ネルトリンゲン

街の紹介  ネルトリンゲン

ネルトリンゲンはバイエルン州のシュバーベン地方の町。ミュンヘンから行くと北西に150km、電車でも車でも2時間程度の距離にあります。アウグスブルクからだと国道25号をひたすら北上します。2016年は封鎖されていましたが、2017年には工事が終了、自宅から一時間で着いてしまいました。

ネルトリンゲンの誤解

まずは最初に誤解の謎解きから。町が宣伝効果を考えて「クレーターの上に作られた町」と呼んでいますが、クレーターの直径は24kmもありますので、クレーターの上にある街はここだけではありません。「あ、ここクレータだから町をここに作ろう。」となったわけでもなく、近代になって調べてみると、「あ、なんだクレーターの跡地じゃない。」とわかり、これを町の宣伝文句に使っています。

ネルトリンゲンの歴史

町の歴史はとっても古く、付近の洞窟からは石器時代の遺跡が見つかっています。紀元後1世紀にはローマ帝国がこの地域まで支配地域を広げ、駐屯地を築きます。安全な駐屯地の周辺に原住民が住み始め、次第に集落から町へ発展します。3世紀にゲルマン人の種族、アレマーネンが移動してくると、多勢に無勢、ローマ帝国は兵隊をこの地から撤退して、この地域はゲルマン化されます。

ネルトリンゲンが始めて書簡に登場するのは9世紀で、当時は„Nordilinga“と呼ばれていました。この地域はレーゲンスブルク大司教の支配下にあり、町はゆっくりと成長、人口が増えて市場が開かれるようになります。

Reichsstadt

13世紀に神聖ローマ帝国の皇帝、フリードリヒ2世から”Reichsstadt”に格上げされたことをきっかけに、町を守る城壁の建築が始まります。ネルトリンゲンにとって幸いしたのが、当時の主要な交易ルート、フランクフルトからアウグスブルク(アウグスブルクは当時はお金持ちの大都市)と、ニュルンベルク-ウルムが交差する絶妙な場所にあったこと。お陰で町は穀物、家畜、織物、皮、金属の交易の中心地として栄え始め、13世紀の書簡では、ネルトリンゲンの見本市として記載されるほど、交易、市場として大いに栄えました。人口が増加したので、居城区が城壁の外にまで広がります。このため14世紀になると、新しい城壁の建設が始まります。これが今日でも残っている城壁で、町の象徴である聖ゲオルグ教会の建設が始まったのも、14世紀のこの頃です。

30年戦争

災いは17世紀にやってくる。プロテスタント派のネルトリンゲンは、カトリック連合軍に2週間に渡って包囲されます。「ネルトリンゲンを救え!」と救済にやってきたプロテスタント軍は、30年戦争中もっとも大きな戦闘として歴史に残る「ネルトリンゲン近郊の戦い」で敗北、ネルトリンゲンはカトリック軍に門戸を開くことを余儀なくされます。ただしお金持ちのネルトリンゲンは高額の身代金をカトリック軍に支払い、略奪の災禍を逃れることができました。

それでも長く続いた包囲戦、その後のペストなどで町の人口は半減。その後に発生したスペイン王位継承戦争でも町は災禍に遭います。度々の戦火で交易のルートはネルトリンゲンを迂回するルートに変更され、ネルトリンゲンは歴史の舞台から姿を消します。お陰で古い町並みや見事な城壁が今日まで残ることになりました。第二次大戦では末期になって空爆に遭い聖ゲオルグ教会は大きな被害を受けます。古い家屋は奇跡的にわずかな被害で済み、現在では町の大事な観光資源になっています。

ネルトリンゲン観光

城壁の内部の駐車場は住民用。観光客は城壁の外の駐車場を利用しよう。外と言っても城壁に隣接されており、おまけに無料です。ネルトリンゲンの自慢の一つは城壁。屋根つきの14世紀の城壁が町を完全に囲む形で残っているのは、ドイツではここだけです。城壁に上ってしばし歩いていくと、塔の一つが見えてきました。あとから調べると”Deininger Tor”という名前で16世紀初頭の建造。30年戦争中、攻めてきたカトリック軍が塔の内部に侵入したので、防御側によって塔に火が放たれてカトリック軍を押し戻したという歴史のある塔だ。

次は”Berger Tor”で14世紀の建造。15世紀に改築された。ここからウルムに向かう交易路が伸びていた。その先にあるのが獅子塔で16世紀に大砲を設置する目的で建設された。その隣には火薬塔が建っている。その先には下の水路塔があり、その名のとおり町の生命線であるエガー川からの敵の侵入を防ぐ為、15世紀に建造された。この塔の近くにあるのがとんがり塔、神聖ローマ帝国の鷲の紋章が目印の立派な塔は”Reimlinger Tor”で、ネルトリンゲン最古の塔。この塔からアウグスブルクへの交易路が(当時は)走っていた。”Baldinger Tor”は14世紀に建造されたが、30年戦争中にこっぴどく痛められて1703年に崩壊したものを1705年に再建された。この塔からはフランケン(ニュルンベルク)行きの交易路が伸びていた。

骸骨屋敷

城壁から見る町の姿も綺麗だが、まさか延々2,6kmも城壁めぐりをするわけにも行かない。運よく車を近くに止めたらなら、下の水路塔の前後で城壁を降りて町の観光を始めよう。でも、何故ここから?それはネルトリンゲンはかってドイツ一の皮なめし商の町で、水路の周辺にはかっての皮なめし商の綺麗な家屋が建ち並んでいるからだ。水路の周辺には絵になる風景が広がり、今ではもう使われていないが水車が残っており、その先には見事な骸骨屋敷”Fachwerkhaus”が見えてくる。その中でも”Winter’sches Haus”と呼ばる家屋は、ネルトリンゲンを代表する骸骨屋敷だ。周辺には綺麗な骸骨屋敷が建ち並び、見事に修復されている。運河沿いに建つ立派な屋敷のデカイこと。河沿いは職人の仕事場、その上は居住用、屋上は皮を干す場所に使われた当時の皮なめし商の家です。

市役所

ここから中心部に歩いていくと、「あ、綺麗。」という建物がここに、あそこに、あ、その先にも!かっての修道院は一部レストランとして使用されている。市庁舎の前には太陽の光を浴びて燦々と輝くカフェ。その左手にある薬局もこれまた立派な骸骨屋敷。「これだけ綺麗な建物が並んでいるんだから市役所もさぞかし、、。」と期待していると、ちょっと肩透かし。ネルトリンゲンの市役所は最初から市役所として建設されたものではなく、かっては町のお金持ちが住む屋敷だった。お金持ちはこれをハイルブロンの修道院に売却、これをネルトリンゲンが月賦で購入した。

市役所は別名石の家とも呼ばれ、とりわけその階段が有名だ。階段の下は牢屋としても使用されていたので、丈夫な扉がついている。そして壁には、”Nun sind Unser Zeiy.”(これで俺たちは一緒)という文句が刻まれている。町の法律を破った人間はここで罰せられ、見せしめにされたそうだ。すなわちここで見せしめになることで、「俺とお前は一緒だよ。」と道化師が笑っているわけだ。その一方、ネルトリンゲンで結婚式を挙げると、この市庁舎の階段で記念写真を撮るのがしきたりだと、「35年前にここで結婚した。」という夫妻が教えてくれた。

Tanzhaus

市庁舎の横にある立派な建物は”Tanzhaus”(コンサートホール)だ。かって見本市がこの町で開催されると、ここで商人が品物を展示、そして宴会に使用されたという。もっとも前出のご夫妻居曰く、「俺が子供の頃は、学校の校舎の一部として使われていた。」そうだ。そしていよいよ今日の(肉体的)ハイライトが「ダニエル」の愛称で呼ばれる高さ90mの塔。建造されたのは15世紀。もっともお金がなくなり、塔の天辺は未完成で終わっていた。ここに雷が落ちたことをお告げと勘違いした住人は、16世紀に塔を完成させた。

ダニエル

中世の頃は、昼夜、押し寄せてくる敵軍を早期発見するため見張りが陣取っていた。今では入場料を取るおじさんが一人で頂上で頑張っている。入場料は3.50ユーロ。ちょっと高い気もするが、滅多に来ないから思い出に登ってみよう。途中でひざが笑い出しますが、天辺からの見晴らしは絶景。かって隕石が落ちて出来たクレーターが、ここからよく見渡せます。眼下の家屋がおもちゃのように見えます。

塔から降りたら教会前に建っている”Kriegerbrunnen”(兵士の噴水)も見ていこう。20世紀、プロイセンがフランスに戦争で勝った記念に新しく作り直された。塔の先を右に折れると、これまた見事な骸骨屋敷が見えてくる。その際にも立派な家屋が立ち並び、休めるチャンスがない。この辺で打ち切って駐車場に向かって歩き出すと、真っ赤な建物。これは”Alte Schranne”でかっての穀物倉庫だ。

城壁に沿って歩いていくと、城壁にこびりついた家屋が目に付く。城壁の防御を命じられたかって兵隊の家だ。その先にあるのは”Münzhaus”(コインの家)。15世紀の建造物(16世紀に今の形に改装)で、16世紀にアウグスブルクのコイン職人が購入したのでこの名前が付いた。「この先を左に曲がれば駐車場。」だったのに、「あ、ここにも綺麗な建物が。」とフラフラと歩き出すと、ダニエルに日が当たり絶好のシャッターチャンス。

ネットで「ネルトリンゲン」とぐぐって出てくるのは、いまひとつな写真ばかり。綺麗な町とは思えない。「行ってもガッカリかな?」と期待していなかったのに、とっても綺麗でした。もっとも上述のご夫妻曰く、「昔はこんなに綺麗じゃなかった。」との事。周囲の有名観光名所に負けないように、綺麗にお色直しして観光客にアピールしているようです。町のあちこちでまだ修復中の骸骨屋敷が目に付きました。車で行く場合、”Harburg“の城砦の先からは、童話に出てくるような田舎道を走ります。車で行かれる方は、”Harburg”の看板が見えてきたら、カメラを抱えてシャッターチャンスを待とう!

 

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