今回紹介する ヴァイセンブルク は好評の、
「ドイツの秘境 誰も知らない街」シリーズの都市です。
同じバイエルン州に住むドイツ人に聞いてみましたが、皆、「知らない。」と回答。唯一60歳のドイツ人だけ、「弟がそこの寄宿学校に行ってた。」との事。
その人でも、「名前は知っているが、街は知らない。」という完全なる知名度のなさ。
ヴァイセンブルクがどんな街なのか、紹介してみたいと思います。
目次
街の紹介 ヴァイセンブルク
まずは街の紹介から。
正式名称は “Weißenburg i.Bay. です。i.Bay.は in Bayern(バイエルン州の)の短縮形。全部翻訳すると、バイエルン州のヴァイセンブルクという意味です。
詳しく言えば中部フランケン地方 / Mitel Franken にある街だ。人口は2万にも満たない。
この街はライン河の支流の中でもとりわけ細くて短い Schwäbische Rezat の河畔にある。無理やりカタカナで書くと、シュヴェービッシェ レツァート。
ドイツ語らしくない河の名前は、先住民のケルト語から派生したのが原因です。
街を取り囲む有名な水路は、この川から水をひいてます。直接、ヴァイセンブルクには関係ないですが、街の南にはこれまたドイツ語らくしくない フォッサ カロリーナ / Fossa Carolina という川があります。
これは8世紀にライン川とドナウ川を結ぶ目的で掘られた人口の運河で、シュヴェービッシェ レツアートはフォッサ カロリーナ流れ込んでいます。
ここまで知っていれば、あなたはドイツ人より博識です。
行き方
行き方は簡単でした。
ヴァイセンブルクはアウグスブルクとニュルンベルクのちょうど中間あたりにあります。
アウグスブルクから北に87Km少々。車で向かうと、南ドイツのシルクロード、今日の国道2号線をニュンベルクに向かって延々を走るだけ。
国道なのに、速度制限は高速道路並みの120Kmh。と~っても快適。道端で(春先には)農家がさくらんぼを売ってたりして、とってものどか~。
日曜日なら渋滞もなく、かっきり1時間で到着できる。電車で向かっても、同じ時間で行けます。
街の歴史
折角なので、街の歴史も見ておきましょう。
住民は、
「紀元後90年に、ローマ帝国の駐屯地が築かれたのがヴァイセンブルクの町の起源だ。」
と主張しています。確かに最盛期には浴場まで建設されて、2500人の兵隊とその家族が住んでいた、大きな駐屯地でした。
3世紀になるとゲルマン4大民族のアレマーネンが度々襲撃をしてきます。ローマ兵は「多勢に無勢」とこの要塞を放棄、町の歴史は唐突に終焉を迎えます。
その後、7~8世紀にかけてかっての駐屯地から離れた場所に小さな集落が築かれたのが、ヴァイセンブルクの街の本当の起源です。
カール大帝
町の住民は、
「カール大帝がヴァイセンブルクの宮殿に住んでいた。」
と言い張っています。カール大帝とは8~9世紀のフランク帝国の王様で、欧州で初めて皇帝の称号を得た人物です。
皇帝になるとキリスト教を武力で広めることに使命を感じ、宗教戦争を開始します。その槍玉、布教の目標になったのが、ライン河畔に住む蛮族のザクセン人。
ザクセン人はゲルマン民族の古代信仰に固執、キリスト教徒になる事を拒否したので、
「正しい信仰に導いてあげよう。」
と、12年も続く血なまぐさい戦争を行います。最後はザクセンはカール大帝に敗れ、武力でキリスト教に改宗されます。
そのカール大帝が上述の運河、フォッサ カロリーナ本の建設時、ヴァイセンブルクに住んでいた(かもしれない)と言われています。何しろ8世紀の出来事なので、証拠はありません。
この街に関する最古の記述は、9世紀のもの。その書簡で、「ヴァイセンブルクを含むバイエルンを、ルートビヒ二世に与える。」と書かれています。
その後、街はザイラー家に売却され、11世紀には神聖ローマ帝国の皇帝を出す、シュタウファー家の支配下に収まります。
名前の由来
ヴァイセンブルクの名前はそのまんま、”weißer Brug”(白い城塞)から発生されたとされています。
街の印には、まさにその白い城塞が描かれています。
城壁の建設
ヴァイセンブルクの象徴になっている有名な城壁の建設は、12世紀に始まります。
今日見ることができる城壁は、なんとこの12~13世紀に建造されたものです!かなり交易で栄えていたようです。
14世紀になると皇帝から免税の特権が与えられ、街はさらに豊かになります。豊かになると略奪の対象になるので、城壁に沿って30mの幅のお堀が掘られます。
当時は数十もの(見張り)塔が建っていたのですが、現存しているのは「たったの」38塔のみ。もっとのドイツのどの町に、今日まで38もの塔が残っているだろう。
一番貧乏な帝国都市
13世紀、地元の諸侯とバイエルン公爵の間で戦闘があり、バイエルン公爵によりヴァイセンブルクは焼き払われてしまう。
戦後、30年もかけて町は再建される。さらには帝国都市 /”Reichsstadt”の特権まで与えられるが、フランケン(ニュルンベルク一体の地域を指す)で一番貧乏な帝国都市だった。
14世紀、町の破壊を後悔したのか、後を継いだバイエルン公爵が森を寄贈する。この森が町の唯一の収入源となり、町はやっと貧困を抜け出すことになる。
30年戦争
この時期に教会の建設が始まるが、資金難のため、象徴である教会の塔は計画よりも短くせざるを得なかった。
ヴァイセンブルクは早い時期からプロテスタントを支持、30年戦争にはTilly将軍率いるカトリック軍に包囲されて、略奪されてしまう。
30年戦争の終わりには29の建物、それも空き家しか残っていなかった。
近代から現代
それでも戦後、復興が始まり、やっと復興したと思ったら今度はナポレオン戦争に巻き込まれる。
街はバイエルン公爵に、次いでプロイセンの支配下になるが、ナポレオンがドイツを占領すると、ヴァイセンブルクは再度、バイエルン王国に帰属することになり、今日に至っている。
運命に恵まれなかった街だが、戦争遂行に重要な工場がなかったのが幸いした。ニュルンベルクなどの大都市からも十分に離れていたので、第二次大戦中はほとんど爆撃に遭わなかった。
唯一、1945年2月に方向を間違えた一機のB-17が爆弾をこの町に投下、罪のない市民が殺害された。街はほどんど無傷で残り、今日まで中世の町並みを堪能できることになった。
ヴァイセンブルク 観光 – 延々と続く城壁が圧巻!
日本人はおろか、ドイツ人にも無名なヴァイセンブルクの町。
街もこの点を認識しており、観光客招致に力を入れている。例えば駐車場。市内には無料駐車場がたくさんある。
「2時間まで無料」と書かれているが、週末は誰もチェックしていないので終日、無料で駐車できます。
最初に目に付いた無料駐車場に車を止めて歩き出すと、早くも城壁とこの街の特徴である塔のひとつが見えてきた。
五画塔 / Fünfeckturm
ヴァイセンブルクの城壁に組み込まれている塔は、ほぼすべて四角形です。
その中で、唯一、五角形をしているのが、角に建つ塔で五画塔 / Fünfeckturm と呼ばれている。
城壁の前のお堀は大変、埋め立てられますが、全部埋めるには至らず。
そこでかってのお堀は窪地になっており、リンゴ畑として活用されています。
エリンガー門 / Ellinger Tor
その先の塔は数多い塔の中でもっとも美しい、エリンガー門 /”Ellinger Tor”がある。
12世紀にヴァイセンブルクが城壁で覆われた際は、たんなる監視塔だった。
14世紀にはここに門が設けられ、17世紀になって上部が増築された。当時はお堀が掘られて水が流れていたので、橋がかかっている。
現在ではお堀は埋められて、庭園になっている。内側からみると、とってもシンプル。
門の中央部には、帝国都市の初期の象徴である鷲が描かれています。これが数百年後には、ハープスブルク家の双頭の鷲に変わっているので、象徴を見ればいつの時代に建造されたのかわります。
その鷲と一緒に描かれているのが、ヴァイセンブルクの名前の起源になった白い城塞です。
左にあるのは町の新しい象徴で、ここには双頭の鷲と白い城塞が描かれています。
ちなみに町の語源になった白い城塞、もう存在していません。一体、何処にあったんでしょうね?
シャイブライン塔 / Scheibleinsturm
「ヴァイセンブルクの塔は、ほぼすべて四角形です。」
と書きましたが、もうひとつの例外が丸い形のシャイブライン塔 / Scheibleinsturm です。おかしな名前は、この塔に住んでいたか、何か塔に関係のある人物の名前です。
町中を探しても、丸い塔はこれだけ。何故、これだけ丸のか、いろんな議論が交わされています。
上の写真を見てください。ヴァイセンブルクの名前の起源になった白い城塞には、二本の丸い塔がありました。この塔の先に白い城塞があったのかもしれません。
というのもこの塔の内側は Am Hof (宮廷)と呼ばれる地区なんです。
ちなみにシャイブライン塔は、本来、もっと高かったんです。以前は監獄としても利用されていました。今日ではシャイブライン塔は短く切り詰められて、アパートとして廃物利用されています。
聖アンドレアス教会 / St.-Andreas-Kirche
ヴァイセンブルクの真ん中ではなく、端っこにある聖アンドレアス教会 / St.-Andreas-Kirche を見ていこう。
とりわけ美しいわけでなければ、とりわけ高い塔があるわけではないが、人口1万8000人の町にしては十分立派。
建設が始まったのは13世紀で、工事の中断の後、やっと14世紀に完成した。城壁で町を囲んでから教会を建設したので、場所に困った。結果、胴体部分と尖塔が「曲がって」いるのが特徴。
教会の裏にあるかってのラテン語学校は、現在ではローマ帝国資料館として利用されている。
宮廷 / am Hof
ここから道に沿って歩いていくと、小奇麗な屋敷が幾つも連なって建っている。
この先がヴァイセンブルクの宮廷 / Am Hof と呼ばれる場所だが、探しても宮廷らしきものは何処にもない。
かってはここに宮殿 /”Königshof”が建っており、
「カール大帝がこの宮殿に住んでいた。」
との伝説があるので、この名前で呼ばれている。宮廷はなくても、噴水と建物は綺麗。
青い家 / blaues Haus
ここからまたメイン通り(教会のある通り)に戻ると、ヴァイセンブルクの中心部はすぐ目と鼻の先。
ここに青い家 / blaues Haus が建っている。このと~っても長い家屋は、神聖ローマ帝国から任命された執行官の住居で、18世紀に建造されました。
もっとも本来の目的に使用されたのは短期間で、その後はお金持ちのアパートや工場として使われていました。18世紀末から、今でも薬局が入っており、大きな建物一部には、薬局博物館が入ってます。
ヴァイセンブルク 旧市庁舎
その先が街の中心部でヴァイセンブルク旧市庁舎 / altes Rathaus が建っている。
この石造りの見事な建物は、ヴァイセンブルクがどん底を抜け出した15世紀に建造されました。現在はレストランが入っています。
市庁舎というと、街を象徴する建造物。想像力をこらして、ふたつとない立派な建物になっており、この市庁舎は側面から見ても綺麗。
観光客誘致の一環で、市は大金を投じて市役所横の駐車場を歩行者天国に改造している。
お陰で右を向いても、左を向いても、綺麗な景観を堪能することができます。
病院塔 / “Spitaltor”
この広場のすぐ先に、かっての見張り塔が建っている。
そう、かってはここが町の境界だった。その後、町の人口が増えたので城壁を取り壊し、お堀を埋めて、15世紀に教会と病院が建設されました。新しい城壁は、およそ200mほど後方に作り直されました。
ヴァイセンブルク入り口だった塔だけは撤去されないで、病院塔 /”Spitaltor”と呼ばれて教会の尖塔の役割も果たしている。この塔の入り口には、ちゃんと双頭の鷲の紋章がかかっている。
この広場、写真中左側には(私が見つけることができた)唯一の公衆トイレ(無償)があります。ドイツではトイレは戦術的に重要なポイントなので、把握しておきましょう!!
木材市場 / Holzmarkt
市役所まで戻ってこよう。市役所の前は木材市場 / Holzmarkt と呼ばれている。
別名ルイポルト通り。言うまでもなく、建築用、あるいは暖房用の木材が売買された場所。ここがヴァイセンブルクの目抜き通りなので、綺麗な建物が多く建っている。
金のライオン軒 / Zum goldenen Löwen
木材市場でまず最初に目を引くのは、金のライオン軒 / Zum goldenen Löwen です。
この屋敷が建造されたのは1558年。1774年茶色のビール/ Braunesbiere を鋳造する許可を得た、ヴァイセンブルクでもっとも古いビールの鋳造所だ(った)。
ビールの製造が工業化されると大きな工場に太刀打ちできなくなり、1979年に廃業した。今は金のライオン軒というカフェ & レストラン & 居酒屋。
朝一番からオープンしているので、地元の人は朝飯を食べにいってました。看板になっているビールをなめているライオンがかわいいので、お見逃しなく。
カルメリター教会 文化会館 / “Kulturzentrum Karmeliterkirche”
木材広場にも立派な教会がある。と思ったら、カルメリター教会 文化会館 / “Kulturzentrum Karmeliterkirche”とある。意味不明。
あとで調べてみると、かってのカルメリーテン派の修道院。宗教改革で町に接収され、今では文化会館として使われています。
皇帝 ルートビヒ バイエルン / Kaiser Ludwig der Bayer
通りの終わりには噴水があり、「ローマ兵?」と思われる銅像がある。
ローマ兵ではなくて、ヴァイセンブルクに森を寄贈したバイエルン公爵、”Kaiser Ludwig der Bayer”の彫刻だ。
ヴュルツブルク要塞
町の向かいにある小高い丘に、大きな屋根が見えます。これはヴュルツブルク要塞です。
オリジナルは11世紀に建造された修道院。宗教改革の波がこの街にやってくると、カトリック教会などはタブー。修道院は接収されて、ヴァイセンブルクのお役所になりました。
その後、辺境伯がヴァイセンブルクの防御のために16世紀に役所を壊して、要塞を築かせました。日本の五稜郭のように五角形になっているそうです。
一番の自慢は山の上に掘られた井戸。敵に包囲されたら飲み水がなくなるので、水脈を確保するため、直径2.5mの井戸を106mも掘ったそうです。手作業で。凄いですね。
残念ながら今回は時間がなくて、見れなかったので次回のお楽しみ。
参照 : weissenburg.de
倉庫 / Schranne
バイエルン公爵の銅像の近くに、”Schranne”(倉庫)という立派な建物が建っている。
「倉庫なのに、何でこんなに立派な塔があるの?」
調べてみると、この建物はかってはカトリック教会だった。
ヴァイセンブルクの住民がカトリック教に愛想を尽かしてプロテスタントに改修すると、カトリック教会は倉庫に改造された。19世紀になると、消防の詰め所として利用されてので、監視用の塔が建てられた。
街中はあちこちに骸骨屋敷が建っているが、倉庫の近くの屋敷はとりわけ立派。ここにもかってのビール鋳造所”Schneider-Bräu”の建物がある。この綺麗な建築物は今、レストランとして使用されている。
この民家の(向かって)左手の細い路地を進んでいくと、門が見えてくる。
ヴァイセンブルク 城壁
門を出て振り返ると、そこはもうヴァイセンブルク城壁だ。
正式名称は、”Schißgrabenmauer”と言います。翻訳すると「射撃掘りの壁」。実に1879年まで、この監視塔からお堀に侵入した敵を想定して、射撃練習を行っていたんです。
38もの現存している塔とは読んでいたが、これを見て始めて納得。見渡す限り城壁と監視塔が繋がってます。流石、城壁で有名な街だけのことはあります。
城壁の内側には延々と民家が連なっています。これらの小さな家屋は18~19世紀になってから、城壁を家の壁に利用して、建てられたもの。
ゼーヴァイヤー城壁 / Seeweihermauer
城壁沿いに歩いていくと、”Seeweiher”が出現する。何、ソレ?
ドイツ語の”See”は湖、”Weiher”は人口の池を指するので、人口の湖という意味です。この人口の湖にある城壁を、ゼーヴァイヤー城壁 / Seeweihermauer と呼ぶわけです。
ここがヴァイセンブルクで一番綺麗な場所。やはり城壁にはお堀が似合う!川面に写った城壁が綺麗で、しばし見惚れてしまいました。
所々に塔や城壁があり、今日では、アパートや物置として利用されています。
城壁の内側
城壁の外の光景はわかったから、城壁の内側はどんなの?
って気になる事と思います。こんな感じです。車が止まっていなければ、中世の姿そのまま。大きく変えなくても映画のセットで使えそう、、。
角を曲がって新しい通りに入ると、古い家屋が、ここに、そこに建っているので、彷徨い歩いてしまいます。今の住宅はどれも同じに見えますが、当時の家はまさに個性の主張。
綺麗に塗られている家も風情があるし、朽ちかけの家はまさにワザサビの世界。本来ならヴァイセンブルクにある世界遺産、ローマのカステル(城砦)も見るべきだが、気が付けばもう16時。
ローマのカステル(城砦)は次回のお楽しみ。
ヴァイセンブルク 城塞 / Kastell Weißenburg
ヴァイセンブルクに電車で行かれる方は、すぐに旧市街地に向かわないで、逆方向に歩いてみよう。
というのも、駅からわずか120m離れた場所にユネスコから世界遺産に指定されているヴァイセンブルク城塞 / Kastell Weißenburg があるからだ。ローマ兵が築いた温泉の跡も、ここにあります。
見つかったのは1868年に、まさに駅の建設工事にて。その後の発掘調査で紀元1世紀に建設されたと推測されている。
地中に埋まっているローマ兵の駐屯地跡だけでは見栄えが悪いので、90年代に、「こんな形じゃなかったのか?」と推測して、北門を再構築。が、専門家から、「全然違う!」と、酷評を受けている。
しかし作り直す予算はなし。レーゲンスブルクやトリアーの門をお手本にすればよかったのに、、。
まとめ – ヴァイセンブルク
自宅から行くにはドナウヴェアトの先で国道2号線に乗り替えて、直進あるのみ。
なのにナビが、
「右に曲がれ。」
というので曲がったら、Pappenheim という町に到着。
参照 : pappenheim.de
最初の5分くらいは、
「ヴァイセンブルク到着!」
と勘違いして観光スタート!
「あれ、下調べした街と違うなあ。」
と、気づいたのは5分後。
車で行かれる方、絶対に直進してください。ナビが何を言っても。
城壁ファンにとっては、見所の多い街でとても気に入りました。念願だった湖面に写る城壁も撮れたし。
翌年の春の連休(復活祭)に再訪!もう4月なのに、まだ木々は緑が欠け黒いまま。フライングしてしまいました。
お天気も優れず、青空の代わりに薄い白い雲で覆われ、これでは写真は使えない、、。観光はどんなに早くても、4月末。それまではじっと我慢の子です。
見所は多いのですが、パン屋の品揃えが悲しい。ドイツの街には珍しくケバップの店もない。ヴァイセンブルクは人口2万人未満で観光客も滅多にこないとなると、週末に空いている店は少ない。
弁当を持ってくるか、来る途中、路肩で農家がサクランボを売ってるので、これを買ってもってきたほうがいいです。