし十分な駐車スペースがなく、午後に到着するとすでに一杯。
空くまで30分待ちます。おまけに狭くて、高く、旧市街まで遠いです。
一方、丘の上にある”Stefan-Lochner-Straße”の駐車場はいつも空きがあり、町の中心部まで目と鼻の先。おまけにトイレ付。なんでこちらも利用して分散するように勧めないの?
(次回は)ここに車を止めたらいざ観光!
熊の噴水 / Bärenbrünnle
まずはメーアスブルクの丘の上から攻めます。
坂道を登っていくとお土産屋がびっしりと道の両側に。歴史感をそぎますが、町並みは綺麗です。ほぼ中腹にある噴水が熊の噴水 / Bärenbrünnle です。背景ととてもよくマッチしている。
この坂を上り切った先が少し開けており、ここが市内の中心部、それも庶民の居住区になります。
くちばしドクター / Dr. Schnabel
周囲の骸骨屋敷が美しいので、ちょっと遠回りしてメーアスブルの住民の居住区を歩いてみました。
鳥の仮面をかぶった銅像が立つ面白い噴水が出てきました。これは冗談ではなく、大真面目。
ペストが猛威を振るっていた頃、鳥のくちばしをマスクとしてつけると病気に罹らないと信じていたので、お医者さんはこんな格好で患者の診察にいっていたんです。
そこでついた名前がくちばしドクター / Dr.Schnabel です。
城壁と監視塔
立派な骸骨屋敷に誘い込まれ路地に入り、
「この建物も渋い。」
と感心してといると、監視塔が見えてきました。ということは、すでにここがメーアスブルク旧市街の境。監視塔と繋がっていた城壁は、取り壊されて残っていません。
一見すると監視塔の横に民家が建てられたように見えますが、実はこの民家、かっての城壁を家の壁に利用しています。かってはこの先に城壁が延々と伸びていたんです。
となれば私が立っている場所は、お堀だった筈。
メーアスブルクでは1820年頃から無用の長物になった城壁の取り壊しが始まり、これが終わったのが25年後。お陰で昔の趣を残す城壁はほとんど残っていません。残念。
ツーリストインフォ / Gästeinformation
城壁の内側に戻ると、装飾を施された大きな家屋が見えてきました。
教会かな?と思ったら、コレ、ツーリストインフォ / Gästeinformation でした。メーアスブルクのツーリストインフォは何故か、お客案内所という名前です。私が考えた名前ではありませぬ。
トイレで困ったので、私はここで聞きました~。
ライオン軒 / zum Löwen
メーアスブルク中心部の真っ赤な家屋は、宿屋&レストラン&ワインセラーのライオン軒 / “zum Löwen” です。
落ち目だった街を、
「観光業で盛り上げよう!」
とイニシャテイブをとった町長 Simon Weinzürn が住んでいた事でも知られています。
熊屋 / zum Bären
ライオン軒のお向かいの建物は、熊屋 / zum Bärenです。
開業は1456年、以来、今でも営業を続けているメーアスブルクで最古のレストランだ。この広場にはどちらを向いても、綺麗な建物ばかり。
上の門 / Obertor
熊のレストランに隣接するのが上の門 / Obertor 。
名前の通り、メーアスブルクの一番高い所にあるので、この名前。上述の駐車場もこの近くにあります。
なんでも14世紀初頭の建造物というから、とっても古い。城壁の外側から見ても、綺麗でした。
上級階級居住区 – 市役所
ライオン軒の前に立っと、右に門が見えてきます。
この門の先は、メーアスブルク上流階級居住区です。写真中、黄色い建物が市役所で、居酒屋が隣接しています。
すぐ右手には見事な”Bürgerhaus”(お金持ちの家)が見える。と~ってもお綺麗です。
この先を右に曲がると上流階級居住地区の名前にふさわしい、綺麗な家屋が立ち並んでいます。
それでいて観光客も少なくて風情があります。綺麗ですね~。やっぱり観光地はこうでなくっちゃ!
州立ワイン鋳造所 / Staatsweingut
この先がボーデン湖に面する崖で、メーアスブルクにある州立ワイン鋳造所 / Staatsweingut”が建っています。
他人の家をどうこう言う権利はないですが、軍隊の駐屯地みたい、、。
駐屯地よりも景色がいいのは、横にあるカフェ!
丘(崖)の上にあり、絶景を楽しみながらコーヒーや食事は言うに及ばず、地元のワインまで試せお土産に購入もできます。
参照 : staatsweingut-meersburg.de
メーアスブルク見晴らし台
州立ワイン鋳造所のカフェの横に、無料で入れる見晴らし台が設けらています。
ちょっと狭いけど。
絶景~。メーアスブルクの下町、港が一望できます。
しばし見惚れていると、観光船が港に入ってきました。ズームするとオーストリアの国旗を掲げているので、オーストリアから来たんですね。勿論、対岸のコンスタンツ行きのフェリーもあります。
大人3ユーロなので、車で大回りするより早くて安いです。
新宮殿 / neues Schloß
見晴らし台の横、一番見晴らしがいい場所には新宮殿 / neues Schloß が建っています。
城塞は住み心地が悪いので、大司教様が18世紀初頭に建築を命じた宮殿です。実は1850年~1803年までメーアスブルクはバンベルクのような、カトリック司教国でした。この時代に司教様が王様としてこのお城に住んでました
お城の前は広場になっており、お金持ちの屋敷が広場を囲むように建っています。ドイツらしくどちらを見てもカフェばかり~。広場の前を左折すると、城砦に行けます。
参照 : neues-schloss-meersburg.de
そうそう、崖の上には司教様専用の茶室が設けられています。一般人は立ち入り禁止です。
メーアスブルク 城砦 / Burg
あ、メーアスブルク城塞 / Burg が見えてきました。
向かいの階段に登ると、さらによく見えます。伝説によると、あのメロヴィンガー王家が7世紀に今日の城砦の場所に砦を築いたそうです。そう、この砦は現存するドイツで最古の砦です。
この砦が城になったのは、コンスタンツの司教がここに居を構えることになってから。
その後、司教様がもっと居心地のいい新しい御殿 “Neuer Schloss”を建てると、この砦は売却されます。手入れ(修繕)が大変なので、その後、しばらく無人の状態になり、城は荒れ放題。
「取り壊すか?」
という話になった際、バーデン王家がこの城を買い取り、貴族、王族用の宿に改装。お陰で今日まで現存することになりました。
とっても綺麗なんですが、入場料が12.80ユーロと有名なノイシュバンシュタイ城と同じ料金。駐車場も高いし、メーアスブルクの物価はスイスのようです。
参照 : burg-meersburg.de
バルコニーの上にある十字架を望遠で撮ると、こんな感じでした。
下界 / Unterstadt
丘の上はメーアスブルクのお金持ちと権力者の居住地区。
綺麗な家屋が数多く建っていますが、全部紹介するのは無理。丘の上はここで切り上げて下町 / Unterstadt に向かいます。看板には、
「下町はこちら。」
と書かれています。
この横に車も通れる立派な門も有り。
門の内側は観光客で一杯です。その原因が延々と続くレストラン街。丘の上よりも、こちらの下界のほうが繁盛しているようです。
メーアスブルク ワイン農家農協 / Winzerverein Meersburg
レストラン街の真ん中にある立派な建物は、メーアスブルクワイン農協 /Winzerverein Meersburg です。
小さなワイン農家が集まって農協を形成しています。ワイン農協の隣に販売店があり、ここでもワインをお土産に購入できます。
屋根の上からこっそり見えている城塞 / Burg が、アクセント。
参照 : meersburger.de
並木道 / Uferpromenade
ワイン農協がある通りの「裏」は、メーアスブルクの自慢の並木道 / Uferpromenade 。
出てみると、お~綺麗ですね~。そしておフランスのようにしっかり花を飾って、ムードを挙げており、観光客を呼ぶ努力が見受けられます。
波止場
並木道を歩いていると、メーアスブルクの波止場に到着。
ここからの景色が、と~ってもステキでした。
この日は34度も気温があがりましたが、ここまで来ると風がガンガン吹いてとっても心地よかったです。ベンチに座って和みたいですが、そんな時間はなし。日が暮れる前にアウグスブルクまで帰らなきゃ!
穀物倉庫 / Gredhaus
波止場に建っている真っ赤な建物は、穀物倉庫 / Gredhaus です。
ボーデン湖を利用して、ここで陸揚げした穀物(等)を、税金を払うまで保管していました。他の町だったら、”Schranne”と言うんですが、メーアスブルクではこの名前。
15世紀に司教様が町に売却してから、ここで穀物の貯蔵、販売が行なわれました。今は博物館になっています。
魔法の柱 / Magische Säule
景色を写真に収めて波止場の先まで行くと、魔法の柱 / Magische Säule という芸術作品が。
「作った本人にしかわからない。」
部類の芸術で、とても名物とは言い難い、。
ここからの眺めは素晴らしい。メーアスブルクの並木道を一望できます。港も綺麗。遠方凝視するとかすんでいる対岸が見えますが、向かいはオーストリアです。
多分、二度と来ないので、しっかり目に焼き付けておきました。
メーアスブルク 何処に泊まる?
不便な場所にあるので、メーアスブルク一泊される場合は、
- 山の上に泊まる
- 下界に泊まる
どちらかの選択肢になります。山の中腹に泊まると、観光に食事に毎回、坂道を上る必要があります。きつい坂道ではないので、普通に歩ける方ならそんなに苦にはなりません。
それに夜になっても酔っぱらないが叫ぶことなく静かです。
一方、下界に泊まるなら、観光で一度山を登るだけ。港に泊まれば部屋からボーデン湖が見れて、天気がよければアルプスまで見渡せて、気分良し。
ただしレストランが多いので、酒を飲んでご機嫌になった観光客の声が、観光気分をぶち壊す可能性有。ここだったら港のホテル「海の家」が雰囲気良し。
まとめ – 遠くても行く価値アリ!
テレビの番組で見た程度の事前知識で、メーアスブルクに行ってきました!
期待していた以上の綺麗な街!丘の上の見事な屋敷、城は言うに及ばず、波止場と並木道はまるでニースにでも来たような気分になります。遠くても行く価値アリ!
もしフライブルクとミュンヘンの間を車で移動する機会があれば、是非、ここで一休みして街を歩いてください。