街の紹介 ヴァイセンブルク

ヴァイセンブルク の街は恒例の、「誰も知らないドイツの観光地シーズ」の都市です。正式名称は “Weißenburg i.Bay.。i.Bay.は in Bayern(バイエルン州の)の短縮形。

同じバイエルン州に住むドイツ人に聞いてみましたが、「知らない。」と回答した人が8名。60歳のドイツ人だけ、「弟がそこの寄宿学校に行ってた。」との事。

その人も、「街は知らない。」という完全なる知名度のなさ。どんな街なのか、紹介してみたいと思います。

ヴァイセンブルク 観光 - 延々と続く城壁が圧巻!

行き方

街はアウグスブルクニュルンベルクのちょうど中間あたりにあります。アウグスブルクから北に87Km少々。車で向かうと、南ドイツのシルクロード、今日の国道2号線をニュンベルクに向かって延々を走る。

国道なのに速度制限は高速道路並みの120Kmh。とっても快適。道端で(春先には)農家がさくらんぼを売ってたりして、とってものどか~。日曜日なら渋滞もなく、かっきり1時間で到着できる。電車で向かっても、同じ時間で行けます。

町の歴史

町の住民は、「紀元後90年に、ローマ帝国の駐屯地が築かれたのが町の起源だ。」と主張しています。最盛期には浴場まで建設されて、2500人の兵隊とその家族が住んでいた大きな駐屯地でした。

3世紀になるとゲルマン4大民族のアレマーネンが度々襲撃をしてきます。ローマ兵は「多勢に無勢」とこの要塞を放棄、町の歴史は唐突に終焉を迎えます。その後、7世紀になってからこの地に宮殿が建設されたのが、この町の本当の起源です。

カール大帝?

町の住民は、「カール大帝がこの宮殿に住んでいた。」と言い張っています。カール大帝とは8~9世紀のフランク帝国の王様で、欧州で初めて皇帝の称号を得た人物です。ザクセンを破ってドイツをほぼ統一、キリスト教を国教としました。

そのカール大帝が本当にこの街に住んでいた証拠はありません。そもそも書簡によると、この町の最古の記述は9世紀のもの。11世紀にはこの町は神聖ローマ帝国の皇帝を出す、シュタウファー家の支配下に収まります。

名前の由来

ヴァイセンブルクの名前はそのまんま、”weiße Brug”(白い城塞)から発生されたとされています。街の印には、まさにその白い城塞が描かれています。

城壁の建設

12世紀になってから町の城壁作りが開始。14世紀になると皇帝から免税の特権が与え、町は豊かになります。豊かになると略奪の対象になるので、城壁に沿って30mの幅のお堀が掘られます。

当時は数十もの(見張り)塔が建っていたが、現存しているのは「たったの」38塔のみ。もっとのドイツのどの町に、今日まで38もの塔が残っているだろう。

城壁

一番貧乏な自由都市

13世紀に地元の諸侯とバイエルン公爵の間で戦闘があり、バイエルン公爵により町は焼き払われてしまう。戦後、30年もかけて町は再建される。さらには”Reichsstadt”の特権まで与えられるが、フランケン(ニュルンベルク一体の地域を指す)で一番貧乏な自由都市だった。

14世紀、町の破壊を後悔したのか、後を継いだバイエルン公爵が森が寄贈する。この森が町の唯一の収入源となり、町はやっと貧困を抜け出すことになる。

30年戦争

この時期に町の教会の建設が始まるが、資金難のため、象徴である教会の塔は計画よりも短くせざるを得なかった。ヴァイセンブルクは早い時期からプロテスタントを支持、30年戦争にはTilly将軍率いるカトリック軍に包囲されて、略奪されてしまう。

近代から現代

30年戦争の終わりには29の建物、それも空き家しか残っていなかった。それでも戦後、復興が始まり、やっと復興したと思ったら今度はナポレオン戦争に巻き込まれる。町はバイエルン公爵に、次いでプロイセンの支配下になるが、ナポレオンがドイツを占領すると、この町は再度、バイエルン王国に帰属することになり、今日に至っている。

運命に恵まれなかった町だが、戦争遂行に重要な工場がなかったのが幸いした。ニュルンベルクなどの大都市からも十分に離れていたので、第二次大戦中はほとんど爆撃に遭わなかった。

唯一、1945年2月に方向を間違えた一機のB-17が爆弾をこの町に投下、罪のない市民が殺害された。町はほどんど無傷で残り、今日まで中世の町並みを堪能できることになった。

ヴァイセンブルク 観光 – 延々と続く城壁が圧巻!

日本人はおろか、ドイツ人にも無名な町。町もこの点を認識しており、観光客招致に力を入れている。例えば駐車場。市内には無料駐車場がたくさんある。「2時間まで無料」と書かれているが、週末は誰もチェックしていないので終日、無料で駐車できます。

最初に目に付いた無料駐車場に車を止めて歩き出すと、早くも城壁とこの町の特徴である塔のひとつが見えてきた。

エリンガー門 / Ellinger Tor

角に建つ塔は”Fünfeckturm”(五角塔)と呼ばれている。その先の塔は数多い塔の中でもっとも美しい、エリンガー門 /”Ellinger Tor”だ。12世紀に町が城壁で覆われた際は、たんなる監視塔だった。

14世紀にはここに門が設けられ、17世紀になって上部が増築された。当時はお堀が掘られて水が流れていたので、橋がかかっている。現在ではお堀は埋められて、庭園になっている。内側からみると、とってもシンプル。

ヴァイセンブルク 観光 - 延々と続く城壁が圧巻!

門の中央部には帝国都市の初期の象徴である鷲が描かれています。これが数百年後には、ハープスブルク家の双頭の鷲に変わっているので、象徴を見ればいつの時代に建造されたのかわります。

その鷲の右にあるのが、町の名前の起源になった白い城塞が描かれています。左にあるのは町の新しい象徴で、ここには双頭の鷲が描かれています。

エリンガー門 / Ellinger Tor

門を超えていくと、右手に綺麗な骸骨屋敷の建物があります。これは☆☆☆ホテル。骸骨屋敷の泊まってみたい!という方はお試しアレ。

聖アンドレアス教会 / St.-Andreas-Kirche

町の真ん中ではなく端っこにある”St.-Andreas-Kirche”を見ていこう。とりわけ美しいわけでなければ、とりわけ高い塔があるわけではないが、人口1万8000人の町にしては十分立派。

建設が始まったのは13世紀で、工事の中断の後、やっと14世紀に完成した。城壁で町を囲んでから教会を建設したので、場所に困った。結果、胴体部分と尖塔が「曲がって」いるのが特徴。

教会の裏にあるかってのラテン語学校は、現在ではローマ帝国資料館として利用されている。

宮廷

ここから道に沿って歩いていくと、小奇麗な屋敷が建っている。この先が、”Am Hof”(宮廷)と呼ばれる場所だが、宮廷は何処にもない。

かってはここに”Königshof”が建っており、「カール大帝がこの宮殿に住んでいた。」との伝説があるので、この名前で呼ばれている。宮廷はなくても、噴水と建物は綺麗。

ヴァイセンブルク 観光 - 延々と続く城壁が圧巻!

青い家

ここからまたメイン通り(教会のある通り)に戻ると、中心部はすぐ目と鼻の先。ここに”blaues Haus”(青い家)が建っている。このと~っても長い家屋は神聖ローマ帝国から任命された執行官の住居で、18世紀に建造されました。

もっとも本来の目的に使用されたのは短期間で、その後はお金持ちのアパートや工場として使われていました。18世紀末から、今でも薬局が入っており、大きな建物一部には、薬局博物館が入ってます。

青い家

ヴァイセンブルク 旧市庁舎

その先が中心部で町の象徴の”altes Rathaus”(旧市庁舎)が建っている。この石造りの見事な建物は、ヴァイセンブルクがどん底を抜け出した15世紀に建造されました。現在はレストランが入っています。

ヴァイセンブルク 旧市庁舎

市庁舎というと、街を象徴する建造物。想像力をこらして、ふたつとない立派な建物になっており、この市庁舎は側面から見ても綺麗。

観光客誘致の一環で、市は大金を投じて市役所横の駐車場を歩行者天国に改造している。お陰で右を向いても、左を向いても、綺麗な景観を堪能することができます。

ヴァイセンブルク 旧市庁舎

病院塔 / “Spitaltor”

この広場の先にかっての見張り塔が建っている。かってはここが町の境界だった。その後、町の人口が増えたのでお堀を埋めて、15世紀に教会と病院が、新しい城壁はその後ろに新たに建設された。

病院塔 / "Spitaltor"

当時の入り口だった塔は撤去されないで、”Spitaltor”(病院塔)と呼ばれて教会の塔の役割も果たしている。この塔の入り口にはちゃんと双頭の鷲の紋章がかかっている。

この広場、写真中左側には(私が見つけることができた)唯一の公衆トイレ(無償)があります。ドイツではトイレは戦術的に重要なポイントなので、把握しておきましょう!!

木材市場 / Holzmarkt

市役所まで戻ってこよう。市役所の前は”Holzmarkt”(木材市場)と呼ばれている。言うまでもなく、木材が売買された場所。ここが町の目抜き通りなので、綺麗な建物が多く建っている。

木材市場 / Holzmarkt

まず最初に目を引くのは、”Löwen Brauerei”。と書かれている通り、ビールの鋳造所だ(った)。ビールをなめているライオンがかわいい。

旧修道院 / 現文化会館

木材広場にも立派な教会がある。と思ったら、カルメリター教会 文化会館/ “Kulturzentrum Karmeliterkirche”とある。意味不明。

あとで調べてみると、かってのカルメリーテン派の修道院。宗教改革で町に接収され、今では文化会館として使われています。

旧修道院 / 現文化会館

皇帝 ルートビヒ バイエルン / Kaiser Ludwig der Bayer

通りの終わりには噴水があり、「ローマ兵?」と思われる銅像がある。ローマ兵ではなくて、ヴァイセンブルクに森を寄贈したバイエルン公爵、”Kaiser Ludwig der Bayer”の彫刻だ。

皇帝 ルートビヒ バイエルン / Kaiser Ludwig der Bayer

ヴュルツブルク要塞

町の向かいにある小高い丘に、大きな屋根が見えます。これはヴュルツブルク要塞です。

ヴュルツブルク要塞

オリジナルは11世紀に建造された修道院。宗教改革の波がこの街にやってくると、カトリック教会などはタブー。修道院は接収されて、街のお役所になりました。その後、辺境伯が町の防御のために16世紀にここに要塞を築かせました。

日本の五稜郭のように五角形になっているそうです。一番の自慢は山の上に掘られた井戸。敵に包囲されたら飲み水がなくなるので、水脈を確保するため、直径2.5mの井戸を106mも掘ったそうです。手作業で。凄いですね。

残念ながら今回は時間がなくて、見れなかったので次回のお楽しみ。

参照 : weissenburg.de

倉庫 / Schranne

バイエルン公爵の銅像の近くに、”Schranne”(倉庫)という立派な建物が建っている。「倉庫なのに、何でこんなに立派な塔があるの?」調べてみると、この建物はかってはカトリック教会だった。

住民がカトリック教に愛想を尽かしてプロテスタントに改修すると、カトリック教会は倉庫に改造された。19世紀になると、消防の詰め所として利用されてので、監視用の塔が建てられた。

倉庫

街中はあちこちに骸骨屋敷が建っているが、倉庫の近くの屋敷はとりわけ立派。ここにもかってのビール鋳造所”Schneider-Bräu”の建物がある。この綺麗な建築物は今、レストランとして使用されている。この民家の(向かって)左手の細い路地を進んでいくと、門が見えてくる。

ヴァイセンブルク名物 – 城壁

門を出て振り返ると、そこはもう町の城壁だ。城壁沿いに歩いていくと、お堀が出現する。お堀に写った城壁が綺麗で、しばし見惚れてしまう。「他では見れない綺麗な風景。」と感心していると、見渡す限り続く城壁と塔が見えてくる。

38もの現存している塔とは読んでいたが、これを見て始めて納得。近代化の邪魔になるからと撤去されないで、よくも今日まで残ったものだ。

ヴァイセンブルク 城壁

お堀の大半は埋められてしまっているが、まだ残っているお堀には城壁が写し出されてても美しい。塔と城壁は今日では、アパートや物置として利用されています。

角を曲がって新しい通りに入ると、古い家屋が、ここに、そこに建っているので、彷徨い歩いてしまいます。今の住宅はどれも同じに見えますが、当時の家はまさに個性の主張。

改装されていない家も風情があるし、朽ちかけの家はまさにワザサビの世界。本来なら復元されたローマのカステル(城砦)も見るべきだが、気が付けばもう16時。全部見ることができなかった城壁、塔は次回のお楽しみ。

 

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