意外と人気なドイツの秘境の街シリーズ、 今回は マルクトブライト という街にやってきました。

「マルクトブライトなら知っている。」

という方は皆無で、

「何処にあるの?」

と思われる方が99%だと思います。

どんな街なのか、訪問する価値があるのか、じっくり解説していきます。

街の紹介 マルクトブライト

マルクトブライトの街は、”Marktbreit”と表記します。無理やり日本語に直すなら広い市場?後で説明しますが、これが意外と当たらずとも遠からずなんです。

街はバイエルン州の左肩、ウンターフランケンという地域にあります。もっとわかりやすい言い方をすれば、観光名所のヴュルツブルクローテンブルクの中間です。

チェコ国境の高地に降った雨が平地で合流してマイン河となり、ドイツを左から右(東から西)に縦断しています。このマイン川が弧の字を描いて曲がっている部分にあるのが、マルクトブライトの街。

人口は4千人にも満たないので、ドイツ人に街の名前を言っても、

「えっ、どこだって?」

と聞いてくるほどマイナー。日本だったら、誰も知らないドイツの秘境。

でも街の中心部には中世の頃の建造物が多く残っており、マニアックな観光地を探す人の間では “geheim Tipp” (知る人ぞ知る秘境)のひとつだ。

行き方

まさかこの街のために日本から観光に来る人は居ないと思いますが、一番近い空港はフランクフルト空港です。電車で行くとヴュルツブルクを経由して(乗り換えて)、2時間もかかります。

それよりもローテンブルクまで観光に行った(行く)ついでに、寄る方の方が多いだろう。ローテンブルクからだと電車で45分。

街の歴史

では街の歴史を見ていこう。とは言ってもそんなに多くの記録が残っているわけではない。13世紀にこの地方を支配下に収めていた伯爵の書簡に”broite inferior”、ドイツ語では”Niederbreit”という名前が載っており、これが最古の記述となる。

当時は隣に”Oberbreit”という街があり、これと区別するために”Niederbreit”という呼び名になったと推測されている

マルクトブライト に改名

16世紀に神聖ローマ帝国の皇帝がフランケンの支配者„Georg Ludwig von Seinsheim“に市場を開く権利、”Marktrecht”を与えた。これがきっかけで1567年、街の名前はマルクトブライトに変更された。

市場(メッセ、宴会、市場)が開かれるようになると、町は次第に豊かになっていき、敵の侵入を拒む城壁や見張り塔が建設された。

30年戦争では町は占領、略奪された挙句にペストに見舞われて町は壊滅的な被害を受ける。町がかっての活況を取り戻すのは18世紀になってから。マイン河畔の最南店にあるこの町は、交易のルートとして栄えることになる。

ナポレオン戦争後、この町はバイエルン州に帰属することになり、今日に至っている。

街の有名人

日本では誰も知らない街ですが、日本でも知られている有名人がこの街で生まれています。その名は神経 & 心療内科医のアロイス アルツハイマー。1901年に彼の診療所に、彼の名前を有名にする女性の患者が夫に連れられてやってきます。

アルツハイマーは、数分前のことが思い出せないこの女性の容態を「忘却症」と診断します。

女性の死後、脳を解剖すると脳のあちこちに死んだ脳細胞と、これに付着するたんぱく質を発見。この発見をテユービンゲンで開かれた学会で発表しました。これがアルツハイマー症の発見とされています。

アルツハイマーの生家、石造りの3階建ても家屋は今でも現在です。家屋の壁に「アルツハイマーの生家」と書かれた表札が埋め込まれていますが、私は見落としました。

マルクトブライト 観光 – 誰も知らないドイツの秘境

マルクトブライトの街に並ぶ家屋の作りは、同じフランケン地方のシュヴェービッシュ ハルとそっくりです。基本は石造り。市役所は6階まで全部、石を組んだ見事なもの。これが民家になると、土台と地上階の部分は石づくりで、その上に木枠を組み合わせた骸骨屋敷。

街がマイン川が弧を描く部分にあったので、マルクトブライトは何度も洪水に見舞われれました。洪水に流されないように、家屋を丈夫な石造りにしたのか、そこは不明。

旧市街はかって、そのマイン河から水をひいた運河と城壁に囲まれていました。今でも城壁と監視塔が残っています。その運河は Breitbach (和訳 : ブライト小川)と呼ばれ、この小川に沿って歩いていくと、街で一番の観光名所に辿り着けます。

その小川沿いに、観光客用の駐車場があります。旧市街まででわずか300mしか離れていないので、無理して街中に路駐しないようにしよう。というのも道路の幅は馬車がなんとかすり抜けられる幅があるだけ。

そんな狭い街中で路駐するといい迷惑です。折角、無料駐車場があるので、そちらをご利用あれ。

画家のモチーフ / Malerwinkel

この小川に沿って歩いていくと町の最大の観光名所、”Malerwinkel”(画家のモチーフ)と呼ばれる場所に出る。小川にかかっているマイン門、”Maintor”と骸骨屋敷が織成す光景で、町の象徴になっています。

とりわけ綺麗な景観を出すために家屋を建てたわけでもないのに、出来上がってみたら見事な景観になっていたとうもの。なのに写真を撮っている観光客はゼロ。落ち着いて写真を取れます。

水路の右側の家屋はひとつのように見えますが、実は3棟が隙間なくびっしり並んで経っています。この角度から見ると小さな家ですが、横から見ると大きくて立派です。

街がまだ交易で栄えていた18世紀の初頭に、商売をする商談用の家屋として建造されました。健在では(そのひとつに)街の博物館が入っています。

参照 : marktbreit.de

マルクトブライト 画家のモチーフ

マイン門 / Maintor

画家のモチーフのになっている橋は、街の入り口の完全石造りのマイン門 / Maintor です。ここかから100mほど離れた場所をマイン川が流れているので、この名前。建造されたのは16世紀。

通常、中世の時代に建造された門は、敵の侵入を阻むため、馬車が一台通れる幅しかない。場所があればミュンヘンのイザー門のように、別の道路を設けて、城門は取り残される。通常は場所がないので、城壁と一緒に取り壊される。

このマイン門はどちらのケースでもなく、中世の城門を今でもそのまま使っています。当然、車は一台しか通れません。

マイン門

マルクトブライト市庁舎 & その周辺

石作りの見事なマイン門と一体になっているのが、マルクトブライトの有名な市庁舎です。町の支配者、フォン ザインスハイム伯爵が町に市場を開く権利を与えられた際に築かせた、石作の立派な建物ものです。

完成したのは1580年。これを記念して伯爵の石像が市役所の角に立っています。地上階では市場が開かれ、二階には飲み屋 / Ratsstube 、そして3階で会議が催されました。今でも市役所として利用されています。

マイン河畔のこの場所は、交易に便利で町の発展の原動力になりました。その一方で自然災害、洪水ももたらしました。市役所の角の市中にこれまで町を襲った洪水の高さが刻み込まれています。

2mを越える洪水の記録もあります。道理で家屋が石作りになっているわけです。

ヴェルトハイマー家 / das Wertheimer Haus

通りを挟んで斜め向かい、玉ねぎ屋根の出窓のある屋敷は、18世紀に街の豪商、ゲオルグ ギュンターがわざわざウイーンから宮廷建築家のヴェルトハイマーを呼び寄せて、建設されました。

ここでは主にギュンター家の取引用の市場で、町の発展の原動力となりました。

マルクトブライト ヴェルトハイマー家

ライオン軒 / Hotel Löwen

市役所の先の角に建つ見事な屋敷はライオン軒 / Hotel Löwen です。バイエルン州で二番目に古いホテルで、14世紀に貴族や王様の宿でした。今でもレストラン & ホテルとして営業中です。

参照 : loewen-marktbreit.de

マルクトブライト ライオン軒

グルメレストラン、alter Esel

ライオン軒の向いには(少ない)観光客を目当てにしているグルメレストラン、alter Esel(老ロバ軒)が。ご予算のある方は、お試しあれ。

参照 : alteresel-marktbreit.de

alter Esel

お城前広場 / Schlossplatz

市役所の前の道をそのまま直進すると、街で唯一の広場(実際には広くない)お城前広場 / Schlossplatz が左手にあります。他の街なら教会や市役所、それにお金持ちの家屋が並んでいるんですが、マルクトブライトでは城がある(だけ)。

マルクトブライト城 / Schloss Marktbreit

ドイツにあるのは通常、城 / Schloss ではなく、城塞 / Burg ですが、マルクトブライトにあるのは城です。

どこが違うの?

城塞であれば城壁と水路に囲まれています。でもこちらの城はどちらもありません。日本で城と言えば、「どれも同じ」に見えますが、ドイツの城は同じものがふたつとない。この城はウサギの耳のような日本の塔が目印です。

この城を建設させたのは、市を開く権利を街にもたらしたフォン ザインスハイム伯爵です。アウグスブルクのフッガー屋敷を建築した建設家を呼び寄せて、16世紀に建造されました。もっともここに住んでいたのは伯爵ではなく、その奥方。

マルクトブライトがバイエルン州に吸収されてからは裁判所が入っていましたが、今ではレストランが入って営業中。

伯爵の城

聖ニコライ教会 / St. Nicolai

マルクトブライト城の先にあるのが、聖ニコライ教会 / St. Nicolai です。こちらはプロテスタント系。通常、バイエルン州ではカトリック系が強くて、街で一番立派なものはカトリック教会。

なのにマルクトブライトでは、プロテスタント教会が一番立派という珍しい例。ちなみにカトリック教徒には、聖ルートビヒ教会という、全然小さい教会があるので、時間のある方は探してみてください。

オリジナルはこの場所に13世紀からあった礼拝堂です。これが14世紀に教会に格上げされると、ザインスハイム伯爵が教会に建て直します。それには理由があって、今後、この教会はザインスハイム伯爵一家の屍を葬る場所とする目的がありました。

15世紀に宗教改革がマルクトブライトにやってくると、伯爵は真っ先にプロテスタントに改宗して、この教会もプロテスタント系になったわけです。

(ちょっと)可哀そうなカトリック教徒は、自費で小さな教会を街の端っこに建ってました。

戦没者慰霊碑

ドイツの街なら欠かせないのが、戦没者の慰霊碑です。どんな街にもあります。マルクトブライトでは、聖ニコライ教会の前にありました。

戦没者慰霊碑

マルクトブライト 城壁と監視塔

大きな産業もなく戦争の被害に遭わなかったので、町にはまだかっての城壁と監視塔が(部分的に)残っています。ブライト小川沿いと、それから聖ニコライ教会の向かいにあるお墓のあたりに残っています。

かって町を外敵から守った城壁は、民家の壁として廃品利用されており、中世の頃の町の境界線を今日でもはっきりとみてとるころができます。

白い塔 / weißer Turm

ブライト小川沿いにある塔が白い塔 / weißßer Turm です。旧市街の角にある塔で16世紀初頭の建造。この塔の前を車で左折しようとしたら、道が狭くて、切り返しが必要でした。

朝なので対向車も後続車のなかったので、よかったですが、ヒヤっとしました。

白い塔

Flurersturm

白い塔から道が勾配しています。その坂道を50mほど行くと、多分、一番見栄えのいい塔、フルーラー塔 / Flurersturm が見えてきます。フルーラーとは古典ドイツ語で畑、小道などを見張る人を指す言葉です。

この塔から城壁の跡に沿って歩いていくと、カトリック教会が見えてきます。

Stegturm

Stegturm & Fallmeisterturm

カトリック教会の先にコンビで建っているのは、Stegturm & Fallmeisterturum です。この辺りは標高が高くて水路がなかったようで、監視塔の数が多くなっています。

現存している城壁は中をくりぬいて、そのまんまアパートになってますね~。

この城壁の内側は旧市街、外側が共同墓地になっています。

Stegturm

黒い塔 / schwazer Turm

白い塔があれば、黒い塔もあります。

上述のマイン門の横にあるのがこの黒い塔です。

マルクトブライト 黒い塔

木枠で組まれた骸骨屋敷

街のあちこちに木枠で組まれた見事な骸骨屋敷が建っていますが、一番見事なのはマルクトブライト城と聖ニコライ教会の間の小道、通称、牧師通り / Pfarrgasse にあるこの建物。

「1583年に建造される。」と刻みこまれている以外は、詳細はわからず。現在では民家(アパート)です。

木枠で組まれた骸骨屋敷

総評

折角、この町まで行くなら、どれかの町と合わせて観光すると便利だ。アウグスブルクからだと北に220km離れた場所にあるので、ここだけ見に行くのは、ちょっともったいない。

隣には、見事な骸骨屋敷で有名なオクセンフルト、”Ochsenfurt”の町があります。その距離わずか10km。

あるいはちょうど今回のように、ヴユルツブルクでの撮影と組み合わせてもいい。今回はオクセンフルトは割愛せざるを得ませんでしたが、車でマルクトブライトまで来られる方は是非、オクセンフルトにも寄ってください。

 

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