リートリンゲン ?聞いたこがないっ!
って方が大半だと思います。どの観光案内を読んでも、絶対に載ってない正真正銘のドイツの秘境です。
ローテンブルクや世界遺産都市のバンベルクやレーゲンスブルクには、逆立ちをしても勝てません。でもマイナーな観光地にしては、見所たくさん。
リートリンゲンは、木枠で組まれた骸骨屋敷の街として有名で、綺麗で古風な家屋が旧市街地に目白押し。
そして美しい家屋が経ち並ぶドナウ河畔の景色は、有名な観光名所にもひけをとりません。
こんなに綺麗なのに、辺鄙な場所にあるので観光客の数が少なく、史跡を独り占めできます。
では、いざ!
目次
街の紹介 リートリンゲン / Riedlingen
まずは街の紹介から始めます。
リートリンゲン / Riedlingenの街は、ちょうどシュバーベンのアルプス “schwäbische Alp”と呼ばれる南ドイツの山岳地方の端っこにある。
山岳地方と言っても、一番標高の高い山で800mにも満たない。しかし200kmにも渡って広がっており、自然の障害となっている。
この自然の障害にドナウ河が切り開いた谷に、リートリンゲンの街がある。
現在ではドナウ川が街のほぼ真ん中を縦断していますが、旧市街は標高の高い、左岸に建設されています。
町の人口はかろうじて1万人を突破している小さな町だが、工業化の波に乗り損ねたお陰で、中世の趣をまだ残している。
行き方
秘境だけあって行くのは一苦労。
リートリンゲンはバーデン ヴュルテンベルク州にあり、ウルムの左下(西南)70Km。近郊にある大きな街は県庁所在地のビーバラッハで、30Kmほど離れた場所にある。
もしビーバラッハまで行くなら(行かないと思うけど)、是非、こちらの町も見ていこう。
自宅のアウグスブルクから田舎道を延々を走り、2時間半でリートリンゲンに到着。もしウルムに住んでるなら電車で50分。州都のシュトットゥガルトからでも電車で2時間。まさに秘境でこんな街なで来る日本人は私だけ。
街の歴史
街の歴史にも軽く触れておきます。
リートリンゲンに関する最古の記述は9世紀の書簡なので、結構、古い。その書簡ではドナウ河畔の小さな集落について触れられている。
13世紀になって近郊の権力者が、ドナウ河が大きく弧を描いているこの地に目をつける。弧の中には大きな中州が形成されており、ドナウ河に橋をかけるには絶好の場所。
「ここに街を築けば、交易(税金)で儲かる!」
と、橋と街を築かせたせたのが、リートリンゲンの始まりになる。そしてこれが大当たり!市で街が栄えると、すぐにオーストリアのハープスブルク家に売却される。
ところがハープスブルク家は、借金の返済ですぐに街を転売。まるで不動産屋みたいですね。
その後、街は何度も所有者を変えて、14世紀に神聖ローマ帝国を築いたシュタウフアー家の親戚であるヴァルトブルク /”Waldburg”家の支配下に収まる。
宗教改革の波
16世紀になると宗教改革の波が、リートリンゲンにもやってくる。
支配階層はカトリックだったが、貧乏な市民はプロテスタントを支持して、支配階級と仲たがいする。
もっとも強大なヴァルトブルク家に抵抗するには非力なので、ドナウ河畔の近隣の町とプロテスタント同盟を組んで抵抗。1680年にはヴァルトブルク家の支配を離れ、再びハープスブルク家の支配下に戻ってくる。
もっともハープスブルク家もカトリック教なので、リートリンゲンの帰属の変更にどんな利点があったのかは不明。興味のある方は調べてみてください。
19世紀にはヴルテムベルク家の支配下に移り、今日に至っている。
リートリンゲン – ドナウ河畔の眺めはまるで絵葉書!
リートリンゲンには基幹産業がないため、第二次大戦でもほとんど被害を受けなった運のいい町のひとつ。
折角、戦火を逃れたのに戦後、
「もっとモダンな作りにしたい。」
と、古い家屋が取り壊されてしまう。この近代化の波に飲み込まれたケルン、フランクフルトなどでは、昔の家屋はほとんど残っていない。
幸い近代化の波に抵抗する市民も居て、随所にかっての古風な家屋が残っている。もっとも14世紀の建物の隣にモダンな建物が建っており、ミスマッチ感が興ざめ。
これがなければ
「中世の趣を残した町」
と宣伝できたのに、とっても残念だ。とは言え、ドナウ河畔の眺めはまるで絵葉書!リートリンゲン旧市街だけはちゃんと古い建物を残しており、足を運んでみる価値はある。
街の入り口にはちゃんと無料の大きな駐車場もあり、インフラも整備されてます。
ドナウ河畔
街に入るには、ドナウ河にかかっている橋を渡って入ります。
ちょうどこの日は、ゴールデンウイークの真っ最中。なのに、日本人はゼロ、というか観光客はほんといない秘密の場所的な存在だ。リートリンゲンのマスコットのコウノトリの彫刻が、街の随所に建っている。
川底にはランツベルクのような河川工事が施されており、四六時中、川の流れる音が聞こえる。一番見所がいい場所の家屋は、やはりレストランやカフェが入ってます。
ドナウ河畔に建つ家屋が綺麗なので、吸い込まれるようにずんずんと歩いていきそうだ。しかし橋を渡らないで、まずは対岸から綺麗な対岸の家屋を眺めてみよう。
リヒテンシュタイン / Lichtenstein
対岸から向かって右手、赤い枠組みの綺麗な骸骨屋敷は、”Mühltörle”(水車門)という名前で、「すでに14世紀には建っていた。」という。
町の住人は何故かリヒテンシュタイン / Lichtenstein の愛称で呼んでいる。かってリートリンゲンの街が城壁で囲まれていた時は、城壁へとつながる門であったので、水車門という名前。
この家屋はリートリンゲンの町が所有しており、休暇用のアパートとして貸し出されている。
最低3泊からで料金は126ユーロ/日とあります。そんなミュンヘンじゃあるまいし。これは間違いのようです。正確には3泊で126ユーロから。安い!流石!田舎町。
参照 : riedlingen.de
ドナウ河の河川工事
リートリンゲンの旧市街の前を流れるドナウ河、この部分で河川工事が施されています。
川幅がいきなり広がって、川底に石畳が施され、手前に水が流れ落ちる滝のようになっています。街のホームページもチェックしましたが、この河川工事についての記述はなし。
おそらく水害で悩まされて、対岸の家屋が被害に遭わないように、水が氾濫できる場所をこしらえたようです。
橋を渡ってリートリンゲンの入り口にやってくると、右回りと左周りの選択に迫られます。ここは右周りを選択してください。
スウエーデン噴水 / Schwedenbrunnen
まず見えてくるのがスウエーデン噴水 / Schwedenbrunen です。
名前の由来は不明で、
「その昔、ここにあった名前の知られていない噴水が、19世紀に作り直された。」
とだけ、リートリンゲンの観光案内に書かれています。
噴水の中央部分に色鮮やかな人形が飾れており、これが兵士の像だとか。するとスウエーデン兵士?なんでよりによってスウエーデン?謎は深まるばかりですね~。
ここからどっちにいくかしばし思案。
噴水の後ろに見える道を選ぶと、すぐ先はもうリートリンゲンの中心部。時間がある人は、遠回りして丘を下って水車門を通って歩いていこう。
ここは水車を動かす運河が流れており、運河沿いに立ち並ぶ家屋が美しい。
監獄塔 / Zellemeesturm
すぐ近くには見事な骸骨屋敷が建っているが、由来は不明。建物にはそれらしい説明はないし、町の観光案内を読んでも、それらしい記述が見つからない。
ここから見える塔が、監獄塔 / Zellemeesturm だ。かってリートリンゲンは城壁で囲まれて、12のの防衛塔が建っていたが、唯一、この塔だけが近代化の波を生き残った。
とっても小さな塔なので、邪魔にならなかったのが、取り壊しを逃れた理由のようです。
この日は監獄塔の付近を工事中。工事現場の写真なのはご勘弁。
監獄塔 / Zellemeesturm” width=”980″ height=”636″ />
ツヴァイ ファルター トーア / Zwiefalter Tor
監獄塔に繋がっている城壁の横に、(急ごしらえの)階段がある。
登ってみるとリートリンゲンの観光名所のひとつ、ツヴァイ ファルター トーア / “Zwiefalter Tor”が見えてくる。意味のありそうな名前だが、実はツヴァイ ファルターという通りにある門なので、この名前。
街の城門とは思えない綺麗な門!と思った方は正解です。かってはここには墓場があり、この建物は礼拝堂でした。18世紀に墓場は街の外に移動されることになり、礼拝堂だけ残りました。
その礼拝堂に穴をあけて門にしたので、綺麗な門になりました。写真は内側から撮ったもので、天気がいいと青空に映えてとっても綺麗。
この先が旧市街になります。上述のスエーデン噴水の後ろの道を使うと、ショートカットできましたが、綺麗な景色も見損なうので、時間があれば遠回りしていきましょう。
聖ゲオルグ教会 / St. Georg
ツヴァイ ファルター トーアのすぐ横、かっての城壁沿いに建つのがカトリック教会の聖ゲオルグ教会 / St. Georg だ。
最初に建造されたのは、リートリンゲンの建設と同じ13世紀。教会の尖塔が遠くから見えるように、街の一番高いこの場所に建造された。
その尖塔の基礎には、街がここにできる前に作られたとみられる昔の防壁の一部が使われている。現在の三層構造になったのは15世紀の増築後。
その内部にはイエズスの審判を描いた強大な絨毯がかかっているそうです。この日は閉まっていて、みることができませんでした。平日にリートリンゲンに行かれる方は、是非、内部もご覧あれ。
この辺には似たような建物が多いので、区別が難しい。そのひとつが、教会の横にあるの司教様の家。ドイツでは聖職者になるには大学で神学を専攻して、これをいい成績で終えることが条件。
でもこの条件をクリアすると、立派な家が提供されて無料で住めます!
聖なる十字架 / zum heiligen Kreuz
道路を隔てて教会の対面に建っている大きな骸骨屋敷は、かっての女性の修道院 聖なる十字架 / zum heiligen Kreuz です。
建造されたのは15世紀で、修道士は街の病人をここで介護していました。
18世紀に修道院は閉鎖されて、この建物はイタリア人の商人が購入。現在では街が所有しており、リートリンゲンの役所が入ってます。
リートリンゲン 市役所
そのお隣がデパート / “Kaufhaus” として建造され、その後、穀物倉庫 / “Kornhaus”として使用されていた立派な建物がある。
今日はリートリンゲン市役所として使用されている。15世紀の書簡に、このデパートについての記述がある。その後、16世紀になってから、今の立派な姿に改築されたというから、かなり儲かったに違いない。
16世紀の別の書簡では、穀物倉庫として利用されていたことが記述されており、市が開催されない場合は、倉庫として利用されていたようだ。
市役所の屋根の上にある凸凹、ドイツ語で”Giebel”と言いますが、ドナウヴェアトの街にあるフッガー屋敷とそっくりです。
司教の家 / Kaplaneihaus
ちょっと聖ゲオルグ教会の裏に足を運んで見てみよう。
ここには司祭の家/ Kaplaneihaus が建っている。簡単に言えば教会関係者の宿舎だ。かっての農家の家屋を改造したもの。
建物の裏の壁は、街の城壁を利用している。
現在は内部、改装とピッカピカにリノベーションして、リートリンゲンの祭りで使う衣装や小物、大物を収納する倉庫になっている。
旧学校舎 / „Altes Schulhaus
司教家の向かいには、旧学校舎 / Altes Schulhaus が建っている。16世紀、日本で言えば江戸時代の建造物だ。家の前にちょこんと建っている彫刻がかわいい。
現在は青少年、少女向けの音楽学校が入っている。
リートリンゲン市場
市役所まで戻って、いよいよ町の中心部に入ってみよう。
リートリンゲンは歴史のある古い街なので、デンケルスビュールのように、広場を設けない町の作りが一般的だった。ちょっと広めの通りが、市場として利用されていました。
とは言え、ガッカリする必要はない。リートリンゲン市場は街で偉い人とお金持ちが住んだ場所。その権力と富を誇示する家屋が経っています。
宿舎 / Stadthaus
リートリンゲン市場の中心部を飾るのは、見事な骸骨屋敷群。その中でもこの2軒並びの家屋は、”Stadthaus”と呼ばれる17世紀建造の建造物。
かってはお給料のいい官僚の宿舎だった。宿舎として利用されたのは上の階で、地上階では品物を陳列して販売していたこともあった。
土台の部分は14世紀まで遡るが、上部の装飾が施された部分は17世紀に増築されたもの。この見事な骸骨屋敷群が、リートリンゲンで一番立派な建造物で、街の象徴です。
リートリンゲン 豚市場
ここに豚を抱えた銅像、”A Saufraid”が立っている。
そう、かってここでは1960年代まで豚の取引が行われていたリートリンゲンの豚市場た。これを「みんなに示したい。」と、街が芸術家にブロンズの作成を依頼。2004年からここに銅像が立ってます。
飼育場 & 屠殺場
銅像の先の小さな教会のような建物がなんともかわいいが、これは15世紀に建造された家畜の飼育 & 屠殺場。
かってここには肉を販売する肉屋が5軒も並んでいた。
家畜の解体が行われたのは18世紀まで。19世紀には地上階を劇場に改装。当時のリートリンゲンの人口は1700人なのに劇場を造るんだから、ドイツ人はやっぱり劇場好き。日本のお笑いみたいなもの。
旧聖十字架修道院 / Kloster Heiligkreuztal
リートリンゲン市場を先に歩いていくと、通りの右側に壁画が描かれている旧聖十字架修道院 / Kloster Heiligkreuztal が建っている。
建物の壁の一部は、街の最初の城壁を利用したもので、かってはここがリートリンゲンの境界線だった。13~14世紀の建造と推定されている。
その後、16世紀に大幅に改築されたので、建設当時から残っているのは、壁の一部と建物の基礎だけ。19世紀になると建物の面倒を見る人がいなくなり、朽ちるだけ。
建物の一部が崩れたのをきっかけに、改修工事が行われた。壁画はその当時に描かれたもの。
横の壁画はとりわけ立派で、入り口の紋章が時代と由来を語っている。
聖十字架病院 / Spital heiligen Geist
この横道を進むと正面に、6階建ての見事な建物、聖十字架病院が見えてくる。
この病院は14世紀に街のお金持ちが、街に「どうぞ。」と寄贈したもの。言うなればリートリンゲンのフッガー長屋。
上述の修道院に付属の病院です。ここでは修道院僧、それに街の職員が働いていたそうです。
病院の左と後ろの壁は、リートリンゲンの古い城壁を使用しており、当時は街の防壁の一部でした。当時は入り口に石作りの門と塀があったのに、今では邪魔な塀と門は取り壊されて駐車場に、、。便利なんだけどね~。
綺麗な階段 / schöne Stiege
病院を後にして先に進むと、右手に綺麗な階段 / schöne Stiege と呼ばれる見事な骸骨屋敷が見える。
この建物は16世紀の建造物で、現在は博物館として使用されている。建造物の専門家は、「リートリンゲンの骸骨屋敷の見本的な存在。」と呼んでいる。
市役所は全部、石で作られているので、石の家 / Steinhaus と呼ばれる。上述の聖十字架病院地も、石の家。しかしこの建物は、地上階だけ石作り。
その上に装飾を施した骸骨屋敷を建てるのが、この地方の特徴だとか。地上階は家畜や馬の飼育に利用されて、人はその上の階に住む様式になっていた。
だから階段が外についており、これが立派なので綺麗な階段の家と呼ばれることに。
参照 : museum-riedlingen.de
入場料2ユーロ
実はこの先に見事な骸骨屋敷のかっての兵舎があるのだが、「何もなさそう。」と来た道を戻ってしまったので、写真が撮れず。残念。
ヴェークシュナイダーの家 / “Wegscheiderhaus”
壁画が目印の旧聖十字架修道院がある、メイン通りに戻ります。
すぐ先で道が3方向に分かれている。この分岐点に建っているのがヴェークシュナイダーの家 /”Wegscheiderhaus”。
ヴェークシュナイダーという名前のリートリンゲンの市長が、17世紀に建築させた宮殿のような建物だ。
内部はバロック調で素晴らしいという話だが、現在は(通信)大学の本部として使用されているので、内部はみることができません。
骸骨屋敷 / zum Greifen
その向かいにはかわいい骸骨屋敷も建っている。
大きな骸骨屋敷が見える方向に進んでみよう。この大きな骸骨屋敷は16世紀に建造された、この地方特有の骸骨屋敷。すなわち下は石作り、上部は見事な骸骨屋敷。
名前、„zum Greifen“ とは、鳥とライオンが一緒になった想像上の猛禽類。16世紀から現在まで居酒屋として営業中だから凄い。リートリンゲンで最古の飯屋です。
もっとも私がいった当時から、レストランには閑古鳥が鳴いており、建物は要修理でした。
最近、この建物は売却され、儲からないレストランは辞めて、ホテルになるそうです。せめて建物の名前は残して欲しいものだ。
パラダイス納屋 / Paradiesscheuer
かわいい家屋に感心しながら歩いていくと、宿屋兼飯屋が見えてくる。
とっても歴史がありそうなのに、リートリンゲンの観光案内に載っていない。由来は不明。
その先にある骸骨屋敷はパラダイス納屋 /”Paradiesscheuer”と呼ばれ、向かいに建つ一膳飯屋兼宿屋の “Gasthaus Paradies” の物置だった。
今日ではイタリア料理屋になっている。その先の小さな教会は”Weilerkapelle”と呼ばれる礼拝堂だ。
納屋の門 / Portal Storchengasse
脇道に入ると新しい家屋に紛れて、古い家屋や建造物が残っている。
その中でも目を引くのが納屋の門 / Portal Storchgasse 。
ただの納屋への入り口なのに、ルネッサンス風の作りになっている。なんでも昔はコンスタンツの司教様から派遣された、宗教関係者専用の馬小屋だったとか。
上流階級は馬小屋も別なんですねえ。
リートリンゲン城壁
ドナウ河に向かって下っていくと、かってのリートリンゲン城壁の一部が見えてくる。
後から無理やり窓をこしらえて、城壁を民家の壁として利用しています。昔はここま街の境界?と回りをみても、そこに有った筈のお堀の姿も痕跡もなし。
全部埋められて、今では民家が立ち並び、城壁以外には昔の面影は残っていませんでした。
まとめ
日本のゴールデンウイークのど真ん中でしたが、アジア人の観光客はおろか、カメラを抱えて歩いている観光客は私だけ。
街は小さいですが、見所は多いし、行っても損はしません。もっともリートリンゲンでの観光に費やす時間よりも、行く時間のほうがかかるのが、大きなネックです。
誰も知らないドイツの秘境の観光名所をお探しの方にお勧めします。