今回紹介するのはかって(西)ドイツの首都にあった ボン大学 です。

なんて書くと、

「えっ、ドイツの首都がボンにあったの?」

という人の方が多い昨今、、。

お陰で人口が33万人にも満たないボンの街は、日本では知名度が低いです。

観光資源も乏しく、それほど留学先として人気のある街ではありません。

しかしボン大学は歴史のある由緒ある大学で、ドイツの誇るエリート大学のひとつです。

ボン大学 の紹介

そこで慣れ親しんでいただくために、大学の紹介から始めます。

ボン大学の正式名称は半端なく長く、

“Die Rheinische Friedrich-Wilhelms-Universität Bonn”(ライン河畔のフリードリヒ ヴィルヘルム ボン大学)

と言います。

この長~い名前は、大学を創設したプロイセンの王様で、神聖ローマ帝国の最後の皇帝でもあったフリードリヒ ヴィルヘルムをからきています。

もっとも大学のホームページを見ても、

“Universität Bonn”(ボン大学)

と書かれており、何のための正式名称なのかそこが不明。

そのボン大学に在籍している学生の数は3万5000人を超え、ドイツでも有数の巨大大学のひとつです。

「大学が大きくても、質が悪くては仕方ない。」

とお嘆きの方、そこはご安心。

世界の大学ランキングでは110位で、香港大学と同じランキングにあります。

ドイツ国内では唯一、FU Berlinの後塵を拝しているものの、あの超エリート大学と名高いゲッテインゲン大学の上に(ランキング上は)あります。

名声を博しているのは数学、経済学、法学、物理、それに農業学で、ボン大学はノーベル賞受賞者7人を輩出している優秀な大学です。

もっともランキング上では負けているゲッテインゲン大学は、40名を超える受賞者を出している。

ボン大学 の歴史

ボン大学 の歴史

ボン大学の歴史は18世紀まで遡ります。

ケルンにある

「でかい教会」

の主であるケルン大司教は、強大な権力を持つ選帝侯でもありました。

その大司教が1777年

“Kurkölnische Akademie Bonn”(ケルン選帝侯領アカデミーボン)

を創設します。

 

簡単に言えば、

「地方大学」

のような存在で、4学部がありました。

それは中世の典型的な学問である、神学、法学、医学部、それに世界博識学 / Weltgelehrtheit でした。

しかしライン川の西がフランスに占領されて、わずか22年後には大学は消滅します。

„Rhein-Universität“

幸い、ナポレオンの天下は長続きしませんでした。

それどころかナポレオンによるドイツ占領は、これまでは存在していなかった

「愛国心」

をドイツ人の間で呼び起こします。

ナポレオンをワーテルローで破った後、ライン河畔は

「対ナポレオン反乱軍」

を率いたプロイセンの領土になります。

“The winner takes all.”(すべては勝者のもの)

というわけです。

するとプロイセンの皇帝ヴィルヘルム三世は、新しく獲得したライン河畔の広大な領土に大学を設置すべく、適切な場所を探させます。

するとフランスの占領下、ボンにあったカトリック司祭の城が空き家になっていました。

威厳のある建物がただで使えるので、

「これを使わない手はない!」

ということで、ボンに大学設置が決まります。

大学が設置されたのは1818年。

プロイセン王国内では6番目の大学になりました。

もっとも当時の名前は

„Rhein-Universität“(ライン大学)

でした。

これが原因でボン大学は今日まで、選帝侯のお城の中に入っています。

Rheinische Friedrich-Wilhelms-Universität

10年後、大学の名前が変わります。

大学を創設した皇帝の名前を加えて、

„Rheinische Friedrich-Wilhelms-Universität“(フリードリヒ ヴィルヘルム ライン大学)

となりました。

ほぼ今日の名前に近いです。

尚、ボン大学の設置にあたり、すでに存在してたミュンスター大学とパダボーン大学は閉鎖という憂き目にあっています。

カトリック教の法典に従った伝統的な教え方が、リベラルなプロイセンの風土に合わなかったためです。

第二次大戦後

第二次大戦の激化で、教授と学生は徴集されてしまい、大学は機能停止に陥ります。

連合軍がライン川の渡河に成功すると、ボンはナチスの恐怖支配から解放されます。

すでに1945年4月、ドイツが降伏する前に、連合軍の許可を取り、ボン大学再開の準備が始まります。

そしてなんと1945年の冬ゼミから、大学は講義を再開します。

エリート大学

ドイツ政府が

「米英に負けるな!」

と導入したエリート大学制度。

これに応募して当選すると、エリート大学というタイトルと、名前よりももっと嬉しい多額の研究費が支給されます。

ボン大学も応募しますが、2006年、2007年は落選。

2012年は初めて数学と物理の研究で当選します。

7年後の2019年には、6つの研究で当選して補助金を獲得。

最も当選した研究の多い大学となっています。

街の紹介

街の紹介

冒頭で書いた通り、ボンはかっての西ドイツの首都。

なのに人口は32万人ほど。

欧州では最も人口の少ない首都でした。

しかし!

一応、首都だったのでインフラは整っています。

電車やバス網はいうに及ばず、空港まで。

またボンには定年退職した裕福な国家公務員が、大勢住んでます。

かってスイスの銀行から、

「脱税をしてるドイツ人顧客のデータ」

が盗まれた際、

「後から税金申告」

というキーワードで最も検索数が多かったのがボン。

皆さん、結構、蓄えているようです。

加えて有名企業、Deutsche Post(ドイツ郵便局) 、それにドイツで有名な製菓メーカーハリボの本社などが存在しています。

お陰で、小さな街なのに家賃は結構高い。

ボン出身の有名人

ボン出身の有名人

ボンの名前を(日本でも)知っているのは、音楽家くらいです。

ウイーンで活躍した音楽家、ベートーベンの生家がボンにあるからです。

その一方でドイツ人に

「ボン出身」

の有名人を聞けば、まず最初に名前が出るのは、ドイツ連邦共和国初代の首相、アデナウワーです。

市は

「ボンの有名人」

に音楽家のシューマンも挙げていますが、死ぬまでの2年間を過ごしただけです。

乏しい観光資源

乏しい観光資源

ボンは

「あのデユッセルドルフ」

にも劣るほど観光名所に乏しい街です。

郊外ある

“Sieben Gebirge” (7つの山)

の山頂に建つお城が、観光のクライマックス。

ただ市内の治安はとってもいいです。

アクセスデータ

ボンの最寄空港はケルン – ボン空港です。

と聞いて、

質問
ケルンとボン、どっちなのよ?

 

と思われた方。

実はケルン市内にあります。

「首都に空港がないと箔が付かない。」

というわけで

「無理やり」

ケルン – ボン空港と呼んでいます。

そこそこ大きな空港ですが、日本からの直行便はありません。

フランクフルト空港から国内線を利用してケルンボン空港まで飛ぶよりは、フランクフルト空港から電車で移動したほうが早く、費用も安くあがります。

市内交通

人口が33万に迫らんとする大都市で、かっての首都ですから交通網は充実しています。

バスと路面電車が網の目のように巡らされているので、学生生活には便利です。

ボン大学 に正規留学

ボン大学 に正規留学

ではボン大学に正規留学する方法を解説しておきます。

大学には大きく分けて

  • プロテスタント神学部
  • カトリック神学部
  • 農業学部
  • 数学・自然科学学部
  • 医学部
  • 哲学部
  • 法学・国家学部

の7つの学部の下に、238もの学部があります。

これだけ専攻が多ければ、理系の建築や工学系の専攻を除き、ほとんどの専攻は見つかります。

以前は翻訳という専攻があり、多くの日本人がここで翻訳を勉強して、ドイツで活躍しています。

数年前に翻訳課はなくなりましたが、日本語が学べる数少ない大学です。

専攻一覧は以下のリンクをご覧あれ。

参照 : 専攻一覧

Japanisch / 日本学

数ある専攻の中から今回はドイツの大学には珍しい

“Japanisch”(日本学)

への出願方法を例に挙げて、正規留学の方法を解説します。

“Japanisch”をクリックすると以下のような画面は表示されます。

Japanisch / 日本学

“Bachelor of Arts, Begleitfach”

とは、

「学士のタイトルを取る専攻の副専攻として選べます。」

というわけです。

主専攻ではないんです。

質問
じゃ主専攻は?

 

「主専攻には Asienwissenschften(アジア学) を選んでください。」

とあります。

そこでここでは、アジア学への出願方法を詳しく見ていきます。

アジア学 / Asienwissenschften

アジア学

アジア学のホームページを見ると、

「アジア学は12の異なる専攻に分かれています。」

とあります。

そのひとつがJapanologie /日本学です。

その他にも中国学、韓国学、イスラム学、モンゴル学等、いろんな専攻を学ぶことができます。

出願に関する大事なことは、ページの右側にあります。

  • 取得できる学位はバチラー。
  • 卒業までに(最低)6ゼミ。
  • 講義の言葉はドイツ語と英語。
  • 学業の開始は冬ゼミのみ。
  • C1(終了)レベルのドイツ語能力が必要

と、一番肝心なことはここで明記されています。

ボン大学 出願方法

もっともドイツの大学への出願では

  • ドイツ人
  • EU内の外国人
  • EU外の外国人

によって、出願手順が異なります。

EU外の外国人、すなわち日本人の出願手順に関しては、こちらのページで詳しく解説されています。

出願に必要な書類

ボン大学の出願に必要な書類は、大学出願サポート(有償)にお申込みいただいた方にご案内しております。

出願手数料

以前は、

「EU外からの外国人には、50ユーロの出願手数料を課する。」

となっていました。

幸い、今は廃止されており、出願手数料はありません。

ボン大学 DSH準備コース

ボン大学 DSH準備コース

ボン大学のDSH準備コースは

「DSH試験、およびTestDafの準備コース」

という名前です。

もっともコースは大学ではなく市内の公益団体

“ProIntegration e.V”

がコースを主催するだけでなく、入学者の選定まで行います。

入学願書はボン大学で受領されるものの、大学でで選別されずに、この団体に送られる仕組みです。

出願者の個人情報もこちらの団体に開示されますので、これに同意できる方のみ出願ください。

DSH準備コース 詳細

ボン大学のDSH準備コースは、夏ゼミと冬ゼミに分かれり、年二回、出願の機会があります。

初級のコースはありませんので、まずは語学学校で中級レベルまでドイツを習得してください。

コース費用は安いですが、宿泊施設の仲介・紹介はありません。

家賃の高いボンで部屋を見つけるのは大変ですので、入学許可が下りた

「ラッキーな方」

は早めにボンに入って部屋探しを始めましょう。

ボン大学のDSH準備コース詳細は、以下の一覧表をご参照ください。

レベル

中級(B1, B2)、上級(C1, C2)

期間

夏ゼミ   4月 ~  8月
冬ゼミ  10月~2月

授業時間

週20時間

クラス定員

20人

申し込み期限

夏ゼミへの出願 12月末日まで
冬ゼミへの出願  6月末日まで

コース費用

500ユーロ(1ゼミの料金です。)
* 加えて大学登録料が288ユーロ/ゼミ必要です。こちらには定期券を含みます。

入学資格

出願サポートにお申し込みいただいた方にご案内しております

応募書類

出願サポートにお申し込みいただいた方にご案内しております。

宿泊施設

こちらのコースは、コースだけの提供になります。

出願結果

夏ゼミは1月末~2月、冬ゼミは7月末~8月にかけて返事がメールで届きます。

その他

お申し込みにはPC用のメールアドレスが必要です。携帯のアドレスは不可。

ご送金後のコース料金の返金はありません。

DSHテストは別途は140ユーロ必要です。

出願書類の返却はありません。

大学出願代行サポート

大学への出願、学業に関して不明な点は、ボン大学に直接問い合わせる必要があります。

しかしながら英語で問い合わせをしても、通常、返事さえ来ません。返事が来ても、

「ホームページを読んでくれ。」

とだけ書かれています。ドイツの官庁は一筋縄ではいきません。

そこで当社では出願案内 & 出願代行サポートを提供しております。こちらは有償のサポートになりますが、出願に関して不明な点などは、経験豊富な当社までお問い合わせいただければ、当社にて調査 & 回答させていただきます。

これまで2001年以来、何度もお客様の出願をしてきましたので、大学が出願者に何を要求しているか、熟知しております。

出願サポートの詳細はこちらをご欄ください。

ドイツの大学に正規留学 - 大学出願サポート

大学出願関連 質問集

皆さん、初めてボン大学へ出願されるので、同じ疑問を抱えておられます。

そこで問い合わせの手間を省くため、頻繁に寄せられる質問集を作成しました。

お問い合わせいただく前にご覧いただければ、ほとんどの疑問は解決すると思います。

大学出願 質問集