今回紹介するのは古都 ノイブルク 。
好評の
「ドイツの秘境 誰も知らない街シリーズ」
です。
日本の皆さんが
「ドイツの古都」
と聞いて最初に想像するハイデルベルク、その領主のファルツ選帝侯はここに首都を置いていたんです。
すなわちノイブルクは正真正銘の古都で、堅強な城壁に囲まれた城塞都市です。
それなのに街の名前を知っている人は、ほぼ皆無!
どんな史跡があるのか半日かけて調査してきましたので、是非、ご覧ください。
目次
街の紹介 ノイブルク
まずは街の紹介から始めます。
街の正規式名称は” Neuburg an der Donau”。
日本語で言えばドナウ河畔のノイブルクだ。
バイエルン州の人口3万人ほどの小さな町。
それでもノイブルク シュローベンハオゼン県 / Landkurs Neuburg-Schrobenhausen の県庁所在地です。
街を西から東にドナウ河が横断しており、旧市街はドナウ川の南岸に築かれている。
というのも南側は丘のようになっており、標高が高く防御にしやすい地形だったから。
戦争に負けたある公爵が、何故かここに首都を置いた。
以来、公爵領にふさわしい立派な領主の城、お金持ちの立派な家屋 / Bürgerhaus が築かれて、趣たっぷりの街に変身した。
行き方
ノイブルクへの行き方ですが。
街は、アウグスブルクの北東70km。
ミュンヘンから見れば
「11時の方向、距離100km。」
にある。
電車で向かうなら、どちらからでも1時間でいます。
車があればアウグスブルクの自宅からなんと40分!
街の歴史
なんでノイブルクが古都になったのか、街の歴史を見ておこう。
ドナウ河畔のこの地は居住に適していたらしく、紀元前5世紀頃の陶器が数多く見つかっている。
紀元後1世紀、この地まで進出してきたローマ帝国の駐屯地が築かれる。
安全を提供してくれる駐屯地の周囲に、住民が住み始めたのが集落の起源。
ドナウ川のこの部分には堆積物が積み重なって中州ができており、橋をかけるには絶好の場所だった。
これが理由でローマ帝国も、ここに駐屯地をおいたに違いない。
その後、ローマ帝国はさらに拡大したので、この駐屯地はさらに奥地に移されたが、住民だけは残った。
5世紀ににはゲルマン民族の度重なる襲撃のため、住民は防御しやすいドナウ川の南側に居を移す。
この部分には岩山があったので、これを利用して最初のノイブルク城砦を築いた。
ランズフート継続戦争
8世紀にアウグスブルクに住んでいた司教が、ノイブルクに居を移したことから街の発展が始まる。
16世紀初頭、北バイエルンの領主、通称、お金持ちのゲオルグが、男子のお世継ぎを残すことなく死去する。
ゲオルグは娘婿を後継者に指名したが、バイエルン王家の法典によると、
「男子のお世継ぎがいない場合、最近親者がその王位を継続する。」
とあった。
そこで南バイエルン王国のアルブレヒト4世は王位継承権を主張して、ランズフート継続戦争が勃発する。
戦争は、多くの王家を陣営に引き込んだ南バイエルン軍が有利に進める。
戦勝初期の段階で、北バイエルン王国の王位継承者が汚れた水を飲み病死したが、息子達が忠実な将軍に助けられて戦争を継続。
南バイエルン軍は一時はノイブルクまで軍を進めるが、強固な守りに歯が立たず、軍を引き上げた。
その後、北バイエルン王国が反撃に出て、幾つかの地域を奪還するも、所詮は多勢に無勢。
戦争はアルブレヒト4世の勝利に終わり、南北バイエルン領は統一される。
ファルツ – ノイブルク領 / Pfalz-Neuburg
日本の戦国時代、戦に負けるとその家系は女、子供まで皆、虐殺されるのが常。
欧州では、
「貴族同士は戦争しても、相手を殺さない。」
が暗黙のルール。
ランズフート継続戦争で負けた北バイエルン領主だが、
「領土が全くなくなるんじゃ可愛そう。」
と、小さなファルツ – ノイブルク領 /”Pfalz-Neuburg” が設けられた。
その領主に納まったのが、お世継ぎのオットハインリヒ公爵 / “Graf Ottheinrich”だ。
オットハインリヒ公爵は(何故か)ノイブルクに首都を置くと、金に糸目をつけずノイブルクを領主の居城に改築 &増築。
町は首都にふさわしい景観を備えることになる。
18世紀初頭、ファルツ公爵のフィリップ ヴィルヘルムはファルツ選帝侯に昇進。
ノイブルクは選帝侯領の首都として最盛期を迎える。
カール三世 ハイデルベルクに遷都す!
ファルツ選帝侯 フィリップ ヴィルヘルムの後継者になったのが、ファルツ選帝侯のカール三世。
カール三世は都をまずはノイブルクからハイデルベルク、ついでマンハイムに遷都してしまう!
その後、ノイブルクは一気に衰退を始める。
ファルツ選帝侯がお世継ぎを残さず死去すると、バイエルン選帝侯がノイブルクを含めたファルツ選帝侯領を併合する。
まだ残っていた公的な機関は他の町に移されて政治的な意味を失い、ノイブルクは次第に記憶から薄れてしまい今日に至っている。
ノイブルク 観光 – 誰も知らないドナウ河畔の古都
では待ちに待った、ノイブルク観光です。
ちょうどお城の下に駐車場があり、日曜日は無料です。
早起きして午前中に来ると、空きスペースは十分あります。
ここに車を止めたら一目散に城砦に登らないで、まずは城砦の外を回って、ドナウ河にかかる橋から城を撮ろう。
ここからノイブルクの街が一番綺麗に撮れます。
でもここまで歩いて来る人は居ない。
まさに灯台下暗し。
最高の撮影スポットを独り占めできます。
二度と来ないので、いろんなアングルから撮っておきましょう。
ノイブルク 城 / Schloß Neuburg
この街にその居住地を置くことにしたオットハインリヒ公爵、小山の上にある中世の頃に建造された城塞を、金に糸目をつけず、公爵のお城への改築を命じます。
20年以上の工事期間を経て誕生したのがノイブルク城 / Schloß Neuburg です。
あまり豪華な城作りだっ為、誕生したばかりのファルツ – ノイブルク領は破産してしまいます。
公爵領の財政状態が改善したのは、無駄使いのオットハインリヒ公爵が没して、次の公爵が跡をついでから。
それを知っていないのか、街のあちこちでオットハインリヒ公爵の像やら絵やらが、展示されています。
ノイブルクが他の城塞都市、例えばニュルンベルクと違うのは、お城が橋を渡った街の入り口にド~ンと建っている点です。
通常、お殿様の住むお城は敵の攻撃から一番遠い場所に置いて、城塞を構築します。
でもノイブルクでは橋を渡った部分の標高が一番高く、ここに大きな岩石があったので、ここにお城が建てられてました。
街の中に入るには、その岩をくりぬいたトンネルを歩いていきます。
トンネルを抜けた先は、かっての旧市街です。
本丸中庭の壁画
トンネルを抜けた場所に立って、右手には今は博物館として使用されている別棟があります。
本丸は左手にあります。
ノイブルク城の最大の最所は、本丸中庭の壁画です。
まずはすぐ左手にある内門をくぐって、本丸の中に入ってみよう。
門に備わってる立派なノックに感心。
本丸はドイツの宮廷の典型的な形、すなわち四角形で、真ん中に中庭が設けられています。
この中庭の壁画は、熱心なプロレスタント派の信者だったオットハインリヒ公爵が描かせた宗教画で有名です。
宗教は苦手なので、絵をみても何がなんだかわかりません。
それにかなり色があせてます。
写真のコントラストを上げているので「まだ」見えますが、実眼ではちとしんどい。
回廊
直射日光の当たらない回廊の天井には、綺麗な文様がまだくっきり残っており、当時の宮廷の豪華さを偲ばせます。
この壁画が描かれてている建物には礼拝堂があり、その天井に描かれている宗教画は、イタリアから画家を呼び寄せて描かせたとても貴重なものだとか。
宗教画に興味のある方は、入場料を払ってお試しあれ。
本丸入り口の像
本丸内部を閲覧するには、入場料が必要です。
でも通り抜けて庭に出るだけなら無料。
入り口の奇妙な像がとても気になります、、。
丸い塔を持つ本丸
ノイブルク城は本丸(東棟)、北棟、キッチン棟、それにあるいは西棟などに分かれています。
オットハインリヒ公爵が建てたのは、本丸(東棟)と礼拝堂です。
もっともノイブルク城として有名な、左右に丸い塔を持つ姿になったのは、公爵の死後の改装工事の後です。
王様はこの宮廷から、下界を見下ろせるようになっています。
無料で見れるのはここまで。
建物の入り口では強面のおばちゃんが、外国人が壁に落書きをしないか不審な目でじっとこちらを見つめています。
触らぬ神にたたりなし
入場料 6ユーロ
写真を撮ったら、さっさと場所を変えましょう。
宮廷庭
ノイブルク城は岩の上に建っているので、広大な宮廷庭を造るスペースがありませんでした。
そこで本丸(東棟)の宮廷庭もこんなかわいらしいものでした。
カール広場 / Karlsplatz
では城塞街の庶民の家を見に行きます。
街のメイン通は一本だけ。
アマリーエン通り / Amalienstraße と言います。
こには綺麗な家屋、教会が並んでいます。
でもその目抜きとおりの道路が、駐車場になっているのは興ざめ。
すぐ先にあるのがカール広場 / Karlsplatz 、ノイブルクで一番綺麗な場所です。
広場の真ん中には噴水があり、マリア像があるので、マリア噴水ですね。
この噴水、ランツベルクにあるマリア噴水と名前はおろか、形まで瓜二つ。
バイエルン州では、アウグスブルクを除き、同じ形の噴水にするみたいですね。
市役所
カール広場の端っこにある、階段の立派な建物がノイブルク市役所です。
カール広場が設置された後、1603年から6年もかけて建造。
でも飾りがないそっけない作りですね。
ルネッサンス様式なんですって~。
戦争末期、こんな田舎にも爆撃機がやってきて、爆弾が大当たり。
戦後、再建されたので、その際に当時の飾りなどが省略された可能性が大。
オリジナルの市役所の建築を手がけたのは宮廷建築家ですから、まさかこんなそっけない建物ではなかった筈。
宮廷教会 / Hofkirche
市役所の横には街で一番立派な教会、宮廷教会 / Hoflirche が建っています。
この場所にはノイブルクが小さな城塞都市であった10世紀の頃から、教会が建っていました。
オットハインリヒ公爵がプロテスタントに改宗したので、この教会をプロテスタント教会として改築する事を命令。
完成を祝う前に尖塔が倒壊して、オットハインリヒ公爵が生きているうちには完成しませんでした。
その後、別の建築家が17世紀に作り直しました。
ファルツ選帝侯家が死に絶えてノイブルクがバイエルン公爵に併合されると、カトリック教の街になったので、この教会も現在はカトリック教会です。
プロテスタント派は別の場所に教会を建て、そちらに通っています。
ノイブルク 州立図書館 / Staatliche Bibliothek Neuburg
綺麗な”Bürgerhaus”(お金持ちの家)を眺めて歩いていくと、広場の端に装飾の綺麗な屋敷があります。
ノイブルク州立図書館 / Staatliche Bibliothek Neuburg です。
17世紀には礼拝堂として建設されたのですが、その後、この地方の出版物を収集して保管する図書館に。
古書の他に一般人向けの蔵書もある普通の図書館として機能しています。
古書が並んだ本棚がとにかく豪華なので、営業中だったら足を運んで内部だけでもちょっと見ていきましょう。
一見の価値ありです。
外観の見事な作りに感心して写真を撮っていると、中から出てきた管理人らしき人が、
「内部もみたい?開けてあげるよ。」
と、話しかけてきました。田舎の人は優しい!
宮廷薬局 / Hof Apotheke
立派な屋敷が林立しており、すべてを紹介することはできないので、有名なものだけ。
角に建つこの大きな屋敷はかっての貴族、王様用の宿でした。
ノイブルクがバイエルン州に帰属してからは、薬局が地上階に入っているので宮廷薬局 / Hofapotheke と呼ばれています。
黄金の太陽 / Goldene Sonne
薬局のお隣、黄色い塗装が施されて、とりわけ大きな屋敷は黄金の太陽 / Goldene Sonne と呼ばれています。
こちらもかっては宿屋だったそうです。
なにせ、ノイブルクはあの選帝侯(日本で言えば大名)の所在地。
王様などが多く訪問したので、貴族専用の宿が多く建設されていました。
そのお隣、一番手のこった装飾(ルネッサンス風外面)装飾が施されているのは、かっての薬局です。
14世紀に建造されてから、何度も改築され、壁画が施され、いまの姿に。
ヴェヴェルト家 / Weveldhaus
目抜き通りであるアマリーエン通りの角に建っている立派な屋敷は、 ヴェヴェルト家 / Weveldhaus と呼ばれています。
貴族のヴェヴェルト家が冬の別荘として利用するために、16世紀に建造させたお屋敷です。
現在はノイブルクの博物館として利用されています。
入り口の階段の上で、ヴェヴェルト家の家紋が輝いていました。
入場料 3 ユーロ
聖ペーター教会 / St. Peter
メイン通りを下っていくと聖ペーター教会 / St. Peter があります。
「こちらはプロテスタント教会?」
と思えば、こちらもカトリック。
宮廷教会から100mほどしか離れてないのに、またカトリック教会?
人口3万人のノイブルクに?
ここにあった教会がボロボロになったので、土台の石から組み直して、17世紀に再建されました。
モーツアルトの家
聖ペーター教会の横、鼠色に塗られた石造りの家はモーツアルトの家と呼ばれています。
同じ名前の博物館がアウグスブルクにあったので、同じ原理かな?
ネット上には探しても詳しい案内は見つからず。
見晴らしレストラン カフェ & ホテル
聖ペーター教会の先、ドナウ河を見下ろす場所にレストラン カフェ & ホテルが建っています。
「お部屋から下界(ドナウ河)を見下ろせる部屋に止まりたい!」
というお友達は、ここに泊めてあげよう。
もっとも
「ノイブルクに泊まっていきたい!」
という人がいるか、そこは不明。2階以上の部屋を要求すると、景色を堪能できます。
何も泊まらなくても食事だけでもOK。
ドゥッエン パン屋の家 / Dunzenbäckerhaus
アマリーエン通りの終わりにある建物は、ドゥッエン パン屋の家 / Dunzenbäckerhaus という名前。
15世紀の建造物。
かっては本当にノイブルクのパン屋が入ったそうです。
探しても詳しい説明は出てこないですが、ドゥッエンという名前のパン屋だったんでしょうね。
ノイブルク 城壁 & 城門
街を歩いても、一向にかっての城塞都市だったその片鱗さえも見えてきません。
「城壁はすべて取り壊されて、何も残ってないの?」
と思っていたら、発見しました!
お堀こそ埋められていましたが、街の裏にノイブルクの城壁が、かなりいい状態で残ってました。
破壊されずに残っている内側の城壁だけでも、二重の作りになってます。
さらにこの外にお堀と城壁があれば、南バイエルン軍も歯が立たなかったのも納得。
鉄壁な防御を誇った要塞都市です。
この城壁に行くには、ノイブルクの目向き通り、アマリーエン通りを直進するだけ。
上之門 / das Obere Tor
ドゥッエン パン屋の家の先で道が急激な左カーブを決めると、ノイブルクで唯一残っている城門が見えてきます。
これは上之門 / das Obere Tor と言います。
外側から見ると、王様の居住地にふさわしい綺麗な城門です。
小さいけど。
この門は、まだ城壁と繋がっています。
門の外には小川がありますが、かってのお堀の跡です。
城壁を利用した家屋
城壁、それに城壁に埋め込まれている監視塔、今はアパートになっています。
中を見てみたいですね。
刑務所 / JVA
城壁の内側に巨大な青空駐車場がありました!
駐車場に隣接する巨大な建物。
倉庫かな?と思いましたが、よっく見ると窓に柵。
監獄かしらん。
調べてみると本当にノイブルクの刑務所 / Justizvollzugsanstalt、略して JVA でした。
建造された16世紀には乗馬学校だったそうです。
道理で大きな建物だったわけです。
ちなみに若年層で犯罪を犯した人が、収容されています。
聖ウルシュラ学業教会 / Studienkirche St. Ursula
城壁の外に出ると、すぐにでかい教会が見えてきます。
聖ウルシュラ学業教会 / Studienkirche St.Ursula という名前なんです。
ぐぐってみるとそもそも発端は、ヴィルヘルム伯爵が行政本部をノイブルクからデユッセルドルフに移した際、置き土産としてノイブルクに寄贈したのがこの教会。
完成は18世紀初頭。
今では教育を施す財団に属しているそうです。
絵になる光景 / Malerswinkel
城壁に外を見終わったら、城壁の内側に戻ります。
あちこちに綺麗な装飾を施された建物があります。
ちょうど街の真ん中あたりまで来ると、聖ペーター教会の尖塔が「うまい具合に」、家屋の屋根の上に聳え立っています。
手間の家屋もちょうどいい具合に慣れんでいるので、絵になる光景 / Malerswinkel になってます。
裁判所/ Amtsgericht
メイン通りをお城の前で右に曲がると、そこはオットハインリヒ広場 / Ottoheinrichplatz です。
もっとも広場というほど広くないですが。ここにも立派な家屋がびっしり。
ノイブルクは県庁所在地なので、県内でおきた事件、紛争を扱う裁判所 / Amtsgericht があります。
かってはファルツーノイブルク領の裁判所だったので、それは立派な建物です。
壁には壁画まで描かれています。
壁画の描かれた地方の裁判所なんて、滅多にありません。
ノイブルク劇場 / Stadttheater
その先に赤い建物が見えてきます。
これはノイブルク劇場 / Stadtheater です。
こんな小さな町に劇場なんて要るの?
元は倉庫、それも課税倉庫 / Zehentstadel として建造されたもの。
街がバイエルンに併合されると、税金を課す権利を失い、建物もお役目御免。
そこで街の劇場として利用されています。
ツーリストインフォ
その左にはツーリストインフォ。
日曜日なのに営業中。
少し横に唯一の公衆トイレもあるので、場所を覚えておいても損はしない。
ツーリストインフォの先に階段があり、駐車場まで戻って来れます。
まとめ – ノイブルク
「古都」とは言え、誰も知らないノイブルク。
大きな期待していなかったせいか、十分に満足。古都だったせいか、壁にいろんな絵が描かれた立派な家屋が多かったです。
立派な家屋があちこちに建っているので、全部調べる時間がなく、紹介できたのはほんの一部。
これが狭い場に集中しているので、写真を撮っても、3時間ほどで全部見て回れます。
有名になると観光客に占領されますが、微妙に無名なのがいい!
町で見かけた中国人観光客は、カップルの二人だけ!
午前中に行くと駐車場も十分に空いているし、大きすぎず、小さすぎず、ちょうどいい大きさです。
さらにはアウグスブルクの自宅から近いのも嬉しい。アウグスブルクに留学される方、是非、足を運んでみてください。