街の紹介 ミュンヘン

ミュンヘン は日本で一番知名度の高いドイツの街です。ベルリンに行った事がなくても、ミュンヘンに行ったことがある人は多いはず。ベルリン、ハンブルクに次ぐドイツで3番目の大都市で、2015年には人口が150万人を突破しました

ミュンヘン旧市街日本ではミュンヘンはドイツを代表する都市と考えれていますが、実はこれは大きな誤解です。「これこそドイツ!」と思われている皮ズボン / “Lederhose“やドリンドゥル / “Drindl“、それにビールジョッキ / “Maß“は、実はこの地方だけのものです。

「ミュンヘン=ドイツ」と思われていることが、他の地方に住むドイツ人には迷惑千万な話。ドイツで「日本人です。」と言えば毎回、「東京ですか。」と言われるようなもの。東京出身なら気にならないですが、そうでない方には、「また!?」とガッカリです。

だからドイツ人に、「ドイツはミュンヘンに言ったことがある。」と言えば、「それはドイツじゃない。バイエルンじゃないか。」と言い返されることもあります。とりわけミュンヘンとベルリンは犬猿の仲。

「ドイツに行ったことがある?」とドイツ人に聞かれたら、「あなたはどちらの出身?」と聞こう。他の州の出身だったら、「ドイツじゃないけど、ミュンヘンに行ったことがある。」と言えば、相手もにんまり。

地勢 – ミュンヘン空港から市内まで

街はアルプスの麓にあるので、平べったいドイツでは比較的、高地にあります。デユッセルドルフの標高が38mである事を考えれば、ミュンヘンの標高520mは立派な高地。夏には気温が30℃を超え、寒波が張り出してくると、冬にはマイナス20℃まで下がります。

有名な観光地で大都市なのに、あり得ない欠点のひとつは、空港から市内までのアクセスの悪さ。ミュンヘン空港という名前ですが、実は隣町にあります。空港までの急行便が存在しておらず、各駅停車の鈍行(S-Bahn)しかありません。空港からのシャトルバスもありますが、とにかく運転手の愛想が悪く、それに運転が雑。

私が乗車したときは前の車を煽っており、事故にならないかヒヤヒヤ物。ミュンヘン市内に在住のお客さんは、「空港でバスが事故って、その場でバスから下ろされました。」というご報告をいただきました。あの運転じゃ無理もない!

当店では事故、渋滞のない鉄道での移動をお勧めします。ミュンヘン空港までたっぷり40分かかりますので、飛行機を逃さないように早めに移動しましょう。

ミュンヘン の歴史

この街の発展は意外に遅く、始めて文献に登場したのは12世紀になってから。修道士(Moenchen)がIsar河に橋をかけた事が記述されており、この地域をメンヒェン、これがなまって後にミュンヘンと呼ぶうようになったという。バイエルンの領主と言えば、ヴィッテルスバッハ家 / “Wittelsbach”で、ドイツで最も古い貴族のひとつ。

14世紀にはヴィッテルスバッハ家の公爵、ルートビヒ4世が神聖ローマ帝国の皇帝に就きます。その城をミュンヘン構えた頃から町の発展が始まる。町の暗い歴史として、15世紀にはユダヤ人が住むことを禁止されて、追放されている。

バイエルン公爵領統一

16世紀、バイエルン公爵領は南北に分断されていた。北 Bayern(首都はランズフート)の領主が死去すると、その後継者を巡って南 Bayern の領主、アルブレヒト4世と戦争になる。この争いに勝ったのがアルブレヒト4世(ヴィッテルスバッハ家)で、分断していたバイエルン公爵領を再統一、ミュンヘンに首都をおく

そして「領主が死去した際は、二人の子供の間で領土を分ける。」というヴィッテルスバッハ家の制度を廃止、「今後、跡継ぎは長男が継ぐ。」と改定した。これにより公爵領が分割して弱体化、他の州に吸収される危険を回避したので、「賢いアルブレヒト」という異名を頂戴する。お陰でマキシミリアン1世は1623年、公爵から選帝侯に昇進した。

30年戦争

30年戦争では侵攻して来たスウエーデン軍に降伏して身代金を払ったため、ミュンヘンは破壊を避けることができた。しかしその後にやってきたペストでは、町の人口は1/3に激減した。18世紀にはマキシミリアン3世がこれまでの勢力拡大政策から一転して国内の新興に目を向け、1759年にミュンヘン大学が建設される

ナポレオン1世

ナポレオンがドイツに侵攻してくると、バイエルン公爵は真っ先にナポレオンの軍門に下った。これが大当たり!ナポレオンはプロイセン+ロシア連合軍を撃破して、その領土を没収。公爵はご褒美に東フランケン、東シュバーベンを割譲してもらう。

お陰で公爵の領土はかってない広大な領域に広がり、バイエルン王国が誕生した。お陰でバイエルン州は今日でも、ドイツで一番大きい州だ。

ルートビヒ2世

日本で一番有名な有名なヴィッテルスバッハ家の王様と言えば、有名なお城を建設させたルートビヒ2世。日本では現実とかけ離れたイメージが定着しているようです。この王様は同性愛者で有名で、おまけに大食漢。有名な肖像画とは大違いで、顔は脂肪で膨れ上がり、おすもうさんを上回る巨大なお腹を抱えていました。

参照 : Wikipedia

王様としての職務に興味を見せず城ばかり建て、王家の国庫が空になる暴食振り。側近はあきれ果て、医師が診断もしてないのに王様を「精神障害」と認定して幽閉、王位を叔父のルイポルトに委譲します。

最後の王様 ルートビヒ三世

ルイポルト王の後を継いだのが「最後の王様」となるルートビヒ三世だ。第一次大戦では、「エルザスーロートリンゲンを割譲してもいい。」という皇帝の甘言に目がくらみ、バイエルン軍を派遣します。1918年11月、長い戦争と食糧難に辟易したバイエルン住民が、戦争に反対したために監獄に収容された同士の解放、バイエルン王の退位を求めて示威行進。

すると王様は詰める限りの家財を自動車に詰め込むと、闇にまぎれて逃走。バイエルン王国はこうしてあっけなく消滅した。19世紀の終わりから第一次大戦の勃発まで、ミュンヘンは目覚しい発展を遂げる。我々がミュンヘン観光で眺めている建築物の多くは、この時代に建設されたものです。

ミュンヘン 観光 – バイエルン王国の史跡を巡る旅

ミュンヘン 観光 はドイツ観光のハイライトのひとつ。何しろ、ミュンヘンは日本人に一番人気のドイツの街です。新市庁舎やホーフブロイハウスで、日本人観光客をみかけない日はありません。言葉の問題、土地勘がない事もあり、団体旅行で行かれる方がほとんどだと思います。しかし緻密なスケジュールの為、多くの史跡、観光名所が省略されてしまいます。

ここでは個人旅行でミュンヘンを探検される方に、二日で回れるお勧めのミュンヘンの観光名所を紹介してみたいと思います。ドイツでは晴天は稀なもの。晴れの日にはこうした観光名所を巡り、博物館、美術館などは曇りの日、雨の日に回った方が時間を有効に使えます!

ミュンヘン観光の強い味方 公共交通機関

ミュンヘン 観光 の強い味方は公共交通機関です。1日乗り放題チケット / Tageskarteで電車もバスも朝6時から乗り放題!物価の高いミュンヘンで、チケットの値段はたったの6.7ユーロ!日本じゃ考えられない1000円もしない安価な値段です。

15歳未満のお子さんには子供用1日乗り放題チケット / Kinder-Tageskarte も用意されており、さらにお得。3日滞在する方は、3日用の乗り放題チケットがあり、16,80ユーロ。なんと2000円もしないで、3日間、乗り放題!

参照元 : MVV

中央駅には“S-Bahn”(近距離電車)、”U-Bahn”(地下鉄)、それに“Straßenbahn”(路面電車)の駅がそれぞれ別個に設置されています。どの電車を利用するかによって乗り場が違うので、駅に着いたら標識を見て確認しよう。マリア広場に行くなら地下鉄の2番なので直進。有名な観光名所のオデオン広場に行くなら地下鉄の4、5番なので右折です。

参照 : ミュンヘン市内電車路線図

1. ババリア

ババリアババリアは「オクトバーフェスト」の開催される、”Theresienwiese”の端にあります。電車で行くなら地下鉄のU4/U5に乗車、Schwanthalerhöhe 駅で下車、ドイツ人に道を聞くか、オクトーバーフェストの会場に建っているでかいビールジョッキを目印にしてください。

ババリアとはBayernのラテン語。巨大な像はバイエルンの守護神だ。ナポレオン戦争後、ルートビヒ1世が民衆がドイツ人ではなく、バイエルン人としての自意識を抱く目的でこのモニュメントの建設を命じた。見本はパルテノン宮殿だったので、なんとなく似ている。上からオクトーバーフェストの会場がよく見渡せます。

巨大な銅像の頭の部分には展望台があるので、元気のある方は登れますが、有料です。その他の施設は無料で入場、閲覧できます。

参照元 : München.de 入場料3.50ユーロ オクトーバーフェスト期間中はテロ警戒のため、展望台に限り閉館です。

2. 老いぼれペーター / Alter Peter

老いぼれペーター / Alter Peter次の目標は、「階段を登る元気がない。」と4年前に断念した老いぼれペーター / Alter Peter 登頂です。正確には隣の聖ペーター教会の尖塔です。この教会は13世紀の大火事で大部分焼け落ちましたが、その後、ほぼ今の形に再建されます。が、第二次大戦で爆弾が命中、残っていたのは尖塔の根っこの部分だけ。瓦礫の山から使えるレンガを取り出して、今の形に再建するのだからドイツの再建技術は凄い!

ババリアから到着すると、すでに入場券売り場の前には長蛇の列。もっと早く来るべきだった!大人は3ユーロなんですが、ドイツ人は学生割引を勝ち取ろうと値段交渉。お陰でチケットを買うのに15分もかかりました。

階段が狭く、降りる人、登る人が交互に動くので、300段の階段を登るのにさらに15分。見晴台に到着するも、多くの人間が居るので、待っても待っても1センチも動きません。気の遠くなるような時間立ち尽くして、やっとお目当ての写真撮影のアングルを奪取。もう二度と登らないので、撮り捲り。この塔の高さは90m、アウグスブルクのペルラッハ塔より20m高い。お陰で町の端まで見渡せます。

参照 : Erzbistum München  開館時間 10時~18時 入場料大人3ユーロ、学生2ユーロ、生徒1ユーロ 割引価格には要証明書提示

3. 新市庁舎 / neues Rathaus

新市庁舎 / neues Rathaus初めて見ると感動さえ覚えるミュンヘンの市庁舎は、正式には新市庁舎です。この立派な市役所が出来上がったのは、計画の失敗が原因です。当初、古い市庁舎が狭くなったので、18世紀の中頃にこの場所に新市庁舎を建設することを決定。建設を始めたはいいものの、「これは小さ過ぎて全部の部署が建物に入らない!」ことが完成する前にわかったので、その周囲の土地を買収。

当初、完成したのは現市役所の(向かって)左の部分です。その後、右半分が増築されたので、よっくみると右と左側、色が異なります。左側には石灰石を使っているので、独特の色合いが出ています。その後も増築が進み、市役所は今の中庭を囲む4角形の建造物になりました。最後の飾りとして85mの塔が完成したのは、もう20世紀になってからでした。

いい写真のモチーフなんですが、ちょくちょく集会が開催されており、写真を撮るのは至難の業。新市庁舎を中庭から見ると、ちょぴりガウデイっぽい?正しくはネオ ゴシック様式と言います。希望者は市役所の塔に登ることができます。でも見晴らしがいいのは、老いぼれペーターの方です。

参照 : München.de  開館時間 10時~19時 祝祭日は17時まで 入場料大人4ユーロ、生徒1ユーロ 割引価格には要証明書提示旧市庁舎

4. 旧市庁舎

新市庁舎の横に旧市庁舎があるのだが、「あ、ここにも綺麗な建物が。」程度で、市庁舎だと気付く人は稀。現存している市庁舎は、落雷により市役所が焼けたので15世紀に再建されたもの。新市役所の完成後、ふたつの穴を建物に開けて、路面電車が建物を迂回しないで通れるようにした。

現在では路面電車は幹線道路を通る路線に変更され、歩行者専用の道路になっている。この先にホーフブロイハウスがあるので、きっとミュンヘン観光に来た人は、歩いた記憶がある筈だ。

第二次大戦中、爆撃でこっぴどく破壊されるも、戦後30年の年月をかけて再建されました。

5. ミュンヘン国立劇場 / Nationaltheater

国立劇場 / Nationaltheaterでは続いてミュンヘン国立劇場 / Nationaltheater を見に行きます。かってバイエルン王国の時代に築かれたので、この名前です。今なら州立劇場と訳すべきかもしれません、オリジナルを優先しました。1811年、ここに建っていた修道院を取り壊し、もっと王様の役に立つ劇場を建設することに。モデルになったのはパリの国立劇場です。

しかしあまり豪華な作りを希望したため、予算が足らず、工事は中断。ここで火事が発生して、すでに完成していた部分も大被害。ただでも足らない予算に大穴が空き、1818年、工事を大幅に簡素化することで完成。しかし1823年の火事でほどんど消失。

するとミュンヘン市は意外にも再建を決議、それもオリジナルに近い案で。わずか2年後には完成、その後、さらに増築されて今の姿に。第二次大戦では爆撃で、土台しか残らないまで破壊されます。戦後、「新しい劇場を造るか(安い)、オリジナルを再現するか(べらぼうに高い)。」の議論の末、お金持ちのミュンヘンは後者に決定。

なんと再建は80年代まで続く大事業でした。お陰で19世紀の見事な劇場を見学することができます。頻繁に劇やオペラが上演されているので、これが好きな人にはたまらない(らしいです)。上演プログラムは以下のURLをご参照あれ!

参照 : Staatsoper.de

この劇場の先からミュンヘンで一番”schickimicki”(シキイ ミキイと呼んでください。流行最先端と主張する人を指す言葉)なマキシミリアン通りが始まります。高級ブテイックや高級ホテルがずらりと並んでいます。

6. オデオン広場 & テアティーナ教会

オデオン広場 & テアティーナ教会ここからオデオン広場に行くのが、ミュンヘン観光の王道。途中、テアティーナ教会もあり、いいモチーフになります。オデオン広場の名前は、ここにあったオデオン劇場が由来です。建物は今でも現存していますが、劇場ではなくバイエルン州の内務省が徴用して使用中。

この広場にあるとっても大きな黄色の建物が、テアテイーナ教会です。17世紀に建造されたこのカトリック教会は、ドイツで最初に建築されたバロック式建造物と言われています。教会の表面装飾は建設の100年後、ロココ調で施されているのがこの教会の特徴です。他にロココ調の教会と言えば、ランツベルクの教会くらいしか、思いつきません。しかし大きな教会で撮影に適した角度を探すのが難しい。

7. 兵士の慰霊碑 / Feldherrnhalle

教会のお向いにあるのが、兵士の慰霊碑 /”Feldherrnhalle”。戦争で倒れたバイエルン陸軍兵士の慰霊の目的で19世紀に建造されました。オリジナル(見本)はイタリアのLoggia dei Lanzi。ここに飾られている銅像は、30年戦争で死と恐怖をまき散らしたバイエルン軍の将軍、Tiliy、それにバイエルン軍の元帥です。後者はナポレオンと一緒に戦いバイエルン王国の領土を広げ、ナポレオンが負けると敵側に寝返り、バイエルン軍を勝利に導いた元帥です。

8. 凱旋門 凱旋門

この慰霊碑からから伸びる道を1kmずっと直進していくと、「バイエルン軍に捧ぐ」と書かれた凱旋門があります。この道路は戦争で勝ったバイエルン軍のパレード用に、建設された道路です。凱旋門は1850年にバイエルン軍のナポレオン戦の勝利を記念して建造されました(それまでナポレオン側で戦っていたのに!!)

1871年、ドイツ連合軍がナポレオン三世を破ると、バイエルン軍は鼻高々に凱旋、この凱旋門をくぐって意気揚々と慰霊碑までパレードしました。しかしこれが最後のパレードでした。尚、門の手前にはミュンヘン大学があります。

9. 王様の城レジデンツ & 宮廷庭

オデオン広場の右手にレジデンツ(王様の居城)とホーフガルテン(宮廷庭)があります。レジデンスは王様の居城、王様の教会、王様の劇場からなる広大な敷地に広がる建造物群です。

ミュンヘン 宮廷庭今では想像できませんが、この部分は運河と城壁に囲まれた城壁の街の中の城壁の街でした。理由。14世紀に市民がバイエルン公爵の圧政に反抗したため、市民から富と命を守るために建設されました。賢王との異名を持つアルブレヒト4世の時代になって、公爵は市民と和解、王様を守っていた城壁は街の城壁に取り込まれるか、それ以外の部分は取り壊されました。

ここに王様の居城を築いたのは、16世紀のバイエルン公爵、ヴィルヘルム4世です。宮廷と言えば、宮廷庭も欠かせないので一緒に築かれます。以来、王様が暗闇に紛れて怒った市民から逃げる20世紀まで、王様がここに住んでいました。今ではバイエルン州政府の持ち物ですので、入場料を払えば中に入って、市民が食うや食わずの生活をしたいた頃、王様がどんな豪華な生活をしていたか、実感することができます

参照 : schloesser.bayern.de 開館時間 夏 9時~18時 以外 10時~17時 入場料 大人7 ユーロ

残念ながらここ数年ずっと工事中で、2020年までは終わりそうにはありません。そこで早々と通り抜けて、宮廷庭の”Dianatempel”(ダイヤの寺)に行ってみると、ここも工事中でした(2017年)!やっと2018年には工事終了。入場料がなく、ベンチが多く設置されており市民の憩いの場です。

10. バイエルン州政府庁 / Bayerische Staatskanzlei  バイエルン州政府庁 / Bayerische Staatskanzlei

宮廷庭の横(あるいは奥)にあるのがバイエルン州政府庁 / Bayerische Staatskanzlei だ。オリジナルはバイエルン王様の近衛兵の宿舎。王政が廃止されてから、バイエルン州政府庁に改造された。ワイマール共和国下ではバイエルン州知事がここで仕事をしていたが、ナチスが第三帝国を宣言するとほとんど意味(それに仕事)を失う。

第二次大戦でこの建物も大被害を受ける。ここでは昔の姿に復活させることはやめ、中央部だけ残して壊れた部分は撤去されて、両端にはモダンながガラス張りの構造になっている。ちぐはぐ感がぬぐえないのはこの為だ。今ではバイエルの州知事、州政府のお仕事場だ。建物の前の銅像がとっても見事。

11. 芸術の家 / Haus der Kunst

州政府庁を済ませたら、次は平和の天使を目指そう。大体、1km歩きます。気合を入れていきましょう。州政府庁の後ろの道を左折して直進すると、右手に芸術の家 / Haus der Kunst が見えてきます。

参照 : Haus der Kunst 開館時間 夏10時~20時  入場料 1日券 14 ユーロ

近代芸術が展示されています。毎月、最初の木曜日は18時~22時(開館時間延長)無料で入れます。現地に住んでいる人向けですね。皆まで言えば、この芸術の家を作ったのは、アドルフヒトラーです。これを指摘するとドイツ人は機嫌を損ねるので、くれぐれもご注意ください。この先に見えてくるのが、、、。

12. バイエルン国立博物館 / Bayerisches Nationalmuseum  バイエルン国立博物館 / Bayerisches Nationalmuseum

です。なんでもイギリスで万博を閲覧して王様、マキシミリアン二世が、「ミュンヘンにもこういうものが欲しい。」と建設を命じて、1867年に完成したもの。建物が立派でついつい足が止まってしまいます。

参照 : Bayerisches Nationalmuseum 開館時間 10時~17時 木曜日は20時まで 月曜日は休館 入場料 7ユーロ

13. アイスバッハのサーフィン / Eisbachwelle

国立博物館の先に小川、アイスバッハがあります。この部分はサーフィンが楽しめる名所です。海のないバイエルンではサーインできないので、いつ来ても、サーファーで大賑わいしています。見ていると、1分ほどで交代しています。一人が長く使用しないように、ちゃんと取り決めがあるようです。

14. 平和の天使  平和の天使

さらに200m歩いてやっと平和の天使 / Friedensengel が見えてきます。この記念碑は1870/71の普仏戦争の終結を祝って(記念して)、作成されたもの。手前には大きな噴水や手の込んだ彫刻があり、階段を上っていくと、8m x 8m の正方形の「お寺」の中心部に聳え立つ、37mの塔。天使の像だけで6mもの高さがあります。

肝心のお寺は入場禁止なのにカップルが堂々と進入、観光客にバシバシ撮られているのに、平気でいちゃついていました。流石、ドイツ人。カップルの見えないアングルから撮り直し。私の個人的なお気に入りの観光名所です。難を言えば、午後には逆光になっているので、写真が撮り難い!

15. バイエルン州議会 / Maximilianeum

ここからイザー河沿いに500m下った場所に、バイエルン州議会 / Maximilianeum があるので、ここまで来たならもう見ないで帰るなんて有り得ない!朝から休みもなく歩き付けで足が棒のよう。それでも頑張って歩いていくと、丘の上に巨大な建物が見えてくる。

バイエルンの王様マックス2世の命令で、優れたバイエルンの子供に英才教育を施す財団の本部、そして学校として、こんなに立派な建物が建てられた。完成したのは1874年。まるで日本の国会並み。当時のバイエルン王国の経済力をうかがい知ることができます。これに比べれば、当時(明治時代)に日本で建設させた大学なんて、寺子屋で州議会 / Maximilianeumす!

第二次大戦では2/3が大破しましたが、州議会がここに置かれることが決まり、オリジナルの姿に再建されます。ちなみにこのややこしい名前、「マキシリアノイム」はバイエルンの王様、マキシミリアンに敬意を表して命名されたもの。わかりやすく言えば上院という意味です。戦後、上院は廃止されましたが、名前だけは昔のままで残ってます。

16. マキシミリアン通り

ここから市内方向に向かえばマキシミリアン通りに戻ってこれます。道中、立派なレンガ作りの教会が見えたので路地に入ると、St. Lukasだった。18世紀末に建造、ミュンヘンでは少ない(?)プロテスタント教会だ。

マキシミリアン通りは、右も左も日本人の好きなブテイック通り。好きなブランド品はすべてここで揃います。ここにはミュンヘンで一番高級なホテル四季があります。有名なスポーツ選手から芸能人はここに泊まるので、有名人に出会える可能性大!

通りをしばし歩いてから左に曲がると、日本人観光客の聖地 “Hofbräuhaus”がある。

17. ホーフブロイハウス ホーフブロイハウス

まずはウンチクから。その名前の通り、”Hof”(宮廷)、”Bräuhaus”(ビール醸造所)だ。事の始まりは16世紀にバイエルン公爵が、「安くビールを飲みたい。」と言い出したのがきっかけ。当時、王家は北ドイツからビールを輸入していたので、輸送費と関税が課せられて、とても高い飲み物でした。

「宮廷で醸造すれば出費も減り、販売で収入が入って、いい事ずくめじゃないか!」とニワトリ小屋を壊して宮廷ビール醸造所が設置されます。醸造を監督するのは、修道院から派遣されてきた修道士で、最初の宮廷ビールマイスターになりました。

当時、醸造されていたのは「茶色のビール」と呼ばれるビール。今、ミュンヘンのビールの代名詞になっている「白ビール」、”Weißbier“は、別の醸造所が生産していたビール。ン公爵から登録商標を与えられて、唯一、白ビールを醸造する権利を有していました。

16世紀にマキシミリアン公爵がこの登録商標を買い戻し、宮廷ビール工場でのみ生産される宮廷ビールにしたことから、この白ビールが広まっていきます。今の形でホーフブロイハウスの営業が始まったのは、19世紀にルートビヒ一世が、「大衆もここで飲み食いしてもよか。」と許可を出してから。

でもホーフブロイハウスの名前が世界に知れ渡ったのは、アドルフ ヒトラーがここで度々演説をしたのが原因です。第二次大戦では跡形ないまで破壊されましたが、戦前の姿のままに再建されることになり、完成にしたのは1958年。以来、毎年3万5000人もの客が訪問するドイツで一番人気の居酒屋になりました。

友人、家族が来たら、選択肢はなし。覚悟を決めて中に入ろう。さもないと、「ミュンヘンまで行ってあげたのに、ホーフブロイハウスにも連れて行ってくれなかった。」と一生、小言を言われることになります。

「私をホーフブロイハウスに連れてって。」と頼む方、お友達にチップを弾んであげてください。ドイツに住んでいると、ドイツ飯は口にしたくないです。それをお友達のために散財してまで付き合うのだから、ご褒美をお忘れなく。

参照 : Hofbräuhaus 年中無休 開館時間 9時~24時

18. イザー門

すぐ先にあるイザー門もこれを最後に見ておこう。この門は、ドイツ アルプスで採掘された塩をミュンヘン、ランツベルク、ボーデン湖まで運ぶ有名な「塩街道」のミュンヘンへの入り口に建造された。当時(14世紀)はこの門をくぐって町に入れたが、現在は道路はここを迂回するようになっている。

最後に一般庶民用のお買い物通り、カオフリンク通りを下ります。とても立派な建物が並んでいます。教会の裏に建つ巨大な緑の建造物は、ミュンヘン警察のHQ(司令部)です。

教会の隣にあるのは旧大学。かっては宗教関係の学校でした。今後はショッピングセンター、オフィス、それに超高級マンションが入る予定です。バイエルン州には7000種もの地場ビールがありますが、ここにある店舗は地元の人に人気な”Augstiner Bräu”のお店。

19. カール広場

塩街道の出口が”Karltor”のあるカール広場だ。かってこのカール門の前には大きなお堀があり、お堀にかかった橋を渡って市内に入るようになっていた。今からでは想像し難いです。カール広場の先にある威圧感たっぷりの建物は裁判所だ。この先に中央駅があります。これでミュンヘン1日観光コースは終わり。

20. ドイツ博物館 / Deutsches Museum

ドイツ博物館 / Deutsches Museum1日で見ることはできませんが、ピナコテークと同じくらい人気なのが、ドイツ博物館 / Deutsches Museum です。この博物館は第一次大戦後、技術革新を素人にもわかりやすく解説する目的で1925年に設置された、博物館としては世界一の規模を誇る博物館です。

展示品は28000点も(本来は)あり、毎年、150万人が訪問する人気の観光スポットです。

参照 : Deutsches Museum.de 年中無休 開館時間 9時~17時  入場料14ユーロ

行き方は簡単。地下鉄のドイツ博物館駅があり、見間違えないように標識と→が出ているので、道に迷うことはほぼ不可能。良かったのはここまで。問題はまずチケット売り場から始まります。毎年、150万人もの訪問者があるのに、空いてる窓口は2つだけ!

チケットを購入する列が(雨の中!)建物を1周!楽勝で30分待ちます(午後になると列がないか、短くなります)。そして期待して中に入ると、工事中!お目当ての戦争中の展示品は「別の博物館に移されたよ!」とのこと。「同じ質問をよくされる。」とおじさん。

だったらチケットを買う前に言いなさい!14ユーロも払ったのに!ホームページにも、「博物館更新中!」としか書かれていません。工事は2020年まで続き、展示品は大きく削られているので、訪問する価値があるか微妙です。

ミュンヘン の生活と物価

まずはいい点から。毎年、人口20万人以上の大都市が対象の犯罪率白書が発表されていますが、ミュンヘンは毎年、「もっとも治安がいい街」に君臨しています。女性一人でも安心して暮らせます。

参照 : Muenchen.de

そして郊外にはミュンヘン空港があり、地下鉄、路面電車、バスなどインフラが整っています。

あまりよくないのは、ミュンヘン市内の家賃は、ドイツで一番高い点です。アパートの平均家賃は18ユーロ/1㎡。すなわち30㎡程度の小さなアパートでも、家賃は540ユーロです。これに管理費や水道光熱費などが加わると、670~700ユーロと、まるで東京並み。

それよりも困るのは、ミュンヘン市内のアパートの数が全然少ない点。アパート入居希望者の方が空き物件よりも多く、市内でアパートを借りるのは至難の技。空き物件の見学になると30人以上もやってきます。ドイツ人を差し置いて、部屋を確保するのは、大変です。ミュンヘンは予算重視の留学先には向いていません。

しかしミュンヘンの高い家賃を払えるなら、生活は快適です。ミュンヘン空港まで電車で40分かかりますが、それでも長い空の旅の後、40分で済めば御の字です。ドイツ第三の大都市だけあって、電車、バス網がくまなく巡らされており、公共交通機関で学校、大学に通えます。

ミュンヘン 留学

ミュンヘン留学の定番はゲーテ。その外には良心的な価格の学生寮で人気のカールデューイスベルク校。この良好が日本のお客さんには人気です。授業の質で際立ったのがBWS。日本人が少ないのがDID校でした。

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