リートリンゲン なんて聞いたこがない!

って方が大半だと思います。どの観光案内を読んでも、絶対に載ってない正真正銘のドイツ観光の秘境です。ローテンブルクや世界遺産都市のバンベルクレーゲンスブルクには、逆立ちをしても勝てません。でもマイナーな観光地にしては、見所たくさん。

観光客の数が少なく、史跡を独り占めできるのが、マイナーな観光名所の長所。街の入り口にはちゃんと無料の大きな駐車場もあり、インフラも整備されている。せめてそのお礼にリートリンゲンを訪れたら、パン屋で朝飯を買うか、アイスカフェでアイスでも買ってあげてください!

ではまずは街の地理から紹介を始めます。

リートリンゲン の紹介

リートリンゲン ドナウ河畔とコウノトリの銅像リートリンゲン / “Riedlingen“の街は、ドナウ河が切り開いた谷の部分にある街。ちょうどシュバーベンのアルプス“schwäbische Alp”と呼ばれる南ドイツの山岳地方の端っこにある。山岳地方と言っても、一番標高の高い山で800mにも満たない。しかし200kmにも渡って広がっており、自然の障害となっている。

近郊にある大きな街は”ビーバラッハ“で、30Kmほど離れた場所にある。町の人口はかろうじて1万人を突破している小さな町だが、工業化の波に乗り損ねたお陰で、中世の趣をまだ残している。ビーバラッハまで行くなら、是非、こちらの町も見ていこう。

街の歴史

リートリンゲンに関する最古の書簡は9世紀。もっとも街ではなく、ドナウ河畔の小さな集落に過ぎなかった。13世紀になって近郊の権力者がここに街を築かせたのが、リートリンゲンの始まりになる。

ドナウ河畔にあるこの集落の戦術的利点に目をつけたのは、オーストリアのハープスブルク家。この街を手に入れるが、借金の返済ですぐに売却、その後、街は何度も所有者を変えて、14世紀に神聖ローマ帝国を築いたシュタウフアー家の親戚であるヴァルトブルク /”Waldburg”家の支配下に収まる。

宗教改革の波

16世紀になると宗教改革の波が、この小さな町にもやってくる。支配階層はカトリックだったが、貧乏な市民はプロテスタントを支持して、支配階級と仲たがいする。もっとも強大なヴァルトブルク家に抵抗するには非力なので、ドナウ河畔の近隣の町とプロテスタント同盟を組んで抵抗。1680年にはヴァルトブルク家の支配を離れ、再びハープスブルク家の支配下に戻ってくる。

もっともハープスブルク家もカトリック教なので、この街の帰属の変更にどんな利点があったのかは不明。興味のある方は調べてみてください。19世紀にはヴルテムベルク家の支配下に移り、今日に至っている。

リートリンゲン 観光

リートリンゲンには基幹産業がないため、第二次大戦でもほとんど被害を受けなった運のいい町のひとつ。折角、戦火を逃れたのに戦後、「もっとモダンな作りにしたい。」と、古い家屋が取り壊されてしまう。この近代化の波に飲み込まれたケルン、フランクフルトなどでは、昔の家屋はほとんど残っていない。

幸い近代化の波に抵抗する市民も居て、随所にかっての古風な家屋が残っている。もっとも14世紀の建物の隣にモダンな建物が建っており、ミスマッチ。これがなければ「中世の趣を残した町」と宣伝できたのに、とっても残念だ。とは言え、ドナウ河畔と町の中心部だけはちゃんと古い建物を残しており、足を運んでみる価値はある。

ドナウ河畔

リートリンゲン ドナウ河畔の岩と綺麗な家屋群街に正面から入るには、ドナウ河にかかっている橋を渡って入ります。ちょうどこの日は、ゴールデンウイークの真っ最中。なのに、日本人はゼロ、というか観光客はほんといない秘密の場所的な存在だ。街のマスコットのコウノトリの彫刻が、街の随所に建っている。

河にはランツベルクのような河川工事が施されており、四六時中、川の流れる音が聞こえる。一番見所がいい場所の家屋は、やはりレストランやカフェが入ってます。

ドナウ河畔に建つ家屋が綺麗なので、吸い込まれるようにずんずんと歩いていきそうだ。しかしまずは橋を渡らないで、河沿いの岸から綺麗な対岸の家屋を眺めてみよう

水車門 – リヒテンシュタイン

対岸から向かって右手の赤い枠組みの綺麗な骸骨屋敷は、”Mühltörle”(水車門)という名前で、「すでに14世紀には建っていた。」という。町の住人はリヒテンシュタイン /„Lichtenstein“の愛称で呼んでいる。かってリートリンゲンの街が城壁で囲まれていた時は、城壁へとつながる門であったので、水車門という名前。

リートリンゲン のドナウ河畔の水車門 - リヒテンシュタインこの家屋は町が所有しており、休暇用のアパートとして貸し出されている。最低3泊からで料金は120ユーロ/日とありますが、これは間違いのようです。4泊、5泊の方が料金が高くなっているので、正確には3泊で120ユーロから。安い!流石!田舎町。

参照 : riedlingen.de

運河沿い

橋を渡って街の入り口にやってくると、右回りと左周りの選択に迫られます。ここは右周りを選択してください。リヒテンシュタインを近から観るためです。するとその前に立派な噴水が見えてきます。

スエーデン噴水

リートリンゲン のスエーデン噴水名前の由来は不明で、「その昔、ここにあった名前の知られていない噴水が、19世紀に作り直された。」とだけ、書かれています。

噴水の中央部分に色鮮やかな人形が飾れており、これが兵士の像だとか。するとスエーデン兵士?なんでよりによってスエーデン?謎は深まるばかりですね~。

ここからどっちにいくかしばし思案。噴水の後ろに見えるを道を選ぶと、すぐ先はもう町の中心部。時間があるので、遠回りして丘を下って水車門を通って歩いていこう。ここは水車を動かす運河が流れており、運河沿いに立ち並ぶ家屋が美しい。

すぐ近くには見事な骸骨屋敷が建っているが、由来は不明。建物にはそれらしい説明はないし、町の観光案内を読んでも、それらしい記述が見つからない。ここから見える塔が、”Zellemeesturm”。

かってこの町は城壁で囲まれて、12のの防衛塔が建っていたが、唯一、この塔だけが近代化の波を生き残った。とっても小さな塔なので、邪魔にならなかったのが、取り壊しを逃れた理由のようです。

この日は付近を工事中で工事現場の写真しかないので、紹介は割愛。

ツヴァイ ファルター トーア / Zwiefalter Tor

リートリンゲン のかっての城塞門 ツヴァイファルタートーア再現された城壁の横に階段があるので、登ってみると町の観光名所のひとつ、ツヴァイ ファルター トーア / “Zwiefalter Tor”が見えてくる。意味のありそうな名前だが、実はツヴァイ ファルターという通りにある門なので、この名前。

街の城門とは思えない綺麗な門!と思った方は正解です。かってはここには墓場があり、この建物は礼拝堂でした。18世紀に墓場は街の外に移動されることになり、礼拝堂だけ残りました。

その礼拝堂に穴をあけて門にしたので、綺麗な門になりました。内側から見る門はとっても綺麗。

旧市街

この先が旧市街になります。上述のスエーデン噴水の後ろの道を使うと、ショートカットできましたが、綺麗な景色も見損なうので、時間があれば遠回りしていきましょう。

聖ゲオルグ教会

リートリンゲン の聖ゲオルグ教会ツヴァイ ファルター トーアのすぐ横、かっての城壁沿いに建つのがカトリック教会の聖ゲオルグ教会 /”St. Georg”だ。最初に建造されたのは、街の建造と同じ13世紀。教会の尖塔が遠くから見えるように、街の一番高いこの場所に建造された。

その尖塔の基礎には、街がここにできる前に作られたとみられる昔の防壁の一部が使われている。現在の三層構造になったのは15世紀の増築後。その内部にはイエズスの審判を描いた強大な絨毯がかかっているそうです。

この日は閉まっていて、みることができませんでした。平日に行かれる方は、是非、内部もご覧あれ。

この辺には似たような建物が多いので、区別が難しい。そのひとつが、教会の横にあるの司教様の家。ドイツでは聖職者になるには大学で神学を専攻して、これをいい成績で終えることが条件。でもこの条件をクリアすると、立派な家が提供されて無料で住めます!

聖なる十字架 /”heiligen Kreuz”

リートリンゲン の聖なる十字架 /"heiligen Kreuz"と呼ばれる大きな骸骨屋敷道路を隔てて教会の対面に建っている大きな骸骨屋敷は、かっての女性の修道院 聖なる十字架 /”heiligen Kreuz”です。建造されたのは15世紀で、修道士は街の病人をここで介護していた。

18世紀に修道院は閉鎖されて、この建物はイタリア人の商人が購入。現在では街が所有しており、街の役所が入ってます。

 

市役所

そのお隣がデパート / “Kaufhaus” として建造され、その後、穀物倉庫 / “Kornhaus”として使用されていた立派な建物がある。今日は市役所として使用されている。15世紀の書簡に、リートリンゲンのデパートについての記述がある。その後、16世紀になってから、今の立派な姿に改築されたというから、かなり儲かったに違いない。

リートリンゲン の市役所16世紀の別の書簡では、穀物倉庫として利用されていたことが記述されており、市が開催されない場合は、倉庫として利用されていたようだ。

市役所の屋根の上にある凸凹、ドイツ語で”Giebel”と言いますが、ドナウヴェアトの街にあるフッガー屋敷とそっくりです。

 

司教の家 / Kaplaneihaus

ちょっと教会の裏も見てみよう。裏には “Kaplaneihaus” が建っている。簡単に言えば教会関係者の宿舎だ。かっての農家の家屋を改造したもの。

リートリンゲン かっての司教の家 / Kaplaneihaus建物の裏の壁は、街の城壁を利用している。

現在は内部、改装とピッカピカにリノベーションして、街の祭りで使う衣装や小物、大物を収納する倉庫になっている。

 

旧学校舎 / „Altes Schulhaus

司教家の向かいには、かっての小学校、„Altes Schulhaus“が建っている。16世紀、日本で言えば江戸時代の建造物だ。家の前にちょこんと建っている彫刻がかわいい。

現在は青少年、少女向けの音楽学校が入っている。

市場

市役所まで戻って、いよいよ町の中心部に入ってみよう。リートリンゲンは歴史のある古い街なので、デンケルスビュールのように、広場を設けない町の作りが一般的だった。とは言え、ガッカリする必要はない。

宿舎 / Stadthaus

リートリンゲン かっての官僚の宿舎 / Stadthaus中心部を飾るのは、見事な骸骨屋敷群。その中でもこの2軒並びの家屋は、”Stadthaus”と呼ばれる17世紀建造の建造物。かってはお給料のいい官僚の宿舎だった。宿舎として利用されたのは上の階で、地上階では品物を陳列して販売していたこともあった。

土台の部分は14世紀まで遡るが、上部の装飾が施された部分は17世紀に増築されたもの。この見事な骸骨屋敷群が、リートリンゲンで一番立派な建造物で、街の象徴です。

豚市場

ここに豚を抱えた銅像、”A Saufraid”が立っている。そう、かってここでは1960年代まで豚の取引が行われていた。これを「みんなに示したい。」と街が芸術家にブロンズの作成を依頼。2004年からここに銅像が立ってます。

飼育場 & 屠殺場

リートリンゲン かっての飼育場 & 屠殺場銅像の先の小さな教会のような建物がなんともかわいいが、これは15世紀に建造された家畜の飼育 & 屠殺場。かってここには飼育とこれを解体する屠殺場、それに肉を販売する肉屋が5軒も並んでいた。

家畜の解体が行われたのは18世紀まで。19世紀には地上階を劇場に改装。当時の人口1700人なのに劇場を造るんだから、ドイツ人はやっぱり劇場好き。日本のお笑いみたいなもの。

旧修道院

市場を先に歩いていくと、通りの右側に壁画が描かれているかっての修道院の別館が建っている。建物の壁の一部は、街の最初の城壁を利用したもので、かってはnここが街の境界線だった。13~14世紀の建造と推定されている。

その後、16世紀に大幅に改築されたので、建設当時から残っているのは、壁の一部と建物の基礎だけ。19世紀になると建物の面倒を見る人がいなくなり、朽ちるだけ。建物の一部が崩れたのをきっかけに、リノヴェーションが行われた。壁画はその当時に描かれたもの。

横の壁画はとりわけ立派で、入り口の紋章が時代と由来を語っている。

聖十字架病院

リートリンゲン かっての聖十字架病院この横道を進むと正面に、6階建ての見事な建物、聖十字架病院が見えてくる。この病院は14世紀に街のお金持ちが、街に「どうぞ。」と寄贈したもの。リートリンゲンのフッガー長屋です。上述の修道院に付属の病院です。もっとも患者ではなく、修道院、それに街の職員が働いていたそうです。

病院の左と後ろの壁は、街の古い城壁を使用しており、当時は街の防壁の一部でした。当時は入り口に石作りの門と塀があったのに、今では邪魔な塀と門は取り壊されて駐車場に、、。便利なんだけどね~。

綺麗な階段

病院を後にして先に進むと、右手に綺麗な階段 / “Schöne Stiege“と呼ばれる見事な骸骨屋敷が見える。この建物は16世紀の建造物で、現在は博物館として使用されている。建造物の専門家は、「リートリンゲンの骸骨屋敷の見本的な存在。」と呼んでいる。

リートリンゲン の綺麗な階段と呼ばれる家市役所は全部、石で作られているので、石の家 / Steinhaus と呼ばれる。上述の聖十字架病院地も、石の家。しかしこの建物は、地上階はだけ石作り。その上に装飾を施した骸骨屋敷を建てるのが、この地方の特徴だとか。地上階は家畜や馬の飼育に利用されて、人はその上の階に住む様式になっていた。

だから階段が外についており、これが立派なので綺麗な階段の家と呼ばれることに。

参照 : museum-riedlingen.de 入場料2ユーロ

実はこの先に見事な骸骨屋敷のかっての兵舎があるのだが、「何もなさそう。」と来た道を戻ってしまったので、写真が撮れず。残念。

ヴェークシュナイダーの家 / “Wegscheiderhaus”

リートリンゲン のヴェークシュナイダーの家 / "Wegscheiderhaus"メイン通りに戻ると、すぐ先で道が3方向に分かれている。この分岐点に建っているのがヴェークシュナイダーの家 /”Wegscheiderhaus”。ヴェークシュナイダーという名前の市長が17世紀に建築させた宮殿のような建物だ。

内部はバロック調で素晴らしいという話だが、現在は(通信)大学の本部として使用されているので、内部はみることができません。

骸骨屋敷 / zum Greifen

その向かいにはかわいい骸骨屋敷も建っている。大きな骸骨屋敷が見える方向に進んでみよう。この大きな骸骨屋敷は16世紀に建造された、この地方特有の骸骨屋敷。すなわち下は石作り、上部は見事な骸骨屋敷。

リートリンゲン の有名な飯屋 zum Greifen名前、„zum Greifen“ とは、鳥とライオンが一緒になった想像上の猛禽類。16世紀から現在まで居酒屋として営業中だから凄い。

参照 : Wikipedia

もっとも私が観光にいった当時から、レストランには閑古鳥が鳴いており、建物は要修理でした。最近、この建物は売却され、儲からないレストランは辞めて、ホテルになるそうです。せめて建物の名前は残して欲しいものだ。

パラダイス納屋 / Paradiesscheuer

かわいい家屋に感心しながら歩いていくと、宿屋兼飯屋が見えてくる。とっても歴史がありそうなのに、町の観光案内に載っていない。由来は不明。その先にある骸骨屋敷はパラダイス納屋 /”Paradiesscheuer”と呼ばれ、向かいに建つ一膳飯屋兼宿屋の “Gasthaus Paradies” の物置だった。

今日ではイタリア料理屋になっている。その先の小さな教会は”Weilerkapelle”と呼ばれる礼拝堂だ。

門 / Portal Storchengasse

リートリンゲン 馬小屋の立派な門 / Portal Storchengasse脇道に入ると新しい家屋に紛れて、古い家屋や建造物が残っている。その中でも目を引くのが納屋の門。ただの納屋への入り口なのに、ルネッサンス風の作りになっている。なんでも昔はコンスタンツの司教様から派遣された、宗教関係者専用の馬小屋だったとか。

上流階級は馬小屋も別なんですねえ。

 

城壁

リートリンゲン かっての城壁ドナウ河に向かって下っていくと、かっての城壁の一部が見えてくる。後から無理やり窓をこしらえて、城壁を民家の壁として利用しています。昔はここま街の境界?と回りをみても、そこに有った筈のお堀の姿も痕跡もなし。

全部埋められて、今では民家が立ち並び、城壁以外には昔の面影は残っていませんでした。

リートリンゲン 意外に見所たくさん!

日本のゴールデンウイークのど真ん中でしたが、アジア人の観光客はおろか、カメラを抱えて歩いている観光客は私だけ。街は小さいですが、見所は意外に多いし、行っても損はしません。もっともリートリンゲンでの観光に費やす時間よりも、行く時間のほうがかかるのが、大きなネックです。

誰も知らない観光名所をお探しの方にお勧めします。

 

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