街の紹介

ベルリンは沼地に築かれた町。町のほぼ真ん中を横断するような形で、シュプレー河が流れている。第二次大戦後、ベルリンは米英仏が管轄する西ベルリン、それにソビエト管轄下の東ドイツに分断された。壁の崩壊後、ベルリンもひとつに統合されたが、お陰でベルリンは最も広大な面積を持つ市になった。デユッセルドルフと比べると、なんと4倍もの大きさだ。ベルリンは360万人を超える人口を抱えてドイツ最大の都市だが、人口密度は首都にしては高くない。

名前の起源

今のベルリンがある場所に最初に入植したのはスラブ人だ。ちょうどベルリンの中心部のシュプレー川に浮かぶ「島」が、13世紀の書簡でCoellnという名前で呼ばれたのが、この地の最初の言及になる。ベルリンの名前はよく主張されているように、Baeren(熊)から派生したわけではなく、先住民族の話すスラブ語の”berl”(沼地) から派生した

街の歴史

ドイツ人のこの地域への入植はかなり遅れて10世紀に、東からではなく、西から始まる。当然、先住民族との争いは避けられず、10~12世紀は絶え間ない戦争状態だった。12世紀にスラブ民族との戦闘に勝ったアルブレヒトにより、ブランデンブルク伯爵領がこの地に建設された。その後は、この伯爵領を巡って争いが絶えず、30年戦争ではスウエーデン軍が度々この地に侵入、破壊をしたため、町が落ち着いて発展するには至らなかった。

フリードリヒ1世

30年戦争後、伯爵領はようやく落ち着きを取り戻し、当時の領主が移民政策を奨励したため、ベルリンにはユダヤ人、フランス人、ポーランド人、チェコ人などが移住、人種のるつぼ状態になる。18世紀にフリードリヒ1世がプロイセンの王になると、ベルリン周辺都市を統合してベルリンは大幅に拡大、ベルリンは正式にプロイセンの首都に昇進する

プロイセンは国土が小さく、政治、軍事力も弱かった。そこで「兵士王」との異名をとるフリードリヒ1世は国家財政を改革、歳出を減らして、余った金を軍事力の増強に費やした。隣国で起きる紛争をじっと待ち、チャンスがあるとこれに介入して領土を拡張していった。お陰でフリードリヒ1世の在任中、プロイセンの人口は150万人から240万人に拡大。税収入も大幅に増加した。

フリードリヒ2世

フリードリヒ1世の後を継いだフリードリヒ2世は、大国であるオーストリア-ハンガリー帝国の領土であったシュレージエンを(勝手に)占領、プロイセン領と宣告する。これが原因でオーストリアからロシア、イギリス、フランスまでを巻き込む大戦争が勃発、プロイセンは国家破綻の寸前まで追い込まれる。ここで「神風」が吹き、ロシアの(ドイツ人女帝)カタリーナが死去する。後を継いだ皇太子は直ちにフリードリヒ2世と和平を結ぶ。残存する兵力でフリードリヒ2世がオーストリア軍に手痛い敗北を与えると、女帝マリアテレジアはしぶしぶ和平協定に応じ、戦争は終結する。

ナポレオン1世

フランス革命が起きると、君主制のドイツにも飛び火する。あちこちで民主化のデモが発生するが、革命が起きるほどの拡大はしなかった。フランスがナポレオン1世の下、領土の拡張政策に出るとプロイセンはにこれに抵抗するが、歯が立たなかった。敗戦後、プロイセン国家が解体される危険もあったが、これまでに先祖が苦労して取得した領土の大半を放棄することで、国家として存続されることを許された。

この敗北をきっかけに、プロイセン軍の大改革が始まる。貴族ではなく、才能次第で出世できるように軍を改革。後に全世界が真似をするドイツ参謀本部も導入される。ナポレオンがロシア遠征で大敗北を喫するとプロイセンはロシアと組んで、フランス軍の駆逐を開始する。プロイセン-ロシア連合軍はライプチッヒ郊外でナポレオン軍を撃破、最後はワーテルローまで軍を送ってナポレオンを破る。

ドイツ統一

19世紀になると、プロイセンは強大な軍事力を背景に、国内統一に乗り出す。まずはデンマーク、ついで大国のオーストリアを破ると、次はナポレオン3世のフランスだ。フランスを普仏戦争でを破ると、プロイセンの王様はドイツの皇帝の座に就き、ベルリンはドイツ(第二)帝国の首都となる

第二次大戦の敗北後、ベルリンは共産主義政権の東ドイツの首都となる。1990年に東西ドイツが統合されると、「首都をボンからベルリンに移そう。」という議論が国会で交わされて、反対意見も多かったが、1991年に首都をベルリンに移すことが決定された。

ベルリンの風潮

ベルリンの魅力はなんといっても、リベラルな風潮。保守的な南とは正反対で、新しいものに対して許容範囲が広い。この為か、芸術活動の中心にもなっている。360万人もの人口を抱えるベルリンでは、日本食を始め、大概のものは見つかる。他の町ではとても成功しないだろう客層の狭いビジネスでも、ベルリンなら存続できるので、スタートアップ企業が多いのも特徴だ。他の町で禁止されている夜間の販売も、何故かベルリンでは小さな商店に限られるが許されている。

町の景色もベルリンならでは。歴史を感じされる建物があちこに建っており、これに広い歩道が加わって、他の都市では見ることのない独特なベルリンの雰囲気をかもし出している。日本食ブームも手伝って、日本食レストランの数はデユッセルドルフよりも多いので、アルバイト探しにはいい環境。

ベルリン観光

観光用のホテルを撮るなら、交通の要所まで歩いていける場所が最高です。具体的な名前を挙げれば、アレクサンダー広場、フリードリヒシュトラーセ駅、ポツダム広場、中央駅。でも便利な場所のホテルは高いので、予算外の場合、せめて最寄り駅まで徒歩10分のホテルにしよう。日本では「かっての西ベルイン地域の方が安全で綺麗。」という意見をよく聞きますが、綺麗なのは旧東ベルリン地域。大金をつぎ込んで町が再建されたので、西ベルリン地域より綺麗、おしゃれ、交通の便がいいです。

国会議事堂とブランデンブルク門

ベルリンは天気があまりよくないので、晴天の日には博物館に行かないで、史跡を巡ろう。ベルリン観光の黄金ルートは国会議事堂、”Reichstag” と凱旋門、”Brandenburger Tor”。凱旋門はお昼過ぎになると逆光になるので、午前中にいきましょう。これを見たら国会議事堂に。国会は午前中を除き、いつ行ってもいい写真が撮れます。国会の全体像は少し下がって、緑の芝生の上から撮るのがコツ。興味のある方は、リュックサックを持参していなければ、身体検査を受けて入場料を払うと、国会の中にも入れます。

勝利の塔

議事堂の横に有名なバスの100番の停車場があります。これに乗れば勝利の塔、”Siegessäule” まで5分で行けます。歩くと30分くらいかかるので、バスがお勧めです。勝利の党の停車場は “großer Stern” (大きな星)ですが、その手前はドイツの大統領の宮殿もあるのでお見逃しなく。勝利の塔の中は(ちょっとがっかりな)博物館になっています。勝利の塔に描かれている壁画は一見の価値あり。そして見晴台から見渡すベルリンの中心部は、絶景でないですが、まあ、見ておいてもいいです。

見終わって元気があれば、バスを使わず、徒歩で凱旋門方向に向かって歩き出すと、途中に「ロシア兵慰霊碑」があります。これを見てから国会横の100番バスの底流所で、アレクサンダー広場粋のバスに乗車、”Lustgarten”(欲情の庭?)で下車すると、そこはベルリンドーム(教会)から始まって、博物館島への繋がる観光スポットです。

博物館島

博物館島で最大の人気を誇るのが、ペルガモン博物館。入場料12ユーロ。午前中に行かれる方は要注意。ものすごい列です。入場できるまで30~40分も待たされます。午後に来ると、列もなく、すんなり入れます。博物館までテロ警戒でリュックサック禁止。カメラとレンズを取り出すと、両方のポケットに押し込んでいざ出発です!階段の上に座ってレンズを交換していると、「そこに座ってはいかんよ。」と10秒で警告。手すりに触って撮影していると、「手すりに触ってはいかんよ。」と10秒で警告。ご注意あれ。

ベルリンと言えばベルリンの壁。かってのベルリンの壁はほとんど撤去されて、どこが境界になっていたのかわかりません。唯一、”Ackerstr.だけはかっての境界線を見ることができます。路面電車の10番に乗り、ベルリンの壁モニュメント駅で降りてください。撤去された壁での大部分は粗大ゴミとなりましたが、一部はイーストサイドギャラリーに飾られています。

イーストサイドギャラリー

イーストサイドギャラリーに行くには路面電車に乗って終点のワルシャワ通りまで。電車の進行方向に向かって300mあるいていくと、右手に見えてきます。ここには映画などのシーンでよく登場する独特な形の橋、”Oberbaumbrücke” があります。橋は大量の浮浪者が占拠していますので、夜はこの辺りに来るのは厳禁です。

チェックポイント チャーリー

地下鉄のベルリン中央駅で降りて、付近の人に道を聞きながら7分歩くと、かっての米国管轄地域とソビエトの管轄地域の通行路、チェックポイント チャーリーに行けます。ドイツ統一に伴いここにあったオリジナルの小屋は撤去されました。その後、大きなビルが建ち、跡形もなくなりました。数年後、「ベルリンの歴史を後世に伝える必要がある。」と、ここに小屋のコピーを建てました。以来素人役者が米軍の服装で立って、観光客から小銭をもらってます。

留学

ベルリンは日本並みの大都会。都会志向の方に向いています。週末になると電車が24時間運行している町も、ドイツではベルリンだけ!ベルリンの語学学校もゲーテから、値段が良心的なF+U Akademyまで、多くのドイツ語学校が存在しています。学校選びに苦労することはあっても、学校が見つからないことはないです。まだ5~6年前はドイツ留学先と言えばミュンヘンかフライブルクでしたが、今ではベルリンはミュンヘンと同じくらい人気のドイツ留学先となっています。

バイエルン州で滞在ビザを取るのは大変です。私が通訳として同行しても、ビザの発給を断られるケースが稀にあります。ドイツで滞在ビザが取り安い町はデユッセルドルフとベルリン。現地で滞在ビザを申請される方には、ミュンヘンよりもベルリンをお勧めします。

 

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