今回紹介する街の名前は ヴァッサーブルク 。
「聞いたことがない。」
という方がほとんどだと思います。ドイツ人に聞いても似たり寄ったりなので、ご安心ください。
ヴァッサーブルクの旧市街は、ドナウ河の孤島に築かれており、対岸から見た街の景観が実に美しい。
街の中には、カラフルな砦のような形をした家屋が建ち並び、他の街とは明らかに建築様式が違います。
以下に街の歴史から、観光名所まで詳しく紹介していきます。
目次
街の紹介 ヴァッサーブルク
まずは街の紹介から。
街の正式名称は、”Wasserburg am Inn”。
和訳するとイン河畔のヴァッサーブルク。
“Wasserburg”を翻訳すると「水の要塞」という意味なので、イン河畔の水の要塞です。
オーストリアへと流れ込むイン河がちょうど弧を描いている部分に街があり、3方を自然の要害(河川)で囲まれている。
まさに「水の要塞」の名前がぴったりの街です。
中世の頃になると、外敵から街を守るために城砦都市は周囲に水路を巡らしました。
アルザスのエギスハイムも、かっては水の要塞と呼ばれていました。でも自然の河を、その水路の代わりにしているのは珍しい。
町の人口は1万2千人。ちょっと田舎にあるこの町を訪れる外国人観光客は皆無。
ローテンブルクで観光客の団体に閉口した方は、ヴァッサーブルクで心を癒してください。
写真を撮りながらゆっくり歩いて3時間、写真を撮らないなら2時間程ですべて見れてしまうので、すぐに飽きてしまうお友達やお子さんと一緒でも安心です。
行き方
行き方は、ちょっと時間がかかるが簡単です。
ヴァッサーブルクはミュンヘンから東に55km、アウグスブルクからだと東南に133Km離れた場所にあります。
ミュンヘンからは電車で1時間で着きますが、駅は街の中心部から2kmほど離れているので、バスに乗り換えて旧市街まで行く必要があります。
やっぱり便利なのは車。途中の田舎道は綺麗で心が和みます。でも油断していると、スピード違反のカメラも設置されているのでびっくり!
「(写真を)撮られたかな?」
と、その後1ヶ月、心配な日々を過ごしました。スピードにはご注意あれ。
街の歴史
街の歴史も少しだけ見ておきましょう。
ヴァッサーブルクの歴史はあまり探求されていないので、いつ街ができたのか、正確な年代は不明。
これまでの発掘によると、9世紀に建造された(焼けた)城壁の跡が見つかっている。
この場所の戦術的な利点を見て、早くから植民されていたようだ。
2013年、かってのビール工場、”Fletzinger-Brauerei”の取り壊しの際、古い街の遺跡が見つかり、発掘作業が行われました。
その際に一体の白骨の遺体が発見されました。
ビール工場の名前をとってこの
「ヴァッサーブルク原人」
は、フレンツィイというあだ名まで付きました。
フレンツィイについて詳しく調べてもらうべく、街は遺体をミュンヘンに移送。
でもいつの時代のものかわからず、おまけにミュンヘンから遺骨を返してもらえないので、住民は怒っています。
デイートリヒ フォン ヴァッサーブルク/ Dietrich von Wasserburg
11世紀にレーゲンスブルクの司教がその書簡で、
デイートリヒ フォン ヴァッサーブルク/”Dietrich von Wasserburg”
という貴族/諸侯に関して記述したのが、街に関する最古の言及です。
名前が書簡にわざわざ記載されていという事実から、街の領主だったと推測されてている。
その後の街の発展は記録が残っていないので不明だが、塩の交易で豊かになったと言われている。
なにしろ町の三方を水で囲まれており、交易には便利な場所にあった。
バイエルン公爵による攻略
13世紀に村落から街に昇格する。
付近の権力者にとって、交易で儲けている小さな街は金のなる木。
欲深いバイエルン公爵が、「俺の物」と軍を進めるが、そこは防御にやさしく、攻撃に難しい土地柄、公爵は攻めあぐねて4ヶ月も町を包囲する。
17週目にヴァッサーブルクは陥落、以後、この町はバイエルン州に帰属することになった。
ヴァッサーブルク 観光 – イン河に守られた水の要塞
ではいよいよヴァッサーブルク観光です。
街の一番の見所は、イン河にかかる橋と門。
「レーゲンスブルクのような立派な石の橋じゃない。」
と苦言を言う人がいたら、
「ヴァッサーブルクの橋は敵の進行に備えて、いつでも壊せるように作られていたのよ。」
と教えてあげよう。
石造りじゃ、そう簡単に撤去するわけにはいかない。
この橋の手前、右手に大きなトイレ付きの無料駐車場がある。無理して車で市内に入らないで、観光客はここに車を停めて行こう。
街を一望できる見晴台
でもすぐにイン橋を渡って街中に入らないで、まずは向かいの小山に登って街を一望できる見晴台から、街を見下ろすのがヴァッサーブルク観光の王道です。
駐車場の脇から山道を歩くとたっぷり20分、ゆっくり歩くと30分かかります。
それがいけるんです。おまけに無料駐車場付き。
見晴台の横にある宿兼飯屋の
“Gasthof Huberwirt am Kellerberg”
の住所、
“Salzburger Str. 25, 83512 Wasserburg am Inn”
をナビに入れましょう。
でも撮影した写真を現像してみると、歩いて登った際に木陰の隙間から撮ったヴァッサーブルクの写真が、一番よかったです。
やっぱり歩いて登る?
ブルック門 / Brucktor
ではヴァッサーブルクの街中を見ていきましょう。
橋の袂の門はブルック門 / Brucktor と呼ばれます。
これは「橋の上の門」という意味で、ヴァッサーブルクに限らず、多くの街で橋の上の門をブルック門と呼んでいます。
すでに12世紀には、「橋の上に門がある。」と書簡に書かれてるとか。
今の門は大火事の後、14世紀に再建されたものと考えられています。門の壁画は、16世紀になってから描かれたものです。
ご覧の通り、このブルック門は四角の大きなアパートのような構造。橋の上からみて左手に教会と病院が、右手には肉屋が入っていた複合建造物です。
聖心病院 & 教会 / Heiliggeist-Spital Kirche
ブルック門の一部になってる教会は、聖心病院 & 教会 / Heiliggeist-Spital Kirche です。
14世紀のヴァッサーブルク大火事で焼け落ちて、ブルック門が再建された際に一緒に建造されたと考えられています。
中世の頃は、ここに介護が必要な老人が収容されていました。
病院という名前こそありあますが、病人への治療が行われた証拠はないそうです。
もっとも中世の医療ですからね、治療を受けない方が長生きできそう。
今はヴァッサーブルクの史跡が保管されているそうです。もっとも入り口は閉まっていたので、公開されていない様子。
教会の正面に水道の蛇口がありますが、16世紀に掘られた井戸で地下からくみ上げている地下水です。
向かい棟はかっての肉屋です。今では空になって、リノベーション中でした。工事が終わると弁護士事務所でも入りそうですね。
ブルック門を抜けると、道が二股に分かれています。
左に行くと丘の上、かっての領主の城に行けます。右に行くと、すぐ先がヴァッサーブルクの中心地です。
今回はまずは右側に行って、市内中心部を見ていきます。
ケルン家 / Kernhaus
右に行くと教会と市庁舎、それに見事な”Fassade”(表面)の建物が並んでます。建物の表面が波を打ってる建物はケルン家 /”Kernhaus”と呼ばれています。
かってこの家に住んでいたお金持ちの名前です。立派なロココ調の装飾が施されたのは、18世紀になってから。わざわざミュンヘンから宮廷建築家を招いて、装飾されました。
その後、ヴァッサーブルクの裁判所として使用されてました。現在はカフェ & レストランになってました。
ヴァッサーブルク 市役所 / Rathaus
ケルン家の対面に建っているのが、ヴァッサーブルク 市役所 / Rauhaus です。
宗教壁画があるので何も知らないと、
「これも教会?」
と思います。建造されたのはなんと15世紀の大昔。19世紀に火事で壊れて、20世紀初頭に改築され、今の姿になりました。
この街の特徴として大きな建造物の屋根飾り / Giebel が、ギザギザ式なんです。
なんでこんな形になっているのか、意味があるのか、それが知りたいですね。
右側の建物は天気のいい夏の日は、空席がないほどの盛況ぶりのレストラン。おいしいのかしらん?
聖母教会 / Frauenkirche
市役所の横にあり、まるで一体になっているように見えるのが聖母教会 / Frauenkirche です。
1324年の日付の書簡で、この教会の記述があるので、ヴァッサーブルクで最も古い家屋のひとつです。
もっともその後、街が大火災の憂き目に遭い、教会も被害甚大。信仰心の厚い市民はすぐさま教会を再建したそうです。
18世紀には時代に合わせてバロック式に改装、19世紀になると新ゴシック式は流行ったので、また改装と流行に敏感な教会です。
教会の尖塔は、街を防御するための監視塔として建造されたので、とっても高いです。橋の上から街を見ると、
まずはこの尖塔が見えます。この尖塔の所有権は教会ではなく、ヴァッサーブルクの街にあるそうです。
マリア像
聖母教会やケルン家などが並ぶ、ヴァッサーブルクの目抜き通り、マリエン広場と言います。
ミュンヘンの有名なマリエン広場のパクリ?いえいえ、由来はご覧の通りのマリア像。
う~ん、どうですか?観光先で売られている金メッキの布袋様のレベルのような気がします、、。
なにも金メッキにしなくてもいいのに、、。
写真中、後ろの建物はマリア薬局です。ここにあるものは、なんでもマリアです。
マリエン広場の周辺は教会や役人、それにお金持ち住む権力の中枢。市民の居住地区はその裏に広がっています。
マックス エマヌエル礼拝堂 / Max-Emanuel-Kapelle
ヴァッサーブルク市役所の右横の建物の壁に、壁画が残されています。
角まで行って、見てみましょう。かってここでひずめを製造していたようですね。
この先に建っているのが、かわいらしいマックス エマヌエル礼拝堂 /”Max-Emanuel-Kapelle”です。
中を覗くと意外と立派。建造されたのは18世紀。スペイン継承戦争で戦ったバイエルン選帝侯、マックス エマヌエルを称えるために建造されたので、この名前。
その後、洪水で流されてしまうも、19世紀になってから、募金で再建されました。
カラフルでレゴのような家屋
市内を歩いていると、ヴァッサーブルク特有のカラフルでレゴのような家屋が目につきます。
しかもお隣同士、いつも違う色。路地には凹んだ屋根を持つ青い家がありました。
観光客なんかほとんどやってこないのに、ここまで町並みを手入れするのはドイツ人ならでは。
塩倉庫 / Salzstadel
左右のカラフルな家屋を眺めて歩い行くと、巨大な建物が目の前に。
現在は警察署として利用されていました。自宅に帰って調べてみると、ヴァッサーブルクが栄えることになった、貴重な塩の倉庫だったそうです。
建造されのは16世紀。塩の交易が下火になってからはビールを作るホッペン/Hopfen を乾燥せる倉庫として利用されていました。
そう、は地ビールの産地で、かってはたくさんの鋳造工場があったんです。今ではひとつだけ残ってました。
ヴァッサーブルクの財源 塩庁 / Salzamt
ヴァッサーブルクの大事な資金源である塩を管理するために、塩庁を設けて、塩の管理をしていました。
その立派な建物が塩倉庫の向かいにあり、かっての儲け振りを彷彿させます。
塩の交易が下火になってからは、女子に教育を施す機関が入ってました。現在ではなんらかの協会が入っています。
赤い塔 / Roter Tor
道に沿って歩いていると、赤い塔。 /”Roter Turm”が見えてきます(でも赤くないです)。
これが街の中に唯一残っている見張り台だ。
建造されたのは15世紀で、かっては城壁と繋がっていた。この先の通りがヴァッサーブルクの並木道。
旧市街墓地 / Altstadtfriedhof
とっても綺麗なのでキョロキョロしながら歩いていると、路地裏にかわいらしい門が見えてきた。
「きっとこの先に何か先にあるぞ。」
と狭い道に入ってみると、えらく立派な門が立っていました。
この先にはヴァッサーブルクの旧市街墓地 / Altestadtfriedhof があります。
この門はかっての城壁に埋め込まれるように建設されており、まだ城壁と繋がってる貴重な部分。興味のある方は歩いてみてください。
ヴァッサーブルク要塞 / Burg Wasserburg
並木道に戻って両脇の綺麗な家屋を見物しながら歩いていると、丘の上に登れる階段がある。
上から眺める景色は綺麗なので、階段も短いから挑戦してみよう。
丘の上の一番高い場所には、ヴァッサーブルク公爵が住む城が建っていた。
バイエルン公爵領になってから、増築されヴァッサーブルク要塞 / Burg Wasserburg になった。言うなれば要塞の中の要塞で、天守閣の周囲にはお堀が彫られて、吊り橋がかかっていた。
ミュンヘンが敵の攻撃に遭うと、王様はこの要塞まで逃げてきたんです。今では老人ホームです~。
穀物倉庫 & 教会
ヴァッサーブルク要塞の中には穀物倉庫として使われていた、巨大な建造物と公爵様専用の教会もあった。
教会は今日でも教会として使われている様子でしたが、穀物倉庫は空き家のようでした。
ミヒャエル礼拝堂 / Michaelskapelle
要塞の少し先(旧市街方向)に、さも古そうなかわいらしい建物がある。
これはミヒャエル礼拝堂 /”Michaelskapalle”だ。ヴァッサーブルクの観光案内には、「かっての町の “Wahrzeichen”(象徴)」なんて書いてる。
今ではみすぼらしい小屋にしか見えないが、建造された14世紀には昔は塔もあり見事な教会だったそう。なんでも遺骨堂として利用されていたそうです。
16世紀になるとボロボロになり倒壊する危険が出てきたので、二階部分を取り壊し、この小さな小屋だけが残りました。
墓地への階段 / Friedhofstiege
礼拝堂の横にある階段は、聖ヤコブ教会の横にあった墓地への入り口です。
今では墓地は他に移されてしまいましたが、墓地への階段 / Friedhofstiege という名前だけ残りました。
カラフルな家屋
ここからヴァッサーブルクの旧市街へと続くこの坂道、両脇に建っている建物がと~っても綺麗なので、是非、歩いてみてください。
回廊
カラフルな家屋が並ぶこの場所、車がすれ違うのが背一杯。
歩道も設けられていはいますが、決して広くはありません。
ここに建つ建物には店舗も多いのですが、これではウインドウショッピングもできません。
そこで回廊が設けられています。これなら雨の日でも、お構いなしです。この回廊を歩いていると、通りの向かいに装飾を施した建物が見えてきました。
ガンゼーアの家 / Ganserhaus
この建物装飾が施された家はガンゼーアの家 /”Ganserhaus”と呼ばれる。
かっても裕福な市民の家(“Bürgerhaus”)で、建造は16世紀。錫を製造するガンゼーア家族の工場が入っていたので、この名前。
現在はヴァッサーブルクの芸術家の家になっているそうだが、現在は修復のためか(ボロボロでした)、空き家になってました。
歴史はあっても、
「修復に金のかかる暖房もない家を買おう!」
という人は居ないようです。
離れてみるとただのボロ家ですが、近くで見るとその手の込んだ細工の見事さに感心!
この家を買って修復してくれる人が現れるといいのに。さもないと10年後には取り壊しになりそうです。
聖ヤコブ教会 / St. Jakob
ここまで来たらほぼヴァッサーブルクを一周。
先の道を右に曲がって路地に入ってみると、町の(現在)の象徴になってる聖ヤコブ教会 /”St. Jakob”が建ってる。
現在の姿になったのは14世紀。ご覧の通り宗教壁画が有名だが、壁の随所に埋め込まれてる彫刻も立派なもの。
教会自体は修復中のため、現在は立ち入り禁止です。教会の前を通り過ぎて脇道に入ると、これまたカラフルなら建物が「見て!」とばかりに並んでいます。
まとめ
有名な観光地と比べると、ヴァッサーブルクの観光の目玉はイン河にかかる橋だけなので、ちょっと見劣りします。
でも街中の家屋の形は面白いし、カラフルで見飽きない、観光客が少ない。街でみかけた外国人は私だけ。
有名な観光地じゃ写真を1枚撮るにも10分もかかることも珍しくないですが、ここは基本待ち時間なし。
週末に落ち着いて観光したい方に向いてます。