独裁者ヒトラーが愛した事で知られる オーバーザルツベルク。ここにはヒトラーがその著書「我が闘争」の印税で買った別荘(の残骸)と、独裁者専用の茶室が当時の姿で残っている。

「ドイツ滞在中に一度は見てみたい。」と長年願っていましたが、遂に念願かなって、双方共に見ることができました!

日本に居る方には見る機会はおろか、知る機会さえも滅多にないので、ここに紹介いたします。

オーバーザルツベルク への行き方

オーバーザルツベルクはベルヒテスガーデンの南にあるので、車で向かわれる場合は、まずはベルヒテスガーデンを目指しましょう。ここまで来るとオーバーザルツベルク、あるいはケールシュタインの標識が出ているので、ナビがなくても大丈夫。

標識を見ながらカーブの多い山道をぐいぐい登っていくと、上からは大きなバスが対向車線に飛び出して下りてきます。下りてくるバスが見えたら、カーブの前で停車、バスを先に行かせてあげましょう。

15分程度で巨大な駐車場に到着します。ここから先は、個人の車での進入は禁止されています。駐車場は有料なので、要小銭。駐車場の端っこにバスターミナルがあり、ここで乗車券 & 入場券を買えます。

電車で行く

電車で行く場合も同じく、ベルヒテスガーデンを目指します。ベルヒテスガーデン駅からバスが駐車場まで出ています。お急ぎの方はタクシーでどうぞ。

オーバーザルツベルクの紹介

まずはウンチクから。オーバーザルツベルクは、町の名前ではありません。ベルヒテスガーデン(県)にあるザルツベルク(市)には6つの地区があります。日本では市が北区、西区、東区、南区といった感じでわかれていますよね。同じです。

その区のひとつがオーバーザルツベルクなんです。ちなみにザルツベルクの人口は2000人にも満たないので、ザルツベルク郡といったほうが正解だろう。名前、塩の山 / Salzberg からわかる通り、この地方では12世紀から塩の採掘がおこなわれてきた。

その他には牛の放牧と林業がおこなわれるだけの、さびれた山村だった。

観光業の誕生

1878年、めざとおい企業家がここにペンション モーリッツ /”Pension Moritz”を建設します。今でこそペンションと言えば、ホテルよりもグレードの低い宿を指しますが、超高級の山荘でした。この山荘がきっかけで、有名人がオーバーザルツベルクまで、延々と足を運ぶようになります。

するとバイエルン王国の王族、バイエルンと仲の悪いプロイセンの王族、さらにはオーストリアの王族まで、休暇でやってくるようになります。もっとも雪が多いのこの地方では、観光業は夏だけ。

だったのですが、めざといモーリッツ氏がスキー場を開設すると、真冬にも客が山荘を訪れるようになり、「山荘ブーム」がおこります。

山荘ブーム

何か売れる商品があると、これを真似する輩が出てくるのは、今も昔も同じ。急に観光人気が出ると、牛の放牧にしか使えなかった土地に、モーリッツ山荘の真似をして次々に山荘が建造されます。こうして同じような姿、格好をした山荘がひしめき合います。

するとこれまでは王様かお金持ちしか利用できなかった山荘が、中流階級にも利用できるようになり、さらにたくさんの観光客がやってくるきっかけに。その観光客の一人が、アドルフ ヒトラーでした。

ヒトラーが愛した オーバーザルツベルク

ヒトラーが最初にオーバーザルツベルクにやってっきたのは1923年と記録が残っています。同年9月にはミュンヘン一揆を興し、ランツベルクの監獄に収容されたので、ミュンヘン一揆の前にオーバーザルツベルクにやってきたようです。

その後、数名の死者が出たのに、ヒトラーはわずか9ヶ月で釈放されます。その後、政治活動の合間に何度もこの地を訪れるようになり、ヒトラーお気に入りの休暇先となりました。

ベルクホーフ の誕生

1928年からは、ヒトラーは毎回同じ、山荘”Landhaus Wachenfeld “に泊まります。山荘からの眺めがいたく気に入ったようです。1933年に首相に任命されると、獄中で口述筆記した”Mein Kampf”がベストセラーに。

その印税で山荘を買うと大規模な改装工事を施し、ベルクホーフ / Berghof となずけます。日本ではそのまんま、「ベルクホーフ」という名前で知れ渡っていますが、「山荘」という意味です。

名前は山荘ですが、外交官を謁見きできる公的な施設に大改造されました。特徴的なのは入り口。訪問者を乗せた車は専用のスロープを上がってきますが、車が止まるのは山荘の下。訪問者は階段を登って初めて、ここで待ち受けている主と握手を交わすことができます。

イギリスの首相チェンバリンがやってきたときは、ヒトラーは階段を下りて首相を出迎えました。謁見にやってくる相手次第で、上で会うか、下で会うか、決めていました。

パノラマ窓

ベルクホーフと言えば、一番有名なのはパノラマ窓。4m x 8m という巨大な窓が広間に施され、電動式で鎧戸があがります。オーバーザルツベルクの山々を一望できて、息を呑む美しさでした。

ドイツ政府はその光景を訪問者に与えないように、土台の前に植林、独裁者が日々眺めた光景さえも禁止するという徹底振りです。

ベルクホーフ パノラマ窓

木々がなければあの有名なパノラマ窓からの景色が眺められるのに、それさえも禁止されているのが、今のドイツです。

ドイツ政治の中心地に

ドイツの首都こそベルリンで、日本からの外務大臣はベルリンで謁見されましたが、ヒトラーが戦術的な決定をするのはベルクホーフでした。イタリアの独裁者ムッソリーニと、イギリスの首相チェンバリンを呼び、ミュンヘン会談が開かれたのは、実はここ。

厳密に言うなら、オーバーザルツベルク会談です。オーストリアのシュシュニク首相を謁見、軟禁してオーストリアの無血占領に同意させたのもここ。さらにはパノラマ窓の前に何時間も立って、バルバロッサ作戦、ソビエト侵攻を決めたのもここ。

その際の有名なセリフが、お抱えの建築家、アルベルトシュペーアの回顧録に記されています。

”Gelänge es mir mit meiner ganzen Vorhaben durchzusetzten, wäre ich der großte in der deutschen Geschichte.” Scheitere ich aber, dann wäre ich verdammt und verhaßt sein.”

(私の企図がうまく行けば、ドイツ史上、最も偉大な人物になるだろう。失敗すれば蔑まれ、憎まれるだろ。)

参照 : amazon.de

いやしくも、その予言通りになりました。

ベルクホーフ 破壊

ベルクホーフは山奥にあったので、戦争中被害に遭いませんでした。このまま戦争が終わるかと思われた終戦間際、思い出したようにアメリカ空軍機がやってきて、爆弾を投下。ベルクホーフはこの空爆で大破します。

そのままアメリカ軍がベルクホーフを接収。飾られていた装飾品は、米軍兵士の戦利品になりました。ドイツ連邦共和国成立後、ベルクホーフはしばらくはそのままの姿で残っていました。

しかし、「ナチスのメッカになることは避けたい。」と、バイエルン政府がレンガひとつまで撤去した。ただ撤去しただけでは済ます、資材、レンガは誰にもわからない場所に埋葬されるという徹底ぶり。お陰で今はコンクリートの土台しか残っていません。

ベルクホーフ 残骸

日本では平然と戦争中の日章旗が飾れているので、理解ができないと思います。ドイツではヒトラー関係、とりわけベルクホーフはタブー。当然、「ベルクホーフへはこちらから。」なんて標識は出ていません。

行き方を聞くと、不信の目で見られます。

ベルクホーフ への行き方

そこでこっそり、行き方を教えちゃいます。駐車場の隅っこに、「正しい歴史」を伝える資料館 /”Dokumentaionszentrum”が建っている。

資料館 /"Dokumentaionszentrum"

参照 : obersalzberg.de

実はこの建物、上述のペンション モーリッツの別館のひとつなんです。ペンション モーリッツ自体は取り壊されましたが、別館(物置)だけは残されて、廃物利用されてます。その前の散歩道を歩いていくと、道が二股に分かれています。

これを左に折れる(私は間違って右に行った!)と、15分ほどでベルクホーフの跡地に着きます。ここまでくると、「ばれたら仕方がないな。」と看板が出ているので、わかります。

地元民曰く、隠れてここに献花していく人がいるそうです。それほどまでにタブーなので、あまり宣伝するのはよろしくありません。

ベルクホーフ残骸

ベルクホーフ のコピーは現存!

ベルクホーフ、もともとはペンション モーリッツを真似て建てた山荘のひとつ。ヒトラーの山荘は破壊されましたが、別の山荘はまだ当時の姿で残っています。そのひとつが”zum, Türken”(いざ、トルコに!)という宿屋だ。今でも営業中なので、泊まることもできる。

参照 : hotel-zum-tuerken.de

ベルクホーフ コピー

面白い名前は、宿の主がヨーロッパに侵入してきたオスマントルコに対抗するために、キリスト教徒義勇軍に参加したのがきっかけです。しかし WiFi もないので、本当のハードコアな方だけにお勧めします。

この山荘はヒトラーのお隣さんで、当時はナチスに強制収用されていた。歩いていくと、ホテルの入り口には、当時の警備兵の詰め所がどのまま残ってました。そのまま残っているのは、詰め所だけではありません。

ナチス指導部専用の防空壕

戦後、この山荘は本当の持ち主に、ナチス時代に建造されたさまざまな施設と一緒に、返却されました。その土地、厳密に言えばホテルの真下にはベルクホーフに滞在するナチス指導部専用の防空壕があります。

山荘を取り度した主人は、この防空壕を観光客へのアトラクションとして入場料をもらって公開していた。戦争中に蒙った被害を考えれば当然の権利だが、バイエルン政府はこれを禁止します。

「ネオナチの巡礼場になりかねない。」という州政府の危惧から生じた行動でしたが、戦後、ドイツは本当の法治国家に変身しました。これを証明するのが、この一件だ。

宿の主人は、「俺の土地にある俺の所有物を公開して入場料を取るのは、俺の権利だ!」とバイエルン州を訴え、勝訴。以来、堂々と地下防空壕を公開しています。

ベルクホーフ ナチス指導部専用の防空壕

ケールシュタインハウス

オーバーザルツベルク観光の目玉は、ケールシュタインハウス。第三帝国時代の建造物としては珍しく、今でも昔のままの姿で健在しています。英語では”Eagles Nest”(鷲の巣)と呼ばれています。

この建物は、ヒトラー50歳の誕生日に党の官房長ボアマンが贈った、豪華な茶室 / Teehaus だ。

というのがドイツで語られている「ヒトラー伝説」のひとつ。実はボアマンが総統のご機嫌を取るために、国税を使って建設させたというのが、真実です。

ヒトラー伝説

このヒトラーの茶室に関する有名な伝説が、もうひとつあります。それは、「ヒトラーは高度が怖くて、滅多に訪問しなかった。」というもの。

確かにヒトラーは滅多にこの茶室を訪問しませんでした。全部で10回ほど利用したに過ぎません。

しかしその理由は、自分が勝手に始めた戦争のお陰で、この茶室が、そしてベルクホーフからここまでの道が無防備で、敵にとっては戦闘機一機派遣するだけで、ナチスの上層部を一掃できたから。ヒトラーは防空体制が整っており、総統用地下壕のあるベルクホーフを好みました。

ドイツ人はヒトラーが憎いので、彼を精神病者、臆病者として扱いという欲求があり、このようなヒトラー伝説が数多く存在しています。信用性、根拠はゼロなので、あまり真面目にとられませんように。

行き方

ケールシュタインに行くには、ベルヒテスガーデンから「ケールシュタイン」という標識を頼りに、山の中ほどにある駐車場に向かう。ここに車を停めるとチケットセンターで、バスの乗車券+入場券を購入する。

チケットセンター

チケットを買ったら、およそ40分置きにバスが出ているので、辛抱強くバスが来るのを待とう。バスの窓から見える景色は絶景なので、窓際の席を確保すべし。

バス

私は一番前の席を確保したので、前の窓から絶景が堪能できました。バスは8合目にある駐車場まで行ってくれる。バスから下りたら、窓口で帰りのバスを予約する必要がある。見るだけなら2時間、しっかり写真も撮るなら2時間半~3時間後のバスを指定するといい。

ここから上を眺めると、山頂に建っているヒトラーの茶室が見えます。

ケールシュタインハウス

ケールシュタインハウス建設

ケールシュタイン自体の高さは1881mです。この山の天辺に茶室を設けるには、まずは山頂まで資材を運ぶ道路を建設しなくてはなりません。ボアマンはヒトラーお気に入りの建設家であるフリッツ トットに道路の建設を委託。

するとトットは驚く速さで山頂までの道路を整備、お陰でケールシュタインハウスは、なんと13カ月という短期間で完成しました。これには山頂まで行ける総統用エレベーターも込みの総工事期間です。ヒトラーが嫌いなドイツ人でも、この偉業には誇らしげ。

すると別のドイツ人は、「どうせ強制収容所の囚人を死ぬまでこき使ったんだろう。」と言いますが、これは間違い。当時はまだ平和な時期で、強制収容所もまだなかった時代です。

戦中 & 戦後

第二次世界大戦末期、イギリスの爆撃機がケールシュタインハウスの爆撃にやってきます。しかし狭い山頂にある茶室に爆弾を当てることはできず、戦争を無傷で生き延びました。

戦後、アメリカ軍が接収して、「軍需施設」として利用しましたが、ドイツ連邦共和国の誕生でケールシュタイン ハウスはバイエルン政府に返却されます。

ケールシュタイン ハウス 一般解放!

ネオナチの聖地となることを恐れたバイエルン政府の方針で、ケールシュタイン ハウスは2002年まで立ち入り禁止でした。その一方で保存に大金がかかるので、観光資源を放っておく手はないっ!

2002年5月に解禁され、一般の訪問者でも訪れる事が可能になりました。ヒトラーの茶室はレストランになっており、ヒトラーがエバブラウンの姉の結婚式で座った場所に座って、食事を堪能することもできます!

以後、数多くの観光客がかっての独裁者の別荘を見てやろうと押し寄せ、バイエルン州政府の大事な財源となっています。

総統用エレベーター

工事用に作られた道があるので、山頂には徒歩でもいけます。が、の奥に総統用の超豪華なエレベーターがあるので、是非、これを利用しよう。壁は真鍮製でピッカピカ。

利用料は入場料に込み。エレベーターは写真撮影禁止。残念。エレベーターは一気に124mを昇っていく。

ケールシュタインハウスからの眺めは絶景!

エレベーターを降りると、そこはアルプスの絶景が広がっています。レストランで休憩なんぞしていないで、人生に一度しか来ないだろうから、忘れることのないように、この絶景をしっかり見ておこう。

ケールシュタイン山頂

少し階段を登った先に展望台が設けられており、ケールシュタインハウスとアルプスを背景に写真撮る人で、場所取り合戦が始まっている。

山頂からの眺めは、当時は独裁者にしか味わえなかった、うっとりとする眺め。興味があれば山頂まで登ることもできるが、足を滑らしたら、崖の下に転落します。

日本みたいに、「この先危険」などと書いていませんし、ロープも張っていないので、自分で判断してください。小さいお子さんと一緒に行かれる方は、厳重注意が必要です。ちなみに山頂から見下せる湖は、”Königssee“(王様の湖)です。

ケールシュタイン山頂

ヒトラーの茶室

山頂の景色を堪能したら、ヒトラーの茶室に入ってみよう。看板がかかっている通り、1934年築。入り口には大きな窓が採用されており、中から見ても、外から見ても圧巻だ。

肝心の茶室はヒトラーがエバ ブラウンの姉の結婚式を祝った当時と変わっていない。窓際の席にヒトラーは座って、結婚の祝いをあげた。茶室の片隅には当時の暖炉も残ってる。

ケールシュタインハウス

ねらい目は雪の残ってる5月!

ドイツに住んでいるなら、掛け値なしに行く価値有り!この地方はドイツでも有数の豪雪地帯。ケールシュタインハウスは、毎年5月に雪解け具合を見てオープンします。5月に行けばまだ雪が残っているが、相応の靴が必要です。

ベルヒテスガーデン 雪山

5月、あるいは10月に訪問される方は、もう(まだ)オープンしているか、ホームページで確認してから旅行の計画を立てよう。

参照元 : Kehlsteinhaus

« 1 2 »