ベルヒテスガーデン はガルメッッシュ パルテンキルチェンと並ぶドイツアルプスの景勝の地。
あのヒトラーも一度、訪問してから、ぞっこん惚れ込んでしまったほど。
しかし日本で、
「アルプス」
と言えば誰もがスイスを想起してしまうので、日本ではほぼ無名。
そこでベルヒテスガーデンの宣伝も兼ねて、行く価値があるのか、どんな観光資源があるのか、解説したいと思います。
目次
街の紹介 ベルヒテスガーデン
まずは街の紹介から。
ベルヒテスガーデンはドイツの右下、オーストリアに
「槍の先」
のように食い込んでいる部分にある町。
ミュンヘン まで来たら有名なお城を見た後でいいから ベルヒテスガーデン に行ってみよう。
まずスイスに行くよりも格段に安いから。
ついで近郊には
「マニアックな観光名所」
が揃っており、十分に楽しめるから。
そしてスイスと比べると観光客の数が圧倒的に少ない!
私が行ったときは、日本人は私だけ~。
スイスアルプスじゃ、
「ここは熱海か上海か?」
と思えるほど、日本人と中国人ばかりです。
ベルヒテスガーデンはふたつある?
誤解が生じやすいので、まずはややこしい点を説明しておこう。
ベルヒテスガーデンはふたつある。
マジです。
日本で言えば岡山県と岡山市のようなもの。
“Berchtesgadener Land”(ベルヒテスガーデン県)、それに”Berchtesgaden”(ベルヒテスガーデン市)
があります。
ここで紹介するのは市の方です。
ベルヒテスガーデン(市)には、ヒトラーの山荘で有名なオーバーザルツベルクや、
王様の湖で有名なシェーナウ アム ケーニヒスゼー(市)があります。
夏はドイツ アルプスを堪能する観光客で賑わい、冬はスキー客、それもお金持ちのスキー客で賑わう、
「年に2回のハイシーズン」
で稼げるドイツ有数の観光地だ。
行き方 & “Vignette”(ビニエッテ)
行きかたは比較的簡単。
ベルヒテスガーデンは、オーストリアのザルツブルクのさらに南にあります。
すなわち!
下調べしないでナビを信用して、高速8号線を南下してると、突然、オーストリアになります!
大ありです。
事前に高速料金を納入して、
“Vignette”(ビニエッテ)
と呼ばれるシールをフロントガラスに貼っていないと、3桁の罰金刑です!
「そう、簡単には見つかるまい。」
と思っているドイツ人ドライバー、大歓迎。
国境を超えたすぐ先で、検問を張ってます。
ドイツナンバーを見ると、
「こちらに」
と誘導されます。
ビニエッテを買っていないドイツ人が面白いように
「お縄」
になっており、オーストリアの役人は笑いが止まりません。
「知らなかったから払わない!」
強情を張るドイツ人はさらに大歓迎!
罰金徴収手数料が加算されて、罰金はさらに倍増。
安いビニエッテを売るよりも、その数倍のお金を徴収できるので、
「小銭を節約しよう!」
というドイツ人ドライバー大歓迎です。
ビニエッテのデジタル版
調べると、ビニエッテのデジタル版も販売中!
デジタル版は張り付ける必要はありません。
検問を見かけたら、助手席の方に大急ぎで買ってもらえば、間に合うかも?
「ドイツ語がわかんない!」
という方のために解説しておくと、
“10-Tage-Vignette”
の9,4ユーロで罰金を逃れることができます。
バット ライヒェンハル / Bad Reichenhall
休暇の初日に3桁の罰金は痛い!
そこで車で向かう場合は、高速8号線でバット ライヒエンハル / Bad Reichenhall の看板が見えたら高速を降りるべし!
あとは国道20号線を走っていこう!
目の前にど~んとドイツアルプスが見える絶景ルートで、ドイツで一番美しい国道です。
ミュンヘンから電車で向かうと、2時間40分程度の距離にあります。
山の斜面にある町
ベルヒテスガーデンは山の斜面にある町です。
お陰で利用できる土地が少なく、その少ない土地はホテル、カフェ、レストランなどの店舗で埋め尽くされている。
具体的な数字を挙げてみよう。
町の面積は35平方キロメートル。
デユッセルドルフは、ほぼその7倍もある。
「デユッセルドルフの広さがわかりません!」
とお嘆きの貴兄のために、名古屋も比較に出しておこう。
ウィキペデイアによると名古屋の面積は326平方キロメートルで、ベルヒテスガーデンのほぼ10倍もあります。
まさに
「猫の額」
ほどの小さな町。
人口もたったの7780人です。
ドイツで一番寒い町
ドイツで一番寒い場所の代表と言えば、ガルミッシュ パルテンキルヘンの”Zugspitze”(*1)。
天気予報を注意して聞いてください。
「ツークシュピッツェでは(真夏でも)最高気温3度。」
と報道されています。
しかし、ドイツ史上最適温が計測されたのは、ベルヒテスガーデンです。
驚くなかれ、2012年にマイナス45度が記録されました!
町の歴史
折角だから町の歴史も割愛しないで紹介しておこう。
アルプスの麓なので、気候が厳しく居住に適しておらず、歴史に登場するのは11世紀になってから。
当時の書簡に”Perchta”という女性が”Gaden”(ガーデン) という一階建て、一つの広間だけの狩猟用の簡単な家(自衛隊風に言えば廠舎)を持っていた。
すなわちペルチャタのガーデンという意味で”s”が付き、”Perchtasgaden”。
「これが訛ってベルヒテスガーデンになった。」
というお話が町の名前の起源とされています。
修道院建設
近郊の貴族、ズルツバッハ公爵が狩りの際に大怪我をして、”Perchtasgaden”にて助けられたそうです。
その感謝の印に、公爵の奥方がこの地に修道院を寄贈することに。
修道院を寄贈すると言っても、この地方は森林が茂っており修道院建築に適した場所がない。
そこでまずは森林を伐採して建築現場を確保したのが、ベルヒテスガーデンの始まりです。
その後、この修道院長が近郊の森林も伐採させると、ズルツバッハ公爵はこの辺境にミュンスター(でかい教会を指す言葉)の建設を命じて、次第に人口が増えていきます。
ザルツブルクカトリック司教国の支配下に
修道院とミュンスターのお陰で、小さな宗教的な中心地として名前を確立。
その後、神聖ローマ帝国のバルバロッサ皇帝から
「塩と鉱物を自由に採掘、販売してもよい。」
という権利を与えられます。
これが商人を呼び寄せ、ベルヒテスガーデンは経済的にも活況を見せ始めます。
14世紀、その
「金の生る木」
を支配下に収めたのはザルツブルク カトリック司教国でした。
ベルヒテスガーデン 司祭公爵領
16世紀。
町はザルツブルク カトリック司教国の支配から外れ、修道院長が王様として君臨する
“Fürstpropstei Berchtesgaden”(ベルヒテスガーデン 司祭公爵領)
に格上げされます。
ちょうど今日のバチカンのような存在で、神聖ローマ帝国内で最も小さな公爵領でした。
これが気に入らないのがバイエルン公爵。
バイエルン公爵領の目と鼻の先で、神聖ローマ帝国の息のかかった独立国など、許せるものではありません。
そこで何度か武力で脅して身代金をかしめとったり、支払いをしぶると軍を進めて教会を略奪するなど、ひどい隣人のいじめに遭いました。
しかしながら30年戦争時はプロテスタント軍に占領されることはなく、町には古い建造物が残ることになりました。
バイエルン領
司祭公爵領の終わりを告げたのは、19世紀初頭のナポレオンの登場です。
ナポレオンは、皇帝としての自分の権威に挑戦する教会が大嫌い。
そのナポレオンがドイツを占領すると、ドイツ全土にあったカトリック宗教国は終焉を迎えます。
ベルヒテスガーデン 司祭公爵領も例外ではありませんでした。
司祭公爵領は一時、
「ザルツブルク選帝侯領」
となりますが、
「面倒じゃ。」
と鶴の一声でフランス領に。
1810年、ベルヒテスガーデンはザルツブルクと一緒にバイエル領となります。
その後、ナポレオンが落ち目になると、ザルツブルクはオーストリア領に復活しました。
が、ベルヒテスガーデンだけはバイエルン領に留まった為、オーストリアに食い込んだ形になっています。
ベルヒテスガーデン 観光 -ドイツアルプスの景勝地
ではいよいよ、皆さんお待ちかねのベルヒテスガーデン観光です。
冒頭でドイツアルプスの景勝地と書きました。
が、アルプスを除けば、ベルヒテスガーデンの町の見所は少ないです。
通常はスキーや山登りを目当てにやってくるか、あるいはオーバーザツルベルクの史跡を目当てに来る観光客の通過点。
しかしオーバーザツルベルクと王様の湖のちょうど中間に位置する戦術的な利点もあるので、ここで一泊することに。
ホテルにチェックインしてから街中も歩いて、めぼしい観光資源を見てきました。
以下にご紹介いたします。
公園
まずはベルヒテスガーデンの公園から。
駅から近い場所に小さな公園が設けられています。
ベンチが数台設置され、花壇があるだけの名前もない(あったかもしれない)小さな公園です。
「どんなものかいな?」
と足を踏み入れると、これが綺麗!
なのに誰もいないっ!
皆さん、是非、足を運んでください。
フランシスカーナ修道院
貴重な土地なのに、教会が数多く建っている。
やっぱりカトリックの町だけのことはる。
ベルヒテスガーデン唯一の主要道路沿いに建っているのが、フランチスカーナ修道院です。
ちょうど1400年の建造です。
当初は女性専用の修道院でした。
次第に
「会員不足」
に悩み16世紀に閉鎖。
その後、バイエルンのフランチスカーナ修道院に売却されたのでこの名前になりました。
現在ではカトリック系の慈善団体の事務所として使用されています。
聖ペーター教会 / “St. Peter”
ベルヒテスガーデンの真ん中に建っている大きな教会は、聖ペーター教会 /”St. Peter”です。
少し離れて街を眺めると、他の建物の屋根の上に抜き出ている二本の尖塔が見えます。
まさにこの尖塔が、聖ペーター教会のトレードマーク。
12世紀の初頭、上述のズルツバッハ公爵が急遽、町の象徴になるミュンスター(教会)の建設を命じます。
その後、何度も増築と改築を重ねて、一応の完成をみたのが14世紀。
しかしバイエルン公爵がベルヒテスガーデンに軍を進めて略奪、教会もかなり損傷を受けます。
教会のトレードマークになっている尖塔は19世紀になってから、古い尖塔を壊して、もっと立派なものに作り替えたもの。
あまりに改築が多いので、
「12世紀の建造物はほどんど残ってない。」
ともいわれています。
王様の城 / Königliches Schloss
聖ペーター教会に隣接して建っている
「ピンク色の建物」
は、王様の城 / Königliches Schloss だ。
堂々と王様の城という名前なのに、ここに住んでいたのは王様ではなく、王様のような暮らしをしていたベルヒテスガーデン宗教国の主。
城の起源は町の起源になった修道院です。
当初の修道院が何度も改修されて、お城になりました。
ベルヒテスガーデンがバイエルン領になってからは、王様の夏の避暑地として使用されたり、狩の際に利用されたので、王様の城と呼ばれています。
壁画 世界戦争
ベルヒテスガーデンの3つの観光名所は聖ペータース教会、王様の城、それに対面のアーケードに描かれた壁画 世界戦争です。
ここには戦争の戦没者を追悼する壁画が描かれています。
ベルヒテスガーデン 旧市街
ベルヒテスガーデンの旧市街に足を運んでみよう。
これが思っていたより立派で、見事な装飾を施された建物が慣れんでいる。
そして噴水の多い事。
魚の噴水、子供と豚の噴水、その他、数多く存在してます。
街中には日用品店からお土産屋、それにドイツ飯屋が多く並んでいる。
市場噴水 / Marktbrunnen
旧市街の真ん中に広場とは言えないが、少し開けた場所があります。
ここがかっての市場で、市場に付き物の市場噴水 / Marktbrunnen があります。
噴水の中心に立派なライオンの像が建っている。
ライオンはバイエルン州の象徴なので、町がバイエルンに併合された事を記念して、建設されたもの。
この噴水の奥が、王様の城のある上流階級者の居住地区です。
空気壁画 / Lüftmalerei
ベルヒテスガーデンには独特な壁画が描かれていることが多いです。
この独特な壁画は空気壁画 / Lüftmalerei と呼ばれるもの。
南ドイツからオーストリアまでの地域で見かけることができます。
市役所
旧違いの端っこにあるこの屋敷は、市役所です。
写真の角度が悪いですが、真ん中には尖塔まで持つ、
「そこそこ」
立派な建物。
聖アンドレアス教会 / St.Andreas
市役所の横に立っているピンク色の教会派、聖アンドレアス教会 /”St.Andreas”です。
建造されたのは14世紀というから、かなり古い。
それ以前にはこの場所に礼拝堂があったのだが、「壊された」ので、市民がお金を資材を出して、14世紀に教会を建てた。
食べる物にも困る時代に、教会を新築するのだから、当時の信心深さがうかがえます。
ベルヒテスガーデン お土産
ベルヒテスガーデンのお土産で悩んだら、コレ、岩塩 / Salzstein で決まり。
日本では高価で滅多に売られてないが、ここではただの石。
こんなに安くて喜ばれること間違いなし!
何処に泊まる?
何処に泊まる?
って悩んだたら一番便利な場所にあるのがエーデルワイスホテル。
お値段は安くないが、ベルヒテスガーデンの駅前、かつ町の中心部にあり何処に行くにも便利です。
正面の部屋を取れば、部屋からアルプスが堪能できます。
お高いホテルと高い食事を避けたい方は、山の斜面ではなく低地のホテルやレストランを選択しよう。
注釈
*1