今回は フライブルク大学 に正規留学する手順を解説したいと思います。

かく言う私もフライブルクで学びました。

当然、出願手順はもとより、大学のキャンパス(全部で6つ、市内に存在)からメンザ(学食)まで、知り尽くしています。

そこで昔を思い出しながら、懐かしいフライブルク大学への正規留学についてご紹介いたします。

フライブルク大学  隠れた名門大学

フライブルク大学の正式名称は

“Die Albert-Ludwigs-Universität Freiburg”(アルベルト ルートビヒ フライブルク大学)

です。

大学関係者は

“ALU Freiburg”

と呼びますが、部外者には、

「何それ?」

です。

そこでここでは誰にでもわかるように

「フライブルク大学」

と呼ぶことにします。

大学の優秀さの目印のひとつが、ノーベル賞 受賞学者の数。

フライブルク大学は、ゲッティンゲン大学フンボルト大学 ベルリンには及ばないが、それでも10名の受賞者を出している。

日本式の数え方を採用して、

「フライブルク大学に在籍していたことがある。」

学者も含めると、その数は23人。

東京大学に在籍して受賞した学者の受賞者は11人なので、日本人の誇る東京大学に優る

「隠れた名門大学」

です。

大学の規模

フライブルク大学にする学生の数は、およそ2万5000人。

大学のキャンパスは市内に3つあります。

かって大学が創設された街の中心部には

  • 人文学系の学部
  • シュールな図書館
  • 中央学食堂

があります。

市内の西には、物理学部と化学学部のキャンパスが存在しています。

大学関係者の自慢は、やはり街の中心部にある石造りの大学校舎。

内部は鉄筋構造ですが、表面は赤い石で覆われて、まるで中世の建物のような雰囲気です。

フライブルク大学の歴史

フライブルク大学の歴史

14世紀、フライブルクは厄介者のフライブルク伯爵にお金を払って、その支配から解放されます。

代わって庇護を求めたのは、オーストリアのハープスブルク家です。

そのハープスブルク家からフライブルクを含めたこの地の統括を任されのが、アルブレヒト6世です。

そのアルブレヒト6世がフライブルクに大学を建設すべく、コンスタンツの大司教にその許可を請います。

当時は教会の権力が絶大で、カノッサの屈辱のように、王様でも頭が上がらない存在でした。

そのコンスタン大司教が、今度はローマ教皇に大学創設を上奏。

お許しをもらったのが、1455年です。

大学創設の動機は?

でも何故、アルブレヒト6世が金のかかる大学建設置に尽力したんでしょう?

公式文書がないので、いろんな説が存在しています。

一番納得できる説が、フライブルクの活性化説。

かってはお金持ちだったフライブルクは、膨大な借金を抱えていました。

大学をここに建設することで、人が集まるようになります。

人が集まれば税金と交易で街が豊かになり、財政が復活することを期待していたとの事。

しかし人を集めるにしても、大学創設するにはまずは金、それも大金がかかります。

これを可能にする為、アルブレヒト6世はフライブルクの教会が上げる収益(当時は教会は金のなる木)、正確にはその権益をフライブルク大学に寄贈します。

もっとも約束されたお金は入ってこなかったそうです。

その結果、大学建設費を出したのはフライブルクの街でした。

1457年、アルブレヒト6世がフライブルクにて

「知の力で人間の不条理と無知と克服する」

と大学創設式典で語ったので、これが大学創設の年とされています。

実際に大学で講義が始まったのは、これよりも数年後になります。

オーストリア帝国内では首都のウイーンに次いで2番目に古い大学が、フライブルク大学でした。

カトリックの砦

大学はそもそも自由な思考をする場所です。

ルターがカトリック教会の悪習を始めて公に非難、教会に改善を求めるとフライブルクの学生はこれに大賛成します。

しかしフライブルク大学自体はがちがちのカトリック。

ルター派の書物を集めると、これを公然の場で燃やします。

ナチスが哲学者や心理学者の本を燃やした

“Bücherverbrennung”(蔵書の磔刑)

が有名ですが、オリジナルはカトリック教会でした。

バーゼルではルター派が優勢になり、シュトラースブルク大学やテユービンゲン大学、それにハイデルベルク大学でもルター派の教えが公然と大学で教えられました。

でもフライブルクだけは禁止。

まさにカトリック教の砦でした。

ルイ14世による大学改革

その砦が崩れたのは、17世紀の戦争でフライブルクがフランスに占領されたのがきっかけです。

ルイ14世はオーストリアの息がかかったカトリック系のフライブルク大学を嫌い、ルター派の教えを導入します。

戦争の講和条約が結ばれるとフランス軍は撤退、フライブルクは再びオーストリア領となります。

しかしこれが「効いた」ようで、フライブルク大学で改革が始まります。

そのお手本になったのが、プロテスタント系のゲッティンゲン大学です。

改革の結果、大学の講義はラテン語ではなくドイツ語に、さらには大学でイタリア語、フランス語、さらにはダンスやフェンシングも専攻に加わります。

しかしカトリック系の大学の教授はこの改革に抵抗。

しまいには神聖ローマ帝国の皇帝が、大学に特命を帯びた監督官を派遣。

フライブルク大学の改革を強制執行します。

ちょうどこの時期、オーストリアの女帝、マリア テレジアの14歳の娘、後のマリ アントネットがルイ16世に嫁ぐため、フランスに向かう途上、フライブルク大学を訪れています。

大学校舎の建設

大学校舎の建設

改革後、

「フライブルク大学で学びたい!」

と学生の数が増え始め、1850年には350人の学生が在籍していました。

その後も大学生の数は増え続け、第一次大戦前には3000人の大学が在籍していました。

この学生数に対応するために、大学校舎の建設が必要になりました。

こうして建設が始まったのが、赤い岩でできたフライブルク大学の大学校舎の建設です。

完成したのは戦争中の1915年。

人文学部校舎の頭の部分には金文字で、

„DIE WAHRHEIT WIRD EUCH FREI MACHEN“/ 真実が諸君を自由にする

と書かれています。

学部

フライブルク大学には以下の学部があります。

  • 生物学部
  • 植物学部
  • 化学学部
  • 薬剤部
  • 医学部
  • 数学 & 物理学部
  • 人文系学部
  • 哲学部
  • 法学部
  • 理工系学部
  • 神学部
  • 環境 & 自然資源学部
  • 経済 & 行動学部

その中でも

「他の州で威張れる」

ほど名声があるのは、生物学、法学、医学、歴史、ドイツ文学、英文学、それに教育学です。

ドイツ政府のイニシャテイブで始まったエリート大学制度には、2006に当選、7年間エリート大学と名乗ることができる権利と研究補助金を獲得しました。

その後、2012年、2019年のエリート大学選抜では落選しています。

ドーピングの砦

いい事ばかりではなく、全国的に名を馳せた不名誉な事件もありました。

それはフライブルク大学付属病院で長年、スポーツ選手のドーピングを研究して、実戦 & 促進されていたことです。

ジャーナリストがこれをすっぱ抜くと、大学病院は全面否定。

しかし事実が次々に出てきて、責任者はクビになりました。

ゼミ登録費

ドイツで大学に登録すると

“Semesterbeitrag”(ゼミ登録費)

という費用が、何処の大学でも発生します。

このゼミ登録費は、大学により大きく異なります。

ゼミの期間中の定期券も含まれているので、路面電車のある街では費用は高め。

バスしかない街では安いです。

フライブルク大学のゼミ登録費は161ユーロ。

これに半年の定期券が含まれている事を考えれば、かなりお得。

学費

現時点ではバーデン ヴルテンベルク州は唯一、EU外からの外国人に対して

“Studiengebühren”(学費)

を導入している州です。

その費用は1500ユーロ/ゼミ。

この学費にゼミ登録費は含まれていません。

学費導入により外国人学生が大幅に減っています。

そう考えれば、学費を払える人には、入学のチャンスは大きいかもしれません。

参照 : 学費

フライブルク大学 に正規留学 !

フライブルク大学 に正規留学 !

大学の紹介はこのくらいにして、皆さんがお待ちかねのフライブルク大学に正規留学する手順について解説していきます。

まずは肝心要の入学資格から始めます。

入学資格

フライブルク大学に正規留学するには、ドイツの大学入学資格、アビトウーア /”Abitur”に匹敵する資格が必要です。

日本の高校卒業では、この資格を満たしません。

短大でも、これまでは駄目でした。

日本の4年生大学を卒業されている方は、ほとんどのケースで入学条件を満たします。

ドイツ語の資格

ドイツの大学入学資格は

「アビトゥーア」

だけではありません。

ドイツの大学ですので、ドイツ語能力も証明する必要があります。

具体的には以下の方法があります。

  1. ドイツ語の検定試験 TesDaf にて、TDN 4 あるいは TDN 5 に合格する。
  2. ドイツ語の検定試験 Telc にて、C1  あるいは C2 で合格する。
  3.  ドイツ語の検定試験 DSH にて、DSH-2 あるいは、DSH-3 試験に合格する。
  4. ゲーテ・インスティテュートの検定試験 C-1 あるいは C-2 試験に合格する。

ドイツ文学部 /Germanistik

大学入学資格をクリアしたら、次は専攻選びです。

フライブルク大学で学べる専攻一覧はこちらです。

参照 : 専攻一覧

 

ここでは例として

”G”

で始まるを

“Germanistik”(ドイツ文学部 )

の出願要綱を見てみましょう。

【正規留学】 フライブルク大学 専攻詳細

  • 講義の言語はドイツ語
  • 入学時期は冬セミ
  • 卒業には6ゼミ必要
  • 単位数は180
  • 入学制限なし

と書かれており、読みさえすれば必要な情報を得ることができます。

入学できる時期

数は少ないですが、夏ゼミ / Sommersemester から始めることができる専攻もあります。
ほとんどの専攻では冬ゼミ / Wintersemseter から学業を始めることになっています。

出願時期

夏ゼミの出願期限は、1月15日です。

冬ゼミの出願期限は、7月15日です。

この日までに大学に願書が届いている必要があります。

出願書類

詳しい出願書類に関しては、大学出願サポートにお申込みいただいた方に、ご案内しております。

サービスセンター

フライブルク大学では

「ウニ アシスト」

を経由せず、大学に直接、出願できるので手数料を節約できます。

詳しい出願方法は出願先は大学のホームページの

「サービスセンター」

というページをご覧あれ。

ここに必要な情報はすべて載っています。

短期留学

フライブルク大学は珍しく、今でも短期留学を提供しています。

短期留学は2ゼミ(1年)だけに限って大学に在籍して、大学で講義を受けるコースです。

正規留学と違ってDSH 試験に合格しなくても、B2 終了検定試験に合格していれば入学できます。

フライブルク大学  DSH 準備コース

私が留学した当時は、フライブルク大学で DSH 準備コース がありました。

が、その後、廃止されました。

今では交換留学生、あるいは奨学生など、すでに大学に入学している学生が参加できるコースのみ。

 

これに加えて3月、それに8月と9月に4週間のドイツ語コースが開催されます。

このためまずは市内の語学学校でドイツ語を習ってから、出願してください。

ゲーテ インスティテュート フライブルク

尚、普通の初級者がドイツ語の学習を始めて、大学入学レベルに達するまで、たっぷり1年必要です。

大学出願サポート

フライブルク大学への出願、学業に関して不明な点は、大学に直接問い合わせる必要があります。

しかしながら英語で問い合わせをしても、返事が全く来ないか、

「ホームページを読んでくれ。」

とだけ書かれています。

そこで当社では大学出願サポートを提供しております。

こちらは有償のサポートになります。

 

出願に関して不明な点などは、経験豊富な当社までお問い合わせいただければ、当社にて回答させていただきます。

これまで2001年以来、何度もお客様の出願をしてきましたので、大学が出願者に何を要求しているか、熟知しております。

出願サポートの詳細はこちらをご欄ください。

ドイツの大学に正規留学 - 大学出願サポート

フライブルク大学 出願に関する質問集

皆さん、初めてフライブルク大学へ出願されるので、同じ疑問を抱えておられます。

こちらで頻繁に寄せられる質問集があります。

お問い合わせいただく前にご覧いただければ、ほとんどの疑問は解決すると思います。

大学出願に関する質問集