独裁者ヒトラーがオーバーザルツベルクで購入した山荘 ベルクホーフ 。

ランツベルクの刑務所から出所後、政権を獲得する直前に著書

「我が闘争」

の印税で買った。

ナチスが政権を取ると巨額の税金をつぎ込んで改装され、ベルクホーフは第三帝国の政治の中心部になった。

「それは一度は見てみたい!」

と思っても、ベルクホーフは隠されているので、見つけるのは至難の業。

そこで日本からわざわざ来ても、

「見れなかった!」

と言われる方のために、こっそり(*1)行き方をウンチクと一緒に、紹介いたします。

オーバーザルツベルクとは?

まずはウンチクから。

ベルクホーフが建っている地区は、オーバーザルツベルクと言います。

これは街の名前ではありません。

街の名前はザルツベルクで、6つの地区があります。

そのひとつが、オーバーザルツベルクなんです。

オーバーは北という意味なので、日本風に言えば(ザルツベルク市)北区です。

ちなみにザルツベルク(市)の人口は2000人にも満たないので、ザルツベルク郡北区といったほうが正解だろう。

塩の山 / Salzberg という名前からわかる通り、この地方では12世紀から塩の採掘がおこなわれてきた。

その他には牛の放牧と林業がおこなわれるだけの、さびれた山村だった。

そんなひっそりとした山奥に、なんでまたベルクホーフなんて建てたんだろう?

観光業の誕生 ペンション モーリッツ

オーバーザルツベルクで観光業が誕生したのは、1878年です。

めざとい企業家がここに、ペンション モーリッツ /”Pension Moritz”を建設します。

今でこそペンションと言えば、ホテルよりもグレードの低い宿を指しますが、当時は超高級の宿泊施設でした。

これをベルクホーフ、すなわち山荘と呼んだのが、名前の起源です。

この山荘がきっかけで、有名人がオーバーザルツベルクまで、延々と足を運ぶようになります。

するとバイエルン王国の王族、バイエルンと仲の悪いプロイセンの王族、さらにはオーストリアの王族まで、休暇でやってくるようになります。

もっとも雪が多いのこの地方では、観光業は夏だけ。

山荘ブーム

だったのですが、めざといモーリッツ氏が今度はスキー場を開設します。

そう、ザルツベルク市は勿論、ベルヒテスガーデンは豪雪地方なんです。

お陰で真冬にも客が山荘を訪れるようになり、

「山荘ブーム」

がおこります。

何か売れる商品があると、これを真似する輩が出てくるのは、今も昔も同じ。

急に観光人気が出ると、牛の放牧にしか使えなかったオーバーザルツベルクに、モーリッツ山荘の真似をした山荘が次々に建造されます。

こうして同じような姿、格好をした山荘 / ベルクホーフがひしめき合います。

するとこれまでは王様かお金持ちしか利用できなかった山荘が、中流階級にも利用できるようになります。

これをきっかけに、さらに観光客がやってきます。

その観光客の一人が、アドルフ ヒトラーでした。

ヒトラーが愛したオーバーザルツベルク

ヒトラーが最初にオーバーザルツベルクにやってっきたのは、1923年と記録が残っています。

目的は党幹部との会合。

その際に泊ったのが、上述のペンション モーリッツです。

同年9月にはミュンヘン一揆を興し、ランツベルクの監獄に収容されています。

ペンション モーリッツでは、ミュンヘン一揆のついて協議していたようです(*2)。

その後、数名の死者が出たのに、ヒトラーはわずか9ヶ月で釈放されます。

その後、政治活動の合間に何度もこの地を訪れるようになり、ベルクホーフはヒトラーお気に入りの休暇先となりました。

オーバーザルツベルクへの行き方

カーナビに、

「オーバーザルツベルク」

と入れても(多分)出てきません。

そこでまずはベルヒテスガーデンを目指します。

ここまで来るとケールシュタインの標識が出ているので、ナビがなくても大丈夫。

どんなに探しても、

「ベルクホーフ」

の標識は出ていません。

質問
行きたいのはベルクホーフなんですけど?

 

ベルクホーフはケールシュタインの駐車場から、

「歩いて15分」

なので、目指すはケールシュタインです。

標識を見ながらカーブの多い山道をぐいぐい登っていくと、上からは大きなバスが対向車線に飛び出して下りてきます。

下りてくるバスが見えたら、カーブのかなり前で停車、バスを先に行かせてあげましょう。

15分程度で巨大な駐車場に到着します。

ここから先は、個人の車での進入は禁止されています。

駐車場は有料なので要小銭。

駐車場の端っこにバスターミナルがあり、ここでケールシュタイン ハウス行きの乗車券 & 入場券を買えます。

ケールシュタイン ハウス 鷲の巣からの眺めは絶景

電車 & バスで行く

電車で行く場合も同じく、まずはベルヒテスガーデンを目指します。

ベルヒテスガーデン駅から、バスの838番に乗車ください。

ケールシュタインの駐車場までいけます。

お急ぎの方はタクシーでどうぞ。

ヒトラーの別荘 ベルクホーフ 誕生

ヒトラーの別荘 ベルクホーフ 誕生

ドイツ人には日本人にない

「癖」

があります。

休暇になると毎回同じ街に行き、同じホテルに泊まるんです。

ヒトラーも例外ではなく、時間があればオーバーザルツベルクに行き、毎回同じ山荘”Landhaus Wachenfeld “に泊まります。

山荘からの眺めがいたく気に入ったようです。

1928年以降は、ほぼ年中、借りっぱなし。

政治家として有名になると獄中で口述筆記した

“Mein Kampf”

の印税が、がっぽり入ってきます。

1932年9月、ヒトラーはいつも泊っていた山荘を買い取ります(*3)。

買い取った山荘を ベルクホーフ / Berghof と命名しました。

ヒトラーが総統になり野党が存在を辞めると、官房長官のボアマンは巨額の税金をつぎ込んで、大規模な改装工事を施します(*4)。

ベルクホーフの名前は山荘ですが、外交官を謁見きできる公的な施設に大改造されました。

ドイツ政治の中心地に

特徴的なのはベルクホーフ入り口の階段。

訪問者を乗せた車は専用のスロープを上がってきますが、車が止まるのは階段の下。

訪問者は階段を登って初めて、ここで待ち受けている主と握手を交わすことができます。

イギリスの首相チェンバリンがやってきたときは、ヒトラーは階段を下りて首相を出迎えました。

謁見にやってくる相手次第で、上で会うか、下で会うか、決めていました。

ドイツの首都こそベルリンで、日本からの外務大臣はベルリンで謁見されました。

しかしヒトラーが戦術的な決定をするのは、ベルクホーフでした。

ミュンヘン会談

イタリアの独裁者ムッソリーニと、イギリスの首相チェンバリンを呼び、

「ミュンヘン会談」

が開かれたのは、実はここ。

厳密に言うなら、オーバーザルツベルク会談です。

オーストリアのシュシュニク首相を謁見、軟禁してオーストリアの無血占領に同意させたのもここ。

さらにはパノラマ窓の前に何時間も立って、バルバロッサ作戦、ソビエト侵攻を決めたのもここベルクホーフでした。

その際の有名なセリフが、お抱えの建築家、アルベルトシュペーアの回顧録に記されています。

”Gelingt es mir, mit meiner ganzen Vorhaben durchzusetzten, wäre ich der größte in der deutschen Geschichte.”

(私の企図がうまく行けば、ドイツ史上、最も偉大な人物になるだろう。)

参照 : amazon.de

ベルクホーフ 破壊

ベルクホーフ 破壊

ベルクホーフは山奥にあったので、戦争中被害に遭いませんでした。

このまま戦争が終わるかと思われた終戦間際、思い出したようにアメリカ空軍機がやってきて、爆弾を投下。

ベルクホーフはこの空爆で大破します。

戦後、アメリカ軍がベルクホーフを接収。

飾られていた装飾品は、米軍兵士の戦利品になりました。

ドイツ連邦共和国成立後、ベルクホーフはしばらくはそのままの姿で残っていました。

しかし、

「ナチスのメッカになることは避けたい。」

 

と、バイエルン政府がレンガひとつまで撤去しました。

ただ撤去しただけでは済ます、資材、レンガは誰にもわからない場所に埋葬されるという徹底ぶり。

お陰で今は、コンクリートの土台しか残っていません。

日本では平然と戦争中の日章旗が飾れているので、理解ができないと思います。

ドイツではナチス関係、とりわけヒトラーに関係する物はターブー中のタブーです。

ベルクホーフはその最たるもの。

当然、

「ベルクホーフへはこちらから。」

なんて標識は出ていません。

行き方を聞くと、不信の目で見られます。

ましてやホームページなんぞ作ろうものなら、、。

ベルクホーフ への行き方

ベルクホーフ への行き方

そこでこっそり、ベルクホーフへの行き方を教えちゃいます。

ケールシュタインの駐車場の隅っこに、

「正しい歴史」

を伝える歴史資料館 /”Dokumentaionszentrum”が建っています。

 

実はこの建物、上述のペンション モーリッツの別館のひとつなんです。

ペンション モーリッツ自体は取り壊されましたが、別館(物置)だけは残されて、廃物利用されてます。

歴史資料館の前の散歩道を歩いていくと、道が二股に分かれています。

これを左に折れる(私は間違って右に行った!)と、15分ほどでベルクホーフの跡地に着きます。

看板

看板

ここまでくると、

「ばれたら仕方がないな。」

と看板が出ているので、わかります。

地元民曰く、隠れてここに献花していく人がいるそうです。

それほどまでにタブーなので、あまり宣伝するのはよろしくありません。

コンクリートの土台

コンクリートの土台

唯一、ベルクホーフの遺物として残っているのは、破棄できなかったコンクリートの土台だけ。

「お土産」

にならないようにレンガの最後のひとつまで撤去されています。

建築家だったら土台だけでもかってのベルクホーフを想像できるかもしれませんが、素人にはかっての防空壕にしか見えません。

ベルクホーフ 名物パノラマ窓

ベルクホーフ 名物パノラマ窓

ベルクホーフの名物がパノラマ窓。

4m x 8m という巨大な窓が広間に施され、電動式で鎧戸があがります。

パノラマ窓からはオーバーザルツベルクの山々を一望できて、息を呑む美しさでした。

この窓の前にヒトラーの

「仕事机」

があり、パノラマを背にして執務に就いていました(*5)。

ドイツ政府はその光景を訪問者に与えないように、土台の前に植林、独裁者が日々眺めた光景さえも禁止するという徹底振りです。

木々がなければあの有名なベルクホーフのパノラマ窓からの景色が眺められるのに(*6)。

それさえも禁止されているのが、今のドイツです。

ベルクホーフ 訪問者用スロープ

ベルクホーフ 訪問者用スロープ

オーバーザルツベルクが第三帝国の政治の心臓部だった頃、訪問者が快適に車でベルクホーフを訪問できるようにスロープ設けられました。

各国の首脳は車でこのスロープを登っていきました。

そのスロープがココ。

標識もない上、柱が邪魔していますが、ベルクホーフへの入り口です。

ベルクホーフ のコピーは現存!

ベルクホーフ のコピーは現存!

ベルクホーフ、もともとはペンション モーリッツを真似て建てた山荘のひとつ。

ヒトラーの山荘は破壊されましたが、隣の山荘はまだ当時の姿で残っています。

そのひとつが

“zum, Türken”(いざ、トルコに!)

という宿屋。

今でも営業中なので、泊まることもできる。

面白い名前は、宿の主がヨーロッパに侵入してきたオスマントルコに対抗するために、キリスト教徒義勇軍に参加したのがきっかけです。

しかしこのホテル WiFi もないので、本当のハードコアな方だけにお勧めします。

このベルクホーフは当時、ナチスに強制収用されていました。

戦後、この山荘は本当の持ち主に、ナチス時代に増設されたさまざまな施設と一緒に、返却されました。

折角なので、

「ベルクホーフのコピー」

も見に行きましょう。

警備兵の詰め所

警備兵の詰め所

歩いていくと、ホテルの入り口には、当時の警備兵の詰め所が当時のまま残ってました。

そのまま残っているのは、詰め所だけではありません。

ナチス指導部専用の防空壕

ナチス指導部専用の防空壕

その土地、厳密に言えばホテルの真下にはベルクホーフに滞在するナチス指導部専用の防空壕があります。

山荘を取り度した主人は、この防空壕を観光客へのアトラクションとして入場料をもらって公開していました。

戦争中に蒙った被害を考えれば当然の権利ですが、バイエルン政府はこれを禁止します。

「ネオナチの巡礼場になりかねない。」

という州政府の危惧から生じた行動でしたが、

戦後、ドイツは本当の法治国家に変身しました。

これを証明するのが、この一件。

宿の主人は、

「俺の土地にある俺の所有物を公開して入場料を取るのは、俺の権利だ!」

とバイエルン州を訴え、勝訴。

以来、堂々と地下防空壕を公開しています。

ケールシュタインハウスとベルクホーフを見てから午後16時過ぎに行くと、もう閉まってました。

興味のある方は、もっと早い時間に。

注釈

*1         戦後のドイツではナチスのテーマはタブーです。ドイツで「あいつは危ない日本人。」とのラッテルを張られたくなければ、口外は控えましょう。

*2       これがきっかけになったのか、ヒトラーは大きな決断をする前に、ベルクホーフに引きこもるようになります。

*3        政権奪取の4か月前です。その後、「ヒトラーは買い値を叩いた。」と政敵が主張、苦しい選挙戦になります。

*4         改装されたのはベルクホーフだけでなく、オーバーザルツベルク全体に建造物が立ち並びます。付近一帯は「総統用立ち入り禁止区域」に指定されます。

*5        ヒトラーは長年のボヘミアン生活で、定時に仕事をすることは稀。執務室も仕事の効率よりは、訪問者に与える印象を考えてデザイン、設置されました。

*6        実は歴史資料館のテラスからの眺めは、ベルクホーフからの眺めと同一です。ちょっと角度が違うだけ!