街の紹介 メーアスブルク / Meersburg

メーアスブルク / ”Meersburg は、ドイツでは有名な観光地だが、日本では全く知られていない観光地のひとつ。ボーデン湖の畔にあるこの街は、司教がその居をコンスタンツに移し、バーデン王家が官庁を閉鎖してから、農業(ワイン農家)、職人、それに商人が細々と生業を営んでいた。

街が復活するのは19世紀の後半に線路がこの街まで引かれ、ボーデン湖で蒸気船が行きかうようになってから。ちょうどコンスタンツの対岸にあるこの街は、蒸気船が寄港してくれることを期待して港を整備した。そして市民と市長が一丸となって、観光地として街のインフラを整備すると、風光明媚な観光地として見事な復活を遂げた。

行き方

街はバーデン ヴュルテンベルク州の最南東にあるので、どちらから向かっても遠いです。ミュンヘンから電車で行くと、たっぷり3時間半の距離。フライブルクから向かうとさらに遠くて、4時間+の距離。

アウグスブルクからでも電車で3時間弱、日帰りにはきついかもしれませんが、ボーデン湖まで行く機会があれば、是非、寄ってください。アルゴイと呼ばれる田舎を走るので、ミュンヘンのような都会はなく、渋滞もなく、アウグスブルクまで3時間弱で帰還できました。

街の歴史

コンスタンツに渡る艀の出発地として、この地に村落が築かれたのがメーアスブルクの起源になる。村落はすぐにコンスタンツの司教の支配下に入った。12世紀の教会の書簡で、この町の名前が始めて登場している。メーアスブルクの集落は当初、住み易い低地ではなく、防御に適した丘の上で発展を始める。13世紀には市場を開く権利を与えれれて、最初の要塞が築かれる。

町に昇格 – その後の発展

まもなく町に昇格すると丘の上だけでは十分な居住空間が得られず、低地にまで居住地が広がった。古い城壁を取り壊して、新しい居住地を守る新しい城壁が築かれる。

町が発展すると、「自分の物にしたい。」と思うのが中世の諸侯。14世紀、バイエルン公爵は軍を進めてメーアスブルクを包囲するが、町を陥落させることができず、バイエルンにしょぼしょぼと帰っていった。

司教による恐怖政治

町の発展に伴い市民はもっと権利を要求。これが司教には気に入らない。司教は見せしめに町長を裁判なしで処刑して、この争いは司教の勝利に終わる。そして司教様の居城は支配者にふさわしく、税金をふんだんに使って立派なお城に改築される。もっとも司教様の本来の居住地はコンスタンツで、メーアスブルクは別荘に過ぎなかった。

宗教改革

ルターの宗教改革の波がこの辺境まで押し寄せると、コンスタンツ住民はプロテスタントを歓迎して宗派を変えてしまう。そこで司教はメーアスブルクに居を移し、カトリックの砦として鉄の支配、プロテスタント派は容赦なく処刑された。その後、カトリック派がコンスタンツを奪回すると司教もコンスタンツに帰還する。

30年戦争

30年戦争ではプロテスタント派のヴュルテムベルク公爵が軍を進め、町をカトリック教の支配から解放する。しかし反攻に出たカトリック連合軍とボーデン湖で海戦になる。これに勝ったのがカトリック軍で、以来、ボーデン湖は今日までカトリック教の砦となっている。

ペストが猛威を振るいだすとコンスタンツ司教はメーアスブルクに宮殿を築かせ、居をコンスタンツからメーアスブルクに変え、メーアスブルクは司教の居住地として栄えることになった。

観光資源の整備

18世紀に司教がコンスタンツに帰って行き、19世紀にはメーアスブルクにあった官庁が次々に閉鎖されると、農業と手工業だけのこの町は次第に寂れていく。「このままではジリ貧。」と市長はメーアスブルクを有名な観光地にすべく、まずは丘の上の史跡を整備、湖沿いに並木道を作った。蒸気船がボーデン湖を行き来するようになると、多くの観光客がここを訪れるようになる。

第二次大戦中は戦争に欠かせない産業がなかったので、爆撃にもほとんど遭わなかった。戦争末期、フランス軍が戦車で侵攻してくると市民は戦車バリケードを作って、戦車の侵入を阻んだ。そして立ち往生しているフランス軍の戦車を、丘の上から狙い撃ち。こうしてメーアスブルクは救われたと今日まで語られている。

メーアスブルク – ボーデン湖畔の要塞の町

この町の最大の欠点は駐車場。町のホームページで薦めてる”Unteruhldinger Str.”の駐車場に観光客が集結します。しかし十分な駐車スペースがなく、午後に到着するとすでに一杯。空くまで30分待ちます。おまけに狭くて、高く、市内まで遠いです。

お勧めは”Stefan-Lochner-Straße”の駐車場。いつも空きがあり、町の中心部まで目と鼻の先。トイレ付。ここに車を止めたらいざ観光!

何処に泊まる?

もし一泊される場合は、山の上、中腹に泊まるか、それとも下界の港周辺に泊まるか、どちらかの選択肢になります。山の中腹に泊まると、観光に食事に毎回、坂道を上る必要があります。きつい坂道ではないので、普通に歩ける方ならそんなに苦にはなりません。それに夜になっても酔っぱらないが叫ぶことなく静かです。ここで泊まるなら有名なライオン軒か、3 Stuben

一方、下界に泊まるなら、観光で一度山を登るだけ。港に泊まれば部屋からボーデン湖が見れて、天気がよければアルプスまで見渡せて、気分良し。ただしレストランが多いので、酒を飲んでご機嫌になった観光客の声が、観光気分をぶち壊す可能性有。ここだったら港のホテル「海の家」が雰囲気良し。

熊の噴水

まずは丘の上から攻めます。坂道を登っていくとお土産屋が気分をそぎますが、町並みは綺麗です。中腹にある噴水が”Bärenbrünnle”(熊の噴水)だ。背景ととてもよくマッチしている。この坂を上り切った先が少し開けており、ここが市内の中心部、それも庶民の居住区になります。

鳥のマスクをかぶった医師の銅像

周囲の骸骨屋敷が美しいので、ちょっと遠回りしてみると、鳥の仮面をかぶった銅像の面白い噴水が出てきました。これは冗談ではなく、大真面目。ペストが猛威を振るっていた頃、鳥のくちばしをマスクとしてつけると病気に罹らないと信じていたので、お医者さんはこんな格好で患者の診察にいっていたんです。

城壁と監視塔

立派な骸骨屋敷に誘い込まれ路地に入り、「この建物も渋い。」と感心してといると、もう監視塔が見えてきました。ここが町の境。ここにあった城壁は、取り壊されて残っていません。メーアスブルクでは1820年頃から無用の長物になった城壁の取り壊しが始まり、これが終わったのが25年後。お陰で昔の趣を残す城壁はほとんど残っていません。残念。

ライオン軒と熊屋

真っ赤な家屋は、宿屋&レストラン&ワインセラーの “zum Löwen” (ライオン軒)です。そのお向かいの熊屋 “zum Bären”、開業は1456年、以来、今でも営業を続けている町で最古のレストランだ。この広場にはどちらを向いても、綺麗な建物ばかり。熊のレストランに隣接するのが”Obertor”で、名前の通り「上の門」だ。なんでも14世紀初頭の建造物というから、とっても古い。城壁の外側から見ても、綺麗でした。

上級階級居住区 – 市役所

ライオン軒の前を右に曲がると、門が見えてきます。この先は上流階級だけが住むことを許された居住区です。黄色い建物が市役所で、市役所居酒屋が隣接している。すぐ右手には見事な”Bürgerhaus”(お金持ちの家)が見える。と~ってもお綺麗です。この先に綺麗な家屋が立ち並んで、それでいて観光客も少なくて風情があります。

州立ワイン鋳造所

この先がボーデン湖に面する崖で、”Staasweingut”(州立ワイン鋳造所)が建っています。横にはカフェがあり、コーヒーや食事は言うに及ばず、地元のワインまで試せお土産に購入もできます。

見晴らし台

ここからの見晴らしはステキ。しばし見惚れていると、観光船が港に入ってきました。ズームするとオーストリアの国旗を掲げているので、オーストリアから来たんですね。勿論、対岸のコンスタンツ行きのフェリーもあります。大人3ユーロなので、車で大回りするより早くて安いです。

司教様の宮殿

お隣に司教様の宮殿が建っています。宮殿の前は広場になっており、お金持ちの屋敷がが広場を囲むように建っています。ドイツらしくどちらを見てもカフェばかり~。広場の前を左折すると、城砦に行けます。

城砦 / Burg

あ、”Burg”(城砦)が見えてきました。向かいの階段に登っると、さらによく見えます。伝説によると、あのメロヴィンガー王家が7世紀に今日の城砦の場所に砦を築いたそうです。そう、この砦は現存するドイツで最古の砦です。この砦が城になったのは、コンスタンツの司教がここに居を構えることになってから。

その後、司教様がもっと居心地のいい新しい御殿 “Neuer Schloss”を建てると、この砦は売却されます。手入れ(修繕)が大変なので、その後、しばらく無人の状態になり、城は荒れ放題。「取り壊すか?」という話になった際、バーデン王家がこの城を買い取り、貴族、王族用の宿に改装。お陰で今日まで現存することになりました。

とっても綺麗なんですが、入場料が12.80ユーロと有名なノイシュバンシュタイ城と同じ料金。駐車場も高いし、メーアスブルクの物価はスイスのようです。

新しい城 / Neuer Schloss

城塞から目と鼻の先に、司教様の御殿、新しい城、”Neuer Schloss”があります。それは見事な宮殿で、見晴台からボーデン湖を一望できます。そうそう、崖の上には司教様専用の茶室が設けられています。一般人は立ち入り禁止です。

下界 – 並木道とレストラン街

綺麗な家屋が数多く建っていますが、全部紹介するのは無理。丘の上はここで切り上げて下町に向かいます。看板には、「下町はこちら。」と書かれています。門の内側は観光客で一杯です。

その原因が延々と続くレストラン街。この立派な建物はワイン農協。この通りの「裏」は上述の並木道なんです。出てみると、お~綺麗ですね~。そしておフランスのようにしっかり花を飾って、ムードを挙げており、観光客を呼ぶ努力が見受けられます。

波止場

波止場に到着。ここからの景色がと~ってもステキでした。真っ赤な建物は、”Gredhaus”と呼ばれ、15世紀に司教様が町に売却したもの。ここで穀物の貯蔵、販売が行なわれました。今はホテルに泣てます。

この日は34度も気温があがりましたが、ここまで来ると風がガンガン吹いてとっても心地よかったです。ベンチに座って和みたいですが、そんな時間はなし。日が暮れる前にアウグスブルクまで帰らなきゃ!

魔法の柱

景色を写真に収めて波止場の先まで行くと„Magische Säule“という彫刻が。直訳すると魔法の柱。ここからの眺めは素晴らしい。並木道を一望できます。港も綺麗。遠方凝視するとかすんでいる対岸が見えますが、向かいはオーストリアです。多分、二度と来ないので、しっかり目に焼き付けておきました。

総評 ☆☆☆☆ – 遠くても行く価値アリ!

テレビの番組で見た程度の事前知識で行ってきました!期待していた以上の綺麗な街!丘の上の見事な屋敷、城は言うに及ばず、波止場と並木道はまるでニースにでも来たような気分になります。

もしフライブルクとミュンヘンの間を車で移動する機会があれば、是非、ここで一休みして街を歩いてください。

 

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