ウイーン大学 が設立されたのは、1365年。

ハイデルベルク大学が、

「ドイツ最古の大学」

と威張っているが、ウイーン大学はさらに21年も古いドイツ語圏で最古の大学だ。

神聖ローマ帝国内ではプラハ大学、クラカウ大学についで三番目に古い大学だ。

古い大学だけあって、大学のメイン校舎は旧市街のど真ん中。

学生生活と共に、ウイーンでの生活を満喫できます!

ウイーン大学 とは?

ウイーン大学の正式名称は、”Universität Wien”。

そう、ウイーン大学というそのまんまの名前。

これがドイツのドイツ大学だと、

「ルパート」

だの

「フリードリヒ」

だの余計な名前がついて、

「それ、何処の大学?」

と聞かないとわかりません。

ウイーン大学に在籍する学生の数は、なんと9万7000人。

これに9700人の職員が勤務する巨大な大学です。

ドイツ最大のミュンヘン大学に在籍する学生が5万人ですから、ほぼ倍の規模です。

勿論、欧州でも最大の大学。

オーストリアではドイツと異なり、大学は国の管轄にありますので、国立大学です。

ギムナジウムでマトゥーラ / Matura、ドイツではアビトゥーアを取得すると大学入学資格が生まれ、入学試験はなく、(基本)誰でも入学できます。

にもかかわらず、「世界でトップ100」の大学ランキングに入っています。

これまで10名のノーベル賞受賞者を輩出しています。

すなわち入学は優しいが、学業が難しく、なかなか進学できないシステムになっています。

大学の特徴

大学には178もの専攻があるので、人文学系の専攻はほとんど見つかります。

ウイーン大学にないのは、工科大学で教えられる技術系の学科だけ。

歴史のある大学の例にもれず、ウイーン大学は旧市街地のど真ん中に校舎があります。

17世紀には増える学生の数に対応するため、複数の建造物が建築されます。

それが今日では古い大学 /”alte Universität”と呼ばれる場所で、まるで教会みたいな建物です。

今でも大学の機関が入っています。

18世紀、女帝マリアテレジアの時代には今日のウイーン大学の中心建造物になっている”Hauptgebäude”が建造され、今日までウイーン大学の象徴になっています。

学費

国立大学なので学費/は安いです。

学費+ゼミ登録料(半年分の定期券や学生証など)の費用が384ユーロ。

ドイツ同様に各学科に外国人枠も設けられており、ドイツ語がすでに大学入学レベルにある人は、出願することができます。

もっともEU外の外国人の場合、学費+ゼミ登録費は747ユーロ/ゼミと、ほぼ10万円。

フライブルク大学の1500ユーロと比べると半額ですが、無償で学べるドイツの大学とくらべたら、やはり高いですね。

 

見てもない大学に出願するのはいささか冒険なので、ウイーン大学のサマーコースに参加して3~4週間、ドイツ語を学んでみてはどうでしょう。

街の紹介

街の紹介

日本語でウイーン。

現地の言葉ではヴィーン。

下唇を噛みながら、

「ヴィ」

の発音をすると、ドイツ人にも伝わります。

言うまでも無くオーストリアの首都、人口186万人を抱える大都市です。

その歴史は長いので簡素に紹介してみます。

アルプスの東の端からスロバカイまでの地域を

“Wiener Becken”

と言いますが、この地域に石器時代(紀元前9500年以降)から殖民が始まります。

1世紀になると先住民族のケルト人を追い出して、ローマ人がこの地に砦を築きます。

5世紀になるとゲルマン民族が入植を始め、ローマ帝国の砦を奪取してこの地を支配下に収めています。

参照 : Wiener Becken

名前の語源

その後、この地方はワインの栽培で有名になります。

一説にはワイン(Wein)が訛ってWienになったという話がネットで語られていますが、これは眉唾もの。

本当はウイーンの西を流れる川、Wien が町の名前の起源になったとされています。

参照 : Wien

オーストリアの発展の始まり

10世紀、東から侵入してきたマジャール人を東フランク王国の王様、オットー一世がアウグスグルの南で撃破。

アウグスブルク ロマンチック街道の発祥地は見所盛り沢山

 

東からの脅威がなくなった事で、オーストリアの発展が始まります。

発端はバンベルクの領主であったBabenbergerが、

 

ここに辺境伯領”Ostarrîchi”を建設したのが、オーストリア(Oesterreich)の起源となります。

平和の訪れで交易が一気に開花すると、領主のハインリヒ二世が1155年にウイーンを首都とします。

翌年には辺境伯領から公爵領に昇格して、侯爵家がウイーンに

「宮廷」

を置き、ウイーンの発展に寄与します。

ハープスブルク家

1246年、オーストリアの建設者であるバーベンベルガー一族がお世継ぎがなく、死に絶えます。

こかからがややこしい。

簡素化して説明すると、親戚がオーストリア公爵に就任。

その一人が

「黄金の王様」

の異名を持つオトカー二世。

そのオトカー二世の継承権に

「いちゃもん」

を付けたのがチェコの領主だった、ハープスブルク家のRudolf 1世。

ルドルフ一世は圧倒的な武力で黄金の王様とその連合軍を打破、1278年にオーストリア公爵の座をゲット。

するとルドルフ一世は首都を住み慣れたプラハに置いたので、ウィーンは少々落ち目になります。

ただし!

ウイーン大学を築いたのもルドルフ1世だったので、

「名君」

として歴史に残ってます。

オスマントルコ襲来

オスマントルコ襲来

15世紀になると東方からトルコの大軍が押し寄せてきます。

運良く最初の侵攻は撃退しますが、

「一回だけでは終わらない。」

と正しく予測、次回のトルコ軍のウイーン侵入に備え、巨大な砦の建設が始まります。

これは17世紀になってやっと完成するほどの大事業。

巨大な砦が完成して間もない1683年、トルコ軍が大軍を持って押し寄せてきます。

砦のお陰でこれに長期抵抗する事ができました。

しかし食料も底を尽きかけ、トンネル爆弾を使って城壁も爆破され、

「ヴィーンの運命や尽きた。」

と思われた頃、やっと援軍のキリスト教徒連合軍が到着します。

とりわけ活躍したのがポーランド軍騎馬隊で、トルコ軍を撃退する事に成功します。

トルコ軍退却の後には大量のコーヒーが残されており、これがウイーンナーコーヒーの始まりとなりました。

クロワッサンの誕生?

フランスが原産と言われているクロワッサンも実はこの頃、ヴィーンで「発明」されたもの。

ヴィーンのパン屋がトルコ人を撃退したお祝いにトルコの象徴である三日月の形をしたパンを焼き、これを食べて勝ち鬨を挙げたのが始まり。

オーストリア皇帝の娘、マリー アントワネットはこのクロワッサンが大好き。

フランスのルイ16世と結婚する際に、このパンのレシピ(正確にはパン職人)をパリに持って行ったのがフランス産クロワッサン、croissant de lune(上弦の月)の始まりです。

この説は1938年にフランスで発行された”Larousse gastronomique”に記述されています。

超大国から小国に

ナポレオン敗退後、オーストリア帝国はウイーン会議で領土を広げ最盛期を迎えます。

もっともすでに19世紀の後半には小国のプロイセンに負けてドイツの支配権お手放すなど、

「実行支配力」

を失っていました。

その広大な領土も失う羽目になったのは、第一次大戦です。

1914年6月に皇太子夫妻がサラエボで殺害されます。

オーストリア帝国はセルビアを罰すべく、軍隊の動員を開始。

すると同じスラブ民族のロシアが動員を始めると、

「敵が打って来る前に、先手を打とう!」

とドイツがオランダ、ベルギー国境から、フランスに先制攻撃。

当事者のオーストリアは及び腰で、ドイツに半分強制させられる形で「参戦」する形になります。

しかし近代化されたドイツ軍に比べ、軍事力に劣るオーストリア帝国は小国のセルビア相手にも大苦戦。

結局、ドイツの支援を受けてやっとセルビアを制圧します。

以後は兄貴分だった筈のオーストリアは、ドイツの言うなりに。

結局、ドイツが敗戦を受け入れるまで付き合わされて、敗北。

オーストリア帝国は解体され、国はほぼ現状の小さな領域に縮小されます。

しかし戦場は国外だったので街はほとんど被害を受けず、綺麗な町並みが残る事となりました。

第二次大戦の敗戦ではうまく被害者の役割を演じる事に成功、ソビエト軍による占領も短期間で済み、1955年には完全に独立国となっています。

ウイーン名産物

ウイーン名産物

ウイーン名産物と言えば、上に挙げたクロワッサンとコーヒーの他に

“Wienerschnitzel”と呼ばれるとんかつ。

 

もっとの豚肉ではなく牛肉なので、ぎゅうかつ。

続いて

“Sachertorte”

と呼ばれるチョコレートケーキが有名。

参照 : Sachertorte

 

法廷の判決によるとHotel Sacher が作ったケーキだけこの名前を冠してもよい事となり、他のケーキ屋ではしぶしぶ他の名前を導入したという逸話つき。

参照 : Hotel Sacher

 

ウイーンに来たら、是非、試して行こう。

アクセスデータ

最寄空港は自ずと知れたウィーン国際空港です。

日本からの直行便もあるので、とっても便利。

おまけに空港から市内までは電車でたったの16分。

費用は12ユーロです。

ウイーン市内電車路線図

ウイーン市内は電車網が張り巡らされており、基本、公共交通機関で何処にもで行けます。

さらに!

環境保護のために、

「自動車を使うのが割に合わないチケット料金」

を導入。

1年の乗り放題チケットが365ユーロ!

そう、1日1ユーロです。

1ヶ月だけの乗り放題チケットは51ユーロ。

参照 : 簡易版

 

参照 : 総合版

ウイーン大学 サマーコース 【学生寮 & Wifi 有り!】

ウイーン大学 サマーコース 【学生寮 & Wifi 有り!】

ウイーン大学では夏以外にもドイツ語コースが挙行されています。

しかし宿泊施設がコースと一緒に予約できるのは、サマーコースだけです。

宿泊施設は学生寮の部屋シングルルームとツインルームが提供されていますが、当社ではシングルルームに限って紹介しております。

学生寮では日本の両親の代わりに食事を作ってくれる人はいません。

自身で調理が必要です。

全部屋禁煙となっております。

ウイーン大学 サマーコース – 8月と9月の違い

8月と9月のサマーコースの違いは、

  • コース期間
  • 授業の頻度

です。

8月のサマーコースは4週間続きますが、1日3レッスン。

余暇の時間がたっぷりあります。

一方、9月のサマーコースは3週間ですが、1日4レッスン。

ドイツ語を集中して学習されたい方に向いています。

レベル

初級(A1,A2) 、中級(B1,B2)、上級(C1)

期間

1. 2022年 8月2日~8月26日

2. 2022年 8月30日~9月16日

到着、出発

1. 到着:8月01日(10時~20時まで)    出発:8月27日(10時まで)
2. 到着:8月28日(10時~20時まで)    出発:9月17日(10時まで)

授業時間

1. 9時15分~12時(合計57単位)

2. 9時15分~13時(合計56単位)

クラス定員

16名程度

申し込み期限

定員になり次第締め切りとなります。(通常、5月末に定員になります。

遠足

ワイン畑、ウイーン市内、ワルシャワ

費用

1. 18万2000円(保証金が現地で別途、100ユーロ必要です。)

2. 17万2000円(保証金が現地で別途、100ユーロ必要です。)

費用に含まれるもの

授業料(教材費が別途25~40ユーロ必要です。)

宿泊費(シングルルーム)

弊社の手配手数料

宿泊施設

コース事務局は夏休みに帰郷する生徒から部屋を借り受け、これをコースの参加者に紹介する形です。

部屋には、机、椅子、ベット、蒲団、戸棚などがついています。

枕、シーツ、布団は部屋にありますが、キッチン用品はついていません。

昼食は学生食堂(有料)で取れますが、朝食・夕食は各自で調達・調理が必要です。

インターネット/Wifi

学生寮内で Wifi が使用できます。

参加条件

 17歳以上。

必要書類

お客様の氏名、住所が記載された身分証明書

その他

コース参加には有効な健康保険に加入されている事が条件です。
一ヶ月の海外旅行保険はたったの37ユーロで加入できますので、加入されてから渡航してください。

お支払い

お申し込み後、24時間以内に請求書を発行しますので、1週間以内にお支払いください。

キャンセル

6月15日まで  479ユーロがキャンセル料となります。

以降       返金はありません。

大学季節コース質問集

皆さん、同じ疑問を抱えておられます。

そこでこれまでお問い合わせいただいた人気の質問を、ここに挙げておきました。

99% の疑問は、こちらをご覧いただければ解決できます!

ウイーン大学 季節コース Q & A

ウイーン大学 サマーコース お問い合わせ & お申込み

質問集を読んでも解決できない場合は、勿論、こちらからお問い合わせいただけます。

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