今回紹介するのは エッテインゲン という街です。
「聞いたことがない!」
という方、ご安心あれ。
私も知りませんでした。
デインケルスビュールの取材が早めに終わりその帰路、
“Historische Altstadt” (歴史ある旧市街)
という看板が出てました。
カメラの電源は十分残ってるし、お日様はまだ十分高い。
滅多に来ることがないので、このまま通り過ぎるのはもったいない。
休憩を兼ねて車を止めて、町を歩いてみました。
目次
街の紹介 エッテインゲン
「歴史ある旧市街」
という看板はあったが、肝心の街の名前がわからないっ!
街の中心部まで来るとそこには見事な市役所が。
感動して、
「ここはなんていう町なの?」
とトルコ料理屋で聞けば
「エッテインゲンよ。」
と、美人のトルコ人のお姉さん。
自宅に帰ってから、調べてみました。
街の正式名称は
”Oettingen in Bayern”
です。
日本語で言うなら、バイエルン州のエッテインゲン 。
そう、他にも同じ名前の街があるので、
「バイエルン州の」
という言葉が付いています。
「待てよ、エッテインゲンってハーブルクに行った際に、読んだことがあるぞ。」
と思ったあなた、もうドイツの達人級。
実はネルトリンゲンなど、この地域を支配していたエッテインゲン公爵家の本拠がこの街なんです。
中世の頃には現在のモナコ王国のように、独立した国家でもあったほど力のある豪族の本拠地です。
何処にある町?
エッテインゲンはネルトリンゲンや
ドナウヴェアト同様に、
“Donau-Ries”県にあります。
念のために言っておくと、バイエルン州の西の端にある県です。
ではここで質問。
そう、ハーブルク同様にヴェルニッツ河の辺にあります。
旧市街があるのは標高の高い左岸のほう。
かってはヴェルニッツ河から水を引いて、旧市街はお堀と城壁で守られていました。
今日でもお城の周辺にはそのお堀の一部が残っています。
人口は5200人。
少なっ!
これがあのエッテインゲン公爵家の本拠なの?
街の歴史
エッテインゲンの郊外は、見渡す限りの平地。
正確には標高が419mあるので台地というべきか。
当然、入植には適しており、その歴史はとっても古い。
近郊で、紀元前5000年の石器時代の居住跡が見つかっている。
青銅時代の居住跡、ローマ帝国の村落跡もあるが、ついぞ歴史の表舞台に出ることはなかった。
エッテインゲン 公爵のお膝元に!
街の発展に貢献したのは、エッテインゲン侯爵家。
そもそもエッテインゲン侯爵家は、近郊のヴェルニッツの地方貴族。
神聖ローマ帝国の皇帝を輩出したシュタウファー家からエッテインゲンとその近郊の管轄を任されたのがきっかけで、エッテインゲンと改名。
13世紀にシュタウファー家が
「お家断絶」
すると、その領土を親族が山分け。
エッテインゲン侯爵家はこの機会に、一気に支配地域を広げる。
又、世渡りが上手かったようで、皇帝から
- 自治権
- 関税を課す権利
を与えられ、15世紀には立派な地域の豪族に。
宗教改革と30年戦争
こんな小さな街にも、宗教改革の荒波が押し寄せる。
まずはエッテインゲン公爵家の中で、仲間割れ。
プロテスタント系のエッテインゲン公爵家と、カトリック系のエッテインゲン公爵家に分断。
もっともプロテスタント系のエッテインゲン公爵家は、その後すぐにお家断絶。
カトリック系のエッテインゲン公爵家が全土を支配します。
でもこの公爵は賢い融和政策を行います。
どの宗教でも、宗派でもOK。
加えて他の街では迫害にあっていたユダヤ人もウエルカム。
街の中にはシナゴークから、プロテスタント、カトリックの教会が共存していた珍しい例。
もっとも顔を合わせると喧嘩を始める可能性もあり、通りでプロテスタント側とカトリック側に分けていた。
30年戦争後はオーストリアから多くのプロテスタントがこの町に移住してきたほど。
近代
多様性が重視されていたエッテインゲンでも、ナチスが政権を取るとその多様性もおしまい。
学校の先生の指導の下、シナゴークは略奪されてしまう。
が、町の真ん中にあったので(火事が広がることを恐れて)焼き討ちの運命だけは避けられた。
ユダヤ人は一人残らず駆り立てられて、強制収容所で殺害された。
街には戦争に重要な工場はなく、長く被害を受けなかった。
が、戦争が終わる3か月前、ドイツ軍の後退を妨げるために交通機関への集中爆撃があり、エッテインゲンも中破。
こんな小さな街に500を超える爆弾が投下された。
死者199名。
エッテインゲン 観光 公爵家のお膝元 その見所を探れ!
では街を歩いてみましょう。
第二次大戦で被害を受けましたが、
「歴史的な旧市街」
と言うだけあって、結構、復興されています。
エッテインゲンの目抜き通りは一本だけ。
その名前は
“Schlossstraße”(お城通り)
なのに空き家の店舗もあったりして、あまり繁盛していない様子。
人口5200人ですからね。
なのに中華は勿論、トルコ料理からベトナム料理屋まで。
需要があるのかしらん?
ただお城通りには見事な装飾の家屋がずらりと並んでおり、歴史ある旧市街という看板は嘘ではない。
その目抜き通りの突き当りにはお城が建っています。
まずはこのお城から始めましょう。
エッテインゲン 城 / Schloss Oettingen
17世紀にエッテインゲン伯爵に昇進すると、この地に立派な城を築かせます。
選帝侯のお城には適わないが、入り口から出口まで直線距離で400mほどのちっぽけな町の城にしては立派すぎる。
内装は豪華な装飾のロココ調だそうです。
なんでも伯爵夫人は、あのオーストリアの女皇帝、マリアテレジアの御婆さんだそうです。
こんな片田舎の貴族が、ハープスブルク家とつながりがあるのが、興味深いです。
噴水
お城に付き物は?
そう庭。
なんでも立派な噴水が中庭にあるとのこと。
多分、コレ。
残念ながら入場料を払わないと城にはいれてもらえないので、柵の外から撮影。
聖ヤコブ教会 / St. Jakob
エッテインゲン城の横に建っているのは、プロテスタント系の聖ヤコブ教会 /”St. Jakob”です。
ご欄の通り、窓が細い。
ということはガラスが貴重品だった、14~15世紀頃の建造か?
調べてみると、14世紀に建造が始まって、15世紀に完成したというから無理もない。
19世紀になってネオゴシック様式に改装。
教会の目印、それとも象徴?になっているのは太くて丸い尖塔。
なんと1930年代まで、塔人 / Türmer が住んでいたんです。
教会の前の麦藁帽子をかぶった銅像、とってもよくできてます。
旧ラテン語学校
聖ヤコブ教会の隣に、ある立派な装飾を施された黄色の家があります。
18世紀に建造された旧ラテン語学校です。
その後はギムナジウムとして利用されていたので、旧ギムナジウムとも呼ばれます。
てっきり資料館か何かと思いきや、今でも市民学校 / Volkshochschule の授業が行われています。
エッテインゲン 市役所 / Rathaus
お城通りの端っこに、とても立派な骸骨屋敷は林立。
その中でも一番立派なこの建物は、エッテインゲン市役所です。
なんでも、
「シュヴァーベン(地方)のとりわけ見事な骸骨屋敷のひとつ。」
と言われているそうです。
15世紀の建造です。
石造りの地上階の上に、木組みで組まれた1階と2階(日本風に言えば2階と3階)、その上にさらに二層の屋根裏部屋。
今でも市役所として使用されれおり、交通局も入ってます。
市役所の裏には無料の公衆トイレもあるので、家路につく前に利用していきましょう。
隣にある木組みの家(骸骨屋敷)も立派で、
「同じ時代の建造物?」
と思いがちですが、実は17世紀に建造されたもの。
市場 / Marktplatz
そして市役所の前(正確には横)が
“Marktplatz”(市場)
です。
月曜~金曜は地元の農家や畜産農家が農畜産物を販売しています。
骸骨屋敷にはカフェやレストランが入ってます。
今やドイツのどんなに小さな町でも必ずあるのが、トルコ料理屋とタイ料理屋。
エッテインゲンでは、
「中国、タイ、ベトナム料理屋」
という欲張りな看板でした。
王様の塔 / Königsturm
お城の対局にあるのが、王様の塔 / Königsturm です。
かってはエッテインゲンの街は城壁で囲まれ、幾つもの監視塔、防衛塔がありました。
現在残っているのは、この塔だけ。
わずかに城壁も残ってます。
塔を安定させるためですね。
一番下の部分はまだ13世紀に造られたものです。
上部の家のような構造物は実は牢屋で、16世紀に建造されました。
塔の前に牛乳を回収する容器が見えますね。
酪農家が家の前に出していると、大きなトラックが回収していきます。
時間からして空になった容器を、トラックが返しに来たようです。
ちなみにこの写真は、塔の手前から撮りました。
塔の向こう側がお城通りです。
こちら側は、旧市街地の前に築かれた前衛都市。
かってはこの前衛都市も城壁で囲まれていたそうです。
カトリック牧師の家
脇道にも入ってみると、赤と黄色の派手な建物が。
これはカトリック教の牧師の家で、”Standesamt”が入っています。
カトリック教徒はここで結婚を申請します。
その向かいの民家もステキ。
マリア噴水
この先に噴水、この彫刻からしておそらくマリア噴水があります。
調べてみると、本当にマリア噴水という名前で17世紀の建造。
マリアはカトリックの象徴なので、向にある教会はカトリック教会に違いない、、。
聖セバスチャン教会 / St. Sebastian
マリア噴水の向かいにはカトリック教会、”St. Sebastian”が建っています。
15世紀、領主がここにカトリック教徒用の礼拝堂を建てると、カトリック教徒はこれを教会に改築。
祭られているのはペストから守ってくれる(という言い伝え)の聖セバスチャン。
なんでも昔は、有名なキリスト教徒の巡礼地だったとか。
みどころはペストが流行っていた頃の様子を描いた教会内部の壁画。
宮廷庭/ Hofgarten
教会の横には広い庭があります。
なんでも領主の庭で、宮廷庭 / Hofgarten と呼ばれています。
そういえば、同じ名前の大きな庭がデユッセルドルフの街中にもありました。
庭の入り口には、ドイツの町にか欠かせない戦争で倒れたエッテインゲン出身の兵士の慰霊碑。
前衛都市
前衛都市はとても広く設計されていて、そこら中に無料駐車場が!
私も車はここに止めました。
前衛都市も立派な建物が目白押し!
この銀行の建物は趣あります。
”Zur Post”
旧市街の外側にある建物で一番立派なのは、このレストラン。
(郵便局へ)という名前なので、エッテインゲンの郵便局だったのかもしれません。
総評
エッテインゲンは小さな町なので、一時間で全部見れます。
町はネルトリンゲンとデインケルスビュールの間にあるので、どちらかに行く際に組み合わせるのがお得。
町は幹線道路添いにあるので、遠回りする必要なく、幹線道路から5分で到着。
近くに来たら、トイレ休憩しても損はしません。