テュービンゲン とテューリンゲン。皆さん、区別できますか?

私は区別するのに苦労しました。後者は東ドイツの州の名前で、テューリンゲン ソーセージ / Tühringerwurst が「特産物」。

前者はネッカー河畔の風光明媚な大学町。ネッカー河畔に並ぶ家屋とずんぐりむっくりの教会の尖塔が織りなす景色は、ドイツの宣伝で度々使われている構図(写真)です。

「実物を見てみたい!」

と思っても遠距離にあったため、なかなかいく機会(勇気)がありませんでした。

気が付けばもう10初旬で紅葉の真っただ中!もう先送りにできないので、撮影に行ってきました!かなり気に入ったので、翌年の6月に再訪。

いい写真が撮れた(と思う)ので、紹介したいと思います。

街の紹介 テュービンゲン

ネッカー河畔の古都で大学街と言えば、皆さん、間違いなくハイデルベルクを思い浮かべると思います。ところがもうひとつ、ネッカー河畔の古都で大学街があるんです。それがテュービンゲン。

街はバーデン ヴュルテンベルク州の州都であるシュトットガルトから、南へ30kmの場所にある大学町。日本風に言えば、テュービンゲン県 / Landkreis Tübingen の県庁所在地でもある。

街はカトリック教の中心地として栄え、ヴュルテンベルク公爵がその後、この街に居を構えたことから発展した。第二次大戦中には二度の爆撃をうけたが、幸い、被害はそれほど大きくなく、美しい家屋が残ることになった。

第二次大戦後フランスの占領下になり、フランスは新しい州、ヴュルテンベルクーホーヘンツォラー州を設立、州都はテュービンゲンに置かれた。

町の人口は9万人程度だが、3万人近い学生が住んでおり、平均年齢がもっとも若い街と言われている。ドイツでは知らない人はいない街だが、日本では誰も知らない秘境として紹介されている。

行き方

テュービンゲンは地勢上は黒い森の北端、”Schwäbisch Alp“(シュバーベンのアルプス)の中間に位置します。州都のシュトットガルトから電車で1時間ほど。バイエルン州のアウグスブルクから車で向かうと、ひたすら西に走ります。片道、2時間もかかりました!

フランクフルトから電車で向かうと2時間半。これが理由で日本では「秘境」と呼ばれているのかもしれません。

テュービンゲン の歴史

街の歴史をざっと紹介すると、近郊にローマ人が1世紀に入植した痕跡が見つかっている。当時は”Tuwo”という名前で呼ばれていたが、ゲルマン人がこの地を占領すると、彼らの言葉で発音しやすいように語尾が-ing(en) と変化してTuebingenになったと言われている。

テュービンゲンの名前が最初に登場するのは11世紀の書簡で、そこには神聖ローマ帝国の皇帝ハインリヒ4世が、小高い山の上にある城砦 “Hohentuebingen”を包囲したと記述されている。この頃には立派な城砦が建造されていたようだ。

テュービンゲン ネッカー河畔の家屋

ツッオラー家の支配

商人が交わした12世紀の書簡には、この地に市場が開かれていると記載されている。当時、街はドイツ第二帝国の皇帝を出すホーエンツッオラー家の親戚にあたる、ツッオラー家の支配可にあった。13世紀には街に昇格。

ラテン語学校

13世紀にローマ教皇がこの地に修道院を築いたのがきっかけになり、テュービンゲン公爵も修道院を建設して、カトリック教の砦になる。13世紀の終わりにはヘッセの小説に登場する、ラテン語学校が創設されている。

ヴュルテンベルク家の支配

神聖ローマ帝国の皇帝を出していたシュタウファー家の没落で、シュバーベン地方の支配者になったのが、11世紀になって初めて歴史に登場したヴュルテンベルク家。14世紀にはテュービンゲンは、ヴュルテンベルク伯爵の支配下に移ります。

すると伯爵は山の上にあった城塞に居住地を移し、王家の首都として街は文化的にも栄えることになる。

大学創設

16世紀に宗教改革の波がやってくるとヴュルテンベルク家は、カトリック系の修道院を閉鎖、これに代わって大学が建設される。そこで教えられたのはプロテスタント派のカトリック教。もっとも当時の大学は教会の横の小さな家だった。

ついでヴュルテンベルク伯爵は奨学金制度を導入した。これにより神学(プロテスタント)を学ぶ優秀な学生は、出身、身分に関係なく就学できることになった。

30年戦争

30年戦争時には、プロテスタント派が栄えていたテュービンゲンは、カトリック派の攻撃目標になる。街はバイエルン軍を主力にするカトリック連合軍に占領され、ヴルテムベルク伯爵は居城を明け渡すことになる。カトリック連合軍の占領下ペストが発生、1年間で1500人も死去するほど猛威を振るった。

2年後、プロテスタント派のスウエーデン軍が町を攻めたが、バイエルン軍はこれを撃退した。スウエーデン軍が引き上げると今度はフランス軍が侵攻してきて、テュービンゲン包囲するも守備隊はこれに長く抵抗する。

フランス軍はトンネル作戦で塔を爆破して町の中への侵入路を開くと、「もうあかん」とバイエルン軍は潔く降伏した。お陰で軍旗を保持したままの撤退が許された。その後、フランス軍は30年戦争が終結するまで、この地に駐屯した。

学生連盟

18世紀には二度も火事があり街の一部は焼け落ちたが、長い時間をかけて町は再建された。19世紀、職人とワイン農家が、警察の横暴に抵抗して一揆をおこすと、街の権力者はこれまで禁止されていたテュービンゲン大学の学生連盟に助けを要請する。

150人の学生には銃が支給されて、無事、反乱を収めることに成功する。これがきっかけで、テュービンゲン大学の学生連盟は今日でも町で幾つかの利権を所有している。

第二次大戦の戦禍

テュービンゲンには軍の駐屯地が三っつもある軍隊の拠点だったが、戦争遂行に欠かせない産業がなかった。お陰で空爆こそあったが、焼け野原になる運命を逃れることができた。

さらにはフランス軍が進軍してくると、テュービンゲンは無抵抗で降伏したことから戦渦を免れることができた。お陰でテュービンゲンの旧市街地には見事な建築物が数多く残っている。

テュービンゲン 観光 – ネッカー河畔の風光明媚な大学町

テュービンゲン観光の最大の魅力は、河畔に並ぶ綺麗な家屋とネッカー河。何処から撮っても絵になりますが、川面に移る家屋も一緒に撮ると、絵のような写真になります。観光名所だけあって、実に綺麗に装飾されている。

この橋は中世の頃からこの同じ場所にかかっており、街への入り口は塔(門)と城壁で守られていた。

今日では城壁と塔は取り壊されて残っていないが、堤防のように見える石垣はかっての城壁の一部で、中性の頃にはこの城壁の後ろにさらに大きな城壁が築かれていた。

ネッカー河畔沿いの家屋

テュービンゲン名物 ネッカー河の渡し船

テュービンゲンの名物のひとつは、”Stockerkahn”と呼ばれる渡し舟。棒(Stock)で漕ぐので、この名が付いた。ネッカー河畔に沿って歩いていくと、100mほどで渡し舟の乗り場が見えてきます。

この渡し舟を運営しているは学生連盟で、他の業者はここで渡し舟を経営してはらないという独占権益を有している。

中州

ネッカー河の真ん中には中州があり、綺麗な並木道が整備されているので、是非、対岸の綺麗な家屋を見ながら散策してみよう。

木材市場 / Holzmarkt

いつ行っても聖ゲオルグ教会の影に覆われて日の当たることが滅多にない場所が、木材市場 / Holzmarkt です。ここにある噴水はゲオルグ噴水で、聖ゲオルグが竜を退治している石像が飾られています。個人的にはアウグスブルクのゲオルグ噴水が、ドイツで一番素敵。

ここに赤く壁が塗られた家が建っています。ノーベル文学賞を受賞、戦争に反対したのでドイツから追い出されたヘルマン ヘッセが、初めて仕事についたのが、ここに入っていた本屋です。

テュービンゲン 木材市場 / Holzmarkt

聖ゲオルグ教会 / St.Georg

テュービンゲンの風景を決定的にしているのが、尖塔が低くて「ずんぐりむっくり」している聖ゲオルグ教会 / St.Georg です。この場所に最初に教会が建てられたのは、発掘調査の結果、11~12世紀の間と考えられています。

テュービンゲン 聖ゲオルグ教会 / St.Georg

今の聖ゲオルグ教会の建築が始まったのは、15世紀初頭です。かなり壮大な建築案だった為、途中で建築が挫折。紆余曲折の末、1490年に完成しましたが、尖塔は未完成のまま。そこで初期の計画を放棄して、建設途中で終わってていた先頭に屋根を付けて無理やり完成したのが1529年。

それでも尖塔の高さは56mあり、ここから街を一望できます。

テュービンゲン 旧市街一望

教会内部 司祭台

教会の中は、思ったより狭かったです。展示されている長椅子の彫刻の見事なこと。十字架の前がAltarと呼ばれる牧師様の仕事場。ちなみにドイツ語で、”zum Altar führen”(司教台に連れて行く)というと、結婚式することを指します。

長椅子 / Chorgestühl

これまでドイツ各地で教会の長椅子に座って夏の暑さをしのんだり、撮影してきましたが、こんなに見事な長椅子 / Chorgestül は見たことない!15世紀末に作られたこの長椅子は、大学設立当時は大学生の座る椅子として使用されていたんです。

長椅子 / Chorgestühl

お墓 / Grablage

教会は権力者のお墓 /Grablage でもあります。教会の一番奥の部分には立派な棺桶が並んでいます。「男性ばかり。」かと思いきや、女性のお墓もあります。主にヴュルテンベルク一族のメンバー、それにその親族の貴族がここで眠っています。

お墓 / Grablage

教会尖塔

お墓の横に尖塔へ上る階段があります。通常、10月になると観光客が少ないので閉鎖されますが、「尖塔、オープン中!」と看板が出ていました。天気がいいので、臨時オープンしたようです。入場料、なんと1ユーロ。

ただしお金を払っても切符はもらえませんでした。ここからネッカー河にかかる橋が見渡せます。

もう紅葉まっさかりです。もっとも紅葉ではなく黄葉かな。こちらからお城も見えます。お城は大学の一部で、博物館になっています。その手前、右にあるのが有名な旧市庁舎です。なんだかもうすでに影になっています。折角来たのに、ちょっと残念。これ以上真っ暗にならないように、急いで市庁舎に向かいます。

コッタ本屋店 / Cotta-Haus

教会の入り口の対面に綺麗な家屋が並んでいますが、まず注目して欲しいのはその端っこの家。これはコッタ本屋店 / Cotta-Haus です。コッタとは主の名前で、テュービンゲンで150年以上も本屋を営んだ有名な人物。

ゲーテ、シラーを筆頭に、当時の人気作家と個人的なつながりがあり、新作を独占して販売していたそうです。

テュービンゲン コッタ本屋店 / Cotta-Haus

Hier kotzte Goethe / ゲーテがここで吐いた

コッタ本屋店の隣の家の2階部分に、看板が出ています。そこには、”Hier kotzte Goethe,”(ゲーテがここで吐いた。)とあります。なんでもゲーテは1797年、スイスに向かう途上でテュービンゲンのコッタ氏を訪問。

別の町に行こうとしたんですが、大雨。ここで足止めをくらい、大好きなワインを飲みすぎたので窓から吐いたという伝説です。面白いですが、証拠はありません。ジョークと考えたほうがよさそうです。

Hier kotzte Goethe / ゲーテがここで吐いた

旧大学講堂 / alte Aura

聖ゲオルグ教会の入り口の右側にある小さな家屋は、16世紀に建造された旧大学講堂 / alte Aura です。屋根の部分は倉庫になっており、教授に払う穀物が保管されていました。

18世紀なってからバルコニーや装飾が施され、今の姿になりました。でも19世紀にこの大学に通った学生の手記には、講堂は暗くてみじめな有様だと、散々な評判でした。

21世紀になってから大規模な改修が行われ、今でも大学の教育学部の施設として使用されています。

テュービンゲン 旧大学講堂 / alte Aura

ビュルゼ / Burse

旧大学講堂の裏、ほぼネッカー河沿いにピンク色の大きな建物があります。窓が多いのでてっきり病院かと思いきや、これはビュルゼ / Burse と呼ばれる建物で、大学入学前の優秀な生徒が勉強、そして生活をした宿舎でもあります。

もっともテュービンゲン大学に医学部が設置されてからは、大学病院として使用されたというから、最初の推測は間違っていませんでした。

ピンク色の大きな建物

テュービンゲン 市場 / Marktplatz

始めてテュービンゲンに来たら、上述の木材市場を横目に見たら教会に行かないで、そのまま直進しよう。するとすぐ先に街の中心、市場 / Marktplatz に行き当たります。とっても綺麗なので息を呑みますが、感心している時間はないっ!

どうしてですか?

お昼に近くなると観光客が続々と集結して、シャッターチャンスを失うから。それに肝心要の市役所は午後になると影になり、いい写真が撮れません。午前中に真っ先に行くのは、この市場です。お城とか教会は、いつ行っても大丈夫!

テュービンゲン 市場 / Marktplatz

骸骨屋敷

市庁舎前の広場に並ぶ”Fachwerkhäuser”(骸骨屋敷)が見事です。こんなに多くの骸骨屋敷はネルトリンゲンエスリンゲンまでいかないとお目にかかれません。中央には町の象徴になっている市庁舎。もっとも、あえてケチをつければ、家屋が新しい。

どうみてもここ数十年で新築されたようです。それがちょっと残念。

ネプチューン噴水

ドイツ中にあるネプチューン噴水。リンダウにも、バンベルクにもありましたが、個人的なここのネプチューン噴水が一番立派。足元の4つの女性像は、四季を表現しているそうです。

テユービンゲン 市庁舎

15世紀に町がこの場所に建っていた家屋を買収、全部取り壊して新しく建設させたものがテュービンゲン市役所です。建造当時は3階建てだったのに、一階、追加されました。通常の時計の上にあるいは天文時計です。もっとも16世紀のオリジナルは博物館に移されて、今、設置されているのはコピーです。

装飾が施されたのは、大学創設400年を祝った1877年。19世紀まではヴルテンベルクの裁判所としても利用されてました。

市役所を撮影するには正午までが旬です。午後になると影になりますので、テュービンゲンに着いたら真っ先にここを撮影しましょう。建物の影も、観光客の姿もない写真が撮れます。

テュービンゲン 市庁舎

テュービンゲン 城 / Schloss Hohentübingen

市役所の左側にお城に向かう坂道があります。左右に並ぶ綺麗な骸骨屋敷に感心しながら歩いていくと、5分ほどでテユービンゲン城 / Schloss Hohentübingen の「正門」が見えてきます。これが実に立派!

“Hohentübingen”を日本語に直すとテユービンゲン高地です。その名の通り372mの高地に建てられた城ですので、正確にはテユービンゲン高地城です。撮影に一番いい角度を探して歩きまわっていると、大学生がお城の中に入っていきます。

テュービンゲン 城入り口

そう、お城の中に大学の考古学部があるんです。入場料はなし。学生が昼飯を持参して、町を見下ろしながらあちこちでピクニックしています。

この先に見事な装飾を施された第二の門があり、お堀と頑強な城壁で囲まれています。この先が領主の家。ニュルンベルクのお城のように二重の城壁で囲まれています。

テュービンゲン 城 / Schloss Hohentübingen

トゥヴィンギア城塞 / castrum twingia

この城塞が11世紀の文書でトゥヴィンギア城塞 / castrum twingia と呼べれている城塞です。ヴュルテンベルク伯爵によって、住み心地のいいお城に改築されたので、内部は長い建物が中庭をコの字型で囲んでいます。

あ、ここで1日中探してた、トイレを発見。流石にここにトイレを作らないと、敷地内でそそうをする人がいるからですね。

お城の中に入るには要入場料。なので中庭を歩き渡って裏側に行くと、そこは見晴台になっています。ここにはまだ城壁が残っており、その厚さ、有に2メートル半はあります。スウエーデン軍の攻撃を撃退できたのも納得。

トゥヴィンギア城塞 / castrum twingia

入場料を払って中に入ると、地下には巨大なワイン樽があるそうです。そう、ハイデルベルクのお城にあるやつです。街の観光案内によるとテュービンゲン城の大樽は、1549年に製造されたもので、「世界最古の大樽」だそうです。

見晴らしがいいので、テュービンゲンまで来たら是非、お城まで足を延ばしてください。

ユネスコ認定 世界遺産

上述の通りお城の中にはテュービンゲン大学の考古学部があるんですが、その考古学部は発掘した「作品」を飾っている博物館があります。そこにはシュバーベンのアルプスで発掘された氷河期時代の「像」が展示されています。

これが世界で最古の像物で世界遺産に指名されました。興味のある方は以下のサイトで情報収集できます。

参照 : unimuseum.uni-tuebingen.de 入場料 5ユーロ

穀物倉庫 / Kornhaus

市役所を背にして左に曲がると、テユービンゲンの下町に行けます。ここには水路が流れており、地元民のためのカフェやレストランが並ぶ地区です。ここにひときわ目を引く大きな木組みの骸骨屋敷があります。

穀物倉庫 / Kornhaus

建造されたのは15世紀。かってここで穀物の売買が行われたので穀物倉庫 / Kornhaus と呼ばれています。上の階では市民の舞踏場や催しの場として利用されていました。現在は街の歴史を紹介する博物館が入っています。

参照 : tuebingen.de 入場料2.50ユーロ

この地区はフライブルクのように運河が掘られており、とっても雰囲気がいいです。この運河が作られた当時は、住人のゴミ捨て場として使用されていました。ここまで来ると、まだ15時半なのに、もう夕方のようです。撮影を終えて駐車場に向かいました。

生活と物価

人口が10万人にも満たない街なので、「物価は安いんじゃない?」と思いがちですが、それほど安くない。30㎡までのアパートの家賃が13.44ユーロ/㎡。

参照 : wohnungsboerse.net

バーデン ヴュルテンベルク州の平均が13.87ユーロ/㎡なので、州の平均よりわずかに安い程度。これがデユッセルドルフだと15,04ユーロ/㎡です。三重県伊賀市ほどの人口の街なのに、思ったほど家賃が安くない原因はテユービンゲン大学です。

大学生だけで2万7千人+。これに職員を加えれば、ほぼ3万人もの人が大学のために、この街に住んでいる計算になります。

これに加えて風光明媚で、州都シュトットッガルトから電車で1時間しか離れていないので、都会の喧騒を離れて住んでみたい人には人気が高いです。

テュービンゲンに留学!

物価は安いっ!わけではないですが、まあ、我慢できる範囲で、何よりも治安がいいです。街も綺麗だし、名声の高い大学もあるので留学にお勧めしたいですが、問題は語学学校探し。人口9万人ですから選択肢は多くありません。

いろいろ探しましたが、宿泊施設まで手配してくれるテュービンゲンの語学学校は、Sprachinstitut Tübingen だけでした。

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