ネルトリンゲン はロマンチック街道の観光名所の中でそこそこ有名なのに、イメージが弱いために、観光客の集客に苦労しています。

ローテンブルクと言えば市庁舎だったり、昔の塔だったり、イメージがわきますよね。ミュンヘンベルリンでもしかり。で、ネルトリンゲンのイメージは?

市庁舎、どんな形だったか、覚えていますか?なかなか浮かんで来ません。

そこで今回は、「これぞネルトリンゲン!」という観光名所を探しに、足を運んでみました。

街の紹介 – ネルトリンゲン

街の名前はドイツ語で、”Nördlingen”と表記します。

でもドイツ人に、

「ネルトリンゲンに行った。」

と言っても99%通じません。発音から言えば、

「ノォルトリンゲン」

に近いですが、ここでノォルトリンゲンと書くと今度は日本人に、「何言ってるの?」と通じない。

そこで敢えてネルトリンゲンと書きます。この町はバイエルン州の西(左)の端っこの国境境にあり、北にディンケルスビュール、南にドナウヴェアトがあります。

地勢上は”Donau-Ries”県にあり、県庁所在地はドナウヴェアト。

街はエガー川 / Eger の辺に築かれており、かってはこの川から取り込んだ水路で町が囲まれていました。

隕石のクレーターの上に作られた町?

イメージの弱さを実感しているネルトリンゲンは、宣伝効果を考えて「クレーターの上に作られた町」というキャッチフレーズを考案。

たまたま町の形が丸いので、「クレーターの跡にそって町が作られたの?」と、勝手に想像してくれることを織り込み済です。

でも実際にはクレーターの直径は24kmもありますので、クレーターの上にのは、ネルトリンゲンだけではありません。付近一体、全部クレータの上に作られた町です。

町がクレーターの上にあったと気づいたのは、近代になってから。中世の頃に意識して、

「このクレーターの跡地に街を建設しよう!」

となったわけでもなければ、クレーターの跡に沿って町が建設されたものではありあません。

ネルトリンゲンへの行き方

ネルトリンゲンはバイエルン州とバーデンヴュルテンベルク州の境にあるので、それほど地の利はよくありません。でも、ローテンブルクよりはマシ。

ミュンヘンから観光に行くなら北西に150km、電車でも車でも2時間程度の距離にあります。

アウグスブルクからだと国道25号をひたすら北上します。2016年は封鎖されていましたが、2017年には全線で工事が終了、自宅から一時間で着いてしまいました。

町の歴史 – 発端はローマ帝国の駐屯地

ネルトリンゲンの歴史はとっても古く、付近の洞窟からは石器時代の遺跡が見つかっています。

紀元後1世紀にはローマ帝国がこの地域まで支配地域を広げ、駐屯地を築きます。安全な駐屯地の周辺に原住民が住み始め、次第に集落から町へ発展します。

3世紀にゲルマン人の種族、アレマーネンが移動してくると、多勢に無勢、ローマ帝国は兵隊をこの地から撤退して、この地域はゲルマン化されます。

ネルトリンゲンの名前が始めて書簡に登場するのは9世紀で、当時は„Nordilinga“と呼ばれていました。

この地域はレーゲンスブルク大司教の支配下にあり、町はゆっくりと成長、人口が増えて市場が開かれるようになります。

ネルトリンゲン 観光 - 隕石のクレーターの上に作られた町?

Reichsstadt / 帝国都市 – 交易で栄えた街

13世紀に神聖ローマ帝国の皇帝、フリードリヒ2世から”Reichsstadt”(帝国都市)に格上げされたことをきっかけに、町を守る城壁の建築が始まります。

ネルトリンゲンにとって幸いしたのが、当時の主要な二つの交易ルート、

  • フランクフルトからアウグスブルク(アウグスブルクはお金持ちの大都市)
  • ニュルンベルク-ウルム

が交差する絶妙な場所にあったこと。

お陰で街は穀物、家畜、織物、皮、金属の交易の中心地として栄え始めます。13世紀の書簡では、

「ネルトリンゲンの見本市」

として記載されるほど、交易、市場として大いに栄えました。人口が増加したので、居城区が城壁の外にまで広がります。

このため14世紀になると、新しい城壁の建設が始まります。これが今日でも残っている城壁で、街の象徴である聖ゲオルグ教会の建設が始まったのも、14世紀のこの頃です。

30年戦争 – ネルトリンゲン 衰退の始まり

災いは17世紀にやってくる。プロテスタント派の町は、カトリック連合軍に2週間に渡って包囲されます。

「プロテスタントの同志を救え!」

と救済にやってきたプロテスタント軍、30年戦争中もっとも大きな戦闘として歴史に残る「ネルトリンゲン近郊の戦い」で敗北します。救援の望みが断たれた町は、カトリック軍に門戸を開くことを余儀なくされます。

ただしお金持ちのネルトリンゲンは高額の身代金をカトリック軍に支払い、略奪の災禍を逃れることができました。それでも長く続いた包囲戦、その後のペストなどで町の人口は半減。

その後に発生したスペイン王位継承戦争でも街は災禍に遭います。度々の戦火で交易のルートは町を迂回するルートに変更され、町は歴史の表舞台から姿を消します。

お陰で古い町並みや見事な城壁が今日まで残ることになりました。

第二次大戦では末期になって空爆に遭い聖ゲオルグ教会は大きな被害を受けます。古い家屋は奇跡的にわずかな被害で済み、現在では町の大事な観光資源になっています。

ネルトリンゲン 観光 – 骸骨屋敷のメッカ

ネルトリンゲンには、有名な観光地に匹敵する大きな観光名所がないと書きましたが、実はドイツ国内ではエスリンゲンと並ぶ骸骨屋敷(日本では木組み屋敷と言うらしい。)のメッカなんです。

エスリンゲンの家屋を見て、「ええがや~。」と思われた方には、きっと気にいると思います。

その中でも一番のお勧めは、皮なめし職人地区の見事な屋敷。皮なめしなので、水が大量に必要です。そこで皮なめし職人地区は、ネルトリンゲンの北を流れるエガー河から水路で取り込めるように、町の北側にあります。

ネルトリンゲンの城壁と城門

ネルトリンゲンは車でやってくる観光客に対して、城壁の外に数か所の無料駐車場、それも場所により無料トイレ付!を整備しています。

城壁内部の駐車場は住民用。観光客は城壁の外の駐車場を利用しよう。外と言っても城壁に隣接されており、至極便利です。

街の自慢の一つは城壁。屋根つきの14世紀の城壁が町を完全に囲む形で残っているのは、ドイツではここだけです。おまけに偶然なのか、それも意図して作ったのか、町は見事な楕円形。

道に迷ったら、城壁に沿って歩いていれば、いずれは車を止めた場所に戻ってこれます。

ネルトリンゲン 旧市街地図

ダイニンガー城門 / Deininger Tor

ネルトリンゲンに到着すると、「駐車場はこちら」と標識が出でいるので、ここにに車を停め、ここから観光スタート!

城壁に登ってしばし歩いていくと、城門の一つが見えてきました。あとから調べると”Deininger Tor”という名前でした。この城門はネルトリンゲンの東にあり、16世紀初頭の建造。

かってはここからアウグスブルクへ向かう交易路が伸びていました。道理でここに着いたわけだ。今ではこの交易路は国道25線になっていますが、ほぼ同じルートです。

ネルトリンゲン 城壁と回廊

30年戦争中、攻めてきたカトリック軍は塔の内部に侵入。すると防御側によって塔に火が放たれ、カトリック軍を押し戻したという歴史のある塔だ。

折角なので、城壁から降りて城門をくぐって外から撮影。

ネルトリンゲン ダイニンガー城門

写真を撮るとまた城壁に戻り、しばらく歩いてみました。が、ここからネルトリンゲンの綺麗な街並みと有名な教会の尖塔が見えるので、もう我慢できず、次の門で階段を下りちゃいました。

でもこの際なので、ネルトリンゲンにある塔と城門を幾つかここでまとめて紹介しちゃいます。

旧市街とダニエル

ライムリンガー城門 / Reimlinger Tor

ダイニンガー城門の南にあるのが、神聖ローマ帝国の鷲の紋章が目印の立派な城門、ライムリンガー城門 /”Reimlinger Tor”。

この城門はネルトリンゲン最古の塔。裏から見ると飾りのない土塀のようですが、表から見ると、町を訪れる商人に町の豊かさを見せつけるように、装飾が施されていますので、是非、外から眺めてみましょう。

ダイニンガー城門、それにこのライムリンガー城門からは、アウグスブルクを経由して、アルプス、そしてイタリアまでの交易路が(当時は)走っていた。

ライムリンガー城門

ベルガー城門 / Berger Tor

ネルトリンゲンの西にあるのはベルガー城門 /”Berger Tor”。

内部には衛兵の宿舎も備えた大きな門。14世紀の建造。15世紀に改築されました。ここからウルムに向かう交易路が伸びていました。

今では衛兵の詰め所はカフェに改造されており、やる気のなさそうな店員が店番してました。

ベルガー城門

獅子塔 / Löwenturm & 火薬塔 / Pulverturm

その先にあるのが獅子塔 / Löwenturm で、馬のひづめの形をしています。建造されたのは16世紀。

押し寄せる敵に砲火を浴びせられるように、大砲を設置できるスペースを設けた屋根付きの塔が建設されました。

別名、火薬塔 / Pulverturm とも呼ばれています。今ではネルトリンゲンを守っていたお堀は埋められて、その場所に遊園地が設置されていました。

獅子塔

バルデインガー城門 / Baldinger Tor

ネルトリンゲンの一番北にある城門が、このバルデインガー城門 /”Baldinger Tor”です。

城門らしくなく、ただの土塀のような門。14世紀に建造されましたが、30年戦争中に街を包囲したワレンシュタイン将軍率いるカトリック軍の主要攻撃目標となり、こっぴどく痛められて1703年に崩壊。数名、生き埋めになりました。

1705年に再建されましたが、再建されたのは下の部分だけなので、このような簡素な形になったそうです。この塔からはフランケン(ニュルンベルク)行きの交易路が伸びていました。

バルデインガー城門

とんがり塔 / Spitzturm

城壁だけでは攻撃に耐えきれないので、敵を銃で射つことができる銃眼を備えた防衛塔が、城壁に幾つも組み込まれています。

その一つがこのとんがり塔。バルデインガー城門から左手に、この塔が見えます。

城壁の中からでは全体像が見えないので、城壁沿いに歩いて全体像を写真に収めてきました!ちょうど春先だったのでリンゴ畑は、満開でした。

このリンゴ畑になってる場所は、かってのお堀で水路がネルトリンゲンを取り囲んでいました。水路が残っていれば、さぞかしいい絵になっただろうに!

とんがり塔

下水路門 / Unterer Wasserturm

ネルトリンゲンの生命線であるエガー川。

ここから水路で町の中に水をひいていましたが、これを利用して町に侵入する敵を監視していたのが、下水路門と呼ばれる Unterrer Wasserturm です。こちらは15世紀の建造。

雷が落ちて17世紀に再建されて、今の型になりました。

下水路門

ネルトリンゲン で一番綺麗! 皮なめし職人地区 / Gerberviertel

では次に一番綺麗な観光名所、皮なめし職人地区 / Gerberviertel を紹介します。

かってネルトリンゲンはかってドイツ一の皮なめし職人の町で、152ものマイスターがいました。この地区には皮なめし職人の綺麗な家屋が建ち並んでいます。

その中でも一番のお気に入りがコレ。上に行くほど家屋が斜めになっている。シブイっ!

傾いた大きな家屋

地下には皮なめしの材料が保管され、運河沿いの地上階では徒弟が皮を洗い、屋根裏部屋で皮を乾かしていました。そして屋根裏部屋の下は居住部分。

今でも資料館ではなく、アパートとして使われています。是非、中も見てみたいっ!

新水車小屋 / Neumühle

皮なめし職人地区には絵になる風景が広がり、今ではもう使われていないが水車が残っています。

場所は上述の下水路門の対面です。エガー川から引いた水を利用して、ここで穀物を粉にしていたんです。水車はネルトリンゲンの住人の主導で、新しく作り直されたのもの。この為、新水車小屋と呼ばれています。

ここに水路をまたぐ、小さな石の橋がかかっています。30年戦争の終わりに作られたもので、今でも現役。その手作り感がとっても素敵。

新水車小屋

町の博物館 / Stadtmuseum

皮なめし職人地区の入り口に、でかい建物。なんだこれは?

ネルトリンゲンの博物館 / Stadtmuseum でした。後で調べると、元は聖心病院 / Heilig-Geist-Spital で現在は町の博物館として利用されています。

参照 : stadtmuseum-noerdlingen.de 入場料 4.5ユーロ

博物館

この博物館のさらに奥、城壁沿いにある納屋のような建物も実は博物館で、リース隕石跡博物館です。興味のある方は、どうぞ。

参照 : rieskrater-museum.de 入場料 4.5ユーロ

骸骨屋敷 / Winter’sches Haus

周辺には綺麗な木枠で組まれた骸骨屋敷が建ち並び、見事に修復されている。

どれも見事なので、どれを紹介すればいいのか、迷います。街の観光案内によると、

「ネルトリンゲンを代表する骸骨屋敷は、”Winter’sches Haus”です。」

と書かれている。

参照 : noerdlingen.de

なんでも建造されたのは1697年で入り口にラテン語で、”Soli Deo Gloria”(神様のみが導き給う)と刻まれているそうだ。

この皮なめし職人地区に似ている家屋があったので、これかな?と写真を撮ってきました。

骸骨屋敷

自宅に帰ってチェックしてみると、違ってました、、。それもそのはず。このヴィンターシェス ハオスは全然、別の場所に建っている!

旧市街の南、聖ゲオルグ教会の南側の観光名所とは外れている場所。ここにリンクを張っておくので、ネルトリンゲンに行かれる方はお忘れなく。

参照 : google.map

旧修道院 / Klösterle

ここからネルトリンゲン中心部に向かって歩いていくと、「あ、綺麗。」という建物がここに、あそこに、あ、その先にも!

この大きな建造物は旧修道院 / Klösterle 。ネルトリンゲンの歴史を代表する建造物で、なんと13世紀に修道院として建造された。

その後教会になり、16世紀からは穀物倉庫として使用された。南側にあるレストランへの入り口には、この修道院を建てた人が働く姿が石に刻まれている。

現在はホテル & レストランとして使用されているばかりが、町議会も入っている。

旧修道院

鍋市場 / Hafenmarkt

旧修道院の近くにあるのが、鍋市場 / Hafenmarkt だ。このページのトップで使用して写真です。

「なんで鍋が Hafen なの?」

と思ったあなたは好奇心旺盛。私も思いました。調べてみると古典ドイツ語で”Hafe”は鍋という意味。

ネルトリンゲンの鍋屋 / Häfner や、町の外からやってきた商人がここで鍋を売ってました。

市場といっても、そこはたんなる芝生と対面には傾いた(斜めの)趣のある屋敷が並んでいます。でも鍋市場一番見所は、右手にある立派な骸骨屋敷。木枠が波打ってます。

鍋市場

まさに素材を生かした家作り!ここは午後になると日陰になるので、午前中に写真を撮っておこう!

ネルトリンゲン 市役所

「これだけ綺麗な建物が並んでいるんだから、ネルトリンゲンの市役所もさぞかし、、。」

と期待していると、ちょっと肩透かしかも?いや、ちゃんと立派なお屋敷なんですけどね、どうも市役所っぽくない、、。

それもそのはず、ネルトリンゲンの市役所は、最初から市役所として建設されたものではなく、かってはこの地方の豪族、エッテンゲン公爵が住む屋敷だった。

14世紀初頭、公爵はこれをハイルブロンの修道院に売却、これを市が月賦で購入したもの。なので立派なお屋敷ではありますが、豪華絢爛というわけではありません。

市役所

自由の階段 / Freitreppe

ネルトリンゲンの市役所の一番の見所は、裏にある石の階段です。

その名前がいい。自由の階段 / Freitreppe って呼ばれています。

17世紀初頭に増築されたこの階段(の下)は、牢屋としても使用されていたんです。普通、自由の階段と言うと、右からでも左からでも登れる階段を指します。

ここだけは例外なのかなあ~。

市役所 石の階段

町の法律を破った人間はここで罰せられ、見せしめにされたそうだ。

すなわちここで見せしめになることで、”Nun sind Unser Zeiy.”

「俺とお前は一緒だよ。」

と道化師が笑っているわけだ。

市役所牢屋

その一方、ネルトリンゲンで結婚式を挙げると、この市庁舎の階段で記念写真を撮るのがしきたりだ。カップルでお越しの方は記念写真をお忘れなく。

舞踏場 / Tanzhaus

市庁舎の横にある立派な建物は、15世紀半ばに建造された舞踏場 /”Tanzhaus”だ。

かって見本市がネルトリンゲンで開催されると、ここで商人が品物を展示するメッセ会場として使用された。見本市がないときは市民の祝い事、宴会に使用されたという。

もっとも現地人に聞くと、

「俺が子供の頃は、学校の校舎の一部として使われていた。」

そうです。今では市役所として使われています。

舞踏場

聖ゲオルグ教会 / St. Gerog

ネルトリンゲンで二番目に有名な建物が、この聖ゲオルグ教会 / St. Georg です。

帝国都市に昇進した町の評議会は1427年、ネルトリンゲンを代表する教会の建設を決定。教会自体は24年の比較的短い建造期間で完成。

宗教改革の波がこの町にやってくると、プロテスタント教会に改修。今日でもプロテスタント教会のまま。

戦争が終わる一か月前、空襲に遭い有名なオルガンが破壊されましたが、教会自体は破壊を免れました。

聖ゲオルグ教会

ダニエル / Daniel 高さ90m!

街を代表する建造物は、「ダニエル」の愛称で呼ばれる高さ90mの塔。

建造されたのは15世紀。もっともお金がなくなり、塔の天辺は未完成で終わっていた。ここに雷が落ちたことをお告げと勘違いした住人は、16世紀に塔を完成させます。

中世の頃は、押し寄せてくる敵軍を早期発見するため昼夜、見張りが陣取っていた。今では入場料を取るおじさんが一人で頂上で頑張っている。

ネルトリンゲン観光のハイライトなので、歩き疲れる前に、挑戦しよう!

ダニエル

入場料は3.50ユーロ。ちょっと高い気もするが、滅多に来ないから思い出に登ってみよう。

途中でひざが笑い出しますが、天辺からの見晴らしは絶景。かって隕石が落ちて出来たクレーターが、ここからよく見渡せます。眼下の家屋がおもちゃのように見えます。

街の眺望

兵士の噴水 / Krigerbrunnen

ダニエルから降りたら、教会前に建っている”Kriegerbrunnen”(兵士の噴水)も見ていこう。

ネルトリンゲン市民に飲み水を提供する目的で、すでに14世紀の頃からここに井戸が掘られていた。20世紀、プロイセンがフランスに戦争で勝った記念に新しく作り直されました。

兵士の噴水

旧穀物倉庫 / Alte Schranne

ネルトリンゲンの中心部から少し離れた場所に建っている真っ赤な建物は、”Alte Schranne”、かっての穀物倉庫だ。

すでに15世紀にここに倉庫が建っていたが、現存するものは、17世紀初頭に再建されたもの。現在は地上階で人気のレストランが入っており、いつも地元客で賑わっている。

ネルトリンゲン 真っ赤な建物

市営倉庫 / Hallegebäude

聖ゲオルグ教会の近くに、これまた大きな黄色の建物が建っている。

これはかっての市営倉庫 / Hallegebäude と呼ばれる建造物で、塩、穀物やワインの貯蔵に使われた。16世紀にそれまであった古い家屋を取り壊して新築されたので、新しい建築 / neuer Bau とも呼ばれる。

この周辺はかってのネルトリンゲンのワイン市場で、この近辺に住む女性とこの会場の管理人(男性)まで、魔女との疑惑をかけられて、町の向いにある小山の上で無残に殺害されたという暗い歴史もある。

ネルトリンゲン 大きな建造物と教会の尖塔

観光バスのネルトリンゲン停車場

「この先を左に曲がれば駐車場。」

だったのに、「あ、ここにも綺麗な建物が。」とフラフラと歩き出すと、ダニエルに日が当たり絶好のシャッターチャンス。

また市内中心部に戻ってきて、撮影。ちなみにロマンチック街道を巡るバスは、この3つの綺麗な家屋の前にあるバス停に止まります。

バスは午後にやってきて、2時間くらい停泊。折角のシャッターチャンスがぶち壊し。バスがいない間に撮影しておこう!日がバックから照らしてくれる夕方が、シャッターチャンス!

ネルトリンゲン の街と教会の尖塔

総評 – ネルトリンゲン と言えばダニエル

ネルトリンゲンと言えば?観光を済ませた後で言えば、やっぱり聖ゲオルグ教会の尖塔、ダニエルです。

すでに町のはるか彼方から、まるでバベルの塔のように、町の屋根の上に聳え立つダニエルが見えてきます。

高さ90mの塔と言えば、ミュンヘンの老いぼれペーターと同じです。ランズフートの聖マルテインの130mにはかないませんが、それでも何処からでも見える石作りの尖塔は圧巻。

そしてダニエルに負けない観光名所は、その数と奇抜なデザインの家屋屋敷の数々。ここで紹介できていない素晴らしい家屋が、幾つもあります。観光に行かれる方は、まだ見たことのない綺麗な家屋に出会うこと間違いなし。

行く前にネットで、「ネルトリンゲン」とぐぐって出てくるのは、いまひとつな写真ばかり。「行ってもガッカリかな?」と期待していなかったので、それが返って良かったのかもしれません。

ネルトリンゲン 旧市街の綺麗な家屋

車で行く場合、”Harburg“の城砦の先からは、童話に出てくるような田舎道を走ります。車で行かれる方は、”Harburg“の看板が見えてきたら、カメラを抱えてシャッターチャンスを待とう!

 

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